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●法末の3年・身体で受け止める四季 伊達美徳


・この3年の間に   →中越の美しい山村・法末集落の四季アルバム
 中越の山村・法末(ほっすぇ)の集落に通いだしてから3年目が終った。
 初めて行ったのが、中越震災の次の年の秋だったが、まだ、震災の傷跡が深く見えていた。今はもうほとんど見えないが、実はよく見ればまだあるのだ。

 でも、集落の人々はあまり拘泥しないで、少しくらい傾いた家でも、それなりに手を入れて普通に暮らしている。2007年に中越沖地震でまた揺さぶられたが、な〜に、この前(中越地震のこと)に比べりゃ幼稚園なみよって、笑い飛ばしてもいた。専門家が見ればちょっと危ない感じでも、なーに100年もこれで暮らしてきたんだよ、と笑い飛ばす。
 (NPO)日本都市計画家協会が立ち上げた事業として、中越震災復興を手伝おうというボランティア活動で、20名ほどのメンバーが参加して、この集落に毎週通うことが始まったのが、2005年の秋のことだった。
 その費用はといえば、初めは(NPO)日本都市計画家協会の財源を入れ、今は地元の長岡市、助成財団、政府省庁などからの助成金や事業委託費をとってきて充てている。
 わたしは不熱心なボランティアで、平均して月に1日半くらいしか行かないのだが、中心メンバーは毎週末に集落に泊り込んでいる。
 それにしても、毎週通っている仲間にも交通費実費程度だけの支給だから、人件費は完全に持ち出しである。いつもはプロとして都市計画関係の仕事で食っているのだから、よくやる、すごい心意気であると思う。
 もちろん勝手に通いだしたのではなく、行政と相談して支援要請が出ている多数の地区からこの集落を選定したのである。
 地元の人にとっては、市に支援策を頼んでの上でことだが、善意とはいえ、東京あたりからやってくるこいつらは何者だと、思われたのは当然のことだろう。でも、平日は東京で仕事をし、大雪でも毎週末に通って泊まっていると、さすがに次第に信用を得てきた。
 支援策といっても、震災復旧の力仕事ができるわけはない。限界集落のコミュニティーの維持・継続策を、村人と一緒になって手伝うことに尽きる。
 例えば、うまい棚田米や特産の農産物を東京などで売る、消えそうになっている伝統行事に参加して盛り立てる、憩いの場となる足湯を村人と一緒につくる、伝統民家を調査して耐震対策を助言する、草花で集落を美しくする、東京から子どもや知人を連れて行って集落を見せる、などなどである。
 そして、棚田で米を作る手伝いと称して伝統農法をやってみたり、畑で蕎麦を収穫してそばうちパーティを開いてみたり、お茶会をやって村人を招待したりなどの遊びもある。もっとも米作りも蕎麦つくりも、自分たちは何の知識もないので、地元の方たちに教えてもらう一方である。今年の米は豊作で、教え甲斐のある生徒だと思う。

・民家を手に入れて
 2007年末から、一軒の民家を手に入れて、そこを拠点にした。それまでは市の施設を利用させてもらっていたのだが、仲間の一人が空き家となっていた伝統民家を買ったのである。

 茅葺屋根に鉄板をかぶせ、2階増築など改装しているが、100年近く前の建物だ。
 見たところでは立派な材木で頑丈そうだが、実は中越震災以来の空き家となっていて、中越沖震災でも傷み、柱は傾き、壁はあちこち落ち、床も一部が抜けているのだった。
 応急的に構造や設備の修理をして、ここで毎週末は誰かが自炊で暮らしている。ときには仲間の知人たちもやってくる。わたしも春と秋に知人たちを連れて行って、農作業をてつだってもらい、ここを足場に周辺地域に小さな旅もした。
 初めて泊まったのは2007年暮であったが、寒いのなんの、その次の今年の正月に雪下ろしに行ったときは、電気毛布を持っていった。
 多いときは4メートル、少なくても1メートルは積もる豪雪地帯である。屋根の雪を下ろさないと家が傾く。屋根から落ちた雪を掻き出し掘り出して捨てないと、雪の壁が家に襲いかかる。 →法末雪景色   →雪堀写真  
 だから、11月末には、家の外周の窓やガラス戸には板を外から取り付けるのだ。冬は昼でも暗い生活である。雪国育ちでないわたしは、閉所恐怖症気味でもあって、これにはちょっと参ってしまう。夜中に火事になっても蹴破って出られないだろう。
 部屋の中の塗り壁のあちこちは、震災で落ちたままのところがある。上塗りが落ちて、下塗りや木舞が見えている床の間の壁に、まるでアートのように白い上塗り壁が残っているところもある。これは補修しても、震災の記念として保存したい。仲間にそういうのだが、意外に受け入れられない。

 基礎から束がずれたか根太が折れたか、床がブカブカするところもある。そんなところに石油ストーブを置いておくと、歩くたびに振動で地震弁がはたらいて火が消える。
 昔は板の間だったところに畳を敷いてあったが、畳の下から囲炉裏が出てきた。さっそくに囲炉裏(このあたりでは「へんなか」という)の復活である。
 仲間の誰もが囲炉裏の生活をしたことはないが、それらしく炭火をおこし、鍋を自在鍵から吊るして、みんなで囲むと、いかにも映画の中の懐かしいような風景となる。干物を焼いたり、鍋料理をここで囲むと、何でも美味いし、酒も進む。
 この集落のあちこちの家を訪ねて上がらせてもらったが、畳敷きの居間と、その奥のデイと呼ぶ奥の間とは真壁の漆塗りの柱梁と白壁が美しく、天井も高くて立派なのである。
 ところが、食事する部屋や台所は、どの家でも設備の改善や内装の修理修繕改造が行われているのだが、その内装がいわゆる新建材、それもプリント合板である。あまりにも座敷との落差が大きくて、なんだか不思議である。
 わたしたちの拠点とする民家もまさにそうである。囲炉裏の部屋の内装のプリント合板を一部はいだら、真っ黒になった壁と天井が出てきた。
 昔々、囲炉裏からの煙にいぶされてそうなっているのだ。その煙は居屋根裏に昇り、葺いてある茅にこびりついてその耐久力を増す作用となる。サスを組んだ堂々たる空間の屋根裏は、どこの家でも煤で真っ黒だ。
 設備の近代化といえば、ほとんどの家が“お尻洗いシャワー付き便器”である。優秀なセールスマンが村中に売り歩いたのだろう。

・四季を見る感じる  →法末集落四季定点観測写真
 初めて行った紅葉の晩秋、続いて豪雪3メートルの厳冬、やがて花が咲き誇り山菜が美味い春から初夏、そして吹く風の木陰でセミの声を聞きながら昼寝が気持ちよい夏、この 3年間は生まれ故郷の神社の杜を出てほぼ半世紀ぶりといおうか、しっかりと四季を見て体で感じている。
 そしてその四季は見て感じるだけでなく、棚田の米作りや畑の蕎麦つくりの激しい農作業で、季節を身体で受け止め、この時期は何をするべきか頭でも考えるのであった。
 それは自分の動きだけでなく、村人たちの動きが四季に応じていることも、田畑に見える。滞在していると、地元の人たちからいつも野菜をいただくのだが、それが当然に季節の変化を味覚で受け止めることになる。
 拠点の家の庭先には、花が咲けば、山菜も出てくる。ネマガリタケ、フキノトウ、モウソウチクタケノコ、ウド、ミョウガ、ムカゴ(ヤマイモの実)などが採れ、この秋はアマンダレという食用キノコを庭でも棚田のそばでも見つけた。

 四季に応じて多様に咲いてくる花の名はよく知らないが、ミズバショウ、ツツジ、ムクゲ、キキョウくらいはわたしでも分かる。まだ花は見ていないがユキワリソウも玄関の庭先にある。→法末の花風景アルバム
 それらは植えたわけでもないから、まさにこの地の豊かな天の恵みである。
 この恵みの豊かさを特に感じるのは、冬のあまりの陰気さと引き換えだからである。積もる深い雪の中の暗い部屋、何もするべきことがない。そう、だから昔々の冬は 、小千谷縮織をやっていたのだし、ちょっと昔は出かせぎに行ったのだ。
 今は雪も遊びの資源になる時代だが、ここには都会人を喜ばせるようなスキー場はない。でも、なにもない棚田の上に積もる雪だけの山野で、リフトもないところでスキーをやったら気持ちよさそうだ。わたしはもう無理だが、。
 昨冬に東京から子どもグループがやってきたが、その子等の喜んだことよ、わざわざ道でないところを転げまわり雪まみれになって進んでいくのだ。
 そのときは大人たちも、子どもがいなくなって絶えていた雪の中の行事「とりぼいら」を復活させた。雪洞を作って明かりをともして中で餅を焼いて食べ、歌をうたいつつ集落の中を拍子木を打ちながら回るなど、参加した子どもも大喜びだった。
 四季の行事は、小正月には稲と竹で作った高い塔を燃やす「賽の神」、お盆には「盆踊り」、春夏にはささやかに氏神様の祭礼、春の初めと稲刈り前には村人総出の「道普請」など、果たしていつまで続くか、わたしたちも楽しんでいつまで参加できるか、どちらも楽観は許さないが、今は四季を全身で感じて楽しんでいる。(081115)
  

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