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建築家 山口文象 人と作品 年表  伊達美徳 編集
 
2008/12/31 改訂版    ★印:建物等現存確認、☆印:建物等取壊確認)

動   静

主な建築設計、著述など

備  考

世の動き

1902
明35

 

・1月10日東京・浅草に出生*1戸籍名は瀧蔵(後に文三、蚊象、文象と3度も改名)

*1: 祖父・源右衛門は宮大工、父・山口勝平は清水組大工棟梁、母いち、4男3女の次男

日英同盟、日露戦争(1904)、三井本館、横浜正金銀行(1904)、開東閣(1908)、赤坂離宮(1909)、帝国劇場(1911)

1910 8 岡村(母方叔母)養子縁組 、1930年まで岡村姓  

1915

13

・東京高等工業学校*1附属職工徒弟学校木工科入学

 

*1:現在の東京工業大学

東京駅(1914)
第1次世界大戦(1914-)、戦争景気、大正デモクラシー、
三越百貨店

1918

16

・職工徒弟学校卒業、
・清水組*1定夫となリ建設現場勤務

*1:現在の清水建設

シベリア出兵、米騒動、戦後経済恐慌、
東京海上ビル

1919

17

・ 清水組の名古屋に転勤、工場や銀行の建設現場勤務

  

大日本労働総同盟友愛会、
都市計画法、市街地建築物法、
ワイマールバウハウス開校

1920 
大9

18

・建築家になりたくて清水組を退職
・中條精一郎の紹介で逓信省経理局営繕課製図工に就職、逓信省の建築家のもとで仲間と共に建築修業

・岩元禄*2に兄事して☆青山電信局★京都西陣電話局等に携わる

*1:逓信省の建築家               

第1回メーデー、
分離派建築会結成、日本工業倶楽部、

1921
 

19

・大阪に転勤
・京都奈良の古社寺や茶室建築を調査研究

☆梅田穣*1と共に大阪逓信局舎建設現場監理

*1:後に山口と共に「創宇社建築会」創立のメンバー

ワシントン軍縮会議、東京市長後藤新平の都市計画案

1922

20

・天下茶屋に下宿
・東京に帰任、技手に昇格

・大阪府庁舎設計競技に応募落選

 

自由学園明日館、帝国ホテル

1923
大12

21

・山田守*1に認められて釧路郵便局等の設計
・東京美校で伊東忠太の日本建築史を聴講
・分離派建築会*2会員
・関東大震災直後に逓信省製図工仲間と「創宇社建築会」を旗揚げ*3

創宇社第1回展(劇場 計画案)

*1:逓信省の建築家 
*2:建築運動団体の嚆矢 
*3: 創立メンバーは、岡村(山口)蚊象、小川光三、専徒栄記、広木亀吉の5名、後に海老原一郎、今泉善一、河裾逸美、竹村新太郎、道明栄次、渡刈雄、野口巌、平松義彦、広瀬初夫、古川末雄、山口栄一 が参加。山口が渡欧中の1931年に官吏減俸騒動に巻き込まれたメンバーが逮捕され、これで事実上活動停止

関東大震災、戦災経済恐慌、帝国ホテル創宇社建築会建築会結成、日本郵船ビル、丸ビル、
ランシーノートルダム寺院

1924
 

22

・内務省帝都復興局*1の橋梁課嘱託技師、山田守のもとで★清洲橋浜離宮 南門橋豊海橋☆数寄屋橋八重洲橋等のデザインに関る
・田中豊*2の紹介で日本電力の嘱託技師、石井頴一郎*2のもとで日本電力庄川水系のダム等のデザインに関る

・ 創宇社第2回展(丘上記念塔、K氏住宅、劇場) 
・分離派第4回展
丘上記念塔、住宅、大連中央停車場案
・松田邸計画案
・『創作する心』
(分離派作品集第 三)

*1:関東大震災後の復興のために後藤新平がつくった組織。
*2:橋梁土木技術者
*3:土木技術者、後に関東学院大学教授

同潤会設立、
築地小劇場
アインシュタイン塔

1925

23

 

・創宇社第 3回展(商店、音楽堂、住宅2案、橋、舞台装置模型
大連駅本屋設計競技選外佳作2席
(弟・儀(栄一)名義で応募)
・『創宇社第三回展覧会と我々の態度』
(建築思潮9月号)

 

治安維持法、普通選挙法、同潤会設立
お茶の水文化アパート
歌舞伎座、東京中央電信局、
八重洲橋

1926
昭1

24

・仲田定之助、中原実ら美術家たちと芸術運動団体「単位三科」旗揚げ  
・竹中工務店設計技師となリ、石本喜久治*1のもとで
東京朝日新聞社屋*2の設計助手

・分離派第5回展市民会館数寄屋橋、壁掛け)
・創宇社第4回展
(面と線、或る建築草案、建築形態の究極?)
 
 

*1:当時のスター建築家
*2:現・有楽町マリオン

デッソウバウハウス校舎、国際連盟会館コンペ、紫烟荘、浜離宮南門橋

1927
 

25

・片岡・石本建築事務所に移籍して主任技師、日本橋白木屋百貨店*1、三宅やす子邸朝日新聞社社員クラブ、山叶商会等の設計
・大井瀧王子に住み、創宇社建築会仲間のアジト

・分離派第6回展(工業地帯に建つアパートメント計画、楯石意匠、緞帳意匠)
・劇場の三科展
(ファリフォトン)
・創宇社第5回展
(商店A*2、商店B、住宅*3、橋畔に建つ休憩所) 
・『橋を語る』
(工芸時代9月号)

*1:大阪在住の石本のスケッチ指示をもとに山口が創宇社仲間と設計実務作業戦災後に坂倉順三設計で大改装、その後東急百貨店となっていたが1999年廃業2001年取壊 。*2:山叶商会、*3:三宅やす子邸

金融恐慌、岩波文庫、地下鉄浅草ー上野間
インターナショナル建築会
同潤会青山アパート、大隈講堂、蔵前橋、聖橋

1928

26

 

・『Internationale Neue Baukunst』(ヒルベルザイマー著の翻訳 アトリエ9月号)

 ☆白木屋百貨店第1期(石本事務所)

CIAM、グロピウスがバウハウスを辞めベルリンへ
聴竹居、神奈川県庁舎、清洲橋、首相官邸、

1929
 

27

・この頃から創宇社活動が左傾化。
・安井曽太郎紹介で能勢某嬢と婚約
(滞欧中に破談)
・石本事務所を退職*2

・仲田勝之助邸*1
・創宇社第6回展
(出品せず)
・創宇社第7回展
(離れの書斎、家具セット)
・第1回建築思潮講演会『合理主義反省の要望
・『新建築における唯物史観
(アトリエ9月号)

*1:個人としての処女作
*2:石本喜久治は創宇社建築会の左傾化する運動を嫌って事務所員の山口、野口、渡刈に注意したが、3人とも反発して退職、以後山口石本の確執は日本歯科医専の設計でも起きる
☆朝日新聞社員クラブ☆山叶商会(いずれも石本で担当)

金解禁、不況、「蟹工船」、
厩橋、駒形橋、豊海橋
三井本館

1930
昭5

28

・新興建築家連盟結成に参加
来日した建築家リチャード・ノイトラに会い欧州事情を聞く
12月朝鮮、満州、シベリア経由渡欧*1

・名古屋市庁舎コンペ応募落選
創宇社建築会でウクライナハリコフ劇場コンペ応募落選
・創宇社第8回展
紡績工場の女工寄宿舎の提案*2
・第2回建築思朝講演会『新興建築家の実践とは
(国際建築12月号)
・座談会『勤労者の住宅について』

*1:渡欧目的はグロピウスに弟子入りと、日本電力の黒部小屋ノ平ダム設計に関する調査 、山口談話では白ロシアで左翼国際機関と連絡のためとも。
*2:創宇社建築会最後の展覧会、

経済恐慌、ロンドン軍縮j条約、帝都復興記念式典、
大塚女子アパートメント

1931
 

29

・白ロシアを経由してヨーロッパへ
ベルリンのワルター・グロピウス*1アトリエメンバー
・ベルリン反帝グループの一員として活動*2
プロレタリア建築展覧会に出品参加
・カールスルーエ工科大学で黒部小屋平ダムに関する水理調査研究

菊池一雄アトリエ
・グロピウスアトリエでの仕事 :ソビエトパレスコンペ、プレスラウジードルング、AEG職工住宅、カールスルーエジードルングコンペ

*1:当時バウハウスを退いてベルリンで設計活動中、後にアメリカに亡命し設計組織TACを結成
*2:藤森成吉(作家)、勝本清一郎(文芸評論家)、佐野碩(演出家)、三枝博音(思想家)、山田智三郎(美術評論家)、千田是也(俳優・演出家)、八代幸雄(演出家)、中原実(画家)など

15年戦争、官吏減法騒動、
アイシーオール
白木屋百貨店、綿業会館、森五商店、東京中央郵便局、東京帝室博物館コンペ、 サヴォイ邸、パイミオサナトリウム、エンパイアステートビル、ソビエトパレスコンペ

1932
 

30

・ドレスデン、プラハ、ウィーン、フィレンチェ、ミラノ、ミュンヘン、パリ(ル・コルビジェを訪問)の旅を経てマルセイユから靖国丸にて7月横浜港に*1
・日本歯科医専の設計*2

・河原アトリエ
・中原実アトリエ
・『欧州建築夜話』
(建築科学11月号)

*1:山口談話では、ナチを逃れて亡命するグロピウスと一緒にベルリンから南へ脱出行、イギリスに渡りしばらく滞在とあるが、渡欧手帳に記載がないし時期がグロピウス側の1934年とする諸記録と合わない
*2:麹町富士見町の有島生馬の貸家が事務所で、川裾逸美が最初の所員

満州国、5.15事件、

日本青年建築家連盟、建築科学研究会、デザム
銀座和光ビル(渡部仁)、御茶ノ水駅舎、

1933
 

31

・日本滞在中のブルーノタウトを前田青邨*1邸に案内

小泉八雲記念舘*2
・藤川勇三アトリエ
・仲田菊代アトリエ
・『1933年を回顧する』
(新建築12月号)

*1:日本画家。その娘と山口文象は前年に婚約、33年結婚、有名建築家と画家令嬢との結婚で話題となるも4年後に離婚
*2:ドイツワイマールゲーテ記念館を模したという。現在は和風に建替え

国際連盟脱退、ヒットラー政権、ニューディール、新興建築家連盟、大阪ガスビル

1934
 

32

・日本画家前田青邨の娘と結婚*1し芝白金に居宅
・白金自宅で山口蚊象建築事務所設立
・銀座資生堂にて山口蚊象建築作品個展を開催、ブルーノタウト来訪

関口泰邸茶室及び会席*2
・安井曽太郎アトリエ 
日本歯科医学専門学校附属医院*3
・日本電力宇奈月合宿所
・岡田邸
・松平頼寿像台座デザイン

*1:ブルーのタウトの日記に結婚式招待状をもらって石本との板ばさみで当惑する記述あり
*2:北鎌倉浄智寺内、現在は建築家榛澤氏の所有
*3:山口の出世作、校長の息子の前衛画家中原実の作品ともいえる

満州国、ワシントン条約破棄、グロピウスがロンドン亡命
明治生命館、築地本願寺、軍人会館、蒲郡ホテル、日向別邸、江戸川アパートメント、

1935
昭10

33

・事務所所員は川裾逸美と角取広司*1

・宇奈月延対寺旅館増築 
富山高校小泉八雲図書館
(ヘルン文庫)*2
☆西竹一男邸、☆山田智三郎邸 
・矢代幸雄邸 ・林邸
★若槻礼次郎像台座デザイン
・『明日の住宅は?』
(住宅1月号)

*1:川裾が主に洋風建築、角取が主に和風建築を担当
*2:実現せずと見られていたが、1995年小泉八雲研究者染村絢子氏が富山大学図書館に資料を発見、設計図とは若干異なり実現
 

天皇機関説問題、
土浦自邸、大阪十合百貨店、

1936
 

34

丸ノ内の三菱仲4号館に事務所を移す
・大森区久が原に転居
(小林邸)

・浅見静雄入所

青雲荘アパート兼診療所
番町集合住宅*1
小林邸
前田青邨邸アトリエ*2
山形梅月堂*3
日本電力黒部第2発電所 と関連施設*4
箱根湯本山崎ダム及び発電所

*1:白樺派作家有島生馬がオーナー、超モダン高級集合。 
*2:前田側資料(展覧会目録)の年代(1939)と合致しない 
*3:現「YT梅月館」
*4:発電所建物、目黒橋、小屋平堰堤、沈砂池換気塔など一連の設計デザイン

2.26事件、日独防共協定、
日本工作文化連盟、
タウトが日本を去りトルコへ

国会議事堂、野々宮アパート、カウフマン邸落水荘、

1937
 

35

・『建築論』 (三笠全書)を執筆するも公安検閲で出版不可

酒井憶尋邸  ・二見邸
・銀座ソシアル喫茶店
・日本電力猫又合宿所

 

日中戦争、グロピウスがアメリカへ
宇部渡部翁記念会館、東京帝室博物館、愛知県庁舎、パリ万博日本館

1938
 

36

・遠藤正巳入所

・荏原製作所本社社屋
・中央工業大森工場宿舎及び青年学校
・『堰堤随感』
(国際建築9月号)

 

国家総動員法、産業報国連盟、
第1生命相互館、東京女子大学チャペル、慶応日吉寄宿舎

1939

37

・千坂喜美子と結婚
・和田富朗、榊原博入所

・日本歯科医専杖痕ヒュッテ
・大森機械工養成学校・共同寄宿舎等
・荏原製作所羽田工場・付属病院
築地小劇場改装*1

*1小山内薫らの演劇運動で有名な劇場、前川國男と共同の仕事

ノモンハン事件、国民徴用令
若狭邸、大阪中央郵便局

1940
昭15

38

・矢内弘入所

山口自邸
林芙美子邸*1
・日本ゴム工員寄宿舎 
・川崎住宅元住吉労務者住宅群
・荏原製作所寄宿舎
・浦賀小学校奉安殿

*1:現在は新宿区立「林芙美子記念館」

大政翼賛会、日独伊三国協定、大日本産業報国会、皇紀2600年記念式典、
住宅営団、
大同都市計画、

1941
 

39

・京橋銀一ビルに事務所移転、仲4号館は書斎
・渡刈雄、久保富夫、岡田敏雄入所
 

・秋田製鋼鶴見工場寄宿舎
・佐々木象道アトリエ 
・昭和飛行機信州工場 
・冨士飛行機青年学校
・横尾海軍中将邸
『勤労者の住宅について』
(座談会 民芸7月号)

 

太平洋戦争
岸記念体育館

1942

40

・山口文象と称する(後年に戸籍も改名)
・小町和義*1、吉原幸雄、寺田弘、山口和男入所

☆光海軍工廠寄宿舎
・東京市大森工員寄宿舎
・国産軽銀岩手工場寄宿舎
・住友金属和歌山工場中松江第1寄宿舎
・富士飛行機工員寄宿舎
・上代たの邸

 *1:山口家に住み込み書生、後に平松建築事務所、現・番匠設計主宰

大東亜記念造営コンペ、

1943

41

・京橋銀一ビルに事務所移転、丸の内仲四号館は書斎とする
 

・熱海酒井邸 ・五味邸 
・荏原製作所羽田工場寄宿舎
・日本機械製鎖工員宿舎
・光海軍工廠松原口工員寄宿舎群
・住友金属和歌山工場中松江第2寄宿舎
・日泰文化会館コンペに応募落選

 

学徒動員、大東亜会議
日泰文化会館コンペ

1944

42

・徴兵等で所員激減、山口と小町のみになる

東北帝大大回流水槽高速力学研究所
・住友金属和歌山中松江第3寄宿舎
・荏原鋳造工員寄宿舎
・神田地区防火改修計画

 

米軍による爆撃、防空法による都市に疎開命令

1945
昭20

43

・長野県小海村に 家族で疎開
・3月東京大空襲で京橋事務所被災し、事務所を丸にうちに移す 
・9月仲4号館の事務所が進駐軍に接収されて閉鎖

・相模湖芸術家村構想*1

*1:画家の猪熊玄一郎や脇田和らの疎開先だった神奈川県相模湖畔の村づくり構想

主要都市空爆被災、太平洋戦争敗戦終結、戦災復興計画

1946 
 

44

・「日本民主建築会」の世話人活動
・所員は山口栄一*1、浅見、遠藤、小町、二見*1、古橋

『ブルーノ・タウト集合住宅の記録』(タウ卜より贈られた原稿を訳出)

*1:山口文象の実弟で東京美校の出
*2:後に日建設計社長

新憲法、農地改革、
プレモス住宅、

1947

45

・ 「新日本建築家集団」(NAU)結成に参加して、中央委員、建築運動史講座の講師など活動
・事務所を千駄ヶ谷の千坂邸に移す

☆ニエ・アルの碑

 

社会党内閣、6・3制教育、
新日本建築家集団NAU

1948

46

 

☆東京都交通局舎
・中西利男アトリエ
高松近代美術舘*1 
・立教大学チャペルコンペ応募落選

*1:郷里が香川県の画家猪熊玄一郎の紹介 

福井地震
藤村記念堂

1949

47

・2月事務所解散*1
・猪熊弦一郎と企画して美術団体の新制作派協会に建築部を新設*2

・早川巍一郎邸

*1:小町和義氏によれば仕事が全くなくなったため解散
*2:池辺陽、猪熊弦一郎、岡田哲郎、剣持勇、谷口吉郎、丹下健三、前川國男、吉村順三、山口文象

紀伊国屋書店、全造船会館、ジョンソンワックス研究所

1950 
昭25

48

・新制作派協会で神戸博覧会の施設を 計画、設計

・千葉邸 ・高林邸
久ヶ原教会*1 
☆神戸博覧会序曲舘等*2
・明大大学院校舎計画 

*1:猪熊玄一郎の紹介、戦後の代表作 。現在の建物はRIA設計で建替え。
*2:新制作派協会として山口担当

朝鮮戦争-53、特需景気

1951

49

・ この頃から新たな共同体としての設計組織を三輪正弘と模索

 

 

サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、日本都市計画学会
リーダーズ・ダイジェスト東京支社、鎌倉近代美術館、レイクショアドライブ

1952 
 

50

・山口 ・植田一豊・三輪正弘でRIAグループを結成*1  
・三枝博音や財界人と「備菴会」*2

ローコストハウス(高橋邸)
・土田邸 ・大久保邸
関東学院グレセット記念講堂  
・「我々の問題としてのローコスト住宅」
(新建築10月号)
朝日住宅相談室(婦人朝日連載)

*1:RIA(Research Institute of Architecture)、通称は「リア」 
*2:趣味の古美術研究会

日活国際会館、日本相互銀行、マルセイユアパート

1953
 

51

・RIA建築綜合研究所を接収解除 となった丸の内三菱仲4号館にて設立*1

・東京印書館工場
・大田区政会館計画案
・『住宅志言』
(新建築11月号)
・『住宅』(朝日新聞社)

*1メンバーは山口・植田・三輪・山口栄一。現潟Aール・アイ・エー。三枝博音の東西文化交流研究所も同居。三輪寿壮(政治家、正弘の父)事務所も同じビル内

広島世界平和祈念聖堂、東京厚生年金病院、法政大学

1954
 

52

・RIAに近藤正一参加*1。
・来日したグロピウスが山口と再会し 、日本歯科大学を見てから丸の内仲4号館のRIAに来訪

★大和住宅団地 
神奈川大学校舎研究室 
・石下保育園  
大日本製糖堺工場*2 

小町邸 ・新滝ホテル ・千葉医院 ・化粧ビル
・『庶民住宅をどうするか』(座談会 新建築4月号)

*1:後に潟Aール・アイ・エー社長、会長
*2:新制作派協会として山口担当
 

グロピウス来日
神奈川県立図書館・音楽堂、清家自邸、渋谷東急文化会館、ロンシャンノートルダム教会

1955
昭30

53

・この頃から建築家の思想についての発言が多くなる

神大3号館  ・東京印書館工場
・下中彌三郎邸、・三宅艶子邸
・神奈川県住宅公社共同住宅
★ニエ・アルの碑
(再建)
・近鉄建売住宅
・『昨日・今日そして明日へ』
(新建築10月号)  ・『RIAレポート』
全国工業デザインコンクール最優秀賞

 

社会党・自民党の55年体制、
日本住宅公団設立、
国際文化会館、ロンシャン教会堂、

1956
 

54

・この頃からぜんそくで苦しむことが多くなる

東京板金川ア工場 
★第1森ビル 
神大図書館
『RIAレポート』

  

神武景気、チームX
秩父セメント工場、松井田町役場、

1957

55

・山口瀧蔵の戸籍名を山口文象と改名

東京部品蒲田工場 ・神大特別教室 ・麻生良方邸  
・『家具はだれのものだ』
(建築文化3月号)

 

広島平和記念資料館、東京都庁舎、読売会館、京都会館、

1958

56

・集団設計方法と組織原理を模索しはじめる

神奈川大学本館
日本インタナショナル整流器工場 

 

香川県庁舎、東京タワー、晴海高層住宅、スカイハウス、

1959

57

RIAを株式会社建築綜合研究所*1とし、代表取締役所長となる。所員16名。

朝鮮大学校 
大森教会 
・原町市民体育館

*1:登記にはRIAはないが一般には「RIA建築総合研究所」、通称は「リア」

伊勢湾台風、岩戸景気、国立西洋美術館

1960

58

・肺気腫で入院

★美術家会館

 

安保反対闘争、「都市のイメージ」(Kリンチ)、

1961

59

・交通事故で骨折。

・三浦高校  
・天童木工デザインコンペ金賞

 

人工衛星、東京文化会館、千里ニュータウン(着工)

1962

60

・建築年鑑賞を授賞(朝鮮大学校)
RIA10周年

・三浦高校 
・『対談 戦前戦中戦後』
・『RIA特集』(建築6月号)

☆神大体育舘 
★久が原教会(建て替え)

貿易自由化、高蔵寺ニュータウン(着工)、リチャーズ医学研究所、

1963

61

・東大沖中内科入院

 

★山手教会 ・兼坂邸 
・神大6・7号舘・寄宿舎 

新産業都市、
鶴見事故(三枝博音死す)

日生劇場、ベルリンフィルホール、レスター大学工学部、イェール大学建築学部

1964
 

62

・日本建築家協会理事

新制作座文化センタ*1
・『芝居小屋』
(建築3月号) 
・『前衛建築家の宙かえり』
(新建築6月号)

*1:一部は取壊し建替え、劇場と本部は使用継続、宿舎は空家

★石原慎太郎邸
・神大9・10・11号舘 

東京オリンピック、国立代々木競技場

1965昭40

63

・東京工業大学工学部建築学科非常勤講師(〜1970)

  

 ★伊豆富士見ランド ・大河内一男邸

ベトナム戦争、
大学セミナー・ハウス、イコモス、 

1966

64

・キリスト教の洗礼

・『プランニングにおける思想性』

 ★日本金属工業相模原工場

公害問題、古都保存法、美観論争霞ヶ関ビル、パレスサイドビル

1967

65

・朝鮮大学校設計で朝鮮民主主義人民共和国より受勲

 

・神奈川大学記念講堂 

革新系首長、塔の家

1968

66

・黄綬褒章授章

・『思想と現実の狭間における建築家の意識』(都市住宅12月号)

★新大阪センイシティー

 

1969

67

・新建築技術者集団に参加

・『WALTER GROPlUS』(建築家秋号)

・神奈川県建築コンクール賞・大阪府建築コンクール賞・最高裁判所コンペ案(佳作)

大学紛争

1970昭45

68

・新建築家技術者集団に参加
・安保をなくして民主主義を進める建築技術者の会に参加

・『山口文象とRIA』
(三一書房)

 

 

大阪万博、
新建築家技術者集団、
東京海上ビル

1971

69

 

是の字寺

 

1972

70

 

・三国邸 ・千葉邸
「講演:建築家はどうなる」
(建築家 夏季号

 

1973
 

71

・この頃、建築家の戦争責任を問う講演をたびたび行 う

町田市郷土資料館 
★岡崎名鉄グランドホテル 
★京都平安教会

オイルショック、
シドニーオペラハウス、

1975昭50

73

・株式会社建築綜合研究所取締投会長

・岡崎女子高校

 

 

1976
 

74

 

★渋川市民会舘 
・対談『兄事のこと』
(『建築をめぐる回想と思索』ききて:長谷川尭)

倉敷アイビー・スクエア、住吉の長屋 

1977

75

・株式会社建築綜合研究所相談役

・対談『近代建築の目撃者』(ききて・佐々木宏)

ポンピドーセンター

1978昭53

76

・5月19日急逝、久が原教会の納骨室に眠る

*『地域に根をおろした建築を』(『建築士』)

 

1983 『建築家山口文象 人と作品』(長谷川尭・佐々木広宏・河東義之ほか著、RIA建築綜合研究所編 相模書房)刊行
2003 『新編山口文象 人と作品』(伊達美徳著、アール・アイ・エー)刊行

2008年12月大改訂を行った。いくつかの年代誤認や新発見があったが、これからも新発見があるだろう。

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