2. 暗闇の夢 |
| ―――ここはどこなの? 光のない世界。何も見えない。 暗闇に閉ざされた世界の中の真ん中に、一人ぽつんと座っているような気がした。 ただ音だけが聞こえる。耳を澄ますと、いろいろな音がする。 傍には誰もいないはずなのに・・・すぐ近くで誰かが話しているように聞こえる。 私は・・・なぜ、こんなところにいるの? ここはいったいどこ?そして―――私は誰なの? 『君は僕の大切な仲間なんだ』 なかま・・・・・・仲間? 『おまえは―――』 また、あの嘲りの声が聞こえる。 『あははははは!!おまえは・・・』 甲高い笑い声が頭の中に響きわたる。 両手で耳を覆っても、ますますその声は大きくなっていく。 『見るがいい!これが・・・』 お願い・・・もうやめて! 『・・・おまえは仲間を・・・』 仲間を?・・・私が仲間を・・・どうしたの? 『フフッ・・・フフフフ・・・ハハハハハ!!』 彼女の体を激しく揺さぶり、耳元で囁き続ける。 『そう・・・おまえが・・・』 ―――離して! 憎しみのこもった笑い声。 もがけばもがくほどその声は執拗につきまとう。 起きている時も、眠っている時も・・・。 『もっと・・・もっと苦しむがいい!』 どんなに耳をふさいでも、聞くまいとしても、頭の中に直接飛び込んでくる。 「もう・・・やめて。お願い・・・ううっ・・・もう・・・」 声から逃れるようにうつ伏せる。だが荒々しい手が肩を掴み、無理やり身体を引き起こす。 『さあ、自分の目でよく見るがいい』 また、引き戻されていくのだろうか。あの冷たい場所へ。 ようやく抜け出せたと思ったのに。 怖い。 頭の中が混乱して・・・何がなんだかわからない。 自分が何をされるのか、どうなるのか。 このまま、暗闇の中で怯えながら過ごさなければならないのか。 『もっと・・・もっと苦しめ!』 ―――やめて、もう・・・・・。誰か助けて。 全身から力が抜け、彼女の意識はぷつりと途切れた。 * 「博士!・・・どうなんです?」 フランソワーズを診察した後、しばらく自室に篭っていたギルモア博士がようやく姿を見せた。 一斉に皆が周りをとり囲む。 ソファに腰をおろすと、博士はパイプに火をつけ、ゆっくりと煙を吐いてから、おもむろに口を開いた。 「爆発の衝撃でできた傷以外は・・・手当てされておった。もう・・・ほとんど直っておる」 「手当て?―――どういうことです?」 ジェットが怪訝な顔でギルモアに詰め寄る。 「たいした腕の持ち主とみえるな・・・。まだ縫合して間もない傷口は何とかわかるが・・・。 それ以外はほとんど跡形もない。素人目にはわからんじゃろうな」 腕組みをして話を聞いていたハインリヒが、ぴくりと眉を上げた。 「それ以外って・・・そんなに?」 重苦しい表情で頷き、ギルモアは言葉を続ける。 「通信機もダメージを受けていたし・・・おそらく相当ひど・・・」 と、ハインリヒの意味ありげな視線に気づき、博士は口篭もった。 静かにドアが開く。 肩を落とし、俯いたままジョーが入って来た。 前髪で顔が隠れ、その表情をうかがうことは出来ない。 「見えなくなったきっかけは、何か外的なショックだろうが・・・今はどこにも異常が見られん」 「異常がない?じゃあ―――なぜ見えないんだよ?」 ジェットは、納得がいかないという表情で、大きく首を振る。 「どっちにしても・・・かなり時間がかかりそうじゃな。ほとんど眠れんようだし・・・」 ―――しかし、どうしたものか。イワンを頼れんとなると・・・。 じっと考え込んでいる博士の表情をさぐるように見つめていたハインリヒは、やがて視線を窓辺に移した。 皆に背を向け、ジョーはぼんやりと外を眺めている。静かに近寄り、そっと声をかけた。 「ジョー・・・どうだった?」 ちらりと振り返り、彼は無言で首を振った。部屋の空気がいっそう重苦しくなる。 誰かが一つ、ため息をついた。 「ううっ!・・・や・・・やめて・・・もう・・・」 「フランソワーズ!」 「ち、ちがうわ!・・・そうじゃ・・・・ないの・・・よ・・・ち・がう・・・の」 あれから・・・ずっとこんな状態だ。もがいて苦しんで・・・。 眠りは彼女に少しも安らぎを与えていない。 むしろ眠っているときの方がずっと辛そうだった。 ひどく魘されて、肩で激しく息をし、両手で耳を覆い、何かを打ち消すように懸命に首を振って喘いでいる。 「い、いやっ!」 「どうした?・・・フランソワーズ!」 汗びっしょりなのに、氷のように冷たい彼女の体を、ジョーは思わず抱き起こした。 フランソワーズは彼の腕の中で涙を流して、何かにすがるように白い手を宙に伸ばす。 彼はその手を握りしめ、耳元で優しく囁いた。 「何も心配しなくていい。大丈夫だから・・・」 目を覚まして、誰かの腕の中にいることに気づいたのだろう。 彼女は、体を硬くし、反射的に伸ばした手を引っ込めた。 「・・・何?」 彼女は俯いたまま、何かを呟いた。小さくうめくような声が彼の耳にかすかに届く。 「・・・な・・・して・・・・・・」 「えっ?」 「はな・・・して・・・おね・・が・い・・・・」 「何も心配しなくていいんだ。僕は君に危害を加えたりしない。だから・・・」 彼の言葉に耳を貸そうともせず、ぽろぽろと涙を流しながら彼女は震えている。 「何か・・・怖いことを・・・思い出したの?」 フランソワーズは黙ったまま首を横に振る。 か細い肩を、ジョーは我慢できずに抱きよせた。 「お願い・・・離して・・・一人に・・・して」 彼の腕の中で必死にもがき、何度も、お願い離して、と哀願を繰り返す。 いたたまれなかった。でも、もう離すことは出来ない。やっと、やっと取り戻したのに。 「どうして・・・どうしてだよ、フランソワーズ!」 抵抗を封じるように腕に力をこめ、ジョーは細い体を自分の胸に押しつけた。 (こんな君を一人にしていられないのに。なのに君は・・・何も受け入れようとしない。どうして? ) 気が狂いそうだった。大声で泣き叫びたかった。 (なぜなんだ?何をそんなに・・・一人で苦しんでいる?) 彼女が、何も求めようとしないのが辛くてたまらなかった。 飲むことも、食べることもできない。すべてを拒絶して、ただ震えている。 ―――いったい何があったんだ?君は・・・なぜそんなに怯えているの? 何も映っていない蒼い瞳。 いつも彼を、あたたかく見つめていた小さな蒼い海。 しかし、今はただ恐怖の色に染まっている。 手を触れるたび、彼女はぴくっと体を硬くし、両手で耳を覆って、体を震わせる。 まるで――― (もしかして・・・君は・・・?まさか・・・) 彼女が恐れているのは・・・まさか・・・・? 信じたくなかった。 だが、自分の腕の中の彼女は、確かに自分を恐れている。 真っ青な顔をして、息もできないほど・・・緊張して。 (どうしてだ?!フランソワーズ、なぜなんだ?) ジョーの目から溢れた涙が、ぽたぽたと彼女の頬にいくつもの雫となって落ちていった。 (・・・いや、君のせいじゃない。僕がもっと・・・ちゃんと・・・) 「どう・・・して・・・?」 消え入りそうな声がした。 「フランソワーズ!」 見えない瞳で、彼の声のありかを懸命に捜している。 「泣・・・いてる・・・・・・の?・・・・な・・にが・・・」 震える手を、ゆっくりと彼の顔に伸ばす。 (ああ、君は・・・こんなになっても・・・) ジョーはたまらずに、冷たい頬を両手で包む。 白い指が、彼の濡れた頬にぎこちなく触れた。 「・・・ウィ・・・ルド・・・?」 「どんな様子だ、フランソワーズは?」 重い沈黙を破り、ハインリヒがジョーに声をかけた。 (こんな状態が、いつまでも続いたら・・・) ジョーは、乱れた呼吸を整えるように、肩で大きく息をついた。 彼が『ウィルド』でないことに気づき、フランソワーズはまた混乱した。 激しく体を震わせ、彼を拒絶して、泣きながら同じ言葉を繰り返すだけ。 一人にしてくれ、と。 悲痛な表情で俯いていたジョーは、感情を押し殺した声で呟いた。 「自分が誰で、今どうしてここにいるのかもわからない。僕のことも・・・覚えていない。」 「俺たちのこと、全然思い出さないのか?」 黙って首を横に振る。 「いつから・・・目が見えなくなったんだ?」 「その―――フランソワーズをかばっていた男の事を何か・・・」 「あの基地は・・・どうして爆発したんだ?」 「それから・・・あの・・・」 ジョーは大きく息を吐くと、いらついた目を仲間たちに向け、小さく叫んだ。 「今・・・とてもそんなこと聞けるような状態じゃない。 彼女は何も思い出せないだけじゃなくて・・・とても怯えてる。何もかも拒んで―――それに・・・それに・・・僕のことを・・・」 喉の奥から振り絞るような声に、仲間たちは息を呑む。 「ひどく・・・こわがってる・・・」 茶色の瞳から溢れる涙をぬぐおうともせずに、ジョーはガラスに額を押し付けた。 「くそっ!なんでこんなことになっちまったんだ!」 ジェットが怒りをぶつけるように、壁を激しく叩いた。 「焦るなよ、ジョー」 ハインリヒが、つとめて穏やかな口調でジョーに語りかける。 「・・・・・・」 そんなことは無理だ。彼女のあんな様子を見て・・・。 小刻みに震えている拳が、彼の言葉を代弁していた。 「とにかく生きてさえいてくれれば・・・そう思ってたじゃないか。そうだ、彼女はちゃんと生きてるんだぜ」 「・・・生きている・・・」 ジョーは初めて顔を上げ、ハインリヒを正面から見つめた。 ―――あの廃墟で、僕は君を失ったことを確信した。 それまで、何度もあきらめたつもりで―――でも、心のどこかで信じていた。 君が死ぬなんてことはありえない、と。 僕をおいて、君がいなくなってしまうなんて、考えたくなかった。 だが、あの瓦礫の中に立ったとき、それが甘い幻想に過ぎないことを思い知らされた。 大地を血の色に染めながら沈んでいく夕陽。 命を引き裂かれた悲しみに、むせび泣く風の音。 絶望の闇の中に、死を浮かび上がらせた冷やかな月光。 僕を取り巻くすべてのものが叫んでいた。 君が、もうこの世にいないことを受け入れろ、と。 だが、君は生きていた。 君が生きていてくれただけで、もう他には何もいらないと思った。 なのに――― 「今すぐに思い出すことが・・・幸せなのかどうか」 ハインリヒは窓にもたれ、腕を組んでじっとジョーを見つめる。 「俺たちが・・・その間のことを無理に知ったところで、どうすることもできないだろう?」 静かに諭すような言葉。そんなことは頭ではわかっている。 ―――じゃあ、こんなに彼女が苦しんでいるのを、黙って見ていろというのか? 僕はもう耐えられない。 「とにかく・・・みんなでもう一度あそこへ行ってくるから」 あのことも・・・調べなきゃいけないし、と呟き、ハインリヒは一瞬苦しげに顔を歪めた。 (どっちを向いても、辛いことばかりだ。さすがの俺も今回ばかりは・・・) この苦しみが終わる時が、いや、せめて薄らぐ時がくるのだろうか。 重い息をまた一つ吐く。 しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。前に進むしかないのだ。 それがどんな明日であっても。 ハインリヒは無理に笑顔をつくると、ジョーの肩をぽんと叩いた。 「お前は・・・ここに残れ。傍にいて・・・ちゃんと支えてやらなきゃ」 ―――支える?どうやって?彼女は何もかも拒絶しているというのに。 そう言いたげなジョーの強ばった顔に、ハインリヒは穏やかな目を向けた。 「きっと・・・気持ちが通じるさ。お前がどれだけ・・・」 (・・・もう遅いんだ。なぜもっとちゃんと・・・) うなだれたままジョーは力なく首を振り、唇を噛んだ。 「ジョー!どうしたっていうんだ?ここからが・・・お前の正念場だろうが」 今こそお前がしっかりしてないと、と彼の肩を抱く。 「わかるだろ?・・・しっかり守ってやれよ」 (守る?僕は・・・君を守れなかったんだ。だから・・・) 「体を張って守るなんてことは・・・案外簡単なことだ。だが、肝心なのは・・・」 そう言うと、肩を抱いたまま茶色の瞳を覗き込み、唇をゆがめて笑った。 「ま、俺みたいな男が、言えるセリフじゃないがな。これはお前にしか出来ないんだ。そうだろう? お前がそんなでどうする。今まで彼女はずっと一人で―――ひとりぼっちで闘ってたんだぞ」 ―――そうだ。君はずっと一人で闘っていた。僕は何も出来なかった。 「だから、今度こそ、おまえが・・・」 肩を抱くハインリヒの手に力がこもる。 ジョーはゆっくりとその手をはずし、また窓辺に向き直った。 あの時――― 少年が憎々しげに吐き捨てた言葉が、頭の中にこだまする。 『・・・アイツ・・・俺を撃ってきやがった』 全身の血が逆流して、頭の中が真っ白になった。あの、衝撃の瞬間。 ―――なぜだ? 『だからオマエのかわりにこの銃でぶっ放してやった!ざまあみろだ!』 崖の途中に落ちていた血まみれのスーパーガン。 『・・・オマエ、そんなことも気がつかなかったのか』 ―――僕はなぜ、あの時・・・。 幾度となく繰り返した、後悔以外の答えのない自分への問い。 なぜあの時・・・ ジョーは唇を強く噛みしめると、窓の外の海をじっと見つめた。 |
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