月刊デラシネ通信 > ロシア > 長谷川濬 函館散文詩集『木靴(サボ)をはいて―面影の函館』発刊のお知らせ
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はこだて写真図書館叢書 II 長谷川 濬 函館散文詩集 『木靴(サボ)をはいて―面影の函館』
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寛さんから「99」とナンバリングされたあの大学ノートを手渡されたときのことをいまでも昨日のことのように覚えている。長谷川濬が、生まれ育った函館への思いを淡々と綴った散文詩からは、幼い頃に彼が見た、感じた、触れた、コスモポリタンの街、大正期の函館がそのまま甦ってくるようだった。死を間近にしていた老詩人の思いは、遠く時空を越え、半世紀前の函館に飛んでいった。無垢な魂だけがとらえることができた函館の面影が、そのノートの中に書き留められていた。函館の面影を伝えようとする言葉は力強く、そして優しい。このノートと出会ったこと、これは運命であった。
『虚業成れり−「呼び屋」神彰の生涯』(岩波書店・2004年)の取材のため長谷川濬(1906-1973)の次男寛さんと会ったとき、別れ際に寛さんは濬が残したノートの存在を教えてくれた。寛さんがどんな思いで私に教えてくれたのかはわからない。ただこの時から私と長谷川濬の間に橋が架かったのだと思う。寛さんから借りたノートを読みながら、私は濬の戦後の魂の彷徨をともにしていた。豪放磊落と多くの人が評する長谷川濬であるが、ノートの中の彼は、傷つきやすい詩人であった。書いても書いても発表する場がないことに苛立ち悲しみ、弟四郎が文壇で活躍するのを苦々しく見ていた。書くことを捨ててもいい状況はいくらでもあった。でも彼は最後まで書くことを選んだ。その場所がこのノートであった。この恵まれなかった文学者の人生の最後の最後の時に、ミューズが立ち現れたのである。そして、ミューズはこのノートと私を出会わせることまで演出してくれた。
私はいま『満洲浪漫(仮題)』という長谷川濬の生涯をたどった評伝を書いているのだが、これを書き上げる前になんとか彼の白鳥の歌をかたちにしたいと思った。詩の舞台である大正・昭和初期の函館を写し続けた熊谷孝太郎の写真とのコラボレーションが実現し、この散文詩を読んだブックデザイン家の西山孝司さんが、「いい本にしましょう」とこだわりにこだわったデザインで素晴らしい本に仕上げてくれた。37年間大学ノートの中に眠っていた濬の言葉は、今見事に甦ったのである。
2009年7月1日発売の朝日新聞社刊「一冊の本」7月号の「ヴィジュアル本を楽しむ」という連載の中で2頁、写真付きで取り上げられています。評者は評論家の上野昂志さんです。(2009.07.01)
書評についてのデラシネ日誌
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