| ― 寄稿文コーナ ― |
【掲載中の寄稿文】
(1).在日ミャンマー僧ウ.スセンナ比丘「慈しみの心に、目覚める!」。NEW
(2).[社]日本・ミャンマー友好協会へ本会発行の書籍『ダンマパダ』アップグレード版全一巻を寄贈!
(3).ウ.ケミンダ長老(世界平和パゴダ僧院長)、ミャンマー政府から特別功労賞授与を記念してのインタヴュー!、
(4).日本人出家者の手記、「タイ国、テーラバーダ僧として・・・・・」。
(5).定年サラリーマンのミャンマー国での出家体験記、「ミャンマー点描」。
2003年03月28日
| 在日ミャンマー僧ウ.スセンナ比丘 特別寄稿 |
| 慈しみの心に、目覚める! |
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ウ.スセンナ比丘(U.Sucinna Bhikkhu) 1954年7月ビルマ国Magwe県Gangaw市に生れる。 20歳の時、出家。マンダレー市のムーゴン僧院 (Mo Kaung)にてパーリ三蔵の学習・実践に励む。 34歳の時、来日。現在、北九州市門司区の宗教 法人「世界平和パゴダ僧院」に在住、同僧院の責 任役員。「パーリ語仏典CDシリーズ」第6号『六方 礼経』のパーリ経文を読誦されておられる。 |
| 日本の皆様、はじめまして! 私はウ.スセンナという名のビルマ僧です。今から十五年前、上座部佛教の布教のため日本にやって来ました。例年ながら、日本の冬は寒いです。特に今年はいつもより寒さが厳しいと感じますが、皆様は如何でしょうか? あたたかい国からやって来た私にとって、毎年、日本の冬に閉口します。 さて、21世紀は「心の時代」とも言われております。日本の人々は、戦後の高度成長によって車・テレビ・冷蔵庫・洗濯機などいろいろな製品を家庭の中に持ち、世界的に見てもたいへん高いレベルの文化生活を過ごしておられます。日本はアジア随一の経済大国であります。私の国ミャンマーでは考えられないほどたくさんの物が溢れております。しかし、その反面、精神的な喜びを求めたいという方々も年々増えているようです。新しい物を買っても昔ほどのうれしさを感じない、手に入れた時の満足度も低くなった、人との疎外感を感じるなど、拝金主義と豊かな社会がもたらす深刻な『心』の問題が生じているようです。 そのためか、近年、佛教に興味をもつ人たちが増えているようです。この人たちが求める「佛教」とは、これまでの葬式佛教やお経の棒読みといったようなものではなく、お釈迦様の教えを理解して、お経の意味もわかり、そしてお釈迦様が説かれた瞑想によって「心の喜びを感じたい」「心の平安を得たい」「慈しみの心をもちたい」という、外形よりも中身について、積極的にアプローチされておられます。この佛教の原点を見直そうという空気は、一般の人だけにとどまらず、僧侶や尼さんたちにも広がり、私の所へも訪ねてこられては、仏陀本来の教えについていろいろご質問をされたり、又、瞑想指導を受けておられます。 ご承知のように、私の母国ミャンマーはたいへん貧しい国です。今も学校や医療施設も十分ではありません。それ故、私たちミャンマー人は、物質的な豊かさを目指すならば、大きく経済発展した日本を手本としていろいろ多くのことを日本から学ばなければなりません。 しかし、「佛教」に関しては別であります。ミャンマーの佛教は、長い伝統があり、仏陀時代の修行生活を護持しながら、今日も人々の中で生き続けております。特に、「アビダンマ(論)」の研究については千年の歴史があり、その業績は他の追随を許しません。 今から約六十年前にマハーシ長老が「ウィパッサナー観法(観の修習)」という瞑想方法を発表しました。伝統的な「止(禅定)の修習」が中心であった当時の比丘サンガは、最初、反対の立場をとりましたが、その後内容をよく吟味されると、やがて採用するようになりました。今では「止の修習」と「観の修習」とを併用しながら一般のミャンマー人も瞑想に励んでおります。 さて、今からマハーシ長老の『ウィパッサナー観法』について実践しながら紹介したいと思います。この寄稿文は、以前私が世界平和パゴダ僧院の「瞑想道場」にて日本の方々に指導した内容を文章化したものであります。 尚、サブ・テーマは『慈しみの心に、目覚める!」であります。 |
それでは、瞑想をはじめる前に瞑想の邪魔になるような雑用をすべて終らせてください。これは、たいへん大事なことです。 次に、先ず、ゆっくりと座って下さい。足の組み方は、正座でも構いませんが、正式には「結跏趺坐」(けっかくざ)と言う、右足の甲を左足の腿の上に乗せて、左足の甲を右足の腿の上に乗せるなど、両足を重ねている形が正式な足の組み方があります。むろん結跏趺坐ができない人は、どちらかの足を片方の足と重ねるだけでも別に構いません。あるいは足をあぐらの形に組む、足を交差させずにそのまま座るでも構いません。又、座布団を折って半分に敷いて座るでもよろしいです。肝心な点は、自分にとって一番楽な座り方であるということです。 手は膝の上に置いても構いませんし、握っていてもかまいません。お腹の下あたりへと右手と左手をそのままクロスさせて乗せている、仏像によくある形ですけれども、そういう形でも構いません。親指と親指とが軽く触れる形をしている場合が日本では多いようですね。 |
次に、目を閉じてください。一般的に日本では半眼に開けるというケースが多いようですけれども、初心者には目を閉じた方がやりやすいです。というのは、これからやる瞑想は「ウィパッサナー観法」と言いまして、細かく自分の心の動きを見る瞑想です。それゆえ、心の扉だけを開けておくことが一番大事なのです。 人間には六つの門があります。ひとつは目の門、ひとつは鼻の門、ひとつは口の門、ひとつは耳の門、ひとつは体の門、ひとつは心の門という、六つの入り口があります。例えば、一人の男が大きなトカゲを捕まえようとしたが、トカゲが六つの穴がある蟻塚に逃げ込んだとします。男はトカゲを捕まえるため、五つの門を閉じて一つだけを開けたままにしておけば、隠れたトカゲがその門から出て来たところを捕まえることができます。 目で見ながら、耳で聞きながら、体で触れながら、その「心」をつかまえようとしても「心」は簡単にとらえられるものではありません。なかなか難しいです。ですから、五つの門を閉じて一つの門だけ開いたままにして待つという作戦が必要なのです。(『ダンマパダ』アップグレード版の愛読者は第282詩句の因縁物語「ポッティラ長老」を参考にしてください。) そのためには目は閉じます。静かな所、できるだけ音が聞こえない場所に座ってください。そして、他の人と話をすることは、瞑想にとって一番駄目なことですから、瞑想中は一切誰とも口をきかないでください。体に触れたり、手をどこかに触れたりしてはいけません。鼻に刺激を与える香り、あまり嫌な香りがするような所では瞑想をやらないことです。5つの門を閉じて、ひとつの心の門だけ開けて、心の動きを自分でとえるというのが「ウッパサナー瞑想」の一つの仕方です。 |
| さて、ウッパサナー瞑想に入る前に、その準備の段階として「慈しみ」の瞑想からはじめたいと思います。 これは、『慈しみの心』に目覚めるための実践的な訓練です。佛教には、この世界を、「悟りのない世界(=世間)」と「悟りの世界(=出世間)」と大きく二つに分けて考えております。そして「悟りのない世界」には、「欲界」「色界」「無色界」があります。私たちは、貪欲と怒りと愚痴が激しく渦巻くこの「欲界」の世界に住んでおります。当然、この世界に住んでいる限り、人は、他人と関わり合う中で嫌な思いをすることが、どこに居ようが、起こります。もし、相手の人を憎んだり、怒ったりした場合、自分の怒りのエネルギーが相手の所へと届きます。そして、それを感じた相手にも怒りのエネルギーが生じて、憎まれたり、あるいは怒られたりするのです。相手からそのようなエネルギーが自分に返ってくるのを感じ(これは、自分がそういうエネルギーをもっているためですが)、自分の心がどんどんどんどんとその対象へ向かい、悪い方向にすすみ、心が汚れてしまい、病気になったり、さらに嫌な争いが増えるという悪循環が続きます。精神的な苦痛や悲しみの原因となります。 |
〔慈しみの心に目覚める〕 其れゆえ、相手に対しての慈しみの心に目覚めるということが、幸せになるための大きな第一歩であると言えます。それでは慈しみの瞑想の練習をはじめたいと思います。足を組んでください。目を閉じてください。手は下の方で自由にして下さい。 先ず、最初に自分の幸せを願うのです。人は、自分が幸せになりたいために行動し、生活しているわけですから、まず最初に自分の幸せを願ってください。目を閉じて、ゆっくりと心の中で自分の幸せを願います。背筋と首が真直ぐになるようにして下さい。背筋をゆっくりと伸ばして首もゆっくりとあげてください。首が下がると眠くなります。背筋をのばして首と一直線になるような形になれば、眠気は生じにくくなります。背筋を伸ばすつもりでやってください。はい、よろしいですか。 それでは、先ず自分の幸せを祈って下さい。心の中で、ゆっくりと唱えます。「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」「自分が幸せでありますように」。5回でも10回でも、自分が幸せの気持ちでいっぱいになるまで、ゆっくりと自分の幸せを祈ってください。自分の心の中が幸せでいっぱいになったな〜と感じたならば、次に、その気持ちをまわりに少しずつ広げていきます。 自分が幸せになるためには、自分の一番身近な存在である家族が幸せでなければなりません。それなくして自分の幸せはありません。家族ひとり一人の顔を思い出しながら、自分の家族の幸せを祈って下さい。自分の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族が幸せでありますように。私の家族がしあわせでありますように。私の家族が幸せでありますように。 十分に自分の家族の幸せを祈ったならば、次にさらに広く自分のまわりに対して「慈しみの心」を広げて下さい。今、自分がこうして生活できるのは人の協力のおかげです。ですから、その人に感謝の気持ちを送り、その人の幸せを祈って下さい。私の親しい人が幸せでありますように、私の親しい人が幸せでありますように。私の親しい人が幸せでありますように。私の親しい人が幸せでありますように。 自分の親しい人の幸せだけではありません。自分がこうしてやれるのは、自分の取り引き先、自分の回りを取り巻く近所の人たち、いろんな人たちの協力があって自分の幸せがあるわけですから、自分のまわりの人、接触するすべての人たちの幸せを祈って下さい。自分の回りの人たちが幸せでありますように。自分の回りの人たちが幸せでありますように。自分の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。私の回りの人たちが幸せでありますように。 |
| 今度は自分を取り巻く全ての環境を、人々を、動物たちを、昆虫を、まわりにいる天界、あるいは地獄・餓鬼にいる化生を、そのようなすべての生きもの、自分を取り巻くすべての生きものの幸せを祈って下さい。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。 「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」という気持ちがいっぱいになって、自分の心がそれに満たされたならば、最後に自分にとって好ましくない人、自分と争いをしてる人、あるいは自分が嫌いな人、相手からも自分が嫌われているだろうと思う人、そういう人たちが必ず身の回りにいるはずです。どうもあの人は私の考えに反対する、虫が好かない、そういう人に対しても感謝の気持ちを送って下さい。ー 汝の敵を、愛せよー です。 自分を嫌いな人,自分が嫌いな人,その人たちが幸せでありますように。自分が嫌いな人,その人たちが幸せでありますように.自分が嫌いな人,自分を嫌いな人、その人たちが幸せでありますように。念を送るときには、その人の顔を思い出しながら、その人の幸せを心から祈って下さい。「必ずその人が幸せになれるように」と。 |
| 『業』(kamma)というのは、全て心の為せるわざ,心がつくるものです。『心』の中に浸透すれば、その業が働きます。カルマができるということであります。それ故、心から、その人の幸せを祈って下さい。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。 最後に、もう一度,生きとし生けるものの幸せを祈って下さい.生きとし生けるものが幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。自分が嫌いな人が幸せでありますように。 朝、目がさめた時、あるいは夜寝る前に、布団の上でも結構です。畳に座ったままでも結構です。ベッドに腰掛けても構いません。慈悲の瞑想を、ほんの10分でも行なうだけで,翌朝の目覚めが違います。健やかな気持ちで目がさめます。そして、この気持ちを大事にしながら今日一日がはじまる。それは自分の幸福につながると思います。できれば、夜寝る前に慈悲の瞑想をやることをおすすめします。そして朝起きた時に、さらに慈悲の瞑想を行なってから1日の行動を開始する。これが一番いい方法だと思います。 |
| 自分の気持ちを「慈しみの心」でいっぱいにすることによって,自分が多くの人たちから支えられて幸せになると実感できるのであります。それゆえ、いつでも、どこでも、どんな場合でも、このような「慈しみの心」,「相手の幸せを願う心」を抱いていただければ一番いいと思うのであります。自分の心の中に、嫌な人の幸せをも望む『慈しみの心』があることに気ずく。なんと幸せなことでしょうか! |
| 瞑想を続けます。− それでは立ち上がってください。次に「歩く瞑想」をいたします。私が「目は開けます」と言ってから、皆さんは目を開けて下さい.足を崩す時も、右足をくずします、左足をくずします、伸ばします、伸ばします、立ち上がります、と一つの動作を行なうごとに、心の中で、その気持ちを伝えてください。そして、ゆっくりと,病人のようにゆっくりとした動作で立ち上がってください。はい、よろしいですね。 |
| 【歩く瞑想】 はい、それでは,今度は歩く瞑想です。歩く瞑想の中にはいくつかの高いレベルの段階がありますが、今日は、はじめの三段階までを紹介したいと思います。歩く場合にも、まず立ってるということを認識してください.今私はこの場に立っている、足が地面についている、床に立っている、立っているということを認識して下さい。 |
| はい、次にお腹の臍のあたりに軽く手をあててください。片手で結構です。右手でも左手でもどちらでも結構です.軽く当てるとお腹が上下しているのがわかってくると思います。お腹がゆっくりとふくらんでくる、そして、下がっていく、ふくらむ、ひっこむという動きを、一つひとつ、これを認識して下さい.立っている、少しふくらむ、ひっこむ、ふくらむ、ひっこむ、という形で認識して下さい。それでは、よいよ歩き始めます。よろしいですか。 |
| それでは最初の第一段階として、右足から歩く人は、右足から右、左、右、左、と歩く自分の足に、心を集中してください。左から先に行く人も、左、右、左、右とゆっくり一つひとつの足の動作を認識して下さい。それ以外のことは考えないで下さい。速く歩く場合も、左、右、左、右、左、右と一つ一つ認識して歩いて下さい。はい、そのまま一周いたします。止まる時も、ゆっくりと「止まります」と言ってから止まって下さい。そして、向きを変えます。はい、「向きを変えます」と言って、向きを変えます。はい、こちらへ戻ってきて下さい。左、右、左、右、左、右、左、右、左、右、 ― はい、今度は、はい、向きを変えて、ゆっくりと、今よりも少しゆっくりとなります。 |
| 次に第二段階へすすみます。第一段階では一拍子で、左、右、左、右といきました。今度はひとつの動作の中に、「上げる」、「下ろす」という二つ言葉がはいります。では左足からいきます。「上げる」、「下ろす」,はい、次、右足を「上げる」,「下ろす」、又、左上げる,下ろす。今度は右という言葉も,左という言葉もいりません。上げる,下ろす、上げる、下ろす,上げる,下ろすという形をもって、そのまま歩いて進んで下さい。よろしいですか、はい。上げる,下ろす,上げる、下ろす,上げる,下ろす、上げる,下ろす,上げる,下ろす,上げる,下ろす。はい、そのまますすんで。こちらへゆっくりと帰ってきて下さい。上げる,下ろす,上げる,下ろす。はい、止まります。はい、向きを変えます。 |
| 最後の第三段階へすすみます。今度は、やはり左足からいきますけど、「上げる」,「運ぶ」、「下ろす」という三つのパターンになります。よろしいですか。ゆっくりと右足を上げます。上げる⇒運ぶ⇒下ろす,はい、運ぶ足も右足の先から出ないように、右足のちょうど親指にあわせる、踵が着くぐらいの状態でゆっくりと上げていきます。よろしいですか。はい、上げる,運ぶ,下ろす。はい、目が自分の足の裏全体にあるように意識してください。はい、上げる、ゆっくりと目が足の裏からあがってくる感じをつかんでください。そして、運びます。はい、運ぶ、はい、運びました。はい、ゆっくりと下ろす。だんだんと下ろす感じを自分の心で、しっかりと、足の裏に自分の心があるような感じをつかんでください。はい、上げる,運ぶ,下ろす,上げる,運ぶ,下ろす,はい、続けて下さい。上げる,運ぶ,下ろす、ゆっくりと、できるかぎりゆっくりと、自分の心を集中させて、足の裏へと自分の心を集中させて、ゆっくりと上がって行く動作を自分の心で見つめてください。はい、その時に,違うことを考えます。「あ〜今日は、何のテレビを見ようかな」「あいつはこんなこと言ってたな」。足を上げていると思った時に、違うことを考える,足を運ぼうと思った時に、別なことを考える。 |
| それに気ずいた瞬間、その場で、ゆっくりと動きをストップさせてください。そして、考えた,考えた、あるいは何かを想像したら、想像した、想像した、あるいは、思い出していたら,思い出した,思い出した,あるいは、人と話をしていることを想像したら、話をした、話をしたなど、心をそちらの方へと向けて下さい。歩く瞑想中に、もし、身体のどこかが痒くなり我慢ができない場合は、そこでもやはり動き停止して、手をあげます、触ります、かきます、と言って、ゆっくりと、かいてください。途中から違う動作をやらないで、心を必ずそこに向けて、意識してください。このようなパターンの瞑想を繰り返し続けていくと、心はいくつもあるように思えてきます。歩く、話す、走る,飛ぶ,あるいは食べる,いろいろな動作が意識しながら出来ます。心でいろいろなことができるかのように思うため心は多くあるように見えますけど、しかし、実際には、心は一つしかありません。心は、単なる認識する作用なのです。※心の認識作用については『ダンマパダ』アップグレード版全一巻の付録編(1)を参考にしてください。 |
| その心が、一つの所縁(対象)を認識する速さは、たいへん速いです。光の16倍とも、あるいは20倍ともいわれるほどの速さで、ちょうど、映画のフィルムの一コマ、一コマのように、心は認識を繰り返しています。ですから、足をあげながら、運びながら、いろんなことを心は考えているように思えますけど、実際にはひとつの心が次から次へと動いているだけなのです。上げる、運ぶ,下ろすということにさらに集中できれば、心はその範囲内に止まっています。これが、心という門だけを開いた一番の訓練の方法なのです。基本的なサマーデー(禅定)という『一つの定』という状態を作るための方法なのです。 |
| 皆さんは、例えば、音楽を聴きながら,料理を作る,勉強をする,あるいは運動をするなどがありますが、「〜しながら」ということは、物に集中していない場合が多く、又、ものを覚える場合でも、「〜しながら」では、暗記に集中できず、それほどの成果を得られません。さらに又、道を歩く場合でも、友人とおしゃべりしながら歩いていると、おしゃべりの方に夢中になり、周りの歩行者に注意がいかず、接触事故を起こすなど非常に危険なことが起こりやすいのです。例えば、車を運転中に片手で携帯電話を操作していたために交通事故を起こしてしまうなどです。反対に、ひとつのことだけに集中できる力がつくと、心はものすごい力を発揮し、才能を大いに伸ばします。例えば、短期間でものを覚えられることができるようになります。それゆえ、一つのことに心を集中させることは、たいへん大事なことなのです。 |
| 今から、その練習をはじめましょう。はい、ゆっくりと座りますと念じながら、又は腰をおろしますと念じながら,腰をおろしてください。はい。足を組みます。手を組みます。目をつぶります。背筋を伸ばして。はい、今度は,心を呼吸に向けてください。目,耳,鼻,口,体の5つの門が閉まりました。心の門だけが、開いています。この心を、自分の身体の中で動いているものに、一つだけを選び、集中してください。例えば、呼吸があります。心臓の鼓動もあります。皆さんの心臓は今は全員動いていると思いますが、初めての方にとって心臓は速すぎます、なかなか心臓の鼓動を一つ一つ認識するのは難しいです。そこで、呼吸に合わせます。呼吸は面白いもので自分の意思で長くしたり短くしたりすることが出来ます。意識せず勝手に放っといても呼吸はしています。初めに、自分の意思で呼吸をせずに、体の呼吸に合わせて、その呼吸を自覚してください。よろしいですか。さっきと同じように、背筋を伸ばして、足を組みましたら、お腹の臍の周りにゆっくりと手を当ててください。あまり強く当てずに、そっと、柔らかく当ててください。はい、はい、そして、自分が呼吸しているのをゆっくりと意識してください。はい、最初は意識して、ふくらむ、へこむ、ふくらむ、へこむというパターンで、自分の呼吸を意識して、少し強めにお腹をふくらませて、あるいはお腹をへこませても構いませんよ。はい、よろしいですか。必ず、動いているのがよく分かるように意識してください。 |
| はい、それでは目をつぶって、そのままゆっくりと、ふくらむ、へこむ、ふくらむ、へこむというパターンを繰り返してください。はい、よろしいですか。 「ふくらむ」、「へこむ」、心と動作が合っていますね。はい、最初のうちは、5分間も集中することはむずかしいです。当然、違うことを心は考えてしまいます。その場合は、先ほどと同じように、「考えた」、「考えた」、呼吸を意識することからいったん離れて、考えたことだけをつかまえてください。 いろいろと頭の中で考え、ずーっと考え続けている人がいます。そのため呼吸に集中できないという場合は、心が散乱している、散乱してる、散乱していると、ゆっくりと散乱してる心をつかんでください。「散乱している」、「散乱している」、そのように心をゆっくりと散乱している『心』に向けてください。つかまりましたら、再び呼吸に入ってください。呼吸に入った。はい、そして心が呼吸から逃げて他のことを考えていることが分かった時、必ずその時に、「考えている」、「考えている」、という具合に認識して下さい。「思い出した」、「思い出した」、「話してる」、「話してる」、あるいは、「歌ってる」、「歌ってる」、という場合もあります。ともかく状況に合わせて自分で意識して下さい。わからなければ、「考えた」、「考えた」だけでも最初はかまいません。「考えた」、「考えた」ということが自分ではっきり意識できれば、その時、心をつかめたことになります。そして、考えた⇒考えた⇒考え終えた⇒考え終えた、という流れの中で「考えたこと」が消えましたら、また呼吸に戻ってください。ゆっくりと、また呼吸にもどってください。はい、だんだんだんだん、最初のうちは、10分、15分と座っていられないかもしれません。そしてすぐに眠くなるかもしれません。 |
| そのような状態になりましたら、「眠くなる」、「眠くなる」ということを、先ず自覚してください。眠くなる心をつかめてください。やがて眠くなる状態から眠くない心が生じて、眠たくない気分となってきたら、「眠たくない」、「眠たくない」という心をつかんでください。はい、もう眠たくありませんね。 しかし、まだ眠気が続く場合、一度体を起こします。「体を起こします」と言いながら、背筋をのばしてください。首と背筋をまっすぐにしてください。手は、どちらでもかまいません。おなかの下あたりに組んでおいても構いません。それでも眠気が取れない時は、『歩く瞑想』など変更してください。人は、いろいろな姿勢で瞑想することができます。しかし、その中で一番心が集中できるのは、坐る瞑想、すなわち『坐禅』であると言われます。 |
| さて、だんだんと瞑想が深まってきますと、お釈迦様がやっているように手を組んだ形で置く方が一番楽であると気ずいてきます。最初は自分が一番やりやすい方法で手を組んで構いません。呼吸する時、吸う場合は鼻から吸った方が楽でしょうね。はい、ゆっくりと鼻から吸って、そして、出す場合は口から出しても鼻から出しても構いません。口から息を吸うことを続けていますと、やがて喉が乾き、又咳込むことがあります。吸う場合は必ず鼻から吸う方が楽だと思います.息は鼻から吸い、そしてゆっくりと口からでも鼻からでも出すということで善いと思います。はい、そのような形で自分の呼吸を常に、呼吸に合わせて、吸います、あ、失礼、ふくらみます、へこみます、ふくらみます、へこみます、あるいは、吸います、はきます、吸います、はきます、でも構いません.どちらでも構いませんから、それに合わせて、呼吸に自分が合わせて、それに心を認識するということが大事です。慣れてくれば30分でも1時間でもその呼吸に合わせて座っているということができるようになります。 |
| はい、今日は、最初の段階をやりました。ウィパッサナー観法を初めてなさる方々を対象に、初歩の段階の瞑想方法として、「慈悲の瞑想」と「歩く瞑想」、そして、「心を観察する」について簡略に説明いたしました。みなさん、今、学習したことを一日30分間ほどできるようになれましたならば、次の段階へすすみたいと思います。最後に、おさらいとして、30分間だけ瞑想をして終ってください。ここで注意すべきは、瞑想を止めるときも、必ず目を開ける、「瞑想をやめます」と言ってから、ゆっくりとやめることです。瞑想を始める時も、終る時も、きちっと、意識して、必ず言葉に出すことが初心者にとって肝要であります。 それではこれで終ります。 最後に、北九州市門司区の『世界平和パゴダ僧院』に常住する私たちミャンマー政府佛教会派遣僧は、僧院内の「瞑想道場」にて日本の方々に瞑想の指導も行なっております。又、東京など各地方にも布教に出掛けております。皆様から招請されて来日した私たちにとって、仏陀本来の教えを学びたい日本の方々に少しでもお役に立つことができれば、たいへんうれしいことであります。 この寄稿文を通じて、さらに多くの人々との「仏縁」が広がりますように。 宗教法人「世界平和パゴダ僧院」:北九州市門司区布刈山公園内 TEL 093-321-1024 |
更新日2002年07月06日
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ミャンマーとの交流を! [社]日本・ミャンマー友好協会本部へ 『ダンマパダ』アップグレード版全一巻を寄贈 写真左から池田正隆氏、保科会長(故人)、北嶋氏、ウ.ウィッジャーナンダ大長老 ー友好協会会報 第115号(平成12年10月) P10-11より抜粋ー |
| 当協会会員北嶋泰観氏は、かねて念願していた南方上座佛教徒に親しまれているパーリ語原始仏典『ダンマパダ』の詩偈およびその註釈書の内容紹介書を完成、出版した。同著書の監修者で北九州市門司区の世界平和パゴダ僧院在住ウ.ウィッジャーナンダ長老と共に本部事務所を訪問、聖句集『ダンマパダ』五分冊ならび今回完成したアップグレード版(中山書房仏書林)一冊を協会に寄贈。そのことが話題となり新聞にも次のように報道された。― |
| パーリ語仏典の『ダンマパダ』を独力で日本語に註釈編集した北嶋泰観氏と監修したミャンマーのウ.ウィッジャーナンダ大長老ら一行が、八月三十日、社団法人日本ミャンマー友好協会を表敬訪問し、同協会会長の保科賢一氏(当時)に日本語訳『ダンマパダ』の五分冊とアップグレード版全一巻を寄贈した。 |
| 北嶋氏は、平成四年から八年にかけて、仏陀の生の声を集録したといわれる最古の聖句集『ダンマパダ』を翻訳し五分冊に分けて自費出版。それから、さらに四年の歳月をかけて五冊を一冊にまとめた日本語訳『ダンマパダ』の決定版・アップグレード版を今夏完成させた。 『ダンマパダ』は、日本では『法句経』と呼ばれ、漢訳されて大蔵経に収められているが、その価値は評価されず、長い間埋もれていた。明治時代以降、欧米でパーリ佛教の研究が盛んに行なわれていた影響を受けて日本の知識人にも『ダンマパダ』が少しずつ知られるようになり、近年、多くの学者によって漢訳と英訳を基礎にしてパーリ語から日本語に翻訳された。しかし、その多くが詩偈だけの翻訳に限られているのが現状だ。 |
| 阪神淡路大地震にも負けず! |
| 北嶋訳『ダンマパダ』は、四百二十三の詩偈の翻訳と英訳、詩偈の背景となった三百三の因果物語の翻訳、および「付録」としてパ―リ上座部佛教の解説を載せるという体裁をとり、一般の人々にも理解しやすいように編集されているところに特色がある。それが僧籍があるものの専門の学者ではない一人の在家の佛教研究家によって成し遂げられたところに意義がある。(中略) 五年前の阪神淡路大震災で被災し、(中略) この体験が、彼を佛教の教えへと導く決定的な要因となり、それまで五分冊を出版してきた『ダンマパダ』を、大幅に加筆訂正し、一冊にまとめて編集することに専念されることになる。その一方で、パーリ語仏典『ダンマパダ』の翻訳は、上座部佛教国ミャンマーから、昭和五十四年に来日、北九州門司区の世界平和パゴダ僧院に常住したウ.ウィッジャーナンダ大長老の十年間に及ぶ全面的な協力がなければ、不可能だった。その意味で、北嶋訳『ダンマパダ』は、日本とミャンマーの二人の佛教徒の仏陀への熱い思いの結晶といえる。 |
| 佛教を通じて両国の交流を広げたい |
| この日、北嶋氏ら一行が、日本ミャンマー友好協会を訪れたのは、佛教を通じて日本とミャンマーの交流を広げたいとする思いからだ。この本の寄贈に立ち会った日本ミャンマー友好協会理事(当時)の池田正隆氏は、「この本は、ちょっとやそっとの気持ちでできるものではない。北嶋氏の青春を捧げた生涯のライフワークといえる立派な本です。仏陀本来の教えを理解したいと念じて発行された本書は、上座部佛教を初めて学習される人にとって、必読書になる」と、謝辞を述べた。 ※「中外日報」平成十二年九月七日号より転載。 |
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ウ.ケミンダ(U.Kheminda)世界平和パゴダ僧院長猊下 1922年5月ビルマ国に生れる。11歳の時沙弥に、20歳正式 に比丘となる。34歳来日、以後、日本における上座部仏教の 布教活動に尽くす。1992年、ミャンマー政府から “ Agga Mahâ Pandita Bhadanta Kheminda”、2002年 “Agga Mahâ Sadhamma Jotika Dhaja Bhaddanta Kheminda”の称号を授 与される。同猊下は、日本人だけではなく外国人にも仏陀の 教えを説くなど国際的な活躍を続けておられる。現在、北九 州市門司区にある宗教法人「世界平和パゴダ僧院」僧院長。 |
【記念インタヴュー】 質問者 北嶋泰観 僧院長=ウ.ケミンダ世界平和パゴダ僧院長 取材日2002年5月
質 問:この度は、前回に続き、さらに上位の “Agga
Mahâ Sadhamma Jotika Dhaja Bhaddanta
Kheminda ”(最も偉大な『正法』輝く旗を持つ尊者「ケミンダ」)称号の授与、おめでとうございます。
僧院長:・・・(無言)。
質 問:いつ授与されたのですか?
僧院長:今年(2002年)の3月28日です。
質 問:授与の理由は?
僧院長:長い間、外国(日本)で布教活動をしていたからでしょうな、よくわからないが・・・。
質 問:日本に来られたのはいつ頃ですか? お一人でしたか。
僧院長:招請されて1957年6月11日羽田空港に着きました。その時、ビルマから高僧が5名と私、そして日本人比丘が1名。
質 問:日本の最初の印象は?
僧院長:戦時中、日本の兵隊たちとの接触があり、又、日本に出発する前にいろいろ話も聞いていたので、日本人を見てもあまり違和感がなかった。
質 問:当時の世情を回顧して
僧院長:いろいろあったが、国会の安保反対や「スト」騒動などがある。
質 問:日本での生活がはじまり特に困ったことは。
僧院長:食事の味が違うこと。又、日本語をあまり知らなかったこと。これには困った。・・・一人ぼっちになったような気分だった。
質 問:しかし、今は日本語がお上手です。どのようにして習われたのですか。
僧院長:いろいろなことを試み学習しました。その一つに、・・・・・私は、少年時代、ビルマは英国の植民地だったため英語の授業を受けていた。其れゆえ英語を話すことができる。そこで、英語を学びたい近所の中・高校生たちを僧院に集めるようにした。その当時、日本は英語教育が流行していた。すぐに学生たちが集まり、やがて大学生たちも来るようになった。そして、子供たちに英語を教えながら、私は日本語を学んだ。子供は正直である。私が話す日本語がおかしいと、「そこは悪い」とすぐに訂正してくれる。手紙を書いて間違った所があると、小学生や中学生がやって来て「このような表現はダメ!」と直接教えに来てくれる。たいへんユニークな英語教室?でした。先生が生徒になり、生徒が先生になる。
質 問:ところで、「出家」はいつですか。
僧院長:11歳の夏休みに沙弥となり、そして20歳の時に正式に比丘となった。
質 問:少年時代に英国の支配を見てこられ、又、青年時代には日本軍の侵略を見てこられた。
僧院長:日本軍がビルマを支配していた19歳の頃、私は、褌姿で歩いている日本兵たちを見つけて、その破廉恥な行為を注意した。それが切っ掛けで日本兵たちとの交流がはじまった。比丘になる前の1年間は、時間潰しに駅で働き、蒸気機関車の運転をさせてもらった。英国支配の時は、そのようなことは許されなかった。船の操縦をすると英国人怒る。しかし、日本軍が来てからは、ビルマは比較的自由となり、平和になった。物価も安かった。それゆえ、日本人に対する悪いイメージはない。
質 問:正式に比丘になられてからは?
僧院長:マンダレーにある佛教大学のような僧院で約十年間「三蔵」の学習に専念した。そして日本へ招請される1年前にラングーンへ移り、34歳の時日本へ出発。
質 問:日本での布教活動がはじまるのですね。
僧院長:最初の十数年間はまったく孤立状態であった。私たちの上座部佛教の「教え」を知らず、理解する人はほとんどいなかった。又、冬の季節はたいへん寒く、身体を壊す者もいた。ホームシックにもかかった。やがて私たちの布教活動もようやく知られるようになり、日本の僧侶や佛教学者、ビルマ戦線の戦友会の人たちも僧院によく訪ねるようになった。そして邦訳本の出版もはじめた。最近では佛教の瞑想である「ウィパッサナー観法」の勉強会が各地に出来ている。よく指導に招かれる。パゴダ僧院の中に「瞑想センター」という建物があるので、ここで自炊しながら瞑想修行に励む日本人の数が増えている。ミャンマーで修行したい日本人は、ここでいろいろなことを学び、そしてマハーシ瞑想センターなどに行く。在日アメリカ人、イギリス人、カナダ人たちもやってくる。又、たくさんの数のパーリ語仏典がありますので、上座部佛教を研究している日本人学者にとって貴重な資料であり、いろいろ質問があれば、私たちに直接たずねればよい。
質 問:拙著『ダンマパダ』もたいへんお世話になりました。さて、布教活動の中で、日本人僧侶との交流もはじまる。
僧院長:そうです。各地のお寺から招待されてよく出掛けます。日本のお寺の人たちとは仲良くしている。真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗、浄土経など、友人知人もたくさんおります。中には立派な方もおられる、しかし、私たちは、女性を抱いたり、酒を飲んだり、いろいろ商売をする日本の坊さんの真似は、しません。
質 問:いろいろ思い出が多いこの地で骨を埋めるお気持ちですか。
僧院長:いずれ死ぬのだから、どこで死のうが気にしない。いつ死んでもよいと思っている。しかし、まだ生きている間は、自分の修行のために、日本のために、ミャンマーのために、お役に立ちたいと思っている。
質 問:日本の子供たちについて。
僧院長:物質的に豊かとなり、「ひもじさ」を知らない子供が多いようです。知人の老僧が「孫たちに『ひもじさ』を教えられない」と嘆いておられた。「ひもじさ」を知らない僧侶とは、こわいですね。又、テレビやTVゲームに夢中になり家の中に閉じこもっている。私たちが来た当時は、テレビも少なく、子供たちは外で遊び、僧院で一緒に遊んだものです。
質 問:日本の老人を見てどうですか。長寿は幸福であると信じている方もおりますが。
僧院長:長寿でも、寝たっきりの「長寿」はだめだな、役に立たん。自分に対しても、社会に対しても、役に立たない長寿はだめである。
質 問:ミャンマーのお年寄りは、どのような老後を考えていますか。
僧院長:長寿よりも功徳を考えている。自分の死に対して準備をいろいろしている。日本の一部の老人のように、「どうせ死ぬのだから、大いに遊び呆けましょう」、「もっと美味しい物を食べましょう」という気持ちはない。ミャンマーの老人たちは、善い行いことを積み重ねて、死後、よい世界に生まれ変わりたいと願う。日本の老人たちは、口では「極楽往生」「極楽往生」と念じながら、即「地獄へ直行」のようなことをしている。
質 問:そうですね、毎日遊び呆けている老人を見て誰も尊敬しません。さて、最近アウン・サン・スーチ女史が解放されたニュースが話題となっておりますが、ミャンマーの将来について。
僧院長:ミャンマーは、今は貧しい国ですが、自分の力で発展することを目指しております。軍事政権下での経済発展は、未熟さもあり、二歩進んでは一歩後退、ある時は三歩後退することもあるが、しかし、着実に一歩一歩前へ進んでいる。私は時々母国ミャンマーへ帰るが、そのたびに町の風景が変わっている。植林も進み、橋の建設も進み、交通事情も少しずつよくなっている。日本はミャンマーに対してよく援助してくれる。又、民間の交流も昔から盛んです。外国からいろいろな援助があると、さらに早く発展すると思いますが、しかし、欧米の武器商人たちの援助には、反対です。「民主化」の旗を振りながら、国際資本の操り人形にならないように、彼女は国のために尽くして欲しい。
質 問:お忙しい中、インタヴューにお答え下さり有難うございました。
僧院長:ご苦労様です。
※このインタビュー記事は、[社]日本・ミャンマー友好協会会報ー第122号ー(2002年7月)p.21〜p.23に転載される。
『タイ国、テーラワーダ僧として・・・・・・・』 プラ・マハープンニョー比丘(落合 隆)
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プラ・マハープンニョー比丘(Phra Takasi Mahâpungynyo) 1950年東京都武蔵野市に生れ、1987年東京で会社員、1991年 パクナーム寺院で出家得度、1994〜1996年還俗し東京に戻る、 1996年ノーンダムルン寺院にて再得度、ナクタム(教理試験)3級 取得、1998年ノーク寺院、ナクタム2級取得、ウィパッサナー瞑想 の実践、2000年訳本「ウィパッサナー瞑想・修習の導き」出版、 2001年プッタプラバートダモ寺院 |
バブル経済の饗宴が終末を向かえようとする頃、それらの宴に招かれることもなかった私は鞄一つが全財産という気軽な姿でバンコックに向かいました。4月。そのタイの最も暑い季節は、私の硬くこわばっていた心と体を急速に溶かし、得度式を間近に控える頃には、もうすでに何年も前からこの国に暮らしているような気持ちにさせてくれました。(中略)
山の寺院の日々の生活はだいたい次のようなものです。
早朝4時に起き一時間ほど教典の学習をした後、夜明け前の、托鉢に出かけるまでの時間は座禅の修習にあてます。深みのある静けさが感じられ、一日の始まりをずいぶんと贅沢な気持ちにさせてくれます。托鉢は村までの片道が2,3キロあって、往復で2時間近くかかってしまいますので、帰り道は在家者の車に乗ったりしていますが、私は高原の風を感じながら黙々と歩くのが楽しく、普通は車に乗りません。
八時から講堂で朝食をとります。森林派の寺院は通常一日一食ですのでこの時間だけが唯一の食事の機会になります。食器は使わず、自分の鉢の中に御飯とおかずを入れて食べますが、食事の作法や食後のかたつ”けなど、山の寺院は型がきまっていますので余分なことを考えずにすみ、短時間ですべてを終わらせるようになっています。
夕方四時からの作務、七時からの読経と座禅が全員で行う日課で、後は個人の時間になります。日本の僧堂は多少集団主義的なところがあるようですので、最もおおきな違いはこのあたりではないかと思います。初期佛教の「独住」の思想が継続されていて、僧房もそれぞれ離れた場所に建てられています。つまり、これは修行者が自分のテーマを持っていなければ修行にならない状態に置かれている訳で、別の意味での厳しさがあるということではないでしょうか。
教義の理解や実践の深まりなど、自分でもずいぶんとのんびりしたペースだなと思っていますが、この事にだけ専念できる幸福と、支援して下さるタイの人々の暖かさを常に感じとっています。
修行中の身ですので外部へのメッセージは控え目にと考えておりますが、テーラワーダ佛教のタイ国での現状や、修行場についてお尋ねになりたい方がいましたら御連絡下さい。
各地の修行場に行っておりますので遅れることもあると思いますが、返事は必ず致します。また、初心者用のガイドブック「ウィパッサナー瞑想・修習の導き」をお求めになりたい方もどうぞ御連絡下さい。一人でも多くの方がテーラワーダ佛教への正しい理解を持たれるように望んでおります。皆様の日々が明るく穏やかなものでありますよう、南国タイよりお祈り致します。
2554(2001)年8月
P.S.
Address 2001年10月末まで → Wat Phrabhutabat-tamoa,T.Pongtung
A,Doitao C,Chiangmai 50260,Thailand.
11月から → Wat
Nongthamlung, A, Panthong C,Choburi 20160,Thailand.
定年サラリーマンの出家体験:松尾義久氏の手記より
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松尾 義久(MATSUO Yosihisa) 1936年 長崎県に生れ、1961年 立命館大学卒業、同年 日立ツール (株)入社、1996年同社定年退職後、ミャンマー国を訪問、ウ.ヴェップ ーラ大長老の指導の元で出家、マハーシ僧院にて修行。帰国後、在 家信者として佛教講演活動をはじめる。又定年から2年間、日本工具 工業会の会報編集主幹・「機械工具百年史」(1998年日本工具工業会 発行)の編集責任者を務める。現在、京都の実家に戻り機械関係業界 紙にアジア紀行の連載、定年を迎えた事業主諸氏の相談相手などに 活躍、現在は[社]日本ミャンマー友好協会関西地区事務局長。 |
更新日2001年05月25日
『ミャンマー点描』 (1)
仏の教えを支えにして生きている国
独自の社会主義路線を三十六年間つつ”け鎖国状態に近かった国に、経済破綻から脱却をはかるために1988年より軍事政権の市場開放政策がはじまり、国の名称も「ミャンマー連邦」となった国です。インフラはまだまだの観がありますが、首都ヤンゴンや第二の都市マンダレーはホテルなどのビルの新築ラッシュで活況を呈しています。 縁あってこの町で修行することになったのを機会に、佛教者の眼で見た現況を紹介したいと思います。
日本車への思い入れ
ヤンゴン市内のタクシーはなんと99%日本の中古車といってよいでしょう。サニー、カローラが圧倒的です。荷物の運搬に便利なせいか、ライトバンをタクシーにしているのが多く見られました。乗用車もコロナ、クラウンなどで、他の国の車はほとんど見かけません。特にコバルト色のマツダ製軽トラックの荷台に木製の長椅子を取り付けて、六人乗りに改造したタクシーが庶民の足として活躍しております。タクシー料金は運転手との交渉で決まり、二十分ぐらいの距離で四百円くらい、これは一般の所得からみると、相当の高額です。
まさか青木金型
街に出ると、鐘紡、不二家、YKKなどおなじみの日本の会社、また青木金型、山田家具店、三重機械、配管材料の店○○とか、早稲田スイミングスクールなどなど枚挙にいとまがないほど日本語表示の車が走っています。会社の住所や電話番号まで書いてあります。最初一体これは何だ、と驚きました。タクシーでも中古車の日本語の文字を消さず走っているのも見かけます。あとで聞いたのですが、日本車に乗っているのは自慢になるのだそうです。憧れの日本製、日本びいきもここに極まれりといったところです。
瞑想寺院にて
ミャンマーでは、都会も地方でも、まばゆいばかりの黄金のパゴダ(仏塔)が随所にみられ、それに合掌する人、参拝する人たちがあちこちに見受けられます。さすが佛教国と感心させられます。このたび首都ヤンゴン郊外にあるマハーシ瞑想センターという佛教修行者のための寺院に入所いたしました。この寺院は瞑想修行では、世界的に有名で、ミャンマー国内はもとより、剃髪し、僧衣をまとった韓国、台湾、タイ、インド、マレーシア、フランス、カナダなどから修行者が次々に訪れ、日々黙々と修行をしています。
私は、二十数名の外国人修行者と同じ宿舎で修行を積ませていただきました。佛教国の日本から、過去十年間二人しか修行に来ていない。あなたが三人目と寺院の責任者から聞いて驚いたのですが、マハーシ瞑想センターは日本ではどういう訳かあまり知られておりません。しかし、本来のお釈迦様の教えである根本佛教を極めようと思う佛教者はここへ修行に来るのです。修行の専門的なことはさておいて、一寸歩いてみましょう。
祈る人々
修行の寺から一歩外へ出ると、朝早く出勤前にパゴダへお参りする人、じゅずを繰りながら読経をしている男性、若い女性も多く見られます。ひたすら瞑想する人もいます。両親や祖父母に連れられてお参りの子供たち。彼らの表情は明るく屈託がありません。諸外国から軍事政権という色めがねで見られている国、ここ四年間、8%以上の経済成長を遂げている国、仏陀が生きている国、僧侶が尊敬される国、ビルマ系、中国系、インド系と多様な民族が仏の教えをひとつの支えにして生きている国。
釈尊の叡智をいまに伝えるミャンマー
三十数年のサラリーマン生活の一つの区切りとして、釈迦の時代とほぼ同じ仏道修行を今もなお連綿と続けているミャンマーに行こうと決意したのは二年前のことでした。ミャンマーに決めたのは、日本と同じ佛教国であること、門司にある我が国唯一のビルマ寺院、世界平和パゴダの行学兼備の厳格な戒律を生きておられる上座部佛教僧ウ.ヴィジャーナンダ大僧正との出会いであり、その著者に接したのが縁でした。
僧衣の効果あり!
関西空港からミャンマーの首都ヤンゴンへは、全日空の直行便が昨年秋から週二便就航しております(※1996年12月現在)。さて、ヤンゴン国際空港に着いたのは夜の十一時、関西空港から六時間半の旅で、やれやれと鞄ひとつで入国手続きをしました。再会を喜び合う人たち、団体の観光客が順次送迎用の車に乗って去って行く。どこでも見られる空港風景です。タクシーの運転手がしきりに乗ってくれと勧誘します。英語で話してくれる分には問題ないのですが、肝心の点がビルマ語では、まったく分からないのでどうしようもありません。
三、四十分経ちましたが予定の迎えの車が来ません。ポツンと一人たっていると日本のお坊さんですか、と若い女性から声がかかりました。海外旅行はいつも作務衣で出かけるので、目についたのでしょう。宿泊予定のヤンゴン市内にある寺の僧正の名前しか知らないので、その旨を言うと、それだけで寺院も場所も判るとのこと、さすが佛教の国と感心しました。この女性の運転でご主人と一緒に車で送ってもらうことになりました。思わぬ厚意に感謝、感謝でした。ミャンマー入国一日目のことでありました。(次号に続く)
更新日2001年07月10日
『ミャンマー点描』 (2)
僧侶は礼拝の対象なのです
初めてミャンマーを訪れ、マハーシ瞑想寺院で修行をすることになったのですが、戒律厳しい日々のなかに、三日間のお祭りがあり、善男善女、一般の人たちがお寺に参拝に来ました。ヤンゴンに着いて以来、修行三昧なので、ふつうの人たちと会う機会はこれが初めてでした。僧侶は一日二回しか食事を摂りません。朝食は午前5時、昼食は午前10時、これは絶対厳守の戒律で、午後からは一切食べることはしません。食事は食堂で摂りますが、修行道場から食堂まで150メートルぐらいを僧侶は、一列になって無言で進んで行きます。
黄衣の列が延々と続いているのは実に壮観です。道の両脇には大勢の人たちが僧侶の列が近ずくのを座って待っています。中年の男女が多く、若い女性も結構混じっています。そして僧列に一斉に礼拝をするのです。年配の女性などは頭を地面につけて五体投地で礼拝する人もいます。生まれてこのかた人様からこのような形で礼拝されたことはありません。僧とはいえ修行中のかけだしであり、面映ゆいことはなはだしい訳です。もっと修行を高め人々の期待に応えねば、と厳粛な気持ちになりました。
ボランティアに支えられて
寺院の毎日の食事の準備、調理は全部信者の奉仕なのです。仏(覚者)になるために修行をしている僧は、生き仏なのであり、修行僧を世話するということは、仏さまを世話することと同じという感覚が庶民にはごく当たり前になっているのです。このマハーシ瞑想寺院も、食事寄贈の要望が年中信者から殺到しており、今申し込んでも二ヶ月は待たねばならないと聞きました。十万坪以上あるかと思われるこの瞑想寺院(英訳は、Mahashi
Meditation Center となっている)では、僧姿で一人で歩いていると出会う人から礼拝され、とまどいを覚えます。
これに慣れるまでしばらくかかりました。紀元前600年に説かれた釈尊の叡智をいまに伝えているミャンマー、日本の佛教も同じはずなのですが、ずいぶんおもむきが違うようです。それぞれの国の文化の違い、とひとことで言い表せない気がしました。
出会った人たち
縁あってミャンマー(ビルマ)の寺院で修行をしたのですが、そのあと首都ヤンゴンで、さまざまな人との出会いがありました。小学校の先生、国立銀行の監査事務員、自営の印刷業を手伝っている人、失業中の郵便局員、大学の講師、病院で祖父を看護する若い人、などなど。
どういう訳か、いずれも未婚の女性ばかりでした。修行した寺院でビルマ語の通訳をボランティアでしてくれた女性が紹介してくれたのです。
彼女たちの共通項は、日本語の勉強をはじめた人たちであること、日本のことを大変知りながらいろいろなおしゃべりを楽しみました。ごく普通の人たちですが、話題の中で「時々殺生戒を忘れ、つい蚊を叩きそうになるのよ」との発言にはさすがに佛教国と感心いたしました。(次号に続く)
更新日2001年10月10日
『ミャンマー点描』 (3)
女性を安易に誘ってはいけません
ところで平成八年(1996年)十一月から、ミャンマーは観光年と定め、国をあげて観光客の誘致をはかっております。黄金の国ミャンマーというチャッチフレーズと、シンボルとして使われている民族衣装を着て髪飾りをしたかわいい女の子の姿が街のいたるところで見られます。ミャンマー政府には、「ホテル観光省」があり、日本語の旅行情報ハンドブックも今回初めて発行しました。この国の習慣の欄に、「ミャンマーの女性は保守的であるため承諾のない限り絶対に手を出さないこと。食事の時など女性にお酒を勧めない方がいい」「人目の前で男女の親交を避ける」と記述してあります。これは一部の日本男性諸君にとっては厳しいお達しのようです。日本語版にこのような注意をわざわざ書いてあるのは、よく考えるとちょっと恥ずかしいですね。
さて、女性にとっても、ましてや未婚の女性にとって、私のような初めて出会った男性と外食するというのは、まことに非日常的なことなのです。お話を聞きたいと、気軽に誘ってくれるのを幸いに、厚かましいのではと思いながら、毎回食事の前に彼女たちの自宅を訪問しました。そしてご両親や兄弟を紹介してもらいました。
ミャンマーの僧侶が家庭を訪問するのならそれこそ大変名誉なことになるのでしょうが、私は駆け出しであっても外国人で修行僧というのが信頼につながったのでしょうか、つるつる頭の日本人を皆暖かく迎えてくれ大いに親交を深めることができました。修行僧は、そのあと家族公認?の女性連れで食事に出かけたわけなのです。もちろん不飲酒戒を遵守お酒ぬきです。
感謝の気持ち常に
前回にも少し触れましたが、ミャンマーの人たちの日本への思い入れは大変なものです。日本製の車、バイク、自転車、カメラ、テレビなどの家電器は、価格が高いのですが、一流かつ高級品との評価になっているし、欲しがる人が多いのです。同じアジアの国として、このような製品を生み出す力を持っていることに敬意を表してくれます。日用品は、タイや韓国、中国製が多いのですが、日本製への憧れは大きいようです。ただし、目に見える「もの」についてですが。就寝前に、仏さまに今日一日を感謝し、次いで師や身内、友人を想い感謝、最後に両親に合掌してから床につく、といった二十九歳の男子の大学生がいました。そんなこと仏教徒として当たり前よ、と食事をしながら女性からも聞きました。ああ「こころ」の豊かさでは残念ながら日本は遥かに及ばないようですね。次はビルマの竪琴について少し触れてみます。
ビルマの竪琴はなかった
しばらくぶりに会った友人から、どうしてたの、久しぶりだねと言われ、毛糸の帽子をとって、やあ、と挨拶。私の剃髪したつるつるの頭を見て「何だそれは? 世を捨てたのか」「ちがうよ、昔のビルマ、今ミャンマーといってるが、そこへしばらく修行にいってたんだ」と言うと、「ああビルマの竪琴の国か」との反応。この反応が日本でごく普通の認識のようですね。映画化された竹山通雄原作、市川崑監督の「ビルマの竪琴」はつとに有名で、ビルマといえば連鎖的にこの作品名が出てくるようです。でも、当地で寺院に入り修行をさせていただいた身としては、僧侶は歌舞伎音曲を娯楽とすることを戒律で厳しく禁じていることを知っています。したがって戒律に触れる竪琴を僧侶が弾くことは絶対あり得ないのです。
「ビルマの竪琴」は、太平洋戦争後、ひとりビルマに残り、僧侶となって戦没同胞の慰霊をする竪琴の名手、水島上等兵の物語で、心を打つものがありますが、あくまで文学作品として鑑賞されるべきものでしょう。ただ、舟形の胴体をしたビルマだけのこの弦楽器は、一般家庭やレストランに飾ってあるのをよく見かけました。
更新日2002年02月01日
『ミャンマー点描』 (4) ー最終編ー
手つかずの佛教遺跡
僧侶と竪琴は関係無くとも、僧侶たちが修行の日々を過ごした大寺院、仏陀への帰依と積徳のために王や素封家が建てたパゴダ(仏塔)は、ミャンマー全土に数多く残っている。一九八八年まで二十六年間も事実上鎖国状態だった国ですから、観光客も少なく、荒らされなかったのでかえって保存状態が良い遺跡も多いのです。
現在、国を挙げて観光客の誘致に力を入れていますが、巨大な寝釈迦像のあることで有名な古都ペグーは、日本人向けに「ビルマの竪琴」ゆかりの地として大いにアピール、宣伝をしております。首都ヤンゴンから一時間、シュエターリャウンパゴダにあるこの寝釈迦像を参拝してきました。何とも色つややかな、目鼻立ちも美しく、女神とも見える仏像は、日本では見かけることもないものでした。しかも世界最大といわれる大きさ、大変な迫力です。御足の長さだけでも六メートルもあるのですから。
カメラやビデオで撮影している観光客を目尻に、礼拝している現地の人たちが大勢いました。ミャンマー政府は何といっても、日本からの環境客が一番多いし、歓迎するとマスコミに発表していますが、意外にもフランスからの熟年の観光客を多く見かけます。現地の旅行社も英語よりフランス語の通訳が足らないと言っていました。かつてミャンマーが国をあげてフランスに観光誘致作戦をした成果だそうです。
美人にみとれる
街を散策していると、化粧をしている女性は少なく、顔にタナカという日焼け止めの白い粉を塗っているのをよく見かけます。見慣れると、化粧しなくても内側からにじみ出る麗しさとでもいおうか、まことに愛らしい女性たちが多いのです。松たか子、鈴木京香、黒木瞳を思わせる清楚な日本的顔立ちの美人も珍しくありません。かわいい子どもの尼僧も安達裕美風はいくらもいました。
通訳をしてくれた現地の青年の話では、ビルマ系、中国系、インド系の混血に美人が多いです。私もそのような美人を奥さんにしたいと、これまた世界共通の青年の望みを言うではありませんか。ただ、結婚が決まれば、まずお寺から尊敬される僧侶を家に呼んで、未来の奥さんとなる女性を見てもらうのが普通だそうです。やはり佛教国ですね。ヤンゴン経済大学卒の彼はまだ独身、今の給料では、なかなか結婚できません、とぼやいていました。「ミャンマー点描」と題したこの連載も美人のお話で終ってしまいました。また稿をあらためまして、お目にかかりたいと思います。〔生きとし生けるものが幸せでありますように〕