<まちもり通信>伊達美徳のサイトhttp://homepege2.nifty.com/datey/から発信しています
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年 |
齢 |
動 静 |
主な建築設計、著述など |
備 考 |
世の動き |
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1902 |
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・1月10日東京・浅草に出生*1、戸籍名は瀧蔵(後に文三、蚊象、文象と3度も改名) |
*1: 祖父・源右衛門は宮大工、父・山口勝平は清水組大工棟梁、母いち、4男3女の次男 |
日英同盟、日露戦争(1904)、三井本館、横浜正金銀行(1904)、開東閣(1908)、赤坂離宮(1909)、帝国劇場(1911) | |
| 1910 | 8 | 岡村(母方叔母)養子縁組 、1930年まで岡村姓 | |||
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1915 |
13 |
・東京高等工業学校*1附属職工徒弟学校木工科入学 |
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*1:現在の東京工業大学 |
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1918 |
16 |
・職工徒弟学校卒業、 |
*1:現在の清水建設 |
シベリア出兵、米騒動、戦後経済恐慌、 | |
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1919 |
17 |
・ 清水組の名古屋に転勤、工場や銀行の建設現場勤務 |
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大日本労働総同盟友愛会、 | |
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1920 |
18 |
・建築家になりたくて清水組を退職 |
・岩元禄*2に兄事して☆青山電信局★京都西陣電話局等に携わる |
*1:逓信省の建築家 |
第1回メーデー、 |
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1921 |
19 |
・大阪に転勤 |
☆梅田穣*1と共に大阪逓信局舎建設現場監理 |
*1:後に山口と共に「創宇社建築会」創立のメンバー |
ワシントン軍縮会議、東京市長後藤新平の都市計画案 |
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1922 |
20 |
・天下茶屋に下宿 |
・大阪府庁舎設計競技に応募落選 |
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自由学園明日館、帝国ホテル |
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1923 |
21 |
・山田守*1に認められて釧路郵便局等の設計 |
・創宇社第1回展(劇場 計画案) |
*1:逓信省の建築家 |
関東大震災、戦災経済恐慌、帝国ホテル、創宇社建築会建築会結成、日本郵船ビル、丸ビル、 |
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1924 |
22 |
・内務省帝都復興局*1の橋梁課嘱託技師、山田守のもとで★清洲橋★浜離宮
南門橋★豊海橋☆数寄屋橋☆八重洲橋等のデザインに関る |
・
創宇社第2回展(丘上記念塔、K氏住宅、劇場) |
*1:関東大震災後の復興のために後藤新平がつくった組織。 |
同潤会設立、 |
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1925 |
23 |
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・創宇社第
3回展(商店、音楽堂、住宅2案、橋、舞台装置模型) |
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治安維持法、普通選挙法、同潤会設立 |
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1926 |
24 |
・仲田定之助、中原実ら美術家たちと芸術運動団体「単位三科」旗揚げ
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*1:当時のスター建築家 |
デッソウバウハウス校舎、国際連盟会館コンペ、紫烟荘、浜離宮南門橋、 | |
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1927 |
25 |
・片岡・石本建築事務所に移籍して主任技師、日本橋白木屋百貨店*1、三宅やす子邸、朝日新聞社社員クラブ、山叶商会等の設計 |
・分離派第6回展(工業地帯に建つアパートメント計画、楯石意匠、緞帳意匠) |
*1:大阪在住の石本のスケッチ指示をもとに山口が創宇社仲間と設計実務作業。戦災後に坂倉順三設計で大改装、その後東急百貨店となっていたが1999年廃業2001年取壊 。*2:山叶商会、*3:三宅やす子邸 |
金融恐慌、岩波文庫、地下鉄浅草ー上野間 |
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1928 |
26 |
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・『Internationale Neue Baukunst』(ヒルベルザイマー著の翻訳 アトリエ9月号) |
☆白木屋百貨店第1期(石本事務所) |
CIAM、グロピウスがバウハウスを辞めベルリンへ |
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1929 |
27 |
・この頃から創宇社活動が左傾化。 |
・仲田勝之助邸*1 |
*1:個人としての処女作 |
金解禁、不況、「蟹工船」、 |
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1930 |
28 |
・新興建築家連盟結成に参加 |
・名古屋市庁舎コンペ応募落選 |
*1:渡欧目的はグロピウスに弟子入りと、日本電力の黒部小屋ノ平ダム設計に関する調査
、山口談話では白ロシアで左翼国際機関と連絡のためとも。 |
経済恐慌、ロンドン軍縮j条約、帝都復興記念式典、 |
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1931 |
29 |
・白ロシアを経由してヨーロッパへ |
・菊池一雄アトリエ |
*1:当時バウハウスを退いてベルリンで設計活動中、後にアメリカに亡命し設計組織TACを結成 |
15年戦争、官吏減法騒動、 |
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1932 |
30 |
・ドレスデン、プラハ、ウィーン、フィレンチェ、ミラノ、ミュンヘン、パリ(ル・コルビジェを訪問)の旅を経てマルセイユから靖国丸にて7月横浜港に*1 |
・河原アトリエ |
*1:山口談話では、ナチを逃れて亡命するグロピウスと一緒にベルリンから南へ脱出行、イギリスに渡りしばらく滞在とあるが、渡欧手帳に記載がないし時期がグロピウス側の1934年とする諸記録と合わない |
満州国、5.15事件、
日本青年建築家連盟、建築科学研究会、デザム |
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1933 |
31 |
・日本滞在中のブルーノタウトを前田青邨*1邸に案内 |
☆小泉八雲記念舘*2 |
*1:日本画家。その娘と山口文象は前年に婚約、33年結婚、有名建築家と画家令嬢との結婚で話題となるも4年後に離婚 |
国際連盟脱退、ヒットラー政権、ニューディール、新興建築家連盟、大阪ガスビル |
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1934 |
32 |
・日本画家前田青邨の娘と結婚*1し芝白金に居宅 |
★関口泰邸茶室及び会席*2 |
*1:ブルーのタウトの日記に結婚式招待状をもらって石本との板ばさみで当惑する記述あり |
満州国、ワシントン条約破棄、グロピウスがロンドン亡命 |
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1935 |
33 |
・事務所所員は川裾逸美と角取広司*1 |
・宇奈月延対寺旅館増築 |
*1:川裾が主に洋風建築、角取が主に和風建築を担当 |
天皇機関説問題、 |
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1936 |
34 |
・丸ノ内の三菱仲4号館に事務所を移す |
☆青雲荘アパート兼診療所 |
*1:白樺派作家有島生馬がオーナー、超モダン高級集合。 |
2.26事件、日独防共協定、 |
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1937 |
35 |
・『建築論』 (三笠全書)を執筆するも公安検閲で出版不可 |
★酒井憶尋邸 ・二見邸 |
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日中戦争、グロピウスがアメリカへ |
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1938 |
36 |
・遠藤正巳入所 |
・荏原製作所本社社屋 |
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国家総動員法、産業報国連盟、 |
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1939 |
37 |
・千坂喜美子と結婚 |
・日本歯科医専杖痕ヒュッテ |
*1小山内薫らの演劇運動で有名な劇場、前川國男と共同の仕事 |
ノモンハン事件、国民徴用令 |
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1940 |
38 |
・矢内弘入所 |
★山口自邸 |
大政翼賛会、日独伊三国協定、大日本産業報国会、皇紀2600年記念式典、 | |
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1941 |
39 |
・京橋銀一ビルに事務所移転、仲4号館は書斎 |
・秋田製鋼鶴見工場寄宿舎 |
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太平洋戦争 |
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1942 |
40 |
・山口文象と称する(後年に戸籍も改名) |
☆光海軍工廠寄宿舎 |
*1:山口家に住み込み書生、後に平松建築事務所、現・番匠設計主宰 |
大東亜記念造営コンペ、 |
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1943 |
41 |
・京橋銀一ビルに事務所移転、丸の内仲四号館は書斎とする |
・熱海酒井邸 ・五味邸 |
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学徒動員、大東亜会議 |
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1944 |
42 |
・徴兵等で所員激減、山口と小町のみになる |
☆東北帝大大回流水槽高速力学研究所 |
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米軍による爆撃、防空法による都市に疎開命令 |
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1945 |
43 |
・長野県小海村に
家族で疎開 |
・相模湖芸術家村構想*1 |
*1:画家の猪熊玄一郎や脇田和らの疎開先だった神奈川県相模湖畔の村づくり構想 |
主要都市空爆被災、太平洋戦争敗戦終結、戦災復興計画 |
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1946 |
44 |
・「日本民主建築会」の世話人活動 |
『ブルーノ・タウト集合住宅の記録』(タウ卜より贈られた原稿を訳出) |
*1:山口文象の実弟で東京美校の出 |
新憲法、農地改革、 |
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1947 |
45 |
・
「新日本建築家集団」(NAU)結成に参加して、中央委員、建築運動史講座の講師など活動 |
☆ニエ・アルの碑 |
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社会党内閣、6・3制教育、 |
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1948 |
46 |
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☆東京都交通局舎 |
*1:郷里が香川県の画家猪熊玄一郎の紹介 |
福井地震 藤村記念堂 |
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1949 |
47 |
・2月事務所解散*1 |
・早川巍一郎邸 |
*1:小町和義氏によれば仕事が全くなくなったため解散 |
紀伊国屋書店、全造船会館、ジョンソンワックス研究所 |
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1950 |
48 |
・新制作派協会で神戸博覧会の施設を 計画、設計 |
・千葉邸 ・高林邸 |
*1:猪熊玄一郎の紹介、戦後の代表作
。現在の建物はRIA設計で建替え。 |
朝鮮戦争-53、特需景気 |
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1951 |
49 |
・ この頃から新たな共同体としての設計組織を三輪正弘と模索 |
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サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、日本都市計画学会 |
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1952 |
50 |
・山口
・植田一豊・三輪正弘でRIAグループを結成*1 |
☆ローコストハウス(高橋邸) |
*1:RIA(Research Institute of
Architecture)、通称は「リア」 |
日活国際会館、日本相互銀行、マルセイユアパート |
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1953 |
51 |
・RIA建築綜合研究所を接収解除 となった丸の内三菱仲4号館にて設立*1 |
・東京印書館工場 |
*1:メンバーは山口・植田・三輪・山口栄一。現潟Aール・アイ・エー。三枝博音の東西文化交流研究所も同居。三輪寿壮(政治家、正弘の父)事務所も同じビル内 |
広島世界平和祈念聖堂、東京厚生年金病院、法政大学 |
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1954 |
52 |
・RIAに近藤正一参加*1。 |
★大和住宅団地 |
*1:後に潟Aール・アイ・エー社長、会長 |
グロピウス来日 |
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1955 |
53 |
・この頃から建築家の思想についての発言が多くなる |
・神大3号館
・東京印書館工場 |
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社会党・自民党の55年体制、 |
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1956 |
54 |
・この頃からぜんそくで苦しむことが多くなる |
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神武景気、チームX | |
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1957 |
55 |
・山口瀧蔵の戸籍名を山口文象と改名 |
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広島平和記念資料館、東京都庁舎、読売会館、京都会館、 | |
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1958 |
56 |
・集団設計方法と組織原理を模索しはじめる |
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香川県庁舎、東京タワー、晴海高層住宅、スカイハウス、 | |
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1959 |
57 |
RIAを株式会社建築綜合研究所*1とし、代表取締役所長となる。所員16名。 |
*1:登記にはRIAはないが一般には「RIA建築総合研究所」、通称は「リア」 |
伊勢湾台風、岩戸景気、国立西洋美術館 | |
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1960 |
58 |
・肺気腫で入院 |
★美術家会館 |
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安保反対闘争、「都市のイメージ」(Kリンチ)、 |
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1961 |
59 |
・交通事故で骨折。 |
・三浦高校 |
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人工衛星、東京文化会館、千里ニュータウン(着工) |
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1962 |
60 |
・建築年鑑賞を授賞(朝鮮大学校) |
・三浦高校 |
☆神大体育舘 |
貿易自由化、高蔵寺ニュータウン(着工)、リチャーズ医学研究所、 |
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1963 |
61 |
・東大沖中内科入院 |
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★山手教会 ・兼坂邸 |
新産業都市、 |
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1964 |
62 |
・日本建築家協会理事 |
★新制作座文化センタ*1 |
*1:一部は取壊し建替え、劇場と本部は使用継続、宿舎は空家 |
東京オリンピック、国立代々木競技場 |
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1965昭40 |
63 |
・東京工業大学工学部建築学科非常勤講師(〜1970) |
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★伊豆富士見ランド ・大河内一男邸 |
ベトナム戦争、 |
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1966 |
64 |
・キリスト教の洗礼 |
・『プランニングにおける思想性』 |
★日本金属工業相模原工場 |
公害問題、古都保存法、美観論争、霞ヶ関ビル、パレスサイドビル |
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1967 |
65 |
・朝鮮大学校設計で朝鮮民主主義人民共和国より受勲 |
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・神奈川大学記念講堂 |
革新系首長、塔の家 |
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1968 |
66 |
・黄綬褒章授章 |
・『思想と現実の狭間における建築家の意識』(都市住宅12月号) |
★新大阪センイシティー |
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1969 |
67 |
・新建築技術者集団に参加 |
・『WALTER GROPlUS』(建築家秋号) |
・神奈川県建築コンクール賞・大阪府建築コンクール賞・最高裁判所コンペ案(佳作) |
大学紛争 |
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1970昭45 |
68 |
・新建築家技術者集団に参加 |
・『山口文象とRIA』
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大阪万博、 |
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1971 |
69 |
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★是の字寺 |
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1972 |
70 |
・12月10日講演「建築学生は何を学ぶか」*1 |
・三国邸 ・千葉邸 |
・建築学生連絡会主催・東京大学駒場にて、200名参加。記録は「ある建築学生の群像 建築学生連絡会10年史」) *2:日本建築家教会にて、記録は「建築家」夏季号」) |
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1973 |
71 |
・この頃、建築家の戦争責任を問う講演をたびたび行 う |
★町田市郷土資料館 |
オイルショック、 | |
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1975昭50 |
73 |
・株式会社建築綜合研究所取締投会長 |
・岡崎女子高校 |
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1976 |
74 |
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★渋川市民会舘 |
倉敷アイビー・スクエア、住吉の長屋 | |
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1977 |
75 |
・株式会社建築綜合研究所相談役 |
・対談『近代建築の目撃者』(ききて・佐々木宏) |
*1:浜離宮南門橋、清洲橋、酒井邸、日本歯科大、朝日新聞社、鎌倉旧関口邸茶席等 を見て、鎌倉にて食事しながらインタビュー、同行者は編集関係者の佐々木宏、長谷川尭、河東義之、植田実ら) |
ポンピドーセンター |
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1978昭53 |
76 |
・3月18日山口邸で創宇社建築会の会*1 |
*1:参加者は、海老原、梅田、竹村、山口の創宇社建築会メンバーと、山口文象作品集編集関係者 *2:東京学芸大学にて、全都新入生歓迎フェスティバル、専門別セミナー建築学、参加15大学164名 |
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1983
『建築家山口文象 人と作品』(長谷川尭・佐々木広宏・河東義之ほか著、RIA建築綜合研究所編 相模書房)刊行 | |||||
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2008年12月大改訂を行った。いくつかの年代誤認や新発見があったが、これからも新発見があるだろう。 | |||||
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