電気自動車に税の投入は適切か−かながわEV普及推進への疑問
2008年7月22日 伊達美徳(外部評価モニター)
1.このレポートの要旨
電気自動車(以下「EV]という)の開発と普及のための「かながわ電気自動車普及推進協議会」(以下「協議会」という)の動きは、これまでに環境に悪影響を及ぼしてきたことも多い自動車について、産業界が政府の環境政策と連携する取り組みは良い評価と見られる。
しかし、EV産業クラスターに環境政策として公共セクターが税投入してまで関わろうとする取り組みならば、自動車に起因する公害とエネルギー問題への対応としてのEVに限るのではなく、自動車が惹起した地域生活圏のスプロールや自然破壊等の社会的費用となっている都市問題の解決方策から検討し、脱工業化する21世紀の人口減少社会における地域社会形成を展望した上で、EVの導入の可否を含めて検討を進めるべきである。
2.EVの普及に向けての協議会の動きの概要
神奈川県は、県内にEV関連産業や大学が集積しているので、環境保全政策のひとつとしてEV普及推進に取り組むとして、2006年9月に「神奈川県電気自動車(EV)普及構想」(市販後5年以内に県内3,000台普及)を全国の自治体に先駆けて発表した。その延長上に、同年11月に産学公からなる協議会を設置し、EV開発普及の活動をしている。
協議会は、神奈川県内の自動車メーカー・電池メーカー、電力供給者、ユーザー企業、大学研究者に加えて、公共セクターの国・県・市が参加している。
その目的は、「産学公の連携により、地球温暖化の防止、石油依存度の低減、都市環境の改善をはかるため、2014年度までに県内に3,000台の電気自動車を普及させること」(協議会発行パンフレット)として、EV開発技術、充電インフラ整備、普及インセンティブ策について2006年から協議をはじめている。
EVは炭酸ガスの排出量がガソリン車の1/4(発電排出も考慮)、騒音も低減、省エネルギーとなり、家庭の電気でも充電できるので便利で、しかも電気代はガソリンよりも安いという。店舗や病院内、住宅内に乗り入れるライフスタイルも提案している。
現段階ではEV技術開発は市場に対応できる商品として完成しておらず高価格であるため、初期需要創出のインセンティブとして公共セクターにEV率先購入や税の減免や補助金支給等による助成制度の整備を求めるとして、環境政策を進める国県市はそれに積極的に応えようとしている。(本件は、同協議会事務局の杉江氏からレクチャーをいただいた)
3.地域社会における位置づけ
協議会メンバーは、EV開発企業等(自動車2、電池2、電力1、大学工学系研究室3)、車両ユーザー企業(損害保険、中小企業団体、レンタカー協会、NTT東)、公共セクター(環境省、県、県市長会、川崎市、横浜市)の3種に大別できる。
これを見ると、神奈川県におけるEV関連企業による産業クラスター(M.E.ポーターによる)が形成され、国際競争力のある地域経済振興のひとつのモデルといえる。技術と市場開発に目が向きやすいこの産業クラスターに、地域社会への新たな視点があるとすれば、公共セクターの環境行政当局を加えて地域環境政策との連携である。
成熟期に入った日本を含む先進国では自動車販売台数は停滞漸減傾向にある一方で、自動車産業は勃興するアジア諸地域で今後の大市場を期待している国際状況にある。激しい国際競争の市場展開とともに成熟した国内市場にむけて環境対応という付加価値のある新技術車で買い替え市場を狙う産業界と、地域有力企業の存続による地域再生と環境政策の展開を意図する自治体が、地域社会での産業政策と環境政策の連携として浮上している。
4.取り組みの評価
(1)取り組みの意義
エネルギー資源の枯渇や価格高騰、排ガスによる大気汚染と温暖化問題、そして自動車がもたらした20世紀の都市構造の諸問題が明確になってきて、自動車交通に頼る生活圏の見直しも、人口減少と超高齢化する21世紀日本の地域再生の大きな課題である。
そのようなときに、この協議会に国や自治体がいずれも産業政策部門ではなく環境政策部門として加わっていることに、その地域社会における今日的な意義を見ることができる。
地域連携の視点からの意義は、県内の多様な産学公の団体が連携して21世紀の環境対策へと動くことで、地域の産業と生活に活力を再生することを高く評価して期待しよう。
20世紀後半からの急激な人口増加による都市の拡大の必要性と工業化の先端を行く自動車産業の進展とがマッチして、自動車の急激な普及によって都市圏はスプロール的に拡大したが、今は人口減少時代となって都市縮退の時代に入った。
都市再生の視点からの意義は、これらを踏まえて「都市環境の改善をはかるため」(協議会パンフ)の方策をEV関連企業側からの視点のみでなく、地域の生活者の視点からの提起も期待する。
(2)取り組みの成果と課題
EVの開発に関しては産業クラスターとして動きはひとつの成果であるが、EVの普及による大気汚染や都市環境の改善も、その成果を見るにはまだ数十年が必要であろう。
むしろ問題点と課題のほうが多い。大気汚染、エネルギー消費、人身事故、都市拡散による自然破壊と地域活力停滞等の都市問題は、多くを自動車に起因する社会的費用となっている。
EVそのものは排ガスセロとしても、発電量増による排ガスと原電核廃棄物増、買換えによる古車処分、EV製造、現インフラ廃棄、新インフラ投資等による環境負荷増を見込んでも、なおEVは本当に有効なのか。
環境問題起因者にその解決策として公共セクターが税投入できるか。
ポスト工業化と人口減少時代に大量の自動車が必要か。
これらのわたしの疑問に対して協議会やその他の関連資料では、納得ある回答を見出せない。
5.地域再生に向けた取り組み改善策
産業クラスターとして、縮小する自動車市場をEV新技術によって回復を図ろうとする供給者側の事情が見える中で、行政からの税投入のインセンティブを環境政策として求めるならば、EVと環境政策が本当にマッチングするのか。
産業側の論理だけでない都市問題までの広い視点で、その蓋然性を県民市民の理解できる説得性をもって示すべきである。
産業クラスターに行政の環境政策が関わる動きならば、民と公の境界にある「新しい公」のあり方として、「新アジェンダ21かながわ」ビジョンに則り、消費者あるいは生活者たるユーザー、環境問題専門家、環境・まちづくりNPO等も参加し、脱工業化する21世紀の人口減少社会におけるモビリティを構想し、自動車の普及がもたらした地域社会の基本的問題を検討することから「都市環境の改善」に取り組むべきである。(完)
注:本論は横浜国立大学『地域交流科目』とは、教養教育科目の「コア科目・地域連携と都市再生」2008年度前期講義へのレポートとして提出した。
電気自動車は地球環境を救うか 2008.06.10
この5月から、横浜国立大学に週2回通って、各1コマの講義を聴いている。外部評価モニターなる制度があって、大学も外から評価を受ける時代になって大変である。その評価する側の立場になってみたのだが、実のところまだよく分からない。
2コマのうちにひとつは、「地域連携と都市再生」なる科目で、学生は1年から4年生まで聴いている。
もうひとつは「地域経済学」で、こちらは評価対象ではないのだが、機に乗じてお願いして、中村鋼治郎先生の講義を聴講している。これまで地場産業を生かす街づくりの現場で仕事をしてきたが、その理論はこうなのかと、改めて思うことが多い。
さて、昨日の「地域連携と都市再生」では、神奈川県の電気自動車の開発と普及に取り組む官民共同団体の方をゲストにして講義だった。
電気自動車とは要するに電気モーターで走る車で、エンジンの代わりに電池を積んで、ガソリンスタンドの代わりにコンセントで充電する。エネルギーと地球環境対策として導入しようとしているのだそうだ。
自動車の技術的なこともよく分からないが、それよりも本質的によくわからないことがある。
自動車を動かすエネルギーは、自動車の台数が変わらないとしたら同量が要るはずだ。
そのエネルギー源をガソリンから電気に変えても大丈夫なだけの発電量があるのだろうか。
そして、その源の発電を石油を燃してやっていては意味がないから、風力か水力発電にするのだろうか。それだけ開発余地があるのか。
そうではなくて、すべて原子力発電に変えようとしているのだろうか。でも、安全性も廃棄物問題も解決しないままで
、これも開発余地があるのか。
電気自動車になっても自動車を動かす限り、環境やエネルギー問題の基本的な解決にはなりえないような気がする。
自動車産業のような世界企業は、地球規模の環境対策に対応しなければ、国際的に生き残れない時代となりつつあるが、官民共同の開発普及プロジェクトは、官が絡む限りは環境問題に名を借りざるを得ないが、実は自動車産業の生き残り策に官が手を貸しているような気がする。
それと、電力産業の原子力発電の促進にも手を貸しているような気もする。
コンセントで電気をとるシステム
の電気自動車はなんだかうさんくさいと思ったが、ほかに自家発電型の燃料電池で走るシステムもあるらしい。これも水素を作るエネルギーが要るので難ありとか。
いずれにせよ、自動車そのもののもたらす本質的な社会問題(例えば都市拡散による高齢社会や環境問題)に目を向けて、その総合的な展望を持っていないと、特定大企業の生き残り開発競争に官側が税金を使ってはまりこむおそれがある。
それにしても、自動車に限らずなんでも石油漬けの今日では、毎日食っている日本の米だって、農業機械や農薬や肥料などで石油の産物だそうである。「1キロカロリーのお米を作るのに石油を2.6キロカロリー使う」という記事を読むと、先が思いやられる。
電気自動車の開発もそれはそれで結構なことだが、その前に石油生活をナントカしないと、つまり自動車を減らすほうが先であると思う。
怖いぞ、郊外の開発は生活圏を破壊する 伊達美徳
●いよいよ怖くなってきたぞ郊外の暮らし 2008年4月12日
ついに大型小売店舗の撤退が始まった。郊外の田んぼをつぶして超大規模ショッピングセンターをつくってきているイオンと、それを追随しようとしているヨーカドーグループが、2008年2月期決算
の営業利益が前年同月比でマイナスになったという。前者は10年ぶり、後者は6年ぶりだそうだ。(2008年4月11日朝日新聞朝刊東京版)
伸び悩む消費の壁に突き当たり、日本の人口減少をにらんで、これからは伸びの見込めない店舗を閉鎖し、アジアに転戦するのだという。
おお、予想していたことがもうやってきたか、さすがに目先の転換が早いものである。
地方都市を焼畑商業で壊しつくして消費者マーケットも崩壊したから、このへんでハイさようならというのである。
そうしてこんどは、この日本焼畑ビジネスモデルをアジアの台頭する諸都市に持って行って、またそこで都市を壊し市場を崩壊させるまで商売してハイさようなら、また次の台頭地域へと向かうのである。
まさに焼畑商業とは、いいえて妙である(この言葉は矢作弘さんの発明か)。
自動車があるから買い物にも不便じゃないからとて、郊外へ郊外へと住処を移していった人たちは、買い物をするところもなくなるし、年とって自動車運転もままならないことになる。
わかっていながらそんな生活圏を構築していく世の中が、わたしは不可解である。
ガソリンにかかるナントカ税の暫定税率を維持して延長する法が国会の政局がらみで通らなくて、現在のところ暫定税分が下がってガソリンが安くなり、自動車利用者は単純に喜んでいる。
そんなことで喜んでいるようだから世の中だめになるんですよって、いよいよ年寄りぶった小言が出る。
ガソリンはもっと高くしたほうが良いに決まっている。要りもしない自動車を一家に2台も3台もそろえて、要りもしない道路をつくって野山を崩し、どこもかしこも排気ガスや騒音を撒き散らしてきたのだが、いまやその公害ビジネスモデルを台頭するアジア諸国にばら撒いている。
北京オリンピックで空気が悪いからどうしようかなんていっているが、昔そっくり同じことを東京で言っていた。中国発生の亜硫酸ガスかなにか公害の煙が、日本に押し寄せるという。要するに日本が見事に公害技術輸出をした結果である。
むしろ、一般販売ガソリン
にはど〜んと高率の税をかけて高価にしよう。ただし公共交通用には安くする。道路特定財源は一般化しよう。
そしてその税収を、拡散して非効率となった生活圏を効率的に再編成するため
、社会政策としての居住政策(いまのような経済政策としての住宅政策ではなくて)に投入するのだ。
この生活圏の再編こそが、これからの日本の人口減少超高齢社会における重要政策だ。
日本の基幹産業となった自動車産業が衰退するなんていう人がいるだろうが、イオンのような大型流通業と同じで、その功罪の罪に目をつぶっているうちに、気がついたら生活者の死屍累々、これでは何にもならないのである。
関連ページ参照→◆中心市街地活性化問題の背景と周辺
書評「路地からのまちづくり」2007年1月 
都市計画の世界では密集市街地とか狭隘道路の路地の街は、政府レポートに「20世紀都市の負の遺産」とまで断言され、下流の街あつかいのはずだ。それを一流の都市プランナー21人が手をかえ品をかえ保全せよとのたまうのである。
「三丁目の夕日」現象の世間に押されて都市計画屋も転向か、公共投資抑制の居直りか、司波のいう潮目が変ったって本当か。
路地といってもその様態はさまざまである。住宅街では暮らしが滲み出し、商業地では店先がはみ出し、職人町では仕事場となる。そこには人間くさい日常の濃密な時間が滞留する。であればこそ自動車という機械系を拒否する。わたしも鎌倉の谷戸の路地に四半世紀暮らしたが、車に気をつけてと子どもに言った覚えがない。
寺田の「しつらえの路地」論の神楽坂や祇園の花街・料亭街の路地は、それらとは異なるものだ。非日常へ凝縮していく過程の空間は、千利休の茶庭の露地あるいは能舞台の橋掛かりであるとわたしは思う。
「路地は細街路であっても、細街路はかならずしも路地ではない」「細街路であっても歴史性や文化性を持ったもの、生活の表徴やにおいが発現しているもの」とする室崎の定義は重要だ。山本の言うように、それぞれの文化を背負っているが故に否定される路地もある。よそ者が路地を口にするとき気をつけなければなるまい。
路地なんて全国どこの街にもある珍しくもないものだ。であればこそ、今井が提唱した路地のまちづくり全国ネットワーク活動が、文化としての路地再発見の意義を持つ。近代化から取り残されていた街並みが、ある時から一周遅れのトップランナーになった伝建地区の例があるが、さて、今度は路地地区がそうなるだろうか。
とにかく、当代まちづくり名シェフたちが、細街路なる食材を料理して美味しい路地の街に仕立てる秘伝レシピを公開したのだから、活用したいものだ。半世紀遅れのジェイン・ジェイコブスやいかに。(2007年1月 地域プランナー/伊達美徳)
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「路地からのまちづくり」西村幸夫 編著 学芸出版社
A5変型判・272頁・定価3150円(本体3000円) 2006.12.30発行 ISBN4-7615-3147-9
内容紹介:近代都市計画が否定してきた路地が、そのヒューマンなスケールゆえに生活空間として、また賑わいや設えの空間として注目されている。本書では、界隈の魅力を保全・再生しつつ、まちづくりに活かしている各地の取り組みを報告。路地の復権を目指し、保全に向けた法制度と、ネックとなる防災・交通問題の解決手法を提起する。
郊外店舗開発の跡地が犯罪地帯に
2006年5月2日
中津川市の郊外国道沿いの閉店したパチンコ屋で、中学生が殺された。そこは不良どもの溜まり場になっていたそうだ。そう、地方都市によっては、郊外幹線道路沿いの荒れようは、前々から大変なことになるぞと思っていた。たとえば、福島から北に国道を行くと、次から次へと撤退して空き家になった店舗跡のお化け屋敷がつづく。
農地をつぶして郊外店舗を作って、しばらくは客がついても、もうからないとなるとさっさと閉店する。もともとその土地や建物を、店舗営業者が自から買いとったり建てたものではなくて、農業をやめた地主が建てて貸したものである。店舗屋は超安物建物を建てる資金を建設協力金とかで支払って農家に建てさせ、安い地代を払っているのだから撤退は楽である。跡がお化け屋敷になろうが犯罪地帯になろうが、知ったことではない。残った建物を壊す金もないから、持ち主も放っておくことになる。そして今回のような事件があちこちで起きているのだ。
中心市街地を壊した上に、さらに犯罪地帯をも用意するという、きわめて犯罪的な行為の郊外開発をしているのは、まさに郊外店舗屋である。大はイオングループから、中小は洋服の青山とか靴とかパチンコやら、とにかくめったやたらと醜い風景を作った果てが、こうなのである。
私はこの問題指摘をずっと前からしてきているのだが、大規模店舗立地法を改正して、閉店の場合に後始末をさせる条項を新設してはどうか。なにしろ「立地」法なのだから、立地させた後で立地しなくなったときのことを規定するのは当然だろう。あるいは撤退店舗の後始末をするように条例で定めてはどうか。持ち主と営業者に責任を持たせて、撤退する場合は、建てる前の農地に戻させるように決めてはどうか。 (060502)
歩く人間を忘れた道づくり 2002.07.07
5月末のこと、4日間で85キロメートルを歩いた。歩くことは移動のための手段のはずだが、今回はただただ歩くことが目的の旅である。
房総半島の南のあたりをまわったが、予想はしていたものの、道路というものは自動車にはよいが、歩くにはまことに辛いものであった。
途中に短い区間には、ちゃちなつくりの遊歩道なる歩くための道もあったが、国道やら県道などの広域道路は、こんな長距離を歩く人間がいるなんて想像もしていない作り方である。
歩道が少ないのはもちろんだが、標識や案内板を見てこれはどういう意味かと、考え込んでしまったことが再々ある。後で考えついたが、あれは自動車の人を対象に記述してあるらしく、歩いている者には理解しがたいことがある。
道端にある地図も、どうも歩くものを対象に描いていないらしい。距離(縮尺)が書いていない上に、その場のご都合主義のデフォルメをしてあるから、歩けば時間がいったいどれくらいかかるのか分からない。
これは日本全国のどこもかしこもの街にいえるのだが、歩くための地図の作り方が、例外なく下手くそなのは、どういうわけなのだろうか。いつだったか会津若松で、観光地図を信用して歩いていて遭難しそうになった。
千葉県のあのあたりの観光協会などのお方は、道を知らないよその人に案内してもらって、いちどは国道や県道を歩いてみてはいかがか。そうすれば何が問題かよく分かる。
ところで、房総半島は意外に山が深い。どの山もタブ、スダジイ、マテバシイなどの常緑広葉樹の森が、いまや黄なる炎が燃えるような若芽が樹冠を覆って、初夏の風にゆさゆさと山ごと揺れる風景は壮観である。
その森の地面には、春のわくら葉が茶色のじゅうたんを敷詰めている。次第に自然植生が優勢になってきている山は今、命のよみがえりを謳っている。
だが、その姿は、せっかくの植林の後退の姿でもある。広範にあるスギやヒノキの植林は、ほとんど手入れされている様子がなかった。でも、東京大学の広大な演習林の中も歩いたが、そこはさすがに行き届いた管理がされていた。
日本は自然の緑は豊かだが、人工の緑や道や街は貧しいと、改めて実感した旅だった。
(020603、0707補)
まちづくり3法が改正に、、だからいったじゃないの〜 2001.03.01
今の国会に「都市計画法」と「中心市街地活性化法」の改正が上程されている。この二つと「大規模店舗立地法」を合わせて、1998年からだれが名づけたのか「まちづくり3法」というのだが、実は、「まち壊し3法」である側面がばれてしまい、8年目にして大改正となるのだ。
1998年に貿易摩擦による外圧で「大店法」を廃止し、新法「大店立地法」の制定で大型店出店が緩和されたのに対応して、新法「中心市街地活性化法」で郊外に出てくる大型店に対抗するべく中心市街地の再生を図る施策を立て、同時に「都市計画法」を改正して、郊外に簡単に大型店を立地させないことを市町村長ができる制度を設けたのだ。これで一応制度は整った、はずだった。
ところが現実はどうだったかといえば、せっかく決めた郊外開発規制制度は市長がほとんど使わない(政治的に使えなかった?、だから今度の改正法では市長から県知事に一部権限を移す始末である)ので、大型店は郊外にどんどんできるばかりだし、その一方で中心市街地は住人が減っているのに郊外住宅づくりを規制しない。
やっている中心市街地活性化策は、これまでにもやりつくして失敗ばかりしてきたアーケードとか空き店舗とか舗装直しとかポイントカードとかの商店街振興策の繰り返しで、肝心の住民増加定住策は何も行わないのであった。これが全国ほとんどの地方都市のまちづくり策で、中心市街地は空洞化して、空き家と空き地駐車場が増えるばかり。
笑い話だが、中心商店街が郊外大型店に負けるのは駐車場がないからだという言いわけが長らくあったが、いまや駐車場の数だけは郊外店舗に負けないくらいあるから、こっちが繁盛するはずだが、。
ところで、ついに日本は人口減少が始まった。もう30年以上前から分かりきっていたのだが、昨年末に現実とわかって初めてマスコミもおかしいほど騒ぐのだ。実は、人口現象問題も、環境問題も、エネルギー問題も、超高齢社会問題も、いずれも中心市街地の再生に結びつくのである。
1998年に中心市街地活性化法ができたときに、どうもこれは失敗の繰り返しになりそうだとした私の予言は、不幸にも的中したのだ。このことは、この<まちもり通信>に載せているので、指摘した問題点をここでは繰り返さないからそちらをごらんいただきたい。(中心市街地活性化の背景と周辺1998〜2002)
そのことに政策当局もやっと気がついて、今度のまちづくり3法改正(性格には大店立地法は改正はないから2法だ)は、明確に郊外開発規制が真正面に出てきたことと、中心市街地化活性化政策が商業政策に偏っていたのを住宅政策へと舵を切り替えたのである。
各地に鳴り物入りでつくるだけつくって、ほとんど効果を発揮していないTMOもこれでおしまいになるらしいが、次の組織はどうなるのか、経済産業省と国交省の縦割りの弊害だけが残ることにならないように祈るばかりである。。
さて、今度は各地の首長が政策を切り替えるのだろうか。今は便利だからだれもが車社会対応の施策をもとめるが、これに迎合する政策を続けていると、超高齢化となり、環境・エネルギー問題を抱え、人口が減少する社会にその都市は対応できなくなるのだ。そのときは見捨てられる都市となるのだ。
都市計画法を改正しても、市長が選挙の4年のスパンでしか政策を見ないから、10年はかかる都市政策に対応できないのだ。これは何とかしなければならないことである。都市計画権限を首長からはずしてはどうだ、という極論もある。 (060301)
怖いぞ、郊外ショッピングセンター2004年5月2日
4月号に謝る風景を3つ書いたら、なんと月末には年金保険料不払いの大臣やら国会議員たちの謝る風景がぞろぞろぞろぞろ、、、もうコラムを書くのがいやになった。それにしても、あの江角さんはタイミング悪くて、お気の毒だったなあ、いまなら謝らなくてもすんだかもね、、。
でもまたイチャモンをめげずに書きますが、今月はよその人のお話を紹介します。
最近、マーケティングプランナーの三浦展さんの話を聞きました。貴方の街にショッピングセンターはありますか、特に町はずれにできているとしたら、これは怖い話ですよ。
犯罪発生と郊外ショッピングセンター、なかでも特にジャスコ(イオングループ)の店と犯罪現場とただならぬ関係に言及されて、いやもう怖ろしいこと、、こじつけか、いや、でも、さもありなんかとも思いました。
流通業界の方は既にご存知のことかもしれませんが、三浦さんのサイトにその話が載っています。マア、読んでごらんなさい、町はずれにジャスコがある街の人は怖くなるから。
http://www.culturestudies.com/city/city03.html
http://www.culturestudies.com/city/city04.html
三浦さんはかつて西武流通グループのパルコに所属していた時代に、「東京第四山の手」を“発明”して郊外化を煽ったお方ですから、都市の郊外化問題にはなにほどかは責任があるお方ですが、とりあえず論考は面白い。
ついでに、民主党が「高速道路を無料にせよ」といっていますが、そうなると郊外店舗は流通コストは下がる、客は遠方からやってくる、ウハウハ大儲けになります。その党の要職にはジャスコ創業者の御曹司がいらっしゃるが、これは関係あるのか、、、まさかねえ、三浦さんの冗談話でしたが、もしかしたら、、。
わたしも前から思っていてこの<まちもり通信>にも書いていますが、日本の流通業者はひどすぎます。全国あちこちの田んぼをつぶして食糧確保の場を減らし、とにかく安物建築と駐車場で美しい田園風景をぶち壊し、夜中まで営業して風紀も地域コミュニティも崩壊させ、短期間で儲けて市場飽和したらさっさと退散して跡は空き家のお化け屋敷置きざりでゴーストタウンになるまま。
その間に中心市街地もゴーストタウン化するのですから、泣き面に蜂を襲いかからせるようなものです。
目先の儲け仕事ばかりで繁盛して、それが街や地域の生活になにをもたらすのか、将来のことは何も考えない全国型流通業の面々には、ほんとに肌寒さを覚えています。
「中心市街地活性化法」ができたときに、「大店立地法」と「都市計画法改正」と抱き合わせて「まちづくり三法」(都市計画系は誰もこう言わなかったなあ、誰が発明したのかしら)ができたから、これからは良い街にするなんていってた政治家や経済産業省系の人たちに、(わが予想通りに)見事にしてやられました。(040502)
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