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読書夜話2002年7月
#1
◆ 宣言
この7月最初の読書夜話から、ほぼ週刊にしようと思う。いつ書き込みができるかわからないので、完全な週刊というわけではなく月に4回というペースで考えている。もちろんこれからやってみなければわからないけど(笑)。
思えば、ふとした思いつきのようなことで今年の1月から月に2回の読書夜話とした。少しだけ自分を褒めたいのだけど、昨年までの月1回のときと、量的には変わらない状態で月2回になった。月に4回になったらどうなるのだろうかという不安もある。でも、なんとか量的にも内容的にも落とすことなくさらにパワーアップした状態でやっていきたいと思う。
◆ ジョン・アーヴィングの映画
ビデオを借りてきて見た。
『サイダーハウス・ルール THE CIDER HOUSE RULES』 監督ラッセ・ハルストレム 原作・脚本ジョン・アーヴィング(http://www.asmik-ace.com/Cider/)
ジョン・アーヴィングという人は1冊か2冊読んでいたのだろうか。村上春樹が翻訳とかもやっている関係でけっこう興味はある。原作だけだけだと思っていたら、脚本まで書いた。
なんといったらいいのだろうか。イノセントな映画だったというのが僕の感想である。人は、良いこともすれば、悪いこともする。そうしたことが胸に静かに響いてきた。テーマ曲が今も耳に残っている。
アーヴィングの小説は他にもいくつか映画になっているはず。探して見てみようと思う。
◆ 牛肉
狂牛病について少し書いてみたい。実は、何が問題で何で多くの人は牛肉を食べないのかが僕は全くわかっていないのである。問題になったときも普通に食べていた。ただこのところ健康上の理由により、肉よりも魚、という気持ちが強く以前よりは牛肉を食べることはずっと減ったが。
少し間になるが、狂牛病についてインターネットで調べてみたことがあった。仮に狂牛病になった牛肉を食べてしまった場合、どうなってしまうのかよくわからなかったからだ。実は調べてみても、詳しくはわからなかった。もっと調べればもっとわかるのかもしれないけれど。
日本において、狂牛病の肉を食べて病気になったという人はいないと思うのだけど。仮に狂牛病になった牛がいたとしても、脳、脊髄、眼及び回腸遠位部以外の部分からの感染はないと言われている。つまり普通食べる部分というのは何ら問題がないはずなのだが。もちろん、気分的にはあまり良くはないだろうが、こんなに大騒ぎすることなのだろうかという疑問が多いにあるのだが。もちろん、この狂牛病に関しての情報というものはいろいろあって、安全ではないという意見もあるだろう。でも、本質的な問題はからちょっとズレたところで牛肉が食べなくなってしまっているような気がしている。
安全でない食べ物なんて他にいっぱいいっぱいあると思うのだけど。
◆ スピード
ADSLが速くなるというソフトを買った。正確に言うと、ビックカメラのポイントを使って買ったので現金は使っていない。ちなみに僕はYahoo!BBに加入している。最初の頃は「おおお、速い!」と感激したものだったが、今は何ともない。人というのは勝手なものですぐに慣れてしまう。他のADSLと比較することもないので、なんだかよくわからないでいた。このソフトをインストールして計測してみると2.63Mbpsという数値、確かに速くなった。でも、使ってみてちょっとは変わったのかなぁという程度。1週間ほど経った今では何が変わったのだろうかと思うようになった。
別にこの製品に文句があるということではなく、スピード感というものは曖昧な感覚なのかもしれないな、ということである。
スピードと言えば、僕の使った最初のモデムは300bpsというものであった。送られてくる文章はそのまま読むことができた(笑)。
◆ メーリングリストでの会話
このドルフィンホテルにはメーリングリストというものがある。言うなれば会員制のクラブのようなものである。このサイトをふらりと訪れてくれた人は、メーリングリストの中で常連のメンバーが本の話で盛り上がっているだろう、と思っているのかもしれない。
しかし(笑)、実態をバラすと月のメール数が10件にもいかないようなところだったりしている。この先どうしようかという悩みもなくはないが、ここが本館であるという、柱があるだけで安心できるという気持ちもありそれなりに大切ではある。
インターネットの世界では一時期このメーリングリストというものがかなり流行っていたと思う。今も流行っているのだろうか。僕は以前はいくつかこうしたメーリングリストに入っていたが、今は全くない。なんで興味がなくなったのか、よくはわからないけれど。
インターネットといってもいろいろなシステムがあって、どんどん変化しているのかもしれない。
◆ おばさんの不気味な笑い
スーパーでお買い物をしていた(ルンルン)。豆腐売り場でのこと。僕はだいたい一番値段の安い絹ごし豆腐を買うことが多い。なぜか子供の頃から家ではいつも絹ごしだった。木綿豆腐はあまり食べた記憶はない。子供の頃と言えば、お豆腐売りのおじさんの「とうふぅ〜」という声が聞こえたところで母親からボールと小銭を渡されて買いに行っていた。今の若い人は何を言っているかわからないだろう。
ちなみに、僕の姉の嫁ぎ先では絹ごし豆腐を食べることはないのだという。おもしろいものだ。豆腐占い、なんてのがあってもいいような気がする。
ただいつも安いものだけでなく、たまには僕も高級なくみ上げ豆腐なんてのも買うこともある。あと、玉子豆腐も好きだ。そう、この日僕はどの豆腐を買おうかと悩んでいた。隣のおばさんがちょっと邪魔で賞味期限がよく見えなかったが、とても悩んでいた。少し変化をつけるのも悪くは無い。これまでと違った豆腐を食べることによって、新しい自分というものが見えてくるかもしれない。そんなとき、突然隣のおばさんが手にした豆腐(どんな豆腐だったかは覚えていない)を僕の買い物籠に入れようとした。手が離れようとするコンマ何秒かで気が付いた様子。夫婦で買い物をしていたようで、旦那の持っているカゴに入れようとしたのだった。突然おばさんは笑い出した。主人と思われる人はすぐ近くにはいなかったが。僕には謝ることもしなかった。ただ、ひたすら笑っていた。僕はその場に居たたまれなくなり、豆腐を買うことなくこの日の買い物を終了したのだった。
◆ 地底探検
僕は新宿駅の深い深い通路を歩いていた。大江戸線の地下鉄に乗るためである。どうやら次の電車がホームに来たようだ。僕は走った。この日は休みで別に電車の一本を遅らせようが問題はないのだけど、ついつい走ってしまうのが東京人の習性というものなのだろう。
なんとか間に合いこの電車に乗ることができた。ギリギリというわけでもなかった。ちょっとばかしハーハーゼイゼイ。
新宿駅の大江戸線、この車両は先頭車両だった。何度もこの地下鉄には乗っているが、先頭車両に乗るのは初めてだった。前方の景色がそのまま僕の視界に入っていた。普通に地上を走る電車の先頭で前方の景色を見たことは何度かあった。でも、地下鉄の前方の景色とはどんなものだろう。僕は本を読むこともなくこの景色をじっと見ることになった。
面白かった。実に面白かった。もちろん、そのほとんどは暗いトンネルの線路が見えるだけである。しかし、カーブがあり、さらにアップダウンがある。その先に微かな灯りが見える。その灯りというのは次の駅だ。ホームになっても急にスピードが落ちるというわけではない。まだそれなりのスピードのはずなのに、僕のいる前方を見る視界からはホームに立つ人の姿が止まっているように見ることができるも。もちろん、それはほんの一瞬のことだ。それでも、熱心の本を読んでいる姿が目に入る。やっと電車は減速し、ホームの一番先のところで規則正しく停車する。こんなことを何度も繰り返すのである。特にアップダウンの景色には美しいものがある。
まるで、東京ディズニーシーのクリスタルスカルの魔宮かセンター・オブ・ジ・アースのよう。TOKYOというテーマパークを移動しているような気分でもある。特のお薦めの東京観光なのだけど。ところで、詳しくは知らないけど「電車でGO!」というゲームソフトがあるらしい。地下鉄編というのはないのだろうか……。
◆ 言葉
食べ物について話をしていると、「不味い」という言葉がよく聞こえてくる。たまにではなく、ごくごく普通に出てくるのではないだろうか。僕がこの言葉を聞いて不快に思ったのは何年か前にタイ米が出回ったときのこと。友人は「不味くて食べられない」と言っていた。たぶん、「不味い」=「美味しくない」ということで使っているのだろう。同じでないにしても、ちょっとしたランクの違いなのか。
僕にとって、「不味い」と「美味しくない」という2つの言葉は明確に違っている。「不味い」というのはただ単に美味しくないというだけでない決定的な宣言のような印象があるのだけど。例えば外食の時「不味い」とどこかのお店で思ったならば、その店にはもう二度と行かない。料理を作ってもらった人に対して「不味い」ということはありえない。仮に言ったとしたらもう二度と会わないくらいのこと。
たぶんこうした言葉の感覚は方言と同じようなもので、地域などによっても違いはあるのかもしれない。でも、僕はどうにもこの言葉を聞くのは嫌なのである。言葉が大切にされていないような。こんなことを思っているのは僕だけなのだろうか。
◆ 心理
渋谷まで映画を見に行った。いつもは新宿なので遠征したなぁという感じだった。それにしても渋谷は人が多い。もちろん新宿だって銀座だって人は多いのだけど、渋谷の人込みはなんだかとても疲れた。僕を受け入れてくれる街ではないのだろうか。
でも見ようと思った映画はこの渋谷でしかやっていなかったのである。
『es[エス]』オリバー・ヒルシュビーゲル監督(http://www.es1.jp/)
実際に行われた「実験」の映画化と言えばいいのだろうか。新聞広告で募集された男たちが2週間被験者となる。「看守役」と「囚人役」に分けられ模擬刑務所の中で過ごす。
はたして人はこの状況でどうなるのだろうか? もちろん映画になっているわけなのでただ何もなく終わることはない。とにかく怖い映画だった。見終わってから、普通の気持ちではいられなかったみたいだ。
閉ざされた状況と対立する人間関係。僕はこの映画を見て、インターネットという世界のことを考えた。実はこの映画と似たような何かがあるのではないか。
◆ カレーライス
突然カレーライスが食べたくなった。夜の11時20分くらいのことだった。なんでこんな気持ちになったのかはよくわからない。台所にはカレーのルーはある。タマネギとニンジンもある。ご飯も冷凍庫に入っている。作ることも可能ではあったが、とにかく今、食べたかった。僕は外の世界へとカレーを求めて旅だった。まずはコンビニエンスストア。3軒まわってもお弁当コーナーにカレーはなかった。レトルトパックでは嫌だ。街をさまよった。ようやく〇屋でカレーの文字を見た。夏ということで、何種類かのカレーがあった。自動販売機の前で悩んだ。なんでこんなにも悩むのだろうか。普通のカレーか、夏野菜のカレーか、他にもあったように思う。僕の指は夏野菜のカレーのスイッチにいった。
残念ながら僕の舌にはまったく合わない味だった。前に自分でつくったカレーの方がずっと美味しいぞ。ところで、カレーというのは何で家庭の味とお店の味がこんなにも違うのだろうか。お店で普通の家庭で食べるような、ジャガイモの入ったカレーを食べてみたいのだけど。
満足できないままにこの夜は部屋に戻った。なんだかとても悔しい気持ちだった。昔だったなら、美味いカレーを求めてまだまださまよい、満足できるまでに食べつづけていただろう。チャレンジするという気持ちを失ったのだろうか……。
翌日の夜、僕は自宅でカレーを作った。けれど、うまく作ることができなかった。リンゴがなかったのが敗因だろうか。残りは冷凍庫にある。どうしよう。さすがにこの次の日はカレーを食べることはなかった。熱意というものが足りなかったのか。
◆ 元気になる
岸本葉子の新作『女の底力、捨てたもんじゃない』(講談社)を読んだ。久しぶりに一冊の本を読み終えることができた。すっと読むことができた。よいマッサージを受けたような気持ちである。それでいて、読み終えてからレンジまわりの拭き掃除なんぞをしてしまった。とてもスタンダートと言えるエッセイがいくつもある。外食して頭にきたことなどが素直に書かれている。とても怒っているのだけど、嫌味がなく笑みがでてくる。そうそう、ひどい所なんかは「男はバカだ」と繰り返して書かれているのだ(笑)。
しかし、読み終えて元気になれる本というのは偉大だと思う。
◆ エッセイを読むことの変化
岸本葉子のエッセイを読んで、とても気持ちが休まった。エッセイはどんなに気持ちの沈んでいるときでも、すらすらと読むことができる。特に難解なことが書かれているわけではない。ほんの些細な日常のことだ。
ふと気がつくと、僕はこれまでに何人ものエッセイストを通りすぎていったことに気づいた。椎名誠、群ようこ、おもしろくて夢中になって読んだ。原田むねのりのエッセイも面白かった。もう少し前で言うならつかこうへいも面白かった。エッセイ、という名前ではないかな。日記と読んだ方がいいのかもしれない。とくかく僕はこうしたものから本を読む楽しさというものを味わった。
しかし、以前に読んだ人の新作を読もうという気持ちにはなっていなかった。読めば面白いのだろうけど、どうにも手に取ろうとは思わない。どうしてなのだろうか。でも、岸本葉子のエッセイならば読みたい。
この先、彼女のエッセイを読みつづけるだろうか。飽きてしまうことはないのだろうか。もしそうなってしまたなら掲示板はどうしよう……、などと悩んでしまった。
岸本葉子のエッセイは何が他と違うのだろうか。他の誰にも書かれることのない、ふだんの日常の風景が書かれているように思う。でも、明確に何が違うかと考えてもよくわからない。でも、この先も読みつづけたいという気持ちは確かにあるのだ。
◆ クーラーと共に過ごす夜
気がついたら咽が痛かった。時計を見るとそろそろ仕事に行く準備をしなければならない時間。見上げるとクーラーがつけっぱなしになっていた。リモコンの設定も22度という、もの凄い低い温度になっていた。書け布団(タオルケット)を掛けることもなかった様子。昨日の夜のことを思い出そうとしたが、なにがどうなったのかわからない。
そう言えば、毎年の夏、何度かこういうときはあったのだ。今年はその第1回目だったということか。
<ワールドカップ特集 PART3>
◆ 今さら言うことでもないけれど
ドイツ代表のカーンは僕が言うまでもなくかっこ良かった。たぶん彼が本を読む姿があったらな、とても絵になっていただろうと思う。
それにしてもこの男。33歳なんだ。66歳くらいに見えてしまうのだが。
◆ 日本サッカーを強くする
某スポーツライター氏はしきりに「日本では草サッカーが行われていない」と言っていた。僕はこの考えには反対する。今は時代が変わった草野球でさえ行われていないのではないだろうか。ちなみに僕はいつも野球をやって遊んでいたが、小学校の6年のときに昼休みはいつもグランドでサッカーをやっていた。あと、中学の体育の授業でやった雪上サッカーは最高に楽しかった。僕もサッカーをやっていた時代があったのだ。オフサイドは知らなかったのだが。
東京に住んでいて感じるのは、子供が走りまわるような緑や土の場所がないということである。こんな環境の中で草サッカーなんて言っても無理だと思うのだ。では、日本のサッカーが強くなるにはどうしたらよいか。
フットサルに似た次のミニサッカーを提唱したい。
(a)駅のコンコースサッカー
(b)空きビル活用サッカーボックス
(c)四畳半サッカー
だいたいにしてこの日本にはフットサルをやるような場所さえもないのである。では、広い場所というのは何処にあるか。駅のコンコースというものがある。ここでドリブルの練習をする。急いでいるビジネスマンやどこを歩くかわからない予測不可能な動きのオバサンの間を擦りぬけてドリブルやパスの練習をする。ぶつかれば当然怒られてしまうわけで必死になってやるしかない。日本の駅のコンコースの人込みは凄い。こういうところでの練習は間違いなく鍛えられる。
バブルがはじけてビルの空き部屋が多いと聞く。こういうところにカラオケボックスのようにフットサルサッカーボックスというのをいっぱい作るのである。カラオケボックスに行くようにこのサッカーボックスで汗を流す。サッカーが終わったら飲んで食べてカラオケができたら最高だろう。仕事や学校が終わってから仲間と気軽にできる、というのが重要である。
とにかく、小さく、狭くというのは日本人が最も得意とすることである。日本のサッカーのスタイルもこのことを改めて考えてみるべきではないか。つまり、狭いところでのミニサッカーを普及させていけばよいのだ。フットサルというのもあるが、まだまだ広すぎる。そこで四畳半という部屋でできる新しいミニサッカーを作る。四畳半という決まったスペースなので家庭でも簡単に出きる。畳なので転んで怪我をするということもない。狭さに対応した機敏な動きが嫌でも身につく。何よりも1対1の競り合いに強くなる。たぶん、ほとんどの人は四畳半サッカーなんてバカにするだろう。しかし、パケバイといったとっても小さな乗り物があって日本のWGPのライダーの実力は飛躍的にアップしたはず。いつの日か四乗半サッカーのワールドカップなんてのも開かれるかもしれない。
◆ 時の流れ
テレビでマラドーナの姿を見た。「痩せよう」と僕は強く思った。
◆ サッカー
実は僕はサッカーの戦術や選手のこう不調というものがわからない。テレビの解説者が仮に逆のことを言っていたならばその通り信じているかもしれない。こんな僕がサッカーについて語っていいのだろうかという疑問も持っている。よって、ワールドカップ特集は今回で終わることにする。
わからない、というのはルールとか戦術の話とかがわからないということではなく、テレビを見ていて、そのテレビで見る動きだけではどうにもわからないということだ。「今日は調子がいいですね」なんて言われても、普段を見ているわけではないので普通か絶好調なのかはわからない。解説者の言うことをそのまま信じるしかなかったりしている。テレビのボリュームを消してしまったならば、全然別の風にサッカーは感じられるのかもしれない。それでも面白く見ることができるのだろうか。
(2002.7.9)
#2
◆ お風呂読書
「恋愛偏差値」というドラマの第1回放送を見ていた。主人公の女性はお風呂で本を読んでいた。普通にお湯につかる。フタをギリギリのところまでして、テーブル代わりのような状態でその上に本を置いて。とても楽しそうだった。僕はこの場面を見て、藤田香織の『だらしなマンション購入記
第7回』(http://webmagazine.gentosha.co.jp/lazy-diary/lazy-diary_mansion-0701.html)のことを思い出した。今月の最初にアップされた彼女の日記には過去の暮らしについて書かれている。主にどんな部屋に住んでいたかということだったが。彼女には結婚していた時期があったのだという。その時にひとりでお風呂で本を読むことが楽しみだったと。誰かと一緒に生活をするということはある意味でとても大変なことである。
彼女がどんな格好でこのお風呂読書をやっていたかはわからない(笑)。藤田香織はこの後離婚し、ドラマの主人公も男性と別れた。たぶん、付き合い始めの頃は本の貸し借りなどもしていたのではないだろうか。
ちなみにお風呂読書を楽しむ岸本葉子はまだ独身である。ゴメンナサイ(笑)。僕もたまにお風呂で読書をする。
本を読むことが好きだという人は、人と接するのが苦手なのだろうか。それとも自分の世界を持っているのか。四六時中携帯で連絡を取り合うような関係も苦手なのかもしれない。
もちろんこうした相関関係に何か意味があるのかどうかもわからない。
2人で入ることができて、かつ読書しやすいお風呂があれば問題は解決するのか……。あんまり関係ないか。本を読むということは、なんだかとても寂しいことのように思えてきた。
◆ 日焼け
2ヶ月以上も前のことになる。GWのときに一日中外歩きをしたことがあった。最初は雨、途中からはとてもよく晴れた日となった。僕の服装は長袖、暑さのために少し腕を捲くり、肘よりも少し手首のあたりの位置だった。
実はこのときの日焼けの後が今も残っている。半袖のシャツを着るとこの日焼けがやけに目立ってしまう。日焼けについて気をつかう女性の皆さんの気持ちがちょっとだけわかったような気がした。どうしたらいいだろうかと悩みを相談すると、日焼けサロンに行ったら、なんて答えが返ってくる。なんとか目立たなくなったかなということで、やっと半袖シャツを着ることにした。これもひとつの経験なのか。
◆ もうひとつの東京
ロバート・ホワイティングの『東京アウトサイダーズ』(角川書店)を読んだ。映画化が決まっている『東京アンダーグランド』の第2部とも言える作品。あとがきを読むと、書き上げた作品を出版するにあたって、長すぎるという理由から前作になったのだという。
戦後から今日に至るまでの、東京の裏側の世界で生きてきたガイジンたちの話である。裏側の歴史というものが描かれている。多くの資料、インタービューを元に書かれたノンフィクション。とても読み応えがあり、至福の時を味わった。
それにしても、僕は彼の本が書店でこのように平積みにされているのを見ると、何とも言えない嬉しい気持ちでいる。たぶん、僕はこの人の著書はほぼ全て読んでいるのである。『菊とバット』(文春文庫)『和を持って日本となす』(角川文庫)といった作品は主に野球について書かれたものだった。まだ、日本人がメジャーリーグで活躍するなんてことは考えられなかった頃に書かれたものだ。確かどこかの時点で、もう野球については書かないと言っていたような気がする。
僕も読者として、野球とはまた別の角度から日本を描いた作品を楽しみにしていた。それがこんなにも凄い作品を書いてしまうなんて。もっともっと、ロバート・ホワイティングの作品を読んでみたい。
◆ 初恋
友人がこのビデオを見て泣いてしまったのだという。世間での評判もいいみたい。ということでさっそく僕もこのビデオを見ることにした。
『シネマ・イン・パラダイス−完全ノーカット版−』(監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ)
ちなみにレンタルビデオ店ではこの「完全オリジナル版」とそうでない普通のものとがあった。どこがどう違うのかわからないけど、ちょっと気になる。
最初の方は特に感慨深いものもなく普通に見ていた。ちなみに最近の僕のビデオの見方は1回で最初から最後まで見るということではなく、1日30分を何日かで見る。1日に2時間をまとめて見るというのはちょっと辛い。特に字幕なわけでテレビドラマを見るみたいに何かをしながらというのは出来ないから。今のところ1日30分ビデオプロジェクト(DV30プロジェクト)はうまく行っている。
物語は進んでいった。僕の目頭は少し熱くなってきた。頬を冷たいものが流れた。
世間で評判になっているように、友人がとても良かったというように、とても楽しい時間を過ごすことができた。
映画を見ながら僕はひとつの小説のことを考えていた。なんだか似ているような雰囲気があるような。
そう、藤沢周平の『蝉しぐれ』である。両方とも、少年時代から大人へと変わる長い年月が描かれている。両方とも、恋愛の物語でもある。
もちろん、舞台も時代もそれぞれ違っている。同じような何かがあると考えるのは、僕の都合の良い勝手なものかもしれないけれど。
見終わってからインターネットの検索サイトで「シネマ・イン・パラダイス」と入力した。見た人の感想の書かれているサイトがあった。いくつかの感想の中で、「オトコはなんで初恋の相手を引きずるのでしょうね」といった女性の書き込みがあった。やれやれ(笑)。そんなことを言われたら返す言葉はないよなぁ。
◆ 夏のお嬢さん
知り合いの女性が、人込みを歩いていると声を掛けられてウザくて大変なんですよ、と言っていた。確かに新宿、渋谷、池袋の繁華街は大変そうだ。見ていると腕を掴んで放さない人もいる。僕も夜の遅い時間になるとよく声を掛けられる……。断ってもついてくるのを振り切るのはとっても大変である。やれやれ。
僕は知り合いの女性に言った。「でもさ、女性の場合。声を掛けられるということは若くて綺麗だということじゃないの。声を掛けられなくなった……、と寂しいことを言っていた人もいたよ」
それに対し、「違うんですよ」と彼女は言った。田舎から出てきたようなちょっと野暮ったい人が声を掛けられるのだという。私はイケてないんです(シクシク)……、と。
しかし、この夏。この繁華街で。イケてる女性というのは、ほとんど水着姿で歩いているような感じではないだろうか。露出の傾向がどんどん進んでいるような。
◆ ギャツビー
これもビデオで見た。『華麗なるギャツビー THE GREAT GATSBY』(監督:ジャック・クレイトン 脚本:フランシス・フォード・コッポラ)
ロバート・レッドフォード主演。スコット・フィッツジェラルド原作の物語である。村上春樹はこの物語を自分でいつか訳したいとどこかで書いていた。村上ファンの僕は当然、この原作本を持っている。過去に2回か3回か、途中まで読んでいる。でも挫折してしまっていた。フィッツジェラルドの作品は他のいくつかは面白く読めたのだけど、この『華麗なるギャツビー』に関してはどうしても馴染めなかった。いつかちゃんと最後まで読みたい。ということで今回このビデオを見たわけだった。
この話も実は恋愛を引きずるオトコの話だったんだね。そのスケールたるや凄いのであった。どうのもわからなかったことがある。ギャツビーはデイズィのどこがよかったのだろうか。もちろん、恋愛というものに理由なんて必要ないのかもしれないけれど。この映画を見た人、本を読んだ人、ぜひ聞いてみたい。
◆ 変わっていくもの
好きな作家をずっと好きでいられるのだろうか。別に本を読むということでないにしても、何かを続けていくということはとても難しいことのように思える。
僕の友人で主婦をやっていたHさんはご主人にこんな話をしたのだという。「私のことをずっと好きでいるなんて言わないで欲しい。気持ちというものは変わるものだし、その変わった気持ちの中で続いていくことがあればいいのではないか」と。彼女は、永遠に何かが続くとは彼女は思っていなかったのだ。その2年後くらいに2人は離婚をした。
これまで僕は何人かの作家をとても好きになった。けれど、もう読まないという作家も相当多くいる。今僕が好きで好きでたまらなく読んでいる作家でも、これからどうなるのかはわからないかもしれない。本を読むということ自体も好きでなくなるかもしれない。なんだかとても寂しいことではあるけれど。
◆ 壊れていくもの
扇風機が壊れてしまった。クーラーと平行して980円の小さな扇風機を使っていたのだ。グリップがあり、どこにでも簡単に取るつけることの出来る、なかなか重宝なものだった。壊れたといっても、「壊れた」という言葉に該当するようなものではないと思う。ちょうど首振りの部分にあたるところのコードの一部が裂けてしまったのだ。問題ははっきりしていて、修理しようとすればできないことはないだろう。しかし、修理してくれるところがあるのだろうか。自分で修理するにしても、道具が必要で仮に直したとしても、うまく行かなかったならそこから出火する可能性もある。新しい扇風機を買ってしまった。なにせ980円である。なんだかスッキリしない気持ちでいる。こんなとき、多くの人はどうしているのだろうか。
◆ トイレの冷房
なんと現代社会に「トイレ専用冷房エアコン」(http://prodb.matsushita.co.jp/products/national/CK/CK-WC1.html)というものが登場したらしい。使う人はいるのだろうか、少し興味がある。トイレは暑い。ただでさえ暑いこの毎日、太陽の光の下で暑さを感じるのであれば、まだ何か許せるものがある。しかし、小さな個室の中、孤独に自分と向き合っている中での暑さはどうしようもなく辛い。
しかし、(全く予定はないけれど)トイレにクーラーを取りつけていいのだろうかという素朴な疑問がある。遺伝子操作というものに疑問を感じるように、良心に引っかかるのだ。クーラーという道具を使って、そんなにも人間は楽をしていいのだろうか、と。人間という生き物はこのトイレのクーラーによって大きく退化してしまうのでは。980円の扇風機だったらまあいいかなとは思ったりはするけれど。
◆ 小さな世界
仕事が終わってから駅へと向う途中、突然お寿司が食べたくなった。このところ新しい回転寿司がまあまあ良いのでついつい食べたくなってしまう。席につき、お茶を入れ、小皿に醤油を入れ、割り箸を手にする。回転寿司というものは待つ必要がないというところがいい。
僕はまずサーモンを手に取った。普通のサーモンである。ちなみにこの店には、焼きサーモンとサーモンしゃぶしゃぶというものあった。手にして食べようとする。しかし、この日は何かが違った。小さい。いつもよりずっと小さかった。そうだ。ここで僕は失敗したことに気がついた。
この日はメガネをかけていた。普段はコンタクト(使い捨て、ひと月交換のやつ)をしているのだが、週に2日ほどは眼を休めるためにメガネをかける。視力としては両者ともそんなに違いのはないのだけど、近いものに関してはメガネの場合はどうしても小さく見えてしまう。特にお寿司を食べる場合は、ひと回り小さくなってしまう。以前このことに気がついて、メガネをかけるときはお寿司を食べないことにしようと密かに決めていたのだ。ちょっと小さく見えるだけで、とても損をしたような気持ちになってしまう。この日はほんの数皿を食べただけで店を後にした。
◆ 軍事裁判
映画『ハイ・クライムズ』カール・フランクリン/監督(http://www.foxjapan.com/movies/highcrimes/)を見た。ジョゼフ・フィンダーという人の原作で『バーニング・ツリー』(新潮文庫)というタイトルになっている。
アメリカでは裁判所が舞台となった話がよくあるが、それと軍事関係が一緒になったようなものか。このところ日本の裁判制度が問題になったりしている。「東電OL殺人事件」のように公平に行われていないのではないかという声もある。では、アメリカの場合はどうか。この物語は軍事裁判が舞台となるが、なんだかあまり公平に行われていないようなのである。そんなところが、スリリングで実に面白い。ちょっと地味な映画だったのかもしれないが、けっこう楽しめた。
◆ 会員カード
とある映画館チェーンの会員になってしまった。値段は5000円、有効期限は1年間。映画を見たあとだと、また来ようという気持ちになりもの凄くお徳になるように思えてしまったのだ。ここで冷静になってこの会員カードが徳か損か考えてみる。
この会員の特典は通常1800円の映画が1回1000円になることである。他に1枚無料招待券が付く。5000円−1800円(招待券分)=3200円。1回見れば800円が安くなる計算なので、招待券の1回も入れて考えると5回見てちょうど元が取れる計算になるのか。6回目に行った分から800円お徳になる。やっとどのように徳になるのかがここでわかった。
もちろん、1800円というのは一番高い料金で、激安チケットで券を買うという方法もあるし、月に一度の「映画ファンサービスデイ」で1000円、「ファーストオンフライデー」で1300円、水曜日の「レディースデイ」に女装をして1000円で見るという方法もある。そうそう、前売りに、ペアチケットというものあったか。
でもまあ、現在月に約2回ほど映画を見に行っているが、僕はこの映画館に1年間で6回も行くだろうか。元が取れるのか、やはり難しいところかもしれない。
◆ 終わりなき戦い
アースの「ごきぶりホイホイ」(http://www.earth-chem.co.jp/products/index.html)を買った。間違えないようにしてもらいたいのだが、これは本ではない。
今住んでいるマンションは住んで2年半、まだ一度もゴキブリが出たことがない。でも、ちょっとした事情があり数年ぶりで「ごきぶりホイホイ」を買うことになったのだ。
ほとんど変わることのない製品だと思っていたのだが、その進化に僕は驚いた。
何が凄いかというと、「足ふきマット」なるものがついているのだ。ゴキブリがこの足ふきマットを通ることにより、ゴキブリの足の油分・水分を取り除き、より粘着力を増すのだという。他にも「デコボコ粘着シート」が装着されているなど、最新の装備に変わっていた。他にも「ポイ捨てつまみ」があったり、デザインが家のようで、至れり尽せりという感じだ。僕の部屋なんぞ、足ふきマットもなくえらい違いである。
しかし、この「ごきぶりホイホイ」というものの中に人間の英知とゴキブリの生存本能との長い長い戦いの歴史というものが詰まっているのかもしれない。これから人間とゴキブリはどのように戦っていくのだろうか。最近はこの「ごきぶりホイホイ」の他にも、いくつかのゴキブリ撃退商品が開発されている。しかし、「ごきぶりホイホイ」というのは素手や刀を使っての戦いのように、戦いの原点だと思うのだ。これからもゴキブリは頑張るのだろう。僕は人間の側のサポーターとして「ごきぶりホイホイ」の進化を応援したいと思う。
◆ 朗読CD
朗読のCDというものが発売されていることを知った。カセットテープのものはこれまでも書店でよく見かけた。気にはなってはいたが購入することはなかった。やはりカセットテープとCDとでは、重みが違うのではないだろうか。とても心が揺り動かされる。新潮社が出しているCDでは、川端康成などの近代の名作だけでなく現代小説のCDもある。なんと藤沢周平の作品も出ているのである。『泣かない女/雪明り』(朗読=篠田三郎)『驟り雨/朝焼け』(朗読=柳家小三冶)の2作品。どちらも僕の好きな作品だ。買いたい気持ちもあるけれど、3000円という値段がちょっと。でもよく考えると現在僕の部屋にはCDプレイヤーがなかったのであった。
◆ 浴衣のお姉さん
仕事が終わり電車に乗り、地元の駅に着いた。とりあえず人の流れのままに駅から外へと出た。夕食はまだ食べていなかった。どこかで食べようか、スーパーで買い物をしようか。それとも部屋で何かを作ろうか。この3つを考えると最後の案に辿り着くことが多い。決めかねていると部屋に着いてしまうのである。
帰る途中、浴衣姿のお姉さんの姿が眼に入った。とても綺麗に着こなしていた。夏祭りにはまだ早い。どうして浴衣姿なのだろうか。けれど、この浴衣姿は蒸し暑さを爽やかさに変えてくれた。なぜか彼女は僕の数メートル前を歩いていた。別に僕が彼女の後を追いかけていたわけではない。でも、歩く後ろ姿も綺麗だった。とあるビルの小さな地下に降りる入口に彼女は消えてしまった。そこはネオンのお店だったんですね。もちろん僕は帰ってご飯を食べました。
◆ 薦めない本
吉田修一の『パレード』(幻冬舎)を読んだ。この作品は第15回の山本周五郎賞受賞作である。ひとつのマンションでの男女共同生活での話である。共同生活というと、昔中村雅俊が主演したドラマなんかを思い出す。あと、椎名誠の『哀愁の街に霧が降るのだ』も楽しい共同生活の物語だった。この『パレード』はそうしたものとは全く違った2002年の今の時代が書かれているように読めた。
実は僕はこのドルフィンホテルという本を語るスペースで基本的に読んだ本を悪く書いたことはない。もちろんたまには機嫌が悪くてついつい書いてしまったことがあったかもしれない。でも、「この本はつまらないと書かれたら、もうその本を読む気がしなくなってしまう」という友人に言われたことが気になって、あまりマイナスのことは書かないようにしようとしている。僕が面白くなかったとしても、面白いと思う人は当然いるわけである。うまくは言えないのだが、あまりマイナスな気持ちになって欲しくないということである。
さて、僕はこの『パレード』を人に薦めない。こういうことを書くのもどうかとは思うが、あまり読まない方がいいと思っている。正直なところこの本を読んでいて途中から気分が悪くなってきた。別にこの本の内容というわけではない。話としてもそれなりに面白い。山本周五郎賞と受賞しただけのことはあると思う。何が頭に来たか。この本の中で、映画のことに振れているところが何箇所かある。そこで、とある映画のラストのネタばらしをしてしまっている。映画のポイントとなる部分というのは言わないのがエチケットなのではないだろうか。特にそのひとつは僕が最近ビデオで見たばっかりだったので、とても不愉快に思ってしまったのである。
◆ 蟹三昧
蟹を食べた。実は蟹という食べ物はそんなに好きなわけではない。苦労して食べたわりには身が少ないというか、あまり食べた気がしないというのがあまり食べない理由である。決して値段が高いからというわけではない(かどうかはわからないが)。とにかく僕は手がベトベトしたりしながら食べるのは好きではない。
けれど、飲み会というものはいつも僕の希望通りに行くわけではなく、この日は蟹を食べることとなった。『蝦蟹市場クンポー 池袋店』(http://r.gnavi.co.jp/g068220/)というお店である。メニューの多くは蟹である。ズワイガニ、タラバガニ、ツカレタガニ、いくつかの種類があったみたいだ。よくわからないが。最初はセットの茹でたものを食べる。前菜の盛り合わせも注文したのだけど、なぜかメインの蟹が食べ終わった頃にこの前菜の盛り合わせは出てきた。ハサミを使って足と格闘しながら蟹を食べる。なかなか美味しいではないか。ソースは用意されていたが、そのままで十分に美味しかった。その後、焼いたタラバガニや、ホタテなんてもの食べる。ズワイガニたっぷりの押し寿司は普通に6個あるだけなのに1600円もした。蟹さんに対してはこのくらいの値段で驚いてはいけないんだね。中華風のオムレツなんかも蟹がいっぱい入っていてグッド。あっさりした夏野菜のスープもしっかりと蟹が効いている。たまにはこうしたひとつの食材をテーマとしたお店で食べるのもいいものだった。
◆ 健康
たまに『壮快』(http://www.makino-g.jp/soukai/index.html)という健康雑誌を見るのだけど、これが実に面白い。この雑誌には、いろいろな健康法が載っているのである。「納豆菌ダイエット」とか、「耳こすり」がいいとか、「尿療法」なんてものもほぼ毎回載っている。ちなみにこの尿療法であるが、尿を鼻から垂らして花粉症が治った!という体験談も載っていた。花粉症で長い間苦しんでいる方はぜひ試してみてはどうだろうか。
さて、今月号で目についたのは「生ビールで痛風、耳鳴り、難聴が治った、血圧、血糖値が下がった、10キロやせたと大騒然」というものだった。よく考えると東京スポーツの見出しとも似て無くはないかも。痛風という病気に対し、一般的には生ビールというのはよくないと言われている。それが、生ビールで治ったというのはほぼ正反対のこと。
この『壮快』を読んでいると、どんなものでも健康法になりそうな気がする。そのうち、ハンバーガー健康法とか牛丼健康法なんてのが載ってもおかしくないような気がしている。実はこうした健康雑誌というのもいくつか出ているのである。僕なんかは気になってしまう年代になっているのであった。
◆ 旅をしたい
今月は続いて岸本葉子の本を読んでいる。旅の本、しかも和の旅ということでとても楽しみにして読んだ。『「和」の旅、ひとり旅』(小学館文庫)はこのタイトル通りの、読んだだけで肩の懲りが取れるような本だった。いつも忙しそうにエッセイを書き、自宅マンションのキッチンで料理を作っているのに、彼女は日本国内の旅も楽しんでいたのである。
僕はずっと長い間、旅不精だった。昨年ちょっとした和の旅を体験し、少しだけ旅をするということが好きになった。そんな僕にとってこの本は優しかった。
単なる旅のエッセイというだけでなく、本のことについても書かれている。呼んでいてとても嬉しく、静かな温泉につかっているようだ。
しかし、僕はこの本についてケチをつけたい。大きな声で抗議したい(ゴメンナサイ)。これだけあちこち旅をしているのだったなら、庄内の旅というものも入れて欲しかった。庄内というのは、藤沢周平の故郷であり、海坂藩のモデルとなる土地でもある。特に理由なんてものはない。単なる一ファンのささやかな希望である。
(2002.7.17)
#3
◆ 温泉宿での旅
ちょっとした一泊旅行をすることになり宿を探していた。インターネットで「温泉宿」「安い」などというキーワードでサーチをかけてみると、『全国オススメ宿泊検索サイト「旅の手帖」』(http://tabi.joy.ne.jp/)というところを見つけた。なんとも便利である。よさそうなところを見つけて、簡単に予約の電話を入れてしまった。
このサイトで面白いのは細かな情報までもが書かれているところである。英語での会話は大丈夫かとか、女性一人客で泊まれるかとか。そう言えば、女性の一人客というのは旅館に泊まりにくいんだと聞いたことがある。危ないことを考えての旅だと思われるらしい(よくわからないが)。温泉の情報についても、24時間入れるかなどちゃんと肝心な情報がある。素晴らしい。
他にもいくつかの旅のサイトがあった。動画があったりして見ているだけで旅の気分に浸ることができたりする。
やや話は変わるが、先日テレビの情報番組を見ていたら黒川温泉(http://www.kurokawaonsen.or.jp/)というところが特集されていた。温泉街の景観までもが田舎を意識した懐かしいものとなっていて、かなりの人気の温泉地なのだという。都会の人は疲れていて、こうした何もないけれど安らげる場所を求めているという。
たまには、温泉でゆっくりする。必要なことかもしれない。
しかし、僕の予約した宿には砂風呂などお風呂がいくつもあり、全てに入って、食事をして酒を飲んでということを考えるとなかなかハードスケジュールになるような気もしているのだけど。
◆ アンジェラの灰
ビデオで『アンジェラの灰』(監督・脚色・製作:アラン・パーカー/原作:フランク・マコート/http://www.asmik-ace.com/Angela/)を見た。この原作本は確か図書館で借りて40ページくらいで挫折していたものだった。とても静かで淡淡とした映像だったが、僕はけっこう好きな雰囲気だった。こういう映像こそは映画館のスクリーンで見ていたかったと思った。
◆ 冷凍食品
スーパーで買い物をしていたら、冷凍の豆腐というものを見つけた。ついつい買ってしまい、朝のお味噌汁を作ってみた。なかなか美味しいのである。ちなみに僕の冷凍庫には葱や油揚げなども小さく切って入れてあり、簡単に味噌汁を作れるようにしてある。これに豆腐という強力な食材が加わったことになる。
実は、恥ずかしながら(かなり恥ずかしいけど)普通の豆腐を冷凍庫に入れたことがあった(笑)。豆腐以外にもいろいろと試したことはある。何せひとり暮らしなもので、冷凍させるというのは大切な保存方法なのである。特にこれからの夏場は野菜が長くもたなかったりする。ムシがついていたり辛いことも多い。そんなわけで、緑の冷凍食品が気になり、「そらまめ」「ブロッコリー」なんてのも買ってしまった。そのうち「キャベツの千切り」とか「もやし」なんかが出てくれないかな、と思っている。
◆ 街
映画『ガウディ・アフタヌーン』(監督:スーザン・シーデルマン/http://www.tdf.toshiba.co.jp/tdf/gaudi/)を見た。ちなみに映画館は新宿高島屋のテアトルタイムズスクエアだったのだが、綺麗で見やすい、とてもよい感じのところだった。ほんとに目の前がスクリーンという感じなので、映像が飛び込んでくるようだった。
正直に言って、そんなに特別な映画ではなく、火曜サスペンス劇場スペイン版といった雰囲気だった。けれど、お金を払った分だけ僕はこの映画を楽しんだ。この映画の主役は、俳優でもなく監督でも脚本でもなく、バルセロナという街だったのではないかと思う。ガウディで有名な聖ファミリア教会だけでなく、マンションや公園なども舞台となっている。何よりも、普通の街並みがいい。主人公の住む古いアパートの雰囲気がとても良いのである。目の前にこうした映像が映し出される。それだけで素晴らしかった。
◆ 渡る世間は
なぜか木曜の夜に僕は部屋にいた。いつもこの日は遅いことが多かったのだけど。酒の飲み、テレビをつけた。チャンネルをいくつか切り替えたが、あまり見たいようなものがなかった。たまにはいいかな、と思い別に見るともなく『渡る世間は鬼ばかり』を流した。
実は恥ずかしながら僕はこの番組はずっと前に見ていた。たぶん、最初のシリーズから第3か第4シリーズくらいまでは見ていたのではないだろうか。でも、今はもう見ることはなくなっていた。理由はあえて述べまい。
それにしても(笑)、相変わらずというか、もの凄い話の内容だった。感動すら覚えた。今どき「働かせていただいているのです」なんて敬語を使って感謝の気持ちを語りながら仕事をしている人がいるのだろうか。少しは見ならわなければいけないと思ったけど。
それにしても、こういうテレビドラマが高視聴率で続いているということは、見ている人がいるということである。考えようによっては、『サザエさん』を見るようなものかもしれないけど。第1回放送から現在に至るまでずっとこのドラマを見ている人は確実にいるのだろうな。全てをビデオテープに録画し、応接間の壁に並べている人もいるのかもしれない。もの凄いことだと思う。そのうち『TVチャンピオン』(テレビ東京)で「渡る世間は鬼ばかりチャンピオン」なんてやるのではないだろうか。
◆ 芥川賞直木賞
芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。僕はこの受賞作を読んでいない。けれどこの数年、この2つの賞というものに魅力を感じなくなってきている。ちょっと違うんじゅないかな、と思っているのは僕だけではないと思うけれど。そのうち、椎名誠が直木賞を受賞したり、村上春樹が芥川賞を受賞したりするのではないかと考えたりもしてしまう。
まあ、これかの賞には関心はなくなったので考えるのは止めよう。ちゃんとした考えを持っているわけでもない。
なんというのかな、出版されてからある程度の時間を経て、それでもちゃんと残っている作品というものを読んでいきたいと思うようになってきているのかもしれない。おいしいワインのように(といいつつワインの味はわからないけれど)。
◆ 第三の男
レンタルビデオでたまたま見つけたのがこの『ことの終わり』(監督&脚本:ニール・ジョーダン/http://www.spe.co.jp/movie/endoftheaffair/)だった。本当は他に借りようとしたビデオを決めていたのだが、やめてこのビデオを借りることにした。あやしげなタイトルに惹かれたということではない。実はこの映画の原作はグレアム・グリーンの『第三の男』だった。リメイクの映画ということにもなる。
『第三の男』は全集の1冊であるこの本だけが僕の実家の本棚で眠っている。残念ながらほんの数ページで挫折していた。どんな内容かを知ることもなく、長い時間が過ぎて、僕の中でこのタイトルだけが残っていた。
不倫の物語だった。「不倫は文化だ」と言った某俳優がいたが、まさに文化になってもおかしくないものだと感じた。原作の力強さというものも、十分に感じることができた。グリーンの原作を読んでみたいと思い、もうひとつの映画『第三の男』も見てみたいと思った。
◆ 納豆のこれからの行方 食卓編
納豆のまぜまぜ道具は「納豆スティック」だけではなかった。なんとスーパーで先月買ったばっかりの「納豆ステック」と「納豆小鉢」が一緒になった『なっとうの友』という納豆小鉢セットが発売されていたのだった。
「専用の小鉢とスティックのダブル効果で納豆のうまみを素早く引き出せます」と箱には書かれていた。「ダブル効果」で納豆をかき混ぜるのである。箱にある写真はとても効果的だった。
これを見て僕がすぐさま買ったかというと買わなかった。「納豆スティック」のネバネバだけで十分だと思ったのだ。それに洗い物が増えるのも考えものである。値段もちょっと高い。
でも僕は家に帰ってから考えたのであった。「読書夜話」でこの「納豆スティック」のことを書いたわけだから、なっとうの友について触れないわけにもいかない。僕にはこのなっとうの友を報告する義務があるのではないだろうか。
そんなわけで翌日には買ってしまい、その次の朝にはこの「なっとうの友」で朝ご飯を食べた。
確かにこの小鉢を使うと糸がガンガンと引いた。感動的ですらあった。回している手にちょっと重みがかかるのだ。納豆が美味しく変化しているであろうことを右手でしっかりと感じることのできる小鉢であった。
しかし、若干の不満もあった。というのは僕は納豆に葱をいっぱい入れる。健康にも葱はいいと思っているのでこの朝ご飯にいっぱい食べようとしているのだ。葱を入れるとこの「納豆小鉢」がいっぱいになってしまうではないか。そうだ、家族で納豆を食べている人はどうしたらいいのだろうか。この「納豆小鉢」はどう考えても一人分用である。家族の場合は、人数分の「納豆小鉢」を揃えるのだろうか。それとも1回1回お母さんがぐるぐる回すのだろうか。
もうひとつ不満もある。どうもこのプラスチックの容器は良くないと思うのだが。なんだか猫のご飯を作っているような気になってしまう。猫好きの方には怒られてしまうか。とにかくちょっとお値段アップでも構わないので、瀬戸物のちょっと高級小鉢でぐるぐるやりたいものだ。そうでないと、いい朝が来ないような気がするよ。
まだ、歴史は始まったばかりである。そのうちこの「なっとうの友」のライバルメーカーが出現するかもしれない。ライバルがいてこそ、性能はどんどん向上していくはず。これから納豆のネバネバがどのように飛躍していくのか、とても楽しみである。
◆ 納豆のこれからの行方 外食編
このところ納豆についてよく考えている。今や日本食の代表といってもいいかもしれない。外国から来た人が日本の食べ物について語るときに、寿司、天麩羅といったものだけではなく、この納豆が出てくることも多くなっているのではないだろうか。動脈硬化など、成人病が話題になっている現代ではもっともっと、この納豆という食べ物がクローズアップされてくるように思うのだ。ひょっとしたら、サッカー日本代表のユニフォームは納豆カラーになるかもしれない。
日本人の外食というものを考えた場合、例えば気軽に入れるお店として、「吉野家」「松屋」といった牛丼のお店がある。似たようなところで天丼の店やマグロ丼の店なんかもある。こんな感じで「納豆屋」というものが登場するのではないかと僕は密かに思っている。牛丼屋でも納豆を注文することができるけれど、パックのやつでどうも安っぽい印象がある。
全国の納豆、水戸納豆や黒豆納豆など、産地・種類を集め、選べるようにして欲しい。もちろん、お店特性ブレンド納豆というものがあってもいいけれど。粘り具合、歯ごたえなど、ブレンドすることにより思わぬ味が誕生するかもしれない。あとは、トッピングも重要だろう。葱も普通の葱だけでなくいくつかの種類が必要だ。玉子に拘るという人もいるだろう。マヨネーズやケチャップがあった方がいいという人もいるかもしれないけど。
納豆を主食として考える、納豆専門店は日本を活性化し、健康を取り戻すのではないだろうか。
◆ 耳をすませば
日本テレビで『耳をすませば』が放送され、ついつい見てしまった。はたして何度この映画を見たことだろうか。1年に1回くらいはテレビで放送されているような気がするが。
何回見てもいいですね。もちろん、少しばかり甘い雰囲気も感じる。でも、これはこれでいいのではないかと思ったりする。こうした気持ちをちゃんと持ち続けていたいと思うし、ある意味でこの映画は大人にとって必要なものがいっぱい詰まったものかもしれない。耳をすませて、聞こえてくる音というのは、実は自分の声なのかもしれない。
◆ 夏の食べ物
この1週間で2回も鰻を食べた。スーパーで一匹398円のものを買ってきて、ちょっと温めておかずにして食べていたのである。このところの暑さで身体が弱ってきていることシミジミと感じているので栄養をつけなければならないと思ったのである。外食で食べるのであればちょっと高いという気もなくはないが、家での食事でおかずと考えれば気軽にお腹いっぱいに食べることができる。それにけっこう美味しい。
夏ということで、たまに食べたくなるものというのが他にもいくつかある。この夏はまだ食べていないけど、「ところてん」なんかもどうしても食べたくなる。
先日は、突然に「ひやむぎ」が食べたくなった。今だに「そうめん」との違いはわかっていないのだけど、とにかく「ひやむぎ」が食べたくなったのである。これといった理由があるわけではない。恋愛と同じように、理由もなく食べたくなる。毎日食べると飽きてくるかもしれないけど(笑)。
スーパーで「ひやむぎ」を探すと、何種類かが置かれていた。僕は迷わず赤い色のが入ったものを買った。一人で食べるのはちょっとばかり寂しかったけれど。
◆ やりきれない気持ち
僕はテレビドラマなどのほとんどはビデオに録画している。リアルタイムで見るのではなく、数日おいて見るようなことをしている。宮部みゆき原作の『新ふしぎ草紙』(NHK)を見終わって、『ERY』の映像に切り替わったときのこと。テロップが流れた。本来放送される予定の第126話「誰よりも君を愛す」・第127話「悲報」は都合により放送を取りやめしないことになり、次の第128話「耐えてこそ」を繰り上げて放送することになったということ。そして放送されない回のあらすじが、ほんの数行の文章で流された。
僕はそんなに熱心なERのファンではない。金曜日の夜に『アリー・myラブ』と交互に放送されるようになって、なんとか見るようになった。一応毎週見るようになってからも、見落とす週もあった。けれどそんなに残念な気持ちにもなっていなかった。とても緊迫感のあるドラマで面白いのだけど、舞台がアメリカの緊急救命室ということで、どこか遠い世界のように感じていた部分があったのかもしれない。このERの世界を、ぐっと身近なものに感じさせてくらたのが、医学生でもあるルーシー・ナイトの存在だった。負けず嫌い時には喧嘩になることもあったかもしれない。でも彼女は可愛らしく僕は毎週ほんの少しの姿を見るだけでも幸せだった。
もちろんルーシーは、単なるドラマの世界の登場人物である。
けれど、テレビドラマの登場人物の死というものは、重いものとして残ることもあるのではないだろうか。『太陽にほえろ』のマカロニやジーパンの死なんかは特別なものであり、今もその映像を思い出すことはできる。
ほんの数行の文章で、ルーシーの死が知らされた。どのような辛い死だったのだろうか。このドラマを見ていた人は見ることもできないのか。
朝日新聞の記事で、NHKが誤解を招く内容があったとして放送しないことに決めた、ということを知った。どのような内容なのか、もちろん僕にはわからない。
しかし、ルーシーは死んでしまった。言葉にできない喪失感を抱えている。
◆ 炭の水
子供の頃は水をよく飲んでいた。当然今のようにペットボトルなんてものはなく、水道の水をそのまま飲んでいた。ごくんごくんと何杯も飲んでいたものだった。いつの頃からか、こんな風に水を飲まなくなっていた。
水を飲みたい。しかし、現代の水道水は美味しくない。わざわざペットボトルの水を買うのも面倒だ。買うのも面倒だけど、捨てるのも面倒なのである。
美味しく水を飲む。この暑い夏を乗り切る重要なことだと考え、僕は「水ごくんごくんプロジェクト(WGP)」というものをスタートした。
プロジェクトの内容は、水筒と備長炭である。水筒というのは水が2リットルほど入る、冷蔵庫に入れる水筒である。なんと横にも置けるという万能型を購入した。備長炭というのは、スティック状のものでこれを入れるだけで「炭の浄化、ミネラル作用」で水が美味しくなるというすぐれものである。約30回も使用できる。
まだ始めたばかりなので、味がどうかはよくわからない。もう少し経ってから改めてこの備長炭について語りたいと思う。
実は「炭」というものは以前から気になっていたのである。少し前に遠い親戚のマンションに行ったときのこと。玄関、トイレ、各部屋に炭が置かれてかった。話を聞くと、床の下にも炭が敷き詰められているとのこと。空気がちょっと違うのだそうだ。通常ホコリが出るようなときにも、この炭があると違うらしい。
ご飯にも炭を入れたりするからね。とにかく炭が気になる今日この頃である。
◆ チャンピオン
ミハイル・シューマッハがフランスGPで優勝して、早早と今年のチャンピオンになってしまった。5度目の世界チャンピオン。F1だけでなく、あやゆるスポーツの中でまさに歴史に残る出来事だった。しかし、ニュースではほとんど取り上げられることはなかった。もちろん、僕の中でもF1に対しての興味というものは薄れてしまっている。シューマッハに対抗する魅力的なライバルという存在も見当たらない。しかし、それでもシューマッハがチャンピオンになったということは凄いことなのである。フェラーリというイタリアのチームは、実はF1の世界では阪神タイガースのような存在だったはずである。人気はある、お金もある。優勝争いもできる。しかしチャンピオンになるようなチームではなかった。このフェラーリでチャンピオンになったというのは本当に凄いことなのである。彼の優勝インタビューは興奮して震える声だった。どんなに困難なチャレンジだったかを物語っていた。偉大なレーサーであることに間違いはないが、偉大なライバルのいないシューマッハはやや可哀想に思える。
シューマッハがチャンピオンを決めた週末。モータースポーツのニュースの片隅に、実は驚きがあった。イギリスF3のレースで今年から参戦している細川慎弥が優勝したのである。日本人としては3人目の快挙。昨年日本でフォーミュラ・ドリームを戦ったとは言え、まだレース歴も浅く、こんなにも早く優勝するとは思ってもみなかった。そんなに遠くない将来に、多くの人がこの細川慎弥という名前を知ることになるかもしれない。
◆ ウーロン茶
水を飲むというのと同時にウーロン茶もどんどん飲むということをやっている。これもペットボトルではなく、「水出し、煮出し共用タイプ」というティーバックを買って、冷蔵庫に常にこのウーロン茶を入れて飲んでいる。
普通のウーロン茶という感じで美味しく飲んでいる。何よりもゴミが出ないのが気に入っている。
◆ タイムマシンにお願い
映画『タイムマシン』(監督:サイモン・ウェルズ/http://www.timemachine-movie.jp/)を見た。このタイトルを聞いただけで、まさにSFの王道といったものを感じさせてくれる。ついつい、チケットを買い映画館の中へと入ってしまった。
詳しい映画の知識もなく見始めたのだけど、これはドリームワークスの製作だった。途中から同じドリームワークス製作の『A.I.』(http://aimovie.warnerbros.com/japan/←なんだかすごいサイトだ!)を思い出してしまった。この両者はかなり似ているのではないだろうか……。
でも、未来の風景よりもレトロな雰囲気が僕はとてもよかったな。それにしても、男性が女性を愛するチカラというものは、こんな凄いものまで作ってしまうんだね。
実は正直に言うとこの日は別の映画を見ようと思っていたのだった。けれどその映画は満席で立ち見状態。平日だったのに。そう言えば世間は夏休みに突入してしまったのだった。映画館は毎日が休日状態か。平日で空いている映画館が好きなのだけど。
◆ 夏のお米
「ライスポケット」なるものを買ってしまった。お米を冷蔵庫で保存するための容器である。お米を入れるというよりも水を入れるような形になっているのだが。とにかく冷蔵庫の中にあまり場所を取らず、取り出しやすいものとなっているのである。それにしても、冷蔵庫に米を入れるというのは邪道だとばかり思っていた。夏には密かに入れたりしていたものだが、誰にもわからないように隠しているつもりだったのだが。多くの家庭ではこうした「ライスポケット」なるものを使って冷蔵庫に保存しているのだろうか。
◆ 夏休み
毎日毎日暑くて本格的に具合が悪くなってきた。そのうち倒れてしまうのではなかろうかと少し不安もあったりする。子供の頃は暑さの中走り回ってたまに熱射病で倒れてしまっても何ともなかったのに。歳を取ると無理ができなくなったり大変なんだな、と感じるようになってきた。もちろん、僕の人生これからまだまだ長い年月が待っていると信じて疑わないでいるのだけど。
夢は?と聞かれたならば、こう答えようと思う。「夏休みを3ヶ月間取る。涼しい北海道にでも別荘を持って静かに過ごす」と。
(2002.7.25)
#4
◆ 静かなとき
読書夜話「ほぼ週刊」というのが始まって、ほぼひと月となった。「ほぼ」ということで月4回。よって、ここ数日はちょっと日にちを明けて休んでいるところ。でも、月に4回というのはやってみるとできるものである。昨年までは月に1回であっぷあっぷしていたのに。ひと月の時間というものの密度が4倍になったような気がしていて得をしているのかもしれない。
ひと月の時間と言えば今は夏休みの時期である。街には学生と思われる人が溢れている。僕は今、スターバックスでノートパソコンを開いているのだけど、ちょっと普段とは雰囲気が違う。若い奥さん達の井戸端会議も今日はやっていない。苦手なタイプのおじさん連中は相変わらずいるが。僕の視線の前にいる仕事の打ち合わせをしているのであろうおじさんは足を頻繁に揺らしていた。貧乏ゆすりとはちょっと違って股をパタパタと外側から内側へ、内側から外側へと常に動かしている。どうにも気になって僕は席を変えてしまった。
このスターバックスは僕のけっこう気に入っている場所でもある。他のチェーンのお店になると、タバコが気になるし客層もちょっと違ってくる。空いているだけでなく、店内に落ち着いた雰囲気もある。僕はノートパソコンを使うときにマウスを使うのだが、光学式のものでもちゃんとカーソルが動いてくれるテーブルになっている。しかもこの丸テーブルは広い。向かい側に座っている女の子4人組は中学生くらいだろうか。フラッペを飲みながら(食べながら)夏休みを宿題をやっているのか、ちゃんと勉強している。時代も変わったものだ。でも図書館で勉強する場合、友達に聞いたり話はできないわけでこういうところで勉強というのもいいのかもしれない。
それにしても後ろの席のおじさんはうるさい。こうしたカフェとかに「禁煙席」とかあるけれど、「禁話席」とかそういう静かな場所もあったらいいだろうと思ったりして。
◆ トラブル
友人からパソコンが壊れたと相談を受けた。インターネットに繋がらなくなったのだという。パソコンの会社、プロバイダー、いくつかに電話を掛けたみたいなのだが、らちがあかなくて、と彼は疲れた表情だった。わからなくはない。同じような思いを何度も味わった。洋食という言葉に懐かしい響きがあるように、パソコンという言葉にはうまく解決することのできない気持ちのイライラの意が入っているのではないだろうか。
手順を追って接続してみると、インターネットには簡単に繋がることができた。でも、メールソフトの方はうまく行かない。僕のメールソフトは「Becky!
Ver2」のため、他のソフトの設定はまったくわからなかった。まあ、ハードという問題ではないだろうし、あとは苦労して頑張ってくれ、と声援を送りこの相談会は終わることとなった。
このときに、「パソコン何でも相談センター」みたいなものはないだろうか、という話題で盛り上がった。電話をすれば自宅まで来てどんなトラブルでもすぐに解決してくれる。年に会費が1万円くらいだったらみんな払うと思うのだけど。もっと高い会費でもいい。とにかくどんな質問でも嫌な顔をせず、怒ることもなく解決してくれるのだ。ちなみに僕のパソコンは恥ずかしながら牛のマークである。何でもも答えてくれる質問メールというものが売りだった。今も質問メールを出すと親切に答えてくれる。その答えはとても詳しく丁寧でけっこう感動してしまう。
ちょっとしたパソコンのトラブルを抱えて、「よくわかんないや! ええい! もうやめたぁ!」と使われていないパソコンって、実はかなりの数に登っているのではないだろうか。
◆ 耳鼻科 その1
最初の待ち時間も含めて4時間近く、耳鼻科の中にいたような気がする。もともと待ち時間のかかるところなので、仕方がないという気持ちではいるが。なんでもスピードが重視されていく社会の中で、ゆっくりと診察してくれる医者というのはかえって安心できたりもする。
僕はこの耳鼻科に月に一度通うことにしていて、診てもらおうと思っていた時期だった。来週にしようかとも思ったのだけど、やや耳の具合が悪かったので診てもらうことにした。
耳の具合が悪い、ということは気のせいではなく、けっこう深刻な事態になっていた。僕の左耳にはチューブが入っている。チューブ、というとなんだか凄そうなのだが、実物を見てみると大したことではない。鼓膜のところに小さなチューブを入れて穴を開けた状態にしているのである。1年ほどで取れてしまうのだが、これが耳の奥の方に入ってしまっている状態なのだという。どこまで入ったのかなど、もちろん僕にはわからない。けれど先生は、ほんとうにいい時に来てくれたよ、と言っていた。ひょっとしたら大掛かりな手術になりそうだった、と。
大掛かりでないにしても、この日の処置は大変だった。しっかりとした麻酔が出来ないということで、軽い麻酔が行われた。耳に液体を垂らすだけのようなものだ。少しフラフラした。どのくらい時間がかかるかわからないので他の患者さんの診察を先にさせてください、と言われ最後まで待つことになった。まだ夜の8時くらいで、この医院にしてはかなり早い時間だった。花粉症のピークの時期には最後を診察が終わる頃には日付が変わってしまうのである。30分か1時間か待ったところで、鼓膜にメスを入れ耳のチューブを取ることになった。もちろん、小さな耳のことで具体的にどのような処置なのかはよくわからない。麻酔が行われたといっても、そんなに利いているわけではない。かなり痛く、先生は何度も申し訳ないということを言った。なんとかチューブを取り出すことができ、無事にこのときの処置が済んだ。その後、しばらく小さなベッドで横になっていた。
痛いし、不安もあったが、淡淡と話を聞き、治療を受けることができた。いくら痛いとは言っても、それなりに我慢もできるような年齢にもなった。子供の頃に最初に中耳炎で耳鼻科に行ったときのことは今もよく覚えている。その頃は麻酔というものはなかった。ひょっとしたらあったのかもしれないが、田舎の医院ではそんなことはしなかった。看護婦さんに頭を強く押さえつけられ、先生は目の前で注射器のようなものを持って、鼓膜をその針で通した。もの凄い音で僕は出せるだけの声を上げ、泣き叫んでいた。
◆ 耳鼻科 その2
僕の通う耳鼻科には多くの人が診察を受けにくる。ここはかなり評判の先生のようで、アレルギー関係の患者などは泊りがけできたりしているのだという。見てもらう順番が近づくと診察室の中で待つ。そうすると、前の人の診察の話などが聞こえてくる。このところは花粉症の人はいくらか落ちつてきたようだった。
まだ二十歳を少し過ぎたくらいの、とても可愛い女性が診てもらっていた。初診だった。なぜ印象に残っているかというと、僕とほぼ同じような症状だった。子供の頃に中耳炎になり、大人になってからもその影響で聴力が落ちてしまっている。彼女の症状は僕よりもずっと悪いようだった。耳の病気というのは、診てもらう先生によって随分と違ってくる。僕の場合も今から考えると、かなりの回り道をした。ひところはもう聞こえなくなるかもしれない、と思ったこともあった。この女性は大丈夫だろうか。完全に治る、ということはないのかもしれない。ずっと不安を持ちながらこれから先の人生を歩んでいくのか。後から待合室で彼女の表情を見たけれど、とてもしっかりとしていた。僕が最初にこの場所で診察してもらったときには、その診察結果、これからのことに随分と落ち込んでいたものだった。
その女性の次の患者はまだ小学の低学年の子供だった。やはり初診で長い診察の後に、子供は落ち着かない状態で怒られていた。でも、泣くこともせずに診察してもらっていたのはとても偉いことだ。先生はお母さんに、その症状とこれからのことを丁寧に説明していた。お母さんは、いくつかの質問をしていたが、少しばかりピントがずれていた。子供は決して良い状態ではなかった。けれどもっとよく検査してみなければわからないという話だった。お母さんは、気持ちばかりが焦っているようだった。この親子はここまで2時間もの時間を掛けて来たようだった。時間は夜の9時を過ぎていた。僕が最初に中耳炎になって耳鼻科に行ったのは、この子供の歳くらいだったのだろうか。
◆ 不倫
小池真理子の本を読んだのは久しぶりのことだった。『狂王の庭』(角川書店)は少し前の時代の不倫の話である。こうした恋愛について語るのは難しい。この物語に書かれていることは、ひどいことである。けれどそんなことを僕が語っても何ら意味がない。読み終えて、重いものが残ってしまっている。
◆ ビデオデッキ
ビデオデッキを買ってしまった。実は前の月に新しいのを買ったばかりだったので、短期間に2台も買ってしまったことになる。1台古いものを持っていたのだが、ワールドカップと裏番組を同時にビデオに撮りたいということで1台購入した。2台あることによって、その便利さに気づき「楽しいビデオライフ」を満喫していたところで、古いデッキが壊れてしまった。もう1台だけの生活には戻れない。そんなわけで2台の新製品を持つことになった。畳とビデオデッキは新しい方がいい。新しいものはDVD付きのものでCDも聞くことができる。
とにかく、人間とはとことん贅沢になっていくものだ、と僕は深く実感した。例えば、これがビデオデッキではなく女性だったとしたら、やっぱり同じように思ってしまうのかもしれない。
読書夜話でこのところビデオの感想がやたらと増えたのは、以上のような事情による。3台になったらどうなるかは、よくわからない。
◆ 地下通路
新聞に少し暗いニュースが載っていた。自殺者の数について。その3万人という数字が多いのか少ないのか、どのような意味を持つのか、正直なところよくわからなかった。僕が子供の頃に住んでいた小さな市は確かこのくらいの人口だった。毎年ひとつの行政の単位が消えていく。少しずつ砂漠が広がっていくようなものなのだろうか。
池袋の地下通路を久しぶりに歩いていた。駅からは少し離れたところでちょっと離れた道路まで行くことができる通路だ。午前中の10時くらい。ダンボールが通路の真ん中にほぼ均等に置かれて何人もの人が眠りに入っていた。以前テレビでこうした人たちの特集番組を見たことがある。駅の通路は夜には閉まってしまうので、夜中は起きていて通路が開いたところで眠りにつくのだとういうことだった。それにしても、どうして端ではなく真ん中なのか、僕にはよくわからなかった。
◆ こだわりのある違いについて
前回の読書夜話で「ひやむぎとそうめんの違いがわからない」ということを書いたらさっそく、美人主婦(得意料理は煮物)の方からメールがあった。彼女の言うには単にその太さの違いとのこと。
信じないというわけでもないけれど、インターネットで僕はその違いを調べてみた。簡単にひやむぎとそうめんについて調べることができる。素晴らしい時代である。
調べてみるとちょっとびっくり。「めん'YOU倶楽部NET」(http://www.chuokai.or.jp/kumiai/kanmen/index.html)という全国乾麺協同組合連合会のやっているサイトがあった。厳密にミリ単位で決められているのであった。
どうしてこんなに細かくわかれているのだろうか。パスタは太さや形や材料が違ってもパスタである。
もちろん、気分の面で、ひやむぎを食べたいときと、そうめんを食べたいときというのは明確に違う。「そうめん」を「ひやむぎ」と言われて出されても気が付かないかもしれないけど。
一般の家庭では両方がストックされているのだろうか。「私はそうめんが食べたい」「俺の今日の気分はひやむぎなんだい」などと喧嘩している家庭もあるのだろうか。ささやかだけれど、どうでもいいことかもしれないけれど。
◆ むぎきり
夏の麺類と言えば、僕は「むぎきり」を食べたい。この「むぎきり」という名前を見てもわかる人はほとんどいないのかもしれないが。うどんのようなものだけど、僕の中ではやはりうどんとは明確に違う。子供の頃、同じアパートに住むおじさんのバイクに乗せてもらって、庄内支庁のあたりに行った。非常にローカルな話になって申し訳ないが、藤沢周平の故郷の風景をイメージして欲しい。そのときにお昼を食べようとお店に入り、この「むぎきり」というものを初めて食べた。見た目は冷たいうどんでざる蕎麦のように食べるのだけど、コシがあってとても美味しい。何よりもこの暑さに最も合った美味しさだった。それから何年か経って、どこかのドライブインのようなところで、もう一度「むぎきり」を食べたことがあった。このときは、蕎麦と「むぎきり」のセットだった。庄内のお店では、そば屋でこの「むぎきり」が出てきたりする。そば屋でうどんを食べるというのは、少し安っぽい印象になるかもしれないが、この庄内地方での蕎麦と「むぎきり」は最高の組み合わせとして共有しているのである。
この文章を書きながら、どうしようもなく「むぎきり」を食べたくなってきた。日本の夏には美味しいものが数多くあるのではないだろうか。
◆ カード
このところ財布が厚くなってきている。現金は一定の額しか入れていないはずである。よくよく財布の中を見てみるとカード類が多くなっている。定期などはわりと薄いのでそんなに問題ではない。問題はもう少し厚めのカードである。例えばビックポイントカードというものがある。ビックカメラ、その他の店で購入すると10%のポイントが付くので常に持っていなければならない。財布だけで外に出ることも多いからだ。同じように、西武の「クラブ・オン・カード」もいつ何を購入するかわからないので重要である。特にリブロでの本の購入にも使えるので気を抜くことはできない。最近急激に存在感が増しているのがセゾンカードである。よくよく考えてみると、同じ西武なのに一緒にしろよという気持ちもなくはないが、カードといってもその中味が違うと言われれば返す言葉はない。そのセゾンカードは西友でのお買い物のときには、持っているだけで生活用品が10%引きになるときがあったり、特定の日にカード払いにすれば5%安くなったりと手放すことはできない。とにかくこの3点は肌身離すことはできないのである。実は今入ろうかどうしようか悩んでいるカードもある。三越カードに入るとお買い物は全て5%オフなのである。特にこの三越はお弁当を買うことが多いので使う機会も多い。この2年間ほど悩んでいる。
財布に入らないカードもいろいろある。なぜかこれらは名刺入れに入れてある。レンタルビデオのカード、これに割引チケットというものもある。漫画喫茶のカード、映画館の割引カードもある。調べてみると割引の利く飲み屋のカードもあった。ユニクロ、ABC-MARTもあった。それから常に自分の身体のあるところに置いていたいものとして、病院・医院の診察カードというものがある。池袋病院のものなどは分厚いカードなのである。病院が2つ、内科がつ2、耳鼻科がひとつ。そうそうコンタクトのカードに眼科もあったか。もちろん、他に銀行のキャッシュカードにクレジットカードがあったりする……。なんだか書いているだけで疲れてきたぞ。
◆ 伝統の蕎麦屋
『ランチの女王』(フジテレビ)を毎週見ている。食べ物の出てくる番組というのは楽しい。7月29日の放送の回を見ていると見たことのある風景が出ていた。親の代から続いた蕎麦屋を潰してダイニングバーに作り変える、ということでのお店が出ていた。実物の店を看板だけを変えて出していたようだったのだが、この店は間違いなく「神田まつや」という有名な蕎麦屋だった。池波正太郎がよく通ったというところで、彼の本にも紹介されている。僕も3回ほど行ったことがある。蕎麦味噌をちびりちびりやりながらお酒を飲み、鰊の棒煮を食べ、最後に蕎麦をずずっと。いや最後ではなかった。蕎麦湯という楽しみもあった。こういうお店を出したのは、このドラマのちょっとした遊び心なのだろうか。
◆ カップラーメン
突然のように温かなラーメンが食べたくなる。理由なんかは必要ない。汗をかきながら、ずうずうと音を食べながら。ただひたすらラーメンを食べるのだ。これは人間としての本能のようなものかもしれない。しかし、今は真夏。一歩外に出るとその暑さでとてもラーメンを食べる気は失せてしまう。冷房の部屋にいるときには、あんなにもラーメンを食べたかったのに。人間の気持ちなんて実にいい加減なものである。
そんなとき僕はカップラーメンを食べることを思いついた。最近はカップラーメンも進化しているのである。これならば、冷房の効いた部屋の中で、思う存分汗をかきながらラーメンを食べることができる。帰り道のコンビにでちょっとお値段高めのカップラーメンを買い、部屋では1時間ほど酒を飲んで、コンデションを整えた。お湯を沸かし、メインイベントというべきカップラーメンを食べる。
美味しかった。だから何なの?と聞かれると返事のしようがないけれど。
◆ コレクション
僕の部屋の押入れにひとつの箱がある。無印良品で買った、引き出し付のダンボールのものだ。ちなみに以前は靴箱を利用していたのだが、ちょっとした贅沢で無印良品へと代わったのだった。その中に入っているのは恥ずかしながらマッチである。10年くらい前のことになるだろうか、赤坂で仕事をしていたときに、お昼ご飯の食べ歩きというものを始めたのをキッカケにマッチ集めを始めた。その頃は1年以上ほぼ毎日違った店でお昼を食べるということをやっていた。ほとんどの店にはマッチが置かれている。習性になってしまったというか、今もお店に入って帰るときにはマッチをもらってきてしまう。集めているマッチを見て、ニタニタを笑みを浮かべたりはしない。女子高生が喫茶店のマッチを集めるのならば可愛らしいが、僕はそろそろいいおっさんである。正直なところ、捨てよう捨てようと思い時間が過ぎて今に至ってしまったのだ。捨てるにしてもマッチである。こんなに大量のものを一度に捨ててしまっていいのだろうかという不安もある。それにいざ捨てようかと思うと、さすがにもったいないという気持ちもある。閉鎖されてしまった店や、悲しい思いでもあったりするのである(シクシク)。
世界のどこかで料理屋さんマッチコレクションのオークションなんかが開かれていて、実は僕の持っているマッチが超高価なものだったり、なんてことも思ったりする。どうしようかと悩みながら、20年、30年と時は過ぎていくのだろうか。
◆ 満腹になるまで
韓国料理というものが食べたくなる。中華料理を食べたくなるときもあるし、イタリア料理を食べたくなることもある。けれど、美味しい韓国料理というのは特別なものがあるのではないか。ワールドカップによって、日本と韓国との距離は確かに近くなった。韓国料理を食べることによって、もっともっと近くなるように感じている。
この「八渇洞」という店はオープンしてまだそんなに日が経っているわけではない。けっこう気になって、行きたい行きたいと思っていたのだ。店内はちょっとオシャレな内装。従来の韓国料理というイメージとはちょっと違う。まあ、どうしても韓国料理というとちょっと汚いというか(ごめんなさい、そこがいいのだけど)、家庭的なお店の印象がある。この店はちょっと違った。スタッフも日本人で、味もやや日本人向けのような気がした。
でも、だからといってこの店が魅力的でないということではない。いくつもの料理があり、十分に楽しめた。何しろ石焼ビビンバにしてもチヂミにしても、種類が多いのである。ボリュームもある。ダッカルビも美味しかった。
最近はめっきりと、チェーン店にあるような居酒屋には行かなくなった。やっぱり飲むのであれば、美味しいものをお腹が満腹になるまで食べたくなることもあるのだ。
◆ 回転する時の流れ
少しばかり「高級」と言われる回転寿司のお店に入った。わりと新しいところだ。池袋にある『海幸の街』というところ。トータルで普通の回転寿司の2倍〜2.5倍のお値段だっただろうか。でも、ゆっくりと楽しんで食べることができてまた行きたいものだと思っている。
何が違うかというと、椅子と椅子の間隔に余裕がある。通常の一皿130円くらいのお店では肩を狭めて食べなければならなかったりする。それだけで満足感がなくなってしまっているように思う。それにこの店のは、まわるベルトの上に何もなかった。つまり、寿司を握る職人さんの表情が見えるのである。それだけでとても安心感のようなものがあった。声に出して注文するときに、目と目を合わさないのはどうにもやりきれないものがあった。顔を見ることができるのというのは、こんなにも自然なことだったのか。中には一人で食べている人もいた。目の前を流れるお皿には、メロンやケーキなど、女性が楽しむようなものが数多くった。茶碗蒸しも美味しかった。
また行きたいと思う。なぜに人は回転するものに惹かれるのだろうか。
それにしても、このところ新しいお店がどんどんオープンしている。そして、クローズしていく店もどんどんある。ふと気が付くと、よく行った秋田料理の「いろり」という店が無くなっていた。どこにでもあるチェーンの居酒屋に代わっていた。あの美味しかったきりたんぽやしょっつる鍋は食べられないのか。とても悲しい。広い店内はいつもガラガラだったので、仕方が無いのかもしれないけれど。
◆ むかしの……
作家・辻仁成をひさしぶりにテレビ(TBSでの「情熱大陸」)で見た。この辻仁成に関しての僕の想いはけっこう複雑である。酒を飲んでこの作家の話になると賛否両論も多い。いやどちらかというと否定的な話の方が多いかもしれない。僕もいつのころからか、その甘さのようなもので読めなくなってしまった。けれど、こうやって動いている彼を見ると、元気でやっているんだ、よかった、という気持ちになる。応援したいと心から思う。何せ僕はデビュー作から芥川賞を取るまでずっと彼の本を買い、読み続けたのだ。別れたけれど、大切な元恋人のようなものである(笑)。縁りを戻すことがあるのか、もちろん先のことなんて誰にもわからない。けれど、一般的に考えてそういうことはないだろうなと、この文章を書きながら思っている。
やや話は変わるけれど、ミポリンもデビューのドラマから見ていてけっこうファンだったのだ。
◆ 東京物語
フジテレビのスペシャルドラマで『東京物語』が放送された。松たかこの出ていたドラマだ。小津安二郎の監督した元の有名な作品は噂には聞いていたがあまり見ようとは思っていなかった。最近になってぼちぼちと映画を見るようにはなったが、僕はそんなにデープな映画ファンではない。『東京物語』という名前にはそうした少しばかり遠いイメージがあった。けれど、この現代版『東京物語』を見て、名作と謳われる映画を一度見てみようという気持ちになった。それだけこのテレビドラマはよかったのだ。
元祖といっていいのだろうか、小津安二郎監督の『東京物語』はとても淡淡としていた。不器用なくらいに。でも、その不器用さのようなものが今も色あせることなく続いているもののように思えた。不器用という言葉には反論もあるかもしれない。別の言い方を考えるならば、藤沢周平の小説に出てくる、少しばかりうまく行かない人生を背負っているようなものというのか。
2つの『東京物語』を日にちをあけずに見たことは僕にとって大きなことだったと思う。変わることのない大切なものというのが、確かにあるのかもしれないと感じることができたように思える。
それにしても。『東京物語』という映画を調べてみると、その海外での評価に驚かされた。この映画は時代だけでなく、国や文化をも超えたものなのか。人はどんな風にこの映画を見るのか、聞いてみたいような気もする。
◆ 小さな幸せ
岸本葉子の『女の分かれ目』(中公文庫)を読んだ。普通の生活が普通に書かれている。普通とは言ってもひとり暮らしのことだけど。トイレのドアを開けて入る、なんて話も書かれている。ちなみに僕もトイレは開けて入る。狭いユニットバスなもんで、こうしないと落ち着かない。
とにかく、やさしい彼女の文章は読んでいる僕をとても幸せにさせてくれた。
◆ 3×2
昔話をするのはやめよう。そんなことを前にこの読書夜話で宣言した。けれど、この暑さである。頭のネジもちょっと緩むこともある。少しばかり小学校の低学年だったころの話をしよう。
とても楽しい少年時代を過ごすことができたと今でも思っている。小さな川の近くに僕の住む家はあった。小さいとは言っても、その河原と呼ばれるところも入れるとそれなりの川だった。ちょっとした土手を挟んで家はあったので、毎日毎日その河原で走り回って遊んでいた。膝などは常に擦り傷だらけだった。3年間その家に住んだ後、一家は別の町へと引っ越すことになる。けれど、あのまま擦り傷を作る毎日を過ごしていたならば僕ももうちょっとまともな人間になったのではないかとも思う。
僕は夏はランニングシャツに半ズボンという格好だった。この頃の男の子は大抵みんな同じようなものだった。当然半ズボンの下には下着のパンツを穿いている。ぜんぶで3枚の衣服を身につけていた。その頃の女の子というのは、男の子とはまた違った同じような格好をしていた。ワンピースなのである。なんというか、ちょっとふっくらとした雰囲気のやつね。中は下着のパンツのみ。そう、3枚VS2枚。女の子の方が少ない衣服だった。その姿はとても涼しそうだった。いいなぁ、と思っていた。
これを読んでいる人は、僕のことをスケベな奴、馬鹿な奴と思っているかもしれない。どうぞ勝手に思ってくれ。少年の頃の僕が思ったことだ。現在の僕は少しばかり変わってしまっている。
とにかく少年の僕にとって、女の子のこの「2枚」という数字はひとつの敗北であり、越えることのできない大きなものであった。
◆ 海は見ていた
新宿の映画館。広い映画館のためか、人はまばらだった。僕は映画を見るときには後ろの方の席に座る。あとはできれば通路側がよい。一番後ろではなかったけれど、後ろから3番目くらいの席に座った。まだ予告編の始まる前、前の方の席を見ると普段映画を見るときとは明らかに違った雰囲気。何が違うかというと、髪の色が違っていた。もちろん、ここ数年は髪というものは黒いものと決まっているわけではない。赤い髪もあれば、緑の髪もある。そんなことでいちいち僕も驚かなくなった。けれどこのときはちょっと驚いていた。この映画館にいるほとんどの人の髪はグレーだった。染めたものではない自然な髪。頭の真ん中がつるつるになっている人もいた。別に大五郎カットではない。そう、この映画を見る客の年齢層が異様に高かったのである。多分僕が一番若かったのではないだろうか。60歳代くらいの人はザラにいたと思う。
山本周五郎原作、黒澤明が監督をするはずだった『海は見ていた』(http://www.umiwamiteita.com/)である。原作となっている「なんの花か薫る」と「つゆのひぬま」は僕の好きな作品だった。時代劇という映像をフルスクリーンで見たことはほとんどなかったので、至福の時間だった。遠野凪子もよかった。
それにしても、この映画を若い人は見ないのだろうか。僕は若い方ではなくなったのだろうか……。数ヵ月後には、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』が上映される。どのような人に見られるのだろうか。
(2002.8.2)
DOLPHIN HOTEL
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