◆ お雑煮
お正月というとやっぱりお雑煮だと思う。元日にお雑煮を食べたが、美味しかった。ただ、ほとんど一年ぶりに食べた、ということもこの美味しさの大きな要因のひとつのような気もがするけど。お雑煮の話をしていると、突然「えっ」という人がいる。餅の形、味にしても自分のところのお雑煮以外はありえないと信じている人もいるのだ。ちなみに、家の味のベースは醤油で、鶏肉が入り、大根やゴボウなどの野菜がいっぱい入る。
この数年少しばかり僕の社会の見方が変わってきていると思う。お雑煮を語るときに、「それぞれの家庭でも味が違うから」などという話が出たりする。地域だけでなく、その家庭でも確かにお雑煮というものは違う。けれど、お雑煮を作らなかった家庭で育った、という人も多くいるということが僕にもわかってきた。お雑煮というのは、ラーメン屋さんで気軽に食べられるものではない。インスタントで全国のお雑煮が食べられるというわけでもない。お雑煮を食べるということは、寂しいことでもあるのかもしれない。
◆ チームの個性
天皇杯サッカーを見ていた。鹿島アントラーズが当然勝つと思っていたら、京都パープルサンガに逆転され負けてしまった。京都はワールドカップの時の韓国みたいな感じだった。でも、見ていて面白いゲームだった。サッカーがこういうゲームばかりだったら、また見てみようという気になるかもしれない。しかし、これだけ両チームに年齢差があるというのは特徴的で興味深い。プロ野球でも、このくらい年齢差のあるチーム同士が戦ったならば面白そうだけどね。
■ 平安寿子『グッドラックららばい』(講談社)
今年最初に読んだ本は、平安寿子『グッドラックららばい』だった。わりと評判が良さそうだったので読んでみることにしたのだ。読み始めた頃は正直なところ、ちょっと……、という感じだった(笑)。家族の物語であるのだが、娘の積子、立子からは何も深い印象を受けることはなかった。ところが、中盤の母である鷹子の話になると、ずいぶんと雰囲気が違ってきた。家族がいるのに家出してしまうということで、十分にエキサイティングなのだが、面白さはこの鷹子という人物が魅力的だからなのだと思う。
十分に面白く読むことができた。今年はもっと本を読んで行きたいと思えた1冊だった。
◆ 駅伝
毎年、箱根駅伝をついつい見てしまっている。見るといっても、ずっと見ているわけではなく、全体の10%くらいかもしれない。それでも「正月=箱根駅伝」というイメージが強くなっている。しかし、いくら何でもこの駅伝というスポーツは残酷すぎるような気がしてしまうのだが。例えば、モータースポーツなどの世界では、ゴール直前でリタイアなんてこともたまにあったりする。けれど、リタイアというものには原因があり、次のレースにはその原因を克服し、リタイアのないように万全の準備をする。そのことがチーム力でもあり、実力でもある。けれど、駅伝の場合のリタイアというかブレーキというのは、1人の選手の体調不良だったりする。僕には専門的なことはわからないけど、走ってみたいとわからない、ということもあるかもしれない。そうしたものは、準備して良くなるというよりも運の問題のようにも感じる。現代のスポーツの世界では、「根性がなかったから」なんて言葉も聞きたくない。箱根駅伝のように10人も走れば、1人くらい体調が悪かったという選手がいても仕方のないようにも思える。サッカーや野球であれば、途中で選手交代というものがある。そうだ、駅伝でも1回くらい途中で選手交代してもいいと思うけど。その方がよっぽど実力が反映された結果が出てくるような気がするけど。浅はかな考えと怒られるだろうか(笑)。やっぱりダメかな。
◆ 衝撃
今年の正月の衝撃は何と言っても「地球環境」だったのではないだろうか。全国高校サッカー選手権大会に出いてた高校の名前である。僕はこの名前をアナウンサーが何度も口にするのをかなり違和感を持って聞いていた。「出身高校は?」と聞いて「地球環境です」と答えられても、初めて聞いた名前であれば誰でも驚くのではないか。また、この高校を出た人は社会に出ても気を使ったり大変でないかと思った。ゴミを捨てようとしても、周りからは「しっかりと分別しているか」という視線を常に浴びることになるようで。
けれど、この地球環境高等学校(http://www.earth.ac.jp/ebh.html)というものを調べてみると、良い名前を付けたのかもしれないと思うようにもなった。まだ出来て間もないこの地球環境は通信制の学校だった。しかもこのサッカー部は開校してからわずか8カ月という史上最短記録で全国1勝を挙げたのだという。なんという凄いインパクトなのだろう。
例えば、高校を中退した人がこの正月ごろごろ過ごしていたとする。ふとテレビで地球環境のサッカーを見た。一度聞いたら忘れない名前にプラスして、のびのびしたサッカー。自分ももう一度、しっかり勉強しようと思うかもしれない。
僕も勉強したいな、と思ったほどであった。
◆ ゲーム
甥っ子姪っ子が来てそれなりに遊んだりもした。それにしても彼らは大変そうだった。新年の挨拶でもすれば、「いやぁ大きくなったなぇ、何年生? 身長は?」などと毎度おなじみの質問攻めにあう。あちこちで笑顔の返事をしているかと思うと、そのけなげさに涙が出てくる。僕だったら、毎年ホームページにプロフィールでも作り、「詳しくはホームページを」なんてアドレスを書いたメモを渡してしまいそうである。
夜は久しぶりに麻雀なんてのをやってしまった。中学2年の甥っ子がどうしてもやりたい、ということで少しやりましょう、ということになったのだ。テレビゲームではやっていたようだが、実践は初めてとのこと。初体験を相手にするわけだが、手抜きなんて誰もしない。彼は役というものが何なのかまだよくわかっていないようだった。実は僕もよくわかってないのだけど。甥っ子はどんどんポンやチーを繰り返す。「あがり」とは言うけれど、役がなく「それはダメね」と冷たく言われ、開いた牌を戻しまた続ける。それでも、1回はちゃんとあがったので大したもんだった。
ちなみに僕の麻雀歴は小学生の頃からだろうか。なんだかよくわからないけど、うちでは家族麻雀というものがあったのだ。そこで少しやっただけで、社会に出てからやったことはない。鈍い奴なもんで、スピードについていけないのだ(笑)。
あとは、ひたすらトランブ(大富豪)で遊ぶ。小さい子供を相手にしても当然僕は手抜きなどはしない。遊びの中に、社会のルールや厳しさというのがあるのだ。
◆ 正月気分
今年も一週間が過ぎ、日常という毎日が始まった。休みに映画でも見に行きたかったが、風邪で元気がないだけでなく、溜まっているビデオにちょっとげんなりしている。一生懸命見ているのだが、まだまだ全部を見るのには時間が掛かる。この正月はビデオデッキ2台に予約をかけた。200分テープ、ビデオデッキの1台は5倍速録画ができる。
映画とかであれば、だいぶ時間が経ってから見ても面白く見ることができるけど、テレビというのはやはりできるだけ早いうちに見ないとどうでもよくなってしまう。せっかく録画していても、中には全く面白くなく飛ばしてしまう番組もけっこうある。とにかく、この溜まったテープを全部見終えて、はじめて正月というものが終わるような気がする。
◆ いとしの食品
最近のスーパーにちょっと不満がある。「ほうれん草」「豆腐」という冷凍食品が好きでよく買っていたのだが、なぜかこれらは消えてしまった。簡単で、安くて良かったのだが。ほうれん草に関しては、自分で茹でて小分けにして冷凍することにした。これは問題はない。簡単にラーメンでも食べようとしたときに、このほうれん草が威力を発揮する。嬉しい。けれど、豆腐に関しては冷凍しても美味しくないし、どうにもならない。賞味期限60日という豆腐も売っているが、正直なところあまり美味しいとは思えない。朝の味噌汁にちょっとだけ豆腐が欲しいと思っても、このちょっとだけというのがない。いっぱい豆腐があっても、残ってそのままになったりということがよくあって。冷凍の豆腐があればと切実に思う今日この頃なのであった。
◆ 年末年始のお仕事
それにしても。実家にいた数日間の食べたこと食べたこと。年末年始ということで特別いっぱい出てくるということもあるだろうけど。田舎の方というのはとにかくたくさんの食べ物が出てくるのである。朝起きてご飯。後片付けが終わったところで、お茶の時間というものがある。ただお茶を飲むだけだったらいいのだけど、リンゴとかの果物があってお菓子も出てくる。12時ちょうどにはお昼ご飯。3時くらいにはお茶があり、当然ここでも食べ物がいっぱある。お茶の時間以外でも、みかんと落花生はあるので、ついつい手が伸びてしまう。晩御飯は普段の3人前くらいは出てくる。夜も夜でお菓子を食べたりする。どう考えても食べすぎだよな、これは。
◆ ゆっくりできない
実家から東京へと新幹線の指定席に乗って帰ってきた。いつもは、立っているか指定席の空いているところに追加料金を払って座るかということをしてきた。インターネットで指定を取ることができ、楽だと喜んでの初指定席だった。
ところがこれが最悪。乗った車両の先頭の座席だった。この席は足を延ばすことが出来ず、狭いのである。おまけに隣の人のコートが邪魔で。それよりも何よりも、すぐ近くがドアになるのだが、これがかなりの時間開きっぱなしだった。自由席の人がデッキのところにいっぱい立っているわけだけど、戸が開いていると僕の席は風が入り、室内のメリットのない状態。せっかく苦労してこの指定席を取ったのに。イライラしながらの新幹線だった。
◆ 大根おろし
ふと気がつくと、このところ毎日大根おろしを食べているような気がする。自分としてはかなりの驚きだった。実家ではよくこの大根おろしが出てくるのである。では僕は好きかというとそうでもなかった。自分で食事を取る場合、どうしてもあの大根をおろすというのが面倒だった。かなり前だと思うが、おろしがねで指を切ったりしたこともあった。ところが最近、納豆に入れたのが美味しくて、ほぼ毎日納豆に大根おろしを入れるようになった。蕎麦やうどんを食べるときも、大根おろしは欠かせないものとなってきている。今使っているのはプラスチックのおろしがねだが、セラミックの下に皿のように置いておろすものを買ってみた。ただ、僕としては使っていてあまりよくはなかった。このあたり、使っている人の意見を聞いてみたいところである。
◆ 福袋
詳しくはわからないのだけど、書店で福袋というのはないのだろうか。デパートの福袋というのはかなりの盛況のようである。書店で福袋があればぜひ買いたいと思うのは僕だけだろうか。本というのは出会いである。5000円くらいの福袋に5、6冊の本が入っていたりする。福袋には、「冒険」「恋愛について」「勝負」「ちょっとえっち」とか、大きなテーマのようなものが書かれている。あと、洋服のサイズと同じように、読書量のレベルが、S、M、Lと分かれていたりする。中には自分に合わない、面白くないと思う本もあるかもしれない。けれど、出会ってよかった、という本もあるような気がする。何せ一年の最初の本との出会いなのである。運に任せて本を読む、なんて楽しいことではないか。
◆ 納豆小鉢の進化
なんと、「なっとうの友」が進化を遂げていた。以前、買ったけれどもその大きさに不満があり使っていなかった。しかし、新しく発売されていた
「キムチ納豆小鉢セット」というものは4〜5人分のファミリーサイズとなっていたのであった。素晴らしい。「キムチ納豆」という名前は付いているけれど、何を入れてもいいだろう。かき回しても、サイズが小さく溢れてしまうということはない。大きさが変わっただけではない、ハンドルが付き、蓋までもが付いている(使わないけど)。評価したいのは、常に進化する姿勢である。日本の食文化、健康というものが変わってくるのではないだろうか。
◆ 年賀状
年賀状ではダイレクトメールのようなものが入っていたりする。当然返事は出さないわけだけど、取っておこうか捨ててしますか少し悩んだりする。
今年は少しびっくりした年賀状が一枚あった。とある旅館からのもの。その旅館はそんなに高くはないのだが、江戸時代の末期から現在は六代目となるそれなりの歴史のあるところだった。うれしくて、すぐに返事を出してしまった。そんなに宿の人と親しく話をしたわけではなかった。けれど、こんな風に年賀状を受け取ると、印象が違ってくるものだ。もう一度行きたいとも思うけれど、いつになるだろうか。
◆ うーん
買おうと思って検討している電気製品がいくつかある。
・ファックス電話:前はパソコンのソフトを使っていたことはあったが、常時電源を付けているわけにもいかない。実家とのやり取りをファックスにしようと思っているので、どうしても買わなければならない。それにハンズフリーの電話があれば、少しは電話嫌いでなくなるかなとも思っている。
・携帯電話:現在持っているのはPHSで、今年はこれを本気で携帯の方に変えようと思っているのである。
・電子レンジ:現在使用しているものは、1987年製の貰ったもの。今は小さくて安くていいのがいくらでもあるから。冷凍ご飯がもっと美味しく食べられそうな気もするし。
・アイロン:コードレスアイロンが欲しいのである。アイロンがけは面倒なので、できるだけ使いやすいものということで、コードレスがぜひとも欲しい。
先日はプリンターを買ったばっかり。ずるずると勝ってしまいそうな気もするけど。でも、買わなくても済むといえば済んでしまうものでもある(笑)。買い物というのはどうにも思い切りというか、勇気のようなものが必要で苦手なのだ。
一念発起 2003/1 #2
◆ 新年の決意
100と150。この数字はどのように思われるだろうか。僕の血圧か? まあ、けっこう高いのだけど(笑)。これは2003年の僕の読書の目標である。最低でも100冊は読む。まあ、うまく行けば150冊は読む。目標の数値をどうしようか、けっこう悩んだ。実現できそうな目標にしても仕方がない。低すぎることで悩んで3ヶ月くらい時間が過ぎてしまっても馬鹿らしい。そこで僕は思った。なぜ目標というものがひとつでなければならないのか。例えば血圧は、上と下と2つあるのが普通である。上と下の数値がひとつになってしまったなら、かなり困った状態だろう。それで、「下は100、上は150」という目標にしたのである。下の目標というのは、軽いエッセイを読んだりの反則スレスレでなんとしてもクリアしたいと思っている。ちなみに、映画を見る目標は「下が25、上は40」ということにしたいと思う。
■ 梁石日『終わりなき始まり・下』(朝日新聞社)
こつこつとこの本を読んだ。面白いとか面白くないとか、そうしたものを超越して、人としての感情のようなものを感じることができる。梁石日の作品を読むということは、理屈とか、何かの方程式に当てはまるものではないのだと思う。そうした本を、ときどき、どうしようもなく読みたくなるのである。
◆ 夜風
仕事の帰り、10時を過ぎていた。食料品を買おうと、西のお友達スーパーに寄った。夜の11時までやっているというのはほんとうに嬉しい。明日の朝食べる納豆が切れていたので、この日はどうしても買いたかった。しかし……。納豆は売り切れて1個もなかった。買い物カゴには、レタス、大根などを入れていたが買い物のメインといえる納豆がないとは。僕は何をしにこのスーパーに来たのだろうか。例えばラーメン屋さんでは、スープが無くなった時点でその日は閉店するところもあるという。このスーパーもそうあって欲しいと思った。仮に閉店1時間前だったとしても、「申し訳ありません。納豆が売り切れてしまいました。」という張り紙があったならば、僕は諦めて家路につくだろう。大切なものを手に入れることのできなかった夜。夜風は冷たかった。
■ ビデオ『どですかでん』黒澤明監督
正直に言うと、この映画はよくわからなかった(笑)。最後にテロップを見たときだったかな、この作品の原作が山本周五郎だということを知った。どうしても時代小説というイメージが強いので、ちょっと意外だった。
◆ 移動
生まれて初めて(というほど大げさなことではないだろうけど)地下鉄南北線というものに乗った。長いエスカレーターを下りホームに降りたとき、本当に電車が来るのかと驚いてしまった。ホームという雰囲気がまるでない。少し狭いコンコースに人がいっぱい立っているとしか感じられなかった。ホームの両側の電車の通るところにはきれいな壁がある。電車が来たときに、壁のドアも開いて車両に乗り込むことになる。確か、都営三田線だったろうか、同じようにホームと線路の間にちょっとした塀があって線路に落ちることのないようになっていた。けれど、この南北線のホームはまったくきれいな部屋のようだった。電車の移動というのは疲れるものである。ちょっとした雰囲気の違いだけでも、安らかな気持ちになれるかもしれない。
■ 小澤征良『おわらない夏』(集英社)
わりと書店で目立っている本ではないだろうか。幸せがいっぱい詰まったエッセイである。全く不幸せがないような、と言ったら作者に怒られてしまうかもしれない(笑)。彼女の夏はタングルウッドという地で過ごす。その生活がはつらつとして、こんなにも幸せなのかと思わずにいられないのである。
ついつい自分にはないものを求めてしまう。僕にもどこかこうした場所があったのかもしれない。けれど、こうした別荘のような場所を持ちたいものだと思った。
◆ 読んでいる本は?
少し前のころだったろうか、テレビを見ていると「レシートを見せてください」というコーナーがあった。歩いている人にテレビのレポーターが声を掛ける。財布の中に入っているレシートを見せてもらうのだ。スーパーでの買い物、お昼ご飯、マッサージ、いくつのかのレシートがその人となりを思わせる。そう言えば、週刊誌などの企画では「胸を見せてください」なんてのもある(笑)。
「鞄の中の本を見せてください」なんて企画は成り立たないのだろうか。本を読む人なんて少ないのだろうし、1冊の本を見たからといって、その人となりが感じられるものでもないかもしれない。でも、「今読んでいる本は何ですか?」という挨拶が、天気を語るのと同じように出来たら楽しいだろうと思う。
■ 中島らも『心が雨漏りする日には』青春出版社
中島らも(http://www.age.ne.jp/x/ramo/)は一時期好きでけっこう読んでいた。彼の主催する劇団・リリパット・アーミーの舞台を見て、ちくわをもらって帰ってきたこともあった。この本はその中島らもの、うつ病の体験エッセイのようなものであった。自殺しそうになったり、かなり危ないときもあったりした様子。僕が実際の芝居を観た頃のあたりも、危ない状態だったみたいだ。
うつ病というものについて、正直なところほとんど知らなかった。誰にでもあるかもしれない病気なんだということが、この本を読んで感じることができた。振り返ると、「あの人はうつ病だったのかもしれない」と思うこともある。知っていると知らないとでは、別の対応ができるかもしれないとも思った。面白かった、というだけでなく、読んで良かったと思えた一冊だった。
◆ 泣き声
今年もさっそく耳鼻科に行った。実家に帰っていたときに軽い風邪を引き、耳の具合がおかしくなった。その日はこの医院としても初日でかなり混んでいた。僕の診察は11時(夜の)くらいになった。僕の前の患者は小さな子供で、症状は僕と同じようなものだった。その子は大声で泣いていた。若い両親はただオロオロしているという様子だった。その泣き声は今も僕の中で響いている。
■ 映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』マーティン・スコセッシ監督 (http://www.gony.jp/)
今年最初に観た映画となった。かなり評判は良いみたいだったが、僕にはちょっとよくわからなかった。どうも海外の映画は合う合わないというのがあるのだと思う。けれど、その映像などは確かに素晴らしかった。そういう点では、飽きることなく十分に楽しい時間を過ごした。
◆ 悩み
髪が長くなって切ろうと思っているのだけど、どうにも店に入るのに躊躇してしまい、そのままになってしまっている。最近は激安と言える理髪店があり、そうしたところにいつも行っていた。けれど、連続でへんちくりんな状態になってしまっていて、ちゃんとしたいいところをホームとしようかと思っているのだが、なかなか簡単には見つからない。
何年も通っている店を持っている人は多くいるのだろうか。女性の場合(男性でもいるけど)、ヘアーサロンに予約を入れている人が多いようだ。値段を聞いてみると驚くようなものだったりもする(笑)。でも、少しぐらい値段が高くでもいいから、黙っていてもそれなりの髪にしてくれて、余計な話をしなくて、安心できるというのは難しいものである。以前、仕事の話を聞かれて答えていると、意見されたことがあった。腹が立った。
そう言えば、高校の時によく行っていた店は、若い姉さんばかりだった(笑)。終わるとコーヒーが出てくる。楽しかったな。現代は安い方向にばかりいっているけれど、こうしたサービスのする店があってもいいと思うのだが。
なんてことを考えていると時間は過ぎ、僕の髪は伸び続けるのであった。
■ 高見浩『ヘミングウェイの源流を求めて』(飛鳥新社)
アーネスト・ヘミングウェイという作家は僕にとって特別である。好きか嫌いかという基準ではなく、特別なのだ。もう5年くらいほど前のことになるだろうか。『われたの時代』という短編集をよく読んでいた。中でも『雨のなかの猫』という作品が特別だった。一行一行を舐めるように読んだ。
この『ヘミングウェイの源流を求めて』という本は、訳者である高見浩がヘミングウェイという人と作品を振り返る。『雨のなかの猫』という作品は彼の中でも特別だったのかもしれない。何度もこの短編についての話が出てくる。
正直なところ、僕の感想と彼の感想とは大きく異なっている。僕にはヘミングウェイが女性をしっかり描いているとは思えないし、ヘミングウェイの評価というのもよくわからなかったりしている。特に女性はヘミングウェイをどのように読んでいるのか聞いてみたいようにも思う。
マイナスの評価というものは気に入らない(笑)。僕はアーネスト・ヘミングウェイという人の横顔が好きになってしまっていて、少しずつになるだろうけど、全作品を読むつもりでいる。
◆ やれやれ
ファックス電話を買った。実は購入直前でどうしようかと悩んでしまった。大手家電店に行ったのだけど、その店員のあまりの酷さ。完璧に無視されるし、対応してもらったはいいけど、金額が間違っているし。その対応もまたまた失礼だし……。こういうお店で物を買うのはほんとうに嫌になってしまった。でもな、こんなことでいちいち怒っていたら暮らしていけないような気もするし。疲れる毎日だ。
■ ビデオ『武器よさらば』フランク・ボーサージ監督
ヘミングウェイの原作ということで、このビデオを観てみた。原作本はあるのだけど、読んだのか読んでないのか忘れてしまっている(笑)。うーん。かなり小説とは違っているような気もするのだけど。いつかちゃんとこの小説を読もう。
◆ 好き嫌い
池袋の「橘」というところに飲みに行った。小さなお店なのだけど、ここの料理はほんとうに美味しい。例えば僕は、ミョウガという食べ物が苦手だった。こうした癖のある野菜はどうにもダメだった。けれど、ここのマグロのづけというのはミョウガが入っているのだけど、実に美味しいのである。僕はミョウガが食べられるようになっただけでなく、この独特の味が好きになってしまった。実は誰にも好き嫌いというものはないのではと思う。単に美味しくないものを食べてしまったことによって、嫌いになっているのではないかと。ほんとの素材と気持ちのこもった料理であれば、なんでも食べられるのかもしれない。
隔靴掻痒 2003/1 #3
◆ 怒りっぽい毎日
このところ何だか怒りっぽくなっている。気持ちに余裕のようなものが足りないのだろうか。話をするとき、多分相手は不愉快に感じているかもしれない。誰だってこういうことはあるよなぁ。
それにしても、最近の中学生とか高校生とかって、なんてあんなにいつも不機嫌な顔をしているのだろうか(笑)。僕もそうだったのかな。多くのことに不満はいっぱい持っていて、何を見ても面白くなかったけど。
こんな気持ちの中、僕はマルちゃんの「やきそば弁当」を食べる。キッチンタイマーで3分という時間を正確にはかり、ゆで汁を入れた中華スープを飲んだ。
こうしたジャンクフードとが怒りっぽい気持ちというものが関係あるような記事をどこかで読んだことがある。でも、この「やきそば弁当」は僕を少し優しい気持ちにさせてくれるような気がした。
■ ヴォロニク・ヴィエン著 岸本葉子訳『自分らしく生きる贅沢』(光文社)
この本の発行は昨年の9月だった。前作の『何もしない贅沢』も買って読んでいたのに、この本の発売を全く知らずにいた。書店でぶらぶらしていて、ふと目に入ったのだった。
読んでいて、とても気持ちの休まる本である。「正しくあろうとしないこと」などといった言葉と、写真が優しい。岸本葉子さんの直接的な文章というのも良いけれど、こうした少し距離を置いた翻訳というのもいいなぁと思う。
◆ スペース
ときどき入るフレッシュネスバーガーが心地よい。何よりも混んでないのがいい。テーブル、通路のスペースにも余裕がある。お店の紹介には、値段などの他に人口密度のようなものがあれば、良いのではと思う。休もうという気持ちでお店に入るわけなので、ゆったりとしたスペースというのは本来必要となるはず。現代は携帯電話というシロモノもあるわけで、リアルタイムでお店の人口密度状態がわかるなんてシステムがあれば良いとも思う。
ゆったりとした店にいると安心できる。自由に語り合っている人、本を読んでいる人、勉強している人。みんな自分の世界を持っていて、そういうことを感じているだけで心地よい。携帯電話で大声で話をしている人がいても、同じように心地よいと感じることができる。
このお店のメニューに焼き魚定食があればもっといいと思うのだけど。
■ 映画『SWEET SIXTEEN』ケン・ローチ監督 (http://www.cqn.co.jp/sweetsixteen/)
正直に言うならば、見ていたときにはそんなに引き込まれたわけではなかった。けれど、時間が経つにつれてこの映画のことが思い出される。ラストシーンの主人公の姿は、多くのことを物語っている。言葉にできない感情。イノセント・ストーリーと言ったらいいのかな。家族や社会、生きて行くということの辛さがこの映画の中には、密度の濃い状態で詰まっているのだと思う。
◆ 引退
貴乃花が引退した。これはこれで何かが問題というわけではない。彼は横綱らしく素晴らしかった。
問題はその前後のマスコミの対応で、僕はかなり頭に来ていた。別に引退しようがどうしようがまわりが騒ぐような問題ではない。僕がこれまで見てきたスポーツ選手の中ではニキ・ラウダという人が好きである。F1のチャンピオンにもなった彼は、1979年のシーズン中に引退してしまう。確かフリー走行か、予選だったかの後に突然引退を表明した。全く信じられないような出来事だった。けれど、彼は特別に深刻な表情を見せることはなかった。第三者のプレッシャーのようなことも無かった。
その後、彼は1982年にカムバックして1984年には再びワールドチャンピオンに輝く。一度は大きな事故で生死をさまよったりもしたことがあるドライバーがである。
F1といえば、お騒がせナイジェル・マンセルも引退すると言ったり、撤回したり。
相撲のような体力を使う競技ではこのようなことはありえないという意見もあるだろう。でも、サッカーでは現日本代表監督のジーコも引退した後、日本でカムバックした。レベルが違うと言われればそれまでだが、メンタルの面では彼はプロの選手だったはずだ。
べつに貴乃花にカムバックして、と言うつもりはない。ただ、そんなに騒ぐようなことではないと思うのだ。静かに、引退すればいい。まわりは、ただ見守ることしかできないわけだから。
■ 金完燮『娼婦論』(日本文芸社)
この作者の前作『親日派のための弁明』が面白く読めたということと、この衝撃的なタイトルで(笑)ついつい読んでしまった。まあなんと言うか、そういう内容。こういう視点で物事を見てみるのも、良いものだとは思ったけど。こういうことは建前だけで話をしても仕方がないからね。
◆ 食べすぎ飲みすぎ
久しぶりに回転寿司でたらふく食べた。数えてみると15皿くらいにはなっていただろうか。酒も飲んだ。そんなに多くの量を飲んだわけではないけれど、僕はかなり酔った。お寿司はどれも美味しかった。ちなみに僕はサーモンとか、サラダ巻きとか、ちょっとばかりお子様系の寿司が好きだったりしている。まだ早い時間だった。最後に食べようと思ったひと皿を目の前にして、食べようか食べるまいか少し悩んだ。どうにも残すのはできない性格のようだ。食べてしまったはいいが、かなり苦しい状態だった。当然のようにズボンのベルトは緩めてしまっている。
電車に乗り、やっとのことで部屋に辿り着いた。まだ夜の9時だというのに倒れるように眠ってしまった。こんなことは久しぶりだった。
だから何だという話では全然なく、ただこういうことがあったという話である。
でもな、本当は食べて酔っ払ったというよりも、とことん酒を飲んで倒れるというのがカッコいいのだろうな。救急車で運ばれてしまうなんてことはシャレにならないけど、カッコイイ酒飲みというのには、少しばかり憧れのようなものはある。どうしようもない酒飲みというのは嫌というくらい見ているので、酒飲み全般としては嫌いではあるけど。
9時なんて時間に寝てしまうと、結果として夜中に起きて眠れなくなってしまう。それはそれで、困った問題であった。
■ ビデオ『晩春』小津安二郎監督
今年は小津安二郎監督のビデオを借りてどんどん観ようと思っている。わりと有名な作品みたいだった。親と娘の、ついつい涙を流してしまうような物語。ファザコンの女性の方には必見と言っていい内容(笑)。冗談抜きで観て十分に楽しめるでしょう。
ところでこの作品の中で、いまどきの若い子は、みたいな台詞が出てくる。1949年の映画なのだけどね。
◆ 雑誌
「生本 NAMABON」(アクセス・パブリッシング)という雑誌を買った。西武線の駅の売店で、出発までの数分間にたまたまこの雑誌が目に付いたのだった。値段は350円。ジャンルとしては文芸誌になるのだろうか。2002年9月に創刊されて、僕の買ったのは第5号だった。短い小説やエッセイといったものが数多く載っている。重い文芸誌という雰囲気ではなく、気軽に読むことのできる文章。原田宗典、安西水丸、薄井ゆうじ、角田光代など、気になる名前が多い。一見、同人誌のような創りなのだけど、なんとも味があって良いです。よく考えてみると、こうした雑誌はこれまでなかったような。雑誌の名前はちょっと変だと思うけど(笑)、楽しみな雑誌ですね。
◆ 赤羽
赤羽の居酒屋で飲んだ。新宿でもなく新橋でもなく、赤羽だった。夫婦でやっている店で、料理も美味しかった。どこの店でも置いてある焼酎も美味しかった。この赤羽には言葉には出来ない雰囲気があるような。もっと酒飲みにならなければ、うまく伝えることはできないけれど。
ちなみに僕の赤羽から連想するイメージは高村薫『マークスの山』の合田雄一郎である。赤羽とこの『マークスの山』で検索してみると凄いサイトを見つけてしまった。「高村薫FS[ゴーダホリック]合田中毒」(http://donguri.sakura.ne.jp/~shell/godaholic/index.html)というところなのだけど、ここの「合田地所」というコーナーには全くびっくり。中毒とはこういうものかと思ってしまった。
◆ 強くなること
あるテレビの討論番組があった。若者がその生き方を語っていた。討論というほどではなく、言いたいことを言い合っているようなものだったが。
ある学生は「強くなりたい」と言っていた。何かを友達に相談するのではなく、自分で悩み決断していきたいというものだったと思う。他の出演者はこの意味を全く理解できないようだった。悩みを友人に相談しないことは、友達がいないかのような雰囲気になってしまっていた。考えてみると、「強くなる」という意味は何だかよくわからないものだ。
村上春樹の『海辺のカフカ』では少年が「世界でいちばんタフな15歳の少年になりたい」と願う。映画『SWEET SIXTEEN』でも15歳の少年が強く生きようともがき苦しむ。それでも真っ直ぐに前を向いている。誰かに何かを相談するわけではない。「強くなる」なんてことは説明するのは難しく、そんなものは必要のない時代なのかもしれない。
本を読むということと、強くなるということは、いくらか関係があるのではないと思っている。その強さがどこで発揮されるものなのかは、わからないけれど。
■ 映画『バティニョールおじさん』ジェラール・ジュニョ監督 (http://www.albatros-film.com/movie/batignole/)
恥ずかしながら今だにこの映画のタイトルを言えないでいる(笑)。けれどこの映画はとても良かったのであった。舞台は第2次世界大戦の時のフランス。戦争を背景とした映画としては、大絶賛といっていい映画ではないだろうか。地味な映画かもしれないけど、ほんとうにしみじみとした。子役の男の子と女の子2人がたまらなく良いのだな。
このところ、フランス映画とかドイツ映画が気になっている。
◆ ラーメン食べたい
夕方から酒を飲んでいた。いくつかのツマミを食べて。けっこう酔ってもう飲まなくてもいいな、というところで少しの時間がある。そうした時間を通り過ぎると腹が減ってくる。そんな時に食べたいのはラーメンなんだよな。美味しいラーメンというのは、こうした気持ちの中にいるときに、受け入れてくれるところだと思う。どう考えても、こんな時に行列に並ぶことはありえない。例えばラーメン屋さんが、結果的に評判を呼んで並ぶようなお店になったとしよう。こうしたとき、良いラーメン屋さんだったならば、わざと味を落として並ばない状態にして欲しい。気軽に食べることができてこそ、ラーメンと言えるはずだと思うのだ。こんな店こそ、こだわりのあるラーメン店だと思うのは、僕だけしかいないか(笑)。
■ ステイシー・ホーン『猫と暮らす一人ぐらしの女』(晶文社)
この本の帯には、「42歳、シングル、猫2匹。仕事は不調。時々ロマンスあり。私の人生、このままでいいのか?」と書かれている。おまけに彼女の飼っている猫は2匹とも糖尿病……。これだけでついついこの本を手に取ってしまうという女性の方は多いのではないだろうか。
まあまあ、面白く読めました。後半の方は、猫のことがいろいろと書かれていて、猫好きの人にとってはたまらないかもしれないですね。
◆ ペンギンの話
この日は休みだった。一度も外に出ることなく過ごした。たまには、誰ともひと言も話をしない一日があってもいいのではないかと思ったりしている。何をしていたかというと、この読書夜話を書いたり、流しの左隅の方に落としてしまって数週間も過ぎてしまった菜箸を拾ったりしていた。もうひとつ、やったことがあった。ビデオを観た。昨年の年末に放送されたドラマ「高校教師」を第一話からまとめて観た。実は何ではわからないけれど、最後の前の回だったろうか、録画に失敗して観ることが出来なかった。けれど、見ごたえのあるドラマだった。リアルタイムで観ていた時にはわからなかったけれど、『利己的な遺伝子』という本がこのドラマの中に散りばめられているということも少しわかった。10年前には、ルーズソックスもなかったということも新鮮だった。このドラマでこんな台詞があった。「友達というのはなかなか出来ないけど、この歳になってようやく出来たと思った」と。
僕はいつの間にか、このドラマに出てくる教師の年齢よりも上になってしまった。こんな僕が言うのはちょっと違和感があって、情けないようなことになるかもしれないけれど、ペンギンの話の出来る男になりたいと思う。
盤根錯節 2003/1 #4
◆ 複雑な関係
ビデオデッキのコードの整理をした。テレビが1台に対して、ビデオデッキが2台。有線放送に入っているのでコードが複雑に絡み合っている。この三角関係がうまくいっていないのだ。2台の相性が悪く、ダビングが出来なかったりしていた。有線放送のコードをAVセレクターで、テレビとビデオに分けているのだが、これがややこしくしているのだろう。
なんとか、ビデオ間のダビングができるようにしたくて、半日もの悪戦苦闘だった。テレビの裏側で、ほんとうにスパゲッティのような状態となっている。コードを入れたり抜いたりして、映像を流してのチェック。新しく購入したAVセレクターはダビングもできるようになっていて、なんとか目的は達することができた。それでも、有線放送の映像をビデオで直接に録画できるようにしたいという願いは叶えられなかった。
テレビ1台と、ビデオデッキ2台。少しは仲が良くなったような気はするけれど、もう一歩深い関係までには行ってないような。男女の関係のようでもあるか。
■ リュドミラ・ウリツカヤ『ソーネチカ』(新潮クレストブックス)
帯に書かれている推薦の言葉が気になってしまった。主人公は本の虫である。静かな文章がとても良い雰囲気だった。こうした読んでいるだけで気持ちのよくなるような文章というのは、あまり読んでいないかもしれない。
◆ 百年構想
Jリーグ百年構想というのがある。百年経ったとき、ほとんどの人は生きていることはない。けれど、こうした次の世代のことを考えた構想を持つというのはこれまでの日本にはなかったのではないだろうか。ほんの少し前までサッカーなんて誰も(と言っていいほど)見ていなかったわけで、この数年の変化というのは凄いものだ。
ところで、サッカーに対しての関心が高まるのに反比例して、世間での読書への関心が減っていないだろうか。サッカーが悪いとかそういう話では全くない。なんだか羨ましいと思ったのだ。
読書というものに対して、百年構想なんてことを言う人は誰もいない。多くの本は出版されているかもしれないが、百年後に読まれるような本はこの中にどのくらいあるのだろうか。ほんの一時的なブームでベストセラーが生まれているだけではないか。芝生もなく、観客のいない中でのサッカー。そうした中から本当に価値のあるものが生まれてくるとも言えるのかもしれないけれど。
■ ビデオ『赤ひげ』黒澤明監督
テレビドラマでこの映画のリメイクを観た。それで黒澤明監督の元祖を観たくなってしまった。良い映画だった。楽しめた。
白黒映画というのは、カラー以上に多くのものを表現しているように思う。色を得たことで失われてしまうこともあるのかもしれない。この映画の感想というよりも、ふと感じたことだけど。
■ 映画『8人の女たち』フランソワ・オゾン監督(http://www.gaga.ne.jp/8femmes/)
観てしまったこの映画。ほんとに芝居のようで面白かった。犯人は途中で予想していた通り、でもこれはみんなわかっていたのかな。それにしても、最後の場面がいいですよね(笑)。
エマニュエル・ベアールはあの胸の大きさが今だに眼に焼きついています(笑)。僕の好みとしては彼女よりも、リュディヴィーヌ・サニエの方が好きでした。
◆ 涙のあと
映画を観ていて、悲しくもないのに僕が涙を流している。当然暗いなかで誰から僕の表情を見ているわけではない。僕の顔はぐしゃぐしゃになっている。けれど、正確に言うとこれは涙ではない。
コンタクトをしている者にとっては、目の乾きのための目薬は欠かせないものだ。2時間もの映画の途中、僕の瞳は目薬を欲する。ポケットにはいつも用意している。両手を上にあげて目薬をするのは、後ろの席の人に問題かもしれない。少し身体を斜めにして僕は目薬を差す。けれどこの暗いなかではうまくいかないのである。3回か4回ほどのチャレンジで、なんとか目に潤いを与えることができる。でもこの時には顔はぐしゃぐしゃになってしまっているのであった。映画館で簡単に使える目薬があれば、もう少しかっこよく映画を観ることができると思うのだけど。
■ ビデオ『ティファニーで朝食を』ブレイク・エドワーズ監督
実はカポーティーの原作を読んでいる途中だった。半分ほど読んだところで先が進まないでいたところに、テレビで深夜に放送されていたので観てしまった。
あのぉ、原作とかなり違うような気がしているのだけど。僕の原作の読み方が違っているのか、あまり深く追求してはいけないのか。オードリー・ヘプバーンは魅力的で十分に楽しんだけど。
◆ 田舎
特に親しい人ではなかった。けれど僕は彼女が本を読んでいる姿を何度か見ていた。苗字は齋藤さんというのだけれど、下の名前の方は忘れてしまった。彼女は、仕事を辞めて宮城に帰った。最後の日に読んでいた本は宮部みゆきの『火車』だった。今はどうかわからないけど、僕あたりの時代において東京に出てくるということは特別なことだった。何か得るものがあって、帰ることになったのか。何かをあきらめたのか。本を読んでいる彼女の表情からは何もわからなかった。僕もいつも本を読んでいて、東京から離れて田舎に帰ったことがあった。また、のこのこと、また舞い戻ってきたけれど(笑)。
■ 映画『北京の天使』ワン・ジョルジョン監督(http://www.sangokushi.co.jp/heaven/heaven.html)
友人が号泣したということで、この中国映画を観ようと思った。号泣はしなかったけど、少し涙を流した。凧あげはやった記憶はないし、お爺さんとこんなふうに遊んだことはないし、動物も苦手だったし。共通点は一休さんが好きだったということくらいかもしれないけど、子供の頃を思い出し胸が熱くなった。チェンチェンという子役が出てくるのだけど、この表情、トコトコトコトコと歩く姿がもう本当にたまらないのだ。多くの人に観て欲しい映画なのだけど、もう映画館ではほとんど上映されていないのですね。
中国映画というものにこのところ興味を持ち始めている。古いものと新しいものが交差している雰囲気。日本の、自分達の暮らしと共通しているものが描かれているのではないだろうか。
◆ 名画座
映画『北京の天使』は池袋にある新文芸坐(http://www.shin-bungeiza.com/)で観た。初めて入った映画館。新しい建物になる前の文芸坐の時、演劇を観に行ったことはあった。いかにも名画座という雰囲気のところだった。劇場には大きな柱があり、ちょっと変わった形のところだった。
小心者の僕にはとても歩き難い通りにこの新文芸坐はある。残念ながら、この建物も一見、まわりの雰囲気に染まっているかのよう(笑)。でも、エレベーターで上にあがると、新しいけれども落ち着きのある良い雰囲気があった。上映前の館内放送も素晴らしい。携帯電話の注意も、液晶画面の迷惑まで促している。
僕は2000円を払ってこの新文芸座の会員になってしまった。1枚の無料招待券がもらえて、1年間通常の1300円が1000円になるのである。
そうそう、この映画館は2本立てだったりしている。セレクトされた、良い映画ばっかりという雰囲気。
昔はこうした名画座という映画館がいくつもあり、かなり安い値段で映画を観ることができたような気がする。こういう映画館が近くにあるということは、実はとても価値のあることかもしれない。
ちょっと名画座について調べてみたのだけど、他にもいくつかこういう映画館があったのだね(http://www.h2.dion.ne.jp/~mizurin/)。ちょっとした楽しい発見だった。
◆ セルフさぬきうどん
池袋に新しくできたセルフのさぬきうどんのお店に行ってみた。最近はブームのように、あちこちにこうした店が出てきてるらしい。驚いたのはこの店の広さ。ほとんど居酒屋といっていいようなスペース。席は110もあるのだ。なぜか細長い。一番奥の方に厨房というか、カウンターがある。セルフというのは何がセルフなのかよくわからない。おそるおそる前へと進む。お盆を取り、まずは飲み物をチョイス。その先には天麩羅が多く置かれている。チュウハイも飲むことにしたので、酒のツマミにしてもいいかなとカボチャとチクワをチョイス。それから冷奴も取る。目の前にあると、ついつい取ってしまうのである。最後にうどんを注文する。噂に聞く「かま玉」を中(2玉)で注文する。アツアツの麺の上に生卵でとろとろのところを食べるのだという。すぐに出てくるかと思ったらそうではなく、番号札を渡される。その隣にあるレジで会計。なんだかんだと取ってしまうと、けっこうなお値段(笑)。とりあえず席に着いた。
少し経ったところで、店員が席まで運んできてくれた。運んでもらって文句を言うのもなんだが、セルフという言葉に引っかかってしまう(笑)。しかし問題はこの店の広さだ。運んでくる途中にアツアツの雰囲気が無くなってしまっているのではなかろうか。おまけに卵は混ぜられてしまっていて、自分でかき混ぜる楽しみも既になかった。さぬきうどんはコシがあって美味しかったのだが、アツアツを思い描いていた僕としては、ちょっと違ったものを食べた感じになった。
今度スーパーで冷凍のさぬきうどんを買ってきて、アツアツに卵を乗せて食べようと強く思ったのだった。
■ ビデオ『彼岸花』小津安二郎監督
頑固者の父親と娘との微妙な関係というのがテーマになるのかな。面白いです。父親に結婚を反対されている女性の皆さんにはぜひお薦め(笑)。
実は僕はこの映画を観ていて、岸本葉子のことが浮かんできた。たぶん、岸本葉子の本が好きだという人は、小津安二郎の映画を好きになるのではないだろうか。時代が変わって行く中で、自分自身をしっかりと持って行こうとする女性の姿、背筋を伸ばしたところと言ったらいいのかな。うまく言えないけれど。
◆ ビューティー・コロシアムを
金曜夜7時からの「ビューテー・コロシアム」は毎週欠かさず見てしまっている。醜いと言われた人が変身する。容姿というよりも、その笑顔の表情を凄いなぁと思う。こんな風に身体全体を変身させる店というかサービスがあってもいいのではないだろうか。個人が利用するというよりも、大学や会社で最初にこういうサービスをやったらいいと思うのだ。入学、入社時に、ひとりひとり変身させてしまうのである。やりたくないという人はそれはそれでいい。けれど、長い人生の中で1度くらい誰かに自分の身なりを委ねるということがあってもいいのではないかと思う。
例えば大学では子供の数が減り、入学者も少なくなっていると聞く。大学のサービスのひとつとして、入学者を変身させてしまうのである。多くの人は、親元から離れたり、新しい人間関係が始まったり、ひとつの人生の再出発である。自分の表情というものをプロの目で客観的に見てもらい、服装や化粧、髪型を変える。整形はなしにしても、正しいダイエットは食生活の面でもプラスになるかもしれない。自分の気づいていない自分に変わる。笑顔での新しい生活は、学生生活に活気を持たせ、就職率もアップすることは間違いない。
会社で入社時のサービスとしてこういうことを取り入れてもよいだろう。人をひとり採用するにはお金が掛かる。社員教育の一環として考えれば問題はない。良い人材を集めるという意味でも、こうしたことをやってもらえるならば、入社したいという人も増えるだろう。本人が自然に出せる笑顔があれば、営業などでは考えられないような成果に繋がるかもしれない。
もちろん、女性だけでなく男も。老人ホームに入るとき、なんても生き生きした老後を過ごせるかも。
■ 映画『運命の女』エイドリアン・ライン監督(http://www.foxjapan.com/movies/unfaithful/)
凄い映画だった。どきどきわくわくの2時間と4分。仲のよい夫婦の皆さん(別に悪くてもいいけど)にはぜひ観て欲しい。男の子がひとりいたりしたら、もう行くしかない。
詳しく内容について語りたいけど、まっさらの気持ちで観てこそ面白いでしょうね。ダイアン・レインいいです。もの凄くセクシー。
完璧といっていいような面白い映画だったのだけど、残念なのがこの邦題。原題は『UNFAITHFUL』という。調べてみると、忠実でない、不正直な、信用できない、不貞な、浮気な、みたいな意味。どう考えてもこの映画に「運命」というイメージはない。また、この映画の主人公はダイアン・レイン演じる妻だけでなく、リチャード・ギア演じる夫の方も主人公である。僕は、男性の側からこの映画を観た。女性は女性の側からこの映画を観るだろう。けれど、夫婦の両方の立場からもお互いの気持ちなどが感じられる。表情だけでなく、ほんのちょっとした手の動きなどを映す映像もまた印象的である。
実はこの映画を観たのは仕事帰りの最終回だった。まわりは10組ほどのカップル(ひとりで映画を楽しんじゃいけいないのかい)だけでガラガラの状態。帰りのエレベーターでこうした人達と一緒になったのだけど、その沈黙には特別なものがあったような。
そうそう、後になって思ったことがあった。この映画を多くの人が観るようになると、ラブホテルなんかはかなり売上が落ちてしまうのではないだろうか(笑)。
■ 角田光代/佐内正史『だれかのことを強く思ってみたかった』(実業之日本社)
この本はとても良かった。角田光代はかなりの数を読んでいけれど、このエッセイが一番好きかもしれない。けっこう自分自身のことを振り返って書かれたものだからだろうか。このタイトルが、この本の良さを表しているのかもしれない。いくつもの話と、モノクロの写真とが重なり合っている。この写真は何気ないような街角のものだったりしている。そういえばあの場所を歩いたことがあったな、みたいなところだ。そして、最後の方にカラー写真があり、その色が眼に焼きつく。この本の先には、この本を読んだ自分自身の景色が広がるように思える。
僕もデジカメを持っているわけで、こうした写真をどんどん撮りたいという気持ちになってきた。
ところで角田光代という名前はこのところよく見かけるようになってきているのではないか。もう少ししたら、知らない人はいなくなるかもしれない。