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読書日記2000年11月
遅れたけどちょっと読書の秋らしかったかな編
2000年11月某日
村上春樹・柴田元幸の『翻訳夜話』(文春新書)を読んだ。この本は「翻訳する視点」で書かれているわけだけど、翻訳ということを超えて、「文章を書き誰かに伝えること」がこの本全面に散りばめられているように思う。そしてこのことは逆に言うなら、「本を読む視点」というものが書かれていると言えるだろう。
もちろん、本を読むということは、どんな読み方をしても自由である。どんなふうに読まなくちゃいけないということではなく、書いた人がどんな気持ちで書いているのか。作者の表情というものを感じながら本を読むということも、楽しいのではないだろうか。
2000年11月某日
このところ本を購入するときには、池袋西武デパートの地下にある「リブロ」と決めている。ちなみに本を探すのは、すぐ近くにある「ジュンク堂書店」なんだけど。「リブロ」で1000円以上の本を買うと、クラブオンカードのポイントがつくからである。西武デパートで大きな買い物をするわけではないので、あまりポイントはたまらないのだけど、なんとかあと少しで2000円分のお買い物券に届きそうなのだ。その瞬間のことを考えると嬉しくて嬉しくて。
最近何かの買い物をするときはお店のサービスとかでなくてついついこのポイントがつく店がどうかで決めてしまっているような気がする。何せ僕は「ビックカメラ」の「ビックポイントカード」を過去数万円もためてお買い物をしているのであった。
「ビックポイントカード」と比べると「クラブオンンカード」のポイントシステムは多いに不満である。「ビックポイントカード」は現金で買い物をすれば、その金額の10%がポイントになってしまうんだからね。「ビックカメラ」が「ビック書店館」なんてつくってこのポイントを有効にしてくれたら、多少店員さんが不親切でもついつい買ってしまうような気がする。
2000年11月某日
久しぶりにベトナム料理屋さんで食べて飲んだ。一緒に行った人がこのお店で何度か食べたことがあるということで、とても美味しいという話だったのだが。正直なところ、食べるもの食べるもの、僕の口には合わなかった。こうしたエスニック系の料理というのは、日本人向けにつくっているかどうかの問題もあるので、必ずしも美味しいとは限らない。あくまでも、口に合うか合わないかということだろう。問題は、このお店ではなくこのお店に入るまでだった。
ビルの3階にあるこのお店にどうやって入っていいのかわからなかった。1階は回転寿司になっているのだが、7階か8階まであるこのビルの看板はとっても華やかなのである。このビルの前を通る度に、お姉さんに声を掛けられた。腕を捕まれて離してもらえなかったこともある。入り口のエレベーターはなんとか見つかった。恐る恐る3階のボタンを押した。ちゃんと間違えないように確認して。このビルの1階と3階以外はけっこう怪しげなお店ばっかりなのである。怪しげといったら怒られるだろうか。まあいわゆるピンク系のお店が各階に入っている。さてさて、エレベーターに乗って上に登ろうかというその時に、男が一人入ってきた。ついつい、この男が何階に行くか僕ともう一人の視線が男の指先に集中してしまった。僕らは3階で降り、男はずっと上の階まで登っていった。
「ちょっとこのお店は入り難いよね」などと話をして店内に入ったが、意外にも普通のお店で女性客のほうが多いくらいであった。でも帰りのエレベーターに乗ることを考えるとちょっとドキドキしてしまうのであった。
2000年11月某日
ふと公園に行って落ち葉を見たくなった。僕は一冊の本を手に取り、電車に飛び乗った。ほぼ10分ほど電車の中から外を景色を眺めながら本を読んでいると、駅に着いた。そこから数分歩くと石神井公園がある。湖の辺のベンチに座り、ときどき空を見上げたりしながら沢木耕太郎の『血の味』(新潮社)を読んでいた。水辺では何だか名前は知らないけれど、水鳥が泳いだり歩いたり、ベンチの前には時折、走ったり歩いたりする人が通り過ぎる。静かだ。
30分ほど本を読み、池の周りを少し歩いた。この公園地帯の一番奥の方にある三宝寺池まで行き、またベンチに座り本を読んだ。この辺りからの景色には現代の建物はほぼ目に入らない。池の水と、木々の緑と、どんよりとした空の曇った色だけだ。
本を読み、ふと顔を上げると、ほんとうにここは東京の真中なのだろうか、と思ったりする。ときどきは、こうした場所で本を読むことも必要なことなのかもしれない。
日が暮れてしまい、『血の味』の最後の章は帰りの電車の中で読むことになった。夕方の登り電車は空いていたけれど、窮屈で自分がどこにいるかわからないような気がした。
2000年11月某日
久しぶりに本をいっぱい買った。いっぱいといってもハードカバーを3冊、全部で4668円(税込)である。むかし(バブルの頃)はこのくらいは平気で買っていた。休みの日に神田あたりに出かけて、両手に本を買って帰ったものだった。しかし、今は本を買うということはほとんどなくなっていた。買っても文庫本くらいかな。あとは借りたり、なんだかんだで済ませてきた。でもやっぱり自分で本を買うのは嬉しい。実は買ったといっても図書券を使ったのだけど。
月に一度くらいは、本屋さんを特に目的もなくぶらりと歩いて、「なんとなく気にいった本」を手にとり、買って帰る。部屋に帰ってから机の上に置き、パラパラめくりほおづえを突いたりする(そんなことは実際にしないけどさ)。それがささやかなシアワセというのだろうか(笑)。
2000年11月某日
宮部みゆき作品は、欠かさず読んでいる。なんと言っても読みやすいのがいい。読者にとっても親切だと思う。いろいろと好きな作品はあるのだけど、僕の好みは時代小説。「時代小説はちょっと苦手で」という人は、入門コースとして僕は宮部みゆきをお薦めしている。今回の『あやし 〜怪〜』(角川書店)はちょっとだけ怖い系の本。でも、怖いだけではなく、江戸時代の市井の人々の人情みたいなものがちゃーんと書かれているんだな。やっぱり1年に、1、2冊はちゃんと彼女の新作は読んでいたいものだ。
2000年11月某日
梁石日は好きでけっこう読んでいる。『血と骨』を読んだときの衝撃は今も残っている。何と言ったらいいのだろうか。彼の小説を読んでしまうと、その圧倒的な迫力から抜けられなくなっていくような気がしてしまう。『Z』(幻冬舎文庫)という作品を読み、これでなんとか梁石日の文庫本は全てカバーしたことになる。これからもしっかりと読んでいきたい作家である。
2000年11月某日
とある休みの一日、西武沿線散歩というのを行った。場所は「小江戸・川越」。駅に置いてあったチラシには「情緒ある城下町を歩いて、ときには時の流れに思いを馳せるのもいい。」と書いてあり、前から少し気になっていた。お散歩マップというのもあり(親切)、ぶらりと歩けるようになっている(らしかった)。
やってみた感想としては、疲れた。怖かった。あんまり見るところもなかった……。川越関係者のみなさん、ごめんなさい(笑)。僕の実家は山形県の米沢市というところにあるのだけど、うちの田舎の方が「情緒ある城下町」という感じが強いなぁ、なんて思ってしまって。
この川越という町は城下町だった。あたり前なんだけど。城下町の特徴というのは道が狭く、かつ、真っ直ぐな道路というものがなかったりする。米沢という町もほんとうにそういう町だった。敵に攻められたときに、守りやすいようにこういう造りになっているのだろう。町自体が城みたいなものなのだ。
怖かった、というのは歩いている脇をクルマがビュンビュンと走り、けっこう怖かったのだった。道が狭いために歩道がなかったりもしている。
このあたり、米沢と実によく似ている。米沢の場合は加えて大雪が降り、人が歩くようなところも満足になかったりもしていた。子供の頃、雪道を歩いたことを思い出したりした一日だった。
2000年11月某日
佐藤正午がいい!! 2年ほど前に読んだ『Y』もよかったけど、この『ジャンプ』(光文社)はまた違った良さがあった。ちょうど現代の20代、30代の男女の気持ちについて書かれているのではないだろうか。結婚とか、お付合いとか、そしてどんな風にこれから生きていこうかと。ちょっとしたことが、運命を決める曲がり道になるのかもしれない。そうした意味では、『Y』とは同じテーマと言えるのかも。しかし、『Y』がSF的手法で書かれているのに対し、この『ジャンプ』はSF的要素はなくミステリーのように話は進んでいく。ちょっとやわらか過ぎるという感想を持つ人がいるかもしれないけれど、この「やわらかさ」がこの作品の個性でもあるかもしれない。
2000年11月某日
久しぶりに実家に帰ってきた。それにしても、新幹線って高いよね。こんなことを思っているのは僕だけだろうか。
法事があったのだけど、そのあとの食事で久々に「鯉の甘煮」を食べた。いやあ、美味しかった。たぶん、「いったいどういう料理?」と思う人がほとんどだろうな。でも、山形県米沢市という土地では、この料理は冠婚葬祭には必ずに出る、欠かすことのできない郷土料理なのである。あのあたりに旅行に行ったときに、旅館の夕飯にもだいだい出ると思います。
川魚はニオイが、ということであまり食べない人も多いかもしれないけど、これはちょっと変わった料理なのである。鯉がなんと輪切りにされていて、やや甘い感じに煮られている。輪切りなので当然内臓のあたりもあって、身の部分だけでなくその内臓とか卵のあたりがとても美味しかったりするのだ。昔、上杉藩が貧しかった頃、改革を進める上杉鷹山の奨励でこの鯉の養殖が始まり、こうした料理が食べられるようになったのある。
知らない人が見ると見た目はあんまりよくないかもしれない。実は僕もそんなに好きではなかった。内臓のところなんかは食べられなかった。しかし、僕も年齢を重ねたということなのだろうか。これがすごく「美味しい」と感じるようになったのだ。特にお酒をちびりちびり飲みながら、上杉鷹山を、『漆の実のみのる国』を思い出しながら食べるのは最高である。
2000年11月某日
天童荒太の『あふれた愛』(集英社)は、彼のデビュー以来追っかけていたファンとしては待望の一冊であった。デビュー作の『白の家族』(角川書店)は1986年だからもうだいぶ時間が経ったことになる。天童荒太というと、ずっと血のイメージが強くあった。そのほとんどの作品が暴力に満ちていて、特に『家族狩り』は読んでいて眼を覆いたくなるような凄惨な場面の連続だった。しかし、こうした作品があって『永遠の仔』のような作品が書かれたのだろう。
この『あふれた愛』という短編集には、基本的に「死」「殺人」というものが書かれていない。僕はずっと殺人のない彼の小説を読んでみたいと思っていた。そういう意味でとても嬉しかった。
また、いつか「殺人」を題材にして作品が書かれるかもしれない。でも、書かれるときにはより深いテーマの作品が出来上がってくるのではないだろうか。これからがすごく楽しみだ。
2000年11月某日
なんだか久々に山本文緒の本を読んだ気がする。この『プラナリア』(文藝春秋)という短編集は彼女の魅力が満載、といった感じの本である。山本文緒でなければ感じることのできない、胸にグサリとくるものがある。どの短編も、ぜひぜひ続編が読みたくなってしまうのだけど……。全作品の続編が書かれている『続プラナリア』なんて発売されることはないだろうか。
2000年11月某日
田口ランディの『アンテナ』(幻冬舎)を読む。前作の『コンセント』と同じOS(まあ読んでください)の世界が書かれているという感じかな。彼女の世界が魅力的なのは、最近の「癒し」という言葉に代表される精神的なものを求める世界を超えようとしているような感覚でないかと感じたりしているのだけど。なんだか、ついついと引き込まれてしまう。
2000年11月某日
図書館からのメッセージが留守電に入っていた。「予約している本が入りました」と。2、3ヶ月前だっただろうか、正直なところ予約をした本が今ごろになって借りられるとは思ってもいなかった。電話のほんの数日前に偶然にも僕はこの本を書店で購入してしまっていた。このところ、自分で本を買うのはとても少なかった。世間(世間とか国民とかという言葉は、漠然としていてよくわからないが)で話題になっている本は、あまり読みたくないという気持ちもあったのだけど。どうしてだろう、僕はこの本を手にしていた。
『朗読者』 ベルンハルト・シュリンク 松永美穂/訳 新潮クレスト・ブック
最初の章はけっこう衝撃的である。確かに面白く読める。しかし、「この本がなぜこんなに話題になるのだろう」という疑問は持ってしまうかもしれない。この本はある意味でミステリーのようであるかもしれない。章が進むにつれて、新しいこと、気づくことのなかったことが次第に浮き彫りにされてくる。最後には時間を忘れてこの本の世界に浸ってしまっている。この『朗読者』というタイトルがとてつもなく重いものであると気づき、頭の中からこのタイトルが離れなくなってしまう。
この作品は映画化されるそうだ。楽しみである。きっと見に行くだろう。
見に行きたい理由はひとつだけではない。いくつもの要素が何重にもからみあっている。それがこの本の面白さだ。
最初に読み始めたときの、映像化を期待した理由というのは、15歳の少年と36歳の女性との場面である。女性がストッキングを靴下留めにとめるところがいいのだ(笑)。衝撃的なくらいにいいのだ。映画化されたら、靴下留めストッキングの売上が急上昇することは間違いないだろう。
ちょっと無理があるんじゃない、と批判を受けるかもしれないけど。この『朗読者』を恋愛小説というならば、村上春樹の『ノルウェイの森』みたいな小説と言えるのではないだろうか。
とにかくこの本にはいろいろな要素が詰まっている。帯の推薦文にも詳しいことはあえて書かれていない。1ページ、1ページ、じっくり読んで味わうことができる。朗読して読んでみたくもなるかもしれない。あとがきには、二度読むように勧めている文章もある。もう一度、読んでみようとも思う。
2000年11月某日
三越デパートの地下のお弁当コーナーで「ハヤシライス」を買って食べていたら、知り合いの林さんのことを思い出してしまった。
2000年11月某日
いやあ、おもしろかった。2段組でけっこうボリュームのあった本なのだけど、一気に読んでしまった。新幹線の中で読んでいたのだけど、背広のポケットなんかに大事なものを入れとかないように注意したり(笑)。普段でもスリに注意しようという気になりました。
この佐藤多佳子の『神様がくれた指』(新潮社)は、スリと占い師の話である。ある意味で両方とも「指」が関係あると言えるのかな。僕が特に気に入ったのは、占い師マルチェラ。赤坂の路地で占いをしているのだけど、彼(彼女?)の言葉が実にいい。
前作の『しゃべれどもしゃべれども』とは全然違った印象を受けた。。ある意味での宮部みゆきのようなハイッテイキヤサみたいなものを感じたのだけど。
2000年11月某日
重松清の『さつき断景』を読む。この本には、過去の時代の出来事がけっこう具体的に書かれている。地下鉄サリン事件なんかも、そうした出来事の一つとして書かれているのだけど、あの時からだいぶ時間が経ったことを読みながら感じてしまうのであった。
2000年11月某日
ときどき読む本が無くなってしまうことがある。たとえば電車でちょいとどこかに出かけるとき、ポケットに入る文庫本の一冊が欲しいときがある。最近の文庫本はブ厚いのが多かったりしているけど、やはりポケットで大人しくしていてくれる厚さの本がいいのだ。未読の本コーナー(僕の本棚にはこういう場所がある)から、ひょいと取ったのが山田詠美の『熱帯安楽椅子』(集英社文庫)だった。考えてみると、山田詠美の文庫本ってどれも薄いような気がする。文字は大きいし、読みやすい。文庫本というのはこうであるべきではないだろうか。京極さんの文庫本ってこの10倍くらいありそうだもんね(笑)。
そんなわけで山田詠美の文庫本はふと持ち歩いて読むのにはとても良い。その中味もである。ふと読めるけれど、ちょっと何かが引っかかったような読後感がなんだかとても心地よかったりしている。
2000年11月某日
『子どもが育つ魔法の言葉』( ドロシー・ロー・ノルト レイチャル・ハリス 石井千春/訳 PHP研究所)を読んだ。こういう外国で書かれた本を読んだときによく感じることがある。それは「世界の人々の悩みは同じなんだな」ということである。僕はまだ子どもはいないけれど、子育てというものはとても難しいものだと思う。親は何気なく言った一言かもしれないけど、子どもにとっては一生その言葉が残っていたりするからだ。この本の中には、こうした子どもに語る言葉がいくつもつまっている。子ども、ということに限定することはないだろう。大人同士でもこうした言葉と接し方について考えなければいけないんだな、とけっこう素直に思えたりする。
2000年11月某日
今月は半ば頃から「30分読書」というのをはじめた。一日に30分、机に向って本を読むことにしたのだ。時間はわからなくなってしまうこともあるので、キッチンタイマーを使いキチンと30分セットする。
これがなかなかいいのである。とても集中して本を読むことができる。この時間を設けるだけど、僕のひと月の読書量が一段と増えたような気がする。なにせこれまでは少ない通勤時間でしか読んでなかったわけで、ほんの30分でも大きな時間かもしれない。
(2000.12.1)
DOLPHIN
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