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●またもや地震がやってきた
伊達美徳
・お見舞いに駆けつける
中越沖地震で法末はまた大揺れ、7 月16 日午前10 時13 分、またもや中越地方を襲った大地震。
集落は2004年10月の中越地震で、一時は全村避難したほど被災し、今は9割は戻って(それでも90人ほど)どうやら落ち着いていたところへ、またもやである。
わたしは7 月18日から急遽お見舞いに駆けつけた。普及応援で何ができるとも思えないが、お見舞いを言うぐらいはできそうだと思ったのだ。
集落内を見て歩くと、2004年の時のように土地が大きく崩れたところは見あたらないのは、そのときに不安定なところは一応全部落ちたからだろうか。
出会う人ごとにお見舞いを言う。「この前の地震で揺れに揺れたから今後当分の年月はもうないだろうと思っていたのに、3年でまたとは、この土地への不安が心をよぎるのが悩み」とか、「これから都会からこちらに住み替える人がいるだろうとの期待も、むなしいかもなあ」などの地震直後らしい声とともに、「この前に比べたら今度の地震は幼稚園なみだよ、大丈夫、平気だよ」とか、「この前は柏崎の人に助けてもらったから、今度は何か恩返しをしなくっちゃね」との、元気な声も聞いたのが嬉しかった。
米を作っている棚田に行くと、田んぼは何も被害はないが、すぐそばの墓地の墓石や石仏は、それぞれ勝手な方向に倒れているのは、この前のときと同じだ。小さい石仏だけは起こしたが、大きな石塔は手におえない。
田んぼは地震とは無関係に、稲に負けず草が一面に生えてきているので、草取りをした。
(→写真1)
・被害はこの前と比べると僅少だが
愛宕社に行ってみると、祠が土台から外れて斜め後ろに30cmほど動き、中の石地蔵が倒れ、境内の狛犬は大丈夫だったが、方位案内板の周りの石の腰掛けがテンでな方向に倒れている。石段を登った狛犬のあたりから祠の斜め後ろに向けて、土地に亀裂が入っている。この前は石段は崩れ、狛犬は倒れ、祠は1メートルも移動したそうだから、それと比べると今度はたいしたことはないのだろう。
愛宕社近くの忠魂碑はまた倒れて、ここにも土地におおきな亀裂が入っている。尾根筋から割れて崩壊するのが、ここの地形地質の特徴なのだろう。
新活動拠点にする空き家の大橋正典邸に行って見ると、母屋は外から見て特に被害はないが、母屋と蔵と結ぶ渡り廊下の蔵側の上部接続部がはずれて傾いている。
母屋の中は、棚のものなどは飛散していないが、奥座敷の脇床(わきどこ)の壁仕上げの大半が落ちて、残った仕上げが二つの白雲みたいだ。他の家でも塗り壁が落ちたとの話は聞いたので、揺れについていきにくい仕上げなのだろう。
20日午前は、活動拠点としている大橋芳弘邸・通称「へんなかカフェ」のすぐ上にある法末神社の清掃を、集落の人たちに加わって手伝った。その鳥居は、この前の地震でばらばらになって崩壊したのを、ついこの間新しい石材で再建したばかりだったが、今度はしゃんと立っている。
20日午後から仲間の大熊、長瀬、大和田、須永、土肥が、21日には佐々木(山の暮らし財団)が駆けつけてきた。 (→写真2)
・柏崎支援のジャガイモ堀り
21日午前中は、去年に蕎麦を植えた大橋隆幸さんの畑でジャガイモ堀り。これは宮田が30日から予定している、柏崎で「龍ヶ崎コロッケ」を配る支援活動の手配のひとつである。宮田からこの支援を聞いた隆幸さんが、それならまだ畑にあるジャガイモを寄付しようと言ってくださったので、龍ヶ崎コロッケ部隊にわたすべく急遽用意することにしたのだ。これで法末から柏崎への支援となる。
大量のジャガイモは総量200kgくらいか、カフェ2階はおジャガさまが占領した。泥んこになってごろごろ堀り出し、よたよたカフェへの運搬、ざぶざぶ水洗い(知らなかったが本当は洗わないほうが日持ちがよいのだ)、こんなに手間がかかるものなのに、帰りに寄った市場で見ると1袋6〜7個でたったの150円!、なんだあまりに安すぎるぞって、消費者ではなく生産者として感じたのは初めての経験だった。
・神社の祠を曳き家をする
21日午後は、愛宕神社の修復である。23 日が愛宕神社の祭礼だからだ。集落の人たちにわれわれも加わり総勢10数人、地元の大工棟梁の里美屋さんの指揮のもとにみんなで力をあわせて曳家して、斜め後ろに30センチほど(この前は反対方向に1メートル)移動した祠を元の位置に戻す作業である。(写真左:伊達撮影)
5〜6坪程度の小さな祠だから簡単と思って、はじめは適当に土台に板を挟んでエイヤッ、みんなで押し曳きしたが、どっこいびくともしない。作戦やり直しとて、今度はたくさんの道具を用意して再挑戦。
まず、壇の上から床にばったりと寝ていらっしゃるご本尊様の石地蔵を持ち上げて外に出すことにした。これがとんでもなく重くて、下手に持ち上げるとお首が折れそうだし、もしも足の上にでも落としたら一大事とヒヤヒヤ苦労する。
祠をジャッキで持ち上げ、あちこちに厚板を差し込んで、その上に土台との間にコロとなるパイプを入れ、ジャッキをはずす。祠にぐるりと帯状布を巻きつけて、これと曳くほうの向かいにある櫻の幹とチェーンブロックを横向きにして結びつけた。
チェーンブロックをガラガラと引くのにあわせて、押す側にまわったおおぜいがいっせいにエンヤコラと押す。何度か右や左に修正作業を繰り返して、土台を整えて収まるところに収まり、また重い重い石地蔵を元の壇の上に戻して立ててようやく完了。
3時間余の作業だった。このあとは愛宕荘でみんなで慰労会。
曳家は、昔は普通にどこでもやっていたが、今では珍しくなってしまった。それを自分がやるとは貴重な経験をした。なんでも自分たちでやってしまう集落の人たちの技術と意欲と、決して若くないのにその体力に脱帽である。 (→写真3)
居る間は、毎日1,2回は小さな余震がやってきた。
美味しくて高く売れるコシヒカリができるし、モリアオガエルの生息地のあるような、自然環境も良く人情も厚い豊かな村だが、被災しなくとも超高齢山村はどうなっていくのかなあ、と、思いつつ戻ってきた。(070725)
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