読書夜話2002年3月後半
なんだか忙しくて時間がないぞ編
2002年3月某日
久しぶりに早い時間に地元の駅に帰ってきた。たまには外食でもしようかと思う。どこに入るか悩む。ひと通り悩んだところで、外食は止めてお弁当を買おう、と気持ちが切り替わる。どこで何の弁当にしようかと悩む。ひと通り悩んだところで、部屋で自分で作ろう、と気持ちが切り替わる。こんなパターンが多いのだが、この日は仕事で面白くないこともあり、あたたかな美味いものを食べたかった。しかし、美味いものというのはなかなかないんだよね。迷ったあげく「福しん」に入った。このチェーンのお店は知らない人はほとんど知らないだろうが、池袋周辺にはもの凄くいっぱいあるラーメンと定食のお店なのである。ちゃんとそれなりのものが出てくる。かなり遅い時間までやっている。そして何よりも安い。ラーメンが350円の餃子が180円なのである。この日の僕は淡麗とチャーハンセットを注文した。ビールを注文しようかどうか悩んだのだが、僕の食事をするときのあの一本の量というのはちょっと多い。ということで缶の発泡酒にしたのだった。このチャーハンセットには、チャーハンの他に、キムチとスープと餃子3個もついてくる。淡麗は無くなってしまい、もう一本注文してしまう。お店はけっこう人が入っている。もう帰ってしまったが、隣ではきれいなお姉さんがひとりでタン麺を食べていた。特に何事もない、夕食のひとこまでした。
2002年3月某日
このところノートパソコンを鞄に入れて、仕事の前とか帰りとかお店で使うようになってきた。最初の頃はドキドキしたり、恥ずかしながら緊張したりしていたが、けっこう平気になってきた。場所は、スターバックス、サンマルクカフェ、ベローチェ、マクドナルド、フレッシュネスバーガーなどである。でもさ、もっとよいお店がないかと日々探しているのである。パソコンを使って様になるお店というのがなかなかなかったりするんだよね。できれば、スターバックスのような居酒屋ができないかと思う。ひとりで入っても落ち着ける。ノートパソコンを使って、ビールを、肉じゃがを食べる。そんな日の来ることを夢見ているのであった。
2002年3月某日
なんだか書くことがいっぱいある。いくらキーボードを叩いても、書いている分量が全然増えて行かない。自分は書くのが遅かったのだと改めて感じているところである。それにしても、毎日毎日あちこちでキーを叩いていると、さすがに疲れてきた。肩も凝る。指を動かすのが嫌になってきたのである。ローマ字入力は止めてカナ入力を覚えようかな、なんて考えたりしていた。思考よりも速く入力したい。そう僕はこのとき、過去に出会った女性、ではなくてキーボードのことを思い出した。実はこのローマ字入力をするよりも昔、最初のキーボードは親指シフトだったのだ。初恋のキーボード。あのタッチが感触が蘇ってきた。そうなのだ。この親指シフトならば、もっと速く楽に打てる。でも、最近はこの親指シフトはほとんど聞かなくなったような気がする。今のワカモノなんて、まったくその存在すら知らないのではないだろうか。今はどうなっているのだろうか。僕と同じように考えている人もいたんだよね。ちゃんと『親指シフト・キーボードを普及させる会』(http://www.oyayubi-user.gr.jp/)なるものが存在していた。
なんとか変わって欲しい。では変化というものはどのように成されるのか。それはサッカーをお手本にすればいいのだと思う。日本代表は強くなった、と最近よく言われる。まあ確かに強くなったのだろう。でも、選手が強くなったというよりも、若年層で優秀な人材が育ってきた、ということが強くなったという結果になっている。日本サッカーはここ数年ずっと若年層の強化に力を入れてきたのだ。親指シフトの普及だって、学校などで早いうちに普及させればそれで急激に広まっていくのではないだろうか。親指シフトが普及すれば、入力のスピードがアップする。つまりは生産性が上がるのである。おまけにイライラも減り、健康になっていくだろう。ただし、最近流行りのマッサージなどの業界が大きな痛手を受けることになるかもしれないが。
2002年3月某日
テレビ朝日の「トゥナイト2」という番組が終了してしまった。いやぁ、長い間お世話になった。いや、お世話になったという表現は誤解があるか。えーと、まあなんというか楽しんだというか、見ていたというか。うまく言えないや、ハハハ。
正直に言ってこうした深夜番組が消えてしまうのは寂しい。その昔、「イレブンPM」という番組が終わったときのように。そうそう、雑誌「週刊平凡パンチ」が終わってしまったときも同じような気持ちだったかもしれない。
この「トゥナイト2」はそんなに一生懸命見ていたというわけではない。ただ、寝る前になんとなく他におもしろい番組のないときに、つけていた、というような状態だった。見ていたというよりは、放送が流れていた、という感じ。でも、こうした番組の中に「どうでもいいのだけど、よく見ると、ちょっとだけかもしれないがどうでもよくないことがある」という感じがあったように思えるのだ。
2002年3月某日
2月の後半から読み始めた『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワ−/岩波書店)の下巻までをやっと読み終えた。そんなに深い感激もなかったが、戦後の時代というものはそれなりに感じることができた。子供の頃におばあさんから聞かされた話を思い出したりした。でもよく考えてみると、父や母もこういう時代を生きてきたのか。
2002年3月某日
久しぶりに映画を見た。『シッピングニュース』(http://www.shippingnews.info/)という話題作。おもしろく見ることができた。とても、おもしろかったというわけではない。でも、「とても」が付かないところにこの作品の感動の深さがあるのかもしれないな、なんてことをあとから考えている。あとから静かにこの映画のことが思い出されるのだ。
それにしても、この映画の紹介みたいな文で「再生」という言葉が使われていたのだけど、全く合わないと思うのだけどね。僕は映画を見る前にできるだけその情報を仕入れないことにしているのだけど、これからもまっさらの状態で映画を見ることにしようと思う。
2002年3月某日
あちらこちらからモーニング娘。の新しい曲が耳に入ってくる。しかし。あのサビの部分、何と言っているのか全く聞き取れない。これは僕だけなのだろうか。
2002年3月某日
夜中の12時に電話が鳴った。ぴよろろろ(僕のPHSの音色である)。もうそろそろ眠りにつく時間。電話の嫌いな僕にはこんな時間にかけてくる人はいないのだけど。職場の女の子からだった。「キャー! キャー!」という悲鳴が話し声の合間に聞こえてくる。部屋に帰ったらネズミ捕りにネズミが張り付いていて……。どうしたらいいかという電話だったのだ。ネズミはチュ−チュ−と鳴いていて1メートル以内に近づけないという。近づかないで、なんとかする方法なんてないだろう。だいたいにしてネズミを捕獲したなんて経験は僕にはない。袋に入れてそのまま捨てるしかないだろう、とかテキトーにアドバイスをする。でも、キャーキャーという声しか電話の向こうからは聞こえてこなかったのだが……。
2002年3月某日
考えてみると春である。スポーツのシーズンなのだ。WCまで残りあと僅か。僕は深夜のテレビで、サッカー日本代表対ポーランドの試合を見ていた。仕事が終わってから職場でワインを飲んでいたので、けっこう酔っていた。何も飲まずにテレビを見るのは何だか辛い。ビールを飲む。何も食べずにビールを飲むのはちょっと辛い。冷蔵庫を漁り、ツマミも食べる。インターネットを見ながら、ゲームを見る。まだ、本大会ではないので、正座をして見るということはない。ナカタのゴールを見た。高原のゴールも見た。前半が終わり、少し横になった。こういうところが部屋で見るところのよいところである。ふと気が付くと、時計は3時を過ぎていた。あれっ。なんと後半のゲームは眠っている僕の前で孤独に放送されていたようであった。
このところ遅くまで起きていられなくなってきた。これからはサッカーだけでなく、F1の放送もある。僕は深夜のスポーツ番組を見ることができるのだろうか。とても不安になってきた。
2002年3月某日
今年、2002年はアイルトン・セナがイモラで事故死してから8年になる。早いものだ。この事故のときのことを僕はまだよく覚えている。フジテレビの中継が始まる前に、確かどこかの放送局で事故のテロップが流れたのだ。レース中継は、ほとんどレースの放送になっていなかった。三宅アナウンサーが泣いて、どうもすみません、と何度も言っていた。関係者の声はとても冷めていた。淡淡と事故について語っていた。悲しい表情はしていても、泣いている人はアナウンサー1人だった。見ていた僕も淡淡と見ていた。長くモータースポーツのファンをやっていると、死亡事故があっても泣かなくなる。ちゃんとスイッチを切り替えられるようになる。その時のレースは片山右京が凄い走りをしていたレースだった。でも、このレースの内容が語られることはほとんどなかったように思う。このときのビデオは今だに僕の押入れの中のダンボールに眠っている。見返したことはたぶん無いような気がする。
2002年3月某日
区役所からお知らせが来た。健康診断である。なんと無料で受けられるというのが。まあ、無料で受けていいよという年齢だから来たようなのだが。少しばかりショックというか、なんというか。そう言えば、給料から引かれる保険料がもう1コ増えるのではなかっただろうあ。はぁ、とため息。
2002年3月某日
久しぶりに図書館に本を借りに行った。いいよ、と言われた川上弘美の本と、その予約カードを持ってカウンターへ。新しい「おやすみカレンダー」が置かれてあった。取ろうとすると、係の女性が「こちらもまだでしょう」とニコニコした表情でチラシを差し出した。それは「図書館が変わります」というお知らせだった。嬉しい。いよいよ、僕の住むところの区立図書館も、インターネットで図書館の本を検索して予約ができるのである。よくよく見ると「平成15年4月1日〜」という1年も先のことなのだが。
2002年3月某日
午後の3時くらいにお腹が減ったりする。例えばそんなとき、ドトールコーヒーあたりに行って、ミラノサンドCとかを買ってきたりする。もう少し軽い食べ物だったりもするけれど、食生活というのは僕の子供の頃と大きく変わったのだな、と感じたりする。そう、僕がまだ小学生の頃なんて、キュウリを齧ったりしていた。味噌をつけて、かりかりと齧る。これはとても美味しかったよね(ここで多くの同意を期待する)。でも、最近のキュウリって美味しくなくなっていると思うけど。
2002年3月某日
わりと最近になって池袋にオープンした「大江戸回転寿司」というお店で食べる。できたばっかりということもあり、お店はきれいで、味もまあまあ。けっこうよかった。このところ、回転寿司は行く店が決まっていたのだけど、全体的に美味しくなっているのだろうか。
2002年3月某日
新宿を歩いていたら新しく出来たばかりのようなラーメン屋さんがあった。ちょうどお昼時で豚骨系の味が食べたかったので、入ってみた。ラーメンはけっこう美味しく食べることができた。でも、もうひとつ食べたご飯ものがイマイチ。どうしてなのだろうか。ラーメンについて語られるときに、その麺のコシが話題になる。歯ごたえがどうのと、まさにそこに人生があるかのように。しかし、お米の歯ごたえというものを考えているラーメン屋さんというのはほとんどいないように僕には思える。もちろん、この日入ったお店やたかだか僕の少ないラーメン経験だけでこんなことを言うのは乱暴かもしれないが。別に有名なブランドのお米でなくても、もっと美味しいご飯になると思うのだけど。単に固めがいいとか柔らかめがいいとかという好みの問題でなく、炊き方がなっていないのではないだろうか。ご飯の美味しいラーメン屋さん情報を求めます。
2002年3月某日
ラーメンと言えば先日、日本テレビで「史上最大!全国民が選ぶ美味しいラーメン屋さんベスト99」(http://www.ntv.co.jp/ramen/)という番組があってちらりと見てしまった。池袋のお店がなんと4軒もベスト10に。その翌日にジュンク堂に行ったのだけど、あの外を見渡せるエスカレーターからの景色はラーメン屋さんに並ぶ行列を見るには絶景だった。それにしてもベストテンに入った「ばんかららーめん」はオープンの頃ガラガラだったのに。
ところで僕はこうしたテレビのラーメンの企画にとても不満がある。ラーメンだけでなく全てのお店の紹介の番組に、である。とにかく僕は並ぶのが嫌いなのだ。田舎から東京に出てきてびっくりしたのはとにかく並ぶことが多いこと。学食とかで並ぶことすら僕には信じられなかった。そこでテレビ局にお願いしたい。「ぜんぜん並ばないけど美味しいラーメン屋さん」特集、なんてのをやって欲しい。ラーメンだけでなくてもいい。並ばないお店、また、ひとりかふたりでやっているような小さなお店がいい。人が多く集まるところ=美味しく、いいお店というわけではないのだから。でも、そんな番組が本当に出来て並んでしまったらもうおしまいなのか。
2002年3月某日
夜が、暗くなくなったことに気がついた。真っ暗だとつい最近まで信じて疑わなかった僕の部屋の中にはいくつかの星があった。小さな豆粒のような光がいくつか、ぼんやりと。考えてみるとこうした光はずっと前からあった。確かにこのところ特に多くなってきたが。パソコンの電源コードの小さな明り、PHSの充電器、デジカメのクレードル、炊飯ジャー、消し忘れたケーブルテレビのチューナー……。ほんとうに、その日の夜には星のように見えたのだった。夜空を見上げて星を見ようなんてことは全然ないけどね。
2002年3月某日
これまでテレビ番組表の雑誌といえば「TV Taro」を買っていた。でも今回は「TVBros」を買ってしまった。なぜかというと、その表紙が「人造人間キカイダー」だったのだ。なんと生誕30周年なのだという。僕は子供の頃、このキカイダーがもの凄く好きだった。身体半分が機械という姿が最高にかっこよかった。あのサイドカーもかっこよくてかっこよくて。自転車に乗るときには、ブレーキペダルのところを持ってわざわざ身体を低くして乗っていたりしていた。ハカイダ−もかっこよかった。うーん、また見たいよ。
2002年3月某日
キカイダーで思い出したのだけど、実は僕がこうしたヒーローもので一番好きだったのは「レッドバロン」であった。ひとつひとつのメカが凝っていて、武器にもテーマのようなものが感じられた。レッドバロンが、少し動くだけでも興奮して見ていたのだった。いろいろ調べてみると、『レッドバロンSPECIAL
COMPLETE BOX 』(http://www.tdf.toshiba.co.jp/tdf/dvdsoft/soft/tdbd-1001.htm)というDVDが出ているみたいなのだけど、いくらなんでも44,800円(税抜)とは高いよなぁ。
2002年3月某日
3月の最後の日にドルフィンホテルのオフ会が新宿にて開催された。ひょっとすると今年初めてになるのだろうか。集まったメンバーは4人。少ないと言えば少ないか。でも、自宅から新宿までの平均移動距離は100キロくらいにはなっているのではないだろうか。これはすごいではないか。
新宿3丁目の交番のところで待ち合わせをした。初めてのメンバーと顔を会わせるのは実はとても緊張する。ドキドキ。隣のセゾンビルの中のお店に入る。ついつい入ってしまった店がとっても凄かった。「膳丸」というまあどこにでもあるお店に入ったのだが。リニューアルという表示を見て、まあキレイなのだろうな、くらいの気持ちで入ってみると、アベックでしか行っちゃいけないような雰囲気のお店になっていた。初めてオフに参加の女性に会う雰囲気かもしれないかと思ったが、しばらくして彼女の雰囲気とは正反対だったことがあとで判明(こんなことを書くとあとで怒られるかな……)。でもまあ、たまにはこういうお店もいいだろう。オシャレなお店でディープな話題を楽しんだ夜だった。
2002年3月某日
オフ会でモータースポーツの話題が出た。F1での佐藤琢磨について、そして2輪のレースの最高峰であるWGPについて。WGPでは日本人ライダーが数年前から大活躍しているのである。その中でも原田哲也についての話題で盛り上がった。たぶん、彼はヨーロッパでは一番知名度のある日本人ではないだろうか。日本では全然といっていいほど知られていないのだけどね。なんと原田哲也は公式ホームページ[
t e t s u y a 3 1 . c o m ](http://www.tetsuya31.com)を開いていた。どうやらリニューアルしたばかりのよう。このところプロスポーツ選手が公式サイトを持つことは多いが、このサイトはそのデザインが最高にかっこいいのではないだろうか。シンプルなのだけど、かなり凝っている。これから彼がどのくらい文章を書いてくれるかはわからないが、とにかく今年注目のウェブサイトになるのでは。
(2002.4.2)
DOLPHIN
HOTEL
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