読書日記2001年3月
三角関係で疲れてしまった編
2001年3月某日
池袋のジュンク堂書店がグランドオープンした。ひろーい。すばらしーい。なにせ世界一であす。一日中この書店の中で過ごしたいと思った。でも、この日記を書いている4月の中旬になってもその思いは実現していない。
2001年3月某日
大沢在昌の『感傷の街角』(角川文庫)を読む。どうしてこの本を読んだかというと、1月に『心では重すぎる』(文藝春秋)を読んだからだった。大沢在昌というとどうしても新宿鮫のイメージが強く僕もほとんどそのノリなのだが、こちらの佐久間公を主人公としたシリーズもなかなかよいなぁと思ってのこと。
2001年3月某日
『これからはあるくのだ』(理論社)というのは角田光代のエッセイ。彼女のエッセイはいい!! 小説よりもいいと言ったら本人は気を悪くするだろうか(笑)。でも、気軽に読めてけっこういい感じで余韻が残ります。
2001年3月某日
この月は久しぶりに映画を見た。街をぶらぶらしていて、時間のちょうど合ったものを選んだら『アンブレイカブル』という映画だった。僕は映画を見るときには、基本的に予備知識をなしにして見ることにしている。この映画も、アクションなのか、ミステリーなのか、スリラーなのか、SFなのか、まったくわからないで見た。それがよかったのかもしれないのだが、今も不思議な余韻が残っている。あとから考えると、すごくうまく作られているなぁと関心するし、時折登場人物の表情を思い出したりして怖くなったりする。何年か経つと、テレビで放送されたりするのだろうけど、やはり映画館のスクリーンで見るのはいいなぁとつくづくと思ったのだった。
2001年3月某日
角田光代の『学校の青空』(河出文庫)を読むと、彼女がただの作家ではないということがわかる。この本を読んだとき、ある意味で重松清の『ナイフ』を読んだときのような感じを持った。けっこうきついようなことも書いているんだよね。
2001年3月某日
角田光代の『草の巣』(講談社)を読む。この本には「草の巣」と「夜かかる虹」という2つの中篇(といっていいのかな)が入っている。実はこの2作は雑誌『群像』に掲載されていたものなのであった。『群像』という名前を聞いただけで僕なんてひれ伏してしまいそうになるのだけど(笑)。角田光代という作家は児童文学のようなイメージを持っていたのだけど(どうしてそんなふうに思っていたのかわからないけど)、純文学というジャンルに近い人だったのかもしれない。
「草の巣」という話は主人公の女性と、中年オジサンとの話。ヘンテコなおっさんなんだけどね。「夜かかる虹」は姉妹の話といったらいいのだろうか。どちらも共通点は家というか部屋のようなものにこだわっているようなところかな。彼女の作品全ての共通点のようにも思えるけど。
2001年3月某日
『地上八階の海』(角田光代/新潮社)もどことなく、『草の巣』と同じような雰囲気。「真昼の花」というのは、ずっと旅をしている女性の話だ。どこかで同じように旅をしている兄という存在も、ひっそりと彼女の胸の中にあったりする。「地上八階の海」はマンション暮らしをする母と兄夫婦をときどき尋ねる主人公がいたりする。やっぱり部屋とか兄弟とかってのかが、微妙にテーマになっているかも。
それにしてもこのところ、角田光代ばかり読んでいる。図書館でまとめて借りているので、返却期限というものがどうしても気になってしまう。「角田光代」という名前を検索して読んでないものを予約カードに書いていく。これが住所を書いたりなんだかんだと大変なんだけど、集めてくる図書館の人も大変だよね。先日なんかは、一度に借りられる本の数が10冊ですとか言われて、予約の本が入っているのにかかわらず、本を借りられないという事体にまでなってしまった。そのほとんどが角田光代の本だったりしていて、なんだか恥ずかしかった。
『カップリング・ノー・チューニング』(角田光代/河出書房新社)は車が舞台といったらいいのかな。なんと彼女の作品ではめずらしく、男性が主人公、しかも一人称。女性の書く男性一人称ってめずらしいようにも思えてしまう。
2001年3月某日
前々から気になっていた岸本葉子さんのエッセイを初めて読んだ。それにしても『三十過ぎたら楽しくなった!』(講談社文庫)って凄いタイトルだよね(笑)。いやあ、岸本葉子さんはいい。惚れてしまったのであった。読んでいて、安心する感じがすごくいい。ああ、同じ時代をセコセコと生きてきたんだなぁ、なんて感じだ。僕よりひとつだけ年が上なんだけど、同じ独身だし(笑)。
2001年3月某日
やっと村上春樹の新作が出た。『スメルジャコフ対織田信長家臣団』(朝日新聞社)はご存知「村上朝日ホームページ堂」のCD-ROM版である。実はCD-ROMの方はまだ見ていないのだけど、活字の本文の方はすぐさま読んでしまった。でも、ホームページで見ていたので一度読んでいるものばかりだったんだね。でもでも、やはりこうやって活字で読むのはまた違った味わいというものがある。ひそかに今年は『カラマーゾフの兄弟』にチャレンジしようかな、と思っているのであった。
2001年3月某日
映画『小説家を見つけたら』を見る。辻仁成がこの映画のテレビCMで語っていたのが気になっていた。原題は「FINDING FORRESTER」なんだけどなぜか日本でのタイトルは「小説家を見つけたら」で、僕なんかはこの「小説家」という部分が気になって見に行った方なのでこういうタイトルは成功しているのかもしれない。しかし、どうしてだろう。外国の作品って、人の名前がタイトルになるのって多いと思うのだけど。「ハンニバル」とか、テレビドラマの「アリー・マクビール」だってそうだしね。
話はズレてしまったが、この映画は凄くよかった。泣くことはなかったけど、文章を書くことと、バスケットとがよいリズムで交差して、そしてなによりもニューヨーク・サウス・ブロンクスの映像が凄くよい。ところどころ出てくる、文章を書くことあれやこれやが、小説を読むのが好きな人にはたまらなく感じられるのではないだろうか。
見終わって、もう一度この映画を見たくなってしまったほどだ。見る、というよりも、朗読の場面などを、読んでみたいという気持ちだったのだけど。ソニー・マガジンズ文庫からこの映画の本が出ていたので、ゆっくりと楽しんでいる。
2001年3月某日
角田光代の『幸福な遊戯』(福武書店)はとてもよかった。「幸福な遊戯」「無愁天使」「銭湯」の3つの作品、どれもが独特の雰囲気を持っていて、角田光代という人の世界をかんじさせてくれる。読み終えてからこの3作品を考えてみると、共通点みたいなものを感じる。「幸福な遊戯」は男性2人との共同生活をしている女性が主人公。「無愁天使」は売春(て感じでもないのだけどね)をしている一人の女性。「銭湯」は大学を卒業し、アルバイトとしながら芝居を行う女性が主人公だ。読むほどに、ひとりであることを感じさせる。
すごくいいのだけど、実は「幸福な遊戯」は1990年に「海燕」に掲載され、第9回「海燕」新人文学賞を受賞している。その後、いろいろな本を出していて、僕もけっこう読んできているのだけど、ほぼデビュー後の作品のほうが最近の作品よりもいいなぁと感じてしまったりしていて……。
2001年3月某日
岸本葉子の『恋もいいけど本も好き』(講談社)はタイトルの通り、彼女の読んだ本について感想その他が山のように書かれている。どれもこれも気持ちがいっぱい入っている。本の好きな人にはぜひ読んで欲しいと思う。
そうした多くの本紹介の中でひときわ目立っていたのが、P166からP171まで「しみじみ読書」というタイトルで書かれた藤沢周平さん(この本では特別に「さん」付けになっている)についてのエッセイだった。女性という立場から、ほんとうに気持ちいっぱいに書かれている。それでもって、取り上げられている作品は『蝉しぐれ』だったりするんだな。
僕の趣味と同じではないか! 自分の好きな女性が(勝手に岸本葉子を好きになっている今日この頃なのであった)、自分と同じ作家を好きで、しかも同じ作品を好きだったとは! なんだかとてもシアワセな気持ちになっている陽気な春分の日でした。
2001年3月某日
初めて白川通の本にチャレンジする。『海は涸いていた』(新潮社)は迫力満点ですごいよかった。大沢在昌や天童荒太の好きな人だったら、けっこう気に入ってしまうのではないだろうか。幻冬舎ががんがんとPRしている新作の『天国への階段』の上下巻が欲しくなってきてしまった。
2001年3月某日
立て続けに田口ランディのコラムを読む。『馬鹿な男ほど愛おしい』(晶文社)と『できればムカつかずに生きたい』(晶文社)の2冊なんだけど、あっさりと読めるわりにはハードな内容。タイトルのイメージとはやや違った印象。でも、現代に生きる女性は、こういう本を求めているのではないかと思ってしまったのだが。実は彼女の家族のことについて多くのことが書かれている。現在は父親しかいなく離れて暮らしているのだが、それでも家族という存在は大きい。兄は引きこもりの末、亡くなってしまった。両親との関係のことなど、びっくりするくらい自分のことが書かれている。
2001年3月某日
映画『ハンニバル』が話題になっている。予告編を見るとすごくおもしろそうだ。僕の場合、映画というものはしばらく見ていないと別に見なくても構わないのだけど、見にいくと予告編の面白さでついつい次回も見に行こうという気持ちになってしまう。下手な映画よりも予告編のほうがわくわくしたりすることも多かったりする。
でもって、『ハンニバル』を見る前にぜひ『羊たちの沈黙』を見て、正しい順序で映画を楽しむことにした。この映画はほんとにおもしろかった。10年前に作られた映画なんだね。そのときに見ておけばよかった。実は原作本は読もうとはしたのだけど、途中で挫折してしまっていた。本のほうもシリーズの最初から読んでみようと決めたのだった。
この月は映画を3本も見た。僕としてはとても珍しいことだった。映画を見るに関しては、ちょっとした「時代は変わったなぁ」という感想を持った。まずは上映時間などの情報について。以前は「ぴあ」などの情報誌で調べたのだが、今回はインターネットでチェック。そして何よりもすごいと思ったのは(当たり前と言えば当たり前か)、その映画ごとに独立のサイトがあったりして、ほぼ映画のパンフレットと同じものがインターネットで見ることができるんだよね。動画があったりもするので、高いお金を払ってパンフレットを買うよりもずっとよかったりもする。これはほんとうに凄いなぁと思った。
それから比べると、「本」というものはもっともっと頑張って欲しいと思ってしまったのだが、どうなのだろうか。新しい本が出版されたら、その本のサイトをつくってどんどんPRして欲しかったりするけど。映画のサイトだったら、撮影秘話とか、監督その他のメッセージが載っているように、本だってモデルとなった土地や背景とか、いろいろ考えられるだろうなぁなんて。
2001年3月某日
角田光代の『ぼくはきみのおにいさん』(河出書房新社)は、とってもお勧めの本である。小学生が主人公の子供向けに書かれたような本なのだが、大人の僕が読んでものすごくしみじみしてしまうのである。誰が読んでも素直に心のドアを開けてくれるような気がする。
2001年3月某日
岸本葉子の『お金のいらない快適生活入門』(講談社+α文庫)はちょっとばかしタイトルと内容が違った印象だった。入門というよりもいつもの生活に関するエッセイという感じ。例えば、以前は風呂に入るときには簡単に済ませていたのを、お風呂読書をはじめてから生活にゆとりができたみたいな。お風呂読書に関して、その方法など詳しく書かれているので「お風呂読書愛好会」のみなさんにとっては必読書です。ちなみに、彼女の一番お風呂読書で読んだ本は藤沢周平の文庫本とのこと。
2001年3月某日
たまに新しい居酒屋を開拓している。表看板には煮込みがお勧めと書いてある古ぼけた居酒屋に入った。地下にあるその店は、ひっそりとした入り口とは対照的に中はほぼ満席でとても熱気でいっぱいだった。カウンターの席に座り、オニオンスライスをつまみに生ビールを飲む。古ぼけた椅子とテーブルだけど、店主であろうオジサンはとても親切だ。うしろのテーブル席では競馬帰りの人びとが語り合っていた。ふと見渡すと、一人でひっそりと焼酎を飲んでいる客もいる。なんでだろう、このところチェーン店の居酒屋よりもこうしたお店の方が落ち着くようになってきた。煮込みはイマイチだったけど、焼き鳥もイマイチだったけど、それでも雰囲気はとてもよかった。オジサン達しか客はいないのかと思ったが、そうでもなかった。最近はこうしたお店には必ずひと組かふた組かの女性客がいたりする。しかも若い、きれいなお姉さんだったりするんだな。新しいお店の開拓というのは、少し緊張したり、ハズれることも多いけれど、おもしろいこともいっぱいある。
2001年3月某日
角田光代の『みどりの月』(集英社)を読み、『ピンク・バス』(福武書店)を読んだ。『ピンク・バス』は「ピンク・バス」と「昨夜はたくさん夢を見た」の2点が収録されている。舞台はどちらも日本なんだけど、旅の要素が入っているのかな。角田光代はいろいろ読んだのでちょっとこんがらがってきているかも(笑)。角田さんごめんなさい。たぶん、とりあえず現在出版されている本はぜんぶ読んだことになるのではないだろうか。
宮部みゆきや山本文緒がかつてあまり売れていなかったように。角田光代はあと何年かしたら、かなりメジャーになっていくと思うのだけどね。正直なところ、ものすごく面白いというところにはもうちょっとなんだけど、すごく惹かれるものがいっぱいある。実は最初に読み始めた動機は、写真がワタナベマリナに似てかわいいじゃんけ、というものだったのだけど(笑)。
2001年3月某日
この月は、ずっと三角関係でその修復で大変だった。残念ながら三角関係といっても女性問題ではなく、僕と古いパソコンと新しいパソコンとの関係なんだけど。データの移行がうまくいかなかったり、ソフトをインストールしなおしてもパスワードがわからなくなってしまっていたり。元のパソコンと同じようにメールを打とうとしても微妙な設定の違いとか、なんだかんだとうまくいかない。たとえスピードが遅くても、言うことを聞いてくれないことがいっぱいあっても、僕の思ったとおりに動いてくれていたんだなぁとなんだかしんみりとしてしまった。新しいパソコンはきれいだし、スリムで凄くいいのだけど、親密な関係にあるのにはそれなりの時間というもの必要なのかもしれない。
(2001.4.13)
DOLPHIN
HOTEL
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