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●まちもりコラム2003年3月号●
少年のある日、突然に四季がみえた
あなたには、こんな経験がおありでしょうか。
それはわたしが、多分、中学生の1年生かその前後の歳だったでしょうか。
ある日の昼まえ、いつものように街を眺めていました。わたしの生家は、盆地東側の中腹にある神社ですから、境内の端から見晴らしが良いのです。見下ろした頭を回して、山の中腹の雑木林に目を移してゆきます。
初夏だったでしょう、新しい葉が黄緑に繁る林の樹冠からは、レモンイエロウの炎がたっているようでした。いつも見ている風景です。
突然そのとき、私の心のなかで何かが動いたのです。うまく言えないのですが、そう、四季が見えたのです。自然の移り変わりをはっきりと感じたのです。
これまでいつも同じに見えていたこの風景は、じつは同じじゃなかったのだ、この世界には四季があり、いつも変化しているのだ、と、気がついたのです。
風が吹いている、こずえの葉がそよいでいる、色彩がある、雲が行く、陽光がふりそそいでいる、それらが見えてきたのです。いつも見ていた風景が、生き生きとわたしに語りかけてきたのでした。
こどもの頃には、四季なんてものはありませんでした。毎日毎日がそれぞれ別々の独立世界だったのでしたが、その日から、私のまわりには毎日連続する時間が生れ、季節が巡りだしました。
思うに、そのときから思春期に入ったということでしょうか。
こう書いていると、なんだか自分でも絵空事のような奇妙な感じです。でも、そのときの風景は、もう半世紀を超える前のことなのに、いまもはっきりと目に浮かぶのです。
今、ふるさとの同じところに立っても違う風景になっているのが現実ですが、まぶたの中の風景は昔のままに、若葉が萌え、いや、燃え立つのです。
このことはこれまでも、ときどき思い出したように人に話したことがありますが、書くのは初めてです。
いかがですか、あなたにはこのような経験はありましたか、お聞かせください。
これに関連して、気になっていることがあります。ヘルマン・ヘッセが書いた小説だったと思うのですが、その主人公がこれと同じ経験をする場面があったのを、高校生の頃に読んだような気がするのです。
それがどこにあるのか探しているのですが、どうして見つかりません。どなたかご存知でしょうか。
今月のコラムは、春が来るのでちょっとロマンチック(センチメンタルか)な気分で、、。(030309)
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