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道路緑化の文化史的考察(下) 伊達美徳
3.高速道路 成熟へ向かう現代の意志の道
日光杉並木や鎌倉若宮大路のような、支配者の意志的空間としての道路にかわるものを現代に求めれば、それは都市間高速道路であると私は思う。
都市という現代の神々の座にむかって、まっしぐらにつきすすむこの抜け穴は、インターチェンジという鳥居から鳥居へと、外の世界と無縁に貫通する現代の参道である。けれどもこの道はその歴史は浅く、未だ参道のもつ象徴的空間に昇華しきれないで、意志の力のみが先行しているようだ。
山を裂き、谷を飛び、地にもぐるその形は、何者にもおかされない意思的空間を内外に誇示してやまない。日光杉並木があの象徴的空間を獲得するには50年以上の時間を要したように、高速道路も同様な時間を経て成熟してゆくだろう。
高速道路の歴史として世界でもっとも伝統をもつ、ドイツのアウトバーンは、生まれてからすでに50余年となり、そこには成熟された空間を多くみることができる。
アウトバーンは、ドイツ第三帝国の意志の空間から、第2次大戦後の奇跡の復興の象徴としての空間、そして今はモータリゼーション時代の大衆の日常空間として、成熟期の景観に移行しているようだ。
成熟期の景観とは、その道の自然との対応、都市との対応に異和感がなく、特別の景観でなく日常の形としておさまっていることをいっているつもりなのだが、たとえてみれば、わが国の在来線の鉄道のいまの景観をこれにあてはめてみればわかりやすい。明治の近代化へ向って驀進する意志の空間として誕生した鉄道が、在来線という言葉そのままにありふれた姿になるという歴史に重ねあわせると、その景観的成熟の過程をみることができる。ついでに言えば、新幹線は高度成長へ驀進する意志の空間としてその異形を現している。
具体的な例をあげる。私が詳細にみることのできたドルトムント郊外のアウトバーンの緑化は、それが人工の森であると教えられなければ、その地形といい、植生といい自然そのものとなっていた。
アウトバーンは森の中のひとすじの谷であり、野の中の林の土堤をもつ川であった。ヨーロッパ種のミズナラ、ブナ、シラカンバなどのドイツにとってはありふれた森や林の景観を大きな法面やマウンドに復元し、創出しているのだから、知らなければ「自然の地形と既存の森林を上手に利用し、残している」と視察報告書に書いても不思議でない景観であった。
アウトバーンの歴史は他のどの国にも先がけた高速自動車道であるだけに、その道路緑化にも時代のもつ情念が反映する空間創出にかかわっていることは当然である。
例えばポプラ並木の列植のもつ美しさがつくる道路空間は、象徴的空間としての景観を生みうるように、そろった形、めずらしい姿の樹木を求める手法は、道路の空間に意思をこめ、シンボライズするために必要であった。だが道が日常空間となるとき、ありふれた風景へと戻ることとなる。たとえてみれば、いろいろと化粧した末に素顔にたどりつくようなものだろう。
さて、ドルトムント郊外のアウトバーンに自然形の成熟景観をつくりあげるには親子二代の研究と実践がその陰にある。父ラインハルト・チュクセン氏は植物社会学の世界的権威者であり、潜在自然植生理論をうちたて、その二人の息子と共に自然保護や緑化の実践を行ってきており、アウトバーンの森もそのひとつであった。親子二代にわたる緑化といえば、日光杉並木も松平正綱・正信の二
代にわたって寄進したものであり、苗木から育てたという手法も似ている。
1974年に、当時健在だった父チュクセンは息子と共に私達「緑のヨーロッパ調査団」(団長・宮脇昭横浜国大教授)を案内してくれた。苗木を植えたばかりのところ、植栽後
7年、17年とそれぞれの森の状況を、その理論の実践として見ることができた。そこには郷土景観が成熟をみせていた。
この潜在自然植生理論の実践は、苗木による郷土種を密植して、年月をかけて森をつくるという手法で、根気のよいじっくり型のドイツ人らしいやり方だ。このような理論や実践が生まれてくる背景には、遠く中世からのゲルマン民族と森にかかわる歴史がある。中世までゲルマンはブナやミズナラの森にかこまれて、樹海に糧をもとめつつも、一方で迫りくる樹海におそれおののいてもいた。
鉄製刃物の発達で森はまたたくまに征服され、行きすぎてステップ化の危機を招き、ビスマルク時代には緑の保全・回復を政策として行うほどになった。ドイツ人の森好きはワンダーフォーゲル運動のように有名である。その森の民ドイツ人は植生の復元の研究をプロシア時代から行っているという実績にささえられている。こうしてアウトバーンも森の中にとりこまれている。
ただし誤解のないように付言するが、単に森林を復元するだけでなく、土壌条件・樹種・群落構成などの自然的条件をセットすることで、車の高速走行への配慮を自然に制御させるという工学の自然化とでも言うべき域に達しているといえよう。
ところで、日本でもこの潜在自然植生理論にもとづいた緑化は、一部の工場や大学キャンパス等の環境保全林形成に応用されてはいた。しかし高度成長時代には、その空間生成にかかる生物的時間と人工的時間には速度差が大きすぎて、わが国ではまだ早すぎたようだった。いま成熟社会への時代に入り、この2系統の時間は歩みよりをはじめたようだ。
最近、関西の国道において、この潜在自然植生種の苗木による緑化が、R.チュクセンの弟子の宮脇昭横浜国大教授の指導で行われた。ドイツ型のじっくりとかまえて物をつくる時代が道路という高度成の申し子にもやってきたようだ。
この道でシラカシやアラカシが毎年1メートルの速度で成長して森になるころ、わが国に本当の成熟社会が、成熟景観をしたがえて成立するだろうと期待したい。
関連ページ・頼朝の若宮大路-中世の意志の道 ・家康の日光杉並木-近世の象徴の道
注:小論は、「道路と自然」1983年春号(1983.3 社団法人道路緑化保全協会)に掲載した。
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