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読書日記2001年1月
またまたやってきた新年編


2001年1月某日
 ぼぉーっとした新年を迎えている。

2001年1月某日
 タイムカプセル年賀状というのが届いた。16年も前に書かれたものである。こんなのがあったんだね。あるグループの仲間のひとりからで、「みんなとの関係はどうなっているのでしょうね」と書かれてあった。あの頃の仲間で今も続いている人は何人かいる。でも、もう会わない(というより会いたくもないや)という奴も何人かいる。
「もう一度会いたいけど、会うことはないんだろうな」と思っているのがいい状態の奴も何人かいる。難しいものだ。

2001年1月某日
 昔の会社の同僚から年賀状をもらった。彼女は母親になってしまって、7ヶ月の子供の写真がその年賀状にはあった(最近こういったのが多いんだ)。「女の子を産むんだ。名前は麻里と決めている」(浜田麻里のファンだったんだね)と言っていた。写真の子供は女の子だったけど、名前はちょいと違っていた。でも可愛い子だったね。

2001年1月某日
 田舎の実家から帰ってきて1週間後くらい経った頃だろうか。辰巳渚の『「捨てる!」技術』(宝島社新書)を読んで、ちょっとほっとした気持になった。実は、実家の僕の部屋(現在は母親のミシン部屋と化している)にある雑誌やカセットテープのけっこうな量を処分してきたところだった。
 雑誌は古いし、もう読まないだろうから、そんなに後悔はない。しかし、カセットテープの場合は、レンタルのCD屋さんに通い、ダビングしてラベルもワープロで打って(遠い昔のオアシス・ライトMというのを使っていた)とってもキレイに並べていたのである。昔は車に乗って通勤していたもので、カセットテープは車内BGMとしてとても重要なものだった。仕事が終わってから(けっこう落ち込んで)車に乗って聞いたり、日曜日とかもたいてい車に乗ってその辺の山道をうろうろしていた。もう10年以上も昔のものだったりしているので、テープが伸びたりして音も変わり、ほとんど使い物にならなかったりはしているのだけど。
 それでも、捨ててしまったあと、ちょっと後悔と寂しさが残った。
 そんなときにこの『「捨てる!」技術』を読んだ。こういう本というのは読んだときには強烈な印象が残り、突然実行したりするのだけど、時間が経つとけっこう後悔することが多いのではなかろうかと思ったりしたのだけどね。
 捨てることは大切なのかもしれないけど、取っておくことも大切なことのはずなんだよね。もちろん、この本では「捨てる」というテーマに絞って書いているので、こうした問題はこの本とは全然関係しないことだけど。
 何かを捨ててしまったあとの、リハビリ本としてこういう本がもっとあってもいいのかもしれないね。

2001年1月某日
 テレビでラーメン特集をやっているのをついつい見てしまった。しかし、素朴な疑問がある。「ラーメン特集」の場合に、どうして中華料理屋さんなんかの麺類は該当しないのだろうか。例えば僕は東京で食べたラーメンで美味しいなと感じたものはほとんどないけど、赤坂にある「西都酒家」というお店の「坦坦麺」はとっても美味しいと思っている。ほとんど入ったことはないけれど、高級中華料理店のいろいろある麺類だって、とても美味しそうだ。どうして、こういうお店のは「おいしいラーメン」に該当しないのだろうか? まあね、わからなくはないけどさ。ラーメンというのは、ただの麺ということではなく、ふらりと独りで入り心が癒させるような雰囲気などすべてを含めてラーメンと言えるのかもしれない。いくらなんでも仕事の帰りに「ああ、今日は疲れた。ちょっと自分にご褒美をあげよう」といって、「超豪華飯店」に出かけてラーメンを食べようとは思わない。
 でもさ、「超豪華飯店ラーメン部」みたいなお店があればいいと思うのだけどね。

2001年1月某日
 飯島愛の『プラトニック・セックス』(小学館)を読んだ。書くほうも恥ずかしかったのだろうが、読むほうもこういうのは恥ずかしい。それにしても、中学、高校あたりで家を出て自分で働いていくというのは凄いな、というのがこの本を読んでの第一の感想である。もちろん、この働くという中には盗んだり、いろいろと感心しないこともいっぱいあるのだけど。それはそれとして、凄い。こういうのも一つの人間の生き方なのだろうか。
 読み物としても、この本はけっこう深い内容になっているのかもしれない。この数年、本を読んでいてとても強く感じることは「アダルト・チルドレン」という言葉に代表される親と子供の関係である。子供の頃、両親の些細な一言がとても心に残ったりする。たぶん、多くの人は心をテーマとした本に興味があるのではないだろうか。この本も実は、そうしたジャンルの本の一つと言えるだろうな。

2001年1月某日
 成人式が15日でないというのは、どうもピンとこないと思っているのは僕だけではないと思うけど。ところで、ほんとうに全国の成人式の会場というのは荒れていたのだろうか。もう僕には遠い日なので、関係ないといえば関係ないことなんだろうけど。
 正直なところ僕はこうした式典というものにはさっぱり関心がなくなってしまっている。ちなみに僕の二十歳の成人式というのは、大学に通うために一人暮しをしていたときで、ちゃんと住民票も移動していたし、成人式というのは一人で行って知り合いとかも誰もいない状態で、ただ一人で行って一人で帰ってきただけなので、そこに酒を飲んで暴れるとかということ自体があり得ないものだった。
 テレビのニュースを見てびっくりしたのは、暴れたりしている人というのがハカマ姿だったり、それなりの成人式用の正装をしていることだった。あの服装は買ったのだろうか、借りたのだろうか? 高かったのではないだろうか? そんなに服装を頑張ってまで、成人式に行くこと自体が僕にはちょっと驚きだった。もちろん、女性の場合はちょっと着物を着るというちょっと違った感覚があるかもしれないけど。
 
 式典ということでちょっと思い出したことがある。
 中学のときだったと思う。詳しいことは忘れてしまったけど、友人とミニコミ誌を創っていたことがあった。その時のテーマが「卒業式は必要か否か」だった。けっこう真剣に「なぜ卒業式があるのか」について考えたのだった。僕なんて単純に「いい思い出になるんでないかい」なんて思っていたのだけど、「ただ眠いだけ」とか「はじめて見るようなお偉いさんの話を聞いても何も感じない」とか「泣いたふりをするのは無意味だ」とかの意見があって、本当に必要なのだろうか、とマジメに考えたりしたものだった。
 卒業式をやるとしても、長々とやる必要はないし、もっとシンプルでいい卒業式というものがありそうな気がした。

2001年1月某日
 年賀状のお年玉宝くじのチェックをした。1枚も当たっていなかった……。そんなに友人は多いほうではないので、年賀状の数は少ないかもしれない。でもさ、普通切手の一枚くらい当たるよね。とことんとことん、運から見放されている1年になるのだろうか。

2001年1月某日
 直木賞が発表になった。山本文緒と重松清だった。2人とも、このドルフィンホテルでメンバーから「おもしろいよ」と紹介されて、けっこう早いうちから読んでいた。なんとこのドルフィンホテルには「山本文緒を広める会」というのも存在していた。1996年のことである。僕は山本文緒お薦めのラーメン屋さんにも行ったりしていた。中野にある今ではけっこう有名なお店(香門)になった。美味しいよ。重松清も『ナイフ』を読んですごい衝撃を受けたものだった。
 直木賞というもの自体には感心はないけれど、密かに応援してきた作家がこうやってメジャーになるのはとても嬉しいものである。シミジミ。森絵都なんかも、何年後かにこの賞をもらうのかもしれない。
 ええと、芥川賞のほうは全然感心がなかった。

2001年1月某日
 池袋のジュンク堂書店に行った。昨年からずっと改装工事中なのだけど、1階から4階くらいまで、フロアーが拡張されていた。1階なんて今まで雑誌の置いてあったところがすべて、カウンター!! 広いのなんのって、銀行のカウンターみたいだった。
 注目の3階の文芸書売り場は、もう広い広い。ここだけで、その辺の図書館よりもずっと広い。書棚の間隔も広くなって落ち着いた感じだし、文庫本売り場なんてほんとに凄い。探すのがひと苦労だ。全フロアー完成したら、間違いなく日本一、いや世界一なのだろう。
 ジュンク堂をまだ見たことのない人に少しばかりこの書店のことを説明するならば、その素晴らしさはインテリアにあるのではないかと僕は思っている。広く、本もいっぱい揃っている。でも、この書店は中に入ると書棚やカウンター、壁の張り紙から何から何まで統一されたものがあって、とてもキレイで落ち着くのである。あちこちの出版社のポスターとかがゴタゴタと貼られてあるということもない。
 映画を見るとき、予告編を見てワクワクするように。こうした書店に入るとワクワクして、ついつい本を買ってしまいたくなってくる。
 僕が全国の書店にぜひぜひ希望したいことというのは、店内のインテリアなんだけど。デザイナーズ・レストランみたいに、「デザイナーズ・ブックストア」みたいな感じでオシャレな書店が増えれば、もっともっと本を読む人も増えると思うのだけどね。
 時代小説などをいっぱい扱った古い日本家屋徴のインテリアの店内(ちょっと照明も暗め)なんていいよね。店員のお姉さんは、当然キモノ姿。書棚を整理している姿なんて、もうたまらないよね(笑)。

2001年1月某日
 久世光彦の『燃える頬』(文藝春秋)と『桃』(新潮社)を読んだ。どちらも独特の雰囲気がある。少しだけだが、怖さを感じることもある。よくわからなかったりもするけれど、時々この久世光彦の世界に浸りたくなる。

2001年1月某日
 池袋の駅近くの地下にあるお店で飲んでいた。小さなお店で、昨年一度入ったときにはけっこう良い印象だった。先日は2度目だったのだけど、どこのお店に入っても2度目はトーンダウンしてしまうんだよね。スポーツ選手に「2年目のジンクス」というのがあるように、僕の入る飲み屋さんには「2度目のジンクス」というのがあるみたいだ。
 このお店は、洋風のメニューはまあまあ美味しかったのだけど。和風、中華といったものは、味付けが濃すぎて全くダメだった。僕は半年ほど前から、「減塩」ということを心がけて自分で食べるときには、醤油・塩コショウをほとんど使わなかったりしているので、ちょっと普通のお店の味に馴染めなくなっていることがひとつの原因かもしれないけど。
 例えば、お店でカレーのルウを買う場合。パッケージには、「辛口」「中辛」「甘口」とキチンと表示してある。食べ物屋さんでも、同じように「濃い味」とか「薄味」とかって、入り口に表示してもらえないか、なんて思ったりするのだけど。このところ、だんだん外で食べられるお店がなくなってきているようである。

2001年1月某日
 池袋にある「カメラのサクラヤ」がなくなって(つぶれたのだろうか、よくわからない)、「マツモトキヨシ」になった(まだオープンはしていないけど)。7階くらいのビルが前面黄色の色なのである。ちょっと目立つ。それにしても薬屋さんがなんでこんなビルに入ってしまうのか凄い不思議なんだけど。そのうち、サンシャイン60のビル全部が「マツモトキヨシ」になったりすることもあるのだろうか。あのビルがぜんぶ黄色になったらすっげぇ目立つだろうな。

2001年1月某日
 今月のこの日記はけっこう筆が進んでいる。もちろん正確にはキータッチが進んでいるとでも言うのかもしれないが。これにはたぶん原因がある。村上春樹の『シドニー!』(文藝春秋)を読んだことで、ついつい書いてしまっているのだと思う。この本は、シドニー・オリンピックのときに、3週間ほど滞在しオリンピックを観戦した日記である。この読書日記とも近いと言えるかもしれない。もちろん、向こうはプロで文章を読んだけど、すんごく楽しいのだけど。村上春樹の文章を読んで、いいなぁと思うことは、文章を書くということ自体がとても楽しいことだと感じられることだ。そして、下手でもいいから自分でもすごく書きたくなってくる。写真や映像などでは表すことの出来ない、文章だからこその楽しさ。
 ちゃんと伝えたいとかいろいろ考えてしまいたいところだけど、こうやって今書いている文章も、実はあんまり考えていない。いわゆるスケッチを書いているような感覚だ。楽しく書いていけば、ちょっとは伝わるかなというほとんど自己満足の世界になってしまっているのかもしれないけど。
 ちょっとこの『シドニー!』の話からはズレてしまったかな。この本で一番よかったのは、サッカーについての文章だった。「日本VSブラジル」のグループリーグ最後の試合。村上春樹はこの試合を生で観戦し、試合の流れ、彼の感想などを書いているのだけど、これがとってもわかりやすくおもしろい。これまで読んだサッカー関係の本・記事、全てを上回るような文章だった。素直に観察しているところがすごく自然に読めてよかった。村上龍にしても金子達仁にしても(まあ2人とも好きでけっこう読んでいるんだけど)、「オレが言わないと日本サッカーのためにならないからな」みたいな感じの、思い入れいっぱいのトゲみたいなものがあって、どうも素直に読めなかったりする。
 その点、村上春樹の文章はとても中立でかつ冷静に、これからのことなども書いている。読んでいて、すっと受け入れられる。文章を書くプロだからといってしまえば、それまでなんだけど。これからもサッカーのレポートとか書いて欲しいけど、無理だろうか。無理だろうね。

2001年1月某日
 耳鼻科に行った。だいぶ前から滲出性中耳縁という病気で、だいたい月に一度くらいは耳鼻科通いをしているのである。耳の悩みがあれば、僕に聞いてください(笑)。帰るときに翌月の話になった。「2月は10日くらいまで、月の前半に来るようにしてください」と先生が言う。
 2月中盤から花粉症患者がいっぱい来るのだそうだ。花粉症の人にとっては、またまた今年も辛い季節が来るわけだよね。バレンタインだと浮かれてはいられない人が、この世の中にはいっぱいいるんだ。ちなみに、この耳鼻科ではこの時期、診察終了時間が深夜2時なんてこともあるのだそうだ。ひとりひとりしっかりと診察して詳しく説明してくれる先生なので、こんな時間にまでなってしまうのだけど。ちなみに僕が最初に診察してもらったときに終わったのは夜の10時半を過ぎた時間だった。
 待つのは辛いけれど、それでも十分に納得できるということもあるのを感じる。何も早く処理されることだけが、いいことではないんだよね。

2001年1月某日
 皮膚科のお医者さんに行った。別に悪い病気ではないっす。寝不足で疲れていたみたいだった。初めての医院だったけど、待っている人は誰もいなくて、とっても静かなところだった。繁華街の中にあるんだけどね。潰れないかほんとうに不安になるような感じ。でも、腕はいいとの評判。
 薬をもらって、よかったといえばよかったのだけど。
 これでまた1枚、お医者さんの診察券が増えてしまったことに複雑な思いを抱いていたのであった。カード類の嫌いな僕はなるべく、キャッシュカードなどを持たないようにしている。常に持っているのは、「ビックポイントカード」「クラブONカード」と近所の薬屋さんの「グッディポイントカード」くらいのものである。ところがさ、お医者さんの診察券はどんどん増えていく。こんなの集めたくはないのだけどね。だんだん、そういう年齢になっていっているのだろうか。
 僕が50歳、60歳になったころには、「ぐるなび」「ぴあグルメマップ」のように「お医者さんナビ」「ぴあお医者さんマップ」なんてのが出来ているかもしれないよね。

2001年1月某日
 キャベツをスライサーで切っていたら指を切ってしまった。右手の中指の先端のところの皮をスライスしてしまったのである。いてえ。薬を塗ってカットバンをして安静にしておきたいところなんだけど、この中指というのはキーボードを打つときに一番活躍するところだったんだよね。こうやって打っているときも血がにじんできてしまっているではないか。ゲゲ。ついつい『巨人の星』の血染めのボールなんてのを思い出してしまった。

2001年1月某日
 翻訳物というのは正直なところ読みにくい。ちょっと苦手だったりする。でも、ちょいとがんばって読んでいくと、はまってしまう。宝石のような言葉のひとつひとつに魅了されたりしている。
 村上春樹編・訳の『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』(中央公論新社)もそんな一冊だった。この本の中には、8つの主に雑誌に書かれたようなエッセイ・評論・小説といったものが入っている。それぞれに村上春樹の思い入れみたいな文章がついていて。
 一番おもしろかったというか衝撃を受けたのが、「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?」(D・T・マックス)という文章だった。カーヴァーの作品の初期のものみたいなのだが、編集者がかなりの部分について書き換えられている、というのが主な内容である。もちろん、作家が最初から直す必要のない文章を書くということも難しいだろう。いろいろと他からはわからない問題もある。日本とアメリカでの編集者などの出版事情の違いというものもある。うまく言えないけれど、またカーヴァーを読んでみたくなった。
 作家のもうひとつの側面が見れたという意味では、「ジョン・アーヴィングの世界」(ジョン・ポール・ニューポート)という文章もおもしろかった。村上春樹もアーヴィングの翻訳をやったりしているわけで、作品と作家についてもいろいろ書いている。
 ティム・オブライエンの短編小説もよかったし、とても楽しめた一冊だった。

2001年1月某日
 NHKで時代物のドラマが始まった。『藤沢周平の人情しぐれ町』である。とても静かだ、、久しぶりに安心して見ることのできるドラマである。2回目の「朧夜」という話がよかった。おとき役の宮本真希はよかった。とても真っ直ぐな演技だった。いやぁ、すっかりファンになってしまったよ。
 ところで、このドラマを見て感じたことがあった。「夜が暗い」ことだった。夜になると暗くなる。あたり前のことだけど、ふと感じたのだ。暗くなるから、不安になる。寂しくなる。だから、助け合ったり、優しくなれたりするのではないだろうか。
 このドラマの夜の場面はほんとうに暗かった。視聴率を全く無視しているかのように(笑)。裏番組の視聴率が凄いから、どうしようもないだろうけどね。それにしても、NHKではこうした時代物のドラマは金曜日ではなかったのだろうか。どうして月曜9時代になったのだろうね。

2001年1月某日
 今月のマイブームは何といっても「西友」である。先月中旬に近場に、食料品を中心とした大型のこのスーパーが開店した。お店はキレイだし、新鮮な魚に肉、野菜。種類もいっぱいある。お惣菜コーナーも充実していて、週に2回はここでお買い物をしているのである。いつ行っても、人はいっぱいいる。僕は人のいることろは苦手なのだけど、ここは楽しい。だいいた買うものは決まっているのだけど、ひととおりあちこち歩き回る。値段のチェックもする。買わないものは安くても買わないのだけど。いっぱい買ったとしてもひとり暮らしなもんで、無駄になってしまうしね。
 大家族の人なんかは、いろいろ買えて楽しいだろうな、と思う。今は閉店時間が早くて夜の8時なんだけど、もっと遅くまでやって欲しいものだ。10時までやってもらえれば、すごくいいんだけど。

2001年1月某日
 僕は世間で流行っている本はできるだけ読みたくないというか、遠ざけてしまうのだけど、ふと気がつくと流行り本を読んでしまったりしている。松永真理の『iモード事件』(角川書店)はなぜか手元にあったので読んだのだけど、さらりと楽しめて読めた本だった。それなりに話題になっているので説明の必要はないかもしれないが、「iモード」の開発秘話である。そんなに秘話というほどのことではないけでど、新しいモノが誕生するときにはその裏側にドラマがあり、その物語というのは実に面白い。別にこの本の作者・松永真理がiモードを開発したというわけでもないのだが、彼女がこのプロジェクトの中心だったということがこの本を読むとよくわかり、実に面白い。
 新規開発とは何かといった場合、「人集め」が重要になる。松永真理は元々リクルートの転職雑誌の編集長など新規雑誌を創刊させたりの仕事をしていたのだがNTTドコモにヘッドハンティングされるのである。まさに事件。その後の仕事に関しても、人との対立とラ王(カップラーメンね)などなどについてのいろいろな軋轢などが書かれている。
 僕はiモードは使ってないのだけど、利用者は読んだほうが楽しいのではないだろうか
 それにしても……。この本を読んだ感想として「iモード」というネーミングは凄いと思うのだけど、「iアプリ」ってのはちょっとひどいんじゃないだろうか。

2001年1月某日
 僕はそんなにマンガを読むほうではないのだけど、『ビックコミック・オリジナル』は毎号読んでいる。同じ職場の人が買ってくるもんで、それを見せてもらっているわけだ。だいたい読むのは決まっている。不思議をいいなぁと感じるようになってきたのが、「三丁目の夕日」(西岸良平)というマンガである。毎回別の話なのだけど、舞台が昭和30年代くらいなのかな。僕の子供の頃にもあったような、昔の習慣とか景色とかが出てくる。ベーゴマや卓袱台、その他なんでもある。
 懐かしいという言葉ともちょっと違うと思う。この1、2年、自然に読めるようになってきたような気がしている。すんなりと、あまり違和感もなく。

2001年1月某日
 ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』(新潮クレスト・ブックス)は、ちょっとした懐かしさと、静かな余韻を僕に持たせてくれた。
 ところで、最近の若い人は(あーあ、最近こういうことを言うことが多くなったような……)この停電ということがどういうことなのかわかるのだろーか。僕の子供の頃には、茶の間のわかりやすいところに、ロウソクが入ってあった。僕の家だけではなく、ほとんどの家庭がそうだったと思う。穏やかな一日があと数時間で終わるという頃、お茶を飲み(ぜんべいとかを食べている)テレビを見たりしていたときに、突然部屋の電気が消えてしまう。カーテンを開け窓から他の家の様子を見るとどこも電気がついていない。月明かりだけである。
 そう、こういう停電の夜というのが何度かあった。手探りでロウソクを立て、電気のつくのを静かに待つ。勉強していた姉なんかはちょっと困った様子だった。でも、こんなときは、ときどき(といっても年に一度くらいだったかな)あって、仕方のないことだった。  何をしていたかなどはよく覚えていないけれど、ロウソクの灯りはぼんやりと覚えている。
 この本を読んでその時のことを思い出すと、とても必要な時間だったように思える。電気というものは、必ずあるものではなく、こんな風に停まるときもある。テレビの音も何も聞こえない静かな時間というものがあった。
 停電の起こらない世界と、停電の起こる世界と、どちらがシアワセなのだろうか。もちろん、今ここで電気が停まってしまったなら、この文章は消えてしまう。
 でもさ、停電になって「仕方がないから話でもしようと」と静かに語り合う夜を持ちたいとも思う。

2001年1月某日
 兄弟というのは、男でも女でも他の人にはわからない特別な感情があるのだろう。僕にも姉が2人いて、酒でも飲まないと語れない気持ちなんてのもあったりする。
 久世十義の『狂騒曲』(角川文庫)は、兄弟の特別な思いがテーマとなっている話だろう。何をやっても優秀な兄貴、不器用な弟。この小説の舞台はバブル期の不動産・金融業界である。世間でも話題になったような事件がチラホラと出てくる。男のニオイのぷんぷんする物語の中で、出てくるクラブホステスの女性が魅力的なんだな。よかった。
 ところで、久世十義と言えば僕はデビュー作の『マネーゲーム』をだいぶ前に読んでいる。これも金融の世界を舞台としたものなのだけど、両方とも男がやけに強い。強いんだけど、どこかにチラリと弱さが見えて、そこが良かったりする。それに反し、刑事物の『刑事たちの夏』『ダブルフェイス』は主人公の男は表面上はちょっと弱い(逆に女性が強く生き生きしている)。けれど、どこか一点、ここだという場面で強かったりする印象を受けた。なんだか、おもしろいなと思ったところだった。

2001年1月某日
『週刊マイ・ドールズ・ハウス』創刊号を買ってしまった。まさに「しまった」であった。590円だからまあいいんだけどね。書店でパッと見たときにこれを買えば、一軒のドールズハウスができると思ったんだよね。よく考えればこの値段でできるはずはないのだけど、毎号、違ったドールズハウスをつくれるのかと思った。しかし、このマガジンはずーーーと買って少しずつ組み立てるというものだった。いったい完成するには、何冊買わなければならないのだろうか? どこにも書いてないみたいだったけど。
 でも、元々プラモデルなど組み立てるのが好きだったし、インテリア雑誌を見るのが好きな僕としては、このド−ルズハウスというのはとても魅力的だ。ぜひ、作ってみたい気はする。でも、このマガジンを買う気はもうないけどね。完成するのが数ヶ月後ではやっぱり飽きてしまう。お金もかなり掛かるみたいだし。
 でも、安い値段で作れるキットがあれば、ぜったいに買ってしまいそうだな。別にヨーロッパ伝統とか昔風のでなくて、マンションのドールズハウスとか欲しいけど。

2001年1月某日
 近所に珈琲店ができた。チェーンのお店ではない。小さいけれど、オシャレなお店である。なんだかすごく嬉しい。高校生の頃なんか、よくこうしたお店で珈琲を飲んでいたものだった。しかし、今の僕は半年ほど前から珈琲を飲むのを辞めてしまって(半年ほど前までは一日5、6杯のインスタントコーヒーを飲んでいた)、ほとんど飲んでない。たぶん、このお店にも入ることはないだろう。
   それにしてもよく思うのだけど。紅茶とか中国茶を飲ませてくれるお店って少ないよね。僕の希望としては、漢方薬を飲ませてくれるお店があればいいと思うのだけど。「スターバックス・カンポー」なんて健康的で、これからの時代には絶対流行るよ。

2001年1月某日
 大沢在昌の『心では重すぎる』(文藝春秋)を読んだ。なかなかよい雰囲気の物語だった。新宿鮫とはまた違った大沢在昌の世界というのがあったんだ。主人公・佐久間公のシリーズは何冊かあるみたいなので、楽しみたいと思う。


(2001.2.4)



DOLPHIN HOTEL