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読書日記2001年12月 毎度おなじみの師走だね編 2001年12月某日 毎年来るのはわかっていたことだけど、今年も12月がやってきた。駅前の呑み屋はやたらと混んでいる。通りの真ん中で輪になって動こうとしない人達。抱き合っている人、隅の方では吐いている人もいる。そんな風景の中を歩いていくと、いくつものダンボールが目に入ったりもする。なんだか寒い季節である。 2001年12月某日 ベルンハルト・シュリンクの『逃げてゆく愛』(新潮クレストブックス)を読んだ。『朗読者』の作者の短編集である。少しずつ、少しずつ、ゆっくりと時間をかけた。正直なところ挫折しそうにもなった。でも、読んでよかったと思っている。一番残っているのが最後の「ガソリンスタンドの女」という話である。誰かとこの話について語りたいという気持ちがある。どんな風に読んだのだろうか。わからないのだけど、ほんの少しだけこの主人公の気持ちが微かに感じられるような気がする。 2001年12月某日 「いろり家」というお店で「きりたんぽ鍋」を食べた。おいしい。鶏肉が入っていい出汁がでている。野菜はごぼうのシャキシャキした感じがなんとも言えない。「きりたんぽ」という食べ物を知らない人も多いのかもしれない。僕も子供の頃は知らなかったけれど。鍋というのはその地方その地方によって、材料なんかも違うのだろう。ちなみにこの「きりたんぽ鍋」は秋田料理である。僕が好きだった鍋料理はなんといっても「すき焼き」だった。肉や豆腐やしらたきに、なんだかんだと野菜がいっぱい入る。上品なすき焼きではなく、いかにも家庭的なすき焼きが好きである。たまごに入れて食べるのがなんとも言えない。 2001年12月某日 なぜか司馬遼太郎を読んでいる。『歴史を紀行する』(文春文庫)という本である。そんなに好きではないのだけど、ついつい読んでしまう。彼の本を読むと、発見がある。いや、歴史というものについて知らないことが多すぎるだけなのかもしれないが。この本では、司馬遼太郎が日本のいくつかの街を旅する。萩や京都といった歴史の舞台となったところだけでなく、佐賀や盛岡といったいくつかのところへ。それぞれの土地で育った人には、それぞれの気質というか、背負っているものがあるように思われてくる。おもしろい。 2001年12月某日 蒙古タンメンというけっこう人気のラーメン屋さんで並んで食べてしまった。僕はこうしたお店で並ばないのが主義だったのだが。それほどに12月という季節は寒かったのだろう。熱いというか、辛いというか。食べている途中にかなり麺が延びてしまったような気もするが。周りを見ると、やたらとアベックが多かった。しかも女性はとても細身できれいでおしゃれな人ばかり。とっても上品にこの蒙古ラーメンを食べているんだよね。たぶん、一人あたりの席にいる時間は、他のラーメン屋さんと比べて倍くらいにはなっているのではないだろうか。 2001年12月某日 川上弘美の語り口はやさしい。これまで読んだ誰のエッセイとも違う雰囲気がある。おもしろい。時には笑みが出る。けれど、余韻が残る。この余韻がいい。 そうそう、この本を読んで「係占い」というものを知った。さっそくインターネットで調べてみるとあるではないか(http://yoiko.on.arena.ne.jp/kakari/)。生年月日と血液型で占いのだけど、僕は新聞係だった。なるほど。「嫌いなものは嫌い」なのだそうだ(笑)。ちなみに川上弘美さんは図書係だそうです。 忘れていたけど、このエッセイは『ゆっくりさよならをとなえる』(新潮社)でした。 2001年12月某日 駅から部屋に帰る途中にお惣菜の「若菜」が出きた。夜は12時までやっている。とても嬉しい。やさしい料理の得意なお嫁さんにきてもらったような心境である。自分で食べたい分だけ取るシステムなので、ついつい沢山の量を取ってしまって。嬉しいような、悲しいような。ついつい太ってしまうのだろうな。 2001年12月某日 『冷静と情熱のあいだ』の映画を見てしまう。まあ、なんというか(笑)。いろいろ文句はある。マーブはどう考えても痩せていて金髪でなければいけないとか……。辻仁成がこの映画について、ラストシーンの笑顔がよかったと発言していた。あの笑顔のために、この映画の多くの場面があり、あの笑顔にすべての部分が集約されているのではないか、と言っていた。確かにその通りかもしれない。 ところで、こうした昔の恋人を振り返る(忘れられない)というような映画を涙して見た人はこれからどうするのだろうか。ついつい電話をかけてしまったり、なんてこともあるのかな。ふと、付き合っていた頃の大学を歩き、教室に入ってみたりする人はいるのだろうか。 2001年12月某日 自分の好きな作家、読んだことのある作家が、なんらかの接点を持っていたりするとただそれだけでファンとしては嬉しくなってしまったりする。 先日、『藤沢周平のすべて』(文藝春秋)をパラパラとめくっていると、辻仁成の文章の載っていたことに気がついた。もちろん、最初に読んでいたときにこの文章は読んでいたのだけど。藤沢さんへの手紙「初めてわかった父の苦悩」というタイトルで「三屋清左衛門残実録」のNHKドラマと当時奥さんだった南果歩さんのこと、その彼女に届いた藤沢周平からの手紙のことなどが書かれている。読み返すととてもよかった。藤沢周平の新作はもう読むことは出来ないけれど、少しでも関わりをもった作家の人達にはいい小説を書いて欲しいと思ってしまう。 2001年12月某日 ふと書店で立ち止まり、この『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)を手に取った。衝動買いしたのだけど、たまにはこういうときもある。 この本を振り返って、子供の頃のことを思い出してしまった。クレヨンで絵を書いていた自分をである。もちろん、怪獣王子ごっことか、赤影ごっこで走り回って遊んでいたけど、よく広告の裏とかに絵を書いていたようにも思う。ヘタクソな絵を書いていたのだけど。あの時、僕は何を考えてクレヨンを手にしていたのだろうか。たぶん、僕の周りの世界には100人も人はいなかったようにも思うのだが。 2001年12月某日 部屋をキレイにした。粗大ごみの業者に電話していくつかのいらないものを処分した。ちょっと高かったけど。実は僕はインテリアの雑誌を見るのが好きである。先日は『私の部屋づくり』を買ってしまった。寝る前にこの雑誌を眺めながら、あれやこれや考える。でも、部屋が変わることはないのだけど。ベッドが欲しい、ソファーが欲しい、大きな書棚が欲しい……。でも、シンプルな暮しもいい。 2001年12月某日 久しぶりに歩きたくなって、半日ほど歩いていた。最近知ったことなのだけど、歩くのが趣味という言って毎日1時間とか2時間とか歩いている人ってけっこういるんだよね。歩くとことは気持ちがいい。静かに周りの景色が流れていくところがいいな、と思う。久しぶりに歩くことは、ちょっと辛くはあったけれど。 立ち止まった景色とかに、ふと思いを巡らしてしまうこともある。 西武池袋線の大泉学園の駅前を歩いていたときだ。この街は再開発の真っ最中で駅前には大きなビルが建ち、古い建物と新しい建物と、道路と、なんだか異質な雰囲気を生み出している。ある通り、パチコン屋の裏側でスナックとか風俗の店とかが集まっているところを僕は歩いていた。 そのとき思い出したのが、藤沢周平の『早春』という短編だった。時代小説ばかり書かれていた中の唯一の現代小説である。立ち退きを迫られているスナックバー、1人の男とその娘が描かれている。小説のモデルというものを考えるのは、あまり良い読み方ではないのだろうけど、ふと、家庭を持っていた藤沢周平という人のことを思ってしまった。この大泉学園という街に住んでいたという。歩くことで、ほんの少しだけど景色が変わってきたようにも思える。 2001年12月某日 「鳥定」という池袋にあるお店で飲む。この店で飲むのは久々だ。煮込みはやっぱり美味しい。ビールの次に熱燗にする。サラリーマンが少ないつまみで片寄せ合って飲んでいる。壁のポスターは何年の前のもので、メニューの文字はかなり年季が入っている。正しい居酒屋の姿というものを感じてしまう。 あちこちに新しいお店は増えていくけれど、ついついこうした店へと気持ちが傾いていくのは歳を取ったということなのだろうか。 2001年12月某日 久しぶりに角田光代の本を読んだ。この『あしたはうんと遠くへいこう』(マガジンハウス)はこれまでとはちょっと違った雰囲気でもあるのかな。けっこういいです。次の作品がまた楽しみになってくる。 2001年12月某日 アリー・マクビールはとても幸せそうである。第4シリーズになってから、何をやってもうまくいっているという感じがする。人の人生というものは、こんなふうに変わったりするのだろうか。もちろん、アリーの幸せそうな笑顔を見ているのは嬉しいことである。最近ミニスカートを履かなくなったようで、やや残念な気持ちもあるが。 2001年12月某日 職場でクリスマスパーティーをやった。ビンゴゲームの為のプレゼントを山のように買う。「野球拳ゲーム(一枚一枚紙を破り服を脱がせるようなやつね)」を2つ買って密かにゲームを企てる。でもさ、どうして僕がこれに当ててしまうことになるのだろーか。とっても運に見放された2001年だったように思う。 2001年12月某日 新装開店になったBARで酒を飲んだ。シックで、大人の雰囲気の内装だった。お酒を飲む場所というのは、そのインテリアも楽しみことも重要ことのひとつであるのだね。この歳になってようやくそういうことがわかってきたようだ。黒を基調とした色合い、何だかよくわからないオブジェもいいのだが、それよりもなによりも、この店はトイレが素晴らしかった。なーんと、両サイドが前面鏡張りなのであった。両サイドということは、片側の鏡を見ると、鏡に鏡が写り、何重にもなって見えるのである。ズボンを下ろして立つとしよう。それが鏡に見えるか見えないか、人生には悩み苦しむことがなんと多いのだろうか。喜怒哀楽、そうやってまた酒を飲む。 2001年12月某日 楽しみにしていた久間十義の刑事小説である『ロンリー・ハート(上・下)』(幻冬舎)を読む。なんとも憎めないというような、やさしい雰囲気が僕は好きだったりしている。でも、この物語はけっこうハードである。こういう犯罪が実は今もどこかで起こっているのだろうか、などと不安な気持ちにもなってくる。 どうでもいいことなのだけど、この物語の中で「スカイラインGTR」が出てくる。たぶん新しいスカイラインが登場する前に書かれた話であると思うのだけど。例えば犯人の車が何であったかを語るときに(特にそれが夜だったとき)、新しいスカイラインは「スカイラインだった」と認識できるのだろーか? とても疑問に思いながら僕はこの本を読んでしまった。新しいスカイラインが物語の中に登場することはあるのだろうか。 2001年12月某日 新しく出来た『高田屋』という蕎麦居酒屋さんで、酒を飲み蕎麦を食べた。「山形産だだちゃまめ」はとても美味しかった。海苔いっぱいの温かな蕎麦も素晴らしい。 ちなみにこのお店は個室が多い。こうした個室が多く凝ったインテリアの店ってこのところどんどん増えているような気がする。嬉しいことは嬉しい。けれどさ、どんどんと潰れる店があり、新しい店が出来ているように思えてしまって。なんだか人生の浮き沈みを感じてしまって落ちつかなかったりもするのであった。この店、とってもいいですよ。何よりも、だだちゃまめが食べられるところはそんなにないからね。 2001年12月某日 なぜか今月になって森絵都の『あいうえおちゃん』(理論社)を読む。本棚に並んであったんだよね。まあ、なんというか凄い本だよね(笑)。 2001年12月某日 実は今日はまだ30日である。31日の今年の終わりまでにはまだ1日ある。でも、これで12月も終わったということにします。なんだか毎年の年末年始は代わり映えのないものだからね。どうにもつまらないのはテレビ番組ではないだろうか。普段のテレビの方がずっと面白いのだけどね。特別番組はいくつもあるけれど、さっぱり面白くない。サッカー天皇杯もシーズンオフにやっているみたいでオモシロさを感じなくなってきているし。 そもそもお正月にテレビに楽しさを求めることが間違っているのかもね。 ということで、お正月は読書に勤しみましょうか。 (2001.12.30) |