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棚田で米つくり
「風花随筆文学賞」2011年応募落選作
伊達 美徳
今年の夏は暑すぎたせいか、棚田で作ったコシヒカリの収量は昨年の八割、粒も揃いが悪い。それでも自分で作った米は美味い。中越山村での米つくりも5年目となった。
この集落が中越地震で被災したのが二〇〇四年十月、その復興支援でわたしが東京のNPO仲間とやって来るようになったのが二〇〇五年九月からである。空き家となった茅葺の家を取得して修理し、腰をすえた活動拠点として復興の手伝いを続けてきている。
ここの住人は約九十人、五十戸ほどで、棚田と森と茅葺屋根の家のある米作農業集落である。震災後の一年くらいは、住民のほとんどがふもとの町に避難していたが、今は八割ほどが戻ってきて暮している。市街地からは六キロほど、緑深い谷筋を奥へ奥へと登って、もうすぐ尾根になろうというあたりで急になだらかな地形となって、隠れ里のような村の景観が出現する。バスも来ないし、店もない。冬は二メートル以上も雪が積る。
そのような中で平均年齢が六十五歳という高齢化だが、だれもが元気に働いている。何でも自分でやってしまって、たくましく生きている。でも超高齢化には勝てないから、ポツリポツリと住人が減っていく。そうするとあちこちに耕作放棄の棚田ができて、萱が生い茂って自然の山に還っていく。跡継ぎも難しい。
そこでわたしたち仲間で、集落の中ほどにある放棄棚田の三段三枚を使わせてもらって、米つくりしてみようとなった。
その農作指導は、米作り五十余年のプロである住民の太平さんにお願いした。
農業機械を持ってないから、手で植えて、手で草を取り、手で刈り取り、天日で乾燥させよう、どうせなら除草剤の農薬も肥料もいれずと、自分が食うのだから無手勝流でやりたいと頼むと、「いまどきそんなことをやるものはいないよ」と、太平さんはあきれていた。
まずは畦を固めることから始めた。初春の冷たい水の田にはじめての地下足袋姿で入り、鋤簾で泥をすくっては畦に塗りつけて、下の棚田に水が漏れないようにする。腰が痛むことがよく分かった。五月半ばに田植えになった。あたりの田圃はどこも田植え機で能率的に植えているが、こちらは腰を曲げて手で苗を植えていく。
植える前に「六角」という筒状の枠を転がして植える位置を泥に印したが、次第に水が濁って見えなくなる。曲る上半身を二本足で支える姿勢は無理がある、植える列が乱れ曲って隣の列と交わる。
それから半月、稲の間に水草が生えてきて、わが棚田は緑のじゅうたん敷きになった。田の草取りは三回やるのだと教わり、その最初である。泥水に四つんばいになって這いずり、雑草を抜いては丸めて泥の中に埋めていく。あたりの景色は春霞にけぶり、森からウグイス、カッコウ、ホトトギスの鳴声が絶え間ない。たびたび二本足で直立して、腰を揉みつつしばし眼と耳の法楽に酔うであったが、また現実に戻って腰を曲げる。
田の草取りが農家のいちばんの重労働と聞いていたが、よくわかった。棚田は斜面の草刈りもあるから大変だ。農業は季節仕事だから、どこも同じときに同じことをやらなければならない。どうしても労働集約となるので、昔は大家族だったのだと気がついた。
そして一週間、田圃はまたもや緑のじゅうたんに戻った。さて、またやるか。このときふと下隣の田をみて、こちらとのあまりの違いに愕然とした。あちらは学校の校庭に朝礼で並んだ小学生のごとくに、水面に見事に整列する稲だけが風にそよいでいるのだった。 こちらは稲も雑草もこき混ぜた一面の緑の湿原である。そうか、これが農薬のすごさか。見れば周りの田には誰も入っていない。農家のいちばんの重労働であった田の草取りから開放したのだ。その農薬は、稲だけには例外的に効き目のない強力な枯葉剤なのだろう。昨今いわれている生物多様性とは真反対の世界、それが農業なのだった。
更に、田植え機やコンバインなどが農作業の労働問題を解決したのだ。下隣はこの集落の最長老の九十歳になる昌平さんの田である。太平洋戦争でインド侵攻して惨敗の悪名高いインパール作戦からの数少ない生還者のひとりだそうだ。その歳でかくしゃくとして農業機械を操って米つくりをしている。元気さと共に農薬と農機のおかげだろう。
9月末は稲刈りである。昌平さんに、刈った稲を架けて干すハサ作りを教えてもらう。「昔はどこでもやったもんだ」とて、竹竿を縄で縛って組みたてる。その縄の縛り方が簡単なようで難しくていつも忘れる。鎌で稲刈りして、藁で束ねてハサに掛けていく。そうやって今年も、美味い天日干しの米ができた。原価は幾らかかったか考えないほうがよい。
もう震災の傷は癒えたが、この棚田集落はいつまで暮らしの場として続くだろうか。そのうちにふもとの町からの通い農業の場となるか、それとも自然の森に還っていくのか。もうすぐ深い雪が一切をおおい、その雪が来年の棚田の米を育てる水となる。白一色の眠りの季節にはいったら、昌平さんに戦争の話の続きを聞きに行こう。
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注:このところエッセイのコンテストに応募することに凝っている。このサイトやブログに書き込んできたことを、募集のテーマと規定に沿ってエッセイに仕立てるのである。
ここに掲載したのは、「風花随筆文学賞」に応募して落選したエッセイである。このサイトには「法末の四季」としていくつも書いていることのなかで棚田の米つくりについてエッセイ風にまとめたものである。農村問題や高齢問題をからませたのだが、入選作を見るとどれも身辺の家族のことなどが主題である。
先月落選した「安曇野エッセイ賞」もそうだったが、入選作を読んで分ったのは、これは観光宣伝が主催者の目的で、安曇野賛美の軽い内容ばかりであった。それなのに、わたしは安曇野にもう行かないなんてことを書いてしまった。これでは落選は当たり前だ。
1月に表彰式があった「ホームページコンテスト」は、シニアの部優秀賞にひっかかったが、全体ではかなり下位の入選であった。わたしは景観の変化について社会批評をしたつもりだったが、それは評価されなかったらしく、表彰式会場での作品紹介では、美しい風景に詩が書きそえてあると言われて、ほんとにがっくりしたものだ。入選作はどれも事実報告の努力賞的なものが多かった。
次に入選するための戦術は、軽く書くことであるか。(110228) |
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