【一遍上人生誕の 地・寶厳寺】 (p1)
 
豊國山遍照院寶厳寺
愛媛県松山市道後湯月町


寶厳寺(ほうごんじ) 山門
【愛媛県指定史跡(昭和24年9月17日指定)】


本道の山号
 本堂正面 「寶國山」の山号
 


本堂扉の紋
本堂扉に「丸に九枚笹」の紋


(写真をクリックして拡大写真をご覧下さい。)
宗派 時宗

別名 

本尊 阿弥陀如来

開山 乎智宿弥守興(おちすくねもりおき)
開基 天智天皇4年(665)

寺宝 木像一遍上人立像
 室町時代の傑作(國指定重要文化財)。文永7(1475)年造立。

見所

寺の歴史
 寶厳寺は一遍上人生誕の寺で、藤澤の遊行寺、神戸の真光寺と共に、時宗の三大聖地である。
 左の写真に見られる山門は、昔は寺の前の坂を下った場所にあり、その坂の両側にそれぞれ六つの支院があった。一遍上人はその支院の一つで生まれた。

寺の紋
 写真集の b,c,d に示すように、寶厳寺では河野氏系統の紋の一つ、「折敷に縮み三文字」が境内のあちこちで見られる。
 ところが、本堂の扉には「丸に九枚笹」の紋がついてい る。これが何を意味するのか判らない。一遍上人の研究家故
足助威雄氏は一遍上人の母の実家大江氏の紋と指摘。だが、大江氏の紋を調べてもこ の紋は見当たらない。紀州の紀氏の紋ではないかという説もあるが、正確には不明と言うしかない。

一遍上人ご真筆
 山門に向かって左側に、ご真筆を刻した石碑がある。写真集の f に見られるように、現代の前衛的な書を思わせる。

句碑・歌碑
 一遍、正岡子規、酒井黙禅、川田順、斎藤茂吉らの句碑、歌碑が境内に点在す る。次ページの写真集をご覧下さい。
 なお、子規の句は、寶厳寺の門の前の通りが昔は遊郭街であった時の作である。写真 p は山門の前に残る昔の遊郭の建物である。

由緒・縁起
 寺伝によると、天智天皇4年(665)国司乎智宿弥守興(おちすくねもりおき)が天皇の詔により建立、のち伏見天皇正応5年(1292)再建され、時宗 にあらためた。
交通】 JR松山駅、伊予鉄松山市駅より 道後温泉行き電車で15〜20分、道後温泉駅下車。
同駅より徒歩10分
(駅前の案内所横に案内地図あり)
一遍上人
 一遍上人は、源平の合戦で勇名を馳せた河野通信の子通広の次男として、1239年に寶厳寺の支院の一つで 生まれた。
 一遍は紀州の熊野権現に参り修業に努めた後、時宗を開き、ボロの法衣を纏って全国各地に旅を 続け、浄土教を広めた。

 関連HP:承久 の変における河野氏」 「一遍上人」

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