| 片岡、星野監督に電話で阪神入りを表明 |
12月20日午後2時、星野監督はデイリースポーツ社に到着する直前、移動の車の中で片岡からの電話を受けた。電波状況も悪く何度も聞き直した。
星野監督 「来てくれるんか、本当に来てくれるんか。」
片岡 「お世話になります。」
歓喜のあと星野監督はぽつりと漏らした。
星野監督 「本当はアメリカにも飛んで行きたいんだけど。」 |
| 片岡が阪神入りを表明会見 |
12月20日午後3時、片岡篤史内野手(日本ハム)は東京都内のホテルで会見し、阪神入りを表明した。
片岡 「きょうの2時まで考えた結果、阪神タイガースに行ってもう一度野球を見つめ直して頑張りたい。小さいころ甲子園球場に野球を見に行った時から甲子園で野球をしたいと思った。夢だった。(途中、声を詰まらせ涙を流した)日本ハムには自分を育ててくれ、感謝の気持ちでいっぱいです。ファンやチームメートに申し訳ない。不安も期待もあるが、生半可な気持ちでは決められなかった。大げさかもしれないが、大阪に命がけでいきたい。」
星野監督 「うれしい限り。ほっとしているよ。純な心を持っている男。長年、日本ハムに育てられた恩もあるだろうしな。」
野崎球団社長 「きょう2時すぎ、星野監督から連絡があった。うれしい知らせに、球団事務所でも拍手がわいた。交渉には木戸コーチも出てくれたし、星野監督も出馬してくれた。電鉄本社、球団、フロント、現場が一体となった結果、この朗報が得られたと思う。」
日本ハム・大島監督 「監督の立場としては、非常に残念。FAを行使してチームは変わっても、同じ野球をやるのだから、心から送り出してあげたい。片岡が抜けたのは大きな穴。埋めるべくみんなで努力していきたい。」
片岡は1時間前の午後1時過ぎ。”ほんまに迷ってんねん”と涙声で父・寛十郎さんのもとへ電話したという。甲子園で初めて阪神―巨人戦を見たとき、父・寛十郎さんに”僕はここで野球をする”と誓っていた。92年のドラフト直後に日本ハムから指名されたとき”セ・リーグで野球をやりたい”と断った経緯もあった。最後は幼少時代から憧れ続けたタテジマと甲子園が決め手になった。
21日に大阪市内のホテルで入団発表が行われる予定。 |
| 片岡、一問一答 |
−決断の決め手となったのは
「関西で生まれ育ち、小さい時に初めて甲子園で野球を見て、ここで野球をしたいと思ってきたから。」
−決断まで長い時間がかかった
「会見1時間前の午後2時まで悩んでいた。理由は自分を育ててくれた日本ハムへの愛情。感謝の気持ちでいっぱいです。」
−阪神はファン、メディアからの注目度も非常に高いが
「それも含めてここまで悩んできた。なまはんかな気持ちでは決められなかった。大げさだが、命懸けで大阪に行きたい。」
−星野新監督と話は
「よろしくお願いしますと伝え、いっしょに頑張ろうと言われた。」
−阪神、セ・リーグに移っての決意は
「不安も期待もあるけど、10年パ・リーグでやってきたプライドもある。レギュラーを張ってきたものをセ・リーグでも見せたい。」 |
| 田淵、チーフ打撃コーチ就任 |
12月20日、大阪市内のホテルで阪神の野崎勝義社長と田淵氏が交渉し、田淵氏の1軍チーフ打撃コーチ就任を発表した。1年契約で、背番号は「88」。
田淵氏は1978年に阪神から西武にトレードされて以来、24年ぶりに縦じまとなる。
会見途中、星野監督が名古屋から駆けつけた。
田淵チーフ打撃コーチ 「24年ぶりに帰ってまいりました。夢に見たことが現実化した。純粋に胸がいっぱい。星野監督とスクラムを組み、阪神に育てられた恩返しをしたい。同級生だけど、監督とコーチの一線は画したい。”仙ちゃん”と呼ぶのもきょうが最後。長打を打てる選手を育てるように星野監督から言われている。120、130本は欲しい。年間90本は少ない。これを3ケタにしないと。星野監督から、最初に出て来た言葉もこれ。クリアできるような、バッターづくりをしたい。選手が悩みを相談できるフランクな体制にしたい。
試合の後半になって、3点差で負けていても、一発で逆転できるような打線を。阪神の選手は決断力が遅い。変化球か真っすぐしかないのだから、思い切っていく勇気が必要。浜中は、ホームランバッターは球を呼び込んで打たないと駄目。彼は足が速いだけに、先に足が出てしまう。右中間、左中間のふくらみをとってくれないかと野崎社長に言った。それが投手を助けることにもなる。」
星野監督 「彼とは30数年来の仲。何も心配することはない。情熱を選手にぶつけてもらいたい。猛虎打線の代表的な男。野村前監督は足の速い選手を十分に育ててくれている。だから、大きいのを打てる男を育ててほしい。」
久万オーナー 「田淵コーチはかつての大打者でなので、阪神タイガースの懸案である攻撃力の強化のため、ご尽力いただけると期待している。星野新監督を支えながら手腕を発揮していただき、ファンの期待にこたえていただきたい。」
野崎球団社長 「24年ぶりに復帰してもらって、指導者として阪神タイガースを復活させるための力添えをいただけることになった。球団としては最低3年はやってもらいたいと思っている。個人的にはラッキーゾーンを作ってもいいと思うが…。でも、具体的な話はまだです。」 |
| 田淵コーチ、一問一答 |
−今の気持ちは
「24年ぶりに帰ってまいりました。長い月日だった。純粋に胸がいっぱい。早く縦じまのユニホームを着て選手と一緒にやりたい。星野監督とスクラムを組み、阪神で育てられた恩返しをしたい。」
−目指す指導法は
「数字に責任を持ちたい。データを基に選手とコミュニケーションし、長所、短所を見ながらベストの方法をみつけたい。年間本塁打を3けたにしたい。悔しさがなければうまくならない。悩みがあったらいつでも来い、というようなフランクな体制にしたい。」
−親友の星野監督と共に戦うことについては
「夢に見たことが今日、現実化した。ユニホームを脱ぐまで『仙ちゃん』と呼ぶのをやめる。監督とコーチがスクラムを組んで強いタイガースをつくるという意気込みをわかってほしい。」
−新体制での抱負を
「和田打撃コーチには小技や右打ちを教えてもらう。役割分担がはっきりしている。うれしい結果を出したいし、記憶に残るガッツあるプレーをさせたい。監督の熱意に負けないようにぶつかっていく。」 |
| 平塚打撃コーチは2軍打撃コーチへ |
田淵チーフ打撃コーチの就任に伴い、平塚打撃コーチの2軍打撃コーチへのポスト変更が濃厚となった。1軍は田淵、和田の2人体制で、打線強化にあたるとみられる。
田淵コーチ 「和田には、右打ちや進塁打といった細かい分野を見てもらいたい。」 |
| 田口、アリアスも獲得へ前向き |
12月20日現在の、田口と新外国人選手に対しての接触状況。
野崎球団社長 「田口選手に関しては、要所、要所でメールを使って接触しています。問題はメジャーへの夢です。片岡選手が来てくれたことが追い風になる。日本ならウチと決めてくれているのでは。アリアスに関しては接触はしている。何とか獲得したい。マルティネスは知っている代理人だが、そういう意味での接触はしていない。」
阪神は、先週末アリアスの関係者と電話連絡をとり、日本でプレーする意思があるか否かを確認していた。
アリアス側 「日本でプレーすること、タイガースでプレーすることに興味をもっている。」 |
| 島野氏の移籍を正式に申し入れ |
12月20日午前、星野仙一監督は中日球団に西川順之助社長を訪ね、中日の島野育夫2軍監督の阪神移籍を正式に申し入れた。
星野監督は来季のコーチ陣の構想に島野氏が入っていることや、11年間の監督時代に島野氏と二人三脚で中日を再建したことを説明し、理解を求めた。
西川社長は、すでに来季のスタッフを発表している上、敵の戦力強化になることはできないと反論した。島野氏は中日との来季の契約をまだ結んでいないが、西川社長は拒絶理由として、本人の承諾を得て来季の2軍監督として公表していること、同氏を中日の頭脳として考えていることなどを挙げた。
西川社長 「お断りしました。島野さんは中日のシンクタンク。長引きますよ。要望は続けるつもりらしいが、断り続けるのも変わらない。内容によっては島野君を説得しないといけない。」
星野監督 「時間は掛かるだろうが、きちっと返事をいただけると思う。社長の立場上、そう簡単には望む返事は返ってこないだろう。年明けには返事をくれるのでは。島野さんがどう考えているか聞いてほしい。」 |
| 平田2軍野手総合コーチが球団広報部課長へ異動 |
阪神は、平田勝男2軍野手総合コーチの球団広報部課長への異動を発表した。同課長は星野監督付き広報を担当する。 |
| 外国人選手の同時出場が4人に |
外国人選手が同時に試合に出場できる人数が、来季から最大4人に拡大されることが実行委員会で決まった。しかし、労働組合・日本プロ野球選手会は反対の姿勢を示しており、反発が予想される。10月のオーナー会議で経営側は、1軍登録の人数4は変更しないものの、今季までの「投手2、野手2以内」の内訳を「投手3、野手1」または「投手1、野手3」も可能とする方針を固めていた。 |