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建 築 と 景 観
  伊達美徳   〔1992年 建設通信新聞掲載)

 京都で今、景観問題といわれるように騒がしいようである。建築ジャーナリズムにもたびたび、話題の京都駅と京都ホテルがこのところ登場している。(注1)
 ところがそれらを読んでいるかぎりでは、どうも建築家が景観問題と切りきり結びながらやっているようには受け取れない。
 京都ホテルは、一般ジャーナリズムにも格好の話題を提供していておもしろいのだが、一般紙に建築家の名が登場しないのはわが国の常であるとしても、建築関係の雑誌にもこの設計者が登場しないのはどうしたことなのだろうか。このところ不思議に思っている。
 建築の世界では、京都の景観が高さの問題にすり替えられて、建築のデザインの本質が問われないのは残念、という風潮があるようだが、それなら堂々と出てきて反論しても良いだろう。
 とまあ、これは外野の無責任な発言でもあると心得てはいるのだが、それにしてもあの設計者はオーナーと反対論の間の板挟みで大変であろう。

 この問題は、建築家に景観への態度を正面から問うていることには違いない。その問い方の戦術として、一般に最もわかりやすい高さ問題に集中する方法をとっているのである。なかなかにうまい作戦である。
 景観がこれだけ流行語になってきても、建築家も建築ジャーナル界も多くは、景観の内容についてはいまだしの感がある
 先日も川上秀光氏が、あるところで景観賞を選定するにあたって、建築家の態度をなげいておられる話が、本紙で紹介されていた。賞の選考に応募してきた建築物の写真が、単に建物だけを写して、周りがどうなっているかまったく分からないものや、外周りのしつらえが無いムキダシのままのものであったりする例があり過ぎる、といわれている。

 建築のジャーナルに紹介される各地の景観賞作品の写真も、ほとんど例外なく周りの町並み、風景が写っていることはない。
 最近の建築界の話題作である、「水戸芸術館」に行って現物をみて、建築ジャーナルに登場していた写真の風景との違いに驚いたものである。建築単体としてのデザインや機能、あるいはその運営については、誠に好ましい仕事と私は思っているのだが、景観という視点からはいただけないものが多すぎる。
 ご自慢の広場の向かいはデパートの荷捌き場で、トラックが四六時中出入りしているし、この様な施設の常で外には閉鎖的な壁になるから、商店街はここでとぎれてしまっている。
 あのサナダ虫タワーは、近くにある電信関係らしい朱色の鉄骨タワー(二本もある)と競合していて、都市景観を引き締めてスックと立つシンボルと勘違いをしていたのは、私のほうだった。

 またある日、浅草から隅田川の吾妻橋の向こう岸にできた墨田川リバーシティーを眺めていて気がついた。
 あそこに建つ建築群は、景観的には相互になんの関係もなくデザインされているらしいのだが、そのコンセプトの無さを救ったのが、皮肉にもかの空飛ぶウンコ(屋上の広告塔?:フィリップ=スタルク設計)なのである。
 目はどうしても、その黄金のヒトダマにすいつけられるのだが、いったん目を建築群に戻せば、これは単なるバラダチのわが国のどこにでもある都市の景観であり、新宿西口やら池袋東口の安売り店のドハデ看板を、すこしばかりすっきりしてみせたのがアレで、乱立する建築群も少しはお行儀良くすればこの様な風景か、と納得がいったのである。
 われわれの好きなごたごた盛り場風景が、外国人の手によってちょっとだけとりすましたのであった。
 この墨田リバーシティ再開発は、プランニングレベルでは地区の持っているコンテクストを比較的よく読みとっていて好ましいのだが、建築の立ち上がりがどうもいまひとつである。
 それにしても、この川向うの境界領域に生まれた空飛ぶウンコと、今は北関東水戸の寒風にくねり立つサナダ虫とは、これも時間の境界である世紀末にふさわしい二大スカトロデザインか。

 たまたま二つの話題作をとりあげて、景観的な面からあげつらったのであるが、多くの建築計画はいまだに「敷地主義」がまかりとおっている。敷地内に建築基準法に適合する建築を一生懸命にデザインする、道路の向こうや隣は日影規制やら斜線制限のみで考慮すべきものである、というところが現実か。
 現に建築のジャーナルに紹介される建築の図面は敷地内だけしか書いていないし、写真にはその建築だけしか写っていないのがほとんどである。
 これも最近の話題作である坂本龍馬記念館は、まだ私は見ていないのだが、多分その立地条件がこの建築の最も見せ所と期待している。
 それが雑誌を見ているだけではさっぱり分からない。もしも立地条件、すなわち景観としてのシンボル性がこの建築に付与されていないなら、この建築はただのありふれた展示館にすぎない。現物を見るのがこわい。

 ところで一昨年(1990)のことだが、まったく本当に久し振りに建築の造形に感銘を受けたことがある。それは「シドニー・オペラハウス」である。絶えて久しく忘れていた現代建築への感動、というハズカシイことがおきた。
 シドニー湾の水面に、バックの緑と街と橋を従えて見事にシンボル景観として納まった造形は、ランドスケープデザインの完成度を見せている。
 この現代建築をこの国の人は誇りにしているのだ。いくら新しい国だといっても二百年祭をやっている位だから、それなりに古い名建築だってあるのに、オーストラリアの観光パンフレットの巻頭をこれがしばしば飾るのである。
 さて、外国の旅行社に置かれている私たちの国の観光パンフレットには、どんな現代建築が載ってるのだろうか。

注1:これを書いた1992年ごろは、京都駅と京都ホテルの高さ問題で、京都は騒がしかった。そして2002年の現在、両方ともプロジェクト発表のままの高さで立ち上がった。その後、京都ホテル(清水建設設計)はほとんど話題にならないようだが、京都駅(原広司設計)はその外観にはどちらかといえば否定的な論、内部の大階段と吹き抜け空間にはなんとなく好意的な論で、不況の中で伊勢丹百貨店の成績も良く、けっこう話題性がある。(020207)

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