街と森を考える・まちもり通信・伊達美徳サイト
まちもり通信の表紙・目次に戻る
まちもりコラム2004年4月号(その1)
●ブロードバンドで情報伝達の本質を忘れる 伊達美徳
ちかごろはEメイルで重いファイルを、平気で送ってくる人が増えてきたような気する。昔もあったが、それはメイル初心者がよく知らないで送ったのだが、近頃はそうではなくて、確信犯的に送ってくるようだ。
どうもブロードバンドの急速普及に原因がありそうだ。
わが家の通信環境は−−自慢するけど−−ピポパピポじゃなくてパルスによる普通回線である。インターネット接続はアクセスポイントの電話番号に、ブツブツブツ・ブツブツ・ブツ・・てな調子で、PCが自分でお電話する(ダイヤルするというのか)ことから始まる。
なにしろ一昨年まで鎌倉の家では、わが机の上にはPCと並んでダイヤルをジーコジーコと回す黒電話が鎮座しており、こいつがPCに合わせてチリリン、チリン、チリチリと、けなげにも小声で歌うのが楽しかった。
さすがに東京の2ヶ所のわが仕事場ではISDNとADSLになっているし、わが家のある集合住宅ビルも光ファイバーが敷設してあるのだが、わが家はあくまでアナログ低速、いや普通速度回線のままである。
だから、重すぎるファイル付きメイルはダウンロードに数十分もかかる。いらいらする、健康によくない、だからプロバイダーのメイルサーバーからいきなり削除してしまって、受け取らないことにしているのだ(そうもいかないこともあるが)。
えーっ、そんなことでよいのか、せっかく送ったのに見ないとは何事か、失礼なヤツ、すぐにADSLに変えろっ、こう立腹するお方がいるに違いない。すまん、ごめん。
いや、ちょっと待ってもらいたい、ちょっと違うのである。
高利貸(サラ金とかまち金ともいう)の宣伝ちり紙(ティッシュペーパーともいう)を街角や駅前で配るのはずいぶん前からやっているが、ちかごろは広幅帯(ブロードバンドともいう)通信道具を配っている。
デジタル最先端技術の道具でも、はじめは、あの風俗客引き風のなんともはやアナログなやり方でないと、かんたんには普及しないものなんだなあー。
そうやって高速通信道具が組織にも個人にも急速に行きわたりつつあるのだが、その道具としての普及の急速さと、その使い方の普及との間にギャップが出ているのが今の状況である。
ちかごろは最初から広幅帯通信のひとは、そういうものだと思っているだろう。乗り換えた人も速さに大喜びしているうちに、誰もがそれでやっていると思い込んでしまう結果が、相手の状況を考えない通信となる。
先日、わが家の通信環境を若い人たちに話したら、いまどきすごいですねと驚いて笑われた。そうなんだよー、いまに電話局がわが家にやってきて、もうアナログはお宅だけです、おねがいですからブロードバンドにしてください、と言って来るまで変えないぞ、なんて酒飲み話をした。
インターネットは世界をめぐるのだが、世界中どこもブロードバンドの通信環境ではあるまい。わが家の様なところは、世界中まだまだ多いに違いない。
人にものごとを伝えるということは、相手の立場になり、分かりやすい言葉にするのはもちろんだが、伝える手段も相手に伝えやすい方法とするべきである。
そのとき、ブロードバンドを標準にするのではなく、わが家のようなのがまだ「世界標準」だと思う。ブロードバンド普及で、情報を伝える本質を忘れてきているように思う。
わたしは会員数600のNPO事務局で情報発信しているが、会員みんなに配信するメイルはかならず本文テキストで要領よく書くことにしている。重いファイルはHTMLにしてINサイトに載せて、先方からアクセスしてもらう。
つまり人様に情報を伝えるマナーを、遅さが自慢のわが家を標準にして、その環境での分かりやすさと速さを考えて情報発信をしているのである。これなら地球上のどこでも通用するのだ(と思う)。
と、まあ、ここまで格好つけた話をしたが、本当このことを白状すれば、わが家の普通回線通信とブロードバンド通信をコストパーフォーマンスで比較すると、前者のほうが低廉なのである。だからビンボー人は乗り換えられないのだよ、すまん、ごめん。
それにもうひとつ、外でも中でも頻繁に使っているモバイルPCにつなぐ携帯電話によるインタネットは、わが家をいくら高速にしても、なんの関係もないのである、、、なんだか納得がいかないのだ。
というわけで、まだまだ使うぞブツブツ電話、、引っ越しのときにNTTに返した黒電話ジーコ君が懐かしいなあ、。(040327)
まちもり通信の表紙・目次に戻る
Copyright(C) 2002-DATE,Yosinori=伊達美徳
All rights reserved.
まちもり通信・伊達美徳・伊達計画文化研究所・まちもりコラム・風景論・東京駅復元反対論・地域論・都市と産業論・まちなみ発見・鎌倉論・山口文象論