■ 中山 シコメ(なかやま しこめ) ![]() 死せる魂の神社(社格はweb幣大社)の臨床リハビリ巫女。14歳。誕生日不詳、AB型。 絶滅寸前の人間モグラ族(幽霊族)最後の生き残り。彼女の両親は人間から隠れるように飛騨山中の洞穴に隠れ住んでいたが、身重の妻が病気に倒れ、薬を求めて二人は人里へと降りる。血液銀行に自らの血液を売却することで口に糊していた二人であったが、やがて夫も発病。絶望的状況に陥る。そこに現れたのが血液銀行の調査員水木青年で、彼の協力もあって人里での生活にほのかな希望を見出す。しかし妻の容態は悪化の一途をたどりそのまま病死。世をはかなんだ夫も自殺を試みるが、丈夫が取り得の人間モグラ族ゆえ半端な劇薬ではなかなか死ねず、工業用メチルアルコールをラッパ飲みすることでようやく死ぬことが出来た。 後に二人の住処を訪れ惨状を目の当たりにした水木青年はなんとか妻の死体を埋葬したものの、夫の死体は腐乱が激しく、気色悪さにそのまま放置することにした。 やがて奇跡が起こる。なんと妻の胎内の赤子は死んでおらず、生への執着のもたらすわざか、独力で胎内から這い出た赤ん坊が墓場の土の下から現れたのだ。いまだ中空を彷徨っていた父親の霊魂はすかさずおのれの体にとって返し、こうしたケースのセオリーに従い死体の目玉に霊魂を宿し部分的蘇生を試みようとするも、メチルアルコールを飲んだときに潰れて飛び出た目玉の体組織機能は完全に死に絶えており、“目玉の親父”として蘇生を果たすことは出来なかった。死後日数が経っているため、いかな人間モグラ族といえほとんどの器官が死滅し腐敗している。遺された選択肢は、たまたまかろうじて腐敗を免れている睾丸に憑依し転生することのみであった。そして子を想う父の愛は羞恥心を凌駕した。これが最後の人間モグラ族シコメと、その父である金玉の親父(「べつの玉の親父」「きゃんたまの親父」等別称あり)がこの世に誕生することとなった事のあらましである。 シコメは幼少時より熾烈なイジメを受けることになる。「やーい、お前の父ちゃんきんたまー!」などという身もフタもない野次に深い心の傷を負い、彼女はさまざまな心的問題を抱えながら屈折して成長する。また、基本的に金玉である父親に就労の場はなく、基本的に金玉でしかない父親の家庭に生活保護や福祉行政の手が差し伸べられることもなく、窮乏した生活はシコメの心をますます蝕んでいった。 水木氏は情緒不安定なシコメを近所の死せる魂の神社へと連れて行き、黒住ウズメの行なう無償のカウンセリング治療を受けさせる。以後シコメはしばらく神社内で起居することとなる。水木氏にとってこれは実質的な口減らしであり、シコメの回復を心から願ってのことではなかった。それに、容易に回復が期待できるほどシコメの病状は軽いものではなかったのである。 しかし、カウンセリング治療は驚くべき効果を発揮した。ウズメの行なうカウンセリングは一般的なカウンセリングの方法とは異なる。自らの心の内の葛藤や心神耗弱、別人格との競合を全て神道的文脈に即して解説し、こころの中のトラブルを全て「シャーマン的才能の突出」によるものだと体系的に教え込んだのである。今まで重荷でしかなかった心の病巣を宗教的解釈によって認識し、そして肯定する。自傷以外に自らを認識する術を知らなかったシコメにとってはまさに衝撃であった。自らを「巫女」と規定することで心のバランスを立て直したシコメは、治療の一環として巫女の奉仕を行ないながら、霊的アンテナの研ぎ澄まされた美少女巫女への道を今も一歩ずつあゆみ続けているのだ。そして混沌としていたシコメの内面世界を体系づけ、秩序をもたらしてくれたウズメに対するシコメの崇敬の念は相当に篤い。シコメにとっての「神」とは、もしかしたらウズメのことなのかもしれない。 さておき、シコメの霊的素養は他の二人にひけをとらないものの、霊媒技術がいまだ未熟である。そのため降霊術を試みても名もなき低級霊に強制憑依されてしまうことがしばしば。今後の課題といえよう。 神社から支給された巫女装束は金策に困った父親が売却。代わりに父親がどこからか調達してきたブレザーを着て奉仕をしている。父親いわく「ご先祖の霊毛で編んだ先祖伝来のブレザー」ということだが、事実かどうかはわからない。また、肌身離さず持ち歩く鞄に何が詰め込まれているのかも、誰も知らない謎である。 趣味は鞄に向かってぶつぶつ話しかけることと、料理と、裁縫と、そして小動物に対して優越感を感じること。好きなものは寿司と油揚げと小松政夫。携帯電話や電子レンジといった電磁波を放出する機械を極度に嫌う奇癖がある。 |