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読書日記2001年9月 読書スランプな秋の入口編 2001年9月某日 『彼の名はヤン』(イリーナ・コルシュノフ/上田真而子訳/徳間書店)という本を読んだ。どちらかというと児童向けの本なのだけど、けっこう話題の本なのかな。これからはこういう本をもっと積極的に読んでいきたいと思っている。 2001年9月某日 休みの日の晩御飯はけっこう自分でつくったりしている。そんなに大したものではないけれど、ちゃんと座布団の上に胡座をかき(いつもは椅子に座ってテーブルで食べている)ちゃぶ台(ではなく四角のテーブルなんだけど)の上でゆっくりと食べる。一家団欒のひとときという雰囲気に浸るのである。まあ、一人で食べているのだけどさ。 今日はシチューを作った。あとはサラダも作り、西友で買ってきた天麩羅を並べるとなかなかの風景である。シチューと天麩羅との組み合わせは酷いんじゃないの、という意見もあるかもしれないがどちらも食べたい気分だった。一人暮らしの食卓なので何があってもいいのだ。僕の友人はシチューと納豆という組み合わせで食べていたという。これよりは天麩羅の方がいいと思っているけど(笑)。 ふと、この食卓を見て写真に撮りたくなった。でもそんな面倒なことをすることなく炊きたてのご飯を僕は食らいついた。うまい。簡単に作ったシチューもまあまあではないか。 それにしても、僕は食べながら思った。「だらしな日記」の藤田香織さんはすごいな、ということを。彼女はほぼ毎食、食べ物の写真を撮っている。外食のときもである。よくよく考えてみるとこれは凄いことではないだろうか。食べものからは湯気が立っている。お米は「どうぞ、今が食べごろよ。早く来て!」と声をかけているところだろう。それなのに、彼女は箸を持つ前にカメラを持つのである。居酒屋で「カンパーイ」とビールをかかげる前に、カメラをかかげているのである。なんという律儀さ、こんなことよりも部屋の整理整頓の方がずっと簡単なことだと思うけれど。 2001年9月某日 中野まで行って映画を見てきた。今だにこの映画の余韻が残っている。久しぶりに良い映画だったな、と感じることができた。 「いちばん美しい夏」(http://www.100meterfilms.com/)というジョン・ウイリアムズという現在日本に住むイギリス人が監督をした作品。 ちょっと懐かしい日本映画という雰囲気になるのかな。現代の日本が失ってしまったかのような、日本らしい雰囲気。全然嫌味がなく、映像が美しく。まるで詩のように映像が流れていく。 主人公は高校生の茶髪のコギャル(笑)。最初は見ていて嫌なガキだな、という感じなんだけど、最後にはほんとに可愛い表情になって見える。でも、自然の姿に触れてこの子は立派に更生しました、なんてことでは全然ない。 今年は僕の人生で一番(笑)映画を見ているのだけど、今年見た映画で一番よかったんじゃないかな。正直なところ、殺人事件とかの映画に疲れてしまったというのもあるかもしれないけど。 この映画は田舎の風景みたいなのが頻繁にあって、それもこんな気持ちにさせているひとつなのかもしれない。昔の家が出てきて、その中で(2階というか屋根裏部屋みたいなところ)に入っていく場面なんて、ほんと昔のうちの実家を思い出してしまった。屋根裏部屋はなかったけれど、昔の家だからそれなりに広い家で物置替わりにしている部屋があって、そこには古い物が置いてあって、子供の僕には探検のようだった。 あまりにも感激してしまって、この映画のウェブサイトのメールアドレスに感想を書いて出してしまった。映画だけでなく小説とかでも作り手に感想を出したなんて初めてのことでなかったかな。なんと、嬉しいことにスタッフの人から返事が来たんだよね。いやぁ、ほんとに嬉しかった。 例えば、藤沢周平の映画なんかも、この映画の映像のようになればいいのにな、なんてことを思ったりした。自然の風景が、どんどん流れてくるような。僕の勝手な解釈になるけど、両者とも同じ感覚のような気がしている。 2001年9月某日 ふとテレビを見ていたら、「ミニモニ。テレフォン!リンリンリン」という曲が……。あまりの衝撃に言葉はなかった。 2001年9月某日 梁石日のエッセイ、『魂の流れゆく果て』(光文社)を読む。実は僕の今月の読書は大スランプなのであった。読書にスランプがあるのかと言われると答えに困るのだが、活字に対して明らかに気持ちの進まないときもある。その点この本は、好きな作家でもあり、字が大きくて、写真もいっぱいあるということで、楽しい読書をすることができた。写真には大阪の景色が写っている。彼の書く物語をときどき思い出していた。一人の男の生き様というものを垣間見たような気がした。 2001年9月某日 実は9月になってからも前の月に読んだボブ・グリーンの『DUTY−わが父、そして原爆をおとした男の物語』(山本光伸訳/光文社)という本のことを考えていた。久々のボブ・グリーンの文章は心地よかった。でもいるものように楽しめなかった。胸の奥のところで、空洞のような、なんだかよくわからない後味の悪さがあり、ずっと引きずっていた。 この本は著者ボブ・グリーンの父親と広島と長崎に原爆を投下したエノラ・ゲイ作戦の実行責任者のポール・ティベッツという人について書かれている。戦争の時代を生きてきた人の話と言ったらいいのだろうか。 タイトルから想像できるように、原爆を落としたという行為について書かれている。原爆は過去になかった残酷な兵器で、被害にあった人についても今だに悲しい気持ちを持っている。別に日本という国に住む人だけでなくアメリカ人でもそうだろう。しかし、第2次世界大戦で多くの一般市民に原爆を投下したという行為が正当だったか、そうでなかったか、という声はこれまで聞いたことはなかったのではないだろうか。 この本の中では、多くのアメリカ人が原爆投下という決断を正当な行為だったと考えているようなのであった。もし、原爆を投下しなかったなら戦争は日本の本土決戦にならざるをえず、アメリカ人も日本人も、もっと多くの人が死に、より多くの不幸があっただろう。だから仕方の無いことだけど、正しい行為だった、といった感じなのである。 ボブ・グリーンは、こうしたことを考えて「ぼくは眠れない夜を幾度も過ごした」と書いているのだけど。 原爆を投下した行為が正しいと考えることは、正直なところ僕には全く理解できないことだった。もちろん、論理的にはわかる。この方が数値として、犠牲者が少なかった、というのはよくよく考えるとわからなくもない。 けれど、人間の感情というものはそんなふうに割り切れるものでもないだろう。どんな理由があっても、やってはいけないことがあると僕は思っているが。 アメリカの同時多発テロ事件、衝撃的な映像がテレビ画面に映されたのは、そんなことを悶々と考えているときだった。 事件の後、多くの人がコメントし、アメリカという国は具体的な行動を準備している。 ニュースを見ながらも、僕はどうしても『DUTY』というこの本で書かれてあったことが気になっている。 2001年9月某日 有楽町のガード下で飲んでいた。初めてだと思ってこの日記を書こうとしたのだけど、よくよく考えてみると、昔田舎からきた友人と一緒に飲んだことがあった。だんだん記憶というものが薄れてしまっていくのだろうか。やれやれ。狭いガード下で飲むのは楽しい。テーブルは小さく、ふたつくらい食べ物を注文するといっぱいになってしまう。周りの人々の表情もすごくいい。お会計のときに、ちょっと高くてびっくりしたけどね(笑)。 2001年9月某日 前から注目していたフローラン・ダバディーさんの本『タンポポの国の中の私』(祥伝社)を読んでしまった。映画雑誌「PREMIRE」で彼の文章はちらりと見たことはあるけれど、どんなことが書かれているのか興味深深だった。テーマは日本の国際化といったところになるのかな。でも正直なところ僕にはちょっと馴染めなかった。もっとサッカーのことを書いて欲しかったような。ちなみに。わかる人はわかると思うけど、この人はサッカー日本代表チームでトルシエの隣で声を出している人(正式にはパーソナルアシスタンというらしい)でした。 2001年9月某日 この日はCOOという名のお店で飲んだ。COOさんはこの店の存在を知っているだろうか。それにしてもけっこういい雰囲気だった。そんなに広くはないフロアー。カウンターがあり、テーブルもあり、静かな空間もある。昔ぼくたちの世代がまだ若かったころによくあったようなスタイルだ。ビールを飲むというよりも、ウヰスキーのボトルをキープして飲むような。何かいいかというとこの店は朝の4時までやっている。別にこんな朝方まで飲む気はないが、10時半もしくは11時でラストオーダーになってしまう店がほとんどなので、終電ギリギリまで飲めるというのは素晴らしいことなのである。COOさんはいま何処。 (注)COOさんというのは、たまーに雑記帳とかに書き込みをしてくれるこのホテルの古くからの友人です。 2001年9月某日 『ありがとうがいっぱい』(フォア文庫)という何人かの作家などの短編集のような本を読んだ。はっきりいって完全な小学生あたり向けの本になるのかな。そうなのであった。この中に森絵都の『郵便やさん、ありがとう』という話が入っている。30ページくらいのほんのちょっとした家族の話なのだけど、これももの凄く素晴らしい(拍手!)。家族の問題。帰宅拒否症、アル中、引き篭もり、カラオケにハマル母さんといった様々な問題が出てくるのだけど、森絵都の手にかかるとほんと自然な感じで、とろけてしまうといったらよいのだろうか。こんなふうに見事に書く作家は、他にいるのだろうか、などと思ってしまった。 2001年9月某日 前から見たいと思っていた映画『ブリジット・ジョーンズの日記』(http://bjd.msn.co.jp/)を見た。いやあ楽しかった楽しかった。本が映画化された場合、どっちがいいかという無謀な議論があるが(笑)、そういったことを超えて本当に楽しめる映画になっているのではないかな。 何よりも主役のブリジット役レニー・ゼルウィガーが素晴らしかった。もう可愛いのなんのって! このふっくらさがいいんだよね(笑)。映画のポスターの雰囲気とは全然違っている。やさしい微笑みが見ている方と暖かくしてくれるのだった。 2001年9月某日 実は偶然にも知り合いのウェブサイトを見つけてしまった。彼女は名前を隠し(当然だろうけど)なるべく人に触れないように、ひっそりとそのサイトを運営している。親しい友人だけにしか教えていない雰囲気だ。カウンターもない、掲示板もない。更新もあんまりない(笑)。 知り合いと言っても、「見つけたよ!」(軽く肩を叩いたりして)と言うほど親しい関係ではない。なんだかね、こういうのって悪いことをしているような気持ちになってきて(笑)。 2001年9月某日 けっこう話題になっているのかな。雫井脩介の『虚貌』(幻冬舎)を読んだ。うーん(笑)。 2001年9月某日 寒くなってきた。冷房をつけることもあるけれど、夜は気持ちよく眠れるようになってきている。まだ、布団は使っていないのだけどね(現在はタオルケットと毛布)。寒い部屋で厚い布団の中で身体を温めぐっすりと眠るのが好きなのであった。 2001年9月某日 最近よくわからないことが多かったりしている。「辞任終身名誉監督」って何をするというか……、いったい何なのだろうか(キョトン)。こんなこと書くと怒られるかな(笑)。 2001年9月某日 今日はドルフィンホテルのオフ会があった。実はメンバーに会う前というのはいつも緊張する。ほとんどの人は気のあった仲間というか、普通のお友達なのだけど。このオフ会というのは、オフ会ではあるけれど、いわゆるオフ会ではない(ナンノコッチャ)。最初に会ったころは、インターネット(その頃はパソコン通信と言われるものだった)の出会って、初めて顔を見てというよくある出会いだったのだけど、今はちょっと違った雰囲気のようだ。だいだい集まるメンバーが固定してきて、お互いの名前も知っているし、仕事も知っているし、住んでいるところも知っているしで、知らない人と会って語り合うということではまったくない。 この日は7人のメンバーが集まり、池袋の「上海ヌードル」という主に20代のアベックなどが多く入るようなお店で飲んでいた。この男女7人けっこう面白い組み合わせだったのかな。喫煙者3:非喫煙者4、既婚者5:花の独身者2、子供いる3:子供いない4、男4:女3、同学年5:その他2とまあいろいろなラインが引かれた。 でも、飲みながらわかったのだけど、実は友達の友達という関係でこの場に集まっている人が多かった。紹介したメンバーが来ていなかったりしていて(笑)。人の出会いというのは実におもしろい。 それにしてもな。いくら美味しいといっても、みんなで(正確には1人は1個だけだったけど)デザートを2種類も食べるんだもんなぁ。でもここの杏仁豆腐は本当に美味しいと思うよ。いろいろ食べて、一人4000円くらい。まあまあかな。 実は解散した後、西武池袋線沿線のメンバーで突然に2次会に行くことになってしまった。地下にあるバーにて、人生について、男と女について語り合っていました(笑)。僕は静かに飲んでいたのだけど。そうだそうだ、僕の血液型はとってもヒドイらしい(笑)。 2001年9月某日 ほんとうはもう少しいっぱい書こうと思っていたのだけど、力尽きてしまった。別に疲れるようなことをしているわけではないけれど。今年になってからだろうか。眠りにつく時間というのがとても遅くなってきているような気がしている。おまけに朝起きる時間も遅い。休みの日などはお昼頃に起きたりする。掃除をして洗濯をして、西友に買い物に行ったりするとそれだけで一日が終わってしまうような。 一日というのはこんなにも短いものだったのだろうか。子供の頃の一日はとても長かったような。 そうだ、こんなことよりも本を読む話を書こうと思ったのだ。 この1、2ヶ月あまり本を読んでいない。考えてみると、本を読むという時間を作ろうということすらしていなかったのかもしれない。部屋にいると、どうしてもテレビをつけたり、パソコンをつけたり。インターネットはADSLにした関係でほんとうに気軽に見るようになった。ボーっとしている時間が多いのかもしれない。静かに本を読む。そんな時間を味わうことがほとんどなかったようだ。本を読もうとしても頭に入ってこないこともあるかもしれない。でも、それでもいいように思うのだ。本と向き合って、他の情報を閉ざして、静かな時間を過ごす。別に自分自身を見つめるなどといったカッコいいことを言うつもりはないけれど、本を読むことで自分の時間というものを感じることができるのではないだろうか。 (2001.10.1) |