◆ 恋愛かぁ
吉田伸子『恋愛のススメ』(本の雑誌社)を読んだ。「WEB本の雑誌」(
http://www.webdokusho.com/)に連載されていたこのエッセイはとても好きでウェブ上で良く読んでいたものだった。けれど、途中で読まなくなった。いつからだかはよく覚えていない。どんなに面白くても活字になった本ではなく、このサイトまではなかなか行き着けなかった。単行本になったことも知っていたけれど、なかなか読むことはなかった。なんでかはよくかからないけれど。
NHKの「週刊ブックレビュー」(
http://www.nhk.or.jp/book/)を見ていると、この吉田伸子がゲストとして出ていた。それでこの本のことを思い出し、ようやく読むことになったのである。彼女の恋愛と本についての話はたまらなくいい。読んだ人の誰もが感じられるような身近な話である。特に男性である僕にとっては、女性の裏側を少し見せてもらったような感じもした。
◆ 休日の混んだ電車の中で
電車の中、けっこう満員だった。子供を出しているお母さん。あかちゃんが僕の目の前にある。ニコニコとする。
休日の電車だった。僕は階段を走り、けっこうギリギリで車内に乗り込んだ。けっこう混んでいて身動きがとれなかった。普段の通勤の風景とは少しばかり違っている。家族連れが多い。ふと気がつくと僕の目の前には、小さな、まん丸な目があった。お母さんが赤ちゃんを抱いていた。彼女の前には立ったままの子供がいて、静かにしているように注意をしていた。そのお母さんは1歳か2歳か、まだ小さな赤ちゃんを抱いていた。その子供の顔がちょうど僕の目の前にあったのだ。右手がぶらぶらとしていた。僕のじっと見ている。こんなとき、どうしたらいいのだろうか。僕は文庫本を手にしていたのだが、それを止めて手を振った。赤ちゃんは手を振って返してくれた、と思う。僕の目を見ているのだが、それがどこまでちゃんと見ているのかはわからない。けっこう電車は混んでいるので身動きはできない。僕とこの赤ちゃんとの距離はほんの数10センチである。例えば僕がここで、この赤ちゃんのことを無視してしまったことで大声で泣いてしまったらどうなるのだろう。別にこの赤ちゃんを可愛いと思ったわけではないのだが、僕はニッコリと微笑み、目で何度も話かけた。ちょっとは笑ってもらえたのだろうか。電車はまだまだ終点には着かない。すぐ僕の隣では、女子高生が鏡を見ながらマツゲを直している。僕は何をしていいかわからず、文庫本を鞄に入れて、情けないような笑顔を作っていた。
◆ 北海道の味
有楽町にある「北海道どさんこプラザ」(http://www.dosankoplaza.net/yurakucho/)というところに行った。この店の存在は前から知っていて、何度か覗いてみたことはあった。けれど、そんなに興味はなかった。けれど、歳を重ねるにつれて地方の名産のような食べ物に興味を持ってきた。あちこちと旅をするようになって、東京で売られている食べ物というのは、ほんの一部なんだなぁと感じるようにもなってきた。
地方の美味しいものを食べたい。そんな気持ちが僕を再びこの店に導いたのかもしれない。
店に入ってまず探したのがカップやきそばだった。「やきそば弁当」はすぐに見つかった(笑)。これが地方の名産で東京ではなかなか手に入らないものかと問われるならば、よくはわからないけれど。なんと大盛も置いてあるではないか。でも、その後飲みに行く予定の僕は普通サイズをひとつ買うにとどめた。変わりに、美味しそうなラーメンを買った。これはインスタントではないもの。ちなみに、「稚内ラーメン」というのは「旭川よし乃本店」というもの。他にもいくつかの美味しそうなラーメンが置かれていた。最近では普通のスーパーでもご当地ラーメンと呼ばれるものが売られるようにはなったけど、見たことのない新鮮なものだった。それから鰊のたっぷりと入った「田舎炊き」というものを購入。鰊は大好きなのだ。他にも食べてみたいな、と思うものがいくつもあった。今度行くときには、両手いっぱいで帰ってくることになるのかもしれない。
それから、この店の入ったビル、東京交通会館の同じフロアーには全国の名産を集めたお店もあった。これは新発見。山形の玉こんにゃくもいろいろあったり、ここも気になるお店だった。
◆ 少し遠いけれど
北海道と言えば、一度だけ行ったことがあった。もう10年も昔のことになるのだろうか。バブルの頃に会社の社員旅行で飛行機に乗って2泊3日で行ったのだった。バスに乗っている時間は長く、広いなぁというのが一番の印象だったと思う。あと、ススキノで食べた本場の味噌ラーメンも美味しかった。どうして東京であの味が食べられないのだろうか。今だに謎である。
けれど、もう一度北海道に行きたいとはあまり思わない。この時の旅が、実は初めての飛行機体験だった。その頃僕の耳は何もおかしくはなかったのだが、この時、飛行機で耳が聞こえなくなった。降りたところで元に戻ったので別に不安にも思わなかったが。
今はもう飛行機に乗るのことにはかなり抵抗がある。仮に行くとしたならば、寝台特急での旅になるのかな。ジャガイモが好きで、ジンギスカンが好きで、広いところが好きで、何よりも夏に涼しいとことが僕は好きである。北海道は僕を受け入れてくれるのだろうか。
◆ 山形の味
北海道に引き続き、「やまがたプラザゆとり都」(http://www.mmy.ne.jp/yutorito/)というところに行った。山形の美味しいものが売っている店である。噂には聞いていたが実際に入ったのははじめてだった。嬉しいほどに多くの食べ物が置かれていた。麦きりなどの麺類、鯉の甘煮、山形でしか売っていない調味料までもある。単なる土産物としてだけでなく、この店があれば食卓の味も変わるというもの。地元のお酒もあり、僕は樽平住吉の大吟醸なんてのを買ってしまった。この店があれば、実家に帰ったときに重い土産なんて買う必要なない。ここでゆっくりと買うことにしよう。
◆ 映画館独特の効果
映画『たそがれ清兵衛』(http://www.shochiku.co.jp/seibei/)を見に行った。一度試写会で見ているので、大きなスクリーンで見たいと思い、有楽町マリオンにある「丸の内プラゼール」というところで見た。平日の昼間だというのに、けっこうな人が入っている。満員とまでは行かなかったが、空いている席は前の方の数席くらいだったのではないだろうか。たまたま通路沿い、前から10列目くらいのところの良い席がひとつあり僕はそこに座った。
普通の映画とはちょっと違った予告編(正月向け時代劇のドラマなど)があり、そろそろ本編に入ろうとしていたとき、僕にはある違和感に気がついた。映画というのは館内が暗くなる。それだけに、映像の明るい場面、暗い場面というのが印象的である。本編が始まり、この違和感はずっと続いた。クライマックスと言える殺陣の場面などは、明暗がくっきりしているだけに、この違和感は強烈だった。
僕の座った席の2列前ひとつ左隣、ちょうど僕からスクリーンへの途中になる席に、とある年配のおじさんが座っていた。その人の頭がとっても光り輝いていたのである。スキンヘッドということではなく、頭のてっぺんのところだけが輝いているというスタイルだった。かなり年季の入った綺麗な状態。誤解しないで欲しいのだが、悪く言うつもりは全くない。ほんとうにあまり見ることのない見事な頭だったということである。
違和感というのは光だった。例えば、映画のある場面で刀に鋭い光が走ったとする、その光がこのおじさんの頭を通して僕の目に入るのである。ステレオ、エコー、なんとも言葉で表現することのできない、不思議な感覚を味わっていた。
◆ はずかしいと僕は思うのだけど
新宿の南口を暗くなってから歩いていた。島屋周辺から橋を渡って線路の反対側まで。すごいイルミネーションだった。工事中のクレーンまでもがライトアップされてしまっている。歩いていて恥ずかしくなってしまった。まあ、綺麗なんだけどね。イルミネーションだけでなく、カメラで撮影している人もなんだか恥ずかしい。といいつつ僕もどんどん写真を撮っていたのだけど(笑)。
僕の友人はこのイルミネーションの道を通勤しているのだという。人通りが少なくなって、静かだけれど人がいぼそぼそと動いているというのも、とっても恥ずかしそうだよねとオジサンは思うのであった。
◆ 身も心も
とある洋食屋チェーンのお店で「薄切りふらんす亭ねぎ塩焼き&ガーリックソースハンバーグ」のコンビプレートというものを食べた。誤解のないようにしたいが、この店の料理がどうのこうのという話では全くない。本来僕はこうしたハンバーグ、焼肉、カレーライスなんて食べ物は大好きである。あの、肉汁がじわぁという感じは何ともいえない。子供の頃は肉は嫌いだったのに、いつの間にか好きになってしまったのだ。けれど、健康的な理由で、こうしたものを外食するということはあまりなかった。
久しぶりのハンバーグ、ニコニコ顔で僕は食べた。美味しかった。素直に美味しいと思った。けれど食べ終えて、あと3年くらいは食べなくてもいいな、とも思った。ここ数年ずっと塩分控えめの食生活をしている者としては、やぱり味が濃くてどうも後味がよくないのである。再び言うが、美味しくなかったわけではない。十分に美味しかった。歳とともに味覚が変わってきたということもあるのかもしれない。白いご飯には、ハンバーグよりも、秋刀魚の塩焼きや金目鯛の煮付けなんかの方が美味しいだとうと、身も心も思うようになってきたようだ。
◆ 拉致問題
毎日毎日、拉致問題がニュースで取りあげられている。複雑に絡み合った難しい問題だと思う。どのような解決方法があるのか。考えても具体的に答えが出てくるわけではない。拉致されたという刑事事件としての要素、核問題という国家的な問題、相手は国交がないとは言え、過去の日本に密接に関係のあった国である。当事者に対しての支援、問題は他にもいくつもある。
この5人が帰ってきただけでも、長い時間がかかった。
拉致問題、僕が最もわからないのは、国の誰が責任者かということである。一応、外務省ということになるのだろうか。けれど、もうひとつピンと来ない。問題はひとつの役所だけでなく、多くの役所に横断的に関連していると思うのだ。例えば、支援者が署名活動をしたとする。その署名は誰に渡して、誰がその返答をするのか。総理大臣とは言っても、責任を持ってこの問題を専門的に対応する、とは全く思えないし。
これだけ世間の関心が集まっているのである。例えば、拉致問題担当大臣といったこの問題に関しての専門部署などあって然るべきではないだろうか。明確な戦略を持って、超法規的に解決にあたるような。この数年、多くの会社は組織の改革というものを行い、従来の縦割りではないよりフレキシブルで責任者の明確なシステムへと変わっている。今どき、こんな対応をしているのは日本政府くらいではないだろうか。
今の政府の対応というものは、責任者も戦略も何も感じられない。例えば、人質事件が起こったときに、ただ犯人が悪いと批難しても何も解決はしないと思うのだ。
◆ 忘年会
「おい、○○○(←僕の名前ですね)。見ている人は見ているんだからな」
これは、僕が会社に入って数ヶ月したときに先輩から言われたことだった。僕はその会社の仕事がとても不満だった。情けないけれど、けっこう腐っていた。仕事ができない奴、そんな風にも思われていた。そんな頃に、僕に語りかけてくれた。僕はこのことを今になっても憶えている。ちゃんと評価してくれる人はいるのだから、がんばれよ、という励ましの言葉だった。
それから少し時が経って、転職した会社の忘年会で飲んでいたときだった。先輩の女性がいた。彼女は他の人と交わることのない人だった。どんな職場でもこうした人は1人くらいはいるのではないだろうか。盛り上がっている宴会の中、彼女は両手でグラスを持って梅酒か何かを飲んでいた。僕はまだこの会社に入って数ヶ月で、何かを語りかけるような声は持っていなかった。一番の後輩なのに、半分は自分より年下という場は、わかってはいても僕にとってはけっこう厳しかった。この先輩の女性は、確かにしっかりとした仕事をしていた。自分から多くのことをアピールすることはなかったし、いつも静かだったけれど。もちろん、僕はほんの一面を見ていただけであり、この忘年会でひとりで飲んでいた風景はたまたまのことだったのかもしれない。でも、僕は先輩から言われたことを思い出していた。僕は彼女に話し掛けたかったけれど、何も言えなかった。
そう言えば、忘年会というものは大嫌いだった。職場の上司のところに酒を注ぎに行き、説教されるのだ(笑)。今は忘年会は疲れるから嫌である。誰かに説教することなんて、ない。ただ、ぼーっと、人を見ながら酒を飲んでいる。
◆ だって、何だか
なぜか突然「キューティーハニー」のテーマソングが僕の頭の中に流れ出した。ついつい口ずさむ。3日間ほど、この状態が続いた。ちょっと疲れているのだろうか……。
◆ 問いかけ
「ねえ○○○(←僕の名前ですね)君、それは君クンにとって楽しいことなの?」
これはもう20年になる女友達と久しぶりに飲んで語ったときの彼女の話である。最初はこの発言は新鮮に聞こえた。でも、何度か繰り返されると、ちょっとしつこいぞ(笑)とも感じてきた。例えば、会社に行って仕事をするということは楽しくないことだったりもする。でも、彼女に言わせれば楽しくなければいけないのである。大手の会社を辞めて、自由に生きている人なのでとても説得力がある。目の前でぐいぐいと飲んでいる表情もとても楽しそうである。
もちろん、「楽しい」ということにはいろいろな定義というものがあるだろう。でも、現実に今僕が仕事をしてなんだかんだやっている人生が本当に楽しいか?と問われたならば、イエスという返事はできない。彼女の言うように、楽しい!と返事のできるような人生というものがあるのだとも思う。自分の気持ち次第なのかもしれないし、他に何らかの選択があるのかもしれない。このところどうもこの台詞が気になってしまっている。こんな風に問われたならば、多くの人は何て答えるのだろうか。
◆ よくわからないこと
景気が悪い、消費が伸びないと言われている。まあ、わからなくはないけれど、ピンと来ないのも事実である。例えば、僕の大学生の頃と今の大学生とを比較するならば、比較にならないような消費になっていると思うのだが。学生ということで考えた場合、これ以上どう消費する生活が理想なのか、僕にはわからないのである。
何かがおかしいと感じている人は多くいる。けれど、どのような消費の状態がベストなのかといった議論はあまり聞かないような気がする。もちろん、価値観なんてものは、それぞれでどんな社会が良いかなんて一概に言えることではない。常に変化して、その変化の中でやっとこさ、前に進んでいるのかもしれないけど。
◆ ぜひ読んで欲しい
佐藤多佳子『黄色い目の魚』(新潮社)について、どんな風に感想を書いたらいいかと、ここ数日ずっと悩んでた。とにかく、せつないのである。「せつない」なんて言葉で感想を語るのは陳腐であるかもしれないけど、どうしようもなく、せつない。木島の気持ち、村田の気持ち、真っ直ぐで壊れそうで危うい感じさえある。でも、強くなろうとしていて、ページが進むごとに2人の表情は変わっていく。
作者は「十年後〜あとがきにかえて〜」の中で、この話を初めて書いたのが大学2年の時だと書いている。十年という歳月のギャップについての悩んだようである。僕には、こうした十年と言うものが感じられた部分がとてもよかった。何も完成された表現だけが印象に残るわけではない、少しばかりたどたどしい表現だからこそ、10代の頃の感性というものを描けるのかもしれない。
僕はこの本を読んでいた何度か目頭が熱くなった。特別な、盛り上がる場面でということではない。さりげない表現が、薄くいくつも重なり合って、気がついたら押さえることのできない気持ちになってしまっている。
10代のときにこの本を読むことができたなら。そんなことを思う。もうだいぶ遠くなってしまったけど。佐藤多佳子は、僕と同じ年の生まれだった。
◆ 手作り弁当
デパ地下を歩いていたら「手作り弁当」という文字が目に入った。別に不自然に感じる必要もないだろう。でも、その時の僕には違和感があった。「手作り弁当」でない「弁当」とは何なのだろう、と。デパ地下で売られている弁当というものは、当然大量の数を作っている。どんなに大量だとしても、弁当というものは手作りだと僕は信じて疑わなかった。もちろん、この「手作り弁当」という文字には深い意味はなかったのかもしれない。でも、「手作りでない弁当」というのはあるのかと僕はこの数日考え込んでいたりしている。自動車の生産ラインのように、弁当が流れていき、ロボットが盛り付けしていたり、なんてことがあるのだろうか。
どうせ「手作り弁当」と宣伝するのだったら、作ってくれたお母さんの顔写真とかあったら楽しそうだけど。最近は野菜もそんな風に売られているし。「10個限定NONKOお母さん手作り弁当」なんてデパ地下にあったらちょっと高くても買ってみたいよね。
大掃除はしていない、けどまあいいや 2002/12
#2
◆ 冒険
実は今月の僕の書籍代は2万円を越えてしまった。年末ということもあり、自分自身に何かプレゼントをあげてもいいかなとついつい買ってしまったのである。はたして僕はこの本を読むのだろうか。積読で終わってしまうのだろうか。不安な気持ちもある。けれど将来のことなんて誰にもわからないのだ。僕という人間は、本を買うことに関してあまり冒険はしてこなかった。例えば図書館で借りて何冊か読み、気に入ったならばその作家の本をどんどん買っていく。よって、所有している本というのはほとんど読んでいる。けれど、本を読む楽しみというのは冒険という中にもあるんだよね。書店で何も考えることなく、ただ時を過ごす。すると、僕に語りかけてくる声を感じる。僕は1冊1冊手に本を手に取り、その声の主を探すのである。そうやって、僕の部屋に来てくれた本が面白かったときには言葉では言い表すことの出来ないような気持ちになる。けれど、数ページで終わってしまうという本も、やっぱりある。人との出会いもやはり同じで、通り過ぎてしまう人は通り過ぎる。出会いが運命ならば、通り過ぎるのも運命なのだろう。でも、本を買うという冒険は、やはり楽しいことである。最近はこの冒険をあまりやってなかったような気がする。僕の部屋のどこに本を置いたらいいのか、少し考えているところだけど。
◆ ちょっとした刺激
村上龍の『だまされないために、わたしは経済を学んだ』(NHK出版)を読んだ。先日読んだ『マクロ・日本経済から ミクロ・あなた自身へ』の前作にあたる作品。村上龍のエッセイはわかりやすく歯切れがいい。好き嫌いの多い作家で、僕も凄く好きだったときや、あまり読まなくなったこともある。でも、こうやってエッセイを読んでいると、その独特な視線に良い刺激を受ける。元気になって、ちゃんと社会に対して前向きにという気持ちになってくる。
この本の中では、子供について少しばかり書かれている。自分が子供の頃に父親をどう思っていたか。自分が子供に対してやっていこうと思っていたこと。そういう文章がとてもいい。
◆ 酒場での語らい
職場関係の人と酒を飲んでいるとどうしても愚痴や悪口のような話になる。もちろん、あんまり度を過ぎるとみっともないのだけど、少しくらいはこうやって飲まないことにはやりきれないな、という気持ちも正直なところある。「そうだ、そうだ」などと相槌を打ち、ウーロン杯の次に日本酒にしようかワインにしようか、悩んだりする。
実はこうした酒飲みの会というものが、ちょっと違った雰囲気となってきた。20代の人と飲む機会が多くなってきたのです。時には僕の方が聞き役にまわることもある。まあ、僕は自分が話をするよりも話を聞くことの方が多いのだけど。そうだね、と相槌を打ち励ませばいいのだろうけど、「それは言われるアンタが悪いのだろう」と感じるケースが多くなっているのである。もちろん、酒の席で説教なんてマヌケなことはしたくはない。まあ、なんというか。黙ってちびちびと飲むのであった。
◆ 本屋さん
新宿ルミネ1の5階にある「青山ブックセンター」(http://www.aoyamabc.co.jp/)をブラブラした。ちょっと本でも買おうかな。あまり深い意味はなくこの書店を覗いてみた。初めて来たところだった。フロアーの真ん中にはスターバックスがあり、その両側にCDショップとこの書店がある。とてもオシャレな雰囲気である。ジュンク堂書店の買い物籠を持ってうろうろ歩き回っている雰囲気とは全く違っている。書籍はあまり置かれていない。雑誌が中心の様子。それでも、歩き回って本を見ていた。そのうちのこの書店が普通でないことに気がついたのであった。置かれている本がかなり個性的。とてもセレクトされた本が、平積みされている。他の店とは全く違っている。なにせ、レーモン・クノーの『文体練習』(朝日出版社)が目立つところに置かれている。
僕はついつい高見浩の『ヘミングウェイの源流を求めて』(飛鳥新社)やリュドラ・ウリツカヤの『ソーネチカ』(新潮クレスト・ブックス)などの予定にない本をついつい買ってしまった。他にも突然気に入った雑誌を買ってしまったり、かなり予定外の出費をしてしまった。あと1時間この場所にいたならば、あと1万円くらいは使ってしまっていたかもしれない。
書店というと、リブロはジュンクといった大きな店の方が良いという印象を持っていたが、そうでもないのだと強く思ってしまった。他にもこうした書店は多くあるのかもしれない。小さくても個性のあるところ探して行きたい。
◆ 雑誌とあるウェブサイトと
書店でふと雑誌を見つけて、2冊も買ってしまった。僕は雑誌というものはほとんど買わない人なのに。雑誌の名前は『Arne』(http://www.iog.co.jp/)という。大橋歩さんの創ったとても個人的な雰囲気のものである。余計な広告はなく、コンセプトがしっかりしていて、とてもオシャレなものとなっている。手に持ってパラパラめくっているだけで幸せな気持ちになる。ちなみに3月中旬発行予定(発売時期が確定でないところがたまらなくいいよね)の第3号では、村上春樹のエッセイが載るらしい。今から楽しみだ。
ところで、僕は「大橋歩」で検索をしてみた。するとまたしても見たことのあるサイトが開く。「ゆめごこち」(http://www.yumegarden.com/)である。星の数ほどあるインターネットのサイトの中で、こんなにも素敵な存在感のあるサイトがあるかと思うと、ほんとうに嬉しい。そして悲しい気持ちにもなる。
ドルフィンホテルも良いサイトでありたいものだと思ってしまう。
◆ 出会いと別れ
プリンターを買った。キヤノン(なんて「ヤ」は大きいのだろうか?)の安いのを使っているのだけど、どうにも調子が悪い。どうやらヘッダーが壊れてしまったよう。新しいヘッダー部分を買ったとしてもけっこうな値段がする。新しいプリンターを買った方がいいかなと思って、1万円ちょっとを奮発したのだった。あれやこれやとセッティングをしてようやく印刷することができた。速い。これまでのプリンターは何だったのだろうか。どんどん進化していき、しかも値段は安い。
古いプリンターはもう捨てよう。けれど、こんなにどんどん捨てていいのだろうか。例えばある人と付き合っていた。喧嘩をした。他に気持ちの通じ合える人が現れた……。もちろん、人とプリンターは違うけれど。
◆ 忘年会オフ・レポート その1
やるとかやらないとか騒いでいるオフ会なのだけど、先日ひっそりと開催された。参加者は僕と、むらてさんと、mawaさんと、NONKOさんの4人。けっこう何度か顔をメンバーなのでオフ会というよりも、久しぶりの友人との語らいの会といった方がいいのかもしれない。でも、こういうことを書いてしまうと、初めての人が参加し難くなっていますかもね(笑)。別に仲間内だけの飲み会ではなく、広く新しい参加者と出会いたいなと思っているので興味のある方はぜひ参加していただければと思います。
この日のオフでの一番の話題は、いかに新しいメンバーにオフ会に参加してもらおうかというもの。マッコリを飲みながら「ドルフィンホテルオフ会、新しい人にどんどん参加してもらいましょうプロジェクトチーム」というものが結成されたのであった。多くの提案がなされたのだが、はたして実行はされるのだろうか。
オフ会というものは、この日の飲み会の場所となった店と同様に入りにくいのかもしれない。何度か利用している池袋の韓国料理の店で飲んでいたのだけど、女性一人ではどう考えても入れるような雰囲気ではない(笑)。こういうことを書くと問題だけど、入ってしまえば何も問題はない。お店の人は親切だし、暖かな料理の香りが漂う。何を食べても、凄く美味しい。いつもの通り、ブルコギを食べ、チジミを食べ、鍋を食べ、石焼ビビンバを食べる。マッコリは4人で3本も空けてしまう。他にも飲んでいる。こんなに食べるのは久しぶり、というほどに食べて飲んだ。
◆ 移転問題
居酒屋に飲みに行ったら、もの凄く混んでいた。通路にまで椅子を出して、学生さん達は大きな声で唄っていた。うるさいな、と思いつつ。このくらいなことに寛容になれなければいい大人とは言えないのだろうか、などど悩む。それにしても、年末というのはどうしてこんなに酒場は混むのだろうか。なんでこの時期に忘年会が多いのだろうか。多くの店は2時間締めの予約制になり、店員さんのサービスも悪くなる。料理が出てこなくてイライラする。頼んだ酒が来なくて手ぶらになると楽しくなくなってしまう。こんな思いはしたくはない。別に今年が終わり来年になったとしても何かが変わるわけではない。ということで、12月を他の月に移動させたらどうだろうか。首都移転問題というものがたまに話題になるが、12月移転運動というものを僕は提案したい。10月とか2月くらいに、忘年会をやって大掃除もやる。そうすればお店の混雑も少しは解消するだろう。楽しく飲める。正月もゆっくりと休むことができる。健康にも良いような気がするし、メリットというのはかなり大きいのではないろうか。
◆ 力強さ
梁石日の『終わりなき始まり』(朝日新聞社)を読んでいる。上巻をようやく読み終わったところ。僕は現在「お風呂読書生活」というのを実行している。週に何回か(1回か2回だけど)はお風呂読書をやって、その時の本はその時だけ読むということにしている。そんなわけで、週に限られた時間した読んでいないのでなかなか進まないでいる。この作家は好き嫌いの幅が大きいようだ。読まないという人も多かったりしている。実は僕もこの数ヶ月彼の作品からは離れていた。新刊が出ても買うことなくしばらくほって置いた。でも、僕はこの力強さについつい惹かれてしまっているようだ。正直なところ、お風呂でリラックスしながら読む本ではないのだけど(笑)。
◆ 朝の元気
このところ僕の中で順位の変動がある。かつては完全な圏外だったのだが、少しずつランキングを上げていき、今は十分に表彰台の位置にまで来ている。僕の好きな味噌汁の第一位は不動の「大根と油揚げ」なのだけど、ここ最近「豆腐となめこ」が頑張っているのである。実を言うとなめこというのはそんなに好きなわけではなかった。けれど、実家から送られてくるダンボールになめこの缶詰が入っていたりして、仕方が無いなという気持ちで食べていた。なめこを食べるといっても気の利いた料理ができるわけではない。一番スタンダードともいえる「豆腐となめこ」というものをたまに飲んでいた。自分からなめこを買うということはなかったのだが、ついついスーパーで買って味噌汁をつくってみるとその美味しさに感激してよくつくるようになったのである。僕の中で、どういう変化があったのかはわからない。けれど、好きになってしまうのに理由は要らない。味噌汁と恋愛というのは同じものなのかもしれない。やわらかな絹ごし豆腐と、ぬるぬるしたなめこの相性というものは他にはないカップルではないか。
しかし、この味噌汁を飲みながらも僕には大きな不満があった。生のなめこはヌメリがない。缶詰は売っていることは売っているが、実家から送られてきた地元の物とは全くといっていいほど違うのである。もっともっとどろどろのヌメリの汁が入っていなければならない。味噌汁に入ったときに、焼けどしそうなほどの熱さが出てきて、たまらなく美味しいのである。東京では手に入らないと諦めていたのだが、売っている店を見つけてしまったのである。豆腐となめこのタッグは一位になることができるのだろうか。
「美味しい味噌汁」という掲示板を作ろうかどうしようか、少し悩んでいるところでした(笑)。
◆ 飲みながら気長に待っているけれど
久しぶりの「ねけさく図書館」(http://homepage2.nifty.com/Rumiko/)情報になります(笑)。ちょくちょく覗いてはいるのだけどね。なんと言っても「diary」が「one
day's voice」という名前に変わってしまうというセンスがなんとも言えません。
本当は、館長さんことcooさんの本の書評をもっともっと読みたいのだけどね。仕事なんてしないで本を読んで、どんどん書いてよ!と思っているのは僕だけではないと思うのだけど(笑)。とにかく今年中には5月から12月までの本のレビューが更新されるのだろうと、ここ数日は注目なのである。
あーあ。あんまりこういうこと書くと怒られるだろうな。でも、僕だけでなくcooさんの本をお薦めを待っている人は多いと思うのですよ。
◆ クリスマスのトナカイ
職場でクリスマスパーティーというものをやった。会費の設定をして、プレゼントを買って、酒と料理の買い物をした。はぁ。実はこれでもう疲れてしまった。乾杯をした時点で僕のクリスマスパーティーなるものは終わってしまった。もう疲れることはやめようと思う今日この頃なのであった。
ところで、クリスマスというものはやはり特別なのだろうか。どこかで食事をしたり、家族で特別な日を過ごすものなのだろうか。テレビを見ていると、もの凄く特別なものとして映る。けれど、ほんとうのところはどうなのだろうかとも思う。もちろん、ひとりひとりにとって違った価値観があり、こんなことを問い掛けること自体、あまり意味のないことでもあるけど。
クリスマスと言えば、恒例となっているのがイブの夜の『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』である。この日は眠くてビデオに撮って翌日に見た。八木さんは相変わらず素敵であった。
ところで僕はけっこう感慨深くこのテレビ番組を見た。木田優夫についてだ。彼は今もメジャーリーグのマウンドに上がることを本気で考えているのだ。時の流れるのは早く、このクリスマスの番組を見ている人で木田優夫という人物が野球選手であることを知らないという人も多くいるのかもしれない。知っていても、もう引退したと思っている人も多いかもしれない。僕はほんの数日前にこのことを知った。トナカイさんの姿は、とてもかっこよく見えた。
◆ 映画
テレビで放送された、黒澤明監督の『どん底』を見る。正直なところ、よくわからなかった(笑)。今年は何本かのクロサワ映画というものを見た。10本くらいは見たのだろうか。来年は全てを見てしまおうと思っている。
例えば本を読む場合、僕はその作家が気に入ったならば全ての作品を読もうとする方である。映画というものはこれまであまり見ることはなかったが、今年はけっこうな数を見た。来年はもっと映画館に行き、ビデオも見たいと思っている。何人かの映画監督をチェックして楽しんで行こうと思っている。
◆ スーパーネタ
「この読書夜話でどんな話を取り上げて欲しいですか?」
先日僕はこのようなアンケートを取った。その結果一番多かったのはスーパーについて書いて、というリクエストだった。アンケートの総数は秘密です。ということで、地元の西友ストアーについての少し書くことにする。僕は今日、明日の朝で切れてしまう納豆を買い、ゴボウとサトイモなんてのも買った。このところ料理に目覚めているのである。全然上手くならないのだけど(涙)。それにしても店内のあまりの変化に驚いてしまった。2日前のクリスマスの日には鳥の腿肉がこれでもか!というほど置かれていたのに、この日は全くといっていいほど置かれていない状態だった。変わりに完全なお正月モード。いつもの納豆売り場の場所も変わってしまい、僕は少し苛立ってしまった。ちなみにうちの実家では正月に「納豆餅」というのを食べる習慣があり、納得は正月料理でもあるのだ。
ほんとにクリスマスから遠いところまで来てしまったという感じである。クリスマスの売れ残りはなかったのだろうか。同じ冬の季節だというのに、こんなにも食べ物が変わってしまっていいのだろうか。こんなに大量に置かれている蒲鉾はクリスマスの時にはどこで待っていたのだろうか。本来食べ物というのは、その季節によって、収穫の時期によって違ってくるもの。お正月に、黒豆といった料理を食べることは理解できる。でも、つい数日前の鳥の腿肉は何だったのだろうと、やっぱり思ってしまうのだ。
そう言えば、このところ値引きもあまりやってないような気がするけど、これは僕の気のせいなのだろうか。やはり、年末年始という季節はあまり好きにはなれない。
◆ 今年はどんな年だったのだろうか
年末になってしまった。今年もあとほんの僅かとなってしまった。年賀状には全く手をつけていないけれど時間は流れて行く。1年ということで区切りを付けるというのはあまり好きではないけれど、いくつかのことをまとめようとも思っている。毎年「読んだ本のベストテン」というものを書いているのだけど、今年は「見た映画のベストテン」というのも書こうと思っている。何かそういうことをしていかないと、過去の記憶が曖昧になってしまうのである。例えば、学生だった頃には「あれは高校3年の頃だな」なんて明確に思い出すことができる。社会人になってからも、「ああ、あれはあの会社にいたときのことだな」なんて感じで残っている。「ああ、あれはあの子とあああああ……」なんてのも明確かもしれないけれど、そうしたことはあまり思い出したくもないからね。この数年、2年前のことと5年前のことが区別できなかったりもしている。まずいなぁと思う。ワールドカップがあることによって、なんとかなっているかなという状態である。
こんなことを書いていると少し寂しくなってしまうな。でも、今日はいいことがあったのだ。おやすみなさい。
やや、せわしないけれど 2002/12
#3
◆ 夜話のこれから
この2002年を少しだけ振り返ろうと思う。別に積極的に振り返りたいわけでは全くないのだが、なにせ書くネタがもう尽きてしまった。書きながら何か出てくるかな、と思って適当に書いているのではあるが。仕事をして、この読書夜話を書いて、というのはけっこう大きなウエイトを占めていたような気がする。
読書夜話というのは、ちょっとしたトレーニングみたいな感じでいっぱい書いてみようと思った。例えば月に1回であれば、ぎりぎりのところで最低限のことしかやらない性格である。よって、月に4回にしてしまえば、ぎりぎりが増えてしまうことになり、ちゃんと書こうという気になるかなという単純な発想であった。書いてみると、けっこう書けるもので、確かにひと月が4倍くらいの密度になったような感じがあった。普段も何か気がついたことがあればメモするようになったり、それなりに注意深くなったように思える。
そうだ、今年の大きな出来事としてはデジカメを買ったことだった。なるべく普段でもデジカメを持ち歩いている。実際に使うのは、ほんの少しの時間だけだが。人物を撮るというわけではないが、ちょっとした風景を撮るのは面白いと感じるようになった。撮ったものをこの読書夜話に載せたり、あまり大した使い方もしていなかったのだが、年賀状に使ってみることにした。小さいサイズにして、3×5で15枚の風景の写真を印刷した。これは自分としてはかなり気に入った出来だった。1年をこうした写真で振り返るというのは、とても意味のあることだろうとも思った。文章で何かを語ることも楽しいことだが、写真でも伝えることができるのだな、と新たな発見だった。これまではデジカメをただ持っているだけという消極的な利用の仕方だったが、もっと積極的に写真を撮りたいという気持ちにも変わってきた。あまり機能のないデジカメではあるが、まだまだ工夫すればもっといい写真になるかもしれない。
ということで、ドルフィンホテルももう少しこのデジカメ写真を生かした方向にしていきたいと考えている。
◆ クリスマスパーティー
もう遠い昔のことになるが、2002年のクリスマスの出来事について少しだけ。僕はとあるパーティーのためにいくつかの準備をしていた。東急ハンズに行き大量のプレゼントなどをやっていた。ふと疑問があった。多くの人はクリスマスパーティーというものをやっているのだろうか。やっているとすればどのように。東急ハンズには、多くのパーティーグッズが売られている。ビンゴゲームや、クラッカー、サンタの衣装。飲み屋でクラッカーを鳴らすわけにはいかないし、派手なコスプレ衣装を着るというわけにもいかないだろう。それなりの場所で、ということになる。職場といっても、こうしたことを許可する大らかなところがそんなに多いとは思えない。自宅は狭く多くの人が集まれるわけではない。僕がレジで並んでいるときに、隣の綺麗なOL風のお姉さんはセーラー服(ハンズに売っているコスプレの衣装の奴ですね)を買っていた。彼女はどんなクリスマスパーティーに参加したのだろうか? もちろん、パーティーというのが大勢でやると限ったものではないけれど。
◆ 素朴な疑問
連日のニュースで北朝鮮の核問題というものがある。実は、恥ずかしながら僕は何が問題なのかよくわからないでいる。もちろん、北朝鮮という国は極めて危険な国であり核兵器などを持たれたら、大きな問題である。そうした意味で注目されることは十分にわかる。けれど、もう少し別の本質的なところでさっぱりわからないのだ。
危険な兵器であれば、全ての国で放棄すればいい。みんなで核兵器はやめましょう。これならば何も問題はない。けれど、核兵器を持っている国が、持っていない国に対して作っていけない、というのはよくわからない。圧倒的な数の核兵器を保有している国が、果たして信用できるのか。
力のない国は力のある国に従わなければならない、というのであるならば、これはこれで納得ができる。戦国時代に人質を差し出していたように。政治というものは、あまりにも解かり難いと思うのだけど。
◆ 小田和正
年末の恒例なのだろうか。TBSで放送された小田和正の「クリスマスの約束」を見た。最近ちまたで流行っている曲というのは歌詞がなんだかよくわからないものが多かったりしていて、何を歌っているのかわかる、というだけで楽しく見ることができた。見ていて気になったことが2つあった。
ひとつは帽子である。小田和正は毛糸の帽子を被っていた。たぶんオシャレなのだろうと思う。普段の彼を見ているわけではないので、いつもどうなのかはわからない。別にそのことについてどうのこうのという話ではない。実は僕の髪の毛のことである。悲しいことだけど、頭のてっぺんがけっこう薄くなってきていたのだよね(涙)。自分ではまったく気がつかなかったのだけど、先日後方から撮られた写真によって悲しい現実を知らされた。僕は少し悲しい気持ちで過ごしている数日だった。それで、この帽子がどうしても気になって仕方がなかった。
もうひとつは、観客の女性であった。両手を合わせながら真っ直ぐに歌っている姿を見ている。もちろん、テレビカメラは綺麗な人、いい画ばかりを撮っているのだとは思うが、こういう映像を見せてもらっていいの? という気持ちだった。もちろん、何かに気持ちが傾いている姿というのは、一歩間違えれば危ないものでもあるのだけど。でも、クリスマスだし、こういうのも良いのだろうなと思った。コンサートというものは、もう何年も行ってない。大きなスピーカーからの音は耳に響くだろう、という不安が大きい。もう行かないだろうな。
◆ 規格
職場で大掃除をしたときのことだった。ドアノブの修理をやってもらっていたのだけど、あまりにも古いシロモノらしく、新しいものに変えることができないということ。そう言えば、電気のスイッチを交換してもらったときにも、型が今は新しいものとなりそっくり交換することとなった。古いとはいえ、たかだか10年、20年の期間でしかないはず。住んでいればあちこちガタは来るだろう。別に建物でなくても同じことだが。ちゃんと修理できるような長い間変わらない規格というものはないのだろうか。100年たっても、部品があって個人でも簡単に取り替えられるような。新しいもの、いいものはどんどん出来ているのだろうけど、長く使い続けるという発想は全くないような気がする。
暮らしにくい。僕はそう思うのだけど、誰もそんな風には思わないのだろうか。景気を良くするためには、どんどん新しいものに買い換えなければいけないのか? 100年経ってもチクタクチクタク……なんてありえないように思えるよ。
◆ 忘年会オフ・レポートその2
オフ会でどんな話題が出てくるのか? というと答えるのには難しい。大して中味のある話ではなかったりするし、正直なところそんなに本の話が出てくるわけではない。けれど、「この本はいいよ」みたいな感じでちゃんと本の話が出てこないわけではない。この日の一番の話題は、やはり『たそがれ清兵衛』の映画についてだっただろうか。それと、ドルフィンホテルの話題というのもけっこうな時間になっていたかもしれない。それぞれの部屋について、常連の書き込みの人について、みくさんとはどんな人だろうか(笑)、などなど。
韓国料理「ソウル亭」という店を切り上げて、2次会に行くことにした。とある街のバーへと向う。少し雨が振っていた。mawaさんは突然「あれれ」と声を出す。「なんだか傘が短くなってしまった」と言う。傘というのはそう簡単に長さが変化するものではないはずだ。おまけに名札まで付いている。どうやら間違えたか、結果として別の傘になってしまったようだ。しかも、児童がさすような傘である。途中まで気がつかないというのは、それだけかなりの酒の量を飲んでいたということだろう。それと、おちゃめなmawaさんのキャラということもある。そんなわけで、けっこう笑いながら夜の街を歩いた。
2次会ではけっこうオシャレなカクテルなんぞを飲む。帰りはタクシーに男3人で乗り込む。かなり酔っ払っていた。体力の低下を感じた一日でもあった。
◆ 国民の祝日
結局のところ、部屋の大掃除をすることなく年を越してしまうこととなった。レンジの裏側とかはかなり汚れている。普段そんなに汚くしているわけではないけれど、あちこちの手の届かないところはどうやっても汚れてしまうし、ホコリも溜まってしまう。こんなときに気軽に安い値段で頼むことのできる専門の人がいたならば、ついついお願いしてしまうかもしれないかも。そうなんだよな。年末だから掃除の時間が取れなかったりする。いっそのこと国民の祝日で「掃除の日」なんてのがあったらいいと思うのだが。祭日というとどうしてもどこかへ出かけてしまいがち。この「掃除の日」はみんな部屋で掃除に勤しむのだ。この日はお店や映画館なども休みだったりする。そうすると外へは出かけずに部屋で掃除をするしかなくなるのだ。前日などは掃除用具がバンバン売れるかもしれない。翌日は特別に全てのゴミが捨てる対象となったり、行政も力を入れて欲しい。ゴミの分別を徹底されるいい機会である。6月くらいにこの「掃除の日」を設けるならば、掃除好きの人は年末もやることになり、なお綺麗になる。年に一度しかやらない人も、やるかやらないか中途半端な年末の掃除とは別に、綺麗な部屋で夏の新鮮な空気を吸うことができる。考えてみると、国民の祝日というのはあまり意味のないものが多い。「勤労感謝の日」なんてあっても、特に何かを祝うということでもないのだ。もっと実用的な休日にした方が良いと思うのだが。
◆ 静かな正月を
30日の東京駅というのはけっこうな人だった。お土産屋さんのところが特に凄い。なんでお土産なんて人は買うのだろうか、などと少しばかり疑問を持ったりもした。東京駅へ来る前に池袋の西武デパートで既に購入していたので、この人込みの中でうろうろすることはなかったが。
正月の人込みというと、僕は都内の静けさを思い出す。帰省することなく、東京で正月を過ごしこともあったのだが、それはそれは静かなものだった。初詣に出かけたりはしたが、けっこう早い時間でしまってしまうようで、夕方、暗くなったころにはひと通りも少なく、こういうのが正月なんだなぁと落ち着いた気持ちになったものだ。新宿や池袋などの繁華街はまた違うのかもしれないが、僕が初詣に出かけたところは、代々木や、赤坂という普段はビジネス街のところだった。現代はコンビニがあり、初売りも元日からやっている。お正月とは言っても普段とは何も変わらなかったりする。都心のビジネス街がもっとも落ち着いた気持ちで正月の気分に浸れるのではないかと思う。
◆ コミュニケーション
30日に乗り込んだ新幹線は自由席だったのにもかかわらず、100%をほんの少し越えるくらいの乗車率だった。それにしても、たかだか2時間の移動に1時間も並んでいる自分に少しばかり疑問を持ってしまったが(笑)。自由席ということで、当然2人組が並んだ席に座れるというわけでもない。僕の前の席では、男女が通路を挟んで並んだ状態だった。まだ若いカップルだった。静かな車両の中、通路を何度も2人の弁当が行き来した。少し食べて、相手に渡してということを繰り返していたのだった。1回のチェンジだけでなく、3回か4回かになっていた。もちろん、こうしたことが悪いということでは全くない。ちなみに、弁当のひとつは「牛肉道場」という牛丼のようなもので、もうひとつはそぼろと卵が乗っていた。
僕が思ったのは、夫婦というのはお爺さんお婆さんになっても、こんな風に仲の良いものなのだろうか、ということである。たまたま僕は、このとき『イタリアンばなな』という本を読んでいて、よしもとばななの『キッチン』での「食べる」ということを深く考えていたときだったのである。別に、ただ羨ましがってアベックの行為を見ていたわけではない。お弁当を交換する、という行為と人間のコミュニケーションということについてとても興味が沸いたのだった。まあ、どうでもいいことではあるのだけどね(笑)。
◆ ツギハギ
新幹線に乗った。つい先日は新しい新幹線も誕生し、目新しい格好のいい車両も走っている。しかし、申し訳ないけれど、僕にはこの新幹線という車両が全く美しいとは思えない。これは東北新幹線に限ってのことであるが。「つばさ」「こまち」「はやて」といった新幹線は一見独立しているようなイメージだが、そのほとんどは「」といった仙台、盛岡行きの新幹線と一緒に走っている。福島や盛岡から車両が切り離されるという仕組みである。単独で走る分にはそれなりに美しいとは思う。しかし、本来の新幹線の、高架線を2つの車両がくっついて走る姿は全く酷いものだ。まったく違ったデザインの車両がただただ、繋がっているだけの状態。ただのツギハギなのだ。ツギハギであるならば、ツギハギに徹すればいい。古いジーンズがオシャレなように。けれど、この東北新幹線というシロモノは、そうではない。とても着飾ってはいるけれど、上着と下の方とが全くアンバランスな状態。もっとも、高架線を走っている分にはその姿はよく見えないのだけどね。
◆ エスプレッソ
アレッサンドロ・G・ジェレヴィーニ+よしもとばなな『イタリアンばなな』(NHK出版)は新幹線の中で読まれた。途中に、パンを4個と缶のウヰスキーの水割りを飲みながら。
よしもとばなな(いつの間にか「吉本ばなな」から改名したらしい)は好きでこれまでけっこう読んでいた。最近はご無沙汰していたが、それでも7割か8割かの作品は読んでいる。そのよしものばなながイタリアでとっても人気があるということでとても気になっていた本だった。イタリアというとナカタという名前が有名だと日本では思われている。実際にイタリアではどうか。ハラダテツヤの方が有名だという説があるのだが、この本では「そのナカータの次に知られている日本人といえば、ヨシモート・バナーナである」(P13)と書かれている。
僕は、イタリアという国にはけっこう興味がある。サッカーとF1の本場で、何よりも食べるということを楽しんでいる。その国で、なんでこの作家の人気があるのだろうか。素朴な疑問というものがあった。読んでいてそういう答えがすぐに見つかるというわけでもないのだが、日本とイタリアの違いというのがあちこちに感じられて、それはとても興味深いものだった。例えば、イタリアでは「沈黙のデート」というものはないみたいな雰囲気である。喫茶店で何も話をしないけれどちゃんと通じ合っているみたいな。このアレッサンドロ・G・ジェレヴィーニという人は、よしもとばななの本をイタリア語に翻訳している人であり、そうした苦労というか、文化の違いみたいなものが書かれているのである。
他にも多くの点でこの本は面白かった。よしもとばななの声が感じられたというのだろうか。「小説を書くと人に憎まれるから」(P88)なんてことが、対談での中とはいえさらりと書かれている。最近はウェブサイトで日記を公開する人も多いわけで、こういうことだって当然憎まれるのだろうなとも思った。まあ、知らないうちに自分が憎むという側にいるのかもしれないしね。人生とは実に難しいことであるけれど、それよりも、そんなことよりも、「おいしいエスプレッソ」を飲みたいなぁというのがこの本を読んでの僕の一番の感想である。過去、僕はほんの数度かしかエスプレッソを飲んだことがない。苦く、おいしかったという印象もない。おいしいエスプレッソを飲む、これを2003年の重要課題にしよう。
◆ 空気
実家に帰ってとても参ってしまっている。ほんとうに困ったという感じだ。何がというと煙草の煙。僕は煙草を吸わないし、周りでもあまり吸うという人はいない。飲みながら吸っていたとしても、けっこう気を使ってくれたり、その場の空気に変化を感じるようなことはない。よって、あまり意識はしていなかった。
けれど、実家での煙草の煙というのは凄いのである。煙草の種類にもよるのかもしれないが、ほとんど煙草の煙を吸って呼吸をしなければならないような状態。煙草を吸わない母は、こうした生活に慣れてしまったのだと思う。柱、壁、天井のヤニが気になってどうしようもなかった。
田舎は空気がおいしくて、と良く言われることがある。でも、禁煙という感覚があまりないのではないだろうか。少なくともうちの家はまるでなく、茶の間では呼吸することも辛かった。
ただ、もう年老いた親にこういうことを言っても仕方がないのだろうとも思う。こうした空気の中での暮らしが当たり前ならば、なんとも思わないかもしれないが、僕の普段の生活は別の空気を吸っているものだ。家というのがその人の生きてきた証だとするならば、こびり付いたヤニもその一部なのかもしれない。
◆ 田舎の街の景色
実家のある街を眺めて少しばかり残念に思ったことがあった。なんだか落ち着かなかった。違和感があったのだ。東京の街の景色のように高層マンションがあっての違和感ではない。そんなものは少ないし、多少の建物があっても違和感までにはいかない。
あちこちの店の看板の文字に情けないものを感じてしまったのだった。地元の名産をアピールしている。例えばラーメン屋さんであれば、「手打ち」「ちぢれ麺」と強調している。でも、この街でラーメンと言えば、特に強調することでなく、ちぢれた手打ち麺というのは当たり前のことだった。例えば関西でうどんの宣伝で、透き通った出汁だなんてことは強調しないだろう。当たり前のことは、当たり前であって落ち着きがあるはず。観光客の目に付くようなコピーになっているのだろう。でもな、僕がどこかの見知らぬ街を旅行するときには、そんなコピーばかりの街は歩きたくはない。本気で観光客を集めたいのであれば、街のお店のひとつひとつの看板までも、ちゃんと規制をかけて欲しいものである。「ようこそ」というよりも、僕には媚びているようにしか感じられなかった。
実家の向かいにある家には、大きく「売屋」と赤く看板が出ていた。茅葺の屋根で倉もある。もちろん、こうした古い家にわざわざ住もうなんて誰も思わない。けれど、落ち着ける景色だったのだけど。
◆ 山の風景
山に登ってみた。実家の近くはちょっとした山があり、そこに公園がある。ほんとに散歩で行けるようなところだ。雪のために上まで登ることは断念したが、10何年以上にもなる久しぶりのことだった。この実家でひとり暮らしをしていたときがあって、そのときにはよく散歩をしていたものだった。ただの山道なので何かが大きく変わろうはずはない。夏の夜であれば、等間隔に車が駐車して若いアベックが人類発展を励むような場所なのだが、この季節はとても静かだった。
思えばこの場所があることで僕はとても助けられた。街を見下ろし、遠い山をただ眺めた。何かがあるわけではない。何もない、ただそれだけの風景。でも、そうしたことに価値があるのだと少しは思えるようになったような気がする。
◆ 値段の移り変わり
実家の部屋の押入れの整理をしていた。実は相当な数の雑誌関係を整理した。ほとんど見ることのないものではあったけど、かなり寂しかった。僕は何でもかんでも保存しておく、という性格なもので、懐かしいものがいつくかでてきた。ひとつはパソコンの契約書である。昭和62年の1月にローンで購入したときのものだった。当時勤めていた職場の営業の人に紹介してもらって、かなり安くしてもらった。本体、ディスプレイ、プリンタ、モデム付電話、これに30回払いの手数料で支払総額が709,000円だった。現在のパソコン事情からは全く信じられないのだけど、ワープロソフトなんてものは何ら付いていなかった。はぁ。でも、僕のようにパソコンに大金を使う人がいることで今の普及があるのだろうと、思い込んで自分を褒めてあげることにしよう。
もうひとつの懐かしいものは、F1のチケット。1987年の鈴鹿最初のレース。僕の席はグランドスタンド指定Fブロック2列06という席で、25,000円という金額だった。ちなみに、現在はこの倍くらいになっているみたいだった。
過ぎてしまったことだけど 2002/12
#4
◆ 情けない一年
2002年を振り返ると、あまりにも本を読んでいなかった。通勤のときに、できるだけ各駅停車に乗って読書時間を増やそうとはしているのだが、それでもほんの数分の差でしかない。たぶん、通勤時間がゼロになってしまったならば僕の読書量もゼロになるのではなかろうか。通勤時間と読書量は比例する、というのが僕の持論なのだが、このことから考えるならば通勤時間を増やせばいいことになる。転職しようか、引越しをしようか。それとも、いったん下りの電車に乗ってそれから上りの電車に乗ってという現状でも可能な方法もあるかもしれない。僕は毎年、しっかりと読んだ本のリストを書いていたのに今年は何もやっていない。何冊読んだかさえわからないのである。2002年はワールドカップもあったことだし、特別な年だったということにしてしまおう。
◆ 大晦日の文句
大晦日は「NHK紅白歌合戦」を見ていた。正確にはそんなに厳密に見ていたというわけではない。最初のあたりは風呂に入っていたため、藤本美貴ちゃんをを見ることもなく時間が過ぎてしまった。2002年最後の残念なことだった。ときどきチャンネルを変え、日本テレビのラーメンの特集を見たりもしていた。どっちを見ても不満があった。
まずはラーメンについて文句を言おう。食べる人を見ていて思うのだが、なんで蓮華を使うのだろう。麺をとって蓮華につけて「この麺とスープは素晴らしいですね」なんて言ってはいけない。ラーメンの食べ方なんてその人がよければ何ら問題はないのだけど、ラーメンというものはザザザーと豪快に食べてこそ、スープと麺とを一緒に感じることができるはず。それにつべこべ話をせずにどんどん食べろといいたい。麺が延びてしまうではないか。それからそれから(いくらでも文句は出てくる)、僕はラーメン屋の食券自動販売機というものが嫌いである。食べ終わって、ご馳走様とお金を払う。そのときに、「おいしかったです」とかひと言あってこそのラーメンだと思うのだ。ラーメンといのはそういうお金の支払いなどコミュニケーションも含めての言葉なのだ。食券自動販売機の店はラーメンとは言えない、というのが僕の持論である。でも、そうなるとほとんどラーメン屋さんは存在しないことになってしまうのだけど。
次に紅白歌合戦について。文句を言いつつ毎年見ているのだけど(笑)。一体何を根拠に「赤が良かった、白が良かった」と言っているのだろうか。例えば、うちの母親なんんかは、「赤の方が上手だねぇ」なんて言っている。プロの歌手に対して上手も下手もないと思うのだが。「歌唱力」「演出」「パフォーマンス性」、例えばこうした点に対して、それぞれ具体的にどちらがいいかなどど、具体的な話があってこそ、審査という言葉が意味を持ってくるはず。これでは「紅白ものまね歌合戦」の方がずっとレベルが上だと言われて仕方が無いではないか。
ということで、ぶつぶつ言いながら僕は大晦日を過ごしたのだった。大人気ないので、あんまり文句は言わないことにしようかな、と少しは反省もしているのだけど……。
◆ 冷たい頬
さすがに雪国というのは寒かった。寒いところは暖房がしっかりしているから暖かいのでは、ということをよく言われる。確かにそうだと思っていた。でも、たまにこうやって雪国に来るとやっぱり寒い。暖かな部屋にいれば確かに暖かい。当たり前のことだけど。けれど、廊下やトイレや風呂、暖房のついていない深夜の台所など、もの凄く寒い。暖かなところと寒いところがひとつの家でも分かれているのだ。おまけにずっと暖房をしていれば空気も悪くなる。食べてばかりいて体を動かすことはない。やれやれ。そんなわけで、ちょっと外を歩いてみたりした。歩いていると暖かくなるかと思うのだが、やっぱり寒かった。手を出していればどんどん冷たくなってくる。頬に手を当てても、冷たいままだ。まあ、これが冬であるわけで、何がどうだということではないけれど。
<<かつて読んだ本を振り返る特集>>
◆ F1
実家にあるかつての僕の部屋(今は母親のミシン部屋となっている)でこの夜話を書いている。本棚を見渡すと、F1関係の本が実に多い。1987年に鈴鹿でF1が開催されるようになり、F1がブームとなったわけだが、その頃出た数少ない書籍、雑誌を僕は買いあさっていた。テレビ放送されたレースもしっかりと録画していて、1レース1本(3年くらいだが)で綺麗にラベルを貼った状態で保存されている。
その頃の雑誌などをパラパラ見返すのは実に楽しい。このマシンとドライバーで、そのままレースが行われたならば、僕はきっと見たいと思う。2003年のマシンとドライバーよりもずっとずっとわくわくするだろう。それにしてもたかだか10年とちょっとで大きく変わったものだ。当時から続いているチームというのは、フェラーリとマクラーレンとウイリアムズしかない。フェラーリは自動車メーカーでもあるのだが、マクラーレンとウイリアムズは、ロン・デニスとフランク・ウイリアムズというオーナーが今も第一線にいるということで、続いて行くということがいいことか悪いことかは別にして、とても難しいことなのだろうと思った。
2003年のシーズンは日本人ドライバーもいない。魅力的なチームというのも特にはない。気持ちを揺さぶってくれるようなF1に関しての本も出ない。何よりも、F1を扱った読み物がないということが寂しい。
◆ 自動車
デイビット・ハルバースタム『覇者の驕り(上・下)』(日本放送出版協会)という本は、そのボリュームという点でとても読み応えのあったものだった。「5年の歳月をかけて取材・執筆」と書かれているのだが、その重みがズシリと凄かった。NHK特集「自動車」ということでテレビにもなったので、その内容は広く知られているものでもある。日米自動車産業についてのノンフィクションだ。
何事にも歴史というものがある。そしてそれは人によって創られてきたのだと、ほんとうに実感できる。この本が出版されたのは1987年である。15年もの歳月が流れたのだ。自動車産業の構図というものはこの間大きく変わった。ハルバースタムは、どのように現状を見ているのだろうか。
それにしても、こうした重量感のあるノンフィクションというのはあまり読んでいないような気がする。単に僕が読んでいないだけなのだろうか。本棚の背表紙はかなり色褪せてしまった。けれど、その存在感は大きい。
◆ 伝説
考えてみると最近「アップル」という名前は聞かなくなった。Macのコンピュータと言えば僕なんかはいまだに、あの箱型のアップルを連想してしまうのだけど。
たぶんこの本は今どこでも手に入らないのかもしれない。ジェフリー・S・ヤング著『スティーブ・ジョブス パーソナル・コンピュータを創った男(上・下)』(JICC出版局)は、本当にわくわくしながら読んだものだった。まさに、パソコンというものはガレージで作られた。まだ二十歳くらいの若い数人が、情熱を傾け作っていった姿、過程が書かれている。技術的なことだけではない、人間的なドラマもある。ジョブスは自らが設立した会社から追い出されるということになる。
信じられないようなこと、と言ってもおかしくはないのかもしれない。ほんの少し前、僕の高校生の頃にパソコンはなかったのである。それが今はパソコンと言えば、巨大な産業となっている。
売られていない本の紹介をしても仕方の無いことだけど、パソコン創世記のノンフィクションというのは、とても興味深いものが多い。
◆ さよなら
今回多くの雑誌を処分したが、その多くは「オートスポーツ」「レーシングオン」というモータースポーツ関係の雑誌。それに「SFアドベンチャー」だった。ほとんど、中味を見ることもなく機械的に紐で結んでいった。
◆ 旅
僕はずっと旅みたいなことは何もしないで過ごしてきた。たまたまこの1、2年実際に旅ということはするようにはなったが。ただ、不思議なもので旅に関する本はけっこう読んでいる。なにしろ中上健次の『スパニッシュ・キャラバンを捜して』(新潮社)や、吉田ルイ子の『ハーレムの熱い日々』『自分をさがして旅に生きてます』(講談社文庫)なんて本を楽しんでいた。旅というと、沢木耕太郎の『深夜特急』が有名だが、その前から数少ない旅の本を探して書店の旅を行っていたのだった。
特に吉田ルイ子は好きで読んでいた。読みやすく、独特の視点がとても好きだった。彼女の監督した映画「ロングラン」も見に言った。最近、この人の名前はあまり聞かない。なんだかとても残念だ。旅の好きな女性には、ぜひ読んで欲しいのだけど。
◆ 角川文庫
実家の部屋の本棚の文庫コーナーと睨めっこしていると、あることに気づいた。圧倒的に角川文庫が多いのであった。ちょうど僕の本を読み始めた頃というのは、角川春樹さんがガンガンと頑張って行く頃で、もの凄い勢いというものがあった。僕なんかは単純な奴なもので、その勢いにガンガンと乗って読書をしたいたのだと思う。それはそれで面白かったのだが。その頃に読んだ本が、現在の書店の棚に並んでいないのはとても寂しいことである。そのうち、リバイバルで出てきたりするかもしれないけど(笑)。
半村良なんかは、背表紙のデザインがちょっと特殊でちゃんと読んで揃えて初めてカッコイイ状態になったりもして、頑張って読んだものだった。あとは、大藪春彦も角川文庫で多くを読んだ。
しかし、20年ほど前に読んだ本を今も読みたいかというと、あまりそういう元気はない。僕の志向も少しは変わってしまった。では読みたい作家はいるのかと考えていたところ、高木彬光の名前が目に止まった。『白昼の死角』(角川文庫)は、その読後感において僕の中ではかなり上位にある。
最近は経済なども扱った推理小説は多い。でも、がっかりさせられることも多かったりもする。新しい作家に手を出すのではなく、この人の本などをもっともっと楽しみたいとも思う。少し前の時代ではあるけれど、その迫力は色褪せることはなく、まだまだ消えて欲しくない本なのであるが。
◆ ニュー・ノヴェル
古い本棚を眺めていると、懐かしいとか楽しいとかではなく、どうしようもなく寂しい気持ちにもなる。例えばその当時、けっこう人気のあった作家が今も第一線で活躍しているというわけではないのである。もう作家であることを辞めてしまった人というのもいるのかもしれない。詳しく調べたわけではないので、わからない。どこかでひっそりと活動しているのかもしれない。
僕の好きな作家のタイプというのは不器用な人である。作家にならなくても、他の世界で同じように成功するであろう人と、作家以外は何をやっても全くダメだという人だっているだろう。後者の人は今何をやっているのだろうか。テレビの歌番組のように、懐かしの歌声コーナーで出てくることもないだろうし。
あまり表立ってはいないけど、しっかりとした活動をしていて、すこしばかり気になっていた作家がいる。池澤夏樹である。自らのウェブサイト(http://www.impala.jp/)も持ち、社会に対してのメッセージを発したりしている。
彼が芥川賞を受賞した『スティル・ライフ』(中央公論社)は、しっかりと僕の本棚に置かれてあった。その頃は、直木賞や芥川賞に重みがあり、買って読もうという気になっていたものだった。帯に書かれているコピーは「新しい」ということを強調していた。
◆ 変わらない味
なぜか本棚の隅の隅の方に、『ベスト オブ ラーメン in Poket』(麺'S CLUB編/文春文庫)なんて本があった。1989年に発行されたもの。10年ひと昔というけれど、ひと昔前のラーメンがこの本にはあった。厳選された101杯がは今とは少しばかり違っていた。当時はあっさり醤油の東京ラーメンが主流。激戦地は荻窪だった。豚骨系は「九州じゃんがららぁめん」あたりがやっと人気の出てきたころ。最近流行りの豚骨醤油というのはまだ少ない状態。僕はこの本を持ち帰ってきた。テレビでやっているラーメン情報なんて無視してしまおう。この本に載っていて、なおかつ現在も続いている店こそが美味しいのではないだろうか。ほんとに美味いラーメンだったら、10年くらいで味は変わらないはず。そのうち、古本屋あたりを探して20年くらい前の、こうした美味しいお店情報の本などを手に入れたいものだ。
◆ ずっしりとした本
10年以上も前になるが、広河隆一(http://www.hiropress.net/)という人が好きでこの人の本を買っていた。パレスチナやチェルノブイリといった場所を舞台とした、写真とそのノンフィクションは胸を打つものだった。そんな彼は1冊だけ小説を書いている。ベイルートの難民キャンプを舞台とした『破断層』(講談社/講談社文庫)は迫力があり、僕は本当に胸の高まりを押さえながらこの本を読んだ。もっと小説を書いて欲しいと思うのだが、これ1冊で小説は書かれていない。
◆ 日本と韓国
2002年はワールドカップがあり、日本と韓国が少し近くなったような気がする。それに、梁石日や金城一紀の小説によっても、両国に間にあるものを感じたりもした。
実は、関川夏央の『海峡を越えたホームラン』(朝日文庫)という本は、まさにそうした問題をテーマとした本だった。最初に単行本で出版されたのは1984年である。日本文化で育ったプロ野球の選手が、韓国プロ野球に身を投じた。そのノンフィクションであるのだが、今読んでもここに書かれている内容は新しく、興味深いのではないだろうか。
◆ 恒例の行事
年末といえば「紅白歌合戦」とか「猪木ボンバイエ」とか「年越し蕎麦」という人が多いのだろう。けれど、僕の場合はちょっと違う。実家の部屋で、本棚を見渡し、ついつい読んでしまう高橋留美子の『めぞん一刻』(小学館)が恒例の行事だったりしている。「五代さん」「響子さん」てなやり取りがたまらないのさ(笑)。ところでこのマンガのモデルとなる街はやっぱり大泉学園なのだろうか。この2人は、今どんな風に暮らしているのだろう……。
◆ 物を減らして
毎年実家に帰るたびに、こうやって本や押入れの私物の整理をしている。親から「本なんて邪魔だから片付けるように」と言われているわけである。
数年前は捨てるなんてことは嫌で嫌でどうしようもなかった。できなかった。けれど、この1、2年だいぶ気持ちが変わってきた。少しずつ物を減らしていくという生活も悪くはないと思うようになってきた。
とはいえ、僕の住んでいる東京の部屋の物はどんどん増え続けているのだけど(笑)。