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ブックストリート



  1.カタログショッピングの午後
  2.ジュンク堂書店に物申す
  3.ブックストリートを聞きながら
  4.読書会−−されど我らが日々
  5.キャバクラ「リード!」
  6.モシモシ堂書店への電話
  7.近所のヤマダ書店
  8.本磨き
  9.ポケットに入らない文庫本
  10.夜の図書館

  ※ まあなんというか、本に関してのエッセイとお話みたいなものです。




1.カタログショッピングの午後

 火曜日の午後2時30分、キサラギユウコさんは自宅のソファーでカタログを見ている。紅茶とクッキー、ロングスカートがとても素敵だ。テレビのワイドショーは見ないことにしている。このところのお気に入りのBGMはモーツァルト。
 家庭というものを持って何年かが過ぎた。最初は大変だった。子供は小学校へ入り、このところやっと自分の時間というものが持てるようになってきた。
 彼女の最近の楽しみは通信販売である。洋服から家具、あらゆるものが通販で手に入る。最近は「ユニクロ」や「無印良品」の製品も通販で買っている。
 一時期はインターネット・ショッピングをやったことがあった。けれど、ディスプレイから見る製品はちょっと違う。ソファーに座ってパソコンを見るというわけにもいかない。先日通販で買ったハーブティーに、少し薄めのカタログが一番いい。晴れた日にはテラスで、この楽しいひと時を過ごす。ガーデニングにも力を入れているので、ここは今いちばんのお気に入りの場所。
 最近のカタログで嬉しいのは「本のカタログ」というのが増えてきたことだ。ただ単に本が載っているというだけではない。ここに書かれている作者のメッセージは他で読めないものが多かったりしている。普段着の作者が、自宅のソファーで紅茶を飲みながら、自分の本について、生活について語っている。
 新刊の本だけでなく、とても古い本、世間では全く話題にならなかった本まで、この「本のカタログ」には載っていたりする。考えてみると、何年も本は読んでいなかった。忙しいということもあったけれど、何を読んでいいのか、自分でもよくわからなかったのかもしれない。それが、このカタログを見るようになってから、読書というものが自分の中で大きく変わってきたように感じている。


2.ジュンク堂書店に物申す

 このところ一番のお気に入りの書店といえば、池袋にあるジュンク堂書店である。なにせ、売り場面積が世界一! とにかく広い。そしてなによりいいのが、そのシンプルなデザインだ。ごちゃごちゃとした広告はほとんどないといっていい。まるで図書館のように、本が静かに並んで手に取られることを密かに待っている。
 今年の3月に売り場面積が拡張されて現在に至っているわけだが、このとき僕はもっともっと素晴らしい書店になるだろうと、大きな期待を持っていた。正直なところ、ちょっとジュンク堂書店には残念なのであった。それでもこの書店に何か恨みがあるというわけではないし、よくここを利用している。
 これからの書店に、こんな風に変わって欲しいという希望を含めて、大胆にもジュンク堂書店への不満を書いてみることにする。

その1 椅子の数が少ないぞ!
 このジュンク堂書店がはじめて東京に進出してきたとき、一番のウリが「座って本が読める」ということだった。以前のジュンクは広いことは広いのだが、地階から9階までと、フロアーはいくつもあってもその階に限ってということでは、どうにも狭いという印象があった。椅子と机はエスカレーターの脇のところに並んであっても、いつも人で埋まっている。気軽に椅子に座って本を読む、という感じではなかった。店内が広くなるのであれば、当然椅子の数が飛躍的に増えるものだと思っていた。でも、実際のところそんなに増えなかった。増えないというよりも、ほとんど変わっていないという印象の方が強い。本棚の数との割合で言うならば、減ったという方が正しいのではないだろうか。
 もっと、広いスペースで、大きく手を広げて本を読みたかった。
 どこかのフロアーを、本を置かないスペースなんてのにしたらよかったのでは。本の置いてないスペースのある書店なんて、素敵ではないか。そこでゆったりと本を読み、選ぶ。そうすれば、財布の緩むというものだ。

その2 豪華ソファーに座りたかった!
 だいたいにして僕は椅子にしても文句がある。本を読むには椅子ではなく、ソファーが必要なのではないか。ソファーに深く体を預け、身も心も手にした本を同化するのである。常に一歩先を行く書店というのは、人間と一番接するとことにチカラを入れなければならない。本を読むのに何が必要か、それは間違いなくソファーなのだ。クルマだって、高級車のシートは素晴らしい。長時間、腰を痛めることなく集中して本を読むのに、必要なものは決まってくるだろう。

その3 見晴らしのいい場所で珈琲を!
 どうして喫茶店の場所が移動してしまったのだろうか。改装前のジュンク堂書店では8階に喫茶店があった。外の景色を見ながら(といっても駅周辺のゴチャゴチャであんまりいい風景とは言えなかったが)買ったばかりの本を読むというのが、この書店での楽しみだった。なぜか改装後の喫茶店は4階。どうもこの場所は落ち着かない。アートな雰囲気もしないし、どこかのホームセンターのガーデニング売り場みたいな雰囲気である。
 どうせ、広い売り場になったのだったら、喫茶店の2つや3つあってもいいではないか。著名な作家が好んで飲んだ珈琲でも入れてくれよ。そこで、自分がヘミングウェイにでもなったような気分に浸りたいではないか。ただ何かの飲み物が飲めればいいってもんじゃない。例えば、誰かの書斎をモデルにしたスペースをつくって欲しかった。そこで珈琲を飲むのだ。その辺の喫茶店じゃないのだし、書店の中なんだからそのくらい凝ったことをやって欲しかったけどね。

その4 パソコンがないぞ!
 どこかにポロリポロリとあったかもしれないけど、パソコンがほとんど置いてないといっていい。どうやって、本を探すのだろうか。店員さんだっているもいるとは限らない。パソコンで本の検索をして、読みたい本を探すというのはどうしても必要なことなのではないか。多くの椅子と机と一緒に、パソコンもいっぱい置いて欲しかった。そこで、作家のウェブサイトなんかを覗けば、もっともっと本が買いたくなるというものではないか。
 現代はどう考えてもパソコンというものは必需品。図書館でだって、コンピューターで本の検索をする。ただ本を置いとけばいい書店だという時代は終ったのではないか。

その5 仮眠室はないのか!
 一日中この書店の中で過ごしてみたい。本好きの者だったら誰でもそんなことを考えるのではないか。一日歩き回れば疲れる。本を読めば目がとろんとなる。そんなときどうすればいいのか。答えは簡単、寝てしまうことだ。別にホテルを用意してくれというわけではない。ほんの30分ほどでいい。軽く眠りにつくことでリフレッシュしたい。足揉みマッサージなんかも併設してもいいかもしれない。みんな都会の生活で疲れているんだ。どうして書店に来てまで疲れなくちゃいけないんだ。疲れを癒す場所であること、それこそがこれからの巨大書店の役割というものではないか。

その6 トイレが少ないぞ!
 改装ということで最も期待したのはトイレだった。書店に入ったならトイレでゆっくり時を過ごすということは、今は常識である。デザイナーズレストランが、そのトイレのデザインで競っているように、巨大書店たるもの、キレイで大きなゆったりできるトイレが用意できなくてどうやってこれからの時代を生きていくのだろうか。ジュンク堂書店のトイレはいつも並んでいる。それなりにはキレイではあるけど、もうちょっと落ち着けるところまではいっていない。せめて、ぜんぶウォシュレットにして欲しいものだ。ジュンクで買おうか、リブロで買おうか、悩んだときの決め手は間違いなくトイレである。

その7 ポイントカードはどうした!
 池袋といえば、西武デパートにビックカメラである。ちなみに僕は「クラブ・オン・カード」と「ビックポイントカード」はいつも財布の中に入れている。ビックポイントカードなんて、ビックカメラで買っただけで10%もポイントが溜まるのだ。これまでトータルで5万円くらいはこのポイントを溜めているのではないだろうか。
 ジュンク堂書店のすぐ近くにのリブロは、「クラブ・オン・カード」を使用する。こちらはそんなにポイントが高くはないけれど、こんなふうにポイントを溜めてお買い物をするというのはとても楽しい。ちなみに、「デンマーク」というパン屋さんでシールをもらい、カードに一枚一枚貼り付けるというのも僕の最近の大きな楽しみの一つである。まだ、いっぱいになったことはないけれど、何がもらえるのだろうか、と思うだけで胸が膨らんでくる。
 世界一のジュンク堂書店にはこうしたポイントシステムというのがないんだよね。どうしてなんだろう。別に10%なんて高いポイントでなくてもいい。希望としてはシールを貼り付けるのがいいのだけど、せっかくのお買い物なのだからこうした楽しみのひとつくらいつくって欲しいものだ。

その8 本の相談をしてみたい!
 映画『ユーガッタメール』でメグ・ライアンの働いていた書店というのが、僕には理想だった。小さな書店なのだけど、店員さんは親切で「こんな本を探しているのだけど」とお客さんが訪ねると、やさしくいくつもの本を差し出してくれる。はっきり言っていい書店というのは、その設備でも本の数でも何でもない。いい店員さんがいるかどうかである。もちろん、アルバイトの人もいるだろうし、店員さんみんなが本について詳しいというのは難しいだろう。できれば「本のアドバイザー」のような人は背中に羽根でもつけて分かるようにしておいて欲しい。声を掛けたら、暖かく本の相談にのって欲しい。
 こちらの身になって、親身に本を探してくれる。そんな書店があったら間違いなく世界一である。

※ ジュンク堂書店さま、いろいろ文句を言ってごめんなさい。


3.ブックストリートを聞きながら

 高校生の頃、ラヂオを聞くことが唯一といっていいほどの楽しみだった。今のようなインターネットなどというものはその頃は当然ない。勉強机にすわって、一応教科書を開いて、ラヂオをスイッチを入れていた。
 お気に入りは「ブックストリート」という番組だった。月曜日から金曜日まで、それぞれのDJがやっているのだが、誰もが独自の視点を持っていて、それぞれの新しい本や古い本の紹介をしていた。
 紹介していたというのは正確ではないかもしれない。その番組でのほとんどは、読者からの手紙やハガキを読み、笑ったり時には深刻な声を出したりしていた。そんな合間に本が流れていた。だから、熱心にその本について考えたり、読んだりしていたというわけでもなかった。でも、その時聞いた本を今になって触れることがあると、どうしようもない気持ちになったりする。
 その頃に、その本のことがわかっていたのだろうか、と考えたりする。最近になってわかってきたようにも思う。でも、だんだん忘れてきてしまっているような不安があったりする。ラヂオを聞きながらノートにメモを書いたりしていた。それは今はもうないけれど、そのメモには大切なことが書かれていたはずだ。

 不安な気持ちをいっぱい抱えていた。今も不安ではあるけれど。毎夜毎夜、僕は真剣にそのラヂオの声に耳を傾けていた。


4.読書会−−されど我らが日々

 とっても昔のことだけれど、読書会というものを経験したことがあった。大学に入った年の5月の末頃だったと思う。大学という場所に入ったならば、それなりに何だかんだとある。もちろん今思い返して、華やかな雰囲気だったとは言いがたい。
 今のように誰もが携帯電話を持っていることはなく、電話があると僕は大家さんの家の玄関のところまで走って、その電話を取った。
 たいして楽しい学生生活ではなかった。もう一度繰り返したいとも思わない。でも、この読書会だけはもう一度やってみたいようないい思い出となっている。
 その読書会でのテーマ、課題となった本は柴田翔の『されど、我らが日々』だった。僕の時代よりも、ずっと昔の頃の大学生活が舞台となっている小説だった。この本の舞台というのは東京大学で、僕とは全く違った世界のように思えていた。

 でも、この頃というのは希望に満ちていた。何をやっても新鮮だった。このような本をテーマとした読書会というものは、僕にとって宝石のようなものだった。確か7、8名のメンバーがいたと思う。もし、このときの人ともう一度会うことがあったとしたら、僕はどうしようもない気持ちになるだろう。

 この小説は、いわゆる全共闘というのだろうか。政治も問題に関して、熱く燃えていた時代だった。そして、人を好きになる。僕はこの本を読んでもよくわからなかった。今でもよくわからない。けれど、この18歳のときに読んでいてとてもよかったと思っている。大切なものが、この小説を読んだことで、僕の中に培ったようにも感じている。
 それから、確か2、3度この本を読み返した。これから読むことになるかのどうかはわからない。けれど、今でも特別な本である。


5.キャバクラ「リード!」

 その日の夜は23時を過ぎていた。会社の飲み会を途中で切り上げた。そのままいたならば、明日から会社に行かなくなりそうだったからだ。上司と話をしていたら、ほんとに馬鹿らしくなってきた。ここは赤坂の一ツ木通り、路地には占い師がいて、4、5人の客がが並んでいた。
 帰ろうか、どうしようか。占いをしてもらうのも悪くないか。でも、もう少し飲みたい気分だ。1人で飲むか、それとも女の子のつくお店にしようか。そういえば前に一度入ったことのある店があった。路地にちょっと入ったところ。あった。いや、入り口の雰囲気が少しばかり違っている。酔っていて忘れてしまったのだろうか。
 店には「リード!」と書かれたネオンの文字が。蝶ネクタイのお兄さんが入り口に立っていた。彼は無口だった。「おにいさん、いい娘いますよ!」なんて風に声を掛けたりはしない。黙って頭を下げる。その表情を見て、私は店のドアを開けて中へと入った。
 品のある店員さんが席まで案内する。薄暗い店内、BGMも静かで落ち着いた雰囲気だ。ところどころのテーブルはお店の女の子と客が隣り合って座っている。テーブルの上にはほんのりとした灯りがあるようだ。
 店員はアルバムを差し出す。女の子を指名しなければならないシステムだという。今すぐ指名できる子が3人ほどいた。緑の服を着た明るい表情の子だった。どんどん元気に話をしてきそうな雰囲気だった。まあいいか。静かでこちらから話をするのもめんどうだ。嫌だったらチェンジすればいいことだ。写真をよく見ると、どの子も本を持っていた。よくは見なかったがこの緑という女の子は赤いカバーの本を持っていたようだった。
 3、4分してだろうか、氷とウイスキーのセットと、それから何冊かの本を持って彼女は私の隣に座った。「ミドリです。よろしく」
 私はなんらかの挨拶の言葉を言ったように記憶している。どんな店なのか、どんなサービスがあるのかわからなく、とても緊張していた。そんな私を、彼女はいくつかのジョークを言って笑わせてくれた。そして彼女は、テーブルの上に蝋燭の灯りをつける。
 やっとその横顔が見えてきた。少し微笑んでくれる。ちょっと待ってね、と言ってウヰスキーをつくってくれる。アエラ・シングル・モルトだ。一口飲んで、私はだいぶ落ちついてきた。
「この店ははじめてなんだ。ちょっと不安というかさ」
「うん、最初はね。でもとても落ちつけると思うよ。ここは常連さんが多いの」
 彼女はこれからのことをとても楽しんでいるようだった。
 少し離れた別のテーブルでは、客と女の子がとても密着している。女の子はSM風の下着のようにも見えた。
「それではそろそろ始めましょうか。でも、どうして私を指名してくれたのかな?」
「緑の服と、赤い本がちょっと気になったからね」
 彼女はニコリと微笑んで、本を手に取り、その本を読み始めた。
 僕にしか聞こえないような声だった。でも、独り言というわけではない。ハッキリとした澄んだ声だ。僕は目を閉じて、彼女の朗読の世界にすんなりと入っていった。
 確か村上春樹の『ノルウェイの森』のワタナベの何通目かの手紙の部分だった。
 カリン、ウヰスキーの氷の溶ける音がした。
「ちょっと休憩しましょうか」と彼女は言った。
「いきなりでちょっとびっくりしたかな。大丈夫?」

 新しいウヰスキーをつくりながら彼女はこの店についての話をしてくれた。そう、ここは朗読キャバクラだった。女の子はお酒をつくり、好きな本の朗読をしてくれる。お客さん、たった一人のために心をこめて、本を読む。何度も何度も、練習するのだそうだ。女の子は1人の作家を担当すると決まっている。ミドリはムラカミハルキの担当。ちなみに、隣のテーブルの女の子はムラカミリュウの担当で、雰囲気を出すために、コスプレの衣装にしているのだそうだ。読む本は特に決まっているわけではないけれど、客のリクエストというのも多いらしい。セーラー服の可愛い女の子もいた。とても気になったが、赤川次郎の担当とのこと。
 現在の店のナンバーワンは、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』を読むハンナという美大の学生という話だった。。

 ミドリはこの『ノルウェイの森』のことを話してくれた。高校の時に読んで好きになって、その後あることがきっかけに読めなくなった。読めないというよりも、嫌いになって、大切にしていた本を友達にあげてしまったらしい。この店で働き始めてから、少しずつ、ほんの少しずつ、また好きになったのだと言う。

「そろそろ次にいっていいかな」
 朗読しているときの声とは違う明るい声に、私は笑ってOKと言った。
 今度は直子の手紙の部分だった。とても悲しい朗読だったけど、久しく忘れていた安らかな時間だったように思う。
 一週間が過ぎ、僕はミドリの朗読をもう一度聞きたいとこの店の前に来ていた。でも、「リード!」という看板はなく、「タッチ!」に変わっていた。店の前に立つ寡黙な男性もいない。「おにいさん、いい娘いますよ!」という声がうるさかった。


6.モシモシ堂書店への電話

 ルルルルルル……。電話が鳴った。夜の12時のほんの少し前だった。
「本の注文をしたいんですけど?」
「……」
 一瞬何のことかわからなかった。間違い電話なのだろう。よくあることだ。でも、本の注文をこんな時間にするか。
「あのぉ、モシモシ堂書店ではないんですか?」
 普通だったら、違いますよと言ってそのまま電話を切るだろう。
 電話の声が暖かな女性で、関西のイントネーションだったことが原因だったのかもしれない。僕は間違いだろうということを言って、その書店というものについてちょっと聞いてみた。

 彼女はとてもすまなそうな声を出して、そして何と答えていっていいのかわからなかったのかもしれない。でもすぐに切ることはなかった。少しの無言の時間があった。
「あの、すみません。何か変だけどさ、本が好きなもんでちょっと気になって」
 少し安心してくれたみたいだった。最初はいいんですか? と言いながら、モシモシ書店について話をしてくれた。

 名前の通りといったらいいのだろうか。電話によって本を注文する書店なのだという。24時間、どの時間でもやっている。応対がとても親切で、こういう本を探している、と言うと、すぐに探してくれるのだという。
 インターネットのオンライン書店が流行ってきているというのに、電話とはちょっと変なんだけどね、と彼女は少し笑いながら話をしてくれた。
 これまで2度ほど、この書店を利用したのだという。前回は眠れない夜に、1時間も本についての話に付き合ってもらったと言っていた。そのときに注文した何冊かは、とても楽しく読めているとのこと。
「本というのは、やっぱり相性のようなものがあるでしょう。店員さんは電話の声で、この人にはこういう本が合うんじゃないか、って考えてくれているのよ」

 僕と彼女は、その書店と本についてずっと話をしていた。お互いに好きな作家について話をした。共通のお気に入りは、ヘミングウェイの短編だった。
 気がついたら時計の針は2時を回っていた。そういえばお互いに名前を聞くこともなかった。普段はインターネットにしか使っていない電話なのに、

 最後に彼女からモシモシ堂書店の電話番号を教えてもらった。どこかにメモしたはずだった。何度探してもそのメモは見つからない。朝の準備のときにどこかへ紛れ込んでしまったようだった。モシモシ書店を見つけようといろいろ調べてみた。でも、まだ見つかっていない。


7.近所のヤマダ書店

 うちから駅へのちょうど途中に小さな書店がある。売り場の広さとしては僕の部屋のだいたい倍くらいの大きさ。僕の部屋についてはまあ想像してください。しがない独りモンです。今の部屋を決めるときにも、この書店の存在というのはちょっとだけだけどあったかもしれない。その時は中には入らなかったけれど、駅までの途中の書店があるということは、ただそれだけで嬉しい。
 ヤマダ書店のすぐ向え側にには、銭湯なんてのもある。隣にはクリーニング屋で、なぜかその入り口では漬物が売られていたりする。あまり深く考えてしまうと混乱するのだけど、小さな街の駅前のちょっとした商店街の、老夫婦でやっている小さな書店なのである。
 立ち読みしていると、よく近所の人が店番の夫もしくは奥さんに声を掛けたりしている光景を目にする。「今月の『すてきな毎日』は入ったかな」とか「今週号の『いきいき老後』はどうだった?」とかそんな書店ならではの話題から、近所の噂話とか。よくあることといえばよくあることだ。

 いつだった、この書店の開店前くらいに前を通ったことがあった。大きな書店ではないので、どの時点が開店時間かというのも定かではないのだけど、老夫婦は2人で通路を雑誌いっぱいにして入れ替え作業をしていた。ちょっと腰が曲がっているようで、辛そうな雰囲気もあった。僕はちょっと立ち止まってその作業を見てしまった。ほんの数秒のことだったけど。黙々と2人はその作業をしっかりと続けていた。

 こうした小さな書店というと僕は小学生の頃を思い出す。あの頃の愛読書は小学2年生とか小学3年生とかの月に1回発行される雑誌だった。スーパーカブに乗ったその書店のオジサンが家まで配達してくれるのだけど、待ちきれない僕はわざわざ書店までもらいに行ったりしていた。その書店はほんとうに小さなところだった。店員さんが独りで奥の方に座り、5、6人が店の中に入ったらいっぱいになるようなところだった。ただ、今のように雑誌や本がいっぱいある時代ではなかった。そんな小さな書店でも、十分だったのかもしれない。この月に一度の日だけは、外で野球をしたりして遊ぶことはなく、部屋の中で付録をつくったり、その雑誌の隅から隅までを読み入っていた。

 ヤマダ書店はそんなに本が揃っているわけではない。入り口に「ハリーポッター」についての主人が書いたのであろう手製の推薦文が張られていたが、単行本は数十冊くらいしか置いてないのではないだろうか。店の半分は文庫とマンガ本で占められている。あとの半分は雑誌関係。夜は10時までやっているので、この書店に寄れるときには、スポーツ関係や、コンピューター関係の雑誌を立ち読みしたりする。こうやって書くと何の変哲もない書店になるかもしれない。でも、実をいうと、雑誌の約半分、店内の約4分の1はいわゆるエッチ系の本が占めている。コンピューターの本のすぐ脇にやさしいお姉さんのにっこり笑った表紙が置いてあったりする。
 毎朝老夫婦はこうした雑誌を入れ替え、きれいに並べている。

 いつだったか、夕陽のとてもきれいな日曜日だったと思う。僕は映画雑誌を立ち読みしていた。テレビの番組案内の雑誌を買って小脇に抱えていた。たまにはちゃんと買うこともあった。店主と、若い(僕と同じくらいの年齢だったろうか)知り合いのような人と話をしていた。若い人は元気がなく、何かに悩んでいるようだった。店主は自分の苦労話をしていた。「大変なんだけどさ、死んだ気になれば何だってできるんだよ」「そうやってやってきたんだよ、なんとかね」

 僕はこの日から、この書店に対しての何かが変わったように思えてならない。すぐ隣には高層マンションが出来て、銭湯の隣にあった弁当屋さんは潰れ、ハイカラなヘアーサロンになった。いつ潰れてもおかしくないような書店なのだけど、まわりはもっと変わっていくかもしれないけれど、このままの姿で続いて欲しい。ずっと、雑誌の入れ替え作業をする老夫婦の姿は、忘れることはないような気がする。


8.本磨き

 ある地方都市の駅前、時間は夜の8時を少し過ぎたころだったろうか。私は出張でこの街に来ていた。やっとこの日の仕事が終わったところだった。
 月に2、3度このような出張がある。安いビジネスホテルを探し、少しでも出張費を浮かせ、自分の小遣いにする。子供が出来てからお小遣いが少なくなってしまって、好きな本もなかなか買えなくなってしまっている。
 ビールと弁当を買う。その土地にある駅弁とつまみをいくつか買うことにしている。ホテルでシャワーを浴び、1人で一杯やりながら本を読むのが、月に何回かの楽しみだった。1人でこんなふうに本を読める時間というのは、とても少なくなっていた。

 予約したホテルは駅のすぐ近くのはずだった。うろうろと探している途中、ある靴磨きを見つけた。いや、あとでわかったことなのだが、靴磨きではなかった。4、5人だったろうか、並んでいる人がいた。サラリーマンと、OLと女子高生もいたように記憶している。
 自分の足元を見たとき、とても汚かった。翌日は早いし、廻るところは多い。靴を磨こうと思ったのだ。日常から離れた時間を過ごす。出張というものは、ひとつの旅のようなものだった。
 列に並んで、私は本を手にした。これは癖になっている。ちょっとした時間があれば文庫本を持ち、その世界の中へと旅をする。
「お待たせ、ごめんね。いつもは空いているのだけど、今日は珍しいよね。その本でいいのかな、見せてみて」
 どうやら、自分の番だった。本を見せて? 何のことなのかわらなかった。私は、吉行淳之介の『星と月は天の穴』を読んでいるところだった。
 彼は、私の本を手に取り、磨きはじめた。
「繰り返し本を読んでいくと、やっぱり傷んでいくからね。適度に本を磨くのはいいことなんだよ」
 そして、私はここが「本磨き」だということを初めて知った。
 本は綺麗になった。ただの表紙の汚れというだけではない。何と言ったらいいのだろうか、私の吉行淳之介という作家への見方が、新たなものになったような気がした。手にしたその本は、以前のものとは明らかに違っていた。

 彼はこの職業を25年もやっているのだという。毎夜毎夜、客の本を磨いている。
 本はいろいろなものがある。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を磨いたときが一番大変だったらしい。子供の頃に読んだ文学全集などをまとめて磨くこともよくあるのだという。恋人からのプレゼントだという本を磨いたりもする。
 本を磨くのは、夜の4、5時間だということだ。それ以上の時間はとても疲れてしまって、難しいということだ。
 丁寧に、丁寧に本を磨くことで、彼の中の何かが擦り切れていくのだという。それが何なのかはわからない。でも、本というものの魅力と同様に、この先どれだけの本を磨いたとしても、わからないことなのかもしれない。

 私は鞄の中に入れてあった、他の本も磨いてもらった。その中には、20年も昔の思い出の本もあった。遠い昔の恋人と何度も語り合った本だった。この本を持っていたのは、ただの偶然のはずだ。こういうことも、長い人生の中で一度くらいはあるのかもしれない。
 ビジネスホテルの狭い部屋の中で、私はこの本を読んでいた。眠る時間は近づいていた。でも、もう少しこの本を読んでいよう。


9.ポケットに入らない文庫本

 文庫本というのはいつの頃から厚くなったのだろうか。厚かったなら文庫本と言えないのではないか、というのが僕のささやかな意見だ。
 男の子は外に出るときに、手ぶらだったりする。そして、本を読むのが好きな男はジーンズの後ろポケットに文庫本を入れる。
 ここで僕とジーンズについての関わりを振り返る。実はさ、僕はジーンズを履かない奴だった。学生の頃はチノパンとかを履いていたっけ。そんな僕がジーンズを履き始めたのは20歳の後半の頃だった。その時の仕事を辞め、東京に出てきた。余裕のない生活だった。
 僕はその時からジーンズを履いた。新しい生活というものの始まりだった。新しい自分のために、ひとつのスタイルのようなものを作りたかったのかもしれない。他の人が聞いたら何だかわからないことかもしれないけど。

 休みの日はジーンズの後ろポケットに文庫本を入れてよく出かけた。古本屋を回ったり、公園のベンチで文庫本を読みながらパンを食べたりした。読書が好きだと言ってもそんなに立派な本を読んでいたわけではない。大藪春彦とかのハードアクションが多かった。でも僕にとっては素晴らしい本だったが。

 しかし、いつの頃からだろうか。文庫本がジーンズのポケットに入らなくなってきているように思える。僕の気のせいだろうか。単に僕が太ったのだろうか。それはそれでひとつの真実なのだろうけど。
 文庫本が厚くなり、値段が高くなり、なんだかとても立派になってきたように思える。サイズが同じであれば、文庫本なのだろうか。文庫本はそのスピリットを失ってしまっているのではないだろうか。もちろん、文庫本が失ってしまったのか、僕が失ってしまっていることなのか、よくわからないが。


10.夜の図書館

 日曜日の夜というのは、不思議な時間だったりしている。休みの日だからと午後の3時くらいにビールを飲んだりしてしまう。近所の本屋で立ち読みした帰りに買ったたこ焼なんかをツマミにしたりしながら。熱い、ふぅー、とビールを飲む。うまい。
 溜まっていたビデオテープをテレビ画面に映し、洗濯物をたたんだりする。いつの間にか、2本目のビールが空になってしまう。気がついたら、夢の中を旅している。

 普通の日の深夜の時間というのは、テレビを見たり時間を潰すことはいくらでもできる。しかし、日曜の深夜というこの時間は、テレビは終わり何もかもが静かに、じっと蹲っている。
 ときおり、そんな時間に目がパッチリを醒めてしまった時間を過ごす。
 何をするかは、難しい。何かをするような元気はこんな夜にはもうなかったりしている。
 そんなとき、夜の散歩に出かける。日曜の夜の散歩は他の日はとは全然違っている。スナックの灯りは当然消えていて、酔っ払いが歩いていることもない。人とすれ違うということすらほとんどない。コンビニエンスストアはこんな時間でも開いていることは開いている。しかし、本の入れ替えや掃除をしていたり、どうも落ちつかない。また、歩く。遠くへ行くということはないけれど、明かりがないということだけで近所の景色も変わってくる。

 こんな夜を何度か過ごして、そう5回目くらいだったろうか。小さな家の入り口に灯りを見つけた。いまどき珍しくなった古い木造の家だった。近くを通ったときはあったはずなのに、はじめて目にした家のような。玄関のところには表札があり、近くに寄って見てみると「夜の図書館」と書いてあった。
 中に入ると、玄関には靴が4つか5つくらいはあっただろうか。そんなに明るくはない。そう、むかし30年くらい前の茅葺屋根の家のトイレ(厠)くらいの明るさといったらいいのだろうか。ずっと奥に入るとその部屋の中の両側には本棚が並んでいた。古い木で出来た本棚に、きれいに本が並んでいた。確かにここは図書館なんだ。
 本を1冊手に取ってみる。山本周五郎の『つゆのひぬま』だった。埃がついている様子はなく、よく手入れされているようだ。8畳くらいの大きさの部屋がいくつかあった。机が置いてあり、そこで本を読んでいる人もいた。
 目が合った女の子が少し微笑んで、小声で話をしてくれた。彼女は中山美穂によく似ていた。長い前髪は髪留めでおさえていた。
「ここは初めて? とてもいいところよ。わたしは眠れない夜はいつもここにいるの」
 ちょっと恥ずかしそうに言った。よく見ると彼女の上着の下はパジャマだった。小さな声で、本についての話をした。彼女の読んでいる本は『世界文学全集』の『赤と黒』(スタンダール)だった。眠れない夜はいつもここで、この全集を読んでいて半分ほど読み終えたのだという。子供の頃にあまり本を読んでいなかったので、前からどうしても読みたかったと話してくれた。

 僕は、彼女の斜め向かいの席に座り、ヘッセの『車輪の下』を読み始めた。でも、正直なところ、彼女の横顔が気になって、あまり集中して本を読むことができなかった。窓からは朝の光が差し込んできた。もう閉館の時間だという。これからまた新しい一日が始まる。外へ出ると、新聞配達の人がせわしく働いていた。


(2001.6.22


DOLPHIN HOTEL