23.選ばれし者(中)
重く澱んだ闇の中で、微かに空気が動いた。
突然、鈍い光を放つ銀色の扉が浮かびあがり、音もなくゆっくりと開いていく。
薄明かりに照らされた広大な空間。
滑らかな曲線を描きながら、そそり立つ蒼銀の壁。
その無機質な輝きを背にして、すらりとした長身の男が立っている。
カツン・・・・・・。
カツン・・・・・・。
足音の金属的な残響を楽しむように、男はゆっくりと歩みを進めていく。
やがて男は、ひときわ明るい光を放つ壁の前で足を止めた。
・・・プクプクプク・・・・
かすかな蠢き。
視覚が聴覚を刺激する光景。
しかし、実際には音ではない。何かの気配だ。いわば無音のざわめき。
プクプクプクプク・・・プクプクプク
壁は、1000を越える透明なブロックを埋め込んで出来ていた。
中には、無数の泡が取り囲む、灰白色の塊が1つずつ。蒼い照明を受けて妖しく光っている。
そこには、計算し尽された人工的な美しさを誇っているこの場所には、似つかわしくない何か―――そう、奇妙なぬくもりのようなものがあった。
男は飽きる様子もなく、じっとその泡を見つめていたが、やがてゆっくりと体の向きを変えた。
髪も、瞳も、吸い込まれそうな深い闇色。背筋をぞくりとさせるほど、白く端整な顔立ち。
「準備は・・・?」
月に光る刃物のような低く冷たい声が響いた。静かだが、強烈な威圧感。
たった今この部屋に入ってきた白髪の男が、微かに身を震わせ、額を床にすりつけて恭しくひれ伏した。
「はい、周到に。開始のご指示を仰ぐべく、待機させております」
目だけで軽く頷く。
男は漆黒の衣装をふわりと翻し、ひときわ高い場所にあるブースの中に静かに腰を下ろした。
「奴等など取るに足らぬ存在。生かしておいたところで、我々にどんな影響があろう?だが・・・これまでの無能者どもの失策と怠慢。組織の恥を晒すようなものを、これ以上放置はできぬ。試作品ごときにこのBGが翻弄されているかのような誤解―――言語道断!」
まるで血の色。肌の白さを際立たせる真紅の唇をふっと歪め、男は鋭く言い放った。
「よもや、失敗などあるまいな?」
「はっ、それは重々・・・。向こうの動きはすべて把握できておりますので」
うなだれたまま、初老の男は身を縮めた。
「フン・・・。あのアジトごと吹き飛ばされなかったこと、ヤンソンスに感謝せよ。いかにもまどろっこしいやり様だが、死に際に親孝行させるのも悪くはなかろう」
「はっ・・・」
すっと切れ上がった黒い瞳。その輝きが一段と増した。
「つけ上がった放蕩息子どもの帰還、諸手をあげて歓迎しようではないか」
―――貴様らは、どこにいて、何をしようと、所詮は我々のモルモットに過ぎない。その分際を、今あらためて思い知るがいい。
鋭い視線が宙を切る。まるでその先に、「貴様ら」がいるかのように。
「即刻、作戦を実行させるように。但し―――くれぐれも一気に片付けてしまうなと伝えよ。アレならやりかねない。その場で殺すのは、あの一番厄介な相手だけで十分だ。すでに1体、勝手に始末してしまったのであろう?」
「はい。予定外でしたが・・・そのために奴等は、かなり動揺しております。今こそ好機かと・・・」
ちら、と不快げに動いた黒い眼差し。白髪の男はそれには気づかず、勢い込んで言葉を続けた。
「それからルドラ様。例の、もう1つのアジトは如何いたしましょう?この際です。ミサイルを数発」
「捨て置け!」
苛立ちを抑えた低い声が、男の言葉を封じた。
「奴等がそこに戻ることはあり得ぬ。無駄だ」
はっ、と白髪の男は面を深く伏せた。

「それで・・・本題の方は?」
「それが・・・」
身をいっそう固くする男の姿に、ルドラは眉根を微かに寄せた。
「まだ承諾せぬ、と?」
「・・・はい。頑なに・・・。自分はその器ではない。このまま研究に専念したい、と・・・そのまま・・・」
「いかにもあの男らしい。余計なことにはあくまでも関わりたくないというわけか。今、何処にいる?」
「ようやく連絡が取れました。まもなく研究所に戻るようです。αー1が帰還次第、こちらへ呼び寄せる手はずを整えております」
細く長い指がブースに付属した液晶に伸びた。蠍を象ったリングが、照明を受けてキラ、と緑青に輝く。
―――と、その時。銀色の扉が再び開いた。
入り口に立つのは、白衣を身につけた、栗色の髪の若い男。
こめかみに浮かんだ血管が、その整った顔だちにひどく神経質そうな印象を与えている。
男は一瞬、卑屈な微笑を浮かべたが、すぐに目を伏せて歩き始め、白髪の男の隣に跪いた。
「エミリス、着々と進んでいるようだな。これからの実戦テストで、じっくりと成果を見せてもらおう」
ルドラは、ちらりと壁のブロックに目をやった。蒼白い泡は、途切れることなく湧き上がり続けている。
「はい。ご期待に添うべく、努力いたしております」
エミリスと呼ばれた男は、深々と頭を垂れた。
「ところで、例の件だが―――」
白衣の背中に微かに緊張が走る。おずおずと見上げるダークブラウンの瞳。
その過敏な反応を楽しむように、ルドラは冷ややかな眼差しを投げ下ろす。
「新研究所は、オブレノヴィッチに任せることにする。この際だ。徹底的に組織の改編を行う」
「Dr.オブレノヴィッチ・・・に?」
震える声で答えるエミリスに、ルドラはゆっくりと頷いた。
「お前は彼をサポートせよ」
「し、しかし・・・お言葉を返すようですが・・・は、博士は・・・・・・」
動揺を必死に押し隠そうとするエミリスの言葉がどもる。
ここへ呼び出されたのは、当然自分がその任に就くためだとばかり思っていたのだろう。
だが、ルドラは軽蔑しきった表情で、狼狽するエミリスに眉をひそめた。
「何か、不服が?」
「い、いえ・・・決してそのようなことは・・・。で、ですが、か、彼の最新作は失敗だったと・・・」
「失敗―――?」
ルドラの一瞥が、白髪の男を射竦めた。
「カドゥケウス、まさか・・・そのような見え透いた嘘を・・・?」
「は、はい。コントロールに失敗した、と・・・連絡いたしました」
床についた両手がぶるぶると震えている。
「愚かなことを・・・。そう言えば、あの男が慌てて飛んでくるとでも?」
「も・・・申し訳ございません。ですが・・・」
「言い訳はやめよ。あの男が作るものに、失敗など・・・」
あるはずがない、とルドラは左の眉を微かに上げた。
沈黙。
その長さと重さに押しつぶされまいとばかり、白髪の男の背中が激しく痙攣する。
だが―――
「消えよ。不愉快だ」
静かに声が響いた。
すうっと持ち上げられた手のひらの先―――中指の先端から緑光が瞬く。
次の瞬間、男は忽然と姿を消した。

「エミリス、確かに―――」
ルドラは何事もなかったかのように、唇にかすかな微笑を浮かべ、言葉を続けた。
「お前のやり方は、非常に合理的で効率が良い。大量生産にも適している。廃棄物もそのまま商品として売りさばけるし一石二鳥だ。だが、ひとつ決定的な問題がある」
ぎくりと顔を上げる。恐れと慄きに満ちた表情で、エミリスはルドラを見つめた。
「問題?」
「そう。致命的な欠点だ」
「致命的・・・とは?」
エミリスは、ルドラの顔色をうかがいながら、それでも怯むことなく尋ねた。
美しい口元がふっと嘲い、かすかに歪む。
「―――つまらぬ」
「・・・つ、つまらない・・・ですと?」
必死で感情を抑えようとして、声が一段低く篭る。
ルドラがわざと挑発的な言い方をしているとわかっているのに。
エミリスは唇を噛んだ。
そんな彼の引き攣った顔を、ルドラは面白そうに見つめ、再び口を開いた。
「性能や効率の点から考えると、HTは確かに問題が多い。そもそもの出発点が、偽善にまみれた『理想』。無駄が多いのは当然だ。ましてや、あの失策で―――いいか、誤解するな。奴等の逃亡のことではない。その後の対応の杜撰さ―――そのために、我々は大きな損失を被った。結果的に、HTは開発のコストに見合うだけの利益を上げているとはいえない。コンセプトそのものが時代遅れだという考え―――確か、お前の意見であったな?―――にも、もっともな部分はある。だが・・・」
「・・・・?」
彼の真意を測りかねて、エミリスは首をかしげた。
「戦場というものには、兵士の姿が不可欠なのだ」
「兵士?」
「そう。人の姿をした兵器、だ」
怪訝な表情のままのエミリスに、ルドラは嘲るように頭を振った。
「わからぬか?お前はもう少し切れる男だと思っていたが・・・」
ゆっくりと立ち上がり、ルドラは台座から降りてエミリスに近づく。
「ただ大量に殺戮するだけなら、ただ破壊するだけなら、目の前のあのボタンを押せばよいであろう?」
振り返って顎で示した先―――点滅する赤い小さなスイッチ。
―――あれを押す?
エミリスは、微かに体を震わせた。
「そうだ。お前も知っているとおり、世界中の大都市を・・・我々がやろうと思えば、この地球そのものを、一瞬で粉微塵にすることが出来る。だが、そんなことをして何になる?何も生み出しはしない。そこには楽しみがない」
「・・・楽しみ・・・」
微かな声で鸚鵡返しに呟くエミリスをニヤリと見下ろすと、突然、ルドラは屈みこんで、唇が触れ合うほど顔を近づけた。グイ、と強引にエミリスの形の良い顎を持ち上げる。
「ただの人間など・・・所詮は虫けら以下。優れた頭脳と体を持った我々に支配されるために存在する。だが・・・どんなに醜く愚かであっても・・・人がその体から流す血だけは美しい」
緑の蠍の尾が、つ、と白い頬を裂く。迸る鮮やかな赤。
「この美しい血が流されるのも見られず、恐怖も憎悪も生み出しえない一瞬の破壊に、いったいどんな意味がある?」
エミリスは、声ひとつ立てず、身じろぎもせずに、かっと両目を開いてルドラを見つめた。
「人は、人に殺される、と認識するからこそ、恐怖を感じる。兵器そのものを恐れるのではなく、兵器を持つ人間に怯えるのだ。理性を持ち、愛し、信頼しあえるはずだと信じている人間に殺されるからこそ。愚か者ほど、『人間性』とやらを買被っている」
人は、機械には1度しか殺されない。だが、人は人を2度殺せる。1度は肉体を。そして心を。
同じ人間同士が殺しあう。逃げ惑い、傷つき、絶望しながら・・・。
そんな光景を人が目にしてこそ、新たな恐怖と憎悪が再生産される。
その限りない連鎖。恐怖と憎悪の相乗効果。
「そう。その『人間性』こそが、我々をここまで大きくした」
頬を伝い落ちる赤い液体を満足そうに見つめると、ルドラは手を放し、さっと立ち上がった。
「人の肉体を痛めつけ、血を流し、そして・・・さらに心さえも破壊できるのは・・・そんな究極の兵器は・・・人間だ。ゆえに―――サイボーグが人の姿を失ってしまえば、その意味は半減する。たとえ、それがどんなに効率が悪かろうと」
ポタッ・・・。ポタッ・・・。
氷のような輝きを放つ床に、真紅の斑点が滴り落ちていく。
「これまでHT開発の効率が悪かったのは、研究者の怠慢に他ならない。中途半端なものばかり作り出し、あの老いぼれに煮え湯を飲まされ続けて・・・。だが―――あのα―1は違う」
あれこそ、神の手を持つ男が作ったサイボーグ。
それを愚か者めが失敗作などと、とルドラは声に出して嘲った。
「この私よりも優れた体を持っていると言っても過言ではない。あの男・・・作るたびに腕を上げているからな。全く、恐ろしい男だ」
黒い瞳が愉快そうに踊る。
「それから・・・ヤンソンスも、今回の回収作戦には並々ならぬ熱意を見せている。彼女が主張するほど、あの時代遅れのモルモットたちが役に立つとは思えぬが・・・。しかし、研究内容はなかなか興味深い。心が流す血が見えないのは・・・残念だが。いずれにしても、エミリス。お前もうかうかしている場合ではないぞ」
赤く染まった目の前の床を、エミリスは呆然と見つめている。
ルドラは冷ややかな微笑を浮かべて、満足げに言葉を続けた。
「新研究所最初のプロジェクトは、例の加速器だ。間もなく設計図が手に入る。完成後はそれをお前の研究に使ってもよい。但し、お前の新しい上司が、それを認めれば、の話だが。せいぜい気に入られるように努力するのだな」
身じろぎもせず俯いたままのエミリスをその場に残し、ルドラは黒衣を翻すと、ふっと姿を消した。


                          *


眼下に白い波頭が走る。この季節にしては珍しく穏やかな海面。
灰色の雲間から薄日さえ射している。
(もうすぐだ。敵のレーダには引っかかってないことを祈るぜ!)
周囲の状況に十二分に気を配りながら、002は飛び続けた。
目的地まであと少し。だが油断はできない。いつ、どこから襲撃されてもおかしくなかった。
日本の研究所を破壊してからの、執拗なBGの攻撃。
―――あの時、本拠地を叩き潰したはずだったのに。
この1年、目立った動きがなかったことを思えば、壊滅とまではいかずとも、かなりの打撃を与えたはずだ。だが、奴らはたちまち勢力を回復してきた。以前よりずっと強大になって。
それは十分予測していたことだ。あのまま、BGが滅びてしまうはずがない。
けれど今、思い知らされている。自分たちの甘さを。この1年の間ですっかり緩んでしまっていた心の箍。
(でなければ、こんなことに・・・)
002は唇を噛み締めた。
(おっとっ!!)
強い気流にぶつかる。ぼんやりしていると、体がばらばらになってしまうほどの衝撃。
だが、あえて回避せず、そのまま雲に突っ込んだ。
今、胸の痛みに見合う苦痛を体でも感じたかった。
そうすれば、しばらくの間だけでも、この辛さを忘れられそうな気がして。
(俺たちは・・・いったい何をやってたんだ!)
まともに前に進めない。
けれど、このくらいの痛みでは釣り合うべくもない、激しい後悔。
だが、今さらそれが何になる?
突然、気流を脱し、視界が開けた。
目指す島が前方に姿を現す。あれが第2研究所だ。
BGの基地を破壊して脱出した彼らが、最初に落ち着いた場所。
ここに来るのは久しぶりだった。
日本に本拠を移してからは、いわば、もしもの時のための場所だったから。
世界中にあるだろうBGの基地。だが自分たちには、もう此処だけしか残されていない。
この場所に仲間みんなが揃って戻って来ることは・・・あるのだろうか?
(もう、俺達には・・・帰る場所など・・・必要ないかもしれない)
ふっと浮かんだ不吉な考えに、002は長い溜息をついた。
波が洗う砂浜が、白く輝いて見える。島の中央部には、冬枯れの森。かつて、ここがBGの水爆実験場であったことを知らなければ、ありふれたのどかな風景に見える。その後、放射能除去装置の試験場として使用され、ついには放棄された小さな基地を、彼らは第2の研究所として再利用していた。
もちろん現在、放射能は完全に除去されており、生身の001やギルモア博士にも危険はない。
一度は破壊しつくされ、そして復元された偽りの自然。
(まるで・・・俺達自身の姿を見ているような気がする)
自嘲気味に小さく呟き、002は岸壁の洞窟に続く地下入り口へと向かった。

そして―――今。
002は、殺伐とした岩石海岸の絶壁から、荒れ狂う海をじっと見下ろしていた。
何もかも上首尾に進んでいたはずだったのに。
整備に多少時間がかかったが、飛行艇は無事ドルフィン号と合流した。そして敵の襲撃を受けることなく、此処、クルツ博士の秘密研究所に着くことが出来た。
ドルフィン号からの連絡でも、レーダーには怪しい影は全く感知されていないという。
だが、あれから10日近くたっている。
為す術もなく、彼らはクルツ研究所に足止めされていた。
肝心の、イワンが目覚めない。
なぜだ?
もうとっくに夜の時間は終わっているはずなのに。
もっとも、2週間といっても、イワンの時間に換算すれば半日にすぎない。脳波にも特に異常は見られないから、大して騒ぎ立てるようなことではないのかもしれない。
でも、よりによって、こんな時に・・・!
(こうしている間にも・・・彼女は・・・)
生きている可能性は、ゼロではないかもしれない。
(だがそれは・・・俺たちがちゃんと”そのこと”を確認出来ていない、というだけなのではないか?)
時間が経ち過ぎている。いくら普通の人間ではないといっても・・・。
せめて、こちらに何か進展があるのなら、救われる。
マリアの作業だけでも無事に進んでいたら・・・この選択にも意味があったと思えるのに。
だが、何も出来ない。ただ待っていることしか。
この隙に、BGが攻撃して来ないのが不思議なくらいだ。
あの004でさえ、苛ついた表情を見せている。博士も、そしてマリアも。みんな、精神的に憔悴しきっていた。
ただ一人、009を除いて。
彼は、淡々としていた。何にも動じず、冷静そのものに見えた。
けれど、002は気づいていた。
ここ数日、彼は、殆ど誰とも言葉を交わしていない。
日ごとに、暗く冷たい輝きを増していく茶色の瞳。
(出会ったばかりの頃、アイツはいつもあんな目をしていた)
もうあれから、何年になるだろう?
振り返るのも辛い、戦いばかりの日々。
でも皮肉なことに、ある意味では「思い出」と呼べるようなものが、そこにはあった。
(懐かしい、とは、とても思えないけどな)
仲間たちと出会って、共に、懸命に生き抜いてきた日々だから。
今、目の前に広がる荒涼とした風景が記憶を刺激する。
似ている。あの島に。名前すらわからないうちに、破壊したBGの本拠地。
自分たちが、こんな体に改造された場所。
(仲間との出会い、か。そう言えば、俺が最初に会った仲間は・・・)
002は、きつく唇を噛みしめた。


(ここは・・・どこだ?)
真っ暗な部屋。冷たい金属の枷が、がっちりと手足の自由を拘束している。
(俺は・・・なぜ、ここで・・・こんな?)
記憶を手繰り寄せようした時、人の気配がした。
近づいてくる静かな足音に、思わず身構える。だが動けない。
(この俺に何かしようたって、そうは問屋が卸さないぜ!・・・せめて視線で攻撃してやる!)
何も見えないはずの闇を、鋭く睨みつけてハッとした。
『・・・気がついた?』
柔らかな声。女性だった。
『あ、あんた・・・』
暗闇の中でも見える。真っ暗なはずなのに、人の姿がはっきり見える。
(なぜだ?なぜ俺には見える?)
蒼い星のような瞳が、心配そうに彼を見下ろしていた。
白い肌。金色の髪。薔薇のような唇。
思わずその少女の美しさに息を呑んだ。
(今まで・・・こんな・・・)
いや、どこかで出会ったような気がする。あの目。確かにどこかで見た。
(いったい・・・どこでだ?)
じっと見つめかえすジェットに、彼女は少し表情を緩めて、優しく言った。
『よかった・・・。ずっと苦しそうだったから、心配してたの。血は止まってるけど・・・酷い怪我よ。痛む?』
血?
なるほど。頬に引き攣った痛みがあるのはそのせいだったのか。
でも・・・怪我?なぜ?
(俺はいつそんな怪我をした?)
そうだ。思い出した!確かに・・・撃ち落とされた。
(俺はサイボーグに改造されて・・・逃げようとして、アイツらに撃ち落された!)
そしてそのまま意識を失った。
『おい・・・何色だ?』
憤りを含んだジェットの声に、彼女は、え?と怪訝な顔をした。
『血の色だよ。俺の!』
『もちろん・・・赤いわ。でも、もう固まって黒ずんでいるけれど・・・』
『畜生っ!!!』
こんな体に改造しておきながら、ちゃんと血は赤く作ってやがるなんて!
どうせ機械の体にするなら、青でも緑でも透明の液体でもよかったんじゃねえのか、と思わず毒づいた。
『何のために俺の体をこんな風にしやがった!!もう・・・人間じゃないなんてっ!!糞ったれっ!!』
天井を睨みつけて叫ぶ。
その声に、彼女はピクッと怯えるように体を震わせた。
その時初めてジェットは気がついた。
彼女が身につけている赤いコスチュームは、自分と同じ。―――ということは?
『き、君も・・・改造・・・されたのか?』
瞳が微かに揺れた。蒼白い頬に、涙が一筋伝い落ちていく。
彼女はしばらく何も言わず、哀しげに彼を見つめていたが、涙をそっとぬぐうと囁くように言った。
『今、あなたのこと・・・話してるわ。大暴れしたって、本当?それで・・・怪我をしたのね?』
『え?』
彼女の視線は、遠くを彷徨っていた。
『もうしばらく・・・見せしめにそのままにしておくって。全員が顔を揃えるまで。また他の誰かが、逃亡を企てたりしないように』
『・・・?』
彼女はいったい何を言ってる?
『あ、また誰か・・・連れて来られるわ。私たちと同じ格好をした人よ』
来る?誰かが?
なぜ、そんな格好までわかる?まさか・・・?
『君は・・・壁の向こうが見えるのか?そして―――』
彼女は小さく頷いた。
『ええ。見えるの。それに・・・聞こえるわ、壁の向こうの音も、全部。今・・・外は朝よ。お日さまが出てて・・・いいお天気だわ。でも・・・』
辛そうに両手で耳を押さえる。美しい顔が青ざめていた。
『こうしていると・・・だんだん・・・頭が・・・混乱して・・・』
突然、壁の一角が、音もなく開いた。
そこに立っていたのは、あの「テスト」のときの白衣の科学者だった。
数人の助手らしき男達を随えている。
そして・・・運び込まれてきたのは、赤いコスチュームに身を包んだ銀髪の男だった。


背後からゆっくりと足音が近づいてくる。
振り返らなくても、それが誰なのかわかる。まるではかったようなタイミングだ。
「おい、ハインリヒ」
視線を海に向けたまま、002は言った。
「ん?」
「俺達が最初に会ったときのこと、覚えてるか?」
「なんだ、急に?」
「この景色・・・」
「なるほど・・・似てるな、それでいろいろ思い出してたってわけか?・・・お前が感傷に耽るとは珍しいな」
004は、数歩前に進んで002の隣に立つと、チラ、とその横顔を見やる。
黙ったまま、砕ける波を見つめ続けている002。その視線を追うように、004も海を見つめた。
「ああ、覚えてるとも。お前は無様な格好で、ベッドに縛りつけられてた。俺がこの手で自由にしてやったんだぜ。あの時の礼、まだ聞いてなかったような気がするが・・・」
茶化すように言いながら、なぜ今そんなことを思い出す?とばかり、前を向いたままの002の横顔を、また振り返った。
「せっかく・・・2人きりでいい雰囲気だったのによ。余計なお邪魔虫が来やがって・・・ぶち壊しだったぜ」
「フフッ・・・そういうことか・・・」
004は小さく笑い、そしてゆっくりと息を吐いた。


銀髪の男が現れた後も、数日の間隔をあけて部屋の住人は1人ずつ増え、とうとう7人にもなった。
しかし、彼女を除けば、むさくるしい男達ばかり。
(何なんだよ、コイツらは!)
一癖もふた癖もありそうな連中に、何か共通点があるとしたら―――同じ赤いコスチュームを身につけていることだけだ。
(・・・たく、胡散臭い奴等だぜ)
お互いに警戒しているせいだろう。誰も余計な口をきこうとはしない。
干渉を避けるように、ぽつん、ぽつんと間隔をあけ、床にうずくまるように座り込んでいる。
本当は尋ねたかった。
―――教えてくれ!誰か知っている奴はいないのか?
ここはいったいどこなんだ?
あのテストってのは何だったんだ?
なぜ、こんな目にあわなきゃいけない?
いつまでここにいればいいんだ?
これからどうなるんだ?
何もわからず、不安で堪らなかった。誰かに、何かにすがりつきたいほどに。
だがおそらく、この連中も何もわかってはいまい。
皆、絶望に打ちのめされたような表情をしている。
そうだ。ここには、絶望だけがある。
あの「テスト」の場でこみ上げた、怒りや憤りの気持ちはどこへ行ってしまったのだろう?
(もう今さら、何を・・・どうあがいても・・・どうしようもないんだ)
―――俺は、もう俺じゃなくなっちまった。
ただ、何かが起こるのを待つだけの、重く長い時間。
しかし、いつまでこうして待てばいい?
待ったところで何が起こる?
(俺達を待っているのは・・・もしかしたら・・・)
7番目の黒人の男が現れてから、すでに1週間が過ぎていた。
(このままじゃ、俺は気が狂っちまう!)
深い闇の底に澱むような沈黙の中、ジェットは自分の精神の限界を感じ始めていた。

突然、小さなうめき声が、その沈黙を破った。
彼女だった。
『どうした?』
両手で頭を抱え込んで蹲る彼女に、銀髪の男が声をかけた。
『どこか痛むのか?』
荒い息。彼女は、はあ、はあ、と苦しげに肩で息をつきながら、それでも懸命に面を上げて男を見つめた。
『ごめんなさい・・・』
真っ青な顔。瞳が虚ろだ。相当具合が悪いのだろうか?
黙っていられなくなったジェットも立ち上がリ、そっと彼女に近づく。
『大丈夫か?』
『・・・ええ・・・ありがとう・・・。でも・・・・・・頭が・・・割れそうなの・・・・』
他の男達も、心配そうにじっと彼女を見つめている。
『ああ・・・もう・・・気が・・・狂いそう・・・。いろんな音が・・・聞こえて・・・』
両手で耳をふさぎ、体を震わせている様子は、ただごとではなかった。
いったい何があったのだろう?
(そう言えば・・・)
ジェットは彼女と交わした言葉を思い出した。
―――だんだん、頭が混乱して・・・
確かにあの時も、顔色は冴えなかった。
けれどその後は、そんな素振りは微塵も見せなかったから、気にも留めないでいた。
逆に彼女は、あの沈黙の中でも、他の連中の様子を気遣っているように見えた。
誰かに、何かにすがりつきたい。そう思ってジェットが顔をあげるたび、必ずと言ってもいいほど彼女と目が合った。
蒼い蒼い瞳。少し哀しげな微笑を浮かべて、心配そうにじっと彼を見つめていた。
その目を見ていると、心が軽くなった。
なぜ?
なぜ、こんな得体の知れない男達と一緒にいて、あんなに静かな表情でいられる?
身の危険を感じて、怯えたり泣いたりしてもおかしくないのに。
不思議な子だ、と思った。
でも―――そんな微笑を浮かべながら、実際はずっと苦痛に耐えていたというのか?
(・・・彼女は・・・まるで・・・)
『大丈夫アルか?』
『いや・・・余り大丈夫じゃなさそうだぜ』
今まで、お互いそっぽを向いて一度も言葉を交わそうとしなかった、東洋系の男と白人の中年男が、顔を見合わせて頷き、いたましげに溜息をついた。
もしかしたら、と銀髪の男は顔をしかめた。
『確か、彼女は・・・』
自分を見つめる銀髪の男に頷いて、ジェットは言葉を引き継いだ。
『ああ。目と耳を改造された・・・って言ってた』
銀髪の男は彼女の前に跪くと、細い両肩をそっと抱いて、低く優しい声で言った。
『いいか。目をつぶって・・・何も見ようとするな。意識して、何も聞かないようにするんだ。いいな?』
彼女は微かに頭を振った。
『・・・無理・・・だわ。見たくないのに・・・見えてしまうの。聞こえるのよ、勝手に』
意識が朦朧としてきたのか、体が大きく傾いた。
『おいっ!しっかりしろっ!』
『ああ・・・もう・・・』
声がふっと途切れたかと思うと、彼女はぐったりと銀髪の男の胸に崩れ落ちた。
『・・・気を失っちまった。まあ、そのほうが少しは楽でいられるかもしれないが』
男は、彼女をそっと抱き上げた。
本当に華奢な体。乱暴に扱ったら砕けてしまいそうだった。
サラ、と亜麻色の髪が流れる。白い喉がまぶしい。
固く瞑られた瞳を縁取る長い睫。薔薇色の唇。
思わず見とれてしまいそうほど、儚げな美しさ。
だが、彼女は―――
(こんな綺麗な子が・・・サイボーグだと?!なぜだ?)
なぜ彼女が、こんな目にあわなければいけない?
ジェットの胸は掻き毟られた。
―――なぜ?
湧き上がってくる怒り。
(そうだ。俺達だって・・・!)
なぜ、こんな体にされて、こんなところに閉じ込められなきゃいけない?
あのテストの時の、全身を突き動かすような怒りが蘇ってきた。
銀髪の男は、部屋の隅に放置されていた拘束台に彼女を慎重に横たえると、鋭く振り返って、吐き捨てるように言った。
『なんてことしやがる!何でも見えて、聞こえてしまうなんて!気が狂いそうになるのは当然だ』
いつの間にか、他の連中も部屋の中央に集まっていた。
今までの沈黙が嘘のように、皆は堰を切ったように喋り始めた。
『改造のせいで あんなに苦しんでるのか?なんてこった!』
『あのままじゃ駄目アル!何とかしないと・・・あのコ、気が狂ってしまうアル!』
『許せねえぜっ!!』
思わずジェットは叫んでいた。
『このままじゃ、すまさねえ!絶対に、ケリをつけてやるっ!!』
銀髪の男が頷く。
『確かに。必ず決着はつける。だが、まずは彼女だ。俺達を改造したって言ってた、あの野郎を呼びつけよう』
『あのジジイを・・・か?』
『ああ。改造した奴でなければ、彼女をどうにかすることなんてできないはずだ』
『でも、どうやって呼ぶ?』
『簡単だ。せっかく頂戴した力とやらを使って、ここでみんなで暴れれば、アイツら、きっとすっ飛んでくる。当然、ご褒美のお仕置きも待ってるだろうが』
『なるほどね・・・。よし、ごたごた言ってる暇はねえ!やろうぜっ!!』
声を上げたジェットに、皆が頷いた。
その時、気を失っていた彼女が小さくうめいた。
銀髪の男は再び拘束台に近づくと、白い額にかかる髪をそっと直してやりながら、囁くように言った。
『いいか、ちょっと騒々しいが・・・しばらく辛抱してくれ。これしか方法がないんだ』
『ごめんなさい・・・迷惑かけて・・・』
彼女は弱々しく頷き、またふっと意識を失った。
『それじゃ、皆さんのお手並み拝見、といくか?』
突然、ただ一人沈黙を守り続けていた巨体の男が、すっくと立ち上がった。
『・・・?』
他の連中が訝しげに見つめる中、彼は大きな拳を振り上げ、壁に一撃を加えようとした。
と、その時―――。

”ヤメルンダ!今、ソンナコトヲスレバ逆効果ダヨ。大丈夫。僕ガ何トカスル。ダカラ、君タチハモウ暫クノ間、オトナシクシテイテクレタマエ”
突然、甲高い声が響いた。
『だ、誰だ?』
『い、今のはなんだ?頭の中に直接・・・聞こえたような・・・』
”今、ぎるもあ博士ト一緒ニソコヘ行クヨ。ダカラ、暴レルノハヤメタマエ!”
『ギルモア博士、だと?』
『あの糞オヤジの名前か?』
『どこにいる?・・・どこから声を出してる?誰だ、貴様?』
まもなく、その謎の声の言葉どおり、壁が開き、あの白衣の研究者が現れた。
いつもと違い、彼は助手を連れず一人だった。しかもその腕に赤ん坊を抱いている。
『オッサン、待ってたぜ!』
『早く何とかしてくれよっ!!!』
一斉に詰め寄られ、研究者はたじろぎながら、それでも怯まずに言った。
『いや、まずワシから諸君に大事な話がある』
『今それどころじゃねえんだ!』
『早く彼女を・・・何とかしてやってくれ!』
『ぐずぐずしてると、アンタにもらったこの素晴らしい体で、一発お見舞いすることになるぜ!!』
銀髪の男が、マシンガンになった右手を構えて研究者を狙う。他の連中も一斉に身構えた。
(ふ・・・ん。なかなかいい雰囲気じゃねえか!気に入ったぜ、コイツら!)
ジェットは、傍らの銀髪の男の横顔を、満足げに見つめた。
”ぎるもあ博士!確カニ・・・コノママジャ駄目ダ。貴方ノ持論ドオリ「さいぼーぐハろぼっとジャナイ」ンダカラ。チャントいんぷっとスル情報量ヤ範囲ヲ、自分ノ意志デ制御デキルヨウニシナケレバ、大変ナコトニナルヨ。ズイブン思イヤリノアル改造ダネ・・・”
またさっきの声が聞こえた。
―――コイツ、いったい誰だろう?
ギルモア、と呼ばれた男は低くうめき、腕の中の赤ん坊をじっと見つめた。
『やはり、それを先にしなければならんか?』
―――え?
『まさか・・・?』
一同は顔を見合わせた。
”今スグニ処置シナケレバ、彼女ハダメニナルヨ。ソンナコトハ、アナタニハ改造スル前カラワカッテイタハズダガ・・・”
男は、部屋を見回し、意識を失ってぐったりしている彼女の姿に目をとめると、深い溜息をついた。
『009の改造は昨日終わったから・・・改造室は使えるが。・・・しかし・・・』
(この野郎!何を躊躇してやがる!!罪の意識はねえのか?!彼女を、俺達をこんな体にしておいて、そのまま苦しんでろ、だと?)
”心配ナイ。僕モ手伝ウカラ。急ギマショウ”
男はしぶしぶ頷くと、巨体の男に命じて彼女を抱き上げさせ、自分について来るようにと言った。
大きな背中が壁の向こうに消えてしばらくしてから、あっけに取られていた一同はようやく我に返った。
『おい・・・今のは・・・?』
『まさか・・・あの声は・・・赤ん坊が・・・?』
”ヨクワカッタネ。僕ハ001ダ。コレカラハ君達ノコト、002カラ008マデノこーどねーむデ呼ブカラ。ソウ、改造サレタ順ニネ。今ハ時間ガナイカラ詳シクハ話セナイ。デモ、ソロソロ準備ヲシナケレバナラナインダ。最後ノ一人ガ目覚メルタラ、僕タチハ行動ヲ開始スル!”
『行動?』
『僕たちって?』
”コノBGノ基地カラ脱出スルンダ。君達ト僕ト、ぎるもあ博士ノ10人。詳イコトハマタ後デ!トリアエズ今ハ、003ノおぺニ集中スルカラ。オトナシクシテ待ッテテクレタマエ”
頭の中に直接呼びかけてきた赤ん坊の声は、ぷつりと途絶えた。
『オペを・・・手伝う?赤ん坊のくせに?』
『BG・・・?』
『003?彼女のことか・・・?』
『脱出って・・・あの生意気な赤ん坊・・・いったい・・・』
そして、あの男も一緒に脱出する、だと?
ギルモア、とかいう男。
あの男が自分たちを改造した張本人じゃないのか?
『そんな奴を信じることなんかできない!』
『そうだ。もうこれ以上、いいようにはされないぜっ!!』
『だが・・・このままここにいたってしょうがない。罠なら罠で面白いじゃないか』
銀髪の男が薄く笑った。
『騙されてみるのも悪くない』
そうだな、と黒人の青年が頷いた。
『とにかく、彼女が帰って来るのを待とう。その様子を見れば、だいたいの展開は読めてくるはずだよ』

そして数日後、彼女は戻ってきた。
『みんな・・・ありがとう。001から聞いたわ』
あの哀しげな微笑を浮かべて、彼女はそう言った。
『耳を澄まして聞こうとしない限り、余計な音は聞こえなくなったの。ずいぶん楽になったわ。もう大丈夫』
けれど、彼女の表情は以前より沈んで見えた。脱出計画に意気上がる他の”00ナンバー”たちとは対照的だった。
(無理もないか・・・)
ジェットは、俯きがちな青白い横顔を、時々そっと盗み見しながら溜息をついた。
2度も体にメスを入れられたのだ。
たとえ苦痛を取り除くためだったとはいえ、意識を失っているうちに、自らの意志に反して。しかも、こうして改造を繰り返せば、ますます人間から離れていく。
だからこそ。
すぐにでもこの場所を脱出しなければ。
このまま、奴らの言いなりになるなんてごめんだ!
あの赤ん坊―――001の言っていることが本当だとしたら、自分たちは「死の商人」たちに人間型兵器として改造された。このままここにいたら・・・どうなるかは明白だった。
しばらくして、001を抱いた男が再び姿を現した時、彼らの意見は決まっていた。
脱出する。この場所から。
銀髪の男―――004の言葉に、ギルモアは頷いた。
『明日・・・009のテストが行われる。その時には諸君にも同席してもらう』
そう言いながら、腕の中の001をぎこちない仕草で抱き直そうとしたギルモアに、静かに彼女が近づいた。
『その赤ちゃん・・・抱かせてください』
男は、一瞬、彼女の目を怯えたように見つめたが、黙って001を渡した。
彼女は赤ん坊をそっと抱きしめると、頬ずりをした。
『可愛い・・・。柔らかくて・・・あたたかいわ』
蒼白かった頬に血の気が戻る。
包み込むような優しい微笑み。
まるでそこだけ、神々しい光が射しこんでいるように見えた。
惚けたようにぼんやりと彼女の横顔に見とれていたジェットは、ようやく思い出した。
以前、彼女にどこで出会ったか、を。
子供の頃。絶え間ない暴力に耐えかねて、何度も逃げ込んだあの場所。
そこに、”彼女”はいた。
かなわぬ望み。哀しい羨望をこめて眺めていたその光景が、今、目の前にある。
『うっ・・・』
押し殺した嗚咽。ギルモアだった。
男は目に涙を浮かべて、001を抱く彼女をじっと見つめていた。
その涙の意味を悟って、ジェットはいたたまれぬ思いで、天井を仰いだ。
(そうだ。俺達は・・・機械の体に改造されたんだ)
兵器として使われるために。
もう普通の人間じゃない。
(だから・・・彼女は・・・もう・・・あんなふうに・・・)
当たり前の幸せを手に入れることは出来ない。
おそらく、皆も同じ思いだったのだろう。
救いのない沈黙が、再びその場を支配した。
”ミンナ!感傷ニ浸ッテル場合ジャナイ。ハヤク綿密ナ打チ合ワセヲシヨウ”
突然、001の声がした。
(こいつには・・・俺達の考えてることが・・・全部わかっちまうらしい)
可愛らしい赤ん坊の姿だが、中身は全く違う。
”009ガ目ヲ覚マシタラ、僕ハスグニ話シカケル。デモ余リ時間ハ無イ。てすとガスグニ始マルカラネ。ソノ後ノ手筈ニツイテ、慎重ニ計画シヨウ。博士ノ演技力モサルコトナガラ・・・てすと終了後、君達ガドレダケ短時間デ彼ヲ説得デキルカニカカッテル”
『どうすりゃいいんだよ?』
”フフッ・・・ジャア手順ヲ説明スルヨ。マズハぎるもあ博士カラ・・・”
この赤ん坊、相当な切れ者だ。
冷静で、その指示は的確。
時には残酷とも思えるようなことを、ズバズバと口にする。
(恐ろしい奴だぜ。任務遂行のためには命さえも捨てろ、って平気で言いかねないタイプだ)
明日の手筈を一通り説明した後、001は少し声の調子を変えて彼女に話しかけた。
”003、アッチヲ見テゴラン!”
『どこ?』
彼女は静かに顔をあげた。
”ホラ、廊下ヲハサンダ3番目ノ扉ノ中ダ』
『誰かいるわ。あの格好・・・。私たちと同じ・・・?』
”ソウ、彼ガ009ダ”
『009?・・・どんな奴だ?』
ジェットの問いに、彼女は瞳を大きく開いて、壁の向こうに目を凝らした。
『まだ・・・若いわ・・・。栗色の髪をした・・・少年』
『少年?』
『でも・・・今、とても苦しそうにしてるわ。何か・・・辛い夢をみてるのかしら?』
彼女は、あの静かな優しい眼で、しばらくじっと壁の向こうを見つめていた。

そして「テスト」は終わった。
ずぶ濡れのまま、少年は海から上がってきた。
ずらりと並んだ科学者や自分たちを前に、彼は呆然と立っていた。
無理もない。何も知らされず、いきなり戦車やロボットと戦わされたのだ。
そして今、彼には突然の選択肢が突きつけられた。
何が正しくて、何が間違っているのかなど、即座には判断できない状況で。
―――迷っている。
彼は、どうしたらいいのかわからず、困惑しきっていた。
だが、彼を味方につけなければ、我々の脱出作戦は不可能だ、と赤ん坊は言っていた。
(もし彼がアイツらの側についたら、・・・俺達は終わりだ!)
彼はどちらを選ぶだろう?
誰もが固唾を飲んで、じっと少年を見つめていた。
その時、彼女が静かに言った。
『009、私たちを信じて』
驚いたように彼は視線を彼女に移した。
信じる・・・?と、唇がゆっくりと動く。
彼女は黙って頷き、柔らかな眼差しで、また彼を見つめた。
張り詰めてきつい表情を見せていた茶色の目が、ほんの一瞬和らいだ。
『ええ。信じて・・・』
一瞬の間をおいて、彼は蒼い瞳に吸い寄せられるように、まっすぐこちらに向かって歩き始めた。
こうして―――最も優れた体を持つ009は、仲間になった。


風が強くなってきた。
波はいっそう高くなり、時折、飛沫がこの崖の上にまでかかるほどだ。
「おい、あの野郎・・・ホントに始末しなくていいのか?」
じっと沈黙したまま、ひとり過去の記憶に埋没していた002が、突然頭を上げて004を振り返った。
「あんな物騒なサイボーグ、いくら意識を失ってると言ったって、危険すぎるぜ!」
「・・・確かに俺もそう思う。俺たちを00ナンバーと知ってやってきたんだ。BGであることは間違いない。だが―――」
頷きつつも004、苦がり切った顔で言葉を続けた。
「だからといって、無抵抗の相手を殺すわけにはいかない。そんなことをしたら、BGと同じだ。それに、あの野郎を殺してしまえば、俺達は手がかりを全く失ってしまう。あのサイボーグ、今俺たちが握っている、唯一のコマだからな」
「そりゃ、そうだが・・・。でも、あの野郎、ことによったら009より・・・」
かもしれんな、と004は頷いた。
「だったら、今のうちに叩いておかないと・・・」
「ああ。ピュンマがずいぶん気にしていた。嫌な予感がする、と言い続けてた。確かに・・・いろいろ気になる事は多い。だが・・・」

ギルモア博士は、クルツ研究所の設備を使い、例の捕虜の体を本格的に調べ上げた。
もちろん、サイボーグ開発とは畑違いの分野の設備だから、十分にその性能を解明できたとはいえない。だが、わかっているだけの範囲でも、BGが作ったと思われるそのサイボーグの性能は驚異的なものだった。
002よりずっと目立たないタイプのジェットエンジン。内蔵された様々な火器。
彼らよりもはるかに強化された人工筋肉と骨格・皮膚。目も耳も、高度に改造されている。
そして、加速装置。いわば、001〜008までの能力を、そのまま009に装着したようなものだ、と博士は驚嘆していた。
「以前、博士は・・・俺達の能力を、そのままの状態で009に装着するのは不可能だと言ってたが・・・。BGだって間抜けじゃない。ギルモア博士クラスの研究者をどんどん集めてるはずだ。現に最近、旧共産圏出身の優秀な研究者が、次々と姿を消してる」
009よりも優れたサイボーグが登場してきたとしても、少しも不思議ではない。
たとえば、あの男の加速装置。ギルモア博士の作ったものよりも一回り以上小さい。
見た目だけではその性能を判断できないが、009のものより数段優れている可能性は、十分ある。
だいたい、銃もそうだった。
自分たちのスーパーガンよりもコンパクトなのに、はるかに強い破壊力を持っている。
だが、何よりもギルモアを驚愕させたのは・・・

「自己修復装置?」
何だよそれ?と002は首をかしげた。
「勝手に故障が直るんだそうだ。たとえば・・・この間、009に撃たれたぐらいの損傷は・・・いちいち修理しなくても、放っときゃ直るらしいぜ。人工皮膚の増殖じゃない。内臓・・・つまりメカの部分もな」
「メカの部分の損傷が直るだって?!信じられねえ!そんな厄介なもんがあるんなら・・・こうやって眠らせてる間にも、勝手に回復しちまうんじゃねえのか?」
「いや、それは大丈夫だ。その装置は、壊れてる」
「壊れてる?・・・何でだ?」
「撃たれて、破壊されてる」
「撃たれた?じゃ、じゃあ・・・まさか?」
「ああ。彼女が・・・撃ったんだ」
「もし・・・撃ってなかったら?」
「たぶん、009も俺達もやられてただろうな。ただし・・・あの場でアイツが本気で009を倒そうとしていたなら、だが・・・」
ふうう、と002は息を吐き、頭を振った。
自己修復装置だと?信じられない。
彼女はそれに気づいて、狙って撃ったのか?
いや、ギルモア博士が散々調べて、ようやくその機能が判明した装置だ。
彼女がそれを撃ったのは偶然だろう。奇跡的な偶然。
それにしても、と002はまた溜息をついた。
(なぜ・・・あの時・・・)
確かに、003の射撃の腕は抜群だ。
もちろん彼女は生身の部分が多いから、実戦でその力を活かす機会はあまりなかった。
けれど、あの目と耳の能力。そして反射神経。
撃つことの正確さの点だけで言えば、009と互角のレベルだ。
でも、あんなサイボーグと撃ち合うなんて。
彼女なら、相手の装備を見抜くことなど簡単だ。どれほど危険な相手か、わかっただろうに。
(そうじゃないな。彼女は・・・)
わかっていたから、撃った。自分を盾にして、009を守ろうとした。
でも彼女は、あのサイボーグに撃たれて、海に落ちて・・・。
(どうして俺達は・・・そのことに気づかなかった?)
―――何を考えていても、結局、最後に思いはそこへ行きつく。

「おいおい、ジェット!どうしたんだよ?今日はえらく口数が少ないじゃないか」
また一人じっと黙り込んだ002に、004は苦笑いした。
ハッと顔をあげ、002もつられるように微かに笑った。
「ったく、何でか知らんが、今日は辛いことばかり思い出すぜ」
こうして無為に毎日が過ぎていく。ただ待つ以外、何も出来ない。
その焦燥感が、どんどん気持ちを後ろ向きにしていく。
唇を噛む002に、ぼそりと004は言った。
「だいたい思い出なんてのは、辛いもんだ。人間、覚えていたいと思うようなことに限って、すぐに忘れてしまう」
そして―――忘れたいと思うことは、決して忘れられない。
「で、あっちの研究所のバリアーのスイッチは入れてきたんだったな?」
「ああ。でも・・・」
002は言葉を濁した。
今のままじゃ、あそこに帰れるのはいつになるかわからない。
帰れるかどうかもわからない。
もし・・・彼女を見つけることが出来ないなら・・・戻る場所なんて要らない。
「・・・確かにそうだ。あそこは、なかなかいい場所だったが・・・」
もう帰ることはないかもしれないな、と004も小さく呟いた。
「ひとりであの島にいた間も、いろいろ思い出してた」
機体の整備をするとはいっても、待時間のほうがずっと長かったから。
「どうも俺は・・・ただ待つだけってのが苦手なんだよ。焦って・・・イライラして・・・。だからこんな風に、昔のことばかり思い出しちまう。辛いことばかり、な」
それは俺だって同じだ、と004は、ポンと002の肩を叩いた。
「だが・・・ひとりでくよくよ考えてたって仕方ないぜ。何を思い出してたんだ?」
「お前、あの島で、ジョーの奴がちょくちょく夜中にフランソワーズを連れ出してたのを知ってたか?」
「・・・夜中に連れ出してた?」
唐突に始まるお前の思い出話についていくのは、結構大変なんだぜ、と004は笑った。
「いったい、いつの話だ?」
「さあ。いつだったかな。けど・・・俺たちが結構長く、あそこにいた時だ」
「・・・で?」
「あん時、アイツら、何やってたと思う?」
「何やってた、って・・・・ジェット!お前、覗きに行ってたのか?趣味の悪い奴だな」
004はまた笑った。
「違うぜ!覗くつもりなんかなかったさ。たまたま出くわしたんだ」
「どっちにせよ、2人のラブシーンでも見られるかと期待して、そのまま見てたわけか?」
「ったく、口の減らない奴だな、お前は!」
「でも、つまりはそういうことだろ?で・・・?」

しばらく前から、夜中に2人が外へ出かけて行くことに002は気づいていた。
紅一点のフランソワーズを独り占めされるのは、確かに面白いことじゃない。
だが2人は、最初の出会いの時に、すでに何か特別なものを感じ合っていた。
他の誰も、そこには割り込めない。そんな気がしていた。
2人が時折交わす柔らかな眼差し。それを見ていると、なぜかホッとした。
体は改造されていても、俺達の心は人間だ。心までは機械じゃない。
たとえ、闘うための道具として、生きることを強いられようと。
こうして、人を愛して・・・誰かのために優しくなれる心があるうちは、俺達は人間でいられる。
2人を見ていると、そう思えた。ある意味、それが救いだった。
ましてや今は、つかの間の安らぎの時。
2人だけの時間を過ごすのに、誰に遠慮する必要がある?
なのに―――

窓の外の明るい月に誘われるように、ジェットは浜へと降りていった。
寝つかれなかった。
戦いが終わったあとは、いつもそうだ。
もうここは戦場じゃない。自分に何度も言い聞かせた。
だが、心は張り詰めたまま、なかなか解れない。
目の前の静かな光景に馴染むことができない。これが現実だと思えない。
何も考えずに、ただ休みたかった。なのに眠れなかった。
波の打ち寄せる音だけが響く、夜の海岸。
優しい静寂の中、ぼんやりと海を見つめていた。
月に雲がかかる。
白く浮かび上がっていた浜辺が、闇に包まれた。
と、突然、耳慣れた音がした。
ピュン!
ピュン・ヒュンヒュン!!
闇を切り裂く鋭い音。
(これは・・・?)
スーパーガンの音?
間違いない。
(なぜだ?誰が・・・?)
今頃、誰が撃ってる?
敵が襲ってきたのか?いつの間に?
なぜ気がつかなかった?
背筋に緊張が走った。
慌てて周囲を見回す。
向こうの岩陰に、黄色いマフラーが翻って消えた。
あれは―――009だ!
では、敵は?
―――おい!ジョー!どうした!?何があった?!
脳波通信で呼びかけようとした、その時。
雲の切れ目から、月が顔を出した。
冴え冴えとしたその白い光に照らし出されたのは―――
(ま、まさかっ!!!・・・フランソワーズ?!)
驚きのあまり、声がでない。
何をしている?なぜ2人が・・・?
鋭いレーザーの応酬。
息もつかせぬタイミングで、体すれすれめがけて迫ってくる、お互いの光線をかわしながら、2人は激しく撃ち合っていた。
ザザ、と砂を蹴り上げ、岩陰に追い込み追い込まれながら。
どう見ても、互角の真剣勝負だった。
(どういう・・・ことだ?)
ヒュン!ビュン!
ビュン!!
(何を・・・何をしてるっ!!ジョー、なぜっ?!!)
そう叫ぼうとして、はたと気づいた。
もし、本気なら―――
もし009が本気なら、自分の目で、彼の姿を捉えることは出来ないはずだ、と。
003の放った光。
それが彼の体を貫く直前。その一瞬だけ、彼は加速していた。

「信じられなかったぜ。アイツら・・・ラブシーンどころか・・・」
「・・・どころか・・・?」
溜息をついて言い澱む002の沈黙を、004はさりげなく破った。
「―――本気で撃ち合ってた・・・んだろ?」
「え?・・・どうして・・・お前・・・それを?」
驚いて見つめる002に、お前も見てたとは知らなかったな、と004は唇を歪めて薄く笑った。
「今まで黙ってたなんて、ジェット、お前にしたら・・・ずいぶん我慢強いじゃないか?」
茶化すように言う。
「余りに馬鹿馬鹿しくて・・・お前にも言う気がしなかったんだ。まさか・・・お前も見てたなんて・・・」
あ〜あ、馬鹿じゃねえのか、と大げさに肩をすくめた。
「もう戦いは終わってた。なのにアイツらときたら、なぜあんなことを?!」
「・・・さあな。それは俺にもわからない」
首を振る004の口調に、何か引っかかるものを感じて、002は探るように灰色の瞳を見つめた。
(コイツは・・・何か知ってる)
バレたか、とばかり、004はニヤリと笑った。
「ちょうど、あの直後だったろ?BGの基地の1つに突っ込んで、2人が逃げ遅れて・・・ジョーの奴が大怪我した時だ」
「ああ、そうだったな。思い出した。アイツ、かなり酷くやられて、それで・・・ギルモア研究所よりも近くにあったあっちに、慌てて駆け込んだんだ」
「そうだ。あの時は、かなり長い間あそこにいた」

無事に第2研究所に落ち着いてからも、彼女はずっと沈んでいた。
「自分のせいでアイツが怪我をした、と気にしてるんだろう。俺はそう思ってた」
BGの基地で、本当のところ、何があったのかは、2人にしかわからないが。
ちょうど009の意識が戻った頃だった。最初に彼女が、一人で海岸へ出て行ったのは。
「昼間は俺達に気を使って、一生懸命明るく振舞ってたから・・・こっそり涙でも流してるんだと思ってたんだ。そしたら、彼女は・・・」
懸命に波を狙って撃っていた。
次の日も、その次の日も。
そして、4日目。
凍えた細い月が空に浮かぶ、寒い夜だった。
彼女は海に向かって、銃を握り締めてうなだれていた。
肩が小刻みに震えている。寒さのためか、それとも・・・
「さすがの俺も、声をかけようと決心した、その時」
目の前を黒い影が横切った。
009は背後から彼女の体をそっと抱え込んでいた。
彼女の手に自分の手を添えて、銃を構えて。
びっくりして振り返ろうとする彼女の耳元で、009は囁くように言った。

『もっと全身の力を抜いて。そう。指先だけで引金を引こうと思うな。でも動きは最小限に。そう、そうだよ。ゆっくりと、でも一気に引く!ね・・・そうすれば狙いが狂わない。正確に撃てる』
それでいい、と009は頷いた。
『じゃあ、もう一度。力んじゃだめだ。もっと肩の力を抜いて』
銃の持ち方、構え方・・・009は淡々と彼女に教え始めた。

「そして一通りレクチャーし終えると、アイツは言った」

『君は、相手がどんなに早い動きをするものでも、ちゃんと撃てるはずだよ。君には見える。相手が動く音も聞こえる。だから、撃てる。今でも・・・そう・・・モノならね。でも・・・』
009は口ごもった。

「アイツはずいぶん前から気づいてたんだ。彼女が・・・どうしても・・・撃てないことをな」
「撃てない・・・?」
どういうことだ?と002は怪訝な顔をした。
「俺はその時、ようやく納得がいった」
009の射撃には妙な癖がある。
「癖・・・?」
「何でこいつを先に倒すんだ?プライオリティを間違ってるんじゃないのか、と思ったことが何度かあった」
「どういうことだ?」
002は首をかしげた。
「気づかなかっただろう?でも・・・アイツは、それまでずっと俺達にも気づかせないくらい、さりげなく彼女を庇ってたんだ。彼女が撃たなきゃいけない状況にならないように・・・な」
「撃たなきゃいけない状況にならないように・・・?どういうことだ?」
「彼女が、撃てなかったから、さ」
「撃てないっ?・・・って、でも・・・フランソワーズはずっと撃ってたぜ。ロボットだって戦車だって・・・」
「ああ。それはそうだ。でも・・・」

『でも・・・意志を持った相手を撃つには―――狙って撃つのは・・・勇気がいる。特に相手が人の姿をしている時は』
『勇気・・・?』
彼女の声は震えていた。
『だけど、きっと撃てる。馴れればね。馴れることだって大切なことだ。だから・・・』
009は腕の中で振り返った彼女を、じっと見つめて言った。
『僕を撃ってみて』
『・・えっ?』
動揺した彼女の手から、銃がぽとりと地面に落ちた。
『・・・あなたを撃つ・・・?そんなの・・・無理だわっ!!』
無理じゃないよ、と009は首を振った。
『いいかい?たとえ相手がどんな姿をしていても、倒さなければならないことはいくらでもある。もしかしたら・・・サイボーグじゃなくて、生身の人間を撃たなければならない時だって出てくるかもしれない。そのたびに躊躇しているわけにはいかないだろう?』
『できないわ!そんな・・・あなたを撃つなんて・・・それとは話が違うわ!』
003は泣きそうな顔で叫んだ。
『でも―――君が本当に撃てるようになりたいと思うなら。撃たなきゃいけないと思うんだったら』
009は優しく彼女を見つめた。
『相手がどんな姿で、どんな装備を備えていようと、君は撃たなきゃいけない』
その優しい眼差しに、強い光が宿る。
『もしかしたら―――こんなこと考えたくないけど、本当にそんな場面があるかもしれない。君が僕を撃たなければいけなくなることが。もちろん逆だって・・・。でも、やらなければならないときは、やるしかない。君は003なんだ』
『・・・009・・・』
彼女は目に涙をいっぱい浮かべて、茶色の瞳を見つめ返した
『だから―――僕が的になる。最初は動かないから、モノと同じだよ。それに僕には加速装置がついてるから、絶対に大丈夫。君がまっすぐ撃てば、必ずよけられるから』
『・・・でも・・・』
『君は弱虫じゃない。ちゃんと撃てる。僕を信じて撃って』
微かな声で彼女は呟いた。
―――あなたを・・・信じる?
『そう。信じて』
さあ、と、砂に落ちた彼女のスーパーガンを拾うと、009は最初と同じように背後にまわり、体ごと包み込むようにして彼女に銃を持たせた。
『あの岩の上だ。君が真剣に狙ってくれないと、変に躊躇すると、かえって危ない。僕は、君がまっすぐ心臓を狙ってくると思って、あそこに立ってるから。そしてぎりぎりのところでよける。ちゃんと計算するから、大丈夫』
彼女は黙ったまま、微かに頷いた。
『落ち着いて。ゆっくり息を吸って―――焦らないで。相手の目をみるのが怖かったら・・・喉を見るんだ』
そう言うと、009は加速して岩の上に移動した。
『でも今は、僕の眼から絶対に視線をはずすな。はずしたら負けだと思って、最後までしっかり見るんだ』
そして、彼女は撃った。
震えていた。
歯を食いしばって・・・撃っていた。
でも、彼女の目に涙はなかった。

そして次の夜。
彼は動く標的になった。
『最初は方向を決めて、ゆっくり動くから。ここから・・・あの岩まで。僕があの岩の上に立つまでの間に撃つ』
これを狙うんだ、と009は手にした小さなボードを彼女に見せた。
それから少しずつスピードを上げて、彼は何度も同じ場所を移動した。
彼女はひたすら撃ち続けた。
次の日も・・・その次の日も。

「アイツら・・・そんなことを・・・ずっとやってたって言うのか?」
002は空を仰いだ。
「しかし・・・お前こそ、趣味が悪い覗きじゃねえか。毎晩毎晩・・・」
確かにな、と004は苦笑した。
でも―――
「アイツが・・・どこまで本気でやるのか、見極めたかった」
009は、どういう男なのか。
どれだけちゃんと彼女の辛さを、彼女を受け止めることができるのか。

その夜は、小雨が降ったり止んだりしていた。
昼間、かなりの雨量だったから、砂は重く湿り、岩場は滑りやすい状態だった。
『じゃあ、今日は・・・僕からも撃つから』
009はさらりとそう言った。
『君はそれをかわして、ちゃんと体勢を立て直して撃ってきて。今日はあの的は使わない。目標は・・・僕のこのボタンだ。ちょうど、心臓の上。僕は、君の肩先10センチのところを狙うから』

「俺は耳を疑った。彼女に自分を撃たせることぐらい、誰だってするだろう。でも・・・」
自分からも彼女を撃つなんて。
「少なくとも、その時の俺には思いつかなかった。やられた、と思ったよ。でもそれが・・・アイツの彼女に対する優しさだ」
「優しさ?・・・それが、か?」
「ああ、そうだ。それが、だ」
だから・・・彼女も、その言葉を当たり前のように受け止めて、頷いた。

『君の目と耳をフルに使って、僕の動きを予測して。神経を集中させれば動きをつかめるはずだ。もちろん・・・僕は、加速装置も使うよ。だから、大丈夫。さあ、はじめよう』

ところが。
なかなか、今までのようにはいかなかった。
タイミングが合わない。
彼女は相当苦戦していた。
的は心臓。正確に狙わなければ、加速装置を使ってよける009には、かえって危険になる。
もし手元が狂ったら・・・。
相手は009。だから大丈夫、と頭ではわかっていても、躊躇しない方がおかしい。
さらに向こうからの鋭い攻撃をかわしながら、撃つ態勢を整えなければならない。
「ホントに倒してしまっていい相手とやるほうが、よっぽど楽だったと思うぜ。でも・・・2人の動きをじっと見つめているうちに、俺はあることに気がついた」

突然、彼女が叫んだ。
『009!どうして!?・・・どうして手加減するの?!』

うまくいかない原因は、彼女ではなくて009だった。
「俺が気づいたのも、そのことだ。・・・ジョーは明らかに躊躇していた」
しかし、それも仕方がないことだと思った。
彼女は、疲れ果ててた。
ついこの前の闘いの疲れも、まだ十分に癒せていないのに。
毎晩毎晩、しかも日に日に壮絶になっていくレッスン。
体も心も疲労困憊していたはずだ。
「俺のところからでも、時々彼女の足元がふらつくのがわかった」
そんな状況で、ぎりぎりを狙って少しでもタイミングが狂ったら。
それこそ、彼女に大怪我をさせることになる、と009は心配していたのだろう。
「だから・・・彼女の肩先10センチどころか、4、50センチは離れてた」
でも―――フランソワーズは、その躊躇を手加減だと思った。
気を張り詰め続けていたから、疲れているという自覚もなかったのだろう。
だから・・・とても傷ついてた。
彼が撃つのを、躊躇していることに。

『撃って!もっと・・・もっと本気でっ!!』
『フランソワーズ・・・』
彼女の頬に涙が光った。
『お願い、009!・・・ちゃんと・・・ちゃんと私を狙って撃って!!』
『フランソワーズ・・・』
009は張り裂けそうな目で彼女を見つめ、一旦下ろした銃をゆっくりと構えた。
ヒュン!
彼女のスーパーガンが炸裂した。と、同時に彼女は走り出した。
ところが―――
『あっ!!』
濡れた石に足を取られ、彼女の体はバランスを崩した。
009の撃った光線が、肩をかすめる。
『ああっ・・・』
両手をついて、003は地面に蹲った。
『フランソワーズ!!』
慌てて駆け寄ってきた009が、彼女を抱き起こした。
『大丈夫か?・・・怪我は?』
ううん、と彼女は俯いたまま首を振った。
『よかった・・・』
ホッと溜息をつくと、彼は優しく言った。
『・・・もう、今日はこのくらいにしよう』
彼女は小さく首を横に振った。
『でも・・・君はとても疲れてる。もう休んだ方がいい。ごめん。ちょっと・・・毎晩続けすぎた』
肩が小さく震える。懸命に嗚咽を堪えるように。
『だめ・・・だわ・・・だめ・・・』
『フランソワーズ?』
しばらく、すすり泣く声が続いた。
両肩を抱いたまま、009は黙ってただ彼女を見つめていた。
どのくらい時間がたっただろう。
ようやく気持ちが落ち着いたのか、静かに顔をあげて003は言った。
『・・・ごめんなさい。私・・・あなたに八つ当たりするなんて・・・。自分が出来ないだけなのに・・・』
思いつめた表情に、彼は慌てて首を振った。
『フランソワーズ・・・。違うんだ。僕が・・・僕がちゃんと・・・』
ぽつん、ぽつん、と、また雨が降り出した。瞬く間に激しくなっていく。
『・・・帰ろう・・・』
黙って頷く彼女の腕をそっと支えながら、009は立ち上がった。
2、3歩、研究所のほうに向かって歩き出した時、彼女の体がぐらりと揺れた。
『フランソワーズ?!』
慌てて抱きとめた009の腕の中で、彼女は気を失っていた。
ぷつり、と緊張の糸が切れた。そんな感じだった。
『フランソワーズ!?』

「アイツは泣いてた」

ぐったりと力を失った彼女の体を、夢中で抱きしめて。
亜麻色の髪に顔を埋めて。
何度も、低い声で何か呟いていたが、激しくなる雨音がかき消した。
しばらくして彼女は意識を取り戻した。
一瞬、自分が何処にいるのかわからなかったのだろう。
『・・・ジョー・・・?』
不思議そうに、なぜか至近距離にある彼の顔を見つめた。
笑顔で頷くと、009は彼女を抱き上げて、研究所に向かって歩き始めた。

「フン・・・。壮絶なラブシーンだな。だが、俺はそういうのは、趣味じゃねえぜ」
見たいとは思わないな、と002は鼻を啜った。
「最後まで見てるお前も、どうかしてるが・・・それでもやめなかった2人にも呆れ果てるぜ、全く」
「お前が見たのは、そのしばらくあとだろう」
おそらく最後のレッスン、だ。
「ああ・・・凄まじかったぜ、あの気迫」
あの時は、なぜそんなに2人が必死になってたのか、わからなかった。
「何を馬鹿なことやってるのかと思ったが、でも・・・知れば知るほど・・・余計、辛くなるな」
ましてや、今、2人が置かれている状況を考えると・・・


『あっ!!!』
009が叫んだのと、003の銃が弾けとんだのが同時だった。
闇に銀色の弧を描き、銃は砂にめり込むように突き刺さった。
衝撃でふわりと浮いた彼女の体。
(向こうは崖だぞ!危ないッ!!)
002が思わず叫んで飛び出そうとした時、009が地面すれすれで抱きとめた。
『フランソワーズ!!』
悲鳴のような叫び声。
009は激しく取り乱していた。
腕の中の彼女は、すぐに目をあけた。
『フランソワーズ!怪我・・・怪我は?』
『あ・・・ジョー?ううん、全然大丈夫よ』
彼女は、気を動転させている009を、不思議そうに見つめた。
『ごめんなさい・・・私がぼんやりしてたから・・・銃に当たってしまったの』
『違う』
やられるかと思った、と009はふうっと息を吐いた。
『え?』
『加速装置がなかったら・・・僕は君にやられてた。ほんとに・・・危ないところだった』
『そんな・・・』
『いや・・・そうじゃない。僕の予測より君の反応が早すぎて・・・追いつけなかった。いつもと同じ加速の仕方じゃ間に合わなかった。それで・・・焦ってバランスを崩してしまって・・・あんな撃ち方になってしまったんだ。ごめん・・・ほんとに』
『ううん、大丈夫』
でも、と彼女は009の腕の中で、はにかむように微笑んだ。
『嬉しかった・・・』
『え?』
『あなたが・・・ちゃんと・・・本気で撃ってくれたから』
彼女は、009の顔を見上げた。
『フランソワーズ・・・』
009も彼女の瞳をじっと見つめた。
『ありがとう、009・・・』
しばらくして2人は立ち上がり、黙ったまま、研究所に向かって肩を並べて歩き始めた。


「こっそり覗いてたと思われたくなかったから・・・声をかけようとしたんだが」
結局できなかった。
あの時、黙ったまま、ただ見つめ合っていた2人の、満ち足りた表情。
それを見ていたら、やりきれなくなってしまった。
こんなことを、こんなものを通してでなければ、お前たちは向き合えないのか?
どんなに思い合っていても、お前たちには・・・サイボーグにはこんな愛し合い方しか出来ないのか?
「でも・・・それじゃ、幸せになんかなれない」
002は絞り出すような声で言った。
「そうだ」
なれない、と004は頷いた。
「でも、2人はそんなこと、思っちゃいないさ。幸せになりたい、だなんて」
―――なぜだ?
サイボーグは幸せになっちゃいけないのか?
あんなにも、心を寄り添わせていたのに。
いつだって、ちゃんと気持ちを確かめ合うことが出来たのに。
もう・・・間に合わないかもしれない。
そうだ。もう二度と・・・

「誰かを救おうと思うものは―――いや、自分が幸せになりたいと思う者には、誰かを救うことなんて出来ない」
「・・・救う?どういうことだ?」
004はそれには答えず、ふうっと長い息を吐いた。
荒い波の音だけが響く。
「でも・・・」
しばらくの沈黙の後、微かな笑みを浮かべて004は呟いた。

そんな愛もある。
何が幸せかってことだって、本当は誰にもわからない。

2人はそのまま黙りこみ、じっと海を眺め続けた。

ん?と004が、眉を上げた。
「今、何か聞こえなかったか?」
「ああ、聞こえた。悲鳴、だ!!」
002の言葉が終わらないうちに、2人は研究所に向かって走り出した。
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