
Y.M.A.C.栄光?の歴史

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上が古く、下に行くほど新しい活動が載っています。
【世界デビューだぁ! タイはバンコクで歌ってきたぞ!】<2008年4月>
2008年4月19日(土)15:00 開演にてタイ国はその首都バンコク、Pridi Banomyong Theatreにて歌ってきた。
まず4月18日昼前に関空を出発、同夕刻バンコク着。想像以上の蒸し暑さの中、さっそく演奏会場の下見へ。おっ、なかなかいいホールじゃん! ピアノの鍵盤がホンモノの象牙というのに感激(さすがタイ!)。立ち位置とか各自の響きをざっと確認。まだ時間はあるが今日はここまで。すぐさまホテルへチェックイン。ちなみにホテルの真ん前の日本料理(寿司屋さん?)の店名は『姉御(あねご)』やと。そんなのとは関係なく、隊員全員明日に備えて熟睡したはず。
翌19日はいよいよ本番。午前はゆっくりめにリハを終え、昼食は微妙に日本のものとは違う"日本のラーメン"。あ、「もやしラーメン」は旨かったぞ。ちなみに真向かいのお店は「日本料理 SEOUL」。多少のミスマッチは気にしないように(笑)。
さて、午後3時、恒例により『国王賛歌』で本番開始。各ステージともできはかなりよかったんじゃないかなぁ。いつになく?集中しててもんなぁ。これ、賛助出演してくださった "the Bangkok Glee Club" と "Ma Ma Yo" の力が大きいかも知れない。ありがとうございました。タイでは不可欠らしいインターミッション時のケーキ&フルーツ&ドリンクもおいしかった。
終演後は両団うち乱れての打ち上げ! 雰囲気は良いわ、料理は旨いわで盛り上がる盛り上がる! 時間を忘れて、ついでに記憶もうすれて男声合唱を楽しむのだった・・・ 。 あとのことは・・・記憶に・・・ない・・・
<はじめてのコンサート><2006年11月>
11月11日(土)昼下がり。昨日までの晴天が嘘のような小雨。客席数250のこぢんまりとしたホールに、加藤崇子のピアノの澄んだ音色が響き、<はじめてのコンサート>が始まった。
思えば、一年前の忘年会のこと。「ようやく満10年、この辺で演奏会らしいもんせえへんか」「そや、そや。やらな!」となった。酒の勢いはオ・ソ・ロ・シ・イ(笑)
その翌週にはさっそく「ホール、空いてたから押さえたで」「経費はひとり毎日百円ずつ貯金しいや」とメールが飛び交う。ステージはあろうことか4ステージも!!!??? “練習しない合唱団”との面子?をすてて、まじめに、そう、ただひたすらまじめに練習…。
そして迎えた、本番。
(1) African-American Spirituals (2) 中田喜直作品集『日本の四季の歌』 (3) 男声合唱とピアノのための『啄木短歌集』 (4) (再び) African-American Spirituals
会場はステージが進むごとに熱気を帯び、笑いと涙が入り混じる大盛況のうちにフィナーレは全員合唱で終了。…雨もあがった…。
演奏後「すばらしいピアニストに支えられ、力まずに中年男声の魅力・魔力を発揮した」「あたたかくいやされ、啄木短歌集は泣いた」「けっしてまとまっていないけど、本当に楽しかった。あの秘密は何なの?」などの感想、激励(お世辞?)が寄せられた。ほんとうにそう思って頂いているのなら、これこそわれわれが目指すところなのかもしれない。
最後になったが、すばらしい司会をして頂いた読売テレビ・道浦俊彦氏(早稲田グリーOB・大阪稲門グリー団員)には特別の感謝の意を表したい。
そして、それよりもなによりも、あたたかく見守っていてくださるすべてのみなさまに、感謝、感謝、感謝…。
[第7回 バッカス・フェスタ(関西男声合唱祭)]<2006年11月>
やっぱり出ました「 バッカス・フェスタ」。第一回から皆勤だぞい。今年も歌うは定番『アメリカの古いうた』。ワイマック<はじめてのコンサート>を間近に控えみんなまじめに歌う(いえ、いつもまじめですよ!)。今年は、昨年の兵庫県理事長賞・銘酒「剣菱」に続いて、山本寿太郎賞<高級ワイン>を受賞しました。
そのワイン、07年新年会でみんなでおいしく頂きました。
[第43回 大阪府合唱祭]<2006年6月>
大阪府合唱祭。今年も African-American Spirituals で登場。
しかし、しかしだ。直前に受けた「大志万明子先生の発声講座」にエネルギーを使いすぎ、本番はなんとも頼りないへろへろの演奏(汗)。
しかし、しかしだ。連続出場10年の表彰を受けたんだもんねー。今年も言おう。。。まだツブレてへんで〜!
[岸和田復活教会で歌いました]<2006年6月>
招かれたのか押し掛けたのか、日本聖公会岸和田復活教会の牧師館・ホール落成式なるおめでたい席で歌わせて頂いた。
聖書に通じる信徒の方々とは、曲の内容もほぼツーカーで理解し合い、ふだん歌っている Spirituals が、ゴスペルとも大いに通じることを再発見。幸福なひとときを過ごさせて頂いた。神のなさることは時にかなって美しい。
詳しくはここの最下段あたりをどうぞ1
[第6回 バッカス・フェスタ(関西男声合唱祭)]<2005年11月>
今年も出ました「 バッカス・フェスタ」。昨年の失敗に懲りて?『アメリカの古いうた』でリベンジ。それが功を奏したのか兵庫県理事嘲笑、おっと理事長賞・銘酒「剣菱」を頂きました。
でも、その酒はどこへ行った? オレは呑んでへんでー。
[第42回 大阪府合唱祭]<2005年6月>
貝塚市コスモス・シアターでの開催が恒例となって4年目の大阪府合唱祭。
今年も African-American Spirituals を歌い上げる。なんと今年で連続出場9年目! まだツブレてへんで〜!
[第5回 バッカス・フェスタ(関西男声合唱祭)]<2004年11月>
今年も出ました「 バッカス・フェスタ」。今回はちょっと趣向を変えて中島みゆきの曲で某TV番組関連のテーマ曲を歌いました。あまりウケなかった模様(苦笑)。
[第41回 大阪府合唱祭]<2004年6月>
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第41回大阪府合唱祭は今年も貝塚市コスモス・シアター。
歌うは得意?のAfrican-American Spirituals。ところが出演直前にちょっとしたハプニング。隊員二人とピアニストがやって来ないのである。えーっ、どうすんの! やきもき、やきもき。早よ来いよ〜っ、わあぁぁぁ、とうとう前の団の演奏が終わったよー。でも、まだ来ない、わっちゃ〜、歌われへんやんけー、でも、出ないとしょうがない(O.O;)(o。o;) と、動きかけたそのときだ。おおーっ、来た、来たぁ。息ハァハァ状態で走ってきたよー。…つうわけで、何とか間に合って歌うには歌えたものの、全員の集中心を欠いたのか、いささか余裕のない演奏だったかも知れない(;^_^A アセアセ…
ちなみに遅刻の原因は、別室でやっている講習会の講師を彼らが務めていたのだが、そっちが長引いたのと、こっちのホールの進行が早まったためのダブルアクシデント。講師なんてガラにもないこと、やるもんじゃない???
[第5回 バッカス・フェスタ(関西男声合唱祭)]<2003年11月>
今年も出ました「 バッカス・フェスタ」。『アメリカの古いうた』を歌いました。以上報告終わり(^^ゞ
[第40回 大阪府合唱祭]<2003年6月>
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昨年に続いて貝塚市コスモス・シアターで開催された大阪府合唱祭。
Y.M.A.C.としては開闢以来はじめての日本の曲、しかも有名曲ばかりを歌うことに…。はたして無謀なのか自信過剰なのか、それは聴いてくださった方の判断にお任せしたいところだが、2分の時間延長料金八仟圓也を払っての熱演?にもかかわらず、何の感想も寄せられないまま現在に至っている(^^ゞ
はてさて、合唱祭の方は第40回記念の委嘱作品、三善晃作曲『葉っぱのフレディ』の初演が大成功、大いに盛り上がったのはいうまでもない。めでたしめでたし(^^)//""""""パチパチ
[第4回 バッカス・フェスタ(関西男声合唱祭)]<2002年11月>
「第4回 バッカス・フェスタ」。今年も開演トップの出演。例によって客席は閑古鳥で超満員(^^ゞ
おまけに、今年は賞もなく、ひたすら『嘲笑』されたのみ?(爆)
[第39回 大阪府合唱祭]<2002年6月>
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恒例の「大阪府合唱祭」は2002年、気分も新たに会場を貝塚市のコスモス・シアターに変え、6月15・16日の二日間大ホール・中ホールの二会場で開催、Y.M.A.C.は第一日目の中ホールの“トリ”をつとめた。
曲目は例によって African-American Spirituals。お客様の入りもまあまあ多く、気分よく歌えたのはよかったのだが、歌い終えてふと客席を見ると、あれっ、声楽家のO志万M子先生が! 先生は合唱祭発声講座の講師をおつとめだったのだが、Y.M.A.C.の評判?を聞きつけて聴きにいらっしゃったらしい。それを知ったとたん背中を冷や汗がド〜ッ(¨;) ああ恥ずかしい…(^^ゞ
[第4回 女声アンサンブル・アトリエ リサイタルに賛助]<2002年5月>
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どこでどう間違ったのか、大阪の有名合唱団「女声アンサンブル・アトリエ」さんのリサイタルに賛助出演することに。会場はかの“いずみホール”とあって、厚顔無恥を誇るY.M.A.C. 隊員たちもさすがに緊張したのかリハーサルはボロボロ。
しかし、本番ではどうやら厚かましさを取り戻し(笑)、大きなミスもなくなんとか歌い終えて、ホッ。
すばらしい場を与えていただいた女声アンサンブル・アトリエさんに感謝!
[第3回 バッカス・フェスタ]<2001年11月>
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「第3回 バッカス・フェスタ」。今年は開演の第一番目の出演。日曜の昼前にも関わらず、われらの歌声を聞き逃すまいと、びっしり満員!…というにはほど遠く、客席は閑古鳥がずら〜っ(^^ゞ
とはいえ、この中のほとんどの方はY.M.A.C. に声援を送りに来てくださったのはウソではない(と信じたい)。
おかげさまで、今年も手ぶらで帰ることなく、『滋賀県合唱連盟理事嘲笑』あ、ちがった『理事長賞』をいただいた。
[第38回 大阪府合唱祭]<2001年6月>
「第38回 大阪府合唱祭」で「Swing Down Chariot」と「Sometimes I Feel Like A Motherless Child」を熱唱? 5年連続出場だ〜い\(^O^)/ …って、5年ぽっちでは表彰なんて夢のまた夢(^^ゞ
ところで、この日はかの辣腕美人マネが所用で不在。当然、隊員どもは何をどうすればいいのかワケもわからず、一日中、右往左往(恥)。お願いだからいっしょにいててよ>美人マネどの(^^)
[働く者の音楽祭@柏原市リビエールホール]<2001年1月>
「働く者の音楽祭」で大阪府柏原市にデビュー。お客様のお一人で「柏原市の住人」を名乗る方から「団名から想像して、どんな泥臭いグループかと思っていたら、コーラス第一声から歌声に引き込まれた。感動をありがとう。」のメールをいただく。
お会いしたこともない方から、こんなうれしいおことばをいただいて、隊員一同ガラにもなく胸一杯、涙ウルウル(ノ_<。)
いえいえ、感動をいただいたのは我々です。ありがとうございました>「柏原市の住人」さま。
[第2回 バッカス・フェスタ]<2000年11月>
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「第2回 バッカス・フェスタ」に出演。な、な、なんと「日本男声合唱協会賞」なるスゴイ賞をもらってしまって、隊員一同ただただ唖然…。
去年は候補どまりだっただけに、ほんまに信じてええんやろか。まさか「ちょっとした手違いでした」などと取り消し通知は来えへんやろなぁ…(^^ゞ
[第37回 大阪府合唱祭]<2000年6月>
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「第37回 大阪府合唱祭」に出演。
曲はまたもや Afro-American Spirituals より、「Peace In The Valley」と「The Battle Of Jericho」。
ウケたのかそうでなかったのか、客席はまあまあの入りで、聴き入ってくださっていた…、ということにしておこう(^^)
[第36回 大阪府合唱祭]<1999年6月>
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「聖者の行進」をひっさげて合唱祭に出場。これで3年連続出演となったが、10年連続出場の表彰を受けるまではまだまだ遠い。それまで、ツブレないようにしなければ(^^;
[第1回 バッカス・フェスタ]<1999年11月>
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記念すべき「第1回 バッカス・フェスタ」に出演。もちろん今日も半ソデだぜいっ(^^)
この催し、名前のとおり終演後の「打ち上げ」がメイン?の関西男声合唱祭である。
例によって Spirituals を歌ったところ、どういうハズミか日本男声合唱協会提供の日下部賞・浅井賞の候補にノミネートされ、アンビリーバボー。BUT あくまで「候補」どまりで結局はハズレ。やっぱりなぁ(^^ゞ
[またもや大学生の前で]<1998年11月>
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ふたたび、大阪府合唱連盟「大学フェスティバル(第20回記念)」に出演。いつぞやの“押しかけ出演”とはちがい、今回はちゃんと依頼を受けて?の出演に、ちっとは知名度も上がったか、と、これは当人たちだけの思いこみ。。。(全日本合唱連盟発行『ハーモニー』誌106号・関西のページを見てください。
[服部緑地で]<1998年10月>
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大阪府文化振興財団主催「音楽の森合唱フェスティバル」に出演、秋晴れの空いっぱいに見事な?コーラスを披露。
帰りには想定外の出演料をいただき、「この時期に半袖で歌った甲斐があった」と隊員一同、感涙にむせぶ。(早く冬用の衣装をそろえなければ…。)
[第35回 大阪府合唱祭連続出演]<1998年6月>
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一年の充電期間を経て(ただサボっていただけ?)、第35回 大阪府合唱祭に連続出演、今回は満員の聴衆を魅了…。と勝手に思っていたが、後日ビデオでそれが正しかったことを確認(xx)☆\(^^)baki!
[第34回 大阪府合唱祭初出演]<1997年6月>
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レパートリーもなんと3曲!に増え(^^)念願の大阪府合唱祭に出演。初出場でトリという偉業をなしとげる。
ところが、客の入りがイマイチで知名度のなさを痛感。(よ〜し、いまにみとれ〜!)
[あれれっ、全国デビューってか?]<1997年5月>
全日本合唱連盟主催「コーラスワークショップ in おおさか」サロンコンサートに出演、早くも全国デビュー(^^ゞを果たす。
『ハーモニー』誌はなにを間違ったか「みがけばシャンティクリアも夢ではない」と絶賛???(どうなってんの?)(全日本合唱連盟発行『ハーモニー』誌101号を参照ください。)
[Wow デビューだっ]<1996年10月>
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でもどこかで歌いたい。そうや、大阪府合唱連盟「大学フェスティバル」がある!と一方的に押しかけデビュー。
「この人ら、ホンマに歌えるん?」と、最初は半信半疑だった大学生から大喝采をあび、いまどきの学生のおだて方のうまさを再認識(^^)(全日本合唱連盟発行『ハーモニー』誌99号・関西のページに載ってます。)
[大阪府合唱連盟に加盟]<1996年4月>
カネはできたし隊員も増えた。晴れて大阪府合唱連盟に加盟するも、合唱祭は出場断念。なんで? 連盟事務局長が「却下」したのです。理由は、歌える曲がない…。ふ〜、わかりやすい(^^)
ときに、当時の事務局長って、このページの作者 kawas でありやした。(実状は、分かるものにしか分からない…?)
[なんたって先立つもの]<1996年3月>
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それにしてもゼニがない! なにかオイシイ話は…、とマネージャー。
お、なになに、××遊園地○○周年記念祭? “第九”の一部をチョコッと歌ってン万円のギャラやて!
これや!これ!…と男女隊員総力で出かけ、まんまと大金を手にしたのであった。
[美人マネージャー出現]<1995年12月>
帰阪した酔っぱらいどもはさっそく活動開始。はからずも強力な女性マネージャーが出現した。
彼女、その美貌にふさわしく、まさに辣腕!! 次々オトコを(ついで?に女性も)引っ張り込み(^^; 次第に隊員も増え始めたのであった。
[Y.M.A.C. 誕生秘話]<1995年11月>
香川県は高松市。おりから開催中の全日本合唱コンクール全国大会の一夜、とあるてんぷら屋に突如「大阪は四ツ橋筋に男声合唱隊を!」のダミ声がひびきわたった…。
そう、この大阪人の酔っぱらい二人のわめきがなければY.M.A.C. は生まれなかったのである。(大げさすぎるやろ)

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