●ジャポニズム再来
 能装束をつけた「ミカド」が出てくるオペレッタ「ミカド」を、横浜開港記念館で見た(2009年6月6日夕)。
 パンフレットによれば、ロンドンで1885年初演、次はミュンヘンの劇場で、このときたまたま滞在していた森鴎外も見たという。ゴッホの絵や蝶々夫人(1904年初演)にみるように、ちょうどそのころはヨーロッパでジャポニズムが流行していた頃で、観客は熱狂したのだそうだ。
 その「ミカド」の私的公演をミュンヘンの金持ちコレクターが企てて、1887年に和服を沢山買い込んで仲間で着て演じたのだが、その中にレンバッハという画家がいた。彼は能装束を着て出演したらしいが、今、レンバッハハウスという彼の美術コレクションにそれが保存されていることが最近発見された。
 いろいろあって、日本の能装束の専門家が鑑定したところ、18世紀の能装束・厚板唐織であることが分かった。痛みが著しいので修復し、新たに 同じ能装束復原もした。
 横浜開港150周年記念事業の一つとして、その能装束を使って能「清経」と「班女」の上演とオペレッタ「ミカド」の上演を同じ日に行なうことになったのである。
 なかなか面白い企画である。
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 オペレッタに能装束をどう使ったのか、19世紀後半のあちらでの上演写真が展示してあるのを見ると、前をはだけてぞろーっと着ているようだ。
 これは10年ほど前に蝶々夫人を見たときに、振袖を内掛けのようにぞろりと着ていたのを思い出させたが、あちらの人はきちんと帯で締めるものとは考えていなかったらしい。
 さて、オペレッタ「ミカド」は英語の上演で、例のごとく話の筋は荒唐無稽であり、ところどころに今様のギャグが入ったりするが、特に諧謔でも風刺でもない。でも音楽はそれなりに良かったし、主役級の中国人女性ソプラノも上手だった。
 どのような経緯か分からないが、配役リストを見るとドイツ、オーストリア、中国、ハンガリーからの役者たち9人である。音楽も東西各国の9人で、こじんまりとしていて開港記念館の小さな舞台にちょうどあっていた。
 肝心の復原した能装束だが、ミカド(日本の天皇)が着けて登場したのであった。
 着付けはもちろん能装束風ではなく、かといってそれほどぞろっぺでもなく、ちょっと着崩れした和服であった。なんと鬘帯を腰帯にして結んでおり、長い端を右脇から垂らしている。 裾は床にすれすれである。
 要するに、これはローブと称するあちら風の洋服になっているのであった。

 
それでもまあ良いとするかと思わせたのは、ミカド役の男が長身のすらりとした姿勢に、長い能装束がきちんと体に沿っていてプロポーションが良かったことであった。能では女性専用の装束だが、これもあるだろうと思わせた。
 ほかには能装束は出てこないのだが、珍妙な和服もどきは登場した。浴衣を前後逆に着たような格好で、両手を互いに左右の袖にいれるチャイナ風の姿勢をとると、これがあちらの人たちのジャポニズムなんだなと、変な納得をする。
 そういえば時々、チャルメラのような、トンヤレ節のような音楽が流れた。シノワズリーとジャポニズムは紙一重らしい。まあ、日本で最近また流行している卒業式モードで、袴に革靴のようなものである。
 今風ジャポニズムとしては、台詞に日本語「ソニー、ミツビシ、トヨタ、ニンテンドー、、」なんて前後無関係で意味不明に登場することだろうか。TVコマーシャルもじりもあったらしく観客は笑っていたが、TVを見ない私には面白くもなんともない。
 日本で最初の上演は、横浜で1887年だったが、政府当局とひと悶着の末に題名と一部内容を変えて上演、そしてその後は上演禁止であったそうだ。今見れば何でこれが禁止なのかと、当時の官憲の頭の中を想像できないが、ミカドというだけで駄目な時代があったのである。
   ◆
 同じ日の午後は横浜能楽堂で、能「班女」を観た。
 シテ山本順之、ワキ殿田謙吉で、地頭が梅若玄洋である。この梅若玄洋とは誰か知らなかったのだが、顔を見ると六郎そっくりである。家に帰ってネット検索したら、今年になって 六郎さんが襲名したのだそうだ。
 例の復原装束だが、全体に明るい黄色であり、金色というには明るすぎる感がした。そのせいもあるか気になったのは、その明るすぎが、シテを拡散的、平面的に見せた。
 前場は着流し、後場は脱ぎ掛け出あったが、小柄の山本には着付けがどうもだぶついているように見えた。着流しで座ると装束が演者を囲い込んでしまったし、脱ぎ掛けの居グセがちんまりとふくらんで見えた。
 能「班女」を観るのは、多分これが3回目のような気がするが、最後のあたりで男女で扇をかざす場面は、どこか性的な交わりを思わせる。
 能には、恋しい男の装束を来り抱えて舞う場面が多くあり(松風、柏崎など)、そのとき性的な雰囲気が色濃く立ち込めるが、これらは女ひとり (演者は男性だが)なのである種の清潔感もあるのに対して、班女では男女二人なので扇が性的メタファーとなってどこか生々しい。
 このレンバッハの能装束は、日本で30回以上の能上演に使われた後に渡欧していたことが、修復過程で着付け時の針の跡でわかったそうだ。
 そしてオペレッタのために、この装束の袖と脇が洋服風に曲線にした手直しされていたこともわかり、それは一度全てを解いてまた仕立てたらしく、実に丁寧な仕立て職人の仕事であったという。
 能とオペレッタで同じ装束を着けて登場しても、互いに何も関係はない。服飾史では能装束が西欧の衣服に何か影響を与えたのだろうか。090606
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ふたつのオルフェオを見る (2008)

 

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