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読書夜話2002年5月前半
酒を飲まずに本を読んで編



2002年5月某日
 このところの読書夜話では、むかし話が多くなってしまっているような気がする。なんだか凄くかっこ悪いと自分でも思っている。よって、もうむかし話はしないことにしよう。みらい話というものができるかどうか、難しいところではあるが。もちろん、過去と未来の違いというものが何であるのか僕にはよくわかっていない。
 実は今回のこの読書夜話は本の話がこれまでになく多い(笑)。自分でもびっくり。これが読書夜話の本来の姿なのだろうか……。

2002年5月某日
 W.P.キンセラの書いた本を読んだ。あの『フィールド・オブ・ドリームス』の作者である。その本のタイトルは『マイ・フィールド・オブ・ドリームズ イチローとアメリカの物語』(講談社)というもの。そう、メジャーリーグで活躍するイチローの話である。
 イチローについて、実はそんなに目新しいことが書かれているわけではない。「日本のメディアでイチローはこんなことを言っていた」というような内容が多い。でも、この本には驚かせるようなことがいろいろと書かれてあった。
 メジャーリーグというとどうしても大味の印象があった。ホームランをどんどん打つことこそが野球であって、バントに代表されるチームプレーは少ないような。そして、自己アピール。高い年俸を求めてチームを移っていく。
 実際このようなことがこの本でも書かれている。でも、このようなアメリカ人は同じアメリカ人からも嫌われているのだという。
 この本の中でイチローを語る上で繰り返されて出てくる言葉が「謙虚さ」である。イチローのその謙虚な姿勢が素晴らしいと、褒め称えられ多くのファンがいるというのだと。それは、チームのために自己を犠牲にすることにも繋がる。そして、細かな計算された頭脳的なプレーが素晴らしいと。精神的なことが素晴らしいといろいろと書かれている。イチローが自分のグローブを自分で磨くということについても。
 なんだか、メジャーリーグとそのファンのいるアメリカという国が違った国のように見えてきた。野球をあまり見ないよ、という人が読んでもアメリカを知る意味で面白い本だと言えるのではないだろうか。
 そうだ、面白いことが書かれていた。「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉があるけど、アメリカにも同じようなのがあって「ベースボール、マザー、アップルパイ」というのだとのこと。なんでこんなに似ているのだろうか。

2002年5月某日
 長嶋有を『猛スピードで母は』(文藝春秋)を読んだ。この作品はなんと芥川賞を受賞しているのであった。うーん。こうした賞というものはよくわからないのだけど、昔はわからないなりにそれなりに納得できるものがあった。最近は何が何だかわからないですね(笑)。もともと僕は賞というものを積極的に指示する人間ではないので、あまり気にしないというかどうでもよくもあるのだけど。

2002年5月某日
『何もしない贅沢 The Art of Doing Nothing』(光文社)という本を読んだ。ヴェロニク・ヴィエンという人が著者で、エリカ・レナードという人が写真の撮影をしている。全米では50万部のベストセラーだそうだ。そして、岸本葉子がこの素敵な本を訳している。
 さっと読める本なのだけど、心に残る言葉が散りばめられている。呼吸をしたり、昼寝をしたり、お風呂に入ったり、何気ないことがとても意味のあることに思えてくる。ところどころに、日本の、東洋の習慣のようなことも書かれてあったりする。振り返ると、身近なところにリラックスできる、とてもいいことが隠れているのかもしれない。ただ単に、自分から離れていただけなのかも。
 この本は、とてもクールなウェブサイトのように感じられる。モノトーンの写真と、文章のタッチがそう思わせるのだろうか。
 正直なところ、アメリカでのベストセラーということで読む前はちょっと抵抗があった。うまく言えないけれど、ニューヨークのキャリアウーマンが「何もしない」ころを贅沢ということに、田舎者の勝手な違和感のような。
 へそ曲がりの僕でもすんなりと読んで楽しむことができた。この本はこの後、『不完全でいる贅沢』『年齢をかさねる贅沢』と続いていくのだという。
 僕は英語は全く苦手なのだけど、それぞれの章の英語のタイトルを読むのもけっこう楽しかったりする。訳されている日本語も楽しめるし、それがまたこの本の良さになっているのかもしれない。

2002年5月某日
 兵庫県の小学校教諭の陰山英雄(http://www2.nkansai.ne.jp/sch/hpkage/)という人の書いた『本当の学力をつける本』(文藝春秋)という本を読んだ。「陰山メソッド」というのは今かなり注目されているらしい。
 正直なところ、かなり面白く読んだ。実際に僕が小学生のときにこの先生がいたら、かなり反抗していたかもしれないけど(笑)。
 このメソッドを簡単に僕の解釈で書くと、「読み書き計算」の力をちゃんとつけようということ。そのために、音読すること。そして、「百ます計算」といった時間を測っての問題を繰り返しやっていくこと。他にもいくつかあるのだが、この2つが中心になるのだろう。
 実際、この2つのことというのは、この数年僕が大切だと感じていたことと同じだった。そうした意味でけっこう興味深く読めたわけである。
 この本のひとつのテーマは「新学習指導要領」についてである。これからの日本の教育がどうなるのか。そして、その中にこのようなメソッドの要素が入ってくることはあるのだろうか。とても、興味深いと思ったけど。

2002年5月某日
 今回の読書夜話もパンツの話がある。期待してもらっている方には残念かもしれないが、パンツはパンツでもブルージーンズのことであった。けっこう売れているのではないだろうか。アン・ブラッシェアーズの『トラベリング・パンツ』(理論社)である。10代の仲良し4人組の女の子の夏休みの話。4人の辛いこと楽しいことを結びつけ、勇気を与えてくれるのがこのジーンズなのである。とても楽しく読めた。
 考えてみると、女性同士の(しかも4人も)友情の物語というのはこれまで無かったのではないだろうか。例としては大きくそれてしまうかもしれないが、藤沢周平の『蝉しぐれ』には男同士の友情というものが描かれている。バカなことをやって、いつの間にか大人になっていく。単に僕が女性同士の友情の物語というものを知らないだけなのかもしれないけど。

2002年5月某日
 この本は正直に言って面白かった。佐野眞一の『だれが「本」を殺すのか 延長戦』(プレジデント社)である。ちゃんとした書き下ろしということではなく、前著である『だれが「本」を殺すのか』の出版後の講演や対談などがまとめられている。特に一番良かったのは、最初にあった「佐野女子高」での講演である。名前の通り、高校生を対象にした話なのだが、ノンフィクションという意義、出版界について、本を読むことについてとてもわかりやすく書かれている。高校生や中学生、多くの人にこの部分はぜひ読んで欲しいと思ったくらいである。例えば本を読むということについて「本当にいい本には、実は解答はありません」(P34)、「本と対話することによって、自分のヘドロ化するかもしれない内面を攪拌する」(P39)などということが書かれている。もちろん、部分的にこのような言葉を出してもよくわからないけれど、本を読むということがとても意味のあることだと思え、もっともっと本を読みたくなってくる。
 本についてこの本で印象に残ったことをもう少し。
「本というのは遅効性のメディアだといいます。冷や酒と同じであとからじっくり効いてくる」(P56)と書かれている。
 今という時代はあまりにもすぐに結果を求めすぎているのではないだろうか。インターネットについても全く速すぎて僕なんかには全くついていけない。本を読んでの感想というものは、すぐに書けるものではない。実は10年、20年と時間が経ってからその本の良さというものを感じるのかもしれない。そういったスピードで本の話ができないだろうかというのが、僕のこのドルフィンホテルの考えなのだけど。それが、ウェブサイトとして成り立つのかどうかと問われると難しいのだけど、僕は自分の好きなようにやっていきたいのである。
 本を読むというだけでなく、色々なことに対してもっとゆっくりと進んでいきたいと静かに思っている。

2002年5月某日
『だれが「本」を殺すのか 延長戦』に書店は読者に本を読んでもらうという努力が足りないのではないか、というようなことが書かれていた。確かに僕も感じたりする。もちろん安易にこんなことを言うのは失礼なことになるが。先日、デパートの地下でお弁当を買った。活気のあるデパ地下というのは、人込みが苦手な僕だけど、好きな場所だったりする。見るだけで買わないことが多いのだけど、色々な食べ物が「私を食べてください」と声を掛けてくれる。販売のお姉さんもおばさんもおじさんも、とてもいい顔をしている。
 僕は銀ダラの弁当を買った。ちょっとした贅沢だった。お金を支払ったときに、店員さんは「おいしくお召し上がりください」と笑顔で言ってくれた。この表情を見ただけで、この日はとてもいい一日だった。もちろん、この弁当も美味しかった。
 書店で本を買ったときに、こんなに笑顔で本を渡してもらったことはない。もちろん、デパ地下というところは競争が激しいところであり、書店の店員さんにはハードボイルドに対応するというスタイルがあるのかもしれない。
 デパ地下のような本売り場があったら楽しいのではないだろうか。小さな売り場はそれぞれ、独立した店主がいる。その店主が面白いと思った本をその限られたスペースで売るのである。お客はあちこち歩きながら、店員の話を聞きながら、本を選ぶ。そして、夜の7時を過ぎるとちょっとばかり安くなってくれるのである。

2002年5月某日
『本コロ2』(と読んでしまっているけれど『だれが「本」を殺すのか 延長戦』のことですね)を読んでから、本を読むということは何なのだろうかとか、いろいろと考えている。確かに、この2、3年でとても本を読む人が少なくなっているように感じている。もちろん、僕の周りというか僕の感覚でしかないのだけど。
 少し前に読んだ『ファストフードが世界を食いつくす』という本のことを思い出した。ファストフードの広がりに比例して、読書というものが少なくなってきたのではないだろうか。
 データとしての裏づけなどはもちろんない。時間の掛かることを、じっくりと噛み砕くということが次第になくなっている世界になっているような。
 今、「おさかな天国」という曲が流行っている。僕は魚が好きなのだけど、本を読むということはこの魚を食べることに似ているのかもしれない。例えば、秋刀魚などを頭と骨を残し綺麗に食べる。丁寧につっついて味わう。ハンバーガーを食べることとは全く違ったことである。別に僕はハンバーガーが嫌いではない。何でも食べる。けれど、僕も少しずつ年齢を重ねて、自然のものが好きだと思うようになってきているようだ。自然なんて言葉を使うと、確かにちょっと違ってくるかもしれないが、本を読むということは僕達にとってとてもシンプルなことなのではないだろうか。

2002年5月某日
 F1オーストリアGPをテレビで見ていた。僕はフジテレビでF1が放送されるようになってから、ほぼ毎レース見てきた。その中でもけっこう衝撃的なクラッシュだったのではないだろうか。佐藤琢磨は無事で本当によかった。あらためてF1というのは危険と隣り合わせだということを感じた。
 たぶん最近のF1というのはそんなに危険がイメージは無くなってきていたのではないだろうか。
 僕が最初にF1のスピード感というものを体験したのは映画でであった。1978年に公開された『ポール・ポジション』というドキュメント映画だった。ちゃんとロードショーで公開されていたのである。この映画のあと、『ポール・ポジション2』『ウイニングラン』『グッバイ・ヒーロー』『グレート・ドライバー』と、思い出すといくつかの作品があった。まだテレビでの放送はなく(TBSでやっていたようだが、地方に住む僕は見ることができなかった)映画館でF1の迫力というものを体験していたのだった。またこういう映画を映画館のスクリーンで見たいのだが……。
 迫力はあったのだが、残念ながらこうしたF1映画の創りというものは、クラッシュシーンが中心となったものだと記憶している。もちろん、かなり昔見た映画であり、そうした部分だけが僕の記憶に残っているだけかもしれないが。危険だ、危険だという印象だけがとても大きかった。もちろん、現代と比べるととても危険だったのだが。
 F1はこの数年安全対策というものが進み、オーバーテイクの場面が少なくなってきた。それはつまらないことでもあるのだけど、大きなクラッシュを見ると、やっぱり事故のないようにと強く思ってしまう。

2002年5月某日
 岸本葉子の新作『目指せ!「大人の女」』(PHPエル新書)を読んだ。このタイトルを見ると、男が読んでいいのだろうか、と思ってしまうよね。書かれている内容は別に女性だけが対象になっているわけではないのだけどね。テーブルマナー、足と靴について、話し方、贈り物と礼状、掃除、身体のこと。これまで実はよくわかっていなかったことが、この本によってしっかりと勉強できる。岸本葉子のこうした視点はとても好きだ。ちゃんとストライクを真っ直ぐ投げてくる。彼女が日本代表の監督をやったらならば、とてもシンプルに誰もが納得するメンバーを選ぶのではないだろうか(ええと、これを書いているのは17日なのであった)。そうそう、断食体験についても書かれていて、これは僕も興味があったりする。
 それから実は全く目立っていないけれど、この本の良さは本文のイラストである。岸本葉子さんがモデルなのだろうけど、すっごく可愛いのだ(笑)。僕はこのイラストを書く山口さやかさんのファンになってしまったのであった。

2002年5月某日
 映画『アザーズ』(http://www.others-jp.com/)を見た。アレハンドロ・アメナバール監督、トム・クルーズがプロデュースをしている。この映画の前評判は怖い映画である。僕は怖い映画は苦手である。なんでお金を払って怖い思いをしなければならないのか、正直なところよくわからない。この映画も実はそんなに積極的に見ようとしたわけではなかった。新宿に着いたときに、時間的にタイミングの合うのがこのくらいしかなかった。
 見終わった感想としては、グッドである。もちろん、怖かった。でも、ただ怖いだけでない。より深い、凍りつくような怖さが描かれているのではないだろうか。
 この映画を見た人と語りたい気持ちになっている(笑)。

2002年5月某日
 仕事の帰りについつい『文体とパスの精度』(村上龍×中田英寿/集英社)を買って、すぐに全部読んでしまった。この2人はなんとこの4年間くらい毎週のようにメール交換をしているんだね。「400通ぐらいある」なんて書かれている。すごい。よくも男同士でできるなぁ、と言ったらダメなのか(笑)。それから対談の中で2人の一日のメールの数も書かれてあって、個人宛で20〜30くらいと。人のメールの数が気になるというのも変な話なのだけど、このくらいの数の返事を出すのって、すごいと思いませんか。

2002年5月某日
 村上春樹の訳している本が出た。トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』(文藝春秋)である。さっそく読んでしまった。久しぶりに本を読むということの楽しさを味わったような気がした。村上春樹訳のイノセント・ストーリーズと呼ばれる山口容子さんの挿画での三部作『クリスマスの思い出』『あるクリスマス』『おじいさんの思い出』も好きで何度か読み返したりしていた。
 少年時代というものがこの本には書かれている。イノセントという言葉を使うとやや恥ずかしくもあるが、この本ではすっと読むこともできる。僕がこの短編集の中で印象に残ったのは「感謝祭の客」という話だった。僕は息をひそめてこの話を読んでいた。もっと早いうちに、10代の頃にカポーティに出会えたなら。もちろんそんなことを言っても意味がないことだろうけど。
 帯には「村上春樹が心をこめて訳しました」と書かれている。本の装丁もとても素敵なものだ。大切に本棚に置いておきたくなる。

2002年5月某日
 メールが届いた。返事は入りませんと書かれていた。その言葉に甘えてまだ返事は書いていない。名前もないメールだった。ウェブサイトをやっていることで、年に何度か(くらいだろう)メールをもらうことがある。
 ドルフィンホテルのあるコーナーの僕のエッセイに共感して、というものだった。メールを出してくれた人にとってはとても勇気のあることだと思う。その長いメールはとても僕を励ましてくれた。
 自分が好きで勝手にだらだらと書いているウェブサイトなのだけど、やっぱり不安になることもあるのである。しかも共感してもらったという文章は、かなり愚痴を書いたようなものだった。このメールを読んだときに最初は怒られたのかと思ったのだ(笑)。
 ちなみに、ウェブサイトがキッカケで親しくなった人との最初は、怒られたり、何らかの誤解があってということが多かったりしている。メールでの対応だけに、誤解のないように、お互いに丁寧に自分の気持ちを整理してコミュニケーションを取ろうとするのがいい結果に繋がるのかもしれない。
 今月はけっこう本を読んでいる。このメールを読んで、本を読むことの良さというものをこの人から教えてもらったようだ。「教えてもらった」というよりも、ちょっとした本を読んでいるときの表情を見せてもらったような感じだろうか。


(2002.5.18)

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