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鉄道・道路高架の景観 伊達美徳
(1992 日刊建設通信掲載)
鉄道は明治以来の事業によって、都市内高架道の先駆者であり続けてきたと言えよう。上を走るものが列車でも自動車でも本質的には、地上の秩序にわけいって新しい秩序を都市に持込んだのである。
それまでは、その地域から出るには徒歩が原則であり、それだけコミュニティーは狭く緊密であったが、鉄道の速度はこれを拡大し、日本全体の秩序さえも変えた。特に上り・下りの概念を、それまでは京都から東下りであったのを、西下・上京として逆転したのである。
とにかく地域の持っていた秩序とは大きく異なる超日常秩序を、日常生活空間に持込むものが鉄道であった。
これは橋と川の関係を逆にしたものとみれば分りやすい。川の水流という自然の秩序にかわって人間の生活という日常社会の秩序を、人が渡る生活の秩序たる橋にかわって列車あるいは自動車という超日常の秩序、というように人間の立場と水の立場がいれかわったと見よう。
川の水が河原という洪水調整機能たる境界領域を都市に要求したように、人もそれを鉄道に求めることになるのであろうか。
だが、その初め、鉄道そのものが境界空間の主人公であったのである。
1880年から1897年頃までの東京の地図に登場する鉄道をみると、今の東北本線は赤羽から続く武蔵野段丘の東端、本郷台の崖線に沿って上野で止っている。上野という東京の境界を終点とし、段丘崖線という地形上の境界を通っているのである。
また現在の中央線は甲武鉄道の名称で、今も明確に分るように江戸城の外堀というやはり境界空間にはいりこんでいる。
この様な路線のとりかたは、別に東京だけの特異なことではなく、名古屋でも城の堀を名鉄が走るし、高松、京都等も同じようなことが見られる。
鉄道が生活空間に市民権を得るには、やはり初期の河原者としての悲哀を経験しているのである。
これが、同じ鉄道でも鉄道馬車から発展する路面電車にはそのようなことがないのは、その鉄道の秩序が明らかに日常の秩序の範疇であったからだ。
今の都市高速道路が、堀や川の上空あるいはその中を路線にしているのと全く同様の現象があったのであり、歴史はくりかえすのである。
ところで都市の日常空間において、鉄道高架は市民権を得ているであろうか。地方を走る鉄道が、在来線と呼ばれて日常性にとけ込む景観を呈しているのに対して、都市内の鉄道高架はいまだ市民権を確固として得たとは見られないのである。
日常の地上の秩序と、高架上の軣音を発する鉄の移動箱の行交う空間の秩序とは、決してあいいれない。川にとってかわってこの間に新しい境界帯をうみだしている。
その境界帯とは、高架下のどこでもみられる猥雑な空間こそがそれであろう。戦争直後は浮浪児、パンパン、闇市等であり、今は焼き鳥屋、パチンコ屋、ポルノ映画、麻雀屋、市場、倉庫等の看板と荷物のひしめいて、活気と疲労とが入りまじった高架下空間は、まさに境界領域のアジールといえよう。
高架の上には世界に誇る時間厳守の列車が走り、その下には騒音と喧騒のアイマイ世界がくりひろげられ、洪水が橋脚にぶつかるごとく、アジールに生きる活気が高架の柱列におしよせているに違いない。そこは軣音と震動で定住空間にならない現代の河原である。
ところで都市内の鉄道以外の高架下利用をみるとき、東京西銀座デパート等を下に持つ東京高速道路株式会社線を思い浮べるであろう。
鉄道の高架下ほどの迫力あるアジール性は持合せていないが、銀座の一角にありながらどうしても銀座になりきれない様なところがあるのは、その境界領域性の故であろうか。そこでは高架下が都心正統派の利用方向を示しているのだが、どうもその出自に見合う猥雑性が不足しているので、なんとなく中途半端なのだ。
そういえば、ここは有楽町と銀座との間の川であったのだから、もともと境界であるのだ。ついでにいえば、石本喜久治の朝日新聞も山口文象の数寄屋橋も無くなってしまった。そう、境界領域にあるものは常ならざるものであるとすれば、これらは長く保ったほうかもしれない。
高架下には都市に境界空間が作られ、ここに好むと好まざるにかかわらず猥雑な空間を形成している。それは時代のなせる結果にしては長続きしているので、やはり二つの異なる秩序の出会いのなせる業であろう。
さて、こうして高架空間の来し方を民俗的に見てきたが、言えることは都心に新しい境界領域を生み出しつつあるということである。このような境界領域にこれからどの様なものが新しく登場し、育って行くであろうか楽しみである。
高速道路の高架下に期待するには、道路法の排他性はとても芸能などはあいいれない代物であるようだが、最近それを許すために立体道路制度ができた、という冗談の期待もある。
おりからウォーターフロント時代をむかえて、今までの陸と海との境界領域であった港の倉庫街が、あやしげなまといを身につけてきて芸能の場になろうとしている。
しかし、鉄道も高速道路も高架物が都市の景観要素として定着するには、厚化粧で補償金を持ってくるお客様の立場を脱ぎ捨て、素顔の美しさで日常生活の景観に埋没することこそあるべき姿であろう。
注:本論は1992年に「日刊建設通信新聞」に連載したものの一部である。ただし写真は本掲載にあたって再編集した。
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