アデレードからご報告

2001年9月から2002年6月末まで、南オーストラリア州アデレードの郊外に あるフリンダース大学に在籍して、 ミールズ・オン・ホィールズ サウス・オーストラリア協会(以下SA協会) の経緯、組織、活動、地域社会や制度との関わり等を中心に調査研究をしてきました。

  ■11月から8ヶ月間、SA協会の支部活動に参加させて頂きました。とても貴重な体験となりました。
   支部活動の体験記は下のページへ。
     体験記・その1
     体験記・その2

  ■最初にしばらく滞在したノース・アデレードの風景を こちらのページに載せました。

  ■調べもの他で使ったHP等をまとめて プチ・情報集にしました。


全豪MOW会議
9月中旬、全豪のミールズ・オン・ホィールズ(以下MOW)の活動者が集まる会議(National Meals on Wheels Conference)が、 タスマニアのホバート市で開催されました。今回のテーマは、「新しい世紀における3つのR−ボランティアの募集(Recruting)、 維持(Retaining)、承認(Recognition)−」です。

視察ツアー
全豪会議は、隔年開催で、1997年の大会から、 全国老人給食協力会(MOW日本協会)によって、視察旅行が実施されています。 この大会に参加できるのは、SA協会との関係のおかげなので、毎年、大会の会場に向かう旅の途中でアデレードに立ち寄り、 SA協会への表敬訪問と、あわせて先進的な食事サービスの活動現場で「半日体験」をしています。今年も10数名が参加しました。


(写真)アデレードでは、要介護度の高い高齢者向けのナーシング・ホームと、要介護度の低い高齢者向けの ホステルが併設されている施設を案内していただきました。

姉妹団体の協定式
さらに、近年の懸案であったSA協会と日本協会と姉妹団体の協定を結ぶ調印式を、サウス・オーストラリア州の厚生大臣の前で 執り行い、この晴れの場に私も同席することができました。1985年から始まった交流が一つの実を結びました。 また、SA協会の会長さんのご自宅で開かれた歓迎ホーム・パーティに招待され、SA協会の方たちと交流を深めることが 出来ました。


フリンダース大学
私が在籍させていただくことになったフリンダース大学は、 アデレードの中心街・シティからバスで40分ほど南に下ったところにあります。 アデレードは、1830年代に始まる入植時の都市計画によって、中心街と郊外とが明確に分かれています。 政治、経済、文化などの都市機能は、ほとんど、周囲を幅広い緑地帯で仕切られたシティに集中しています。

バスの車窓から
緑地帯の外延は、やはり当初の都市計画に従って、整然とした郊外住宅地が広がり、ところどころに、 様々な宗派の教会、学校、病院などが点在し、時折、小さな商店街あるいは日本の郊外と同様の郊外型商業地(ホームセンター&スーパー・マーケット& Mハンバーガー店または揚げ鶏肉ハンバーガー店)がみられるといった様子です。

メディカル・センター
フリンダース大学には、大きなメディカル・センター(病院)もあり、大学の近くにあるオーストラリアで二番目の大きさと いうショッピング・センターとともに、数少ない郊外での交通の起点になっています。 また、この大学は東京の中央大学と交流がある大学ですが、 立地も似ていて、丘陵地に開けています。 大学のバス停からは、高尾山からみえる新宿の高層ビル群のようにシティがみえて、夕暮れ時は侘びしさを感じます。


社会学セミナー
社会学部では、毎週金曜の午後に1時間ほど、 主にスタッフと博士課程の院生が参加するセミナーが 開かれています。30〜45分程度、レジュメなしで、OHPを交えたトーク調の報告があり、その後、 自由討論といったかたちです。

人生いろいろ
社会学部の教員は民族的背景が多様で、オージー英語よりも理解しやすい発音の人もいれば、 母国語のイントネーションが強くてもっと分からない人もいます。私の他、アメリカと ドイツからの訪問研究者がいます。博士課程の人たちは、私よりも年上の人が多く、 一度社会に出た人や他の博士号を取った人などが、調査や論文執筆をしています。 ここの社会学部は、実証的・応用的な志向が強いようです。

学生食堂
10月に入り、セメスター間の休みが終わり、学生たちが大学にもどってきて、少々時間をずらして学食で食べようと思うと、 売り切れになっていることがあります。学食では、アジア風(タイ風?)のコーナーがもっとも人気があるようで、 私もそこをよく利用しています。休みが終わり、図書館も混雑して大変かと思ったら・・・・・・。


夏時間
10月28日から夏時間となり、時計の針を一時間進めました。日本より1時間半早く過ごしています。 夏時間になったといっても、ようやく夏めいた時間帯が多くなってきたという程度です。

受け入れの知らせ
11月から、SA協会の活動現場である支部(キッチン)の一つに参加させて頂けることになりました。 アレンジしてくださった事務局長さんと、受け入れてくださった支部のみなさんに大感謝です。 この参加体験の様子を、ときどき、こちらのページでご報告していきたいと思います。

ガーディニングの家々
支部のある地域は、これまでSA協会の歴史を尋ねて歩いた、 シティからポートアデレードに至る工業化と社会運動・社会活動の重厚な記憶を とどめる地域とも、シティからアデレード・ヒルズに至る専門職が多く住む中高級住宅街とも異なり、 カーディニングの木々に埋もれた住宅街の広がる郊外にあります。 昔どこかで読んだ「大陸の都市では自然は排除され、イギリス人は都市に自然を持ち込んだ」といった言葉を思い出します。


クリスマスどころでは・・・
そんな住宅街は、私のような一時滞在者(外国人だからという意味ではなく)が住む場所を探すのにとても苦労する地域でもあります。 まだ11月に入ったばかりなのに、電気のついていないエレクトリカル・パレードといった感じの「山車」が、 日中のシティを練り歩き、クリスマス・ムードを盛り上げています。 私はそれどころではなく、支部のある地域に引っ越し先を求めて大苦戦です。 その折、バスの他タクシーを使うこともあります。こちらのタクシーは安全です。地元出身者の他、 イギリス、イタリア、インド、パキスタンなど、さまざまな出自のタクシー・ドライバーとの10〜20分ほどの会話も、 意外な社会勉強の一コマです。

断念。いい経験と思って
11月、ひと月ほど、支部のある市内に物件を求めて、問い合わせ→下見→内覧→申し込み、を繰り返しましたが、 契約まで至りませんでした。残りの滞在期間を勘案し、結局、支部から最も近くで一時滞在者向けのアコモデーション がある、ビーチの近くの街に住むことにしました。この街は、1920年代の様式のトラムの終点でもあります。


夏休みの大学
12月が近づいてきて、大学も夏休みに入りました。メールボックスに、学部オフィスから、 「蛇を見つけたときの対処」というパンフレットが配布されていました。 「近づかない、殺そうとしない、すぐにメンテナンスに電話するように」とのことです。 恐ろしいところに来てしまいました。

キッチンでの日々
12月はキッチンのある街の隣の街に引っ越しをして、週に2日〜3日、キッチンに通っているうちに、あっという間に過ぎてしまいました。 参加日のうちの一日は、「参与観察」というのはおこがましいですが、実際に新入りボランティアと して調理作業を教えてもらっています。最初のうちは作業を覚えるのが精一杯でした。 2週間ほどのクリスマス・ブレイクを過ぎて1月に入ると、作業をしながらとか作業の合間などに いろいろとお話を聞けるようになってきました。ようやく研究者にもどった気分です。


家族との一週間
クリスマス・ブレイクには家族がアデレードに滞在し、短い間でしたが久しぶりににぎやかに過ごしました。 家族でボランティアさんのお宅にご招待されたり、他のボランティアさんから子どもにクリスマス・プレゼントを頂いたりと、 素敵なクリスマスになりました。メルボルンで家族を見送った後、 VIC州移民博物館やVIC州立図書館 をめぐりました。

移民博物館
移民博物館はアデレードにもありますが、行ったことがありませんでした。 なかなか面白かったのでアデレードに帰ってきて、移民博物館を探してみると、レンガ造りの 古い建物が並んでいるアデレード大学の一角にありました。メルボルンの博物館と比べると、 模型やパネルなどにお金ががかかっていませんが、内容は充実している感じです(アデレードの 移民博物館は無料)。

博物館の内と外
移民博物館は入植時から今日まで扱っています。19世紀末から戦前にかけてのあたりは、戦後のSA協会 の設立をバックアップした社会団体の生成期と、また、第二次大戦直後のヨーロッパからの 移民は、キッチンで一緒に活動しているボランティアさんたちの生活史と、さらに、戦後の の移民は昼食や夕食で訪れる中華やタイ、マレーシア料理店で働いているアジアの人たちと重なり、 とても興味深くみることができました。

久しぶりの都会
また、VIC州図書館ではVIC州やNSW州のMOWの資料が見つかり、訪れた甲斐がありました。 現在、アデレードにあるSA州立図書館は改築中で、私の滞在中には完成しないようです・・・。 メルボルンでは、シティにはセブン・イレブンがあふれているし、電車や地下鉄が走っていて、久しぶりに 日本で過ごしていた時間の感覚を思い出しました。アデレードでは24時間営業のコンビニはシティに数軒あるだけで、 郊外に向かう列車は2両編成の気動車です。キッチンのボランティアさんたちが「若者にはメルボルンの方が魅力 的なのよ」と口にするのがわかります。


ネクタイの日々
2月に入り、日本から、全国老人給食協力会(MOW日本協会)の事務局の2名の方が、調査に 訪れ、私も1週間余り同行しました。昨年9月に、SA協会と日本協会が姉妹協定を結んだ後であり、 訪問されたのが日本側の事務局長ということで、SA協会側が非常に密度の濃いアレンジをして くださいました。SA協会の組織・財政についてレクチャーを受け、前々事務局長と前事務局長への インタビュー、SA協会がもっているクックチル工場と配送センター の視察、各種委員会への同席、支部のイベントへの同席、数カ所の支部でのヒアリングなど、みっちりと日程を組んで いただきました。また、私が参加している支部にも来ていただき、一緒に調理をしながら、記録を とることができました。

日本からの訪問者
また、3月には、埼玉県内の大学の学生が数名ほど、私が参加している支部にボランティア体験をするために訪れました。 日本の春休みを利用した一ヶ月ほどの語学留学のスタディ・ツアーの一環だそうです。提携先は、何と、私が在籍している フリンダース大学内の語学学校だそうです。


RABBIT PROOF FENCE
せっかくこちらにいるので、日本には行かなそうな映画をと思い、「Rabbit Proof Fence」という映画を 見てきました。直訳すれば「ウサギよけフェンス」ですが、実際にはアボリジニの人々の居住区を囲むフェンスです。 戦前、西オーストラリア州で、白人との混血の子どもたちを白人社会に同化させるという政策によって、 アボリジニの村から強制的に隔離された3人の姉妹が、パース近くの収容所から9週間かけて、 そのフェンスを手がかりに砂漠を越えて村に戻るという、実話にもとづいた話です。 最後のシーンには、高齢となった本人たちが登場します。
■「裸足の1500マイル」という名前で日本でも公開されました。先日、レンタル・ビデオを 借りてみました。字幕をみて、詳細を理解しました(泣)。ちなみに1500マイルは2400キロ だそうです(千葉から博多往復!)

機上にて再び
オーストラリアは、1901年に連邦が出来て100年が経ち、新しい100年に向けて、 アボリジニーの人々や文化との新しい関係づくりが 盛んに行われているようです。この映画もその動きの一つとして話題になりました。しばらくこの映画のことは 忘れていたのですが、4月初めに友人がこちらに来てくれて一緒にキャンベラに行ったときに、 往復の飛行機のなかで、この映画に出てくる子役のオーディションと撮影の様子の記録が流れていました。

キャンベラの街
キャンベラは、湖畔の高原都市といった感じでとてもきれいなところです。国会議事堂内を案内する無料 ツアーが楽しめました。テレビによく映る、国会議事堂から湖を越えて伸びる幅広く長い公園の先にある のが戦争記念館です。ちょうどアンザック・ディーの前だったせいか、 アンザック軍の活躍を展示している第一次世界大戦のコーナーが大盛況でした。街は、都市計画の おかげで広々とした道路と緑地に恵まれていますが、アデレードのようにバス・ルートの地図&時刻表が充実して いないのと、通りの名前を示す看板が少ないので、移動に手間取りました。

本の借り方
キャンベラの国立図書館とメルボルンのVIC州図書館は同じシステムでした。 閉架となっている本を借りるためには、PCで検索して、PC画面で借りたい本を入力します。 このときに、自分用のコード(番号)が必要です。そのためカードを作る必要があります。 カードは、カウンターに行って、氏名、住所等を記入すれば、無料で簡単に作ってもらえます。 キャンベラでは氏名等を証明するものを求められたので、パスポートを見せました。 PC画面で借りたい本を「注文」すると、20分くらいで貸し出しカウンターに本が出てきます。 貸し出しカウンターの前にイニシャル別の棚があるので、私の場合は「S」のところに本が出てくる のを待ちます。


五月の菊
5月の中旬を過ぎたあたりから、雨降りの日が増えて、めっきり寒くなってきました。ここは地中海性気候なので、 冬が雨期になります。そのせいか、夏よりも緑が映えて見えます。同時に、少しずつ、紅葉に向かっている木々があります。 庭では、白や黄色の鮮やかな菊が満開です。配達に行くと「これは日本の国花ですね」と言われます。 母の日が間近となった日に、キッチンの責任者の方(ボランティアさん) にインタビューを引き受けて頂いたので、 カーネーションを持っていこうと思い花屋に行くと、母の日用の菊の花束がカーネーションと同じくらい並んでいて驚きました。 ちなみに、その日、花を差し上げた方は、キッチンに来ない日には曾孫(ひまご)を学校まで車で送迎しているという78歳の方でした。

Inch Ant
大学で使わせて頂いている部屋の書棚から、しばらくおいたままにしていた本を取ろうとしたら、 手のひらに激痛!あわてて引っ込めた手から、黒い虫が床に落ちました。最初はムカデかと思いましたが、 よくみると細長い足がついていて、蜂のように見えます。変な毒を持っていたら大変と、とりあえず、この状況を説明するために 原因となったその虫を殺して紙に包み、いつもバックパックに入れている ポケット・サイズの英和・和英辞書をポケットに入れて、事務室に駆け込みました。すると 「まあ、後で腫れてくるだろうけれど、命には関わらない」ということで一安心。これは、 蜂ではなく、1インチ(2.5センチ)ほどの大きさのあるという意味の蟻でした。毒を吸い出すには酢が一番いいけれど、 なれけば薬局で買えるという薬を教えてもらいました。帰宅してとりあえず自宅にあった消毒薬を塗って 様子をみていると、幸いに、腫れてくることもなくすみました。

Dental Clinic
そんな出来事から一週間ほどが過ぎて、今度は、歯医者に行く羽目になってしまいました。10年くらい前に 治療した歯が、古くなっていたようで、自然に外れてしまいました。仕方がないので、一番近くにある歯医者に行くことにしました。 そこは、商店街に面した古い家の中を改造して、5人のドクターが、それぞれの部屋で治療に当たっている ところでした。私の治療をしたドクターは、「不思議なもので、歯医者の技術は、ヨーロッパもアメリカも日本も同じなんだね」 と言っていました。不幸中の幸いでした。すごくジェントリーな歯科医でしたが、思わぬ出費となりました。

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