― 寄稿文コーナ ―

このコーナーでは、『ダンマパダ』アップグレード版全一巻の読者の皆様からの寄稿文を紹介しております。説法・講演会開催のお知らせ・書籍発行・ご意見・メッセージ・記録などを掲載しております。どうぞ、原稿を本会までお送りください。内容検討の上、投稿者との事前確認を済ませた後、掲載致します。※海外からの場合、確認が後になる時もあります。

 掲載中の寄稿文一覧
 「パーリ学仏教文化学会」第25回学術大会が東京大学/本郷キャンパスで開催された! (2011年6月1日)・・・NEW
 ミャンマー人留学生からの質問! (2010年6月20日) 
 「パーリ学仏教文化学会」第24回学術大会が南山大学名古屋キャンパスで開催! (2010年6月2日)
 「パーリ学仏教文化学会」会誌第23号発行! (2010年3月1日)
 「パーリ学仏教文化学会」第23回学術大会が高野山大学で開催! (2009年6月1日)
 「パーリ学仏教文化学会」会誌第22号が発行されました! (2009年3月18日)
 公開講座のお知らせ テーマ「仏教国 ミャンマー」  (2008年3月28日)
 『ミャンマー上座佛教史伝』(池田正隆訳)刊行! (2008年2月1日)
 「千の風になって」  (2008年元旦)
 「パーリ学仏教文化学会」第21回学術大会が名古屋・同朋大学にて開催! (2007年6月2日)
 本会の特別講師ウ.ウィッジャーナンダ大長老が会誌「パーリ学仏教文化学会」第20号に寄稿! (2007年4月15日)
 回顧「神戸・淡路大地震 体験記」 (2005年12月10日)
 「自然は、最もすぐれたダンマ(真理)の表現者である!」 タイ国住職からのメッセージ。 (2005年8月)
 「インド洋大津波被災!」 ビルマ政府仏教会派遣僧ウ.ウィッジャーナンダ大長老。 (2005年1月9日)
 「インド洋大津波被災!」 -スリランカー 千葉・佐原市「蘭華寺」副住職シーラバッドラ比丘。 (2005年1月9日)
 「慈しみの心に、目覚める!」 在日ミャンマー僧ウ.スセンナ比丘。 (2003年3月28日)
 [社]日本・ミャンマー友好協会へ本会発行の書籍『ダンマパダ』アップグレード版全一巻寄贈! (2002年7月6日)
 ウ.ケミンダ長老(世界平和パゴダ僧院長)ミャンマー政府から特別功労賞授与、記念インタヴュー! (2002年5月)




更新日:2011年6月1日


2011年5月21日(土) 「パーリ学仏教文化学会」 第25回学術大会が、わが国におけるパーリ学発祥の地である東京大学の本郷キャンパスで開催された!


プログラム(発表会・総会・理事会・懇親会) 会場:法文2号館一番大教室
【研究発表・午前の部】
09:30 【受付開始】
10:00 三帰依文唱和・開会の辞
10:15
  l
10:45
青野道彦 (東京大学大学院博士課程)
 「僧残罪を犯した比丘尼の謹慎処分 -パーリ律文献を中心にー」
10:45
  l
11:15
畑 昌利 (大阪大学大学院博士後期課程終了)
 「初期仏典における懺悔の諸相様」
11:15
  l
11:45
武田 龍 (同胞大学仏教文化研究所客員所員)
「釈尊の最初説法はどのように理解されたか」
【昼食・休憩・理事会】
【研究発表・午後の部】
【理事会】会場:法文2号館教員談話室
13:15
  l
13:45
 井上   (高野山大学准教授)
 「Devanussatiに関する一考察」
13:45
  l
14:15
 林 隆嗣 (こども教育宝仙大学教授)
「ヴィーナーの喩え(vinopama)とインド音楽理論
14:15
  l
14:45
 田邊 和子(東方研究会研究員)
「バンコク郊外水牛寺所蔵絵付折本紙写本の構成と内容の説明
【休憩】
15::00
  l
17:00
 ー記念シンポジウムー

 「パーリ学と上座仏教」

発願者Ⅰ:森 祖道(パーリ文献協会日本代表)
発願者Ⅱ:林 行夫(京都大学地域研究総合情報センター教授)
リスポンデントⅠ:佐々木閉(花園大学文学教授)
リスポンデントⅡ:奥平龍二(東京外国語大学名誉教授)

司会:下田正弘(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
17:00    【会員総会】会場:法文2号館一番大教室
18:00
  l
20:00
【懇親会・情報交換会】会場:山上会館地価食堂(三四郎池隣接)





更新日:2010年6月20日

今月初め、突然、私のところへ卒論のために「世界平和パゴダ僧院」(北九州市)を調査しているアジア太平洋大学(大分県)のミャンマー人留学生 Zun さんから電話があり、 曰くー 「次の質問についてご意見を聞きたいです」と。 卒論提出の締め切りが迫っているとのこと、急ぎ質問にEメールで答えました。その後、これには読者諸氏に知っていただきたい点もあると感じ、Zunさんの承諾も得て、茲に、投函するしだいであります。  (北嶋 泰観)


Zunさんからの質問(1):世界平和パゴダ僧院について。

【回答】
僧院には、パーリ仏教に関する貴重な仏典が数多くあり、それを日本語で説明して下さる比丘の方々もおられる。

仏教本来の教えを知りたい私にとってたいへん有り難い存在です。

今、私は、パーリ仏典『Visuddhimagga』の翻訳に一極集中しております。

日本では、アビダンマ(Abhidamma)を専門に学習されている先生の数は少なく、そのために、きちんとした『Visuddhimagga』の翻訳がまだありません。

この仏典は、パーリ仏教の教理を理解する上でたいへん重要な内容が詳しく豊富に説かれております。

私とウ.ウィッジャーナンダ大長老は、4年ほど前からこの難しい『Visuddhimagga』の翻訳とCD発行を続けております。完成まで、あと2年ほどかかるでしょう。



質問(2):ある日本人の、「ビルマ仏教はわかりにくい」、「北九州の僧院はもっと頑張るべきだ」という意見について。

【回答】
仏教の初心者・中級者・上級者、それぞれに「わかりやすい教え」「むずかしい教え」というものがあります。

パーリ仏典『Dhammapada』は初級者に理解できますが、『Visuddhimagga』は上級者でも難しいです。

一昔前まで、大乗仏教が主流の日本では、一般の日本人がテーラヴァーダ仏教(=ビルマ仏教)を学ぶことは難しいでした。

しかし、現在、私たちが発行した「書籍・CD・電子仏典」の学習用テキストによって一般の人たちもパーリ仏教が学びやすい環境となりました。

先日、5月29日に名古屋で開催された「パーリ学仏教文化学会」学術大会において、会長の前田恵学博士がスピーチされました。-「時代が変わった。今や、一般の人たちの間にもパーリ仏教を学習・実践する人が増えている」と。



質問(3):世界平和パゴダ僧院の展望について。

【回答】
昔、日本人僧侶がビルマ国へ仏道修行に行った時代は、日本語の教材がほとんどなかったため、学習がなかなか進まなかったと聞きます。

現在、ミャンマー国へ仏道修行に行きたい人は、出発前に、私たちの「書籍・CD・電子仏典」でビルマ仏教の基礎学習が出来ます。耳でパーリ語仏典を聞くこともできます。事前にお経を暗記することもできます。

そして、ミャンマーに行く時は、これらの実用的な教材も一緒に持って行き、パーリ仏教の全体像を見ながら、経典の学習・ウィパッサナー観法の実践ができます。ビルマ長老の授業内容も理解しやすくなります。又、教える側も教えやすくなります。

日本に帰国した後も、これらの教材を有効に使うことができます。将来、彼がパーリ仏教の勉強会を自ら主催する際には、これで生徒に学習用テキストも作ることも可能です。

さらに、私が管理・運営する「ダンマパダ(法句経)を学ぶ会」のホームページにアクセスすれば、無料で、直接指導を受けることもできます。 ※ 「読者からの質問集コーナー」参考。

その結果、仏教を通じての日本・ミャンマー両国の民間交流が、さらに大きくなります。

これも、亡きウ.ウェプラ世界平和パゴダ僧院長をはじめ長老方の地道な布教活動によるものです。

現在、世界平和パゴダ僧院は、世代交代・新しい支援体制作りが必要かと存じます。

パゴダ僧院のご発展をお祈り申し上げるしだいであります。



質問(4):世界平和パゴダ僧院との出会いについて。

【回答】
私が、『ダンマパダ』の学習を続けていた時代(神戸・北野町時代)の1991年頃? 在日アメリカ人夫婦から一人の日本人比丘を紹介され、その比丘を通じてウ.ウェップラ僧院長に初めて会いました。

その時、ウ.ウェップラ僧院長に『ダンマパダ』普及版その(1)の監修をお願いしました。

ところが、ウ.ウェップラ僧院長がビルマに帰られることになり、そのため『ダンマパダ』続編の監修はウ.ウィッジャーナンダ大長老に代わり、今日に至りです。


以上、簡単に述べました。

Zunさんのご期待には、ほど遠い回答かと存じますが、郵送した「資料」も参考にして下さい。

又、質問が生まれた時は、気軽にメールして下さい。

陰ながら、卒論の完成をお祈り致します。


Yours in the Dhamma,



更新日:2010年6月2日


2010年5月29日(土) 「パーリ学仏教文化学会」 第24回学術大会が、「キリスト教世界観に基ずく学校教育」を建学理念とする南山大学名古屋キャンパスで開催!


プログラム(発表会・総会・理事会・懇親会)
【研究発表・午前の部】
09:30 【受付開始】
10:00 三帰依文唱和
10:15
  l
10:45
那須 円照(龍谷大学仏教文化研究所客員研究員)
 『大智度論』における仏の十力の研究ー「仏の衆生救済の側面」と
「仏の凡夫・声聞に対する優位性の側面」を中心として」
10:45
  l
11:15
越後屋 正行(駒澤大学大学院)
『長部註』における註釈の重複と順番について
11:15
  l
11:45
畑 昌利(種智院大学非常勤講師)
Pâli『沙門果経』と阿闍世王
【昼食・休憩・理事会】
【研究発表・午後の部】
【理事会】会場:本部棟3階第3会議室AB
14:00
  l
14:30
K.Phraponsak(龍谷大学仏教文化研究所研究員)
「現代タイ仏教における止観の実践法」」
14:30
  l
15:00
亀山 健志(中京女子大学非常勤講師)
「現代上座仏教における儀礼の研究」
ーオクバンサ(出安居祭)を中心としてー
15:00
  l
15:30
蔵本 龍介(東京大学大学院)
「寺院は誰のモノ? 
ミャンマー上座仏教寺院における財の所有と分配
【休憩】
15::45
  l
16:15
泉 経武
「共和制移行後(1975-77)のラオス仏教
ーラオス・タンマユット派事務局比丘の言行録資料から
16:15
   l
16:45
奥村 浩基(台湾 佛光大学専任助理教授)
「台湾の南伝仏教寺院とその様態」
16:45
  l
17:15
田邊 和子(東方研究会研究員)
 「アユタヤ後期からバンコク期作製の絵付き折本紙写本解き(仏伝中心)
17:15
  l
18:00
【会員総会】会場:KB1教室
18:30
  l
20:00

【懇親会】会場:コパン3階ビォーノ(キャンパス内)
 



更新日:2010年3月1日


 『パーリ学仏教文化学会』(Society for the Study of Pali and Buddhist Culture 会長 前田恵學先生)会誌第23号(Journal of Pali and Buddhist Studies Vol .23)が発行されました。茲に、お知らせ致します。(北嶋 泰観)

  パーリ学仏教文化学  目次

第23号 2009年12月

 <巻頭言>
 ー 新しい役員体制と「上座仏教事典」のこと              ・・・・・ 前田惠學 1
 <提言>
 パーリの「学」と「学会」 -その調和-              ・・・・・・・・・・ 片山 一良 3
 <論文>
 <止行者・観行者>と<定>について     ・・・・・・Kongkarattanaruk Phrapongsak  5
 中国雲南省徳宏州における上座仏教 -戒律の解釈と実践をめぐって-
                                      ・・・・・・・・・ 小島 敬裕 21
 Lokappadîpakasâra (世間灯明精要)の成立背景
 -第七章「器世間の解説」(Okâsalokaniddesa)を中心として -Chaitongdi Phrachatpong 41
 ビルマ所伝「ザブパティ」(Jambupati) 王の事跡」(1772)の意義について
                                      ・・・・・・・・・ 原田 正美 57
 <研究ノート>
 アユタヤー期後期からバンコク期初期に書かれた絵入り折本紙写本の 
 解読 -クメール文字パーリ語表記の仏典写本を中心にしてー  ・・・・・・ 田辺和子 73
 Wat Ratchasittharamが所蔵する貝葉写本
 -Phra Pariyatti School 内の写本調査から-       ・・・・ 清水洋平・舟橋智哉 93
 ラフカデイオ・ハーンの<総合仏教>と<近代仏教学>  ・・・・・・・・  佐々木一憲 115
 <調査報告>
 上座仏教儀礼の構造に関する考察-スリランカにおける事例研究- ・・・亀山健志 137
 Buddhism's Stance towards Bereaved People especially the 
 Mentally Disordered -Modem Japanese Buddhist Culture Coping with
 Death and Bereavement-                   ・・・・・・・  Koike Kiyoyuki 149
 <前田基金招聘講演>
 Buddhist Monks in Sri lanka Politics ーAre They Backsliding?ー
                                   ・・・・・ Sumanasiri Wawwage 159
 <学会報告>                           ・・・・・・・ 蓑輪顕量171
   
パーリ学仏教文化学会


発行者 
 パーリ学仏教文化学会

発売所  山喜房佛書林: 〒113-0033 東京都文京区本郷5-28-5 
 頒価¥3、500円+送料240円  電話 03-3811-5361




更新日:2009年6月1日


2009年5月30日(土)パーリ学仏教文化学会 第23回学術大会が高野山大学で開催、片山一良先生(カタヤマ イチロウ:駒澤大学仏教学部教授)が新理事長に選出。前理事長 橘堂正弘先生ご苦労様でした。


プログラム(発表会・総会・理事会・懇親会)
2009年5月30日
08:30~
受付開始
09:00~09:10 開会の辞、三帰依文唱和
【研究発表・午前の部】
09:10~10:35 越後屋 正行(駒沢大学大学院研究生)
 『長部』の改編について 『長部復註』を中心として
09:35~10:00 Chaitongdi Phrachatpong(東洋大学大学院)
Lokappadipakasara(『世間灯明精要)の成立背景
 ー 第七章(okasalokaniddesa、器世間の説明)を中心として
10:00~10:25 舟橋 智哉(大谷大学大学院) 清水 洋平(日本学術振興会特別研究員)
 「Wat Ratchasittharam 寺院所蔵貝葉写本調査報告」
10:25~10:50 田邊 和子(東方研究会)
 「アユタヤ期後期に書かれた折本紙写本の解読」
10:50~11:15 小島 敬裕(京都大学大学院)
 「中国雲南省徳宏地域における上座仏教 ー 地域間比較研究の視点から」
11:15~11:40 嘉木場 凱朝(中国社会科学院世界宗教研究所副研究員)
 「雲南省における現代大乗仏教の様態」
11:40~12:05 池上 要靖(身延山大学)
 「ラオス国ルアンプラバンの仏像の特徴と現状について」
【研究発表・午後の部】
13:40~14:05 Kongkarattanaruk Phrapongsak(龍谷大学大学院)
 「止行者・観行者」と「定」について
14:05~14:30 佐々木 一憲(東方研究会)
 「ラフカディオ・ハーンの<総合仏教>と<近代仏教学>」
14:30~14:55 小池 清廉(京都総合福祉協会)
 「死別を契機に発症した精神病者に対する仏教のかかわり」
14:55~15:20 亀山 建志(中京女子大非常勤講師)
 「上座仏教儀礼の構造に関する構造」
15:20~15:45 矢野 秀武(駒澤大学)
 「現代タイにおける国家行政と仏教」
15:45~16:10 原田 正美(大阪大学非常勤講師)
 「ビルマ所伝 『ジャンブパティ王の事跡』とその意義について」
16:10~16:35 小林 圓照(花園大学名誉教授)
 「善友(Kalyâna-mitta)思想の展開とアジアの文化」
16:40~17:40 【総会】
2009年5月29日
17:00~18:50
【理事会】宝城院にて
2009年5月29日
19:00~20:30
【懇親会】宝城院にて



更新日:2009年3月18日


 『パーリ学仏教文化学会』(Society for the Study of Pali and Buddhist Culture 会長 前田恵學先生)会誌第22号が発行されました。茲に、お知らせ致します。(北嶋 泰観)

  パーリ学仏教文化学  目次

第22号 2008年12月

 <巻頭言>
 画期的な段階を迎えたパーリ研究
 ー 「新訳南伝大蔵経」の必要性と片山一良教授の先駆的偉業 -  ・・・・・ 前田惠學 1   

 <論文>
 中国南伝仏教における溌水節の地域的な特徴 ・・・・・・・・・・ 鄭 筱筠 (嘉木楊凱朝訳) 3
 yâmakâlikaについて                        ・・・・・・・・・・・・・・ 井上綾瀬 27
 <研究ノート>
 『スリランカのパーリ語文献』について             ・・・・・・・・・・・・・・ 橘堂正弘 41
 雲南の上座仏教  -日本における人類学・歴史学的研究の蓄積ー  ・・・・ 馬場雄二 49
 Roles of Monasteries in the Society of Rakhine State  ・・・・・・・・・・・  Gyana Ratna 59
 タイ北部の高原クルーバー・シーウィチャイの生涯
 ー ランナー文化圏における宗教実践の考察に向けて -  ・・・・・・・・・・・・・ 泉 経武 73
 A breif Note on the Guidance Possible from
 the Pâli Canon for the Development of Nursing Today  ・・・・・・・・・  Udita Garusinha 87
 <追悼>
 ハインツ・ベッヒェルト先生を偲ぶ                     ・・・・・・・・・ 松村淳子 93
 寄稿
 <翻訳>宗教問題条例(中国)                ・・・・・・・・・・・・・・ 石川賢作 101
 <報告>
 津波被災住民と仏教寺院 -スリランカ南岸海村の実例からー  ・・・・・ ・ 高桑史子 117
 佛光山台北道場再訪記                     ・・・・・・・・・・・・・・ 武田 龍 123
 学会報告                                   ・・・・・・        135
 総目次・著者別総索引    
パーリ学仏教文化学会


発行者 
 パーリ学仏教文化学会

発売所  山喜房佛書林: 〒113-0033 東京都文京区本郷5-28-5 
 頒価¥3500円+送料240円  電話 03-3811-5361





更新日:2008年3月1日

  公開講座のお知らせ:テーマ「仏教の国ミャンマー」  

大阪在住の岩井均臣様(いわいひろおみ:真宗本願寺派僧侶)からの公開講座のお知らせです。今から5~6年前に岩井様に初めて会った時は、仏教に対して真面目に取り組んでいる若いお坊さんという印象を受けました。彼はすでに龍谷大学時代からパーリ仏教を学んでおられ、在家出身の僧侶として伝統教団に所属しながらも、仏教の本質を追求し、現代日本で実践可能なブッダ釈尊の教えとは何かを学習・実践している僧侶である・・・・とも言われている方です。


 第 7 回
 津村仏青公開講座

 仏教の国  ミャンマー
   ~寺院・僧侶・信者の役割~

平成20年3月9日(日)19時~21時(18時30分開場)

 津村別院2F 総会所  聴講無料

  講師 池田 正隆
  (日本・ミャンマー文化協会相談役
  パーリ学仏教文化学会理事
  真宗大谷派僧侶)

インドで生まれた仏教は、アジアを始め各地に広まっています。
しかし、同じ仏教でも、国や地域により随分様子が違います。
その中で、今回の公開講座では「ミャンマー」を取り上げます。
「ミャンマー」で仏教は、どのような役割を果たしているのか。
人々の生活の中で、仏教はどのように信仰されているのか。
寺院・僧侶・信者はどのような役割を持ち、これらの事を知ることは、
現代の日本仏教に大きな示唆を与えてくれるはずです。
皆さまのご参加を心よりお待ちしています。

講師:池田正隆(いけだまさたか)
主催 津村別院仏教青年会(つむらぶっせい)
お問い合わせ 本願寺津村別院(北御堂)仏教青年会
〒541-0053 大阪市中央区本町4-1-3
TEL 06-6261-6796/FAX o6-6261-6735
地下鉄御堂筋線本町駅A階段2号出口北隣



更新日:2008年2月1日

 『ミャンマー上座仏教史伝』(池田正隆訳)刊行!  


 社団法人「日本ミャンマー友好協会」相談役(前会長代行)の池田正隆氏が、二十年の歳月をかけてビルマ語古文書『タータナー・リンガーヤ・サーダン』(Thathanalinkara-sadan:教法荘厳文書)を刊行されました。本書は、ビルマの佛教史を研究する場合の不可欠な書であり、又、ビルマ語文献からの翻訳としては我が国初であると言われております。仏陀本来の教えを学習するための教材テキストではありませんが、ミャンマーの佛教史に興味のある方は、どうぞ、法蔵館書店にお問い合わせ下さい。


 「この書の冒頭部分の邦訳を『佛教研究 第9号』(国際佛教徒
協会発行、浜松、鴨江寺)に初めて紹介させていただいたのが、
昭和55年(1980)年の2月のことでした。

・・・・ かつて北九州市世界平和パゴダ在住でいらしゃった高僧
故ウー・ウェープラ Bhaddanta Sayadaw Aggamahapandita U.
Vepulla師、および現在パゴダ在住の学僧ウー・ウィッザーナンダ
師 Dhmma-cariya Vijjhananda Sayadaw との出会いとご指導が
なかったなら、とうてい最後まで翻訳できなかったに相違ありませ
ん。私の訳文に眼を通して指導助言してくださった両長老様の
慈愛に包まれてのことであり、・・・・・・・」

                          訳者あとがき より
発行所(株)法蔵館 定価:本体価格¥9、500円(税別)




更新日 2008年 元旦

 「千の風になって」  

謹んで新春のお祝詞を申し上げます。
昨年の世相を表す漢字は「偽」でございました。又、仏陀本来の教えを認める声が、ちらほらと身近に聞こえて来る今日この頃でもあります。どうぞ、本年も宜しくお願い申し上げます。


さて、ご承知の如く、「千の風になって」という歌が大ヒットしております。この作者不詳の詩につけられた日本語訳が注目されて、人々に少なからずの影響を与えているようであります。

小生もはじめて聞いた時、私のお墓の前で、泣かないで下さい。そこに私はいません、眠ってなんかいません」という歌詞は、仏陀本来の教えにも通じるのではないかと思ったしだいであります。皆様はどのように感じておられるでしょうか?

拙書『ダンマパダ』アップグレード版の第212詩句・因縁物語(p255~p257)の中に次の話があります。ー

 「・・・・ 毒蛇に噛まれて亡くなった息子の火葬を行なっている家族を天界から眺めていたサッカ王は、家族の中で誰一人も涙を流し嘆き悲しむ者がいないことを不思議に思った。それを確かめるべく天界から地上に降りて来たサッカ王は、その家族一人ひとりに理由をたずねた。そして、父親、母親、妹、未亡人、お手伝いは、次のように答えたのである。

【父親の答え】

 ちょうど蛇が常にその老いた抜け殻を脱ぎ捨てて行くように、不用の肉体を捨てる。
 炎に焼かれている息子は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって息子は行くだけのことである。
    Urago  va  tacam  jinnam  l     hitvâ  gacchati san tanum   ll
    evam  sarîre  nibbhoge    l    pete   kâlakate   sati    ll
   Dayhamâno  na  jânâti     l   ñâtînam    paridevitam   ll
    tasmâ  etam na  socâmi   l    gato so tassa  yâ  gatîti.  ll


【母親の答え】

 許可も得ずここからすぐに消え去り、そして勝手に来ては、一瞬にして勝手に去って
 しまった。 これに、嘆き悲しむことができようか? 炎に焼かれている息子は、私たち
 家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって息子は行くだけのことである。
    Anavhâto  tato  âgâ      l     ananuññâto  ito  gato    ll
    yathâgato  tathâ  gato    l     tattha  kâ  paridevanâ    ll
   Dayhamâno  na  jânâti    l     ñâtînam   paridevitam    ll
    tasmâ  etam  na  socâmi    l      gato so tassa  yâ  gatîti.  ll


【妹の答え】

 もし、私が嘆き悲しんでも、私だけが痩せ衰えるだけです。私には何の利益もありません。
 ただ、兄に心を寄せる親族・友人・知人たちに多くの辛い思いをさせるだけです。
 炎に焼かれている兄は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって兄は行くだけのことである。
     Sace  rode  kisî  assam  l  tassâ  me  kim  phalam  siyâ   ll
     ñâtimittâsuhajjânam     l   bhiyyo  no  aratî   siyâ.      ll
     Dayhamâno  na  jânâti   l   ñâtînam     paridevitam     ll
     tasmâ  etam na socâmi   l    gato  so  tassa  yâ   gatîti.   ll


【未亡人の答え】

 ちょうど、昇りゆく月を見て子供がせがんで泣くように、亡くなった人を嘆き悲しむことはそれと
 同じです。炎に焼かれている夫は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって夫は行くだけのことである。
      Yathâpi  dârako  candam  l   gacchantam   anurodati    ll
      evamsampadam  ev' etam  l   yo  petam   anusocati.    ll
      Dayhamâno  na  jânâti    l   ñâtînam     paridevitam  ll
      tasmâ  etam na  socâmi   l    gato  so  tassa yâ  gatîti.  ll


【お手伝いの答え】

 ちょうど、地面に落ちて砕けた水瓶が再びつながらないように、亡くなった人を嘆き悲しむことは、
 それと同じです。炎に焼かれている若主人は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって若主人は行くだけのことである。
       Yathâpi [brahme]  udakakumbo  l   bhinno  appatisandhiyo  ll
        evamsampadam  ev'  etam   l   yo  petam  anusocati.  ll
       Dayhamâno  na  jânâti      l    ñâtînam   paridevitam  ll
       tasmâ  etam  na  socâmi    l    gato so tassa yâ  gatîti. ll


これらの言葉にたいへん感動したサッカは、この家族全員にたくさんの褒美を与えた」と。そして仏陀は、資産家に 『愛着から憂いが生まれ、愛着から恐れが生まれる。愛着から解放された人には憂いがない、どこにも恐れがない』と説かれたのである」-という因縁物語であります。

さらに、歌詞が続きます、・・・・・・ 「千の風になって」 「秋には光になって」 「冬には雪になって」 「朝には鳥になって」 「夜には星になって」 と。しかし、仏教では、人間には心法と心所法があるため、死後、風・光・雪・星などに生まれ変わることはできません。

但し、鳥に生まれ変わることはできます。前世の悪行の報果によって欲界悪趣地の一つである畜生界(=動物)に生まれ変わる、その結生の心作用は、欲界無因捨倶不善異熟意識界推度心が中心です。※『ダンマパダ』アップグレード版 p550~p553の「第七節 89心と死・結生心作用」を参考にしてください。

最近、「お墓」などについてもいろいろとご意見が出ているようでございます。「遺骨」や「先祖供養」について、本会の「読者からの質問集コーナー」でも取り上げたことがあります。又、どうぞ、参考にして下さい。


Yours in the Dhamma,

「ダンマパダ(法句経)を学ぶ会」

代表  北嶋 泰観



更新日2007年6月2日


 パーリ学仏教文化学会 第21回学術大会 開催 



先月5月26日、名古屋の同朋大学Doプラザ閲蔵において「パーリ学仏教文化学会 第21回学術大会」が開催されました。

※ 同会は、パーリ学仏教文化学の研究者が、相互に研究上の協力をし、斯学の向上発展を期することを目的に1977年4月に設立された。現在の会長は前田恵学先生(愛知学院大学名誉教授) 理事長は橘堂正弘先生(椙山女学園大学教授)です。
09:50-10:00  開会の辞、三帰依文 唱和
10:00-10:25  Sugeng Tanto (日本学術振興会外国人特別研究員)
「A Study of Siwa - Buddha in Java - based on Surasoma text-」
10:25-10:50  斎藤 滋 (名城大学非常勤講師)
 「部派仏教における菩提分法」
11:00-11:25   薮内 聡子 (東洋大学非常勤講師)
 「 Mahâvamsa, Cûlavamsa の信憑性」 
11:25-11:50   長尾 佳代子 (大阪体育大学准教授)
 「古訳 『薬師経』に付加されたヤマ・ラージャの記述」
13:30-13:55   泉 経武 (東京成徳大学非常勤講師)
 「タイ北部の高僧クルーバー・ウィチャイの思想と行動」
13:55-14:20  Gyana Ratna (愛知学院大学非常勤講師)
 「Contemporary Buddhism in Arakan - Distinguished Characteristics of its Existence in the Society-」
14:30-15:10  鄭 筱均 (中国社会科学院世界宗教研究所研究員)
 「中国雲南省における南伝上座部仏教の本土化への特徴について」
15:10-15:35  Dilip K. Barua (ダッカ大学助教授)
 「Modes of Existence of Village Monastery in Bangladesh: A Case Study」
15:40-17:30 会員総会
18:00-20:00 懇親会


懇親会の風景 (2007年5月26日) 同朋大学D0プラザ閲蔵1F多目的ホール




更新日2007年4月15日


本会の特別講師ミャンマー僧ウ.ウィッジャーナンダ大長老が、会誌「パーリ学仏教文化学会」(Society for the Study of Pali and Buddhist Culture、会長 前田恵学先生)に小論文を寄稿、ここに一部内容を紹介致します。尚、この会誌をご希望の方は、発売所(株)山喜房佛書林(頒価¥3500円)までご連絡下さい。


  パーリ学仏教文化学  
第20号





2006年12月

パーリ学仏教文化学会


  《報告》

  上座仏教におけるシーマ(結界)の由来とヴィスン・ガーマ(独立村)  

Sayadaw U Vijjânanda


1.シーマ(結界処・戒壇)の由来

正自覚者である釈尊は、過去四劫十万劫のあいだ十波羅密の菩薩行をおこなった結果、最後の生涯として釈迦国カピラヴァストゥ城のスッドゥダナ(浄飯)王の王妃であるマーヤー夫人から生まれた。幼名をシッダッタで、名字はゴータマとして知られる。
王子は29歳まで宮中で生活を楽しみ、29歳の時出家、6年間苦行をした。35歳の時、ヴィサカ月満月の夜、覚りを開き、ブッダとなった。

ブツダとなって2カ月目のワーゾー月の満月の日から5名の修行者に「転法輪経」を説いた。皆悟りを得て、比丘・阿羅漢になり、サンガが成立した。次に金持ちの長者の息子ヤサとバッダワッギーの仲間30人の青年たちへ説法をなし、彼らもブッダの弟子となった。

次々と仏弟子が出来、サンガ(僧迦・教団)は釈尊が成道して6カ月の間に、比丘僧の数が1千人以上にもなった。

釈尊は、増えてきたサンガの僧たちに対して、「いつも比丘僧たちが和合するように」と教えた。どのような行事をおこなった時でも、弟子たち全員の心身による和合が必要であり、「僧の中で一人でも不和合であれば、この行事は成立しない」と教えたのである。

釈尊の生涯の初期には、仏弟子たちの数もそれほど多くはなく、サンガの行事も多くはなかった。したがって行事があったときには弟子たち全員が和合することが容易であった。それでシーマー(結界処)は必要がなかった。しかし、僧侶の数が増えるにしたがって、釈尊の居所から離れて遠方まで行き滞在する弟子たちも増えてきた。広大なインドの諸地方に、別々に分かれて修行したり布教するようになった。ある比丘僧たちはマガダ国、またある比丘僧はコーサラ国、あるいは、ヴェーサーリー国へと遊行滞在するというように、別々に遠くはなれて過ごさなければならなくなった。また、サンガ内での儀礼つまり行事も多くなってきた。

それでインド全土に別々に過ごしている比丘たちを、行事を行なう度に全員1ヶ所に和合するため集めることは、困難となった。

そのことを釈尊に報告した。釈尊は、それなら「それぞれ自分の住んでいる村の境界内にいる全員の比丘僧の心身による和合があれば、どのような行事でも行なうことができ、その行事は成立する」と許可された。


シーマーにおける行事: 比丘式・布薩会・パヴァラナ(安居終了式)・カティナ(功徳衣式)


インド全土に別れ別れに住んでいる比丘たちすべてを集めなければならないという必要がなくなった。自分のいる村の境界内にいる比丘たちを集めて容易に行事を行なうことができるようになった。しかし、釈尊の時代も中・後期になると比丘の数は、さらに増えてきた。村の境界にしても、数キロメートル位の村もあれば、何十、何百キロメートルという広くて大きな境界もある。

このように広くて比丘数も多い境界内では、行事を行なう度に比丘全員を集めるための苦労も多くなった。また1カ月に2回布薩日に出席できない比丘の委任をとらなければならず、行事の間に、他の境界から別の比丘が入らないように、止めなければならない、というような色々なことが起こり、行事のし方が難しくなった。

そのようなサンガの比丘たちの不便さを理解した釈尊は、自分の境界内で場所を決め、その場所に「シーマー(sîmâ)結界処」をつくるように許可した。

行事を行なうなら、そのシーマーの中に入って、シーマー内の比丘の和合があれば、その行事は成立する。そのシーマーに入らない比丘の和合をとる必要がない。このようにシーマーを定めてから、人工シーマーという形式のものができた。それで今では、人工シーマーも自然シーマーも利用できるようになった。

ただし、人工シーマーは、自然シーマーの中に一つの地区を限定して設定するわけである。大きな地域から小さな地区に限定して設定し、大きな地域から小さな地区に縮小したため、仏教行事がし易くなった。


(1) 地球上の比丘全員の心身による和合。
(2) 村の境界内における比丘全員の心身による和合。
(3) 定められた地区内における比丘全員の心身による和合。


このように場所を狭く限定したので和合がし易くなった。和合をし易くするために、シーマーの設定許可がなされたのである。・・・・・



(以上は会誌「パーリ学仏教文化学」第20号p125~p127を抜粋、それ以後はここでは省略す。)




2005年12月10日


  「神戸・淡路大地震 体験記」…… 

     北嶋 泰観
 ダンマパダ(法句経)を学ぶ会 
        【1995年3月2日中外日報掲載記事より】
 


年の瀬も押し迫ってまいりました。皆様にはお変わりもなく、元気にお過ごしと推察致します。来年も「ダンマパダ(法句経)を学ぶ会」を宜しくお願い申し上げます。

お蔭様で、同「学ぶ会」のホームページにアクセスされる方々が今年も増えております。又、「パーリ語仏典CDシリーズ」の作品数が増えるにともない、Eメールや電話による質問内容も多彩となり、さらに若い読者の方々にも本会の活動に興味をもたれているなど、皆様方に感謝する今日でございます。

ご質問の中には、『ダンマパダ』の内容と直接関係のない質問も時々ございますが、その一つに、「何故、このような学ぶ会をつくられたのですか?」という、素朴な、しかし、的を得た質問が寄せられました。これに答えるために、少し昔のことを話さなければと感じたしだいであります。

顧みれば、本会設立時、小生にはいろいろな気持ちや動機がありましたが、その中で、特に、あの「神戸淡路大震災」から少なからずの影響を受けたことは確かでございます。そこで、ご質問の答えの一つにもなればと思い、昔、中外日報社に投函した体験記を寄稿文コーナーに転載することに致しました。 なにぶん震災直後の混乱期にノートに書きとめたものがそのまま新聞一面に掲載されるという経緯がありましたので、お見苦しいところは、どうかご容赦ください。

しかし、あれから十一年目を迎えるのですね。ここに移転してから、まだ一度も神戸の異人館通りをたずねたことがありません。たまに夢の中に出て来ることがありますが ・・・・・・。


Yours in the Dhamma,

泰観 拝


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   大震災で仏陀の教えを再確認
  心の平安の拠り所に

                    北嶋 泰観

 この度は「阪神大震災(兵庫県南部地震)」により皆様にご心配をかけて申し訳ありません。 お蔭様で私たち二人は、大震災の翌日(一月十八日)に両親の待つ奈良へ無事脱出、現在、奈良・神戸を往復しながら後片付けに追われています。

 しかし、今思い出しても実に大きな地震でした。 最初大きく横に振れるやドドドーと激しい縦揺れが起こり、一瞬のうちに家の中は足場もないほど散らかり、あの重たい冷蔵庫やコピー機が元の場所から飛んでおりました。 手探りで階段をゆっくり下り、近くの駐車場に避難するとすぐに、隣りで一人暮しをしている明治生まれのお年寄りの家に安否の声を掛ける。 地震のショックと落下物でこの老婆は身動きが取れず、やっと背中に背負い脱出。 駐車場に着き老婆を下に降ろすと、小生の手を両手で強く握りしめて離さず、ただただ涙を流してお礼を言うばかり。 その時、初めて地震の恐怖を感じました。
 夜明けと共に家と店の損害を簡単に調べる。四世帯が借りているこの住まいは、建物全体が8cmほどずれ、1階の損傷はかなり激しい(結局この建物は取り壊しと診断される)。
 店の方は、屋根瓦全体がずれ、二階の壁の一部が大きく崩れ、天井や階段に長い亀裂が走っていた。 なにぶん古い木造建築、大きな車が走り去るたびに二階が以前よりよく響くことに気ずき、ここでの営業続行に不安が残る。これは注意しないと……。 店内商品のダメージは、20パーセント前後と試算する。


余震が続く中、水と食料を手に入れるため近くのコンビニに行くが、店の周囲は邦人・異邦人でいっぱい。一人一人の買い物に制限があり、店員は一万円札のお客が多いのに困っていた。 買い物を手に持ち、少し寄り道をする。寒風の中インド人家族複数が駐車場に集まり、呆然と坐りこんでいた。 民芸品店のギリシャ人は「最悪だ!最悪だ!」とプンプン怒りながら異人館通りを歩いていた。 自転車いっぱいにバッグを積んで、若い白人女性がペダルを一生懸命こいでいた。 回教徒寺院付近も避難の外国人でいっぱいだった。「この地震は心臓に悪い」と初めて地震を体験したスリランカ人が心配顔で話し掛けてきた。 その時、何台かの消防車がトアロードを上がって来たのを見て、その後について行った。近くのマンションから出火があり、現場に着くと、水が出ないため消火活動がままならず消防士たちの顔がくやしそうだった。 2-3階付近から出た火が、じわりじわりと上の階へ延焼しはじめたのを見てその場を去った。 

家に戻る途中、「異人館通り付近及び山側周辺は損害はまだ少ない。しかし、三宮周辺はたいへんだ」と近所の華僑の好青年が自分で見て来た三宮地区の現状報告を熱っぽく語ってくれた。 家の中に入り、女房と二人で家具や書籍を片付けして、軽い食事を取り終えると布団を敷き、その中に潜り込んだ。 「しかし、あの青年の話は本当だろうか? 阪急三宮の駅が、銀行のビルが崩れるだろうか? 神戸・大阪間にバスや列車が一本も走っていないなんて……まさか? 電話もガスも水も出ない今の現状がいつまで続くのか?」 と胸の中で呟く。 いろいろ考えはじめるとだんだん不安になってくる。 サイレンが絶え間なくいろいろな角度から聞こえてくる。 また、激しい余震のたびに家が不気味に震える。 やがて家の中にジ―ットいることが苦痛となってきた。布団を蹴飛ばし、家を出て自分の目で確かめに三宮に出向く。 そして三宮の被害をみた後、北野小学校へ避難することを決める。 

すでに小学校は、近所の人や外国人たちで各教室も廊下も人、人、人でいっぱい。 比較的元気な私たちはグラウンドに移り、店からエアマットを持参して臨時のベッドをつくりはじめる。 その最中、一人の韓国人女性がやって来て「私には赤ん坊と年老いた母親がいる。 この寒いグラウンドで野宿するのはたいへんです。 貴方のエアマットを少し分けてほしい」とお金を出してお願いしたので「困った時はお互いさま」と無償で一部を与える。 しかし、それを見ていた別の外国人たちが次から次へと近ずいてはお願いするので、最後は私達の分だけでも確保するのがたいへんだった。 「小生には心臓の悪い妻がいる」と言って以降断わる。手作りベッドの上で横になっていると、大地が常に動いているのが実感できる。その夜の月は満月、星もきらきら輝いて美しかった。 しかし、西の方角では大火の明かりが淡く横に並び、時々、東の方角からはもくもくと煙が立ち昇る。 そして、十分ごとに続く余震とその直後のキャーという悲鳴に校内は異様な緊張感に包まれる。 小生、明日からの活動のため、今は自分の体力保存に留意しなければと目を瞑り、ラジオ放送に耳を傾ける。 エアマットの中は結構暖かかった。

十八日早朝のニュースで、私鉄の一部、西宮北口~大阪間が復旧したと知る。支給されたパン1個と果物1個の朝食を食べ終えるや、さっそく小学校を出て西宮北口へ向かう。 途中、最も多くの死者が出た東灘区の友人宅を訪問。娘と母親二人の生活なり。 一緒に奈良へ避難しようと言ったが、まだ決心がつかない様子。 その娘に「余震が続き、ライフ・ラインも切れたこの地に一日いる分だけ疲労が肉体的にも精神的にも蓄積する。 一日も早く神戸を離れることが大事である」と進言して別れる。 心臓の悪い妻は、西宮北口の一歩手前、夙川駅付近で歩行スピードが、がくっと落ちて、たいへん苦しそうであった。 半年前の妻は三百メートルも歩けなかったのである。 最近ようやく元気を取り戻したとはいえ、十五キロはやはりきつかった。 

午後三時半頃、ようやく七時間かかって西宮北口に着く。 阪急電車に乗り大阪に着くや、JRに乗り換え奈良に向かう。 環状線から見た浪速の町は華やかなり。 ショッピングや海外旅行の話に夢中になっている中年女性たちの元気な声。 「あー、大阪は何も変わっていないなぁ」と実感すると急に空腹感を覚えた。 途中、JR天王寺駅で立ち食いそばを食べて、焼きソバ3人前をお土産に買い、午後七時頃にJR大和小泉駅に着く。 両親が準備したお風呂で神戸の汚れを洗い流し、温かい夕食と、そして焼きソバの前菜を皆でいただく。 初めてテレビで神戸の惨状を見て涙が流れた。 興奮冷めやらぬまま床につく。 残してきた仏典や『ダンマパダ』が火事で消失しないかと心配しながら・・・・・・。


今できることに専念

翌十九日、親族の一人から車を借りて、三年ぶりにハンドルを握る。片道九時間かけて奈良と三宮を往復する。(到着後)小生にとって大事なパーリ仏典をはじめ『ダンマパダ』関係の書籍などを運び出し、(同日)夜九時すぎ、北野町を出発する。その夜から国道2号線・43号線、大阪・神戸方面行きが全面規制となった。岡本地区で火事が発生とカーラジオが伝える。2号線付近は真夜中になっても人の往来は途切れない。一帯のホコリが車のヘッド・ライト群によってスクリーンのように写し出され、その屈折した明かりが崩壊したビルの残骸を、沈黙の歩行者たちをとらえる、白と黒の世界なり。けたたましいパイロット・カーに先導されて大形クレーンを積んだトラック一団が、緊急物質運搬車一団が、自衛隊が、通過する。各交差点には警察官たちが交通整理に追われ、次から次へと救急車がやって来る。

ようやく翌朝(二十日)、激戦地から奈良に戻る。もうくたくたであった。それから以後、奈良と神戸を電車と代行バスを利用して往復、家と店の後片付けに励む。将来の展望について、いくつかのアイディアもあるが、今はいろいろなことを静観しながら、先ず、今できることを行なうことに専念。適度の休息も忘れずに。 先日、「ウイラ」の店をこの二月二十八日をもって閉店することを決断する。そして、奈良県大和郡山市小泉町235番地に移転して『ダンマパダ』の続編発行に努力する覚悟なり。従来の宅配は、『ダンマパダ』をはじめセイロン紅茶・スパイス・白檀線香など変更なく行なう。

『ダンマパダ』完成に尽力  

さて、この阪神大震災によっていかに『ダンマパダ』の教えが今大事であるかと、小生、再確認する。 「少欲をもって足るを知る」・・・・、 マンション・車・家具その他いろいろな贅沢品をたくさんもっていたにもかかわらず、大地震によってこれらのものを一瞬に失った人々の嘆きはたいへんなもの。家が崩壊した上に十~二十年のローンがまだ残っている人々、また、さらにその上に新しく住宅ローンをたてなければならないと考えている人々の苦労は。 しかし、仏陀の教えの一つに「満足は、自分の人生の中で手に入る財産の中で最大のものである」とあり。 連日、テレビのコマーシャルは、地震が起ころうが、親族が死のうが、戦争が始まろうが、餓死者が何千人出ようが、戦死者が何千人出ようが休みなく放映され、人々の欲望に火をつけ続ける。 ドラマは、好き勝手の言いたい放題、願望と空想と愛執の世界を作り続ける。 「苦しみの原因は渇愛(執着)にある」「愛執から苦しみが、恐怖が生じる」という仏陀の教えから見れば、その逆の世界がテレビ・ドラマではないか。 また、多くの人々は、暖かいベッドで安らかな死を迎えることを望みます。 芦屋・西宮・神戸の、特にお金持ちほどその条件を満たしている人たちはいなかったと思いますが、しかし、この大震災によってこの願望も打ち砕かれました。

【右写真:震災直前に発行された『ダンマパダ』五分冊シリーズ その(3)】


 又、東灘・長田・兵庫区では一人暮しの老人の多くも圧死・焼死しました。 たいへん気の毒なことです。 ところで、亡くなった人の価値は、その悲惨な死によって下がるものなのでしょうか? テレビ放送で災害シーンを見た全国の視聴者たちは、あのような悲惨な死を迎えたくないと嘆き、また恐怖していることでしょう。 小生も同じです。 しかし、『人は必ず死ぬ』にもかかわらず、その時期がなかなか予想し難く、今回のような自然災害、又は交通事故・殺人・ガン・延命治療、その他の原因によって自分が願望する、安らかな死を得ることがなかなか難しい。

 『ダンマパダ』その(三)の第百三十八~百四十詩偈に、仏陀の偉大な弟子の一人マハーモッガラ-ナ長老の最後が紹介されております。あの予知能力に優れた長老さえも、自分の悲惨な死を予知しながらあえてその死を迎えました。 第百七十三詩偈のアングリマーラ長老もしかり。 ここで仏陀は、『常日頃から四念住などの瞑想を通じて、自分の死を心の中で想像してごらん。 ・・… 死は確実なものである。 人生は不確実なものである。 生きとし生けるものは常に変化し、やがて死ぬべき運命にある。 この真理をよく自ら観察しなさい。』と教えておられます。 そして、どのような形で死を迎えるかという外見上のことより、生きている間に、どれだけの善行を積んでいるか、どれだけ苦しみの原因である渇愛を自らの努力によって薄め減らしているかという内面的な問題を問われているのではないでしょうか。

「善行を積んだ人は、仮に悲惨は死を迎えても、死後、善い世界に輪廻転生する。 また、一切の渇愛を尽滅して最高の悟りを得た阿羅漢聖者は、どの世界にも生まれ変わることがない」。 逆に、悪行をなし、人の弱みにつけ込み、あくどい方法で金儲けをし、金にものをいわせて、仮に、豪華な病院の暖かいベッドで死を迎えたとしても、その人は、死後、地獄に落ちて苦しまなければならないということでしょう。 また、人々は、恐怖にかられて、実に山や森、園、樹、神社などいろいろな所へ出掛けては、心の依り所とした。 しかし、これらは心の平安の依り所とはならない。無上の心の依り所ではない。 これらを心の依り所にしても、全ての苦しみから解放されることはできない。 正しい真理を発見した仏陀・正しい真理の教え・正しい真理の教えに従い修行をする出家の集まり・・・・・ すなわち、苦の真理、苦の原因の真理、苦の原因を滅する真理、苦の原因を滅する道の真理、・・・・・・ これが実に、心の平安の依り所である。 これが無上の心の依り所である。・・・・」(『ダンマパダ』その〈三〉第百八十八~百九十二詩偈)とも教えておられる。

 この大震災で、僧侶は葬式で死んだ人間にお経を唱えるのにたいへん忙しいようです。しかし、本来仏陀の教えは、生きている人間、今苦しんでいる生身の人間に向かって説いている、と小生思っております。 『ダンマパダ』を読めば、一目瞭然それがわかります。 現在、ビルマ高僧ウ・ウィジャーナンダ師の協力・監修の元で執筆中の続編にも「死」に関する仏陀の心温まる教えがたくさんあります。 大震災によって小生の生活環境も激変しました。 しかし、何とか頑張って、この『ダンマパダ』だけは完成させたいと強く願いながら、今日も店の後片ずけに追われております。 これからも宜しくご指導ご協力をお願い申し上げます。

【1995年3月2日中外日報掲載記事より】



2005年8月

ノッパドーン シリワッタノー師
Phra Aacaan Nopadhol Sirivadhno
1955年:バンコック生れ、
     海軍航空大学卒
1981年:得度
2004年:仏教教理一級取得
出家歴:24年


 自然は、最もすぐれたダンマ(真理)の表現者である! 


 プラ、プッタバード・ダモ寺院は、今からおよそ80年前に、シリーウィチャイ師とアピチャイ師の両師によって、
村落からほどよく離れたこの地に出家比丘(僧侶)のための修行場として建てられました。 

 私は、この寺院で止住し始める前の、1975年からの4年間は、国際仏教修行センターに在籍し、その後の
1994年からは当寺院でエイズ(HIV)患者に対する支援活動 ー仏教実践の指導と自然薬の製造と配布ー
を行なってきました。

私は、この寺院の住職としていくつかの方針をもっています。

 その一つに、当修行場を仏教の実践修行に関心をもたれている方々のための、「ダンマとの出会いの場」に
していきたいということがあるのですが、それは、それぞれが自身の中に「自然」を、つまり「あるがままである
事」を発見することにおいてのみ可能であると考えています。 

 時には慈悲深く、時には過酷な、この自然からダンマ(真理)を学ぶ機会を、タイ人だけではなく外国の方々
とも分かち合うことができれば幸いです。

 チェンマイから2時間以上かかる周囲には村落もない山寺での、食事も玄米が主食の菜食を一日一回とい
った修行生活ですが、仏教実践に真摯な興味をいだく方の訪院をお待ちしています。


繁栄されますように、


Phra Aacaan Nopadhol Sirivadhano

(プラ プッタバート・ダモ住職)

【連絡先】
 Wat Phrabhudabat- tamoa 
 T,Pongtung A,Doitao C,Chiangmai 50260 THAILAND                 
 Phra Takashi (Ochiai) Mahapungynyo (落合 隆)
 
 




2005年01月09日 


    『インド洋大津波被災!』  

  ミャンマー政府派遣僧ウ.ウィッジャーナンダ大長老



皆様、新年明けましておめでとうございます。今年で私は25回目のお正月を「世界平和パゴダ僧院」で迎えることができました。


今年は、日本は「酉(とり)」の年であります。鳥が大空を羽をひろげて元気よく羽ばたくように、景気の良い年でありますように、家族みんなが元気に飛躍するようにという願いが込められていると聞きます。私の母国ミャンマーでも鳥は人気があります。特に「フクロウ」は、ビルマ語で「ズィーグェッ」と呼ばれ、幸福を招く鳥として、ちょうど日本の「招き猫」のような意味があり、漆器類など伝統的なデザインによく使われております。

今年も『ダンマパダ』の教えを通じて、ミャンマー・日本両国の友好の絆が大きく飛躍する年でありますように。


ところで、この年末に大きな地震がありました。12月26日にインドネシアのスマトラ沖に大きな地震が発生、同時に大きな津波がインド洋周辺諸国を襲い、インドネシア・タイ・ミャンマー・インド・スリランカなど現地の人々をはじめ外国からの観光客を呑み込みました。

ヴァカンスに訪れていた欧米や日本の観光客の方々にとって、美しい海岸で休暇を楽しんでいる最中の一瞬の出来事でありました。天国から地獄への変わり様です。私は、肉親を亡くして嘆き悲しんでいる被災地の現場を見て、『ダンマパダ』の次の詩句と因縁物語を思い出しました。


   『自分の子供や家畜に理性を失わされて、執着の意がある人を、
    ちょうど、眠れる村を大暴流が押し流す如く、死王は奪い取っていく。』  

                                (第287詩句、p322)

夫と二人の幼子と両親と兄弟を一度に亡くしたパターチャーラーという女性の話であります。ショックの余り彼女は身につけている衣服を脱ぎ捨て故郷のサーヴァティに向かって夢遊病人のようにふらふらと歩きはじめた。パターチャーラーの異常な姿を見て往来の人々は怪訝な顔をした。ある者は、「この気違い女!」と罵声を浴びせ、中には石や汚物を投げる者もいた。そのような迫害を受けながら彼女はいつのまにか仏陀がおられるジェタヴァナ僧院近くまで歩いていた。僧院では仏陀が信者たちに法を説いておられた。そして仏陀が神通力によってパターチャーラーを感知されると、「すぐに僧院の中にはいるように」とテレパシーを送られた。・・・・・・・(第113詩句、p146~p148)



人は、死ぬ時は畳(=ベッド)の上で家族に見送られながら安楽に死にたいと願います。又、ある人は密林の象の如く誰も知らない場所で死にたい、ある人は桜の花が咲く樹の下で死にたい、ある人は死ぬ前に余裕が欲しいなどいろいろ「死に方」に希望があるようです。

しかし、災害は突然やって来ます。誰もが予知することは難しい。もし、自分にできることがあるとしたら、それは、用心を怠らないことです。心の用心を怠らないことです。五力の「念力」の修習(p504、「念」)が、災害時の心の支えとなってくれます。

具体的な話が第174詩句の因縁物語「機織りの少女」(p218)や第212詩句の因縁物語「仏陀、死について語る」(p254)などにあります。どうぞ、参考にしてください。

傷ついた痛ましい遺体に家族の人たちは嘆き悲しみます。誠に、気の毒なことであります。善人の方々が悲惨な最後を遂げた話が『ダンマパダ』の中にも紹介されております。

例えば、大金持ちの息子マッタクンダリは若くして病死、死後三十三天界へ輪廻する(第2詩句、p2)。預流果を得た牛飼いのナンダが矢を射られて死ぬ(第42詩句、p54)。修行中に重い病に倒れて死ぬ比丘ゴディカ(第57詩句、p77)。ライ病患者のスッパブッダは、預流果の悟りを得た後に牛の角に突かれて死ぬ(第66詩句、p91)。死刑執行人タムバダーティカは随順智を得た後、牛の角に突かれて死ぬ(第100詩句、p131)。バーヒヤは阿羅漢果を得た後に牛の角に突かれて死ぬ(第101詩句、p133)。ティッサ長老が信者の男に棒で叩かれた傷が原因で死ぬ(第126詩句、p160)。マハーモッガラーナ長老は複数の人間に殴り殺される(第137~140詩句、p174)。アングリマーラ長老は飛んできた石が頭に当たりそれが原因で死ぬ(第173詩句、p215)など。

仏陀も、旅の途中、クシナーラの地で「野垂れ死」の最後でありました。『ダンマパダ』アップグレード版の中のこれらの因縁物語を読まれた読者の方々は、すでにお気ずきでしょう。人が幸福な人生を過ごしたか、不幸な人生を過ごしたかを判断するのにその人の「死に方」などは基準にならないことを。「生き方」によって決まるものであると理解されておられることでしょう。被災者のご家族の方々には、もうこれ以上嘆き悲しむことがないようにお祈り申し上げます。

この大津波で生き残った人たちも、又いずれ死ぬ時がおとずれます。病院で手術によりて病が回復した人にも、いずれ死がおとずれます。戦争で生き残った兵隊にもやがて死がやってきます。

そうです、仏陀は、「人生は如何に生きるべきか」「人間は如何に生きるべきか」「今日一日を、如何に生きるべきか」について説いておられるのであります。


  『母も父も、その他の親類たちも、その人を[幸福に]することはできない。
   正しく[善に]おかれた心だけが、その人をより以上に優れた[幸福に]する。』  

                                      (第43詩句、p57)

 『自分自身によって実に為された悪行は、自分自身の汚れとなる。自分自身が悪行を為さぬことによって、
 自分自身が清浄となる。清浄と不浄とは明らかに別々である。決して他人が他人を清めることはできない。』

                                                 (第165詩句、p209)


最後に、インド洋大津波で亡くなられたご家族の皆様に心から御悔み申し上げます。


  Aniccâ  vata sankhârâ    |   uppâdavaya  dhammnino     ||
  uppajjitvâ   nirujjhanti     |   tesam   vûpasamo  sukho.  ||

 『すべてのものは、生起しては、やがて消滅していく。生起・消滅の性質を有する
  諸行は、実に無常である。それ故、それらが静まることは、安楽である。

                                     (p256、註③より)


合掌




2005年01月09日


 『インド洋大津波被災 』 -スリランカ -


 千葉・佐原市「蘭華寺」副住職シーラバッドラ比丘(Seelabhadra Bhikkhu)


 皆様もご承知の如く、未曾有の大津波がスリランカをはじめインド洋周辺諸国を襲いました。死者・不明者の合計が15万人を越え、私の母国スリランカでも3万以上の人たちが亡くなりました。この数は最も被害が大きいとみられる北東部を除いた数字であります。タミール人過激派「タミル・イーラム解放のトラ」の支配する地域であるため被害の内容がまだわかっていないためです。まだまだ死者の数が増えると言います。

 連日、現地レポートがTV報道され、スリランカへ医療活動に参加されている日本人救援隊のメンバーの話などを通じて刻々と現地の様子を知ることができます。現在、被災地に対する救援・復興事業が、日本・米国・インド・オーストラリヤなどの「コア・グループ」と国連などが中心となって行なわれております。特に、日本政府の寛大で迅速な支援表明と緊急支援活動に対して、先日のアナン国連事務総長も高く評価されたように、私も日本の皆様にたいへん感謝しております。

昨年の夏、私は何年かぶりに母国に帰り、家族や友人たちと再会して約2ヶ月間ほど楽しい日々を過ごしました。みんなは津波の被害を受けたのだろうか、みんな大丈夫なのか、いったいどうしているのかと安否が気になります。母国の悲惨な被災現場をTVで見るたびに心が痛みます。なにもできない自分に対する苛立ちの気持ちを抑える日々が続きます。

私は今から慈の修習(mettâ  bhâvanâ)というお経を心を込めて静かに唱えたいと思います。生きとし生けるものが、みんなが幸せでありますように。


Mettâ bhâvanâ (慈の修習:『ダンマパダ』アップグレード版 p410~p413参考)

Aham avero homi, abyâpajjo homi, anîgho homi, sukhî attânam pariharâmi.

私が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、
いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。

sîmatthasamgho avero hotu, abyâpajjo hotu, anîgho hontu,  sukhî attânam pariharatu.

結界の内に住む出家修行者の集いであるサンガが、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、
苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。

sîmatthadevatâ averâ hontu, abyâpajjâ hontu, anîghâ hontu, sukhî  attânam pariharatu.

結界の内に住む神々が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、
いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。
amhâkam gocaragâme jetthakamanussâ averâ hontu, abyâpajjâ  homi, anîgho hontu, sukhî attânam
pariharantu.

私たち出家修行者が托鉢で回る町の老人が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、
苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。

amhâkam gocaragâme manussâ averâ hontu, abyâpajjâ hontu, anîghâ hontu, sukhî attânam pariharantu.

私たち出家修行者が托鉢で回る町の人々が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、
苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。
puratthimâya disâya, dakkhinâya disâya pacchimâya disâya, uttarâya disâya, puratthimâya anudisâya,
dakkhinâya anudisâya, pacchimâya  anudisâya,  uttarâya anudisâya, hetthimâya disâya, uparimâya
disâya, sabbe sattâ, sabbe pânâ, sabbe bhûtâ, sabbe puggalâ, sabbe attabhâva pariyâpannâ  sabbâ
itthiyo sabbe purisâ sabbe ariyâ, sabbe anariyâ, sabbe devâ, sabbe manussâ, sabbe vinipâtikâ averâ
hontu, abyâpajjâ hontu, anîghâ hontu, sukhî attânam pariharantu.

東南西北・北東・南東・南西・北西、下方、上方に住む一切の有情、呼吸する一切の生き物、身体をもつ
一切の生きもの、食べ物によって生きる人間・動物・神々など一切の生きもの、卵などをもつ一切の生きも
の、すべての女性、すべての男性、すべての聖者、すべての凡夫、すべての神々、すべての人々、阿修羅
など悩みさ迷うすべてのものが、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、
いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。
uddha yâva bhavaggâ ca, adho yâva avîcito. samantâ cakkavâlesu, ye sattâ pathavicarâ. udakecarâ,
âkâsecara, abyâpajjhâ niverâ ca, niddukkhâ ca nupaddavâ.

上は、三十一天界の非想非非想処天(DhpーU.p263、図表)という最上天に至るまで、下は、無間地獄に至
るまで、あまねく世界において地上で生活する有情、水中で生活する有情、空中で生活する有情が、怨み
のないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に
暮らせますように祈ります。
yam pattam kusalam tassa, ânubbhâvena pânino. sabbe saddhammarâjassa, ñatvâ dhammam sukhâvaham.
pâpunantu visuddhâya, sukhâya patipattiyâ. asokam anupâyâsam, nibbâna sukhamuttamam.

私たちの得た善の力によって一切の生きものが、幸福をもたらす正法の王(=仏陀)の法を正しく理解し、
清浄と安楽の実践によって憂いもなく、悩みもない最上の幸福である涅槃の境地にいたれ。
ciram titthatu saddhammo, dhamme hontu sagâravâ. sabbe pi sattâ  kâlena, sammâ devo pavassatu.

正しい法は、永遠であれ、一切の有情は法を尊重せよ、雨は、適切な時に降れ。
yathâ rakkhimsu porânâ, surâjâno tathevimam. râjâ rakkhatu dhammena, attano va pajam pajam.

昔の善き王たちが守った如く、王は、この人々を法によって我が子のように守れ。
" sabbe sankhârâ  aniccâ " ti, yadâ paññâya passati. atha nibbindati dukkhe, esa maggo visuddhiyâ.

『諸行は、無常である』と、観の修習による智慧によって観る時、次に「苦」を厭う。これが、清浄への道
である。(Dhp-U.p313、第277詩句)
" sabbe sankhârâ dukkhâ" ti, yadâ paññâya passati. atha nibbindati dukhe, esa maggo visuddhiyâ.

『諸行は、苦である』と、観の修習による智慧によって観る時、次に「苦」を厭う。これが、清浄への道
である。(Dhp-U.p313、第278詩句)


" sabbe dhammâ anattâ" ti, yadâ paññâya passati. atha nibbindati dukhe, esa maggo visuddhiyâ.

『諸法は、無我である』と、観の修習による智慧によって観る時、次に「苦」を厭う。これが、清浄への道
である。(Dhp-U.p313、第279詩句)
appamâdena bhikkhave sampâdetha, buddhuppâdo dullabho lokasmim, manussattabhâvo dullabho, dullabhâ
saddhâsampattî, pabbajitabhâvo dullabho, saddhammassavanam dullabham, evam divase divase ovadî.

比丘たちよ、汝たちは、不放逸によって修行の目的を成就せよ。仏陀の出現は、世に得難いことである。
人間として生れてくることは、得難いことである。信仰をもつことは、得難いことである。出家修行者になる
ことは、得難いことである。正しい法を聞くことは、得難いことである。このように日々説かれたのである。
handa dâni bhikkhave âmantayâmi vo vayadhammâ sankhârâ appamâdena sampâdethâ ti.

比丘たちよ、今、汝たちに説こう。諸行は、滅するものである。汝たちは不放逸によって修行の目的を成就
せよ。
ettâvâtâ ca amhehi, sambhatam puññasampadam. sabbe devânumodantu, sabbasampattisiddhiyâ. dânam
dadantu saddhâya, sîlam rakkhantu sabbadâ. bhavanabhiratâ  hontu, gacchantu devatâgatâ.

このように私たちが積んだ功徳の成就を、一切の神々は喜べ。一切の幸福の成就のために、業と業果の
因果を信じて、布施をせよ。常に戒律を守れ。修習を楽しめ。集いに来た神々は、今から帰るがよい。
sabbe buddhâ balappattâ, paccekânañ ca yam balam. arahantânañca tejena, rakkham bandhâmi sabbaso.

一切の力を具えた諸仏の、辟支仏の、阿羅漢聖者たちの威光に護られて、私は、よく仏陀を念じます。
imâya dhammânudhammappatipattiyâ buddham pûjemi.

私は、この悟りの法に至る実践により『仏陀』を、供養します。

imâya dhammânudhammappatipattiyâ dhammam pûjemi.

私は、この悟りの法に至る実践により『法』を、供養します。

imâya dhammânudhammappatipattiyâ sangham pûjemi.

私は、この悟りの法に至る実践により『サンガ』を、供養します。
addhâ imâyâ patipattiyâ jarâ maranamhâ parimuccissâmi.

私は、必ず、この実践によって、『老い』と『死』より解脱するでありましょう。


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P.S. 在日スリランカ大使館では、インド洋大津波の被災者に対する義援金を受け付けております。医薬品など物資の調達や家屋・学校などの再建に使われるとの事です。お問い合わせは、同大使館まで(TEL 03-3440-6911)。 





2003年03月28日

 在日ミャンマー僧ウ.スセンナ比丘 特別寄稿 

慈しみの心に、目覚める!

ー 実践「ウィパッサナー観法」 初級編 ー

ウ.スセンナ比丘(U.Sucinna Bhikkhu)
1954年7月ビルマ国Magwe県Gangaw市に生れる。
20歳の時、出家。マンダレー市のムーゴン僧院
(Mo Kaung)にてパーリ三蔵の学習・実践に励む。
34歳の時、来日。現在、北九州市門司区の宗教
法人「世界平和パゴダ僧院」に在住、同僧院の責
任役員。「パーリ語仏典CDシリーズ」第6号『六方
礼経』のパーリ経文を読誦されておられる。


 日本の皆様、はじめまして! 私はウ.スセンナという名のビルマ僧です。今から十五年前、上座部佛教の布教のため日本にやって来ました。例年ながら、日本の冬は寒いです。特に今年はいつもより寒さが厳しいと感じますが、皆様は如何でしょうか? あたたかい国からやって来た私にとって、毎年、日本の冬に閉口します。

 さて、21世紀は「心の時代」とも言われております。日本の人々は、戦後の高度成長によって車・テレビ・冷蔵庫・洗濯機などいろいろな製品を家庭の中に持ち、世界的に見てもたいへん高いレベルの文化生活を過ごしておられます。日本はアジア随一の経済大国であります。私の国ミャンマーでは考えられないほどたくさんの物が溢れております。しかし、その反面、精神的な喜びを求めたいという方々も年々増えているようです。新しい物を買っても昔ほどのうれしさを感じない、手に入れた時の満足度も低くなった、人との疎外感を感じるなど、拝金主義と豊かな社会がもたらす深刻な『心』の問題が生じているようです。

そのためか、近年、佛教に興味をもつ人たちが増えているようです。この人たちが求める「佛教」とは、これまでの葬式佛教やお経の棒読みといったようなものではなく、お釈迦様の教えを理解して、お経の意味もわかり、そしてお釈迦様が説かれた瞑想によって「心の喜びを感じたい」「心の平安を得たい」「慈しみの心をもちたい」という、外形よりも中身について、積極的にアプローチされておられます。この佛教の原点を見直そうという空気は、一般の人だけにとどまらず、僧侶や尼さんたちにも広がり、私の所へも訪ねてこられては、仏陀本来の教えについていろいろご質問をされたり、又、瞑想指導を受けておられます。

ご承知のように、私の母国ミャンマーはたいへん貧しい国です。今も学校や医療施設も十分ではありません。それ故、私たちミャンマー人は、物質的な豊かさを目指すならば、大きく経済発展した日本を手本としていろいろ多くのことを日本から学ばなければなりません。

しかし、「佛教」に関しては別であります。ミャンマーの佛教は、長い伝統があり、仏陀時代の修行生活を護持しながら、今日も人々の中で生き続けております。特に、「アビダンマ(論)」の研究については千年の歴史があり、その業績は他の追随を許しません。

今から約六十年前にマハーシ長老が「ウィパッサナー観法(観の修習)」という瞑想方法を発表しました。伝統的な「止(禅定)の修習」が中心であった当時の比丘サンガは、最初、反対の立場をとりましたが、その後内容をよく吟味されると、やがて採用するようになりました。今では「止の修習」と「観の修習」とを併用しながら一般のミャンマー人も瞑想に励んでおります。

さて、今からマハーシ長老の『ウィパッサナー観法』について実践しながら紹介したいと思います。この寄稿文は、以前私が世界平和パゴダ僧院の「瞑想道場」にて日本の方々に指導した内容を文章化したものであります。
尚、サブ・テーマは『慈しみの心に、目覚める!」であります。

それでは、瞑想をはじめる前に瞑想の邪魔になるような雑用をすべて終らせてください。これは、たいへん大事なことです。

次に、先ず、ゆっくりと座って下さい。足の組み方は、正座でも構いませんが、正式には「結跏趺坐」(けっかくざ)と言う、右足の甲を左足の腿の上に乗せて、左足の甲を右足の腿の上に乗せるなど、両足を重ねている形が正式な足の組み方があります。むろん結跏趺坐ができない人は、どちらかの足を片方の足と重ねるだけでも別に構いません。あるいは足をあぐらの形に組む、足を交差させずにそのまま座るでも構いません。又、座布団を折って半分に敷いて座るでもよろしいです。肝心な点は、自分にとって一番楽な座り方であるということです。


手は膝の上に置いても構いませんし、握っていてもかまいません。お腹の下あたりへと右手と左手をそのままクロスさせて乗せている、仏像によくある形ですけれども、そういう形でも構いません。親指と親指とが軽く触れる形をしている場合が日本では多いようですね。

次に、目を閉じてください。一般的に日本では半眼に開けるというケースが多いようですけれども、初心者には目を閉じた方がやりやすいです。というのは、これからやる瞑想は「ウィパッサナー観法」と言いまして、細かく自分の心の動きを見る瞑想です。それゆえ、心の扉だけを開けておくことが一番大事なのです。

人間には六つの門があります。ひとつは目の門、ひとつは鼻の門、ひとつは口の門、ひとつは耳の門、ひとつは体の門、ひとつは心の門という、六つの入り口があります。例えば、一人の男が大きなトカゲを捕まえようとしたが、トカゲが六つの穴がある蟻塚に逃げ込んだとします。男はトカゲを捕まえるため、五つの門を閉じて一つだけを開けたままにしておけば、隠れたトカゲがその門から出て来たところを捕まえることができます。
目で見ながら、耳で聞きながら、体で触れながら、その「心」をつかまえようとしても「心」は簡単にとらえられるものではありません。なかなか難しいです。ですから、五つの門を閉じて一つの門だけ開いたままにして待つという作戦が必要なのです。(『ダンマパダ』アップグレード版の愛読者は第282詩句の因縁物語「ポッティラ長老」を参考にしてください。)

そのためには目は閉じます。静かな所、できるだけ音が聞こえない場所に座ってください。そして、他の人と話をすることは、瞑想にとって一番駄目なことですから、瞑想中は一切誰とも口をきかないでください。体に触れたり、手をどこかに触れたりしてはいけません。鼻に刺激を与える香り、あまり嫌な香りがするような所では瞑想をやらないことです。5つの門を閉じて、ひとつの心の門だけ開けて、心の動きを自分でとえるというのが「ウッパサナー瞑想」の一つの仕方です。
 さて、ウッパサナー瞑想に入る前に、その準備の段階として「慈しみ」の瞑想からはじめたいと思います。

これは、『慈しみの心』に目覚めるための実践的な訓練です。佛教には、この世界を、「悟りのない世界(=世間)」と「悟りの世界(=出世間)」と大きく二つに分けて考えております。そして「悟りのない世界」には、「欲界」「色界」「無色界」があります。私たちは、貪欲と怒りと愚痴が激しく渦巻くこの「欲界」の世界に住んでおります。当然、この世界に住んでいる限り、人は、他人と関わり合う中で嫌な思いをすることが、どこに居ようが、起こります。もし、相手の人を憎んだり、怒ったりした場合、自分の怒りのエネルギーが相手の所へと届きます。そして、それを感じた相手にも怒りのエネルギーが生じて、憎まれたり、あるいは怒られたりするのです。相手からそのようなエネルギーが自分に返ってくるのを感じ(これは、自分がそういうエネルギーをもっているためですが)、自分の心がどんどんどんどんとその対象へ向かい、悪い方向にすすみ、心が汚れてしまい、病気になったり、さらに嫌な争いが増えるという悪循環が続きます。精神的な苦痛や悲しみの原因となります。


〔慈しみの心に目覚める〕

 其れゆえ、相手に対しての慈しみの心に目覚めるということが、幸せになるための大きな第一歩であると言えます。それでは慈しみの瞑想の練習をはじめたいと思います。足を組んでください。目を閉じてください。手は下の方で自由にして下さい。

先ず、最初に自分の幸せを願うのです。人は、自分が幸せになりたいために行動し、生活しているわけですから、まず最初に自分の幸せを願ってください。目を閉じて、ゆっくりと心の中で自分の幸せを願います。背筋と首が真直ぐになるようにして下さい。背筋をゆっくりと伸ばして首もゆっくりとあげてください。首が下がると眠くなります。背筋をのばして首と一直線になるような形になれば、眠気は生じにくくなります。背筋を伸ばすつもりでやってください。はい、よろしいですか。

それでは、先ず自分の幸せを祈って下さい。心の中で、ゆっくりと唱えます。「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」。5回でも10回でも、自分が幸せの気持ちでいっぱいになるまで、ゆっくりと自分の幸せを祈ってください。自分の心の中が幸せでいっぱいになったな~と感じたならば、次に、その気持ちをまわりに少しずつ広げていきます。

自分が幸せになるためには、自分の一番身近な存在である家族が幸せでなければなりません。それなくして自分の幸せはありません。家族ひとり一人の顔を思い出しながら、自分の家族の幸せを祈って下さい。自分の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族がしあわせでありますように。私の家族が幸せでありますように。

十分に自分の家族の幸せを祈ったならば、次にさらに広く自分のまわりに対して「慈しみの心」を広げて下さい。今、自分がこうして生活できるのは人の協力のおかげです。ですから、その人に感謝の気持ちを送り、その人の幸せを祈って下さい。私の親しい人が幸せでありますように、私の親しい人が幸せでありますように。私の親しい人が幸せでありますように。私の親しい人が幸せでありますように。

自分の親しい人の幸せだけではありません。自分がこうしてやれるのは、自分の取り引き先、自分の回りを取り巻く近所の人たち、いろんな人たちの協力があって自分の幸せがあるわけですから、自分のまわりの人、接触するすべての人たちの幸せを祈って下さい。自分の回りの人たちが幸せでありますように。自分の回りの人たちが幸せでありますように。自分の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。

今度は自分を取り巻く全ての環境を、人々を、動物たちを、昆虫を、まわりにいる天界、あるいは地獄・餓鬼にいる化生を、そのようなすべての生きもの、自分を取り巻くすべての生きものの幸せを祈って下さい。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。

「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」という気持ちがいっぱいになって、自分の心がそれに満たされたならば、最後に自分にとって好ましくない人、自分と争いをしてる人、あるいは自分が嫌いな人、相手からも自分が嫌われているだろうと思う人、そういう人たちが必ず身の回りにいるはずです。どうもあの人は私の考えに反対する、虫が好かない、そういう人に対しても感謝の気持ちを送って下さい。ー 汝の敵を、愛せよー です。

自分を嫌いな人,自分が嫌いな人,その人たちが幸せでありますように。自分が嫌いな人,その人たちが幸せでありますように.自分が嫌いな人,自分を嫌いな人、その人たちが幸せでありますように。念を送るときには、その人の顔を思い出しながら、その人の幸せを心から祈って下さい。「必ずその人が幸せになれるように」と。
 『業』(kamma)というのは、全て心の為せるわざ,心がつくるものです。『心』の中に浸透すれば、その業が働きます。カルマができるということであります。それ故、心から、その人の幸せを祈って下さい。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。

 最後に、もう一度,生きとし生けるものの幸せを祈って下さい.生きとし生けるものが幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。

朝、目がさめた時、あるいは夜寝る前に、布団の上でも結構です。畳に座ったままでも結構です。ベッドに腰掛けても構いません。慈悲の瞑想を、ほんの10分でも行なうだけで,翌朝の目覚めが違います。健やかな気持ちで目がさめます。そして、この気持ちを大事にしながら今日一日がはじまる。それは自分の幸福につながると思います。できれば、夜寝る前に慈悲の瞑想をやることをおすすめします。そして朝起きた時に、さらに慈悲の瞑想を行なってから1日の行動を開始する。これが一番いい方法だと思います。
 自分の気持ちを「慈しみの心」でいっぱいにすることによって,自分が多くの人たちから支えられて幸せになると実感できるのであります。それゆえ、いつでも、どこでも、どんな場合でも、このような「慈しみの心」,「相手の幸せを願う心」を抱いていただければ一番いいと思うのであります。自分の心の中に、嫌な人の幸せをも望む『慈しみの心』があることに気ずく。なんと幸せなことでしょうか!
 瞑想を続けます。- それでは立ち上がってください。次に「歩く瞑想」をいたします。私が「目は開けます」と言ってから、皆さんは目を開けて下さい.足を崩す時も、右足をくずします、左足をくずします、伸ばします、伸ばします、立ち上がります、と一つの動作を行なうごとに、心の中で、その気持ちを伝えてください。そして、ゆっくりと,病人のようにゆっくりとした動作で立ち上がってください。はい、よろしいですね。
【歩く瞑想】

はい、それでは,今度は歩く瞑想です。歩く瞑想の中にはいくつかの高いレベルの段階がありますが、今日は、はじめの三段階までを紹介したいと思います。歩く場合にも、まず立ってるということを認識してください.今私はこの場に立っている、足が地面についている、床に立っている、立っているということを認識して下さい。
はい、次にお腹の臍のあたりに軽く手をあててください。片手で結構です。右手でも左手でもどちらでも結構です.軽く当てるとお腹が上下しているのがわかってくると思います。お腹がゆっくりとふくらんでくる、そして、下がっていく、ふくらむ、ひっこむという動きを、一つひとつ、これを認識して下さい.立っている、少しふくらむ、ひっこむ、ふくらむ、ひっこむ、という形で認識して下さい。それでは、よいよ歩き始めます。よろしいですか。
それでは最初の第一段階として、右足から歩く人は、右足から右、左、右、左、と歩く自分の足に、心を集中してください。左から先に行く人も、左、右、左、右とゆっくり一つひとつの足の動作を認識して下さい。それ以外のことは考えないで下さい。速く歩く場合も、左、右、左、右、左、右と一つ一つ認識して歩いて下さい。はい、そのまま一周いたします。止まる時も、ゆっくりと「止まります」と言ってから止まって下さい。そして、向きを変えます。はい、「向きを変えます」と言って、向きを変えます。はい、こちらへ戻ってきて下さい。左、右、左、右、左、右、左、右、左、右、 ― はい、今度は、はい、向きを変えて、ゆっくりと、今よりも少しゆっくりとなります。
次に第二段階へすすみます。第一段階では一拍子で、左、右、左、右といきました。今度はひとつの動作の中に、「上げる」、「下ろす」という二つ言葉がはいります。では左足からいきます。「上げる」、「下ろす」,はい、次、右足を「上げる」,「下ろす」、又、左上げる,下ろす。今度は右という言葉も,左という言葉もいりません。上げる,下ろす、上げる、下ろす,上げる,下ろすという形をもって、そのまま歩いて進んで下さい。よろしいですか、はい。上げる,下ろす,上げる、下ろす,上げる,下ろす、上げる,下ろす,上げる,下ろす,上げる,下ろす。はい、そのまますすんで。こちらへゆっくりと帰ってきて下さい。上げる,下ろす,上げる,下ろす。はい、止まります。はい、向きを変えます。
最後の第三段階へすすみます。今度は、やはり左足からいきますけど、「上げる」,「運ぶ」、「下ろす」という三つのパターンになります。よろしいですか。ゆっくりと右足を上げます。上げる⇒運ぶ⇒下ろす,はい、運ぶ足も右足の先から出ないように、右足のちょうど親指にあわせる、踵が着くぐらいの状態でゆっくりと上げていきます。よろしいですか。はい、上げる,運ぶ,下ろす。はい、目が自分の足の裏全体にあるように意識してください。はい、上げる、ゆっくりと目が足の裏からあがってくる感じをつかんでください。そして、運びます。はい、運ぶ、はい、運びました。はい、ゆっくりと下ろす。だんだんと下ろす感じを自分の心で、しっかりと、足の裏に自分の心があるような感じをつかんでください。はい、上げる,運ぶ,下ろす,上げる,運ぶ,下ろす,はい、続けて下さい。上げる,運ぶ,下ろす、ゆっくりと、できるかぎりゆっくりと、自分の心を集中させて、足の裏へと自分の心を集中させて、ゆっくりと上がって行く動作を自分の心で見つめてください。はい、その時に,違うことを考えます。「あ~今日は、何のテレビを見ようかな」「あいつはこんなこと言ってたな」。足を上げていると思った時に、違うことを考える,足を運ぼうと思った時に、別なことを考える。
それに気ずいた瞬間、その場で、ゆっくりと動きをストップさせてください。そして、考えた,考えた、あるいは何かを想像したら、想像した、想像した、あるいは、思い出していたら,思い出した,思い出した,あるいは、人と話をしていることを想像したら、話をした、話をしたなど、心をそちらの方へと向けて下さい。歩く瞑想中に、もし、身体のどこかが痒くなり我慢ができない場合は、そこでもやはり動き停止して、手をあげます、触ります、かきます、と言って、ゆっくりと、かいてください。途中から違う動作をやらないで、心を必ずそこに向けて、意識してください。このようなパターンの瞑想を繰り返し続けていくと、心はいくつもあるように思えてきます。歩く、話す、走る,飛ぶ,あるいは食べる,いろいろな動作が意識しながら出来ます。心でいろいろなことができるかのように思うため心は多くあるように見えますけど、しかし、実際には、心は一つしかありません。心は、単なる認識する作用なのです。※心の認識作用については『ダンマパダ』アップグレード版全一巻の付録編(1)を参考にしてください。
その心が、一つの所縁(対象)を認識する速さは、たいへん速いです。光の16倍とも、あるいは20倍ともいわれるほどの速さで、ちょうど、映画のフィルムの一コマ、一コマのように、心は認識を繰り返しています。ですから、足をあげながら、運びながら、いろんなことを心は考えているように思えますけど、実際にはひとつの心が次から次へと動いているだけなのです。上げる、運ぶ,下ろすということにさらに集中できれば、心はその範囲内に止まっています。これが、心という門だけを開いた一番の訓練の方法なのです。基本的なサマーデー(禅定)という『一つの定』という状態を作るための方法なのです。
皆さんは、例えば、音楽を聴きながら,料理を作る,勉強をする,あるいは運動をするなどがありますが、「~しながら」ということは、物に集中していない場合が多く、又、ものを覚える場合でも、「~しながら」では、暗記に集中できず、それほどの成果を得られません。さらに又、道を歩く場合でも、友人とおしゃべりしながら歩いていると、おしゃべりの方に夢中になり、周りの歩行者に注意がいかず、接触事故を起こすなど非常に危険なことが起こりやすいのです。例えば、車を運転中に片手で携帯電話を操作していたために交通事故を起こしてしまうなどです。反対に、ひとつのことだけに集中できる力がつくと、心はものすごい力を発揮し、才能を大いに伸ばします。例えば、短期間でものを覚えられることができるようになります。それゆえ、一つのことに心を集中させることは、たいへん大事なことなのです。
今から、その練習をはじめましょう。はい、ゆっくりと座りますと念じながら、又は腰をおろしますと念じながら,腰をおろしてください。はい。足を組みます。手を組みます。目をつぶります。背筋を伸ばして。はい、今度は,心を呼吸に向けてください。目,耳,鼻,口,体の5つの門が閉まりました。心の門だけが、開いています。この心を、自分の身体の中で動いているものに、一つだけを選び、集中してください。例えば、呼吸があります。心臓の鼓動もあります。皆さんの心臓は今は全員動いていると思いますが、初めての方にとって心臓は速すぎます、なかなか心臓の鼓動を一つ一つ認識するのは難しいです。そこで、呼吸に合わせます。呼吸は面白いもので自分の意思で長くしたり短くしたりすることが出来ます。意識せず勝手に放っといても呼吸はしています。初めに、自分の意思で呼吸をせずに、体の呼吸に合わせて、その呼吸を自覚してください。よろしいですか。さっきと同じように、背筋を伸ばして、足を組みましたら、お腹の臍の周りにゆっくりと手を当ててください。あまり強く当てずに、そっと、柔らかく当ててください。はい、はい、そして、自分が呼吸しているのをゆっくりと意識してください。はい、最初は意識して、ふくらむ、へこむ、ふくらむ、へこむというパターンで、自分の呼吸を意識して、少し強めにお腹をふくらませて、あるいはお腹をへこませても構いませんよ。はい、よろしいですか。必ず、動いているのがよく分かるように意識してください。
はい、それでは目をつぶって、そのままゆっくりと、ふくらむ、へこむ、ふくらむ、へこむというパターンを繰り返してください。はい、よろしいですか。 「ふくらむ」、「へこむ」、心と動作が合っていますね。はい、最初のうちは、5分間も集中することはむずかしいです。当然、違うことを心は考えてしまいます。その場合は、先ほどと同じように、「考えた」、「考えた」、呼吸を意識することからいったん離れて、考えたことだけをつかまえてください。

いろいろと頭の中で考え、ずーっと考え続けている人がいます。そのため呼吸に集中できないという場合は、心が散乱している、散乱してる、散乱していると、ゆっくりと散乱してる心をつかんでください。「散乱している」、「散乱している」、そのように心をゆっくりと散乱している『心』に向けてください。つかまりましたら、再び呼吸に入ってください。呼吸に入った。はい、そして心が呼吸から逃げて他のことを考えていることが分かった時、必ずその時に、「考えている」、「考えている」、という具合に認識して下さい。「思い出した」、「思い出した」、「話してる」、「話してる」、あるいは、「歌ってる」、「歌ってる」、という場合もあります。ともかく状況に合わせて自分で意識して下さい。わからなければ、「考えた」、「考えた」だけでも最初はかまいません。「考えた」、「考えた」ということが自分ではっきり意識できれば、その時、心をつかめたことになります。そして、考えた⇒考えた⇒考え終えた⇒考え終えた、という流れの中で「考えたこと」が消えましたら、また呼吸に戻ってください。ゆっくりと、また呼吸にもどってください。はい、だんだんだんだん、最初のうちは、10分、15分と座っていられないかもしれません。そしてすぐに眠くなるかもしれません。
そのような状態になりましたら、「眠くなる」、「眠くなる」ということを、先ず自覚してください。眠くなる心をつかめてください。やがて眠くなる状態から眠くない心が生じて、眠たくない気分となってきたら、「眠たくない」、「眠たくない」という心をつかんでください。はい、もう眠たくありませんね。

しかし、まだ眠気が続く場合、一度体を起こします。「体を起こします」と言いながら、背筋をのばしてください。首と背筋をまっすぐにしてください。手は、どちらでもかまいません。おなかの下あたりに組んでおいても構いません。それでも眠気が取れない時は、『歩く瞑想』など変更してください。人は、いろいろな姿勢で瞑想することができます。しかし、その中で一番心が集中できるのは、坐る瞑想、すなわち『坐禅』であると言われます。
さて、だんだんと瞑想が深まってきますと、お釈迦様がやっているように手を組んだ形で置く方が一番楽であると気ずいてきます。最初は自分が一番やりやすい方法で手を組んで構いません。呼吸する時、吸う場合は鼻から吸った方が楽でしょうね。はい、ゆっくりと鼻から吸って、そして、出す場合は口から出しても鼻から出しても構いません。口から息を吸うことを続けていますと、やがて喉が乾き、又咳込むことがあります。吸う場合は必ず鼻から吸う方が楽だと思います.息は鼻から吸い、そしてゆっくりと口からでも鼻からでも出すということで善いと思います。はい、そのような形で自分の呼吸を常に、呼吸に合わせて、吸います、あ、失礼、ふくらみます、へこみます、ふくらみます、へこみます、あるいは、吸います、はきます、吸います、はきます、でも構いません.どちらでも構いませんから、それに合わせて、呼吸に自分が合わせて、それに心を認識するということが大事です。慣れてくれば30分でも1時間でもその呼吸に合わせて座っているということができるようになります。
はい、今日は、最初の段階をやりました。ウィパッサナー観法を初めてなさる方々を対象に、初歩の段階の瞑想方法として、「慈悲の瞑想」と「歩く瞑想」、そして、「心を観察する」について簡略に説明いたしました。みなさん、今、学習したことを一日30分間ほどできるようになれましたならば、次の段階へすすみたいと思います。最後に、おさらいとして、30分間だけ瞑想をして終ってください。ここで注意すべきは、瞑想を止めるときも、必ず目を開ける、「瞑想をやめます」と言ってから、ゆっくりとやめることです。瞑想を始める時も、終る時も、きちっと、意識して、必ず言葉に出すことが初心者にとって肝要であります。
それではこれで終ります。

最後に、北九州市門司区の『世界平和パゴダ僧院』に常住する私たちミャンマー政府佛教会派遣僧は、僧院内の「瞑想道場」にて日本の方々に瞑想の指導も行なっております。又、東京など各地方にも布教に出掛けております。皆様から招請されて来日した私たちにとって、仏陀本来の教えを学びたい日本の方々に少しでもお役に立つことができれば、たいへんうれしいことであります。

この寄稿文を通じて、さらに多くの人々との「仏縁」が広がりますように。


宗教法人「世界平和パゴダ僧院」:北九州市門司区布刈山公園内  TEL 093-321-1024
ウ.スセンナ比丘(専用電話) TEL 090-3604-1864 (2006年5月10日更新)



更新日2002年07月06日

ミャンマーとの交流を!
[社]日本・ミャンマー友好協会本部へ
『ダンマパダ』アップグレード版全一巻を寄贈

写真左から池田正隆氏、保科会長(故人)、北嶋氏、ウ.ウィッジャーナンダ大長老
ー友好協会会報 第115号(平成12年10月) P10-11より抜粋ー


 当協会会員北嶋泰観氏は、かねて念願していた南方上座佛教徒に親しまれているパーリ語原始仏典『ダンマパダ』の詩偈およびその註釈書の内容紹介書を完成、出版した。同著書の監修者で北九州市門司区の世界平和パゴダ僧院在住ウ.ウィッジャーナンダ長老と共に本部事務所を訪問、聖句集『ダンマパダ』五分冊ならび今回完成したアップグレード版(中山書房仏書林)一冊を協会に寄贈。そのことが話題となり新聞にも次のように報道された。―
 パーリ語仏典の『ダンマパダ』を独力で日本語に註釈編集した北嶋泰観氏と監修したミャンマーのウ.ウィッジャーナンダ大長老ら一行が、八月三十日、社団法人日本ミャンマー友好協会を表敬訪問し、同協会会長の保科賢一氏(当時)に日本語訳『ダンマパダ』の五分冊とアップグレード版全一巻を寄贈した。
 北嶋氏は、平成四年から八年にかけて、仏陀の生の声を集録したといわれる最古の聖句集『ダンマパダ』を翻訳し五分冊に分けて自費出版。それから、さらに四年の歳月をかけて五冊を一冊にまとめた日本語訳『ダンマパダ』の決定版・アップグレード版を今夏完成させた。
『ダンマパダ』は、日本では『法句経』と呼ばれ、漢訳されて大蔵経に収められているが、その価値は評価されず、長い間埋もれていた。明治時代以降、欧米でパーリ佛教の研究が盛んに行なわれていた影響を受けて日本の知識人にも『ダンマパダ』が少しずつ知られるようになり、近年、多くの学者によって漢訳と英訳を基礎にしてパーリ語から日本語に翻訳された。しかし、その多くが詩偈だけの翻訳に限られているのが現状だ。
 阪神淡路大地震にも負けず!
 北嶋訳『ダンマパダ』は、四百二十三の詩偈の翻訳と英訳、詩偈の背景となった三百三の因果物語の翻訳、および「付録」としてパ―リ上座部佛教の解説を載せるという体裁をとり、一般の人々にも理解しやすいように編集されているところに特色がある。それが僧籍があるものの専門の学者ではない一人の在家の佛教研究家によって成し遂げられたところに意義がある。(中略)

 五年前の阪神淡路大震災で被災し、(中略) この体験が、彼を佛教の教えへと導く決定的な要因となり、それまで五分冊を出版してきた『ダンマパダ』を、大幅に加筆訂正し、一冊にまとめて編集することに専念されることになる。その一方で、パーリ語仏典『ダンマパダ』の翻訳は、上座部佛教国ミャンマーから、昭和五十四年に来日、北九州門司区の世界平和パゴダ僧院に常住したウ.ウィッジャーナンダ大長老の十年間に及ぶ全面的な協力がなければ、不可能だった。その意味で、北嶋訳『ダンマパダ』は、日本とミャンマーの二人の佛教徒の仏陀への熱い思いの結晶といえる。 
 佛教を通じて両国の交流を広げたい
 この日、北嶋氏ら一行が、日本ミャンマー友好協会を訪れたのは、佛教を通じて日本とミャンマーの交流を広げたいとする思いからだ。この本の寄贈に立ち会った日本ミャンマー友好協会理事(当時)の池田正隆氏は、「この本は、ちょっとやそっとの気持ちでできるものではない。北嶋氏の青春を捧げた生涯のライフワークといえる立派な本です。仏陀本来の教えを理解したいと念じて発行された本書は、上座部佛教を初めて学習される人にとって、必読書になる」と、謝辞を述べた。

※「中外日報」平成十二年九月七日号より転載。

 


更新日:2002年5月



ウ.ケミンダ大長老猊下、ミャンマー政府から2度目の功労賞授与!

ウ.ケミンダ(U.Kheminda)世界平和パゴダ僧院長猊下
1922年5月ビルマ国に生れる。11歳の時沙弥に、20歳正式に比丘となる。34歳来日、以後、日本における上座部仏教の布教活動に尽くす。1992年、ミャンマー政府から  “ AggaMahâ Pandita Bhadanta Kheminda”、2002年 “Agga Mahâ Sadhamma Jotika Dhaja Bhaddanta Kheminda”の称号を授与される。同猊下は、日本人だけではなく外国人にも仏陀の教えを説くなど国際的な活躍を続けておられる。現在、北九州市門司区にある宗教法人「世界平和パゴダ僧院」僧院長。

【記念インタヴュー】 質問者 北嶋泰観   僧院長=ウ.ケミンダ世界平和パゴダ僧院長  取材日2002年5月

質 問:この度は、前回に続き、さらに上位の “Agga Mahâ  Sadhamma Jotika Dhaja Bhaddanta Kheminda ”(最も偉大な『正法』輝く旗を持つ尊者「ケミンダ」)称号の授与、おめでとうございます。
僧院長:・・・(無言)。

質 問:いつ授与されたのですか?
僧院長:今年(2002年)の3月28日です。

質 問:授与の理由は?
僧院長:長い間、外国(日本)で布教活動をしていたからでしょうな、よくわからないが・・・。

質 問:日本に来られたのはいつ頃ですか? お一人でしたか。
僧院長:招請されて1957年6月11日羽田空港に着きました。その時、ビルマから高僧が5名と私、そして日本人比丘が1名。

質 問:日本の最初の印象は?
僧院長:戦時中、日本の兵隊たちとの接触があり、又、日本に出発する前にいろいろ話も聞いていたので、日本人を見てもあまり違和感がなかった。

質 問:当時の世情を回顧して
僧院長:いろいろあったが、国会の安保反対や「スト」騒動などがある。

質 問:日本での生活がはじまり特に困ったことは。
僧院長:食事の味が違うこと。又、日本語をあまり知らなかったこと。これには困った。・・・一人ぼっちになったような気分だった。

質 問:しかし、今は日本語がお上手です。どのようにして習われたのですか。
僧院長:いろいろなことを試み学習しました。その一つに、・・・・・私は、少年時代、ビルマは英国の植民地だったため英語の授業を受けていた。其れゆえ英語を話すことができる。そこで、英語を学びたい近所の中・高校生たちを僧院に集めるようにした。その当時、日本は英語教育が流行していた。すぐに学生たちが集まり、やがて大学生たちも来るようになった。そして、子供たちに英語を教えながら、私は日本語を学んだ。子供は正直である。私が話す日本語がおかしいと、「そこは悪い」とすぐに訂正してくれる。手紙を書いて間違った所があると、小学生や中学生がやって来て「このような表現はダメ!」と直接教えに来てくれる。たいへんユニークな英語教室?でした。先生が生徒になり、生徒が先生になる。

質 問:ところで、「出家」はいつですか。
僧院長:11歳の夏休みに沙弥となり、そして20歳の時に正式に比丘となった。

質 問:少年時代に英国の支配を見てこられ、又、青年時代には日本軍の侵略を見てこられた。
僧院長:日本軍がビルマを支配していた19歳の頃、私は、褌姿で歩いている日本兵たちを見つけて、その破廉恥な行為を注意した。それが切っ掛けで日本兵たちとの交流がはじまった。比丘になる前の1年間は、時間潰しに駅で働き、蒸気機関車の運転をさせてもらった。英国支配の時は、そのようなことは許されなかった。船の操縦をすると英国人怒る。しかし、日本軍が来てからは、ビルマは比較的自由となり、平和になった。物価も安かった。それゆえ、日本人に対する悪いイメージはない。

質 問:正式に比丘になられてからは?
僧院長:マンダレーにある佛教大学のような僧院で約十年間「三蔵」の学習に専念した。そして日本へ招請される1年前にラングーンへ移り、34歳の時日本へ出発。

質 問:日本での布教活動がはじまるのですね。
僧院長:最初の十数年間はまったく孤立状態であった。私たちの上座部佛教の「教え」を知らず、理解する人はほとんどいなかった。又、冬の季節はたいへん寒く、身体を壊す者もいた。ホームシックにもかかった。やがて私たちの布教活動もようやく知られるようになり、日本の僧侶や佛教学者、ビルマ戦線の戦友会の人たちも僧院によく訪ねるようになった。そして邦訳本の出版もはじめた。最近では佛教の瞑想である「ウィパッサナー観法」の勉強会が各地に出来ている。よく指導に招かれる。パゴダ僧院の中に「瞑想センター」という建物があるので、ここで自炊しながら瞑想修行に励む日本人の数が増えている。ミャンマーで修行したい日本人は、ここでいろいろなことを学び、そしてマハーシ瞑想センターなどに行く。在日アメリカ人、イギリス人、カナダ人たちもやってくる。又、たくさんの数のパーリ語仏典がありますので、上座部佛教を研究している日本人学者にとって貴重な資料であり、いろいろ質問があれば、私たちに直接たずねればよい。

質 問:拙著『ダンマパダ』もたいへんお世話になりました。さて、布教活動の中で、日本人僧侶との交流もはじまる。
僧院長:そうです。各地のお寺から招待されてよく出掛けます。日本のお寺の人たちとは仲良くしている。真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗、浄土経など、友人知人もたくさんおります。中には立派な方もおられる、しかし、私たちは、女性を抱いたり、酒を飲んだり、いろいろ商売をする日本の坊さんの真似は、しません。

質 問:いろいろ思い出が多いこの地で骨を埋めるお気持ちですか。
僧院長:いずれ死ぬのだから、どこで死のうが気にしない。いつ死んでもよいと思っている。しかし、まだ生きている間は、自分の修行のために、日本のために、ミャンマーのために、お役に立ちたいと思っている。

質 問:日本の子供たちについて。
僧院長:物質的に豊かとなり、「ひもじさ」を知らない子供が多いようです。知人の老僧が「孫たちに『ひもじさ』を教えられない」と嘆いておられた。「ひもじさ」を知らない僧侶とは、こわいですね。又、テレビやTVゲームに夢中になり家の中に閉じこもっている。私たちが来た当時は、テレビも少なく、子供たちは外で遊び、僧院で一緒に遊んだものです。

質 問:日本の老人を見てどうですか。長寿は幸福であると信じている方もおりますが。
僧院長:長寿でも、寝たっきりの「長寿」はだめだな、役に立たん。自分に対しても、社会に対しても、役に立たない長寿はだめである。

質 問:ミャンマーのお年寄りは、どのような老後を考えていますか。
僧院長:長寿よりも功徳を考えている。自分の死に対して準備をいろいろしている。日本の一部の老人のように、「どうせ死ぬのだから、大いに遊び呆けましょう」、「もっと美味しい物を食べましょう」という気持ちはない。ミャンマーの老人たちは、善い行いことを積み重ねて、死後、よい世界に生まれ変わりたいと願う。日本の老人たちは、口では「極楽往生」「極楽往生」と念じながら、即「地獄へ直行」のようなことをしている。

質 問:そうですね、毎日遊び呆けている老人を見て誰も尊敬しません。さて、最近アウン・サン・スーチ女史が解放されたニュースが話題となっておりますが、ミャンマーの将来について。
僧院長:ミャンマーは、今は貧しい国ですが、自分の力で発展することを目指しております。軍事政権下での経済発展は、未熟さもあり、二歩進んでは一歩後退、ある時は三歩後退することもあるが、しかし、着実に一歩一歩前へ進んでいる。私は時々母国ミャンマーへ帰るが、そのたびに町の風景が変わっている。植林も進み、橋の建設も進み、交通事情も少しずつよくなっている。日本はミャンマーに対してよく援助してくれる。又、民間の交流も昔から盛んです。外国からいろいろな援助があると、さらに早く発展すると思いますが、しかし、欧米の武器商人たちの援助には、反対です。「民主化」の旗を振りながら、国際資本の操り人形にならないように、彼女は国のために尽くして欲しい。

質 問:お忙しい中、インタヴューにお答え下さり有難うございました。
僧院長:ご苦労様です。

※このインタビュー記事は、[社]日本・ミャンマー友好協会会報ー第122号ー(2002年7月)p.21~p.23に転載される。