ブランチ・ノート 2
■アデレード・食事サービス活動(MOW)体験記
 【清水洋行】■
◆2001年11月から、南オーストラリア州にある高齢者向け食事サービス団体の ミールズ・オン・ホィールズ・南オーストラリア協会( Meals on Wheels South Australia Inc. 以下SA協会)の支部の一つに参加させて頂けることになりました。 このページでは、その体験談を報告していきたいと思います。滞在は2002年6月末までです。

その1から続く
ロースト・ラムにお呼ばれ
私の上達度(?)<調理編>
私の上達度(?)<配達編>




こちらでの体験記は、全国老人給食協力会の会報『べんけい草』に寄稿させていただいています。 文面は、当ページのものとは異なります。

学術的な成果については別の場で公開する予定です。今回の滞在の背景となった、これまでの私の研究活動については、 こちらをご覧いただければ幸いです。


◆◆◇◇◆◆◇◇◆ロースト・ラムにお呼ばれ◆◇◇◆◆◇◇◆◆
◆◆オーストラリアの家庭料理◆◆

◆1月の最後の日曜日。今日は、ウェルフェアー・オフィサーの方のお宅のランチに招待されました。 ロースト・ラムを食べる日ということです。このお宅のご夫婦は、私があまりラムを得意でないことを知っていますが、 日曜日ごとにロースト・ラムを食べたという昔の習慣を体験させてくださるためです(感謝!)。 お宅に着くと先着の家族がありました。ご夫婦の一番上の娘さんと、二番目の娘さん及びその子どもたちです。 しばらくその子どもたちと、スネーク・ゲームという双六(すごろく)のようなゲームをして遊びます。 10×10のマスを進んでいくゲームで、マスをとばして前にすすめるハシゴと、 戻らなくてはいけない蛇があるだけの単純な双六です。

◆ 今日のメニューは昔ながらのオーストラリア料理だそうです。 スライスされたロースト・ラムに、ビーンズ(ゆでたエンドウ豆)とベイクド・ポテト(焼きジャガイモ)、オニオン(ゆで)です。 確かにラム肉ですが、ローストの風味の方が強く食べることが出来ました。通常のグレイビー・ソースに加えて、特製の ミント・オイルをかけていただきます。ちなみに、このお宅では、召し上がる前にお祈りをします。 続いてデザートです。手作りのミックス・フルーツにアイスクリームです。 この野菜やミックス・フルーツの果物は、裏庭でとれたものが使われています。また、こちらの人たちは、女性も男性も デザートをたっぷり食べます。70歳代前半のご主人も、孫に負けないくらい、たくさん召し上がります。 私も、学生の頃は、大きなパフェでも平気でしたが、だんだん食べられなくなりました。これは、自然なのかと思っていましたが、 文化的なものだと分かりました。

◆ 最後のティーに、日本茶が出てきました。これは、クリスマスのときに会いに来てくれた私の家族と一緒に、このお宅にお邪魔した際に プレゼントしたものです。おみやげに頭を悩ませた結果、お手頃価格のお茶の道具を一式プレゼントすることに して(一応、妻がデモストレーションを担当しました)、そのときに、日常生活では、ということで添えた煎茶です。 これを受け皿つきの素敵なティー・カップに入れてくださいました。 煎茶をどれくらい入れて、お湯をどれくらい注ぎ、何分くらい待つのかと聞かれますが、 いうまでもなくいつも適当なので、答えが難しいです。 味見した後、ウェルフェアー・オフィサーの方は、「砂糖を入れて 飲もうかしら」と言います。娘さんの方は、シティのチャイナタウンに行くことがあるらしく、飲茶(ヤムチャ) のときのお茶(たぶんウーロン茶)よりもソフトで美味しいと言ってくれました。

◆◆ご主人の話◆◆
◆何の話からか、ご主人の昔話になりました。彼の話はこんな感じです。1950年代初め、20歳過ぎで大工職人としてヨーロッパから 渡ってきました。船で半年近くかかりました。100数十人の乗客はほとんどが男性でした。 当時、オーストラリアでは、家を建てる木材も人員も不足しており、海外から調達していた頃でした。 到着直後はキャンプ暮らしで、2年ほど過ぎるとキャンプは閉鎖され、各地に散らばって行きました。

◆ 最初に彼が住んだのは、寄宿舎のようなところで、家賃を支払い、寮母がいて食事が出されたそうです。 そこで英語の授業があり、すでに母国の学校で英語を勉強していていましたが、「オーストラリア英語」にとまどったそうです。 そこから各人が独立していくわけですが、レンガ職人は競争が激しかった一方で、大工職人の方はそうでもなかったとの ことです。2年間で500件程の家を建てたそうです。やがて結婚して、現在の家をご自分で建てたそうです。 そのとき彼が建てた家は、その後に増築された部分とともに、現在でも使われていて、食事をいただいた部屋がそうでした。

◆ 奥さんは、地元のワイン用のブドウをつくっていた大きな農場の生まれです。農場といっても、カントリーにあったのではなく、 今住んでいる土地がその農場の一部だったそうです。1950年当時、このあたりは一面のブドウ畑だっということですが、 今ではすっかりアデレード郊外の住宅地なので想像がつきません。もともとは、イギリスからの移民ということで、 家系図をたどる作業をすすめています。そこで面白い手紙をみせていただきました。入植当初の手紙で、最初に、 普通の英語のように横書きで書きます。それが下まで届くと、90度回転させて、再び横書きで書きます。そうすると、 碁盤の目のような手紙になるわけです。それが表裏に書かれています。

◆手元の資料だと、1930年頃に3万人あまりだったメトロポリタン地域の人口は、1950年代には一気に 45万人に、そしてご主人のようなヨーロッパ系の人々が移住してきて1970年代初には85万人、そして現在は110万人になっています。 その1950年代〜60年代の人口急増期に、SA協会が新しいサービスの一つとして設立され展開していきますが、ご主人も奥さんも、 当時はご存じなかったようです。戦後、大量に当市に流入してきた人たちが、この地で「老後」を迎えて ボランティアとして参加していると同時に、地域の高齢化は利用者も急速に増加させています。


◆◆◇◇◆◆◇◇私の上達度(?)<調理編>◆◆◇◇◆◆◇◇
◆◆野菜料理と肉・魚料理◆◆

◆調理活動に参加を始めてから5ヶ月目に入りました。既に、私の研修(?)コースは、野菜料理から、 肉・魚料理に移っています。野菜料理はシンプルでした。カボチャ、セロリ、ニンジン、カブ、ズッキーニなど、 その日の材料の皮をむいて、スライスまたはダイス(サイの目)にします。皮むきは手作業ですが、 スライスやダイスは、スライス・マシーンという調理機器を使うので、200人分も、あっという間です。 あとは、40〜50人分ずつ、トレー皿に入れて、それをそのままコンベクショナル・オーブンに入れて、 スチーム(蒸す)するだけです。味つけはしません。

◆ 肉・魚料理は、皮をむくだけとはいきません。それに加えて、そもそもメニューに書かれている 料理がどんなものか分からないものばかりです。知っていたのはラザニアだけです。でも、数回やっている うちに、基本的なパターンがあることが分かってきました。一つは、肉を煮込む必要が あるものです。例えばラザニアがそうです。もう一つは、冷凍の調理済みの肉料理(例:ソーセージ)や魚料理(例:魚フライ)に、 ソースをかけるパターンです。この場合は、肉・魚をトレー皿に並べて加熱する作業と、ソースを作る作業があり、 最後にミックスします。あと一つは、肉をスライスする パターンです。前日以前に煮込んでおいたポーク等を、スーパーや肉屋で見かける手動のスライス器を使ってスライスし、 決められた重さに小分けにしていきます。

◆◆レシピを見てやってごらん◆◆
◆スーパーバイザーも、「チーム・メイト」たちも、私に教えてくれるときは、口で言うだけでなく、 必ず「Show you」と言いながら、一度、やってみせてくれます。例えば、8つのトレー皿を仕上げなくてはいけないとき、 一つ分だけやって見せてくれてます。それを私が真似をして、残りの全てを仕上げます。 また、いくつかの危険なことは、絶対に私にはさせません。新人教育マニュアルがあるわけではありませんが、 徹底しています。夏休みに、近くの大学で物理学を専攻している男子学生が、時間があるからといって、手伝いに来たときも 同じでした。

◆そんな風にして、言われたことが出来るようになってきたところで、今度はレシピを見て、一人でやるように 言われました。日本の活動団体でも作っているところがありますが、SA協会でも、50人分、100人分の分量で、 レシピが作られています。これもスーパーバイザーの負担を軽くするための本部のサポートの一つです。 上述したように、レシピが目指す料理を知らないし、集団調理の分量の感覚もありませんが、驚くことに、 レシピの通りに作ると、出来ないことはありません。もちろん、すぐに全て一人で出来ると言うことはなく、 時間切れでみんなが私の料理を手伝う羽目になったり、要所要所はスーパーバイザーが登場したり、 一つ作業が終わるとスーパーバイザーのところに 確認しに行ったりです。それでも、自分の手で出来上がってみると、だんだん楽しくなってきます。

◆◆「チーム・メイト」たち◆◆
◆しばらく参加しているうちに、どこにどんな調理道具(包丁や鍋の種類など)があるのかは覚えられたのですが、 倉庫から食材や調味料を取り出してくるのが、なかなか大変でした。そもそも言われたものが何なのか知らない ので、スーパーバイザーの方から指示されても、なかなか理解できないことがあります。そんな状態になると、 他のボランティアさんが、「こっちにおいで」というそぶりで私を倉庫に連れて行き指示されたものを 出してくれたり、小声でこっそりと教えてくれたりします。「チーム・メイト」の有り難さを実感します。 その「チーム・メイト」たちは、60歳代前半や70歳代の退職男性たちです。私の親の世代にあたる 方たちと、ファースト・ネームで呼びあっているのは不思議な感じです。

チーム
SA協会では、「チーム」という考え方を重視しています。調理ボランティアは、毎週同じ曜日に参加するので、 調理毎のチームとなります。他の曜日にも参加している調理ボランティアは、基本的には、いません。 「基本的には」というのは、SA協会では、コミュニティ・サービス(市民向けサービス)の提供団体の 一つとして失業者を受け入れています。これは連邦政府の予算による施策(Work for the dole)の一つで、 そのなかにも「チームの一員として」働く経験をすることが、次の就職のために重要なこととされています。 この施策で定められた時間を満たすためには、複数の曜日に参加する必要があります。その人たちも、 ボランティアの一員として受け入れられています。

◆60歳代前半はボランティアの若手ですが、その「若手」二人の男性は、実によく働きます。 自分の担当が終わると、どんどん仕事を見つけていきます。他方、70歳代半ばの男性は、肉・魚料理の 担当ですが、実にゆっくりです。どんなときでも自分のペースを崩しません。70歳前半で、チーム内では、 もっとも活動歴が長い(11年)一人である男性は、世話役が回ってきました。別の70歳代の男性も、 10年くらい参加しているのですが、ずっと、盛りつけのフタをしめて、その数の確認するのを担当 してきたそうです。

◆また、調理が終わり頃になると、配達ボランティアの一人の男性が、他の人よりも30分くらい早く来て、 私たちを手伝ってくれます。一見、強面(こわおもて)ですが、洗いもの、盛りつけなど、そのときに手が足りないところに入ってくれます。 一人、病気で早期退職したと思われる50歳前後の男性が、主に洗いものを担当しています。彼は他の曜日にも来ています。 また、失業中のため参加している60歳代前半の男性も、いろいろなところに手伝いに入りますが、ちょっと、 おしゃべりが多くてひんしゅくを買うときがあります。

◆私が参加している曜日のチームは、現在は、男性が主力というユニークなチームですが、 もともとはそうでもなかったようです。始業時間が、通常は7時15分なのに、このチームでは1時間早いというのは、 男性が主力となり、作業がゆっくりとなったためだそうです。スーパーバイザーの女性は、以前は毎日キッチンに 来ていたので、チームの様子をいろいろと知っています。しかし年齢のせいもあり、今は、週に2日の参加になっています (何と彼女は78歳です)。

◆彼女は、このチームが好きだそうです。 ときにはおしゃべりが過ぎる時もあるけれど、みんな気がいいし、彼女にとっては、 彼らが自分にちょっかいを出してくるのが楽しいのと、いろいろと聞きに来るので必要とされている実感が嬉しいようです。 確かに、配達のため別の曜日にキッチンに来たときに見かける調理チームは、見事に役割分担がされていて、私たちより 30分は早く仕事が終わります。私たちが全員で手を休めてとるモーニング・ティーも、分担別のようです。 各曜日には、曜日毎の調理責任者がいます。 他の曜日では、その調理責任者がしっかりしていて、スーパーバイザーの彼女の出番があまりないのかも知れません。


◆◆◇◇◆◆◇◇私の上達度(?)<配達編>◆◆◇◇◆◆◇◇
◆◆配達の手順◆◆

◆配達ボランティアは、調理が終わりにさしかかった10時30分頃から顔を見せ始めます。 配達ボランティアは、まず事務室で「出勤簿」のようなシートに名前を書きます。 車を持ち込む運転手は、この他に小さな用紙に名前と車のナンバー・プレートの番号を書きます。一回につき6豪ドルが、後で まとめて支払われます。SA協会では、会費などボランティアがお金を出すこともありませんが、ボランティアが受け取る現金 もこれだけです。また、配達用の自動車はすべてボランティアの持ち込みで、万が一、配達中に自動車事故が生じた 場合は、車の所有者であるボランティアがかけている自動車保険の掛け金の増額分をSA協会が補填する仕組みが整っています。 なお、この保険への掛け金が、80歳以上になると高くなると言うことで、ちょっとした話題になっていました。 次に連絡ノートを確認します。これは、日本でも見かけるもので、利用者からの電話連絡や 配達時の特記事項を記しておくものです。そして、調理ボランティアが焼いたスコーンを食べながら、しばらく会議室で おしゃべりしながら時間がくるのを待ちます。このスコーンの味は、各曜日でまったく違うのも面白いところです。

◆ 調理ボランティアは、10名前後×週5日=50〜60名で、どこの支部でも大差がないと思います。一方、配達ボランティアの数は、 そのキッチンの規模によって異なります。私が参加している支部はもっとも大きい規模で、200食程を調理して配達しています。 これを8つのルートで配達するので、単純に計算すると、配達ボランティアは、2名×8ルート×週5日×隔週=160名ほどが 必要となります。この支部のボランティアの総数が200名ほどなので、だいたい計算はあっています。つまり、単純計算では、 一つのルートが増えると20名の新規の配達ボランティアが必要となるわけです。実際には、 毎週参加している人や、ピンチ・ヒッターで週に何度も来ている人、反対に、 高齢や病気がちとなって、気持ちはあるのになかなか出てこられない人などもいます。 配達ボランティアのローテーションの調整については、スーパーバイザー、ウェルフェアー・オフィサーとは別に、 スタッフ・オフィサー というコーディネーターが担当しています。

◆◆私の仕事◆◆
◆さて私は、調理日の翌日がウェルフェアー・オフィサーの方が参加している日なので、9時頃来て、彼女の脇の机に 陣取り、彼女の仕事を見せて頂きたり、仕事の合間のおしゃべりを楽しんでから、彼女の車で配達に出かけます。 前にも書いたように、配達ボランティアのローテーションは隔週単位で組まれているので、毎週参加している彼女の ペアの相手も隔週で違います。一人は、このキッチンではめずらしい若手の女性(40歳代?)で、もう一人は、 だいぶ後で知ったのですが80歳近くの女性です(とてもそんな年齢にはみえません)。

◆ 最初の頃は、それぞれのペアの後をついていくだけでしたが、だんだん様子が分かってきました。 配達で確認するのは、「肉が食べられない」、「少な目」など個別対応か否か、スープの有無、 デザートが砂糖なし(糖尿病対応)か否か、の3点です。 助手席に乗った人が、次の利用者と住所を確認し、到着したら車のトランクを開けて、 上記の3点にしたがって食事をバスケットに移して、利用者のお宅に入っていきます。 車を止めたときに、一軒分ずつ食事を取り出すのであれば難しいことはないのですが、何人分かまとめて 取り出すときがあります。一つは、その必要があるときです。それは、リタイアメント・ビレッジという高齢者向けの集合住宅 (テラハウス形式の手頃な値段の有料老人ホームといったところ)や、ハウジング・トラストによる集合住宅(日本の公営住宅のようなもの)では、数名の利用者がいるケース が多くあります。そのときは、入り口に車を停めて、何人分かを持ち歩く必要があります。

◆もう一つは、能率的に仕事をするためです。同じ通りに何軒か利用者宅がある場合は、それらをまとめてバスケットに 入れておきます。そうすることで時間を節約します。私には3軒分となると、覚えるのが大変になってきます( 利用者さんの名前を頭に入れておくのが一番大変)。年齢差がでる部分があると すればこの部分だと気がつきました。上記の若手の女性は、4〜5軒分まとめて、どんどんこなしていきます。他方、 80歳近くの女性の方は、あまり気にせず、1軒分ずつ、こなしていきます。後者のペアでは、最近、なぜか私が指示を出す方になり、 2〜3軒分まとめて取り出すようになりました。

◆◆配達ボランティアの面々◆◆
◆この女性とおしゃべりしているなかで、一番上のお孫さんが私と同じ年ということが分かりました。 すると「Nana(おばあちゃん)と呼んでいいわよ」と言うので、「それには若すぎるから」と婉曲に断ると、 翌週会ったときに「答えるときは、“Yes, mum(はい、おかあさん)”といいなさい」に変わり、 なかなかの厚かましさを発揮しています。しかし、一時間半ほどの配達で、20数回、車を乗り降りし、 バスケットに食事を入れて運ぶ「お達者ぶり」には、いつも関心させられます。彼女は、参加を始めて 、まだ4年ほどです。というのは、彼女は、ご主人が他界された後、長年住んでいた家を処分して キッチンの近くのリタイアメント・ビレッジに引っ越してきた後、いつも庭の手入れをしているところに、別の入居者に 配達に来ていたSA協会のボランティアに声をかけられて参加するようになったと言うことです。「アクティブ・エイジング」 とでもいうのでしょうか。

◆また、大学の夏休みが終わるまでは、隔週で、ウェルフェアー・オフィサーのご主人の車にも乗せて 頂いていました。彼のペアは、70歳くらいの女性です。配達のペアは、ご夫婦の場合もありますが、このように ご夫婦でない男女のペアの場合もたくさんあります。 たまに、配達先で「彼はご主人?」と聞かれて「MOWの友人よ」とさらりと答える様子 が素敵に感じました。


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