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読書夜話2002年6月後半
ワールドカップな毎日がやっと終わった編



2002年6月某日
 この読書夜話についてたまにお褒めの言葉をいただくことがある。しかし、何が良かったのかと聞いてみると納豆の話とか主に食べ物とか生活に関してのことだったりする。僕としてはとーっても不本意だったりしている(笑)。読書というものについて気軽に語ろうというのが狙いのはずが、読書はまったく関係ないような……。でも、この半月は1冊も本を読んでいないので、やりたくても出来ない本の話なのだけど。
 ということで、リクエストに答えてまずはスーパーマーケットについて語りたいと思う。本を読まなくても死ぬことはないが、食料を食べなかったら死んでしまうかもしれない。
 実はつい最近、駅前のスーパー(正確には高架線の線路の下に位置する)の閉店時間が8時から11時になった。8時ではちょっと早いよな、せめて9時くらいになって欲しいと思っていたのがいきなり11時である。これまでワールドカップで予選リーグを突破できなかった韓国がいきなりベスト4に入ったみたいなもんである。僕は帰りの遅い仕事なので、11時というのは大変ありがたいのであった。おまけに前は売ってなかったアルコールも置いてあるようになった。そんなわけで仕事帰りは、ついついこのスーパーに入ってしまうことになった。とにかく広い売り場なので、野菜売り場からお惣菜売り場まで2分くらいはかかるのである。いろいろと眺めているだけでも楽しかったりする。コンビニではこの楽しさは味わえないだろうな。特に野菜関係はポイポイと籠に入れてしまう。健康診断を受けたことによって少しは食事に気をつけようと思っているのだ。レタスは2分の1サイズ、キャベツは4分の1サイズを買ったりする。閉店前のお寿司にお弁当はとっても安くなっている。でも、11時のお寿司というのはちょっと待ちくだびれた様子もなくはないが。
 そんなわけで最近は仕事帰りのスーパーでのお買い物というのが僕の楽しみだったりしている。そして僕の食費に使う金額というものは確実に上がったような気がする。
 実はスーパーに関しての話題は前にもこの読書夜話で書いたことがあった。そう、うちから徒歩30秒のところにも新しく出来たスーパーがあるのである。閉店時間は11時。このスーパーが出来たときには、ほとんどこのスーパーで買い物をしていた。今はまったく逆転してしまっている。徒歩30秒といっても、帰り道の途中でなくちょっと先にあるためにやや億劫だという気持ちがある。このまま駅前スーパーが突き進むのだろうか。

2002年6月某日
 購入したビデオデッキがやっと活躍してきた。新しいキカイというのはどうにも苦手だったりしている。説明書を読んでもわからないし。そんなことでこのビデオも使われることなく数日が過ぎていたのであった。
 使えるようになってみると、けっこう簡単。Gコードを使えばあっという間に予約ができてしまう。素晴らしい。Gコードというものは噂には聞いてみたが、使ってみたのは初めてだったのだ。ビデオデッキは古いものも同時に使っている。よって、同じ時間帯に見たい番組があっても同時に録画できる。そして何よりもよかったのは、番組を録画しながら、既に録画してあるテープをもう1台で再生して見ることができることだ。ビデオに撮ってあとで見た方が自由に見ることができて好きなのである。これからはレンタルビデオで借りて見るということも増えるかもしれない。

2002年6月某日
 僕の友人のHは本が好きだ。彼は沢木耕太郎の話をするときに、ふと目を閉じて自分の世界に入ってしまうのである。好きな作家とそうでない作家と、やや癖はあるがなかなか良い奴なのである。このHは、人に自分の好きな本を薦めることがない。自分の薦めた本が、ぞんざいに扱われるのが我慢できないのだと言う。よかったと喜んでもらえたこともあったのかもしれない。けれど、途中でやめて「つまらなかった」と言われたこともあったのだろう。どんな感想が返ってきたとしても、Hが好きな本を思う気持ちには及ばないのである。
 もちろん勝手と言えば勝手なことだ。けれど、こうした気持ちはわからなくはない。同じような気持ちは何度も味わっている。最初から本を薦めるなんてしなければ何も問題はないのだ。
 ふと考えると、このウェブサイトは本を薦めるところだったりしているのだけど。

2002年6月某日
 外を歩いているだけで汗が流れ出る。ハンカチを手にして僕は冷たい飲み物のことを考える。昼間のお店のメニューにアルコールが載っていることは普通にある。けれど、そのほとんどがビールである。昼間からグレープヅルーツサワーを出してくれる店はあまりないのである。夏の休日のお昼の楽しみ。それは冷たいビールを飲むことだった。実はこの文章を書いている時点で20日と23時間も僕はビールを飲んでいない。健康上の理由によりビールをやめることにしたのだが、こんなにも辛いことだとは思わなかった。ウーロンハイを飲んでも、やはりビールとは全く違ったものだ。冷酒や冷たいワインも悪くはないけど、やはり汗をかいたところで飲む冷たいビールにはかなわないだろう。

2002年6月某日
 サクランボの季節である。うちの実家のあるところはサクランボの産地になっている。実家には1本ほどの木があり毎年送ってもらっている。それとは別に昨年からちゃんとしたサクランボ農家の商品を送ってもらうことにしている。これを人にあげたりしているわけである。今年はこのサクランボを少し自分でも食べてみた。実は僕は果物というのはそんなに好きではない。特にサクランボに関しては毎年ほんの数個食べて終わりだった。
 1パックのサクランボが僕の目の前にあった。スーパーに並んでいる小さなパックではない。ちゃんとした大きさのものだ。これを食べてみることにした。どんな食べ物でも「飽きるほど食べてみたい」という願望のようなものはあるかもしれない。特に女性に人気のこのサクランボ。このような気持ちを胸に秘めている人は多いかもしれない。僕は昼食代わりとして、このサクランボ1パックを食べた。いやいや、すぐに飽きてしまった。もう3年くらい食べなくてもいいかな。
 サクランボを食べて思うことは、そのタイミングである。人と人にも出会いのタイミングというものはある。少し気持ちに余裕のある人と、少し助けを求めている人。タイミングが合えばうまく話ができるかもしれない。けれど、ちょっとバランス、その時期がズレたりすれば気持ちは空回りするだけだったり。今年のサクランボは例年よりも美味しい出来だということだった。確かに美味しかった。これまで食べた中でも、1、2を争うほどの美味しさだったと思う。ただ、今年食べた全てが最高に美味しかったわけではない。送られてきたサクランボを冷蔵庫に2時間程入れて冷たくして、そのあとで摘んで食べたのが一番だった。なにしろ頬っぺたが落ちてしまったのである。
 サクランボという食べ物が採れるのはほんの数日間である。しかも、この時期は雨季で雨が降ると実が割れてしまったりもする。実家にいたとき、ほんの少しだがこのサクランボ採りを手伝ったりしたこともあった。脚立に上り、ひとつひとつ採っていく。小さく繊細な果実であり、当然虫がついていたりもする。大切に育てられ、食べることのできる時期は年に1度、ほんの数日で収穫され、人人の手に渡る。もちろん値段は高いけれど、年に一度くらい贅沢をしてみるのもいいのではないだろうか。サクランボの好きな方は、お店で買わないで農家から直で送ってもらうのが良いでしょう。

2002年6月某日
 ジュンク堂書店のエスカレーターを、外の景色を見ながらとりあえず一番上の階まで上って行く。特に目的はないけれど、店内を少し歩く。また、エスカレーターで下の階へと降りる。3階の文芸書のコーナーで新刊のチェックをする。1階でもう一度新刊のチェックを。ぜんぶでほんの10分もしていない時間である。何をするでもない。しかし、僕にとってとても貴重だったりしている。

2002年6月某日
 このところ「もやし」をよく食べている。身体によいというとても素晴らしい食べ物なのだという話を聞いたからだ。なにしろ安いのがいい。インターネットで「もやし」で検索してみるともの凄いウェブサイトを見つけてしまった。
「もやしのもっぴー知恵袋」(http://www.moyashi.or.jp/)という。「もやし普及委員会」というところが管理している。いかにもやしが素晴らしい食べ物か、ダイエットにもとてもいいということ、料理法なども載っている。こんな風に特定の野菜を普及しようというサイトが存在しているということが嬉しいではないか。他の野菜をいくつか探してみたが残念ながらなかった。もやしは素晴らしい。これからもどんどん食べて行こうと思っている。お薦めの「私のもやし料理法」があれば、ぜひ教えてください。

2002年6月某日
 実はこの6月の後半は1冊も本を読んでいない。途中になっている本はあるのだけれど、どうにもページが進んでくれない。読んでいるのは、海外を舞台とした本である。正直なところこうした翻訳本と言われる本は苦手である。名前がわからなくなる。人物の名前と地名さえもゴチャゴチャになったりしれくる。もちろん、面白い本も多くあることはわかる。読み入ってしまい時間の忘れることもあった。なんとか現状を打破しなければ。
 そこで僕は新たなる読書ライフを切り開くために、新プロジェクトを立ち上げることにした。そのプロジェクトは「ビデオ・イメージ・トレーニング for リーディング」という。略して「VITR」。翻訳物の小説で、映画になっているものをどんどん見てその世界を映像で感じようというものだ。なにせ僕はご飯党、英語など外国語もからしきダメ、世界史も苦手だった。外国が舞台の小説を読むならば、少しは外国の生活というものを感じて行きたいということである。
 さっそく、レンタルビデオの店でビデオを借りてきた。第1弾は『冷血 IN COLD BLOOD』(ジョナサン・カプラン監督)である。そう、原作はトルーマン・カポーティである。カポーティーの『冷血』(新潮文庫)は、3年ほど前に100ページで挫折していた。
 2本組のビデオはとても重みがあった。面白かった。静かに話は淡淡と進んでいく。もちろん、小説はまた違ったものかもしれないけれど、細部には丁寧な表現というものがあちこと感じられた。本を読んで新しいストーリーを感じて行くのも楽しいけれど、ちょっと別の本を読む楽しみ方もあるのだろうなと思うようになってきた。

2002年6月某日
 新聞や雑誌などの本の書評というものをあまり信用していなかった。本だけでない、映画に関してもだ。ほとんどの場合、良いことしか書かれていない。たぶん、書いている人だって困った挙句仕方がなく書いたものだってあるのだろう。本心とは別のことが記事になる。面白くもない本が、面白いと薦められる。そうした社会に疑問を感じてきたりもした。
 でも、この半年くらいだろうか。少しばかり僕の考えも変わってきた。本の話だけではない。人との付き合いでも同じである。
「短所は誰にでも言える、しかし長所を言える人は少ない」
 これは最近になって強く思っていることである。多くの人はとっくにこのように感じているのかもしれないけれど。僕はやっとこうしたことを思うようになった。
 何でもかんでも文句を言う人は多い。理論も整然としていて確かになと思うこともある。しかし、よい点をあげることのできる人って少ないのではないだろうか。短所の指摘というのは誰のものでもほとんど同じだったりしている。けれど、長所の指摘というのは、その人独自の視点、するどい人生観のようなものが表れてくる。とても難しいことのはずだ。
 そんなことを考えて書評というものを見ていると、これまでとは違った感覚で読めてきた。もちろん、面白くないものは変わることなく面白くないけれど。漠然とした話で申し訳ないけれど、最近の僕の少しの変化だ。

2002年6月某日
 このウェブサイトの掲示板を新しいものにした。自作掲示板といっても僕が自分でプログラムしたものではなく、他から借りて一部を修正したものである。それでも、レンタルの掲示板からは確実な進歩である。この先、この掲示板も完全に自分のオリジナルにしたいと思っている。
 実はこの引越にあたり少しの不安があった。それぞれの掲示板はとても独立したものとなっている。各掲示板に書いてくれる人の平均年齢なんて、確実に20歳以上の開きはあるだろう。それに「ドルフィンホテル」というサイトの一部だと認識していない人もけっこういるような気もしている。
 このウェブサイトをやる上での僕のささやかな希望になるけれど、自分の好きな作家を語るだけではなく、他の作家も好きになって欲しいというのがある。もちろん、ここは僕の趣味でやや片寄っているのかもしれないけれど。
 読んでいるだけだった、という人もいるのではないだろうか。これを機会に何か書いてもらえると嬉しいです。メールでほんのちょっとした感想などを書いてもらうのもとても嬉しいことです。どうぞよろしくお願いします。

<ワールドカップ特集 PART2>

2002年6月某日
 ワールドカップを見ている間、あちことのウェブサイトなどで観戦記、コラムのようなものを読んでいた。元サッカー選手の話、作家の話、どれも面白く読めた。けれど、もうひとつ足りないという気持ちもあった。このワールドカップではチケット問題やレフリーの問題など、FIFAについての批判もあった。しかし、僕がこれまで見てきたF1なんて批判を通り越して分裂騒動があったり、けっこう凄いことがいっぱいあったりするのである。僕はサッカーはあまり詳しくはないが、F1はかなり長い間見てきている。少しばかりだけど、サッカーの解説とかって物足りないように感じてしまっている。
 ワールドカップを語る人に、もっと他の分野の人がいたら面白かったと思うのだ。他の分野というのは何も日本のプロ野球出身者とかではない。「野球とは違うんですねぇ〜」なんて間抜けなコメントは聞きたくない。僕が聞きたいのは、F1の解説者の声だったりする。南米とヨーロッパとがぶつかり合うという点で共通していることが多い。他には、プロの将棋士なんかの視点も面白いだろう。いや、軍事専門家の人達がチームの戦術について解説するなんてのも興味深い。他には最近流行りの色彩コーディネーターからのユニフォームについての強さの分析というのも聞いてみたい。あとは、おばさん達のサッカー論議の声も聞きたかったような。こういうところに真実があったりするかもしれない。

2002年6月某日
 僕がどうしても馴染めないのはあのフラッシュである。セットプレーの時に、観客席からキラキラ光るカメラのフラッシュライト。照明が消えている状態だったら綺麗なんだろうけど、テレビで見ていてもあまり綺麗だとは思えない。写真に撮って何か楽しいのだろうか。もちろん悪くはないし写真を撮るのが好きだと言う人もいる。僕も会場に行ったら撮るかもしれない。でもな、あのフラッシュを見るとやっぱり疑問に思えてしまうのである。いっそのこと、セットプレーのときに照明を消してしまったらいいと思うのである。綺麗だし、選手の集中力も増すかもしれない。より感覚的、天才的なプレーが見られるのではないだろうか。

2002年6月某日
 ワールドカップを語るときに、歴史、経験、という言葉が使われる。でも僕はこうした言葉はあまり好きではない。確かにF1でもこうした言葉が使われたりはする。しかし、アイルトン・セナやミハイル・シューマッハを語るときにはあまり聞かれる言葉ではない。強い者は理由を問わず、上手く、速く、安くはない。
 日本は歴史を重ねて強くなっていくのだろうか。その歴史の先にフランスのように予選リーグでの敗退があるのか。それはそれでひとつの進化と考えるべきか。

2002年6月某日
 素朴な疑問。世界の一週間は一緒に動いて行くのだろうか。つまり日曜日というのはどこの国も基本的に休日になるのだろうか。スポーツイベントというものが、やはり日曜日に固まっている。このワールドカップの決勝も日曜日である。
 サッカーの試合はこの日曜日に固まっている。土曜日や水曜日にもあるけれど、どうしても日曜日が多い。今回のワールドカップでヨーロッパのゲームにどうしても興味が集まるのではないか。日本で生中継で放送されるのは夜、しかも深夜になる時間。
 僕は、土曜日・日曜日が休日でなく、日曜日・月曜日が休みになったほうが絶対にいいと思っている。サッカーだけでない。F1やWGPもあって日曜の夜は忙しいのである。これからは月曜日に会社で寝ている人が多くなるはず。日本経済を向上させるためにもいいアイデアだと思うのだけど。

2002年6月某日
 地元開催で目標が予選リーグ突破。間違いなくこの目標はクリアされると思っていた。なにせ日本のやることである。飛躍的な結果は出ないかもしれないが、こうした目標に対しては伝統のような強さがある。
 今だに不思議に思うことがある。日本国民体育大会という伝統行事についてだ。なんでかわからないけど、国体というのは開催県が優勝してしまうのである。そんな伝統は正直言ってくだらないと思うし、破った方がもっと楽になって、強くなっていくのではないかとも思うのだ。そんなわけで、僕は日本が予選リーグで敗れても、それはそれで良い方向に行くのではないかという気持ちもあった。けれど、日本は予選を突破してくれた。これはこれで凄く嬉しいことだったが。
 さらに上を目指した日本VSトルコ戦のあった宮城スタジアムは、2001年の国体の舞台となったところである。ワールドカップのスタジアムとしてあまりよくなかったのでは、という話が出ていたみたいなのだが、国体のスタジアムとしては似合っていたのではないかと思う。

2002年6月某日
 ブラジルがトルコに勝ち、決勝のカードがブラジルVSドイツに決まった日だった。スポーツ系のサイトにはF1の100万ドルの罰金のニュースが流れた。第6戦オーストリアGPでのこと、ゴール直前のチームオーダーでルーベンス・バリチェロがミハイル・シューマッハに優勝を譲ったとこがあった。そのあとの表彰セレモニーでの規則違反ということでフェラーリチーム(イタリア)と2人のドライバーに合わせて100万ドル(約1億2000万円)という罰金の裁定があったのである。ニュースのタイトルには「フェラーリ、“微罪”で済んだ」とあった。これだけの金額が微細というのは凄いもんである。
 それにしても凄いのはこの組み合わせである。ドイツ人のシューマッハの方がナンバー1ドライバーで、ブラジル人のバリチェロよりは、まあ上のところにいるのだけど、ひと昔前のF1でのスーパースターと言えば、ブラジル人のアイルトン・セナだったわけである。サッカーの強い国と、F1で強い国とは共通していたりしている。日本のポジションもまあ似たようなものだろうか。

2002年6月某日
 日本が勝ったというよりも、負けてしまったという気持ちの方が強く残っている。勝者というものは、世界203チームの中で1チームだけなので、ほとんどが負けた方になるが。
 さて、あちこちで日本の足りなかったところというのが語られている。決定力がなかったりとか、韓国のように気持ちが足りなかったりとか。しかし、勝ったものは強かったから。それだけではないかいな。
 とは言え、日本と韓国との違いというのは確かにあった。そこで僕がこの違いを分析し問題点を明確にしたいと思う。
 韓国が強かったのはあのユニフォームの「赤」にあったのではないか。キムチや唐辛子から連想されるイメージ、韓国代表のサッカーのスタイル。全てがこの赤というカラーにマッチしている。その国にはその国の色があるはず。でも、日本という国、日本代表チームのスタイルと「青」というカラーが一致していたのだろうか。なんでこのカラーが日本の色なのだろうか。かっこいいかもしれないけど、ちょっと違うのではないかと僕は思うのである。僕の思う日本らしいカラーというのは、もう少し緑がかっている。そんなにハッキリとした強い主張のあるものではない。
 そう、ワサビ色である。韓国のキムチ、唐辛子の真っ赤な色に対抗するには、日本らしい辛さのワサビ色しかない。主役にはならないけれど、必ず必要だったりする。稲本のように目立ちはしないけれど、明神のように影からチームを支える選手たちのチーム。日本という国、文化、こうしたものと代表チームのスタイルが一致するのがこのワサビ色なのである。しかもこの色はこれだけで自己主張はしない。他の食べ物との調和こそがワサビの特徴である。他の食材を生かす11人になって人数以上の力を発揮するのである。
 お寿司の、ネタとご飯の間に位置するように隠し色となるようなものなのだ。つまり、ユニフォームのカラーというのはこれまで通りにブルーでいいだろう。しかし、アンダーウェア、パンツなんかはワサビ色のものにするのである。ゴールを決めて、喜んでユニフォームを脱ぐシーンがあるが、その時に初めてこのワサビ色のシャツが表に出るのだ。なんと感動的なことだろうか。
 全ての人がジャパン・ブルーのユニフォームを着て応援するというのはけっこう難しい。けれど、下着がワサビ色のシャツとパンツだったなら、スーツの下で仕事中でも応援できるのである。第2のユニフォームと言うべき、ワサビ色のシャツとパンツは売れに売れるだろう。そうすれば日本サッカー協会に入るお金も多くなる。余裕を持って選手の育成ができる。ワサビの辛さというものも再認識される。日本食がブームとなり、日本という国、文化が見直されることになる。日本のサッカーの未来は明るいではないか。

(2002.7.3)

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