月刊デラシネ通信 > 漂流民
| ◆善六/レザーノフ |
| ◆玉井喜作 |
私の生まれ故郷は宮城県石巻市、かつては遠洋漁業の基地として賑わっていた港町です。私の父親はクジラ捕りとして南氷洋になんども出かけましたし、親戚の多くは船乗りや漁業に携わっていました。いまからおよそ200年前この石巻から、江戸に向けて出帆した若宮丸の乗組員たちが、嵐に巻き込まれ、遭難、アリューシャン列島の小島に漂着し、このあと数奇な運命をたどり、16名の乗組員のうち4人が、故郷に帰ってきたという話を初めて知った時は、正直ショックでした。ロシアへ漂流した日本人の話としては、井上靖の小説『おろしあ国酔夢譚』の伊勢の大黒屋光太夫が、よく知られていますが、我が故郷石巻からもロシアに漂流した人たちがいたことは、その時まで全く知りませんでした。いろいろ調べているうちに、興味深いことが次々にわかっていきます。
まずこの漂流民のうちのひとりが、和露辞典をつくるのに協力していたこと。
さらにこの善六という男の曾孫が、ロシア革命直後領事として、函館に来ていること。
イルクーツクには、ここで亡くなった漂流民たちの墓を、明治時代にこの地を旅した日本人が発見していること。
『おろしあ国酔夢譚』と大黒屋光太夫をめぐる話は、椎名誠がレポーターとなり、大型ドキュメンタリー番組になってますし、緒形拳主演で映画にもなり、日本でも多くの人に知られるようになりましたが、善六と若宮丸漂流民の話は、まったくというほど知られていません。しかし私には、ここにはいろいろとんでもないドラマが秘められているような気がしてなりません。
『魯西亜から来た日本人−漂流民善六物語』という本を書いたのですが、この漂流民をめぐる話は、これで終わっているわけでなく、あくまでもこれは壮大な物語の序論だと思いはじめています。この漂流民コーナーでは、いままで調べてきたことを随時公開していきながら、善六と若宮丸漂流民のテーマを掘り下げていきたいと思います。
(2000.08.14)