東京駅復原反対論
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再現・三菱1号館をどう評価するか    

2010/01/03 更新                            (061015count start)  

●本サイトの主題●

東京駅赤レンガ駅舎の
景観の歴史的意味

 東京の丸の内にある東京駅の赤レンガ駅舎、それは日本に住むものならほとんどだれもが一度は通ったことがある有名な駅舎です。
 2007年5月、それを昔の姿に復原する工事が始まりました。それは今の姿を変える工事です。

 ところが、今の赤レンガ駅舎の姿は、日本の二つの大戦争の愚行と悲惨そして戦後復興の貴重な生き証人です。
 それを昔に姿に戻すことは、わたくしたちが生きた戦後文化の破壊です。
 戦後60余年は歴史でも文化でもないのか、重要文化財指定の意味はどこにあるか。

 東京駅赤レンガ駅舎は復原せずに、今の姿で保全すべきです。
 東京駅赤レンガ駅舎は第1次世界大戦の始まった1914年に竣工し開業しましたが、1945年の太平洋戦争の空爆により破壊されました。それを1947年に丁寧に修復したものが今の姿です。

 いわば、下半身は第1次世界大戦の戦勝記念碑であり、上半身は太平洋戦争大空襲の悲劇の証人であり、そして敗戦後の日本復興の貴重なシンボルであるからです。
 広島原爆ドームにも匹敵するこの戦争記念碑の建物を、戦前の当初形態に復原することは、とりもなおさず、戦争と戦後の歴史の証人を消し去ることになるからです。

 その創建から戦災までの姿であった期間は30年、今の姿となってからは60年、こちらほうがはるかに長いのです。
 戦争の記念的建築はいまやほとんど消滅しています。この東京駅こそは戦争という非文化と戦後の文化を体現しており、重要文化財指定の意味を単に戦前様式建築のみに求めてはなりません。
 建築保存とは、不動産の物的保存ではなく、文化の保存であり継承であるべきです。

 しかも、今の東京駅の建築デザインのほうが、戦前よりも美しいのです。復原論者は建築家・辰野金吾ばかりを評価しているようですが、あの物資のない戦争直後に、これをよくぞここまで修復デザインした鉄道省建築家・伊藤滋たちをもっと評価するべきです。

 戦前前後の両時代を表すハイブリッド建築を高く評価しましょう。
 古いほど良いものだという旧い文化財観から、そろそろ脱出しても良い成熟の時代であると思うのです。

最新掲載論文●2009/3/9

よりどりみどり丸ノ内再開発記念的建築取り込み手法
伊達美徳



 東京駅の丸ノ内南口を出ると、目の前にバックリとクレバスが立ち上がっている。それも今できたばかりの如くに。
 おお、これは元の東京中央郵便局ではないか、見れば駅前広場側と線路側に面した壁とそこから奥行き柱3本分を残して、その裏側はソックリなくなっている。
 そして広場側と線路側をつなぐ隅切り曲り目の辺りがパックリと掻きとられて、クレバスに左右に建物断面が立ち上がっている。断面が傷口のごとく痛々しい。
 その間からもうひとつ向うの街区の超高層ビルが見えるが、それはつい最近できた三菱一号館丸ノ内パークビルである。その足元には壊してから40年ぶりにコピー再現(三菱は復元といっている)した三菱一号館がある。
 振り返ると、東京駅赤レンガ駅舎が、今や3階とドームのコピー再現(JRは復原といっている)工事中で、南口のドームのあるホール部分は、上から下まで、中も外もそっくり囲われている。これが工事現場でなかったら、クリストの芸術作品そのものである。
 こちらに一部保存ファサード再現手法、向うには実物大コピー再現手法、後にも実物大コピー再現、広場の北西に首を回せば、一部保存とコピー再現を同時にやった日本工業クラブもある。
 こうして今の丸の内は、コピー再現と一部保存方法の“ご使用前ご使用中ご使用後”の3態を、いっぺんに見ることができる。
 都市再開発における記念的建築継承方法のあれこれよりどりみどりである。ということは、それだけ論理も手法も技術もまだまだ不安定な時代にあるということである。(091214)


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赤レンガ駅舎の見える風景


●上の写真説明
 写真の上から順に、1929年は右に郵船ビルと丸ビル、左に東京海上ビルで新丸ビルは未だない(引用:土木学会デジタルアーカイブス,震災復興市街地工事関係写真八号線工事,警視庁裏,昭和4年5月24日)。
 1987年は、右に建替後の郵船ビルと建替前の丸ビル、左に建替後の東京海上ビルと新丸ビル(伊達撮影)。赤レンガ駅舎のスカイラインを八重洲の鉄道会館が乱している。
 2004年は右に建替後の丸ビル(伊達撮影)。
 2011予定は、2007年7月写真(伊達撮影)とJR東日本公表の開発計画図を参考にして作成。せっかく八重洲の鉄道会館(大丸百貨店)を撤去し て、赤レンガ駅舎3階とドームのスカイラインを復原するにもかかわらず、今度も八重洲側再開発(グラントウキョウサウスビル)の大丸が 出っ張ってきて再び景観の邪魔をする計画である。
 それは赤レンガ駅舎容積身売りという身から出たサビのせいだが、もうちょっと設計を考えてもよさそうなものを、。
 どうせなら八重洲口側開発は横長高層建築を背景屏風の様に建てると、赤レンガ駅舎が引き立つのだが、もはや手遅れか。
 2030推測は、今後の京橋地区再開発を勝手に類推して作成。これでは赤レンガスカイラインはますます埋没か。こうなると屏風建築なら京橋目隠しにもなってよかったのに、。(070716)

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東京駅復原反対論集  伊達美徳

再現・三菱1号館をどう評価するか 丸ノ内パークビルディングに三菱1号館がコピー再現されて美術館として開館した。一度壊したものをまた再現するのは、都市の文脈の中でどう考えたら良いのだろうか。単なるテーマパークか、それとも歴史文化振興への美談か。
保存と開発の劇薬ジレンマー東京駅と中央郵便局ー(2009.3.9)NEW
中央郵便局の部分保全再開発か重文指定全面保存かという問題が、郵政民有化問題も絡んでかまびすしいニュースであるが、もしも全面保存となると容積率移転で東京駅と競合が起きるのではないかと危惧する。制度ジレンマが見える。

●東京中央郵便局の保全を考える(2008.7.10)
東京駅前にある東京中央郵便局舎の改築計画を、日本郵政会社が発表した。近代日本のモダンデザイン建築の記念碑であり、近代日本情報網の中枢施設としての記念碑でもあったこの建物を、どう保全するか論理と手法の問題を考える。

●世界遺産とはなんだろうか(2008) 
東京駅赤レンガ駅舎を世界遺産登録するとしたら、という例え話で、世界遺産に問題提起をする。 

●東京駅復興(その3)赤レンガ駅舎復原の意味するもの(2007〜執筆中))
赤レンガ駅舎は重要文化財に指定、空襲による破壊から修復した現在の姿を戦前形態に復原するが、その意味はどこにあるのだろうか

●東京駅復興(その1)空爆廃墟からよみがえった赤レンガ駅舎(2007)
第2次大戦の東京大空襲で都区内の半分が焼け野原の廃墟、死者10万人を超える大惨事の1945年、東京駅丸の内の赤煉瓦駅舎も被弾、全館炎上し廃墟に。苦難の時代にその復興を成し遂げた人々の物語。

●東京駅復興(その2よみがえった赤レンガ駅舎はどう評価されてきたか(2007)
苦難のなかで見事に復興をした赤レンガ駅舎はその後に苦難がまちうけていたのだった

●「昔の姿に戻ります東京駅」に「揺れる気持ち」(2007)
『・・・かつては「復元賛成派」だったけれど、正直、最近になって気持ちが揺れている。考えてみれば・・・』(雑誌『東京人』2007年2月号 米山勇さんの言)

●空気を金に化けさせる術ー東京駅の復原について長屋談義(2007)
八五郎「ナンだねえご隠居、えれえご時世になってきたね、狸だって金に換えるのは葉っぱだよ、それをキョウビは空気を金に化けさせるんすかい、へえ〜、じゃあね、ご隠居のもってるこのボロ長屋、 この上の空気を売りやしょうよ、そうすりゃ、家賃なんてタダでもいいでしょ」

●東京駅赤煉瓦駅舎復原と韓国ソウル旧朝鮮総督府庁舎撤去(2006)
1995年8月15日、政府要人や5万人もの市民が参加して、 韓国国立博物館の撤去の儀式があった。 保存と撤去の激しい論争の末だった。

●(資料)東京駅周辺地区総合整備基礎調査報告1988
赤煉瓦の東京駅の保全を決定づけた関係省庁による八十島委員会報告全容を公開

●(資料)東京駅関連年表
丸の内と東京駅に関する歴史年表をつくった。日本のビジネスセンター成立の経緯が興味深い。

●(資料)東京駅赤煉瓦駅舎をめぐる調査研究1988
1988年頃に東京駅周辺総合整備調査を行ったときの検討資料の一部を公表。80年代後半に自分が何を考えていたか、どのような歴史的経緯を踏まえたか、いま見てもなかなか興味深い。

●景観復元に思想を持て−ディズニーランド化する都市景観(PDF)(2006)
東京駅、三菱一号館、日本橋に景観復原(復元)の思想を問う。東京駅復原について疑問に思っているところに、今度は丸の内八重洲ビルを壊して、三菱一号館を復元という本末転倒をやるらしい、と思っていたら、お次は日本橋の上空の高速道路撤去だという、その景観復元の思想はどこにあるのか

東京駅保全問題の14年を隔てる2つのシンポジウム
●近代建築保全の論理について
(PDF)(1988)
1988年に『赤煉瓦の東京駅保存をめぐって』シンポジウムを東京駅を愛する会が主催して開催した。このときから、もう学者たちの発言には保全論理の矛盾が見える。

●戦後の歴史を消すな−赤煉瓦の東京駅は復原せずに現在の姿で保全せよ
(PDF)(2002)
2002年9月、日本建築学会は『赤煉瓦の東京駅保存、どう残すのか、なにを残すのか』と題したシンポジウムを開催した。学者・専門家復原派の論理は88年シンポから進歩していない。

●景観再考ー歴史の景観(PDF) (1992)
1992年に日刊建設通信に連載した「景観再考」の中の「歴史の景観」の節は、特に東京駅の保全について国土庁の調査の経緯と保存運動のもつ問題点を指摘した。

●赤煉瓦の東京駅舎復原反対(2001) 
2001年7月に新聞に、JRと東京都が東京駅復原に同意したという記事が載った。

●超高層の不安な風景(1997)
東京駅前の丸ビルを建て替えることになり、一時姿を消した。あとに建つ超高層ビルも周りのビルも、どこか超高層群は勝手な方向を向いて不安な風景である。

●都市再生−東京駅を活きた戦争記念碑に (2001)
東京駅赤レンガ駅舎は生きてきた戦争の記念碑、そこが凍結した原爆ドームと大きく違う意義あるところ。開発政策との単純な取り引きで、戦争と戦後の歴史の象徴を滅失してはならない。

●問題提起−都市風景をつくる文化的資産の保全を考える−特に近代以降を中心に(PDF)  (2001) 
いわゆる近代以降の日本の都市の資産については、その価値が未評価のまま消滅しつつある。伊東の野間別荘、碑文谷の一勧クラブハウス、そして東京駅をもとに問題提起する。

●都市の記憶とは? (2005)
2005年3月に、信濃毎日なる新聞に東京駅復原と三菱一号館復元計画が記事となった。 そこの二人の学者と三菱地所のコメントに、ちょっと一言つっこみたくなった。

●やっと現れた東京駅復原反対論 (2003)
2003年8月、ついに一般ジャーナリズムに東京駅赤レンガ駅舎復元反対の意見が登場した。 雑誌「ラピタ」に種村直樹氏のエッセイ。

●赤レンガ東京駅復原はその原風景を失うものです(2003)
『東京遺産』(森まゆみ 岩波新書)で、森さんは東京駅赤レンガ駅舎の復原を 礼賛しておられるが、原風景を大切にしたいという観点からは、どうも矛盾している。

●街はお遊びのテーマパークか(2004)
2004年7月、東京丸の内の大地主・大家主の三菱地所は、 三菱商事ビル・古河ビル・丸ノ内八重洲ビルの建替計画を発表しました。 そしてなんと、昔そこにあった「三菱一号館」を復元するのだそうです。 昔、世の保存の声を無視してエイヤッと壊したのになあ、。

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