17.記憶
ここはどこ?
―――とても寒い。
また、あの場所に連れ戻されたの?
『オマエは・・・所詮はモルモットだ』
冷たく響く声。
やっぱり、ここは・・・?
この男は誰?
『この美しい瞳も・・・肌も身体も・・・元はと言えば、我々がオマエに与えたものではないか』
荒々しい手が乱暴に肩を掴む。
「離して!」
与える?どういうこと?
『どう煮て食おうと我々の勝手だ。そのことを思い知るがいい』
ああ、離して!!いやよ。どうして?何をするつもりなの?
必死にもがいても、その腕から逃れられない。
ふわっと身体が宙に浮いたかと思うと、床に突き倒される。
「いや!やめて・・・」
恐ろしくて、痛みも感じない。
『さすが・・・ギルモアの作ったサイボーグだけのことはあるな。これなら・・・』
両手首を無理やり掴まれ、床に押しつけられる。
「いやっ!」
離して!
サイボーグ?
この男は何を言っているのだろう?何をしようとしているの?
体ごと、のしかかられて、身動きどころか息も出来ない。
「いやっ!いやよ・・・離して!!」
『我々が、そんなことも知らないと思っているのか?』
「は、離して!触らないで!」
『実験材料のデータは・・・ちゃんと収集してある。お前のことも、調べ上げてあるのだから』
男はにやりと笑う。
『何のために今まで生かしておいたと思う?』
モルモット?実験材料?
「やめて!離して!!」
『たっぷりと・・・楽しませてもらおう』
顎を乱暴につかまれ、ぐっと持ち上げられて・・・そして・・・。
「いやっ、やめて!!!」
ああ、ジョー!助けて!!

―――夢だった。
激しい胸の動悸。息が弾んでいる。
目が覚めたら、知らないうちに体を起こしていた。
全身にびっしょりと冷たい汗。
今のは・・・今の夢は・・・?
いつものぼんやりした夢とは違う。
そう、覚えているわ。記憶がある。
まるでついさっき起こった事のように。
生々しくて・・・声も、音も、肌の感触も、何もかも鮮やかに覚えている。
これは・・・夢なんかじゃない。
そうだわ。夢じゃなくて・・・全部、きっと、本当にあったことなんだわ。
私は何をされたの?
あのあと、どうなったの?
ああ、私は・・・気が狂ってるのかしら?
誰か助けて!

私は、ここで泣いていることしかできないの?
いつまでこうしていればいいんだろう。
こうやって、怯えて、恐怖に耐えられなくなって気を失って。
なのに肝心なことは、何も思い出せない。
思い出そうともがけばもがくほど、あざ笑うように記憶はするりと手から逃げていく。
どうして私は、こんなふうになってしまったの?
何があったの?何をされたの?何をしたの?
どうして?
誰か教えて!

『君は・・・ひどい怪我をして・・・とても辛い目に遭ったんだ』
辛い目?
私は何をされたの?
さっきの夢みたいなこと?思い出せないようなことを?

ジョー・・・。
どこにいるの?
でも、この部屋には人の気配はない。
また・・・ひとりきり・・・。
どうして・・・そばにいてくれないの?
あなたがいなかったら・・・私・・・。
なのに・・・私は、自分で・・・。

どうして私・・・ベッドにいるのかしら。
あのあたたかい陽射しは、夢だったの?
ガラス越しに感じた、眩しい光。
ずっと怖かった。不安でたまらなかった。
でも―――あの時だけは、何も怖いと思わなかった。
外は真っ青な空だ、と彼は言っていた。
君の瞳の色と同じだ、と。
私の目は青いの?
どうして、自分のことさえわからないんだろう。
私はいったい何者なの?
いったい・・・どうしてこんなことになったの?

どこまでが本当にあったことで、どこからが夢なのかわからない。
でも夢の中の私は、彼の名前を必死に呼んでいた。
無我夢中で、助けを求めていた。今と同じように。
以前の私も、あなたにそばにいて欲しいと思っていたんだわ。
ああ・・・お願い、ジョー!そばにいて。
助けて!
怖いの。とても怖いの。一人にしないで。
どこへ行ってしまったの?
今まで、ずっとそばにいてくれたのに。
でも・・・私は彼が怖い。
どうしてだろう・・・。そんなはずないのに。
怖くてたまらない。
あの声を聞くと・・・。
そばにいて欲しいのに。
でも・・・ずっと彼の優しい声が怖かった。
似ているの。
頭の中をかけめぐる、背筋が凍るほど恐ろしいあの声と。
そんなはずはないのに。

ジョーには、それがわかっている。
私が、彼を恐れていることを。
なのに、どうしてなの?
どうしてそんなに優しくしてくれるの?
あんなに混乱して、拒絶しつづけたのに。
彼は、ずっと自分のそばにいてくれた。
泣いていると、そっと抱きしめてくれた。
辛抱強くて、優しい人。

私たちは恋人同士だったの?
どんなふうに出会ったの?
幸せだったの?
なぜ、私はこんなふうになってしまったの?
あなたに聞きたい。
でも聞くのが怖い。
彼はとても辛そうにしている。
私が何か尋ねるたびに、傷ついてる。
それは・・・私が恐ろしい目に遭ったから?
彼はその事を知っているから?
それとも――――

あんなに優しいキスだったのに。
あの恐ろしい夢とは全然違う。
なのにどうして・・・私?
私は、おかしくなってしまったの?.
どうしたらいいの?

―――思い出したい。このままじゃ、嫌なの。
でも、どうしたらいいのかわからない。
こうやって、枕にうつ伏せて泣いていることしかできないなんて。
お願い・・・。助けて・・・。
どうすればいいの?
ジョー、お願い。ここに来て。
そばにいて・・・


                         *


「ああ、目処はたった。もうしばらくかかるが・・・何とか元通りになりそうだ」
「ずいぶん早かったのう。ご苦労じゃったな」
一人一人の顔を見回しながら、ギルモアがねぎらいの言葉をかける。
皆の顔が揃うのは、久しぶりだ。
「少しでも・・・早く完成させたら・・・」
ポツリとジェットが呟く。
あそこへ戻ったら、彼女の記憶が戻るかもしれない。
口には出さないが、皆の思いは同じだ。
記憶を取り戻すことが、果たして彼女にとって幸せかどうかはわからない。
しかし、彼女自身がそう望んでいるのだから。
(俺達は、その手助けをするだけだ。それしかできねえ)
ジェットは、廃墟のような瓦礫の中から連れ出したあの日のことを思い出し、ため息をついた。

ドルフィン号で待機していた彼の耳に、ジョーからの通信が飛び込んできた。
”フランソワーズが・・・いた・・・”
「何だって?!ホントか?!・・・生きて・・・るのか?」
驚きのあまり通信機を使うことも忘れ、素っ頓狂な声を張り上げたジェットに、ギルモア博士が詰め寄る。
「ま、まさか・・・ぶ、無事じゃったのか?」
”ああ・・・・・・生きて・・・いる”
ジョーの絞り出すような声。
”ケガは?・・・いや・・・どうでもいい。とにかく・・・早く連れて来い!!!みんなにもすぐ連絡するから”
「どういうことじゃ?」
「まだわかりませんが・・・とにかく『生きている』と」
ギルモアはがっくりと床に崩れ落ちた。
「は、博士!!」
慌てて体を支えるジェットにつかまり、ギルモアは顔をくしゃくしゃにして泣いた。
「あの子が・・・生きておった・・・生きておったんじゃ・・・」
―――長かった。
自分の人生の中で、これほど重く苦しい時間はなかった、と思う。
ジェットは博士の肩を抱きながら、同じようにポロポロと涙をこぼした。
あきらめるまい、と思いながら、何度挫けそうになっただろう。
(でも、やっと・・・)

最後の最後の一縷の望み。不確かな情報。罠かもしれない。
しかし、たとえ自分たちをおびき寄せるためのものでも、それにすがるしかない。
完全に、手詰まりの状態だった。
仲間を見捨てて、おめおめと生きていて何になる?
ずっと捜してきた死に場所。
本当に彼女がいるなら、そこにいたのなら・・・其処で死ねれば本望だ。
そう決意して敵地に乗り込んだというのに。
肉眼で地表を確認できる位置までドルフィン号が高度を下げた時、コックピット内の空気は凍りついた。
眼下に広がっていたのは、まだ朦朦と煙の立ち込める、おびただしい瓦礫の山だった。

あの朝以来、一度も皆に涙を見せなかったジョー。
彼は操縦席に座ったまま、身じろぎもせず、声も立てずに、滂沱の涙を流していた。
自分の銃の代わりに、ずっと身につけていた彼女のスーパーガンを握りしめて。
着陸すると、彼は黙って一人、外に出て行った。
誰も後を追おうとしない。
見ればわかる。目の前の光景に生きているものはいまい。
せめて最後くらい、2人きりにしてやりたかった。
(フランソワーズ・・・。君は・・・きっと・・・俺達が必ず助けに来ると、信じていてくれただろうに・・・。なのに・・・俺達は・・・)
間に合わなかった。君を見殺しにした。
「くそっ!!」
ジェットは狂ったようにコックピットの壁を蹴る。
「ジェット!やめろ!」
見てみろ、とハインリヒが呟いた。
「アイツは・・・まだ・・・」
彼は、やみくもに瓦礫の中を歩き回っていた。
きっと、彼女の名を呼びながら。
皆、歯を食いしばり、声を押し殺して泣きながら、ガラス越しにジョーの姿を見つめることしかできなかった。
次第に彼の背中は遠ざかり、やがて見えなくなった。
ふと気がつくと、ハインリヒの姿がない。
おそらく、ジョーを連れ戻しに行ったのだろう。
もう、無理をするな、と。
かなりの時間が過ぎた。ようやく戻ってきたハインリヒは、ぽつりと言った。
「今夜は・・・あそこにいるそうだ。俺達も・・・もう一度、捜そう」
黙って、皆頷く。
彼が信じている限り、彼女は生きている。
何の根拠もない。可能性がないことはわかっている。
だが、彼のその思いを無理に断ち切らせることなど出来ない。
たとえ・・・生きていないとしても・・・せめて連れて帰らなければ。
広大な敷地を分担するように、仲間達は瓦礫の中に散っていった。そして――――

連絡してきた後、ジョーはなかなかドルフィン号に戻ってこなかった。
ジェットはもちろんのこと、ハインリヒまでが痺れを切らし始めた時、ようやく瓦礫の向こうから、ジョーが姿を現した。
彼の腕の中には、鋭い月の光を浴びて、白く光るものが抱かれていた。
風を受けて、長い衣の裾がはたはたと翻る。
「フランソワーズ・・・いったい・・・」
一同は息を呑む。
なぜこんな格好をしている?どうして防護服を着ていない?
身に纏った純白の生地に、まるで大きな模様のように、鮮やかに広がる深紅色。
「け、怪我をしてるのか?その血は・・・」
さっきまで感涙に咽んでいたギルモアの顔が、さっと蒼ざめた。
かすかにジョーが首を横に振り、博士は頷く。
「とにかく・・・はやく・・・」
その時、ジョーの腕の中で苦しげにフランソワーズが呻いた。
「ん・・・」
ジョーの表情がさっと曇る。
「あ・・・ここ・・・は?」
「フランソワーズ!!」「無事だったのか!!」「良かった!!ほんとに・・・」
歓声の輪の中で、フランソワーズは真青な顔でぎゅっと目をつぶり、身を固くしている。
「誰・・・なの?そこに・・・いるのは?」
小刻みに震える身体。
「博士・・・はやく・・・あちらに・・・」
ジョーが抱き上げたまま、急いで歩みを進めようとした途端、鋭い叫び声がコックピットにこだました。
「いやあ!!離して!!離して!!」
「フランソワーズ!落ち着いて・・・」
「いや・・・いやよ・・・離して!!ああ・・・助けて!!」
ジョーの腕から逃れようとして、必死に身を捩っている。
「お願い・・・やめて!いや!!」
「フランソワーズ!!どうして・・・」
張り裂けた目でジョーが叫ぶ。
「あ・・・」
ジョーの胸に力づくで抱き寄せられ、彼女はぐったりと気を失った。
そのまま、博士とジョーは処置室に姿を消し、再び重い空気に包まれたまま、ドルフィン号は静かに離陸した。

博士とジョーと、ピュンマ。そしてジェロニモを第2の研究所に残し、ジェットたちは元の研究所の修復に向かった。
フランソワーズのことを思い出すと、つい涙があふれる。
(まさか・・・彼女が・・・俺達のことを怖れるなんて・・・。いや、俺達はともかく、なんでジョーまで・・・)
やっと辛い戦いが終わったはずだったのに。
どこまで苦しめばいいのだ?
もう十分じゃないか。
フランソワーズも、ジョーも、なぜこんなに辛い思いをしなければならない?
(いくら・・・ジョーの野郎でも・・・いつまでもこんなことが続けば・・・)
だが、ピュンマが言っていた。
ジョーは驚くほど辛抱強い、と。
「一人で・・・頑張ってる。頑張りすぎなくらいだ。僕達の仕事はないよ。ジェロニモにはそっちへ行ってもらった方がいいだろう」
―――そして、フランソワーズ。
今朝、連絡を取った時、ギルモア博士の声が弾んでいた。
少しずつ、少しずつ落ち着いて、心を開いてきたようだ。
以前ほどには怯えた表情を見せなくなり、今はむしろ、一人でいるのを怖がっている。
ジョーのことを、ゆっくりと受け入れようとしているようだ、と言っていたのに。
しかし、今の彼の様子はどうしたことだろう。
あんなに打ちひしがれた眼をして・・・。
いったい何があった?だが、どう尋ねればいい?
何か言えば、彼を責めることにならないか。
ジェットが躊躇した時、ハインリヒがジョーに声をかけた。
「ずいぶんと・・・意識がしっかりしてきたそうじゃないか」
はっと顔を上げ、ジョーは努めて明るく答える。
「あ・・・うん。まだ・・・調子のいい時とそうでない時の、波がかなりあるけれど・・・」
そうか、と皆の顔がほころぶ。
だが、ジョーの表情は冴えない。それは誰の目から見ても明らかだった。
「どうした?・・・何かあったのか?」
「いや・・・。ちょっと・・・。何でもないんだ」
そう言ったなり、また彼は口をつぐむ。
(相当・・・参ってるな。またお前の悪い癖だ。そうやって・・・全部一人で背負い込もうとする)
ハインリヒは苦しげに口元を歪め、俯いているジョーの横顔をじっと見つめた。


                           *


僕は何を考えていたんだろう。
ごめん、フランソワーズ。
記憶を失ってる君を、混乱させるようなことをして。
いや、たとえ記憶を失ってなかったとしても、僕は・・・先に君に話さなければならないことがたくさんあるのに。
でも、記憶がなくても、やっぱり君は君だった。
まるで元の君のような、穏やかな表情。
君は・・・あの時はじめて、自分の意思で僕の名前を呼んでくれた。
僕の涙をぬぐってくれたあの手。
愛しくてたまらなかった。
潤んだ瞳を見たら、自分の気持ちを押さえられなくなった。
そして―――僕は、この柔らかな唇の感触を知っている。
間違いない。あれは夢じゃなかった。

だけど・・・僕が軽率過ぎた。
君の反応は、十分予想がついたのに。
唇が触れた途端、君は全身の力を振り絞って、僕を拒絶した。
あの一番最初の日よりも、ずっと激しく。
全身を強ばらせて、必死に僕を突き放そうとした。
あんなに怯えて・・・そして気を失って・・・また怯えて。
手がつけられないほどだった。
クスリでどうにか眠らせたが、切れてくると、ひどく魘されて苦しんでいた。
搾り出すような、あの言葉。
『はや・・・く・・・はやく・・・殺し・・・て』
何てことだ!
『・・・もう・・・十分・・・でしょう?おねがい・・・もう・・・死なせて』
フランソワーズ!君はいったい・・・どんな目に遭ったの?
どれだけ辛い目にあわされたんだ?
博士は、きっと詳しくわかっているのだろう。
少なくとも、君の身体に与えられた苦痛については。
『だがな・・・ジョー。わしの思うところでは・・・彼女の場合は・・・』
あの時、怖くて最後まで聞けなかった。
博士が気休めを言うとは思えない。だが、聞きたくなかった。
今の僕には、目の前にいる君を支えるのが精一杯だ。
それすら、覚束ないのに。
君がどんな目に遭って、何があったのか・・・そこまで考える余裕がない。
君の記憶が戻るまでに、もっと・・・強くならなければならないってわかってる。
でも・・・本当に君を支えられるだろうか、僕に?

何を弱気になっている?僕が挫けてどうする?
君を取り戻しさえしたら、どんなことでもすると、誓ったじゃないか。
どんな状態でも生きてさえいてくれれば、と、そう思ったはずだ。
さっきの、あの彼女の手を忘れたのか?
あんなに辛い状態でも、記憶がなくても、フランソワーズは、ああやって・・・僕の涙をぬぐってくれたのに・・・。
今度こそ、本当に僕の番だとわかっている。だけど―――

ん?と皆が一斉に顔を上げる。
どさっと、何かが床に落ちたような音。
ジョーは、慌てて彼女の部屋のドアを開けた。
「フランソワーズ!」
彼の驚いた声に、仲間たちも思わず腰を上げた。
「フランソワーズ!いったい・・・」
ドアのそばの床に、彼女はうずくまるように倒れていた。
「ジョー・・・」
抱き起こそうとするジョーに、すがりつく。
「どうして?・・・ここまで一人で歩いてきたのか?何を・・・?」
「ああ、ジョー・・・」
聞き取れないほどのかすかな声。
「転んだのか?ケガは・・・」
「ジョー・・・」
小さく首を振り、彼の名を何度もつぶやく。
「フランソワーズ!」
胸に顔を埋め、すすり泣くフランソワーズを、すっぽりと包み込むようにジョーは抱きしめた。
「よかった・・・。わ、わたし・・・あなたが・・・」
いなくなってしまったのかと思った、と、ぎゅっと涙にぬれた顔をジョーの胸に押しつけた。
「フランソワーズ!」
僕を捜して?手探りでここまで?
「・・・謝りたかったの。私・・・あなたに」
ポロポロと涙をこぼし、消え入りそうな声で呟く。
「謝る?どうして?」
「だって・・・私・・・あなたに・・・いやな思いをさせて・・・でも違うの」
「いやな思い?」
「でも違うの。違うのよ。私・・・あなたを傷つけるつもりはなかったの」
懸命に見えない目を開いて、彼を見上げる。
(さっきのことを、ちゃんと覚えているんだ)
―――記憶が繋がり始めてる。
「わかってる。君が悪いんじゃない」
僕が・・・急に、君を抱きしめて、そして・・・びっくりさせたから。
「ごめん。・・・僕が君を驚かせたから・・・だから・・・」
でも、と胸にすがりついて子供のように泣きじゃくる姿に、ジョーはたまらず涙をこぼした。
「謝りたかったの。あなたに・・・私・・・どうしてあんなふうになったのか・・・わからない。でも、でも、違うの。私・・・」
「フランソワーズ、そんなこと・・・心配しなくていいんだ」
わかってる、わかってるから、と、細い体を優しく抱き寄せる。
「おねがい・・・どこへも行かないで」
「フランソワーズ!」
君は・・・そうやって、また僕を救ってくれるの?
僕を捜して、求めて、手を差し伸べて。
挫けそうになっていた僕を。
また、いつものように君が、僕を支えてくれている。
ジョーは、柔らかい亜麻色の髪にそっと口づけた。
「・・・そばにいて。お願い・・・ひとりにしないで・・・」
細い指が、白いシャツをぎゅっと握りしめる。
「フランソワーズ!僕はどこにも行かない。君のそばにいるから。だから・・・」

ドアの向こうから、仲間達は息を呑んで2人を見つめていた。
「フランソワーズ・・・」
ジェットが、堪らずに呻く。
(痛々しすぎて、見ちゃいられねえ・・・)
その声に、彼女ははっと顔を上げた。
「誰?」
怯えた表情。全身に緊張が走るのが、ありありとわかる。
「だ・・・れか・・・いるの?」
彼女の指に力がこもり、シャツがまたきゅっと握りしめられる。
「大丈夫。心配しなくていい。みんなが・・・戻ってきたんだ」
ジョーは彼女を抱きしめたまま、優しく言った。
「みんな?」
微かな声。
「そうだ、僕たちの、な・・・」
仲間、と言いかけてジョーは口をつぐみ、そして言い直した。
「・・・友達だ」
「ともだち?」
「隣の部屋に・・・博士以外に6人いる」
「ろく・・・にん?そんなにたくさん?」
また体をピクっと震わせる。
「みんな・・・君のこと心配してる」
「私・・・のことを?どうして?」
自分には見えない他人の視線。彼女は、ジョーの胸に顔を押し付け、いやいやをするように首を振った。
「怖がらなくていいよ。大丈夫。みんないい奴だ。君のこともよく知ってる」
「知ってる?何を?・・・何を知ってるの?」
ジョーは、胸にしがみついているフランソワーズの髪を、黙ってそっと撫でた。
もう、あまり刺激しない方がいい。
「どういう人たち?・・・ああ・・・どこで・・・ああ・・・」
「さあ・・・もうベッドに横にならなきゃ。ね、フランソワーズ」
「どこに行っていたの?」
「僕達の帰るところを、直しに行っていたんだ。ここは・・・仮住まいだから」
「帰る?」
「そうだよ。ちゃんと直ったら・・・みんなでそこに戻るんだ」
「みんなで・・・?私も?」
「もちろんだ。一緒に帰るんだよ」
「いいの?」
「え?」
「私も・・・一緒に帰れるの?帰っていいの?でも・・・」
ふっと力を抜いて、フランソワーズはうなだれた。
「そうだよ。一緒に帰るんだ。君も僕も・・・みんなと一緒に帰ろう」
「みんなと一緒?」
「そうだよ」
「いい奴って・・・男の人ばかり?どうして?女の人はいないの?」
ハインリヒとジェットが、ぎくっとして思わず顔を見合わせた。
「・・・いないよ」
平静さを装った声で、ジョーは答える。
「・・・どうして?」
「さあ、どうしてかな・・・。偶然さ」
「私だけ・・・なの?」
小刻みに震え始めた細い体を、ジョーはまた優しく抱きしめた。
「大丈夫。僕がついてるから。さあ、こんなところに座り込んでちゃダメだ。ベッドに戻ろう」
小さく頷いた彼女の身体を、そっと抱きあげて運ぶ。
ハインリヒが、後ろ手に、静かにドアを閉めた。

「痛々しいな」
まるでガラスの人形みたいだ、とジェットは呟いた。
無神経に近寄ったら、粉々に砕いてしまいそうだ。
あんなに気丈だったのに。
ジョーにすがりついて、怯えて震えて。まるで別人だ。
「『耳』はどうなってるんですか?」
ピュンマが博士を振り返った。
「彼女がそのことを意識しとらんからな。よほど耳を澄まそうとしない限りは、普通にしか聞こえん。ま、記憶が戻れば・・・」
「目も?」
ギルモアはため息をつき、首を傾げた。
「さあな。こればっかりは・・・。おそらく精神的なものじゃろうと思うが。よほど・・・」
「早く何とかしてやりたい!博士、どうにもならないんですか?」
珍しく興奮したピュンマの声に、博士は目を伏せ、一同は押し黙った。
と、静まり返った部屋に、こつこつ、と不規則な音が響く。
指先でテーブルの上を叩くのは、イライラした時のハインリヒの癖だ。
なんだ?、とジェットが視線を向けた。
「今は・・・まだ・・・いいさ」
「まだいいって・・・これでか?こんなひどい状態なのに!」
ジェットは苛立ちを彼にぶつけるように、大声で叫ぶ。
「いや・・・」
気にしないでくれ、とハインリヒは口をつぐんだ。
言っても仕方ないだろう。
(だが、俺は―――)
このあとのことを考えるのが辛い。
まだ今なら―――彼女は、あんなに素直にジョーのことを求めていられる。
(だが、きっと・・・)
この状態は長くは続くまい。
―――おい、ジョー!
忘れるな。お前一人じゃない。
お前のことは・・・お前たち2人は・・・俺達が支えるから。
だから・・・ちゃんと彼女のことを・・・。
これからだ。これからだぞ、お前の正念場は!
ハインリヒは、涙をこらえて、唇をきつく噛みしめた。


                        *


「今・・・外は・・・どうなっているの?」
「もう、夜だよ」
「・・・夜?私、そんなに長い間、眠ってたの?ずっと?」
「そうだよ。でも少しでも眠って、元気にならなきゃ。さあ、また横になったほうがいい。ずっと起きてちゃダメだ」
ベッドに座る彼女の背中を抱いて、ジョーは優しく声をかけた。
「ジョー・・・」
ゆっくりと肩越しに振り返り、フランソワーズは、ありがとう、とかすかな声で呟いた。
「フランソワーズ・・・」
(お礼を言うのは、僕の方だよ)
ふっと表情をゆるめ、ジョーは静かに頬を寄せた。
濡れた長い睫毛。辛そうに、小さなため息をひとつ吐く。
「どうしたの?・・・どこか苦しい?」
首を横に振り、震える声で彼女は呟く。
「いつも・・・こんなふうに・・・しててくれたの?」
「え?」
少し俯いて、言葉をゆっくりと捜しながらの呟き。
「あなたは・・・いつも・・・私を・・・こんなふうに・・・抱きしめてくれてたの?」
「フランソワーズ・・・」
ジョーは体の向きを変え、正面から彼女の両腕をそっと取った。
「私たちは・・・」
首を傾げて、彼をじっと見つめる。
(どうして・・・その目に・・・僕が映らない?)
「恋人・・・同士・・・だったの?」
「フランソワーズ!・・・僕は・・・・・」
ジョーは絶句して、言葉の代わりに彼女の体を抱き寄せた。
―――どうして、こうできなかったんだろう。
こんなに簡単なことなのに。
こうやって、君を抱きしめるだけでよかったのに。
素直に求めて手を伸ばせば、君はいつもすぐそばにいてくれたのに。
本当に、こんなになってしまうまで、どうして・・・。

―――また、悲しそうな顔してる。
やっぱり、そうじゃなかったのね?
そんな気がしてた。
なのに・・・なぜあなたは、いつも私のそばにいてくれるの?
なぜ、こんなに優しく抱きしめていてくれるの?
あなたを庇って怪我をしたから?
私が目が見えなくなったから?
責任を感じているの?
でも、いつまでもこうしていてはいけないのね?
このあたたかい胸に顔を埋めていたら、何もかも忘れられそうなのに。
でも、ここは・・・私の場所じゃないのね?
こうしていてはいけないんだわ。
いつまでも、この人を縛りつけていてはいけない。
とても辛そうで・・・私を見て、いつも苦しんでる。
十分、支えてくれたわ。今までずっと。
もう、これ以上は・・・。
ああ、でも、もうしばらくの間だけ・・・。
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