― 寄稿文コーナ ―

このコーナーでは、『ダンマパダ』アップグレード版全一巻の読者の皆様からの寄稿文を紹介しております。説法・講演会開催のお知らせ・書籍発行・ご意見・メッセージ・記録などを掲載しております。どうぞ、原稿を本会までお送りください。内容検討の上、投稿者との事前確認を済ませた後、掲載致します。※海外からの場合、確認が後になる時もあります。

 掲載中の寄稿文一覧
 在タイ国日本人比丘「パーティモッカ 二二七戒経」小冊子を発行!・・・NEW
 公開講座のお知らせ テーマ「仏教国 ミャンマー」 
 『ミャンマー上座佛教史伝』(池田正隆訳)刊行! 
 「千の風になって」  
 タイ在住日本人比丘からのレポート「タイ・サンガの社会環境と仏教者の修行環境」!
 「パーリ学仏教文化学会」第21回学術大会が名古屋・同朋大学にて開催!
 本会の特別講師ウ.ウィッジャーナンダ大長老が会誌「パーリ学仏教文化学会」第20号に寄稿!
 タイ国在住の日本人比丘落合隆氏、タイ仏教「日常勤行」小冊子を発行!
 回顧「神戸・淡路大地震 体験記」
 「自然は、最もすぐれたダンマ(真理)の表現者である!」 タイ国住職からのメッセージ。
 「樹を揺らす風、風を揺らす樹」 在タイ国日本人比丘落合隆氏からの現地レポート第3弾。
 「インド洋大津波被災!」 ビルマ政府仏教会派遣僧ウ.ウィッジャーナンダ大長老
 「インド洋大津波被災!」 −スリランカー 千葉・佐原市「蘭華寺」副住職シーラバッドラ比丘。
 「タイ仏教教理試験について」 在タイ国日本人比丘落合隆氏からの現地レポート第2弾。
 「慈しみの心に、目覚める!」 在日ミャンマー僧ウ.スセンナ比丘。
 [社]日本・ミャンマー友好協会へ本会発行の書籍『ダンマパダ』アップグレード版全一巻寄贈!
 ウ.ケミンダ長老(世界平和パゴダ僧院長)ミャンマー政府から特別功労賞授与、記念インタヴュー!
 「タイ国、テーラバーダ僧として・・・・・」 在タイ国日本人比丘落合隆氏からの手記。



更新日2008年3月28日

 在タイ国日本人比丘 『比丘パーティモッカ 二二七戒経』小冊子を発行! 


タイ国にて仏道修行に精進されている日本人比丘 落合隆様(Ven.Phra Takashi Ochiai Mahâpungnyô)が『戒条』(Pâtimokkha)パーリ対訳小冊子を発行致しました。今回は主要部分のみをまとめ、小部数を複製印刷致しましたとのことです。

拝啓
 夜明け前の時刻、遠くに見える山々の稜線の上に、南十字星がその姿を見せる季節です。この南国タイでテーラワーダ比丘としての日々を重ね、修行実践と共に、瞑想の実習書や和訳経本を作成し、今回は比丘の戒律条文であるパーティモッカの編纂に取組みました。・・・・・・・・ ※ 落合比丘からの手紙一部を紹介
 縦23cmx横16.4cm 86頁
      BHIKKHUPÂTIMOKKHAM

 Namo tassa Bhagavato Arahato Sammâ Sambuddhassa.
             (Tikkhattum)

 Sunâtu me bhante sangho. Ajj'uposatho pannraso. Yadî sanghassa pattakallam, sangho uposatham kareyya pâtimokkham uddiseyya.
Kim sanghassa pubbakiccam? Pârisuddhim â
yasmanto ârocetha, pâtimokkham uddississâmi, tam sabbeva
santâ sâdhukam sunoma manasikaroma. Yassa siyâ âpatti, so âvikareyya, asantiyâ âpattiyâ tunhî
bhavitabbam, tunhî bhâvena ・・・・

                 p10
   比丘パーティモッカ(比丘波羅堤木又)

 阿羅漢であり正自覚者である、かの世尊を、私は礼拝いたします   (三回)
諸尊師よ、サンガの衆は我の言葉を聞きたまえ。今日は十五日布薩日である。
 もしサンガ、機が熟したなら布薩を行ないパーティモッカの説戒を為す。何をかサンガの最初の行事と為すか。諸尊師は(他の比丘より依頼があったなら)清浄を報告したまえ。その後でパーティモッカを説戒す。ここにあるすべての者はそれを善く聞き、思念すべきである。罪のある者は告白し、罪のない者は沈黙を護りたまえ。諸尊師の沈黙によって清浄であると我は知る。諸々の質問に対して返答のあるが如く、このカツマにおいては、三度まで尋ねられる。・・・・・・
                p11

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【本会から一言】
 ご承知の如く、「227戒条」は、比丘の修行規則であり、これをよく守ることによって自分と人間仏陀との間の距離を少しでもちじめ、確固たる心の安住を得て、余計なことに気を使うことなく、解脱涅槃を目指してまっしぐらに「止・観の修習」に集中することができると言われております。比丘生活における基本的なルール・生活態度・目的が一致しているため、国籍に関係なく、戒条を守る比丘は、ちょうど国際免許証を取得した如く、ビルマ・タイ・スリランカなど世界中の上座仏教僧院内に自由に出入り・滞在することができます。又、在家信者が比丘の行動を観察する上で、これは、一つの判断基準ともなります。 『ダンマパダ』アップグレード版p70、「八戒受戒」、p110、註@「最劣な人」、p290、註@「比丘として不適当な二十一の生活の仕方(Anesanâ)」、p373、註@「比丘布薩日」なども参考にして下さい。



更新日:2008年3月1日

  公開講座のお知らせ:テーマ「仏教の国ミャンマー」  

大阪在住の岩井均臣様(いわいひろおみ:真宗本願寺派僧侶)からの公開講座のお知らせです。今から5〜6年前に岩井様に初めて会った時は、仏教に対して真面目に取り組んでいる若いお坊さんという印象を受けました。彼はすでに龍谷大学時代からパーリ仏教を学んでおられ、在家出身の僧侶として伝統教団に所属しながらも、仏教の本質を追求し、現代日本で実践可能なブッダ釈尊の教えとは何かを学習・実践している僧侶である・・・・とも言われている方です。


 第 7 回
 津村仏青公開講座

 仏教の国  ミャンマー
   〜寺院・僧侶・信者の役割〜

平成20年3月9日(日)19時〜21時(18時30分開場)

 津村別院2F 総会所  聴講無料

  講師 池田 正隆
  (日本・ミャンマー文化協会相談役
  パーリ学仏教文化学会理事
  真宗大谷派僧侶)

インドで生まれた仏教は、アジアを始め各地に広まっています。
しかし、同じ仏教でも、国や地域により随分様子が違います。
その中で、今回の公開講座では「ミャンマー」を取り上げます。
「ミャンマー」で仏教は、どのような役割を果たしているのか。
人々の生活の中で、仏教はどのように信仰されているのか。
寺院・僧侶・信者はどのような役割を持ち、これらの事を知ることは、
現代の日本仏教に大きな示唆を与えてくれるはずです。
皆さまのご参加を心よりお待ちしています。

講師:池田正隆(いけだまさたか)
主催 津村別院仏教青年会(つむらぶっせい)
お問い合わせ 本願寺津村別院(北御堂)仏教青年会
〒541−0053 大阪市中央区本町4−1−3
TEL 06-6261-6796/FAX o6-6261-6735
地下鉄御堂筋線本町駅A階段2号出口北隣



更新日:2008年2月1日

 『ミャンマー上座仏教史伝』(池田正隆訳)刊行!  


 社団法人「日本ミャンマー友好協会」相談役(前会長代行)の池田正隆氏が、二十年の歳月をかけてビルマ語古文書『タータナー・リンガーヤ・サーダン』(Thathanalinkara-sadan:教法荘厳文書)を刊行されました。本書は、ビルマの佛教史を研究する場合の不可欠な書であり、又、ビルマ語文献からの翻訳としては我が国初であると言われております。仏陀本来の教えを学習するための教材テキストではありませんが、ミャンマーの佛教史に興味のある方は、どうぞ、法蔵館書店にお問い合わせ下さい。


 「この書の冒頭部分の邦訳を『佛教研究 第9号』(国際佛教徒
協会発行、浜松、鴨江寺)に初めて紹介させていただいたのが、
昭和55年(1980)年の2月のことでした。

・・・・ かつて北九州市世界平和パゴダ在住でいらしゃった高僧
故ウー・ウェープラ Bhaddanta Sayadaw Aggamahapandita U.
Vepulla師、および現在パゴダ在住の学僧ウー・ウィッザーナンダ
師 Dhmma-cariya Vijjhananda Sayadaw との出会いとご指導が
なかったなら、とうてい最後まで翻訳できなかったに相違ありませ
ん。私の訳文に眼を通して指導助言してくださった両長老様の
慈愛に包まれてのことであり、・・・・・・・」

                          訳者あとがき より
発行所(株)法蔵館 定価:本体価格¥9、500円(税別)




更新日 2008年 元旦

 「千の風になって」  

謹んで新春のお祝詞を申し上げます。
昨年の世相を表す漢字は「偽」でございました。又、仏陀本来の教えを認める声が、ちらほらと身近に聞こえて来る今日この頃でもあります。どうぞ、本年も宜しくお願い申し上げます。


さて、ご承知の如く、「千の風になって」という歌が大ヒットしております。この作者不詳の詩につけられた日本語訳が注目されて、人々に少なからずの影響を与えているようであります。

小生もはじめて聞いた時、私のお墓の前で、泣かないで下さい。そこに私はいません、眠ってなんかいません」という歌詞は、仏陀本来の教えにも通じるのではないかと思ったしだいであります。皆様はどのように感じておられるでしょうか?

拙書『ダンマパダ』アップグレード版の第212詩句・因縁物語(p255〜p257)の中に次の話があります。ー

 「・・・・ 毒蛇に噛まれて亡くなった息子の火葬を行なっている家族を天界から眺めていたサッカ王は、家族の中で誰一人も涙を流し嘆き悲しむ者がいないことを不思議に思った。それを確かめるべく天界から地上に降りて来たサッカ王は、その家族一人ひとりに理由をたずねた。そして、父親、母親、妹、未亡人、お手伝いは、次のように答えたのである。

【父親の答え】

 ちょうど蛇が常にその老いた抜け殻を脱ぎ捨てて行くように、不用の肉体を捨てる。
 炎に焼かれている息子は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって息子は行くだけのことである。
    Urago  va  tacam  jinnam  l     hitvâ  gacchati san tanum   ll
    evam  sarîre  nibbhoge    l    pete   kâlakate   sati    ll
   Dayhamâno  na  jânâti     l   ñâtînam    paridevitam   ll
    tasmâ  etam na  socâmi   l    gato so tassa  yâ  gatîti.  ll


【母親の答え】

 許可も得ずここからすぐに消え去り、そして勝手に来ては、一瞬にして勝手に去って
 しまった。 これに、嘆き悲しむことができようか? 炎に焼かれている息子は、私たち
 家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって息子は行くだけのことである。
    Anavhâto  tato  âgâ      l     ananuññâto  ito  gato    ll
    yathâgato  tathâ  gato    l     tattha  kâ  paridevanâ    ll
   Dayhamâno  na  jânâti    l     ñâtînam   paridevitam    ll
    tasmâ  etam  na  socâmi    l      gato so tassa  yâ  gatîti.  ll


【妹の答え】

 もし、私が嘆き悲しんでも、私だけが痩せ衰えるだけです。私には何の利益もありません。
 ただ、兄に心を寄せる親族・友人・知人たちに多くの辛い思いをさせるだけです。
 炎に焼かれている兄は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって兄は行くだけのことである。
     Sace  rode  kisî  assam  l  tassâ  me  kim  phalam  siyâ   ll
     ñâtimittâsuhajjânam     l   bhiyyo  no  aratî   siyâ.      ll
     Dayhamâno  na  jânâti   l   ñâtînam     paridevitam     ll
     tasmâ  etam na socâmi   l    gato  so  tassa  yâ   gatîti.   ll


【未亡人の答え】

 ちょうど、昇りゆく月を見て子供がせがんで泣くように、亡くなった人を嘆き悲しむことはそれと
 同じです。炎に焼かれている夫は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって夫は行くだけのことである。
      Yathâpi  dârako  candam  l   gacchantam   anurodati    ll
      evamsampadam  ev' etam  l   yo  petam   anusocati.    ll
      Dayhamâno  na  jânâti    l   ñâtînam     paridevitam  ll
      tasmâ  etam na  socâmi   l    gato  so  tassa yâ  gatîti.  ll


【お手伝いの答え】

 ちょうど、地面に落ちて砕けた水瓶が再びつながらないように、亡くなった人を嘆き悲しむことは、
 それと同じです。炎に焼かれている若主人は、私たち家族の嘆きや悲しみを知ることはできない。
 それ故、私は悲しまないのである。
 [死後] ただ、自分の行ける世界に向かって若主人は行くだけのことである。
       Yathâpi [brahme]  udakakumbo  l   bhinno  appatisandhiyo  ll
        evamsampadam  ev'  etam   l   yo  petam  anusocati.  ll
       Dayhamâno  na  jânâti      l    ñâtînam   paridevitam  ll
       tasmâ  etam  na  socâmi    l    gato so tassa yâ  gatîti. ll


これらの言葉にたいへん感動したサッカは、この家族全員にたくさんの褒美を与えた」と。そして仏陀は、資産家に 『愛着から憂いが生まれ、愛着から恐れが生まれる。愛着から解放された人には憂いがない、どこにも恐れがない』と説かれたのである」−という因縁物語であります。

さらに、歌詞が続きます、・・・・・・ 「千の風になって」 「秋には光になって」 「冬には雪になって」 「朝には鳥になって」 「夜には星になって」 と。しかし、仏教では、人間には心法と心所法があるため、死後、風・光・雪・星などに生まれ変わることはできません。

但し、鳥に生まれ変わることはできます。前世の悪行の報果によって欲界悪趣地の一つである畜生界(=動物)に生まれ変わる、その結生の心作用は、欲界無因捨倶不善異熟意識界推度心が中心です。※『ダンマパダ』アップグレード版 p550〜p553の「第七節 89心と死・結生心作用」を参考にしてください。

最近、「お墓」などについてもいろいろとご意見が出ているようでございます。「遺骨」や「先祖供養」について、本会の「読者からの質問集コーナー」でも取り上げたことがあります。又、どうぞ、参考にして下さい。


Yours in the Dhamma,

「ダンマパダ(法句経)を学ぶ会」

代表  北嶋 泰観



更新日 2007年11月08日

   タイ・サンガの社会環境と仏教者の修行環境    
Phra Takashi(Ochiai)Mahâpugnyô 
落合 隆
  


  
今年の雨安居 (朝食前に随喜の偈を唱える)



 私の止住するチェンマイの山寺を年に数回、日本から訪ねて下さる方がこんなことを言っていました。 「外国人まで引き受けて修行生活を送らせてくれるこの国は、ずいぶんと仏教のインフラが整っていますね。」と。

 道路や下水道施設のことではないので、ここで語られたインフラ(下部構造)について私の体験から記して見ます。

 先日、小さな手術をすることになり、チェンマイの公立病院に七日間入院したのですが、そこには比丘(僧侶)のための四階建ての専用病棟があります。百人程度の入院は可能で、大部屋にベッドが並んでいる状態ですが、清潔さはよく保たれ、医療機器にも新しいものが使われていて、仮に日本で入院してもこの様なものだろうといった印象を持ちました。男女の看護士の方や医師も熱心に働いていて、時に冗談を言ったりして笑顔を見せているところは南国らしく、患者に必要な安心感を与えてくれます。

その日に費やされた食事代の布施をする在家者が毎日のようにいるので食費の心配はないのですが、それだけでなく、手術代、入院費などすべてが無料になっています。その病棟の建設費や維持費がどのようにして賄われているのか調べたわけではありませんので詳しいことは分かりませんが、信仰厚い在家者の布施に依るところが大きいだろうことは想像ができます。

これは下部構造、というよりテーラワーダ仏教国に特徴的な、出家者ー在家者の精神的、物質的依存関係が良く機能している一つの例なのですが、名僧と言われた比丘が女性との性的関係を疑われ、強制還俗や国外追放になったという話が決して珍しい事ではないように、この、出家者ー在家者の明確な区分けは、比丘のありようを自ら、そして、在家者の側からも正してゆく構造として初期仏教の時代から伝承されているものです。


話をサンガにおける修行環境に移しますと、これも私の見た範囲の事に限定されますが、仏道の修学、修行に意欲を持つ者に対しては、出家比丘、在家修行者を問わずいくらでも道があり、それを支える環境は良く整っているといえます。

それは、外国人であっても同じで、ほとんどが白人の比丘だけの森林寺院もありますし、有名な瞑想修行場では修行生活を送っている一般の外国人もよく見かけます。

短期間の瞑想修行でしたら、共通語が英語であることを知っていれば、日本人もそのような場所で一緒に修行生活ができますが、出家得度をしてテーラワーダ比丘として生きる人生を選択するならば、留学生と同じように、その国の言語の習得を第一に考えなければなりません。

実際問題として、タイ国では教理やパーリ語を学ぶ力のない外国人に、五年以上の宗教ビザを出さない条例がありますが、先の、出家者ー在家者の関係で見れば、出家比丘としてのありようが不明瞭な者に対して厳しいあつかいが為されるのも当然といえます。

心を癒したい。頭を良くしたい。その為の瞑想修行を考えるならば、日本という清潔で便利な所の方が修行環境として適していると思います。

東南アジアの、サソリや蛇が平気な顔をして歩いている森の寺院が、修行環境としてふさわしいか、ふさわしくないのかは、やはり本人の意志と意欲によって決まってくるようです。

現在、当寺の日本人比丘は経本の和訳や、比丘マニュアル、戒本の編纂に取り組んでいます。又、日本語の仏教書籍も布施されたものをふくめ、かなり充実してきていますので、一般の在家者でも修行が可能な環境が整いつつあります。

又、日本に僧籍のある僧侶の方も、法衣を着ていれば一緒に村まで托鉢に行くことも可能ですし、瞑想修行にたっぷり時間をかけることもできますので、関心のある方はご連絡ください。

電話線がまだ寺院までとどいていないため、eメールが使えませんので連絡は手紙だけになります。その手紙も届かないことが時々ありますが・・・・・・・。

「仏法」に導かれ、明るく穏やかに、そして、豊かな日々を送る日本人が一人でも多くなることを望んでおります。


Address:
Wat Phuraphuttabat - tamoa
T.Pongtung A.Doitao
C, Chiangmai 50260
TAILAND

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【本会から一言】
「日本に僧籍のある僧侶の方も、法衣を着ていれば一緒に村まで托鉢に行くことも可能ですし・・・・」と落合比丘のレポートにありますが、ビルマ国では、出家得度儀式を受けずに法衣を着用することは厳禁です。又、日本式法衣を着衣しながら一人で托鉢することも現地の信者たちの間に混乱を生じさせる恐れがあり迷惑行為となります。スリランカ国では、現地の店で法衣を購入して着衣しながら観光をしていた日本人が当局から注意を受けたという話もあります。※ 『ダンマパダ』第9・10詩句及び因縁物語を参考(Dhp-U.p13〜p14)。

【落合比丘からの後便 2007年12月3日】
ご指摘にあったように、今回のレポートには誤解を招きやすい所がありましたので説明を少し致します。タイ国にはサンガ法という法律があり、戒律に基ずいて出家していない一般人が出家者を模倣した服装をすると、六ヶ月以下の禁固刑になります。それは、外国人でも同じですから、日本人僧侶も律に沿った作法で沙弥出家、あるいは比丘出家の得度をしないかぎり、テーラワーダ比丘の法衣をまとうことは出来ません。




更新日2007年6月2日


 パーリ学仏教文化学会 第21回学術大会 開催 



先月5月26日、名古屋の同朋大学Doプラザ閲蔵において「パーリ学仏教文化学会 第21回学術大会」が開催されました。

※ 同会は、パーリ学仏教文化学の研究者が、相互に研究上の協力をし、斯学の向上発展を期することを目的に1977年4月に設立された。現在の会長は前田恵学先生(愛知学院大学名誉教授) 理事長は橘堂正弘先生(椙山女学園大学教授)です。
09:50-10:00  開会の辞、三帰依文 唱和
10:00-10:25  Sugeng Tanto (日本学術振興会外国人特別研究員)
「A Study of Siwa - Buddha in Java - based on Surasoma text-」
10:25-10:50  斎藤 滋 (名城大学非常勤講師)
 「部派仏教における菩提分法」
11:00-11:25   薮内 聡子 (東洋大学非常勤講師)
 「 Mahâvamsa, Cûlavamsa の信憑性」 
11:25-11:50   長尾 佳代子 (大阪体育大学准教授)
 「古訳 『薬師経』に付加されたヤマ・ラージャの記述」
13:30-13:55   泉 経武 (東京成徳大学非常勤講師)
 「タイ北部の高僧クルーバー・ウィチャイの思想と行動」
13:55-14:20  Gyana Ratna (愛知学院大学非常勤講師)
 「Contemporary Buddhism in Arakan - Distinguished Characteristics of its Existence in the Society-」
14:30-15:10  鄭 筱均 (中国社会科学院世界宗教研究所研究員)
 「中国雲南省における南伝上座部仏教の本土化への特徴について」
15:10-15:35  Dilip K. Barua (ダッカ大学助教授)
 「Modes of Existence of Village Monastery in Bangladesh: A Case Study」
15:40-17:30 会員総会
18:00-20:00 懇親会


懇親会の風景 (2007年5月26日) 同朋大学D0プラザ閲蔵1F多目的ホール




更新日2007年4月15日


本会の特別講師ミャンマー僧ウ.ウィッジャーナンダ大長老が、会誌「パーリ学仏教文化学会」(Society for the Study of Pali and Buddhist Culture、会長 前田恵学先生)に小論文を寄稿、ここに一部内容を紹介致します。尚、この会誌をご希望の方は、発売所(株)山喜房佛書林(頒価¥3500円)までご連絡下さい。


  パーリ学仏教文化学  
第20号





2006年12月

パーリ学仏教文化学会


  《報告》

  上座仏教におけるシーマ(結界)の由来とヴィスン・ガーマ(独立村)  

Sayadaw U Vijjânanda


1.シーマ(結界処・戒壇)の由来

正自覚者である釈尊は、過去四劫十万劫のあいだ十波羅密の菩薩行をおこなった結果、最後の生涯として釈迦国カピラヴァストゥ城のスッドゥダナ(浄飯)王の王妃であるマーヤー夫人から生まれた。幼名をシッダッタで、名字はゴータマとして知られる。
王子は29歳まで宮中で生活を楽しみ、29歳の時出家、6年間苦行をした。35歳の時、ヴィサカ月満月の夜、覚りを開き、ブッダとなった。

ブツダとなって2カ月目のワーゾー月の満月の日から5名の修行者に「転法輪経」を説いた。皆悟りを得て、比丘・阿羅漢になり、サンガが成立した。次に金持ちの長者の息子ヤサとバッダワッギーの仲間30人の青年たちへ説法をなし、彼らもブッダの弟子となった。

次々と仏弟子が出来、サンガ(僧迦・教団)は釈尊が成道して6カ月の間に、比丘僧の数が1千人以上にもなった。

釈尊は、増えてきたサンガの僧たちに対して、「いつも比丘僧たちが和合するように」と教えた。どのような行事をおこなった時でも、弟子たち全員の心身による和合が必要であり、「僧の中で一人でも不和合であれば、この行事は成立しない」と教えたのである。

釈尊の生涯の初期には、仏弟子たちの数もそれほど多くはなく、サンガの行事も多くはなかった。したがって行事があったときには弟子たち全員が和合することが容易であった。それでシーマー(結界処)は必要がなかった。しかし、僧侶の数が増えるにしたがって、釈尊の居所から離れて遠方まで行き滞在する弟子たちも増えてきた。広大なインドの諸地方に、別々に分かれて修行したり布教するようになった。ある比丘僧たちはマガダ国、またある比丘僧はコーサラ国、あるいは、ヴェーサーリー国へと遊行滞在するというように、別々に遠くはなれて過ごさなければならなくなった。また、サンガ内での儀礼つまり行事も多くなってきた。

それでインド全土に別々に過ごしている比丘たちを、行事を行なう度に全員1ヶ所に和合するため集めることは、困難となった。

そのことを釈尊に報告した。釈尊は、それなら「それぞれ自分の住んでいる村の境界内にいる全員の比丘僧の心身による和合があれば、どのような行事でも行なうことができ、その行事は成立する」と許可された。


シーマーにおける行事: 比丘式・布薩会・パヴァラナ(安居終了式)・カティナ(功徳衣式)


インド全土に別れ別れに住んでいる比丘たちすべてを集めなければならないという必要がなくなった。自分のいる村の境界内にいる比丘たちを集めて容易に行事を行なうことができるようになった。しかし、釈尊の時代も中・後期になると比丘の数は、さらに増えてきた。村の境界にしても、数キロメートル位の村もあれば、何十、何百キロメートルという広くて大きな境界もある。

このように広くて比丘数も多い境界内では、行事を行なう度に比丘全員を集めるための苦労も多くなった。また1カ月に2回布薩日に出席できない比丘の委任をとらなければならず、行事の間に、他の境界から別の比丘が入らないように、止めなければならない、というような色々なことが起こり、行事のし方が難しくなった。

そのようなサンガの比丘たちの不便さを理解した釈尊は、自分の境界内で場所を決め、その場所に「シーマー(sîmâ)結界処」をつくるように許可した。

行事を行なうなら、そのシーマーの中に入って、シーマー内の比丘の和合があれば、その行事は成立する。そのシーマーに入らない比丘の和合をとる必要がない。このようにシーマーを定めてから、人工シーマーという形式のものができた。それで今では、人工シーマーも自然シーマーも利用できるようになった。

ただし、人工シーマーは、自然シーマーの中に一つの地区を限定して設定するわけである。大きな地域から小さな地区に限定して設定し、大きな地域から小さな地区に縮小したため、仏教行事がし易くなった。


(1) 地球上の比丘全員の心身による和合。
(2) 村の境界内における比丘全員の心身による和合。
(3) 定められた地区内における比丘全員の心身による和合。


このように場所を狭く限定したので和合がし易くなった。和合をし易くするために、シーマーの設定許可がなされたのである。・・・・・



(以上は会誌「パーリ学仏教文化学」第20号p125〜p127を抜粋、それ以後はここでは省略す。)




2006年1月21日



ー序言ー

 この経本は 比丘マハープンニョー(落合 隆氏)によって日本語に訳され、編纂されました。

プラ、マハープンニョーは、日本人で始めての仏教教理検定一級試験合格者であり、又、テーラーワーダ仏教を日本の仏教実践に関心を持つ人々に伝えるべく、教法の修学と修行実践に日々弛まぬ努力を続けている日本人比丘です。

 ここに私は、この布教的な活動と大いなる善徳の創造を祝福し、喜びを共にすることを表明し、この日本語訳経本が誦唱の手引き書として用いられ、仏道の修行実践を為す人々にとって価値あるものとなることを願うものであります。

仏法に栄えあれ  


プラ、ノッパドーン,シリワッタノー 
(プラ,プッタバートダモ寺院、住職)


ー日本語翻訳者よりー

 最近は、日本でもテーラワーダ仏教(南方上座部仏教)が、僅かずつとはいえ知られるようになり、それは南国のこの地で比丘(bhikkhu-僧侶)として在る者にとって、修学の励みにも、支えにもなる事であります。

比丘だけてはなく、在家の仏教徒にとっても誦経(じゅきょうー経文を唱えること)は日常的な修行としても為し易いことなのですが、テーラワーダ仏教ではインドの古語であるパーリー語を用いますので、日本人がその内容を理解することには多くの困難があります。

仏教に関心を持たれる方、あるいは実際にこの地で修行生活を送ろうとする方の一助になり、又、私自身の、釈尊の教えへの理解をより深めるものになれば、との思いがあって昨年から訳出作業に取り組んできました。

現状の試訳の段階で、小部数といえども複製印刷することには迷いもありましたが、まずは有識の諸師、諸先輩から御批判を頂き、訂正をし、様々な仏教儀礼の作法及び解説を加えた上で、改訂版を新たに印刷する方法が私の様にタイ語、教理、パーリ語のほとんどを独学で学んできた者には適切ではと考え、今回一冊の本にまとめました。

全体の構成はタイ国で最も広く用いられている経本「モンピティ」をベースに、タイ語訳、英語訳、そして一部日本語訳されているものを参照しましが、この和訳経本の訳文に関する責任はすべて私にあります。

何らかのお役に立つことがあり、テーラワーダ仏教を理解し、日々の生活に於いてブッダ・ダンマを実践する契機となるよう願っております。皆様の日々が三宝(仏、法、僧)の限りない威力によって、明るく穏やかなものとなりますように。  


2005年 11月 

Phra Takashi (Ochiai) Mahapngnyo   落合 隆  大福比丘   

Address: Wat Phrabhudabat - tamoa, T.Pongtung A,Doitao, C,Chiangmai
50260  Thailand   tel  04-9508829



2005年12月10日


  「神戸・淡路大地震 体験記」…… 

     北嶋 泰観
 ダンマパダ(法句経)を学ぶ会 
        【1995年3月2日中外日報掲載記事より】
 


年の瀬も押し迫ってまいりました。皆様にはお変わりもなく、元気にお過ごしと推察致します。来年も「ダンマパダ(法句経)を学ぶ会」を宜しくお願い申し上げます。

お蔭様で、同「学ぶ会」のホームページにアクセスされる方々が今年も増えております。又、「パーリ語仏典CDシリーズ」の作品数が増えるにともない、Eメールや電話による質問内容も多彩となり、さらに若い読者の方々にも本会の活動に興味をもたれているなど、皆様方に感謝する今日でございます。

ご質問の中には、『ダンマパダ』の内容と直接関係のない質問も時々ございますが、その一つに、「何故、このような学ぶ会をつくられたのですか?」という、素朴な、しかし、的を得た質問が寄せられました。これに答えるために、少し昔のことを話さなければと感じたしだいであります。

顧みれば、本会設立時、小生にはいろいろな気持ちや動機がありましたが、その中で、特に、あの「神戸淡路大震災」から少なからずの影響を受けたことは確かでございます。そこで、ご質問の答えの一つにもなればと思い、昔、中外日報社に投函した体験記を寄稿文コーナーに転載することに致しました。 なにぶん震災直後の混乱期にノートに書きとめたものがそのまま新聞一面に掲載されるという経緯がありましたので、お見苦しいところは、どうかご容赦ください。

しかし、あれから十一年目を迎えるのですね。ここに移転してから、まだ一度も神戸の異人館通りをたずねたことがありません。たまに夢の中に出て来ることがありますが ・・・・・・。


Yours in the Dhamma,

泰観 拝


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   大震災で仏陀の教えを再確認
  心の平安の拠り所に

                    北嶋 泰観

 この度は「阪神大震災(兵庫県南部地震)」により皆様にご心配をかけて申し訳ありません。 お蔭様で私たち二人は、大震災の翌日(一月十八日)に両親の待つ奈良へ無事脱出、現在、奈良・神戸を往復しながら後片付けに追われています。

 しかし、今思い出しても実に大きな地震でした。 最初大きく横に振れるやドドドーと激しい縦揺れが起こり、一瞬のうちに家の中は足場もないほど散らかり、あの重たい冷蔵庫やコピー機が元の場所から飛んでおりました。 手探りで階段をゆっくり下り、近くの駐車場に避難するとすぐに、隣りで一人暮しをしている明治生まれのお年寄りの家に安否の声を掛ける。 地震のショックと落下物でこの老婆は身動きが取れず、やっと背中に背負い脱出。 駐車場に着き老婆を下に降ろすと、小生の手を両手で強く握りしめて離さず、ただただ涙を流してお礼を言うばかり。 その時、初めて地震の恐怖を感じました。
 夜明けと共に家と店の損害を簡単に調べる。四世帯が借りているこの住まいは、建物全体が8cmほどずれ、1階の損傷はかなり激しい(結局この建物は取り壊しと診断される)。
 店の方は、屋根瓦全体がずれ、二階の壁の一部が大きく崩れ、天井や階段に長い亀裂が走っていた。 なにぶん古い木造建築、大きな車が走り去るたびに二階が以前よりよく響くことに気ずき、ここでの営業続行に不安が残る。これは注意しないと……。 店内商品のダメージは、20パーセント前後と試算する。


余震が続く中、水と食料を手に入れるため近くのコンビニに行くが、店の周囲は邦人・異邦人でいっぱい。一人一人の買い物に制限があり、店員は一万円札のお客が多いのに困っていた。 買い物を手に持ち、少し寄り道をする。寒風の中インド人家族複数が駐車場に集まり、呆然と坐りこんでいた。 民芸品店のギリシャ人は「最悪だ!最悪だ!」とプンプン怒りながら異人館通りを歩いていた。 自転車いっぱいにバッグを積んで、若い白人女性がペダルを一生懸命こいでいた。 回教徒寺院付近も避難の外国人でいっぱいだった。「この地震は心臓に悪い」と初めて地震を体験したスリランカ人が心配顔で話し掛けてきた。 その時、何台かの消防車がトアロードを上がって来たのを見て、その後について行った。近くのマンションから出火があり、現場に着くと、水が出ないため消火活動がままならず消防士たちの顔がくやしそうだった。 2−3階付近から出た火が、じわりじわりと上の階へ延焼しはじめたのを見てその場を去った。 

家に戻る途中、「異人館通り付近及び山側周辺は損害はまだ少ない。しかし、三宮周辺はたいへんだ」と近所の華僑の好青年が自分で見て来た三宮地区の現状報告を熱っぽく語ってくれた。 家の中に入り、女房と二人で家具や書籍を片付けして、軽い食事を取り終えると布団を敷き、その中に潜り込んだ。 「しかし、あの青年の話は本当だろうか? 阪急三宮の駅が、銀行のビルが崩れるだろうか? 神戸・大阪間にバスや列車が一本も走っていないなんて……まさか? 電話もガスも水も出ない今の現状がいつまで続くのか?」 と胸の中で呟く。 いろいろ考えはじめるとだんだん不安になってくる。 サイレンが絶え間なくいろいろな角度から聞こえてくる。 また、激しい余震のたびに家が不気味に震える。 やがて家の中にジ―ットいることが苦痛となってきた。布団を蹴飛ばし、家を出て自分の目で確かめに三宮に出向く。 そして三宮の被害をみた後、北野小学校へ避難することを決める。 

すでに小学校は、近所の人や外国人たちで各教室も廊下も人、人、人でいっぱい。 比較的元気な私たちはグラウンドに移り、店からエアマットを持参して臨時のベッドをつくりはじめる。 その最中、一人の韓国人女性がやって来て「私には赤ん坊と年老いた母親がいる。 この寒いグラウンドで野宿するのはたいへんです。 貴方のエアマットを少し分けてほしい」とお金を出してお願いしたので「困った時はお互いさま」と無償で一部を与える。 しかし、それを見ていた別の外国人たちが次から次へと近ずいてはお願いするので、最後は私達の分だけでも確保するのがたいへんだった。 「小生には心臓の悪い妻がいる」と言って以降断わる。手作りベッドの上で横になっていると、大地が常に動いているのが実感できる。その夜の月は満月、星もきらきら輝いて美しかった。 しかし、西の方角では大火の明かりが淡く横に並び、時々、東の方角からはもくもくと煙が立ち昇る。 そして、十分ごとに続く余震とその直後のキャーという悲鳴に校内は異様な緊張感に包まれる。 小生、明日からの活動のため、今は自分の体力保存に留意しなければと目を瞑り、ラジオ放送に耳を傾ける。 エアマットの中は結構暖かかった。

十八日早朝のニュースで、私鉄の一部、西宮北口〜大阪間が復旧したと知る。支給されたパン1個と果物1個の朝食を食べ終えるや、さっそく小学校を出て西宮北口へ向かう。 途中、最も多くの死者が出た東灘区の友人宅を訪問。娘と母親二人の生活なり。 一緒に奈良へ避難しようと言ったが、まだ決心がつかない様子。 その娘に「余震が続き、ライフ・ラインも切れたこの地に一日いる分だけ疲労が肉体的にも精神的にも蓄積する。 一日も早く神戸を離れることが大事である」と進言して別れる。 心臓の悪い妻は、西宮北口の一歩手前、夙川駅付近で歩行スピードが、がくっと落ちて、たいへん苦しそうであった。 半年前の妻は三百メートルも歩けなかったのである。 最近ようやく元気を取り戻したとはいえ、十五キロはやはりきつかった。 

午後三時半頃、ようやく七時間かかって西宮北口に着く。 阪急電車に乗り大阪に着くや、JRに乗り換え奈良に向かう。 環状線から見た浪速の町は華やかなり。 ショッピングや海外旅行の話に夢中になっている中年女性たちの元気な声。 「あー、大阪は何も変わっていないなぁ」と実感すると急に空腹感を覚えた。 途中、JR天王寺駅で立ち食いそばを食べて、焼きソバ3人前をお土産に買い、午後七時頃にJR大和小泉駅に着く。 両親が準備したお風呂で神戸の汚れを洗い流し、温かい夕食と、そして焼きソバの前菜を皆でいただく。 初めてテレビで神戸の惨状を見て涙が流れた。 興奮冷めやらぬまま床につく。 残してきた仏典や『ダンマパダ』が火事で消失しないかと心配しながら・・・・・・。


今できることに専念

翌十九日、親族の一人から車を借りて、三年ぶりにハンドルを握る。片道九時間かけて奈良と三宮を往復する。(到着後)小生にとって大事なパーリ仏典をはじめ『ダンマパダ』関係の書籍などを運び出し、(同日)夜九時すぎ、北野町を出発する。その夜から国道2号線・43号線、大阪・神戸方面行きが全面規制となった。岡本地区で火事が発生とカーラジオが伝える。2号線付近は真夜中になっても人の往来は途切れない。一帯のホコリが車のヘッド・ライト群によってスクリーンのように写し出され、その屈折した明かりが崩壊したビルの残骸を、沈黙の歩行者たちをとらえる、白と黒の世界なり。けたたましいパイロット・カーに先導されて大形クレーンを積んだトラック一団が、緊急物質運搬車一団が、自衛隊が、通過する。各交差点には警察官たちが交通整理に追われ、次から次へと救急車がやって来る。

ようやく翌朝(二十日)、激戦地から奈良に戻る。もうくたくたであった。それから以後、奈良と神戸を電車と代行バスを利用して往復、家と店の後片付けに励む。将来の展望について、いくつかのアイディアもあるが、今はいろいろなことを静観しながら、先ず、今できることを行なうことに専念。適度の休息も忘れずに。 先日、「ウイラ」の店をこの二月二十八日をもって閉店することを決断する。そして、奈良県大和郡山市小泉町235番地に移転して『ダンマパダ』の続編発行に努力する覚悟なり。従来の宅配は、『ダンマパダ』をはじめセイロン紅茶・スパイス・白檀線香など変更なく行なう。

『ダンマパダ』完成に尽力  

さて、この阪神大震災によっていかに『ダンマパダ』の教えが今大事であるかと、小生、再確認する。 「少欲をもって足るを知る」・・・・、 マンション・車・家具その他いろいろな贅沢品をたくさんもっていたにもかかわらず、大地震によってこれらのものを一瞬に失った人々の嘆きはたいへんなもの。家が崩壊した上に十〜二十年のローンがまだ残っている人々、また、さらにその上に新しく住宅ローンをたてなければならないと考えている人々の苦労は。 しかし、仏陀の教えの一つに「満足は、自分の人生の中で手に入る財産の中で最大のものである」とあり。 連日、テレビのコマーシャルは、地震が起ころうが、親族が死のうが、戦争が始まろうが、餓死者が何千人出ようが、戦死者が何千人出ようが休みなく放映され、人々の欲望に火をつけ続ける。 ドラマは、好き勝手の言いたい放題、願望と空想と愛執の世界を作り続ける。 「苦しみの原因は渇愛(執着)にある」「愛執から苦しみが、恐怖が生じる」という仏陀の教えから見れば、その逆の世界がテレビ・ドラマではないか。 また、多くの人々は、暖かいベッドで安らかな死を迎えることを望みます。 芦屋・西宮・神戸の、特にお金持ちほどその条件を満たしている人たちはいなかったと思いますが、しかし、この大震災によってこの願望も打ち砕かれました。

【右写真:震災直前に発行された『ダンマパダ』五分冊シリーズ その(3)】


 又、東灘・長田・兵庫区では一人暮しの老人の多くも圧死・焼死しました。 たいへん気の毒なことです。 ところで、亡くなった人の価値は、その悲惨な死によって下がるものなのでしょうか? テレビ放送で災害シーンを見た全国の視聴者たちは、あのような悲惨な死を迎えたくないと嘆き、また恐怖していることでしょう。 小生も同じです。 しかし、『人は必ず死ぬ』にもかかわらず、その時期がなかなか予想し難く、今回のような自然災害、又は交通事故・殺人・ガン・延命治療、その他の原因によって自分が願望する、安らかな死を得ることがなかなか難しい。

 『ダンマパダ』その(三)の第百三十八〜百四十詩偈に、仏陀の偉大な弟子の一人マハーモッガラ-ナ長老の最後が紹介されております。あの予知能力に優れた長老さえも、自分の悲惨な死を予知しながらあえてその死を迎えました。 第百七十三詩偈のアングリマーラ長老もしかり。 ここで仏陀は、『常日頃から四念住などの瞑想を通じて、自分の死を心の中で想像してごらん。 ・・… 死は確実なものである。 人生は不確実なものである。 生きとし生けるものは常に変化し、やがて死ぬべき運命にある。 この真理をよく自ら観察しなさい。』と教えておられます。 そして、どのような形で死を迎えるかという外見上のことより、生きている間に、どれだけの善行を積んでいるか、どれだけ苦しみの原因である渇愛を自らの努力によって薄め減らしているかという内面的な問題を問われているのではないでしょうか。

「善行を積んだ人は、仮に悲惨は死を迎えても、死後、善い世界に輪廻転生する。 また、一切の渇愛を尽滅して最高の悟りを得た阿羅漢聖者は、どの世界にも生まれ変わることがない」。 逆に、悪行をなし、人の弱みにつけ込み、あくどい方法で金儲けをし、金にものをいわせて、仮に、豪華な病院の暖かいベッドで死を迎えたとしても、その人は、死後、地獄に落ちて苦しまなければならないということでしょう。 また、人々は、恐怖にかられて、実に山や森、園、樹、神社などいろいろな所へ出掛けては、心の依り所とした。 しかし、これらは心の平安の依り所とはならない。無上の心の依り所ではない。 これらを心の依り所にしても、全ての苦しみから解放されることはできない。 正しい真理を発見した仏陀・正しい真理の教え・正しい真理の教えに従い修行をする出家の集まり・・・・・ すなわち、苦の真理、苦の原因の真理、苦の原因を滅する真理、苦の原因を滅する道の真理、・・・・・・ これが実に、心の平安の依り所である。 これが無上の心の依り所である。・・・・」(『ダンマパダ』その〈三〉第百八十八〜百九十二詩偈)とも教えておられる。

 この大震災で、僧侶は葬式で死んだ人間にお経を唱えるのにたいへん忙しいようです。しかし、本来仏陀の教えは、生きている人間、今苦しんでいる生身の人間に向かって説いている、と小生思っております。 『ダンマパダ』を読めば、一目瞭然それがわかります。 現在、ビルマ高僧ウ・ウィジャーナンダ師の協力・監修の元で執筆中の続編にも「死」に関する仏陀の心温まる教えがたくさんあります。 大震災によって小生の生活環境も激変しました。 しかし、何とか頑張って、この『ダンマパダ』だけは完成させたいと強く願いながら、今日も店の後片ずけに追われております。 これからも宜しくご指導ご協力をお願い申し上げます。

【1995年3月2日中外日報掲載記事より】



2005年8月

ノッパドーン シリワッタノー師
Phra Aacaan Nopadhol Sirivadhno
1955年:バンコック生れ、
     海軍航空大学卒
1981年:得度
2004年:仏教教理一級取得
出家歴:24年


 自然は、最もすぐれたダンマ(真理)の表現者である! 


 プラ、プッタバード・ダモ寺院は、今からおよそ80年前に、シリーウィチャイ師とアピチャイ師の両師によって、
村落からほどよく離れたこの地に出家比丘(僧侶)のための修行場として建てられました。 

 私は、この寺院で止住し始める前の、1975年からの4年間は、国際仏教修行センターに在籍し、その後の
1994年からは当寺院でエイズ(HIV)患者に対する支援活動 ー仏教実践の指導と自然薬の製造と配布ー
を行なってきました。

私は、この寺院の住職としていくつかの方針をもっています。

 その一つに、当修行場を仏教の実践修行に関心をもたれている方々のための、「ダンマとの出会いの場」に
していきたいということがあるのですが、それは、それぞれが自身の中に「自然」を、つまり「あるがままである
事」を発見することにおいてのみ可能であると考えています。 

 時には慈悲深く、時には過酷な、この自然からダンマ(真理)を学ぶ機会を、タイ人だけではなく外国の方々
とも分かち合うことができれば幸いです。

 チェンマイから2時間以上かかる周囲には村落もない山寺での、食事も玄米が主食の菜食を一日一回とい
った修行生活ですが、仏教実践に真摯な興味をいだく方の訪院をお待ちしています。


繁栄されますように、


Phra Aacaan Nopadhol Sirivadhano

(プラ プッタバート・ダモ住職)

【連絡先】
 Wat Phrabhudabat- tamoa 
 T,Pongtung A,Doitao C,Chiangmai 50260 THAILAND                 
 Phra Takashi (Ochiai) Mahapungynyo (落合 隆)
 
 




2005年04月

 在タイ日本人比丘からの現地レポート! その(3)




 拝啓

 木々の、乾ききった葉がカサカサと地面におちて行き、その分だけ広くなった空に、夜には数多くの星座が
映しだされます。1月に頂いたお手紙では、様々な困難な状況にありながら意欲的に活動を続けているご様
子で、私の方が励まされるような気持がいたします。

 ウィッジャーナンダ大僧正のメッセージもダンマに裏打ちされた明晰な力強さを感じます。日本では聞かれる
ことの少ない真の言葉を広く伝えるためにも、充分にその力を発揮されることを願っております。

 同封のレポートはまとめて見たいと思っていたものがありましたので、ちょうど良い機会かと思い、文章にして
みました。何よりもご自身の健康と、奥様への介護などが最重要と思いますので、どうかご自身の都合を優先
されて下さい。ホームページに掲載することがあってもなくても私の方はかまいませんので。

 「私の命」ではなく「この命」 「私の心」ではなく「この心」 このことの実体験を目指す仏教者にとって、あるも
のは日々の精進であることに、何処に居ようとも変わることはないと思います。

 奥様の快癒、心よりお祈りいたします。

                                                         合掌

 20/2/2005                                   Phra Thakashi(Ochiai) Mahapungnyo
                                                  
                                                   落合 隆



  − 樹を揺らす風、 風に揺れる樹 −

                   Phra Thakashi(Ochiai) Mahapungnyo
                             落合 隆
  2005年2月  チェンマイにて


 ゆるやかな平地の広がるこの南国の一帯には、時としてずいぶんと遠いところからやって来たような風の吹くことがあり、
サトウキビ畑の、その穂先のあたりをなぜるように吹き過ぎる姿にも、頬や首筋をつたわる感触にも、長い時間をかけて
混ざり合って来たものの持つ豊饒が感じられる

 川はその流れに水源をたどることはできるが、風はどこをたどって来たのか知られることはない。

 ただ、目のまえの樹を時に静かに、時にざわざわと揺らしているのが知られるにすぎない。

 この南国タイに隣接するミャンマーやカンボジア、そして少し離れたスリランカなどで今も厚い信仰を集めている仏教はテ
ーラヴァーダ仏教(南方上座部仏教)と呼ばれ、戒律を尊重し、原始仏教の修行様式を継承する出家者集団(Sangha:僧
伽)と、三宝のひとつとしてそれを支える在家者の、立場の違いを明確にする構造にその特徴がある。

 しかし、ニルバーナをめざす出家主義といっても、比丘(僧侶)の全員が高い理想を持つというわけではなく、人々の宗教
儀礼への欲求を満たすべく「世俗的」な仕事に一日の大半を過ごすものも多いのだが、生活コードの異なる出家集団が「
反社会集団」にはならず「非社会集団」でありえるのは、森住比丘だけではなく、そのような村住比丘とでもいえる庶民の
側に立つものがいるからだといえる。

 パリッタ(Paritta 護呪経)などの読経はその仏教儀礼において重要な役割をし、又、そこでは南方仏教独特の様々な
小道具が用いられる。

 ダーラバット(写真)といわれる扇もその一つで、スリランカやミャンマーでも同様のものが用いられているが、タイのもの
は柄が長く、その末端を床に着けて使う.

 葬儀や火葬式の時は比丘が四人着席し、各人が扇を前にかざすようにして持ちながらアビダルマの要約を読経の様式で
読み上げる。
 その四枚の扇の会葬者にむけられた側の正面にはそれぞれに短い言葉が記されている。

 「生」
 「老」
 「病」
 「死」

 いちばん良く見かけるのがこの四枚組みのもので、仏教の根本的テーマ「四苦」を記したタイ文字が扇の表面に刺繍さ
れている。たまに見かけるものでこのような短い文になっているものもある、

 「逝ってしまって戻ることはない」
 「眠りから目覚めることはない」
 「生き返ることはありえない」
 「死を免れることはできない」

 身もふたもないといったら良いのか、読経されるアビダルマ論母の乾ききった内容と共に、情緒的なものの入り込む余地
を残していない。

 これは、わが子のなきがらを抱えながら生き返らせてくれと懇願した、あのキサーゴタミーへ仏陀が語った事と内容は同
じである。最愛の者を失うという悲しみを乗り越えるべく出家した比丘、キサーゴタミーにとってはダンマ(Dhamma 真理)へ
のいざないとなる言葉であるが、一介の村人たる会葬者はどんな思いで目のまえに掲げられているこの言葉を読んでいる
のだろうか。 時々、笑顔さえ見せている遺族の心の内は知る由もない。

 「風が吹いていた」
 「いろいろなことがあった」
 「風が止んだ」
 「すべてが終った」

 私が数年前まで止住していた寺院でよく用いていた四枚の扇のそれぞれにはこのような言葉が記されていた。

 読経する四人の比丘の前に敷かれたゴザの上では遺族がどこかのんびりした様子で坐っている。
そのずっと後ろの、講堂の前庭には大きな菩提樹が立っていて、読経の合い間にはその風に揺れる姿が視界に入って
くる。

 「風樹」 ― 樹(き)静かならんと欲すれど、風やまず。

 漢詩に用いられるこの言葉は、風に吹かれて揺れ騒ぐ樹に、思いのままになることのない人の生と死を見立てていて、
「ふうじゅ」と読ませる。人を樹に喩える事はできるかもしれない。しかし、本当に静かに立っている事だけを望む者はいる
のだろうか。樹、即ち、人が静けさを厭い、自ら妄想の風を吹き上げているように思えてならない。

 南国特有のスコールの後の菩提樹は、葉からしたたり落ちる水滴が風に飛ばされるからか、あるいは舞うように揺れる
一枚一枚の葉の、一瞬の華やぎによってか、樹の全体がキラキラとした光を放っているように見えることがある。

 そんな時、菩提樹は風を受けて光る樹―「光樹」とでも呼びたくなるほどの聖性をおびたものになっている。

 後悔や不安に心騒がせる風もあれば、何処か遠くのほうで静かに笑っているような風もある。

 風という言葉をこの国では「風―呼吸―命」とその意味を結び付けることもあって、だから葬儀の中でこの言葉が用いら
れているのだろうと私は思う。

 読経の最後には必ず「無常偈」が唱えられて一連の儀式は締めくくられる。

 もろもろの作られたものは 実に 無常であり、
 生じては滅びるきまりあるものである。
 生じては滅びる。
 それら(作られたもの)の静まるところに、安らぎがある。
                                           『マハーパリニッパーナ経』


 「この」風が止んだだけだと知り、「私」のすべてが終っただけなんだと深くうなずく時、すでに「私」はいない。

                                                         合掌

                                             2005年2月   チェンマイ
  



2005年01月09日 


    『インド洋大津波被災!』  

  ミャンマー政府派遣僧ウ.ウィッジャーナンダ大長老



皆様、新年明けましておめでとうございます。今年で私は25回目のお正月を「世界平和パゴダ僧院」で迎えることができました。


今年は、日本は「酉(とり)」の年であります。鳥が大空を羽をひろげて元気よく羽ばたくように、景気の良い年でありますように、家族みんなが元気に飛躍するようにという願いが込められていると聞きます。私の母国ミャンマーでも鳥は人気があります。特に「フクロウ」は、ビルマ語で「ズィーグェッ」と呼ばれ、幸福を招く鳥として、ちょうど日本の「招き猫」のような意味があり、漆器類など伝統的なデザインによく使われております。

今年も『ダンマパダ』の教えを通じて、ミャンマー・日本両国の友好の絆が大きく飛躍する年でありますように。


ところで、この年末に大きな地震がありました。12月26日にインドネシアのスマトラ沖に大きな地震が発生、同時に大きな津波がインド洋周辺諸国を襲い、インドネシア・タイ・ミャンマー・インド・スリランカなど現地の人々をはじめ外国からの観光客を呑み込みました。

ヴァカンスに訪れていた欧米や日本の観光客の方々にとって、美しい海岸で休暇を楽しんでいる最中の一瞬の出来事でありました。天国から地獄への変わり様です。私は、肉親を亡くして嘆き悲しんでいる被災地の現場を見て、『ダンマパダ』の次の詩句と因縁物語を思い出しました。


   『自分の子供や家畜に理性を失わされて、執着の意がある人を、
    ちょうど、眠れる村を大暴流が押し流す如く、死王は奪い取っていく。』  

                                (第287詩句、p322)

夫と二人の幼子と両親と兄弟を一度に亡くしたパターチャーラーという女性の話であります。ショックの余り彼女は身につけている衣服を脱ぎ捨て故郷のサーヴァティに向かって夢遊病人のようにふらふらと歩きはじめた。パターチャーラーの異常な姿を見て往来の人々は怪訝な顔をした。ある者は、「この気違い女!」と罵声を浴びせ、中には石や汚物を投げる者もいた。そのような迫害を受けながら彼女はいつのまにか仏陀がおられるジェタヴァナ僧院近くまで歩いていた。僧院では仏陀が信者たちに法を説いておられた。そして仏陀が神通力によってパターチャーラーを感知されると、「すぐに僧院の中にはいるように」とテレパシーを送られた。・・・・・・・(第113詩句、p146〜p148)



人は、死ぬ時は畳(=ベッド)の上で家族に見送られながら安楽に死にたいと願います。又、ある人は密林の象の如く誰も知らない場所で死にたい、ある人は桜の花が咲く樹の下で死にたい、ある人は死ぬ前に余裕が欲しいなどいろいろ「死に方」に希望があるようです。

しかし、災害は突然やって来ます。誰もが予知することは難しい。もし、自分にできることがあるとしたら、それは、用心を怠らないことです。心の用心を怠らないことです。五力の「念力」の修習(p504、「念」)が、災害時の心の支えとなってくれます。

具体的な話が第174詩句の因縁物語「機織りの少女」(p218)や第212詩句の因縁物語「仏陀、死について語る」(p254)などにあります。どうぞ、参考にしてください。

傷ついた痛ましい遺体に家族の人たちは嘆き悲しみます。誠に、気の毒なことであります。善人の方々が悲惨な最後を遂げた話が『ダンマパダ』の中にも紹介されております。

例えば、大金持ちの息子マッタクンダリは若くして病死、死後三十三天界へ輪廻する(第2詩句、p2)。預流果を得た牛飼いのナンダが矢を射られて死ぬ(第42詩句、p54)。修行中に重い病に倒れて死ぬ比丘ゴディカ(第57詩句、p77)。ライ病患者のスッパブッダは、預流果の悟りを得た後に牛の角に突かれて死ぬ(第66詩句、p91)。死刑執行人タムバダーティカは随順智を得た後、牛の角に突かれて死ぬ(第100詩句、p131)。バーヒヤは阿羅漢果を得た後に牛の角に突かれて死ぬ(第101詩句、p133)。ティッサ長老が信者の男に棒で叩かれた傷が原因で死ぬ(第126詩句、p160)。マハーモッガラーナ長老は複数の人間に殴り殺される(第137〜140詩句、p174)。アングリマーラ長老は飛んできた石が頭に当たりそれが原因で死ぬ(第173詩句、p215)など。

仏陀も、旅の途中、クシナーラの地で「野垂れ死」の最後でありました。『ダンマパダ』アップグレード版の中のこれらの因縁物語を読まれた読者の方々は、すでにお気ずきでしょう。人が幸福な人生を過ごしたか、不幸な人生を過ごしたかを判断するのにその人の「死に方」などは基準にならないことを。「生き方」によって決まるものであると理解されておられることでしょう。被災者のご家族の方々には、もうこれ以上嘆き悲しむことがないようにお祈り申し上げます。

この大津波で生き残った人たちも、又いずれ死ぬ時がおとずれます。病院で手術によりて病が回復した人にも、いずれ死がおとずれます。戦争で生き残った兵隊にもやがて死がやってきます。

そうです、仏陀は、「人生は如何に生きるべきか」「人間は如何に生きるべきか」「今日一日を、如何に生きるべきか」について説いておられるのであります。


  『母も父も、その他の親類たちも、その人を[幸福に]することはできない。
   正しく[善に]おかれた心だけが、その人をより以上に優れた[幸福に]する。』  

                                      (第43詩句、p57)

 『自分自身によって実に為された悪行は、自分自身の汚れとなる。自分自身が悪行を為さぬことによって、
 自分自身が清浄となる。清浄と不浄とは明らかに別々である。決して他人が他人を清めることはできない。』

                                                 (第165詩句、p209)


最後に、インド洋大津波で亡くなられたご家族の皆様に心から御悔み申し上げます。


  Aniccâ  vata sankhârâ    |   uppâdavaya  dhammnino     ||
  uppajjitvâ   nirujjhanti     |   tesam   vûpasamo  sukho.  ||

 『すべてのものは、生起しては、やがて消滅していく。生起・消滅の性質を有する
  諸行は、実に無常である。それ故、それらが静まることは、安楽である。

                                     (p256、註Bより)


合掌




2005年01月09日


 『インド洋大津波被災 』 −スリランカ −


 千葉・佐原市「蘭華寺」副住職シーラバッドラ比丘(Seelabhadra Bhikkhu)


 皆様もご承知の如く、未曾有の大津波がスリランカをはじめインド洋周辺諸国を襲いました。死者・不明者の合計が15万人を越え、私の母国スリランカでも3万以上の人たちが亡くなりました。この数は最も被害が大きいとみられる北東部を除いた数字であります。タミール人過激派「タミル・イーラム解放のトラ」の支配する地域であるため被害の内容がまだわかっていないためです。まだまだ死者の数が増えると言います。

 連日、現地レポートがTV報道され、スリランカへ医療活動に参加されている日本人救援隊のメンバーの話などを通じて刻々と現地の様子を知ることができます。現在、被災地に対する救援・復興事業が、日本・米国・インド・オーストラリヤなどの「コア・グループ」と国連などが中心となって行なわれております。特に、日本政府の寛大で迅速な支援表明と緊急支援活動に対して、先日のアナン国連事務総長も高く評価されたように、私も日本の皆様にたいへん感謝しております。

昨年の夏、私は何年かぶりに母国に帰り、家族や友人たちと再会して約2ヶ月間ほど楽しい日々を過ごしました。みんなは津波の被害を受けたのだろうか、みんな大丈夫なのか、いったいどうしているのかと安否が気になります。母国の悲惨な被災現場をTVで見るたびに心が痛みます。なにもできない自分に対する苛立ちの気持ちを抑える日々が続きます。

私は今から慈の修習(mettâ  bhâvanâ)というお経を心を込めて静かに唱えたいと思います。生きとし生けるものが、みんなが幸せでありますように。


Mettâ bhâvanâ (慈の修習:『ダンマパダ』アップグレード版 p410〜p413参考)

Aham avero homi, abyâpajjo homi, anîgho homi, sukhî attânam pariharâmi.

私が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、
いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。

sîmatthasamgho avero hotu, abyâpajjo hotu, anîgho hontu,  sukhî attânam pariharatu.

結界の内に住む出家修行者の集いであるサンガが、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、
苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。

sîmatthadevatâ averâ hontu, abyâpajjâ hontu, anîghâ hontu, sukhî  attânam pariharatu.

結界の内に住む神々が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、
いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。
amhâkam gocaragâme jetthakamanussâ averâ hontu, abyâpajjâ  homi, anîgho hontu, sukhî attânam
pariharantu.

私たち出家修行者が托鉢で回る町の老人が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、
苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。

amhâkam gocaragâme manussâ averâ hontu, abyâpajjâ hontu, anîghâ hontu, sukhî attânam pariharantu.

私たち出家修行者が托鉢で回る町の人々が、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、
苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。
puratthimâya disâya, dakkhinâya disâya pacchimâya disâya, uttarâya disâya, puratthimâya anudisâya,
dakkhinâya anudisâya, pacchimâya  anudisâya,  uttarâya anudisâya, hetthimâya disâya, uparimâya
disâya, sabbe sattâ, sabbe pânâ, sabbe bhûtâ, sabbe puggalâ, sabbe attabhâva pariyâpannâ  sabbâ
itthiyo sabbe purisâ sabbe ariyâ, sabbe anariyâ, sabbe devâ, sabbe manussâ, sabbe vinipâtikâ averâ
hontu, abyâpajjâ hontu, anîghâ hontu, sukhî attânam pariharantu.

東南西北・北東・南東・南西・北西、下方、上方に住む一切の有情、呼吸する一切の生き物、身体をもつ
一切の生きもの、食べ物によって生きる人間・動物・神々など一切の生きもの、卵などをもつ一切の生きも
の、すべての女性、すべての男性、すべての聖者、すべての凡夫、すべての神々、すべての人々、阿修羅
など悩みさ迷うすべてのものが、怨みのないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、
いつまでも心身共に、健全で、幸福に暮らせますように祈ります。
uddha yâva bhavaggâ ca, adho yâva avîcito. samantâ cakkavâlesu, ye sattâ pathavicarâ. udakecarâ,
âkâsecara, abyâpajjhâ niverâ ca, niddukkhâ ca nupaddavâ.

上は、三十一天界の非想非非想処天(DhpーU.p263、図表)という最上天に至るまで、下は、無間地獄に至
るまで、あまねく世界において地上で生活する有情、水中で生活する有情、空中で生活する有情が、怨み
のないものとなれ、怒りのないものとなれ、苦悩がないものとなれ、いつまでも心身共に、健全で、幸福に
暮らせますように祈ります。
yam pattam kusalam tassa, ânubbhâvena pânino. sabbe saddhammarâjassa, ñatvâ dhammam sukhâvaham.
pâpunantu visuddhâya, sukhâya patipattiyâ. asokam anupâyâsam, nibbâna sukhamuttamam.

私たちの得た善の力によって一切の生きものが、幸福をもたらす正法の王(=仏陀)の法を正しく理解し、
清浄と安楽の実践によって憂いもなく、悩みもない最上の幸福である涅槃の境地にいたれ。
ciram titthatu saddhammo, dhamme hontu sagâravâ. sabbe pi sattâ  kâlena, sammâ devo pavassatu.

正しい法は、永遠であれ、一切の有情は法を尊重せよ、雨は、適切な時に降れ。
yathâ rakkhimsu porânâ, surâjâno tathevimam. râjâ rakkhatu dhammena, attano va pajam pajam.

昔の善き王たちが守った如く、王は、この人々を法によって我が子のように守れ。
" sabbe sankhârâ  aniccâ " ti, yadâ paññâya passati. atha nibbindati dukkhe, esa maggo visuddhiyâ.

『諸行は、無常である』と、観の修習による智慧によって観る時、次に「苦」を厭う。これが、清浄への道
である。(Dhp−U.p313、第277詩句)
" sabbe sankhârâ dukkhâ" ti, yadâ paññâya passati. atha nibbindati dukhe, esa maggo visuddhiyâ.

『諸行は、苦である』と、観の修習による智慧によって観る時、次に「苦」を厭う。これが、清浄への道
である。(Dhp−U.p313、第278詩句)


" sabbe dhammâ anattâ" ti, yadâ paññâya passati. atha nibbindati dukhe, esa maggo visuddhiyâ.

『諸法は、無我である』と、観の修習による智慧によって観る時、次に「苦」を厭う。これが、清浄への道
である。(Dhp−U.p313、第279詩句)
appamâdena bhikkhave sampâdetha, buddhuppâdo dullabho lokasmim, manussattabhâvo dullabho, dullabhâ
saddhâsampattî, pabbajitabhâvo dullabho, saddhammassavanam dullabham, evam divase divase ovadî.

比丘たちよ、汝たちは、不放逸によって修行の目的を成就せよ。仏陀の出現は、世に得難いことである。
人間として生れてくることは、得難いことである。信仰をもつことは、得難いことである。出家修行者になる
ことは、得難いことである。正しい法を聞くことは、得難いことである。このように日々説かれたのである。
handa dâni bhikkhave âmantayâmi vo vayadhammâ sankhârâ appamâdena sampâdethâ ti.

比丘たちよ、今、汝たちに説こう。諸行は、滅するものである。汝たちは不放逸によって修行の目的を成就
せよ。
ettâvâtâ ca amhehi, sambhatam puññasampadam. sabbe devânumodantu, sabbasampattisiddhiyâ. dânam
dadantu saddhâya, sîlam rakkhantu sabbadâ. bhavanabhiratâ  hontu, gacchantu devatâgatâ.

このように私たちが積んだ功徳の成就を、一切の神々は喜べ。一切の幸福の成就のために、業と業果の
因果を信じて、布施をせよ。常に戒律を守れ。修習を楽しめ。集いに来た神々は、今から帰るがよい。
sabbe buddhâ balappattâ, paccekânañ ca yam balam. arahantânañca tejena, rakkham bandhâmi sabbaso.

一切の力を具えた諸仏の、辟支仏の、阿羅漢聖者たちの威光に護られて、私は、よく仏陀を念じます。
imâya dhammânudhammappatipattiyâ buddham pûjemi.

私は、この悟りの法に至る実践により『仏陀』を、供養します。

imâya dhammânudhammappatipattiyâ dhammam pûjemi.

私は、この悟りの法に至る実践により『法』を、供養します。

imâya dhammânudhammappatipattiyâ sangham pûjemi.

私は、この悟りの法に至る実践により『サンガ』を、供養します。
addhâ imâyâ patipattiyâ jarâ maranamhâ parimuccissâmi.

私は、必ず、この実践によって、『老い』と『死』より解脱するでありましょう。


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P.S. 在日スリランカ大使館では、インド洋大津波の被災者に対する義援金を受け付けております。医薬品など物資の調達や家屋・学校などの再建に使われるとの事です。お問い合わせは、同大使館まで(TEL 03−3440−6911)。 





2004年8月28日

プラ・タカシ・オチアイ・マハープンニョ比丘
   Phra Takasi (Ochiai) Mahâpungynyo


1950年東京都に生れ、1991年パクナーム寺院で出家得度、1994〜1996年一時還俗し帰国、1996年ノーンダムルン寺院にて再得度、ナクタム(教理試験)3級取得、1998年ナクタム2級取得、2000年訳本「ウィパッサナー瞑想・修習の導き」出版、2003年タイ在住日本人比丘として初めてナクタム(教理試験)1級に合格(右写真は合格証書コピー)。現在、チェンマイの山寺にて修行中、今秋ミャンマー国へ渡航予定。



 在タイ日本人比丘現地レポート!タイ仏教教理試験について



 現在、タイ国比丘サンガで行なわれている教法の教育には、1.教理(ナクタム)ー法・戒律・仏伝と、2.パーリ語(パリエン)ー文法・訳文があり、ほかに小規模ではあるが、3.論蔵研究(アビタム)ーアビダンマの学習が行なわれている。

比丘を対象にした仏教大学もあるが、一般的に行なわれている教育はこの三教科であり、その他には在家者・学生向きの仏教教育としてダンマ・スクサーや仏教日曜学校などがある。ダンマ・スクサーとは、1929年から実施されている在家者向けの仏教教理学習制度であり、2001年のデータではタイ全国で約37万人がこの検定試験を受験している。

私は、1996年にテーラワーダ比丘としてタイ国で出家得度をした後、2002年までナクタム(教理)の三級から一級までの学習を行ない、その検定試験を通じて、タイ国比丘サンガの仏教教育を具体的に知る機会が得られた。ここに、日本ではほとんど知られていないタイ国テーラワーダ仏教の教理試験と検定試験の現状について少しお話したい。



 ― ナクタム(教理)の学習と検定試験の現状 ―

 ナクタム教育は、主にワチラヤーン親王(1860-1921)が執筆した教科書を用いて学習する。彼はタイの高僧であり、仏教教学者でもあり、パーリ語文法テキスト・仏教教育に関する多くの註釈書を世に出している。

このナクタム教育には三級から一級までがあり、各級共々、1.論文、2.教理、3.仏伝(仏弟子伝)、4.律、の四課目から構成されている。しかし、タイ仏教史やインド仏教史などの課目はなく、それらに代わって「仏伝」「宗教儀礼」そして「タイ比丘サンガ法」の学習があり、理論的な研究よりも出家修行者としての「基本的なあり方」について、仏陀の説かれた修行の実践についてなど、即、比丘生活に間に合う実用的な点に重きをなしているのが、その特徴の一つとも言える。



ナクタムの学習が集中的に行なわれるのは雨安居の3ヶ月間である。今年の雨安居は8月1日からはじまるが、この期間中、比丘は外出を避けて修行・学習に集中する。その1ヶ月後に全国一斉に四日間にわたって試験が実施されるのである。その時期、約35万人に増える比丘の中から20万人ほどが学習に専念し、試験を受ける者は13万人にもなる。(2001年資料参考) 

この宗教局の主催による教理試験に私は過去に3度受けた経験がある。試験会場は、仮設のテントであったり、半分屋外のような所であったり、お世辞にもよい環境とは言えないが、しかし、信者の人たちの比丘に対する尊敬の念は強く、受験をする比丘たちに対して村人たちが飲み物を施したり、食事を施したりして、ちょっとしたお祭りのような仏教イベントになっているところが、いかにも南国らしく、タイ国の文化と生活にしっかりと仏教が根付いているのが見て取れる。

毎年、雨安居には10万人以上のタイの男性たちが自らの意志で出家し短い期間を定めて比丘生活を体験する。その期間中、かれら新人比丘たちは、ほぼ強制的にナクタム三級程度の学習をさせられる。その学習用テキストとなるのが、前述のワチラヤーン親王が作成した新人比丘のための教科書ナワコーワート(新参者への教戒)である。「律の制定」「法分別」「在家実践道」など簡潔にわかりやすく説かれた内容であるため百年もの間タイ国テーラワーダ仏教の入門時の必読書として大いに採用されている。


【ナクタム三級教理試験】 主に、@論文、A教理(法)、B仏伝、C律の内容から出題される。

@論文:『ダンマパダ』『スッタニパータ』から引用されたテーマを元にして小論文を書く。2002年度の試験問題は『ダンマパダ』から出題。

                    ―小論文のテーマと問題ー        

  attâ  hi attano nâthô    実に自分自身こそ汝の守護者である。(Dhammapada-160) 

 上記の語句と別の格言からの語句の内容を関連させた上で作文せよ。又、その格言の経典
名も示せ。答案用紙2枚以上を使用し、3時間以内で書き上げよ。


A教理(法):パーリ経典、特に増支部から多く出題される。法数順にかかげられた項目を理解し記憶する。二十の出題の中の十四問は「法分別」から出される。残りの六問は「在家仏教道」(主に「六方礼経」)から出題される。短期間の比丘生活を通じて、仏・法・僧について正しく理解し、又、還俗後の在家信者のあるべき姿についても学習するのである。

                    ー教理(法)の試験問題ー         

問題1.何をしても間違いの多い者には何の「法」が欠けているのか?            

問題2.どのような行ないによって kataññû-katavedî と呼ばれるのか?


問題1の答:正知(sampajañña)と念(sati)の欠如である。即ち、行動を正しく理解している
ことの欠如、意識しながら行動することの欠如である。

問題2の答え:受けた恩恵に対して報いることを知り、それを実際に行動に移すこと。


B仏伝:釈尊の生涯について、又、在家信者としての五戒の受け方、布施の仕方などの宗教儀礼について学習する。二十の問題の内、仏伝は十四問、残りの六問は宗教儀礼である。

                ―仏伝の試験問題―                  

問題1.釈尊への信仰を最初に表明した国王の名と国名は?

問題2.「五体投地の礼拝」とは、どのようなものか?


問題1の答:ビンビサーラ国王、マガタ国。

問題2の答:両膝、両掌、そして額を同時に床につける礼拝。



C律:戒律の概念、八種の訓戒、三学の意味、比丘戒律二百二十七戒条などの解説。

                ―律の試験問題ー                 

問題1.学(sikkhâ)と学処(sikkhâpada)の違いについて。

問題2.âdikammikaの意味について。


問題1の答え:学とは、比丘が学ばなければならない項目。学処とは、釈尊が
制定した学則、戒条。

問題2の答:その戒条の制定をしなければならない原因をつくらせた者、初犯者。


以上がナクタム三級の概説である。その中から二つほど特徴をあげると、

(1).教科書としてナワコーワート(新参者への教戒)が主になっていることである。仏教入門書としてかなり硬い印象があるが、その八十四頁の薄いテキストの「法分別」編では、最後の部分に三十七菩提分法についての記述があり、例え読者の内容への理解が浅くとも、この機会にいろいろな仏教用語や語句に慣れ親しむことができる。

(2).そのナワコーワートに「在家仏教道(キヒパティバット)」や「宗教儀礼」が編纂されていることである。両方とも在家の信者を対象にした内容である。比丘の時には比丘を対象とした学習だけに集中すべきであると思われるであろうが、ここにナクタム三級教育の特徴がある。雨安居の短い期間に毎年十万人以上の一時比丘たちがこれらを学習することによって、還俗後、復帰した職場や家庭の中で一人の仏教信者として生きいくうえで大いに役立ち、同時に、この国の仏教を底辺から支える原動力ともなっている。実に、タイ国では現実の社会に即応した仏教教育がなされているのである。


 ―2002年度ナクタム三級・タンマスクサー三級の試験状況 (ナクタム試験管理事務所の資料)ー 
       級   受験者数    合格者数   不合格者数   合格率
ナクタム三級   72、309人    48、860人   23、449人   67.57%
タンマスクサー三級  249、630人   170、850人   78、790人   68.44%
※タンマスクサーの受験者の多くは、中学・高校生である。ナクタムとは異なり「律」の学習はなく、
 教理(法)と仏伝の問題にはマークシート方式で回答する。




 前述の如く、タイ国比丘サンガにおける教理(ナクタム)の学習と検定試験には三級から一級まであり、各級ごとに特徴がある。三級は新人比丘が学習しなければならない内容と共に還俗後の在家信者のあり方についても学習する。二級は、比丘としての自立を求めるかのように「律」(Vinaya)では生活規範を増上行儀学(abhisamâcârikâ-sikkhâ)として学び、行住坐臥の「威儀」についての細目を記憶する。「法」の科目では「法分別・第二編」を教科書としてアビダンマ的な解釈分類を二群から十五群の法数にもとずいて学ぶ。「頭陀支」(アップグレード版p12、註@)は十三群で説明され、この実践の意義と目的、そして受持の語句がパーリ語とタイ語で表現されている。「仏伝」は仏弟子伝となり、「論文」は長文を書くための訓練であり、三級と比較して多くの専門知識が必要となる。



【ナクタム一級教理試験】三級・二級と同様であり、@論文、A教理(法)、B仏伝(仏弟子伝)、C律を学習する。

@論文:小部経典、増支部経典などから引用された詩句、仏教格言を元に論文を組み立てる。かなりの長文になる故、文章の構成力とダンマの理解力が必要となる。

                   ー小論文のテーマと問題ー           


  yamhi  saccañca dhammo ca     ahimsâ samyamo damo
  sa ve vantamalo dhîro          'thero' iti pavuccati.    (Dhammapada-261)

 真理と法があり、[他人に]不害であり、抑制と調御があり、実に心の垢を吐き出した賢者こそ、
 『長老』と呼ばれる。


上記の詩句を法話形式に従って説明せよ。経典から少なくとも三種以上の詩句を引用し、テーマ
の詩句と関連させて作文せよ。又、その詩句の経典名を示せ。答案紙4枚以上を使用し、三時間
以内で書くこと。
  



A教理(法):ナクタム一級の教科書「法研究」は、五取蘊苦からの厭離(nibbhidâ)が巻頭のテーマとなり、三相の了知による清浄(visuddhi)への道を示す。これは、「ダンマパダ」の第二十道の章や清浄道論などより引用されたものである。又、実践法として「止の修習」「観の修習」について詳しく解説した教科書もある。その他のものとして四念処については、仏典『大念住経』の訳本を中心に「ギリマーナンダ・スッタ」と共に学習する。試験問題は、法に関するものが二十問。

                  ―教理(法)の試験問題ー           

問題1.無常性・苦性・無我性が表面に明らかに現われないのは何によってであるか?

問題2.身至念の修習と不浄観の修習との違いは?


問題1の答:無常性は相続(santati)によって、苦性は威儀(iriyâpatha)によって、無我性は
厚想(ghanasaññâ)によって包み隠され表面に明らかに現われないのである。

問題2の答:身至念とは、髪・爪・歯・皮膚など身体の三十二の部分を所縁として繰り返し
念じること。不浄観とは、死体が腐敗し、壊滅し、骨となっていく様子を観察する行法。

※【学ぶ会より】問題1の相続・威儀・厚想については、「ダンマパダを学ぶ会」ホームぺージの「読者からの質問集」法話シリーズ(2)「大念住経」からの質問A「無常について」質問B「身体の苦について」質問C「無我について」を参考にして下さい。


B仏伝(仏弟子伝を含む):チッチーノロット親王が百年以上前に著した書物「仏陀伝」による前世物語も教科書として採用されているため内容がかなり詳しいものとなっている。試験問題は仏伝に関するものが二十問。

               ―仏伝・仏弟子伝の試験問題―               

問題1.ゴーラッパヤ王はラッタパーラに対して、人が出家にいたる理由として何があると
語ったか?

問題2.アーナンダ尊者は釈尊からどのような称賛を得たか?


問題1の答:次の四つの理由による。1.老い、2.病い、3.財産の衰退、4.親族の衰退。

問題2の答:次の五つである。1.博学である、2.念がある、3.理性がある、4.賢者であ
る、5.仏陀の「侍者」である。



C律:比丘サンガ・カンマ(sanghakamma)としての僧団の行事・結界作法・出家得度の規定などと共に「サンガ法」の学習がある。このサンガ法は、1902年に制定され、その後3回改正された。現在のサンガ法では、法王の権限、長老会の構成、寺院の住職の権限などと共に、実刑を伴う罰則も明記されている。

                ―律の試験問題―              

問題1.表白(anussâvana)とは何か?

問題2.現在のサンガ法において、法王を任命する者は誰か? 
それは、第何条に明記されているか?


問題1の答:比丘サンガにおける議案の告示とその承認である。

問題2の答:国王が任命、サンガ法第七条に明記されている。



【まとめ】
 タイ国における国家試験的な「比丘試験」は1700年代から実施されており、当初、パーリ語を口答によってタイ語訳するというようなものであった。教法全般の試験は、1911年にワチラヤーン親王(タイ高僧1869-1921)によって提案され、1920年代にパーリ語の試験「パリエン」と教法全般の試験「ナクタム」の試験制度とに整備されて現在に至っている。そしてナクタムの学習に採用されている約二十冊の指定教科書の九割以上が今も彼の著作である。

このように八十年以上にわたって大幅な変更もなく今日も続けられているのは、テーラワーダ仏教の保守性や国教化したタイ仏教の構造という条件もあるが、それよりも大きな理由として、仏教の基本的な教理を一般の比丘に修得させる上で合理的に有効に機能している点があげられる。

この制度は、タイの人々のみならず外国人にとっても受け入れやすいものであると私自身の体験から感じるのである。テーラワーダ仏教に興味をもつ外国人(日本人も含む)にとってタイ国における仏教の修行は、決して難しすぎるというものではない。そのためには、先ずタイ語を身につけていなければならないが、私の場合、それさえもやがて外国語で「仏法」を学ぶ楽しさに変わっていった。

私の8年間の比丘生活の中で、例えば、ブッダゴーサの「清浄道論」を学習するだけではなく、戒を保ち、「止(サマーティ)の修習」と「観(ウィパッサナー)の修習」の実践によって、仏陀の教えが極めて身近なものとして触れることができるようになり、又、日常生活における生きた学問として自然に受け止めることもできた。これは、私の人生にとってたいへん大きな喜びである。そして、仏道専修の環境を与えてくれたタイの人々に対して改めて心から感謝を申し上げたい。私は、今秋、求道のためにミャンマー国へ渡航する予定であるが、しかし、このタイの人々の御恩は、終生忘れない。


最後に、このレポートは、テーラワーダ仏教への理解の一助になればと思い筆をとったしだいである。「仏(ブッダ)」「法(ダンマ)」「僧(サンガ)」の三宝の限りない威力によって、皆様の日々が、明るく、穏やかなものでありますように。


30/6/2004

チェンマイにて


P.S.
テーラワーダ仏教の実践について真剣に知りたい方は、下記の山寺まで連絡下さい。本拠地をチョンブリーからチェンマイに移し、
十二月からはビルマで数ヶ月修行する予定もありますが、その間も連絡はつながるようにしておきます。

Wat Phrabhudabat-tamoa, T.Pongtung A.Doitao C.Chiangmai,50260 THAILAND.



2003年03月28日

 在日ミャンマー僧ウ.スセンナ比丘 特別寄稿 

慈しみの心に、目覚める!

ー 実践「ウィパッサナー観法」 初級編 ー

ウ.スセンナ比丘(U.Sucinna Bhikkhu)
1954年7月ビルマ国Magwe県Gangaw市に生れる。
20歳の時、出家。マンダレー市のムーゴン僧院
(Mo Kaung)にてパーリ三蔵の学習・実践に励む。
34歳の時、来日。現在、北九州市門司区の宗教
法人「世界平和パゴダ僧院」に在住、同僧院の責
任役員。「パーリ語仏典CDシリーズ」第6号『六方
礼経』のパーリ経文を読誦されておられる。


 日本の皆様、はじめまして! 私はウ.スセンナという名のビルマ僧です。今から十五年前、上座部佛教の布教のため日本にやって来ました。例年ながら、日本の冬は寒いです。特に今年はいつもより寒さが厳しいと感じますが、皆様は如何でしょうか? あたたかい国からやって来た私にとって、毎年、日本の冬に閉口します。

 さて、21世紀は「心の時代」とも言われております。日本の人々は、戦後の高度成長によって車・テレビ・冷蔵庫・洗濯機などいろいろな製品を家庭の中に持ち、世界的に見てもたいへん高いレベルの文化生活を過ごしておられます。日本はアジア随一の経済大国であります。私の国ミャンマーでは考えられないほどたくさんの物が溢れております。しかし、その反面、精神的な喜びを求めたいという方々も年々増えているようです。新しい物を買っても昔ほどのうれしさを感じない、手に入れた時の満足度も低くなった、人との疎外感を感じるなど、拝金主義と豊かな社会がもたらす深刻な『心』の問題が生じているようです。

そのためか、近年、佛教に興味をもつ人たちが増えているようです。この人たちが求める「佛教」とは、これまでの葬式佛教やお経の棒読みといったようなものではなく、お釈迦様の教えを理解して、お経の意味もわかり、そしてお釈迦様が説かれた瞑想によって「心の喜びを感じたい」「心の平安を得たい」「慈しみの心をもちたい」という、外形よりも中身について、積極的にアプローチされておられます。この佛教の原点を見直そうという空気は、一般の人だけにとどまらず、僧侶や尼さんたちにも広がり、私の所へも訪ねてこられては、仏陀本来の教えについていろいろご質問をされたり、又、瞑想指導を受けておられます。

ご承知のように、私の母国ミャンマーはたいへん貧しい国です。今も学校や医療施設も十分ではありません。それ故、私たちミャンマー人は、物質的な豊かさを目指すならば、大きく経済発展した日本を手本としていろいろ多くのことを日本から学ばなければなりません。

しかし、「佛教」に関しては別であります。ミャンマーの佛教は、長い伝統があり、仏陀時代の修行生活を護持しながら、今日も人々の中で生き続けております。特に、「アビダンマ(論)」の研究については千年の歴史があり、その業績は他の追随を許しません。

今から約六十年前にマハーシ長老が「ウィパッサナー観法(観の修習)」という瞑想方法を発表しました。伝統的な「止(禅定)の修習」が中心であった当時の比丘サンガは、最初、反対の立場をとりましたが、その後内容をよく吟味されると、やがて採用するようになりました。今では「止の修習」と「観の修習」とを併用しながら一般のミャンマー人も瞑想に励んでおります。

さて、今からマハーシ長老の『ウィパッサナー観法』について実践しながら紹介したいと思います。この寄稿文は、以前私が世界平和パゴダ僧院の「瞑想道場」にて日本の方々に指導した内容を文章化したものであります。
尚、サブ・テーマは『慈しみの心に、目覚める!」であります。

それでは、瞑想をはじめる前に瞑想の邪魔になるような雑用をすべて終らせてください。これは、たいへん大事なことです。

次に、先ず、ゆっくりと座って下さい。足の組み方は、正座でも構いませんが、正式には「結跏趺坐」(けっかくざ)と言う、右足の甲を左足の腿の上に乗せて、左足の甲を右足の腿の上に乗せるなど、両足を重ねている形が正式な足の組み方があります。むろん結跏趺坐ができない人は、どちらかの足を片方の足と重ねるだけでも別に構いません。あるいは足をあぐらの形に組む、足を交差させずにそのまま座るでも構いません。又、座布団を折って半分に敷いて座るでもよろしいです。肝心な点は、自分にとって一番楽な座り方であるということです。


手は膝の上に置いても構いませんし、握っていてもかまいません。お腹の下あたりへと右手と左手をそのままクロスさせて乗せている、仏像によくある形ですけれども、そういう形でも構いません。親指と親指とが軽く触れる形をしている場合が日本では多いようですね。

次に、目を閉じてください。一般的に日本では半眼に開けるというケースが多いようですけれども、初心者には目を閉じた方がやりやすいです。というのは、これからやる瞑想は「ウィパッサナー観法」と言いまして、細かく自分の心の動きを見る瞑想です。それゆえ、心の扉だけを開けておくことが一番大事なのです。

人間には六つの門があります。ひとつは目の門、ひとつは鼻の門、ひとつは口の門、ひとつは耳の門、ひとつは体の門、ひとつは心の門という、六つの入り口があります。例えば、一人の男が大きなトカゲを捕まえようとしたが、トカゲが六つの穴がある蟻塚に逃げ込んだとします。男はトカゲを捕まえるため、五つの門を閉じて一つだけを開けたままにしておけば、隠れたトカゲがその門から出て来たところを捕まえることができます。
目で見ながら、耳で聞きながら、体で触れながら、その「心」をつかまえようとしても「心」は簡単にとらえられるものではありません。なかなか難しいです。ですから、五つの門を閉じて一つの門だけ開いたままにして待つという作戦が必要なのです。(『ダンマパダ』アップグレード版の愛読者は第282詩句の因縁物語「ポッティラ長老」を参考にしてください。)

そのためには目は閉じます。静かな所、できるだけ音が聞こえない場所に座ってください。そして、他の人と話をすることは、瞑想にとって一番駄目なことですから、瞑想中は一切誰とも口をきかないでください。体に触れたり、手をどこかに触れたりしてはいけません。鼻に刺激を与える香り、あまり嫌な香りがするような所では瞑想をやらないことです。5つの門を閉じて、ひとつの心の門だけ開けて、心の動きを自分でとえるというのが「ウッパサナー瞑想」の一つの仕方です。
 さて、ウッパサナー瞑想に入る前に、その準備の段階として「慈しみ」の瞑想からはじめたいと思います。

これは、『慈しみの心』に目覚めるための実践的な訓練です。佛教には、この世界を、「悟りのない世界(=世間)」と「悟りの世界(=出世間)」と大きく二つに分けて考えております。そして「悟りのない世界」には、「欲界」「色界」「無色界」があります。私たちは、貪欲と怒りと愚痴が激しく渦巻くこの「欲界」の世界に住んでおります。当然、この世界に住んでいる限り、人は、他人と関わり合う中で嫌な思いをすることが、どこに居ようが、起こります。もし、相手の人を憎んだり、怒ったりした場合、自分の怒りのエネルギーが相手の所へと届きます。そして、それを感じた相手にも怒りのエネルギーが生じて、憎まれたり、あるいは怒られたりするのです。相手からそのようなエネルギーが自分に返ってくるのを感じ(これは、自分がそういうエネルギーをもっているためですが)、自分の心がどんどんどんどんとその対象へ向かい、悪い方向にすすみ、心が汚れてしまい、病気になったり、さらに嫌な争いが増えるという悪循環が続きます。精神的な苦痛や悲しみの原因となります。


〔慈しみの心に目覚める〕

 其れゆえ、相手に対しての慈しみの心に目覚めるということが、幸せになるための大きな第一歩であると言えます。それでは慈しみの瞑想の練習をはじめたいと思います。足を組んでください。目を閉じてください。手は下の方で自由にして下さい。

先ず、最初に自分の幸せを願うのです。人は、自分が幸せになりたいために行動し、生活しているわけですから、まず最初に自分の幸せを願ってください。目を閉じて、ゆっくりと心の中で自分の幸せを願います。背筋と首が真直ぐになるようにして下さい。背筋をゆっくりと伸ばして首もゆっくりとあげてください。首が下がると眠くなります。背筋をのばして首と一直線になるような形になれば、眠気は生じにくくなります。背筋を伸ばすつもりでやってください。はい、よろしいですか。

それでは、先ず自分の幸せを祈って下さい。心の中で、ゆっくりと唱えます。「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」。5回でも10回でも、自分が幸せの気持ちでいっぱいになるまで、ゆっくりと自分の幸せを祈ってください。自分の心の中が幸せでいっぱいになったな〜と感じたならば、次に、その気持ちをまわりに少しずつ広げていきます。

自分が幸せになるためには、自分の一番身近な存在である家族が幸せでなければなりません。それなくして自分の幸せはありません。家族ひとり一人の顔を思い出しながら、自分の家族の幸せを祈って下さい。自分の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族がしあわせでありますように。私の家族が幸せでありますように。

十分に自分の家族の幸せを祈ったならば、次にさらに広く自分のまわりに対して「慈しみの心」を広げて下さい。今、自分がこうして生活できるのは人の協力のおかげです。ですから、その人に感謝の気持ちを送り、その人の幸せを祈って下さい。私の親しい人が幸せでありますように、私の親しい人が幸せでありますように。私の親しい人が幸せでありますように。私の親しい人が幸せでありますように。

自分の親しい人の幸せだけではありません。自分がこうしてやれるのは、自分の取り引き先、自分の回りを取り巻く近所の人たち、いろんな人たちの協力があって自分の幸せがあるわけですから、自分のまわりの人、接触するすべての人たちの幸せを祈って下さい。自分の回りの人たちが幸せでありますように。自分の回りの人たちが幸せでありますように。自分の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。

今度は自分を取り巻く全ての環境を、人々を、動物たちを、昆虫を、まわりにいる天界、あるいは地獄・餓鬼にいる化生を、そのようなすべての生きもの、自分を取り巻くすべての生きものの幸せを祈って下さい。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。

「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」という気持ちがいっぱいになって、自分の心がそれに満たされたならば、最後に自分にとって好ましくない人、自分と争いをしてる人、あるいは自分が嫌いな人、相手からも自分が嫌われているだろうと思う人、そういう人たちが必ず身の回りにいるはずです。どうもあの人は私の考えに反対する、虫が好かない、そういう人に対しても感謝の気持ちを送って下さい。ー 汝の敵を、愛せよー です。

自分を嫌いな人,自分が嫌いな人,その人たちが幸せでありますように。自分が嫌いな人,その人たちが幸せでありますように.自分が嫌いな人,自分を嫌いな人、その人たちが幸せでありますように。念を送るときには、その人の顔を思い出しながら、その人の幸せを心から祈って下さい。「必ずその人が幸せになれるように」と。
 『業』(kamma)というのは、全て心の為せるわざ,心がつくるものです。『心』の中に浸透すれば、その業が働きます。カルマができるということであります。それ故、心から、その人の幸せを祈って下さい。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。

 最後に、もう一度,生きとし生けるものの幸せを祈って下さい.生きとし生けるものが幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。

朝、目がさめた時、あるいは夜寝る前に、布団の上でも結構です。畳に座ったままでも結構です。ベッドに腰掛けても構いません。慈悲の瞑想を、ほんの10分でも行なうだけで,翌朝の目覚めが違います。健やかな気持ちで目がさめます。そして、この気持ちを大事にしながら今日一日がはじまる。それは自分の幸福につながると思います。できれば、夜寝る前に慈悲の瞑想をやることをおすすめします。そして朝起きた時に、さらに慈悲の瞑想を行なってから1日の行動を開始する。これが一番いい方法だと思います。
 自分の気持ちを「慈しみの心」でいっぱいにすることによって,自分が多くの人たちから支えられて幸せになると実感できるのであります。それゆえ、いつでも、どこでも、どんな場合でも、このような「慈しみの心」,「相手の幸せを願う心」を抱いていただければ一番いいと思うのであります。自分の心の中に、嫌な人の幸せをも望む『慈しみの心』があることに気ずく。なんと幸せなことでしょうか!
 瞑想を続けます。− それでは立ち上がってください。次に「歩く瞑想」をいたします。私が「目は開けます」と言ってから、皆さんは目を開けて下さい.足を崩す時も、右足をくずします、左足をくずします、伸ばします、伸ばします、立ち上がります、と一つの動作を行なうごとに、心の中で、その気持ちを伝えてください。そして、ゆっくりと,病人のようにゆっくりとした動作で立ち上がってください。はい、よろしいですね。
【歩く瞑想】

はい、それでは,今度は歩く瞑想です。歩く瞑想の中にはいくつかの高いレベルの段階がありますが、今日は、はじめの三段階までを紹介したいと思います。歩く場合にも、まず立ってるということを認識してください.今私はこの場に立っている、足が地面についている、床に立っている、立っているということを認識して下さい。
はい、次にお腹の臍のあたりに軽く手をあててください。片手で結構です。右手でも左手でもどちらでも結構です.軽く当てるとお腹が上下しているのがわかってくると思います。お腹がゆっくりとふくらんでくる、そして、下がっていく、ふくらむ、ひっこむという動きを、一つひとつ、これを認識して下さい.立っている、少しふくらむ、ひっこむ、ふくらむ、ひっこむ、という形で認識して下さい。それでは、よいよ歩き始めます。よろしいですか。
それでは最初の第一段階として、右足から歩く人は、右足から右、左、右、左、と歩く自分の足に、心を集中してください。左から先に行く人も、左、右、左、右とゆっくり一つひとつの足の動作を認識して下さい。それ以外のことは考えないで下さい。速く歩く場合も、左、右、左、右、左、右と一つ一つ認識して歩いて下さい。はい、そのまま一周いたします。止まる時も、ゆっくりと「止まります」と言ってから止まって下さい。そして、向きを変えます。はい、「向きを変えます」と言って、向きを変えます。はい、こちらへ戻ってきて下さい。左、右、左、右、左、右、左、右、左、右、 ― はい、今度は、はい、向きを変えて、ゆっくりと、今よりも少しゆっくりとなります。
次に第二段階へすすみます。第一段階では一拍子で、左、右、左、右といきました。今度はひとつの動作の中に、「上げる」、「下ろす」という二つ言葉がはいります。では左足からいきます。「上げる」、「下ろす」,はい、次、右足を「上げる」,「下ろす」、又、左上げる,下ろす。今度は右という言葉も,左という言葉もいりません。上げる,下ろす、上げる、下ろす,上げる,下ろすという形をもって、そのまま歩いて進んで下さい。よろしいですか、はい。上げる,下ろす,上げる、下ろす,上げる,下ろす、上げる,下ろす,上げる,下ろす,上げる,下ろす。はい、そのまますすんで。こちらへゆっくりと帰ってきて下さい。上げる,下ろす,上げる,下ろす。はい、止まります。はい、向きを変えます。
最後の第三段階へすすみます。今度は、やはり左足からいきますけど、「上げる」,「運ぶ」、「下ろす」という三つのパターンになります。よろしいですか。ゆっくりと右足を上げます。上げる⇒運ぶ⇒下ろす,はい、運ぶ足も右足の先から出ないように、右足のちょうど親指にあわせる、踵が着くぐらいの状態でゆっくりと上げていきます。よろしいですか。はい、上げる,運ぶ,下ろす。はい、目が自分の足の裏全体にあるように意識してください。はい、上げる、ゆっくりと目が足の裏からあがってくる感じをつかんでください。そして、運びます。はい、運ぶ、はい、運びました。はい、ゆっくりと下ろす。だんだんと下ろす感じを自分の心で、しっかりと、足の裏に自分の心があるような感じをつかんでください。はい、上げる,運ぶ,下ろす,上げる,運ぶ,下ろす,はい、続けて下さい。上げる,運ぶ,下ろす、ゆっくりと、できるかぎりゆっくりと、自分の心を集中させて、足の裏へと自分の心を集中させて、ゆっくりと上がって行く動作を自分の心で見つめてください。はい、その時に,違うことを考えます。「あ〜今日は、何のテレビを見ようかな」「あいつはこんなこと言ってたな」。足を上げていると思った時に、違うことを考える,足を運ぼうと思った時に、別なことを考える。
それに気ずいた瞬間、その場で、ゆっくりと動きをストップさせてください。そして、考えた,考えた、あるいは何かを想像したら、想像した、想像した、あるいは、思い出していたら,思い出した,思い出した,あるいは、人と話をしていることを想像したら、話をした、話をしたなど、心をそちらの方へと向けて下さい。歩く瞑想中に、もし、身体のどこかが痒くなり我慢ができない場合は、そこでもやはり動き停止して、手をあげます、触ります、かきます、と言って、ゆっくりと、かいてください。途中から違う動作をやらないで、心を必ずそこに向けて、意識してください。このようなパターンの瞑想を繰り返し続けていくと、心はいくつもあるように思えてきます。歩く、話す、走る,飛ぶ,あるいは食べる,いろいろな動作が意識しながら出来ます。心でいろいろなことができるかのように思うため心は多くあるように見えますけど、しかし、実際には、心は一つしかありません。心は、単なる認識する作用なのです。※心の認識作用については『ダンマパダ』アップグレード版全一巻の付録編(1)を参考にしてください。
その心が、一つの所縁(対象)を認識する速さは、たいへん速いです。光の16倍とも、あるいは20倍ともいわれるほどの速さで、ちょうど、映画のフィルムの一コマ、一コマのように、心は認識を繰り返しています。ですから、足をあげながら、運びながら、いろんなことを心は考えているように思えますけど、実際にはひとつの心が次から次へと動いているだけなのです。上げる、運ぶ,下ろすということにさらに集中できれば、心はその範囲内に止まっています。これが、心という門だけを開いた一番の訓練の方法なのです。基本的なサマーデー(禅定)という『一つの定』という状態を作るための方法なのです。
皆さんは、例えば、音楽を聴きながら,料理を作る,勉強をする,あるいは運動をするなどがありますが、「〜しながら」ということは、物に集中していない場合が多く、又、ものを覚える場合でも、「〜しながら」では、暗記に集中できず、それほどの成果を得られません。さらに又、道を歩く場合でも、友人とおしゃべりしながら歩いていると、おしゃべりの方に夢中になり、周りの歩行者に注意がいかず、接触事故を起こすなど非常に危険なことが起こりやすいのです。例えば、車を運転中に片手で携帯電話を操作していたために交通事故を起こしてしまうなどです。反対に、ひとつのことだけに集中できる力がつくと、心はものすごい力を発揮し、才能を大いに伸ばします。例えば、短期間でものを覚えられることができるようになります。それゆえ、一つのことに心を集中させることは、たいへん大事なことなのです。
今から、その練習をはじめましょう。はい、ゆっくりと座りますと念じながら、又は腰をおろしますと念じながら,腰をおろしてください。はい。足を組みます。手を組みます。目をつぶります。背筋を伸ばして。はい、今度は,心を呼吸に向けてください。目,耳,鼻,口,体の5つの門が閉まりました。心の門だけが、開いています。この心を、自分の身体の中で動いているものに、一つだけを選び、集中してください。例えば、呼吸があります。心臓の鼓動もあります。皆さんの心臓は今は全員動いていると思いますが、初めての方にとって心臓は速すぎます、なかなか心臓の鼓動を一つ一つ認識するのは難しいです。そこで、呼吸に合わせます。呼吸は面白いもので自分の意思で長くしたり短くしたりすることが出来ます。意識せず勝手に放っといても呼吸はしています。初めに、自分の意思で呼吸をせずに、体の呼吸に合わせて、その呼吸を自覚してください。よろしいですか。さっきと同じように、背筋を伸ばして、足を組みましたら、お腹の臍の周りにゆっくりと手を当ててください。あまり強く当てずに、そっと、柔らかく当ててください。はい、はい、そして、自分が呼吸しているのをゆっくりと意識してください。はい、最初は意識して、ふくらむ、へこむ、ふくらむ、へこむというパターンで、自分の呼吸を意識して、少し強めにお腹をふくらませて、あるいはお腹をへこませても構いませんよ。はい、よろしいですか。必ず、動いているのがよく分かるように意識してください。
はい、それでは目をつぶって、そのままゆっくりと、ふくらむ、へこむ、ふくらむ、へこむというパターンを繰り返してください。はい、よろしいですか。 「ふくらむ」、「へこむ」、心と動作が合っていますね。はい、最初のうちは、5分間も集中することはむずかしいです。当然、違うことを心は考えてしまいます。その場合は、先ほどと同じように、「考えた」、「考えた」、呼吸を意識することからいったん離れて、考えたことだけをつかまえてください。

いろいろと頭の中で考え、ずーっと考え続けている人がいます。そのため呼吸に集中できないという場合は、心が散乱している、散乱してる、散乱していると、ゆっくりと散乱してる心をつかんでください。「散乱している」、「散乱している」、そのように心をゆっくりと散乱している『心』に向けてください。つかまりましたら、再び呼吸に入ってください。呼吸に入った。はい、そして心が呼吸から逃げて他のことを考えていることが分かった時、必ずその時に、「考えている」、「考えている」、という具合に認識して下さい。「思い出した」、「思い出した」、「話してる」、「話してる」、あるいは、「歌ってる」、「歌ってる」、という場合もあります。ともかく状況に合わせて自分で意識して下さい。わからなければ、「考えた」、「考えた」だけでも最初はかまいません。「考えた」、「考えた」ということが自分ではっきり意識できれば、その時、心をつかめたことになります。そして、考えた⇒考えた⇒考え終えた⇒考え終えた、という流れの中で「考えたこと」が消えましたら、また呼吸に戻ってください。ゆっくりと、また呼吸にもどってください。はい、だんだんだんだん、最初のうちは、10分、15分と座っていられないかもしれません。そしてすぐに眠くなるかもしれません。
そのような状態になりましたら、「眠くなる」、「眠くなる」ということを、先ず自覚してください。眠くなる心をつかめてください。やがて眠くなる状態から眠くない心が生じて、眠たくない気分となってきたら、「眠たくない」、「眠たくない」という心をつかんでください。はい、もう眠たくありませんね。

しかし、まだ眠気が続く場合、一度体を起こします。「体を起こします」と言いながら、背筋をのばしてください。首と背筋をまっすぐにしてください。手は、どちらでもかまいません。おなかの下あたりに組んでおいても構いません。それでも眠気が取れない時は、『歩く瞑想』など変更してください。人は、いろいろな姿勢で瞑想することができます。しかし、その中で一番心が集中できるのは、坐る瞑想、すなわち『坐禅』であると言われます。
さて、だんだんと瞑想が深まってきますと、お釈迦様がやっているように手を組んだ形で置く方が一番楽であると気ずいてきます。最初は自分が一番やりやすい方法で手を組んで構いません。呼吸する時、吸う場合は鼻から吸った方が楽でしょうね。はい、ゆっくりと鼻から吸って、そして、出す場合は口から出しても鼻から出しても構いません。口から息を吸うことを続けていますと、やがて喉が乾き、又咳込むことがあります。吸う場合は必ず鼻から吸う方が楽だと思います.息は鼻から吸い、そしてゆっくりと口からでも鼻からでも出すということで善いと思います。はい、そのような形で自分の呼吸を常に、呼吸に合わせて、吸います、あ、失礼、ふくらみます、へこみます、ふくらみます、へこみます、あるいは、吸います、はきます、吸います、はきます、でも構いません.どちらでも構いませんから、それに合わせて、呼吸に自分が合わせて、それに心を認識するということが大事です。慣れてくれば30分でも1時間でもその呼吸に合わせて座っているということができるようになります。
はい、今日は、最初の段階をやりました。ウィパッサナー観法を初めてなさる方々を対象に、初歩の段階の瞑想方法として、「慈悲の瞑想」と「歩く瞑想」、そして、「心を観察する」について簡略に説明いたしました。みなさん、今、学習したことを一日30分間ほどできるようになれましたならば、次の段階へすすみたいと思います。最後に、おさらいとして、30分間だけ瞑想をして終ってください。ここで注意すべきは、瞑想を止めるときも、必ず目を開ける、「瞑想をやめます」と言ってから、ゆっくりとやめることです。瞑想を始める時も、終る時も、きちっと、意識して、必ず言葉に出すことが初心者にとって肝要であります。
それではこれで終ります。

最後に、北九州市門司区の『世界平和パゴダ僧院』に常住する私たちミャンマー政府佛教会派遣僧は、僧院内の「瞑想道場」にて日本の方々に瞑想の指導も行なっております。又、東京など各地方にも布教に出掛けております。皆様から招請されて来日した私たちにとって、仏陀本来の教えを学びたい日本の方々に少しでもお役に立つことができれば、たいへんうれしいことであります。

この寄稿文を通じて、さらに多くの人々との「仏縁」が広がりますように。


宗教法人「世界平和パゴダ僧院」:北九州市門司区布刈山公園内  TEL 093-321-1024
ウ.スセンナ比丘(専用電話) TEL 090−3604−1864 (2006年5月10日更新)



更新日2002年07月06日

ミャンマーとの交流を!
[社]日本・ミャンマー友好協会本部へ
『ダンマパダ』アップグレード版全一巻を寄贈

写真左から池田正隆氏、保科会長(故人)、北嶋氏、ウ.ウィッジャーナンダ大長老
ー友好協会会報 第115号(平成12年10月) P10-11より抜粋ー


 当協会会員北嶋泰観氏は、かねて念願していた南方上座佛教徒に親しまれているパーリ語原始仏典『ダンマパダ』の詩偈およびその註釈書の内容紹介書を完成、出版した。同著書の監修者で北九州市門司区の世界平和パゴダ僧院在住ウ.ウィッジャーナンダ長老と共に本部事務所を訪問、聖句集『ダンマパダ』五分冊ならび今回完成したアップグレード版(中山書房仏書林)一冊を協会に寄贈。そのことが話題となり新聞にも次のように報道された。―
 パーリ語仏典の『ダンマパダ』を独力で日本語に註釈編集した北嶋泰観氏と監修したミャンマーのウ.ウィッジャーナンダ大長老ら一行が、八月三十日、社団法人日本ミャンマー友好協会を表敬訪問し、同協会会長の保科賢一氏(当時)に日本語訳『ダンマパダ』の五分冊とアップグレード版全一巻を寄贈した。
 北嶋氏は、平成四年から八年にかけて、仏陀の生の声を集録したといわれる最古の聖句集『ダンマパダ』を翻訳し五分冊に分けて自費出版。それから、さらに四年の歳月をかけて五冊を一冊にまとめた日本語訳『ダンマパダ』の決定版・アップグレード版を今夏完成させた。
『ダンマパダ』は、日本では『法句経』と呼ばれ、漢訳されて大蔵経に収められているが、その価値は評価されず、長い間埋もれていた。明治時代以降、欧米でパーリ佛教の研究が盛んに行なわれていた影響を受けて日本の知識人にも『ダンマパダ』が少しずつ知られるようになり、近年、多くの学者によって漢訳と英訳を基礎にしてパーリ語から日本語に翻訳された。しかし、その多くが詩偈だけの翻訳に限られているのが現状だ。
 阪神淡路大地震にも負けず!
 北嶋訳『ダンマパダ』は、四百二十三の詩偈の翻訳と英訳、詩偈の背景となった三百三の因果物語の翻訳、および「付録」としてパ―リ上座部佛教の解説を載せるという体裁をとり、一般の人々にも理解しやすいように編集されているところに特色がある。それが僧籍があるものの専門の学者ではない一人の在家の佛教研究家によって成し遂げられたところに意義がある。(中略)

 五年前の阪神淡路大震災で被災し、(中略) この体験が、彼を佛教の教えへと導く決定的な要因となり、それまで五分冊を出版してきた『ダンマパダ』を、大幅に加筆訂正し、一冊にまとめて編集することに専念されることになる。その一方で、パーリ語仏典『ダンマパダ』の翻訳は、上座部佛教国ミャンマーから、昭和五十四年に来日、北九州門司区の世界平和パゴダ僧院に常住したウ.ウィッジャーナンダ大長老の十年間に及ぶ全面的な協力がなければ、不可能だった。その意味で、北嶋訳『ダンマパダ』は、日本とミャンマーの二人の佛教徒の仏陀への熱い思いの結晶といえる。 
 佛教を通じて両国の交流を広げたい
 この日、北嶋氏ら一行が、日本ミャンマー友好協会を訪れたのは、佛教を通じて日本とミャンマーの交流を広げたいとする思いからだ。この本の寄贈に立ち会った日本ミャンマー友好協会理事(当時)の池田正隆氏は、「この本は、ちょっとやそっとの気持ちでできるものではない。北嶋氏の青春を捧げた生涯のライフワークといえる立派な本です。仏陀本来の教えを理解したいと念じて発行された本書は、上座部佛教を初めて学習される人にとって、必読書になる」と、謝辞を述べた。

※「中外日報」平成十二年九月七日号より転載。

 


ウ.ケミンダ大長老猊下、ミャンマー政府から2度目の功労賞授与!

ウ.ケミンダ(U.Kheminda)世界平和パゴダ僧院長猊下
1922年5月ビルマ国に生れる。11歳の時沙弥に、20歳正式に比丘となる。34歳来日、以後、日本における上座部仏教の布教活動に尽くす。1992年、ミャンマー政府から  “ AggaMahâ Pandita Bhadanta Kheminda”、2002年 “Agga Mahâ Sadhamma Jotika Dhaja Bhaddanta Kheminda”の称号を授与される。同猊下は、日本人だけではなく外国人にも仏陀の教えを説くなど国際的な活躍を続けておられる。現在、北九州市門司区にある宗教法人「世界平和パゴダ僧院」僧院長。

【記念インタヴュー】 質問者 北嶋泰観   僧院長=ウ.ケミンダ世界平和パゴダ僧院長  取材日2002年5月

質 問:この度は、前回に続き、さらに上位の “Agga Mahâ  Sadhamma Jotika Dhaja Bhaddanta Kheminda ”(最も偉大な『正法』輝く旗を持つ尊者「ケミンダ」)称号の授与、おめでとうございます。
僧院長:・・・(無言)。

質 問:いつ授与されたのですか?
僧院長:今年(2002年)の3月28日です。

質 問:授与の理由は?
僧院長:長い間、外国(日本)で布教活動をしていたからでしょうな、よくわからないが・・・。

質 問:日本に来られたのはいつ頃ですか? お一人でしたか。
僧院長:招請されて1957年6月11日羽田空港に着きました。その時、ビルマから高僧が5名と私、そして日本人比丘が1名。

質 問:日本の最初の印象は?
僧院長:戦時中、日本の兵隊たちとの接触があり、又、日本に出発する前にいろいろ話も聞いていたので、日本人を見てもあまり違和感がなかった。

質 問:当時の世情を回顧して
僧院長:いろいろあったが、国会の安保反対や「スト」騒動などがある。

質 問:日本での生活がはじまり特に困ったことは。
僧院長:食事の味が違うこと。又、日本語をあまり知らなかったこと。これには困った。・・・一人ぼっちになったような気分だった。

質 問:しかし、今は日本語がお上手です。どのようにして習われたのですか。
僧院長:いろいろなことを試み学習しました。その一つに、・・・・・私は、少年時代、ビルマは英国の植民地だったため英語の授業を受けていた。其れゆえ英語を話すことができる。そこで、英語を学びたい近所の中・高校生たちを僧院に集