フロント
   
2003年1月
2003年2月
2003年3月
2003年4月
2003年5月
2003年6月
2003年7月
2003年8月
2003年9月
2003年10月
2003年11月
2003年12月
   
   
   
   
   
   
   
   

     

読書夜話2003年2月

麻姑掻痒 2003/2 #1


2003/1/11

◆ 仕事をサボろう
 会社に行きたくない時というのは誰にでもあるのではないだろうか。仕事が好きで好きでたまらないという人もいるかもしれない。別にそうした人を否定するわけではない。けれど、1年の中にどうしてもやりきれない何日かはあるように思えるのだ。
 たまにはサボることも必要なのではないかと、僕はかなり真面目に考えている。仕事でも学校でも何事も。少しばかり休みを取って、気持ちを楽にする。そうすれば、余裕がなくて見えなかったものも見えてくる。とにかく一度休んで、すべてを忘れる。
 有給休暇というものは制度としてはある。しかし、なかなか休めないのが現状である。休んでいいよ、でも他の人に迷惑をかけないように。ちょっと違っていないだろうか。他の人に迷惑をかけてはいけない。誰がそんなこと決めたのか。誰が迷惑するというのか。
 日本という社会にはサボリ休暇というものがあれば良いと思うのだ。朝起きたら突然仕事に行きたくなった。嫌な上司の顔が浮かぶ。部下も生意気である。とりあえず着替えて駅には向った。線路を渡り、電車に乗ろうとしたとき。自分の気持ちに正直でありたいと思う。そんなときに、サボリ休暇というものを使う。この休暇は会社に連絡などしてはいけない。何も連絡しない上で休むのがサボリ休暇だ。もちろん、職場では少しの混乱はある。例えば、A氏はテレビニュース番組のスタッフだ。本番で彼が休んだために進行に手違いがあった。「スタッフのひとりがサボリ休暇を取っていまして」とキャスターは言う。けれど、彼は謝ったりはしない。視聴者は「ああ、そうかそうか。それは仕方が無い」と納得する。そこに手違いがあったからといって、何か特別な問題があるわけではない。「ゆっくりと休んでおくれよ」とテレビの前で多くの人は思う。B氏は工場の生産ラインで仕事をしている。特に工場という場所ではサボリ休暇を取る人は多かった。最初の頃はこの制度に対しての消費者の理解が増えてきている。納期が遅れて、注文されたものが消費者に届かなくても問題になることは少なくなった。ちゃんと待ってもらえる。あわてない社会になってきた。従業員のストレスは減り、逆にサボリ休暇が減ってきている。サボリ休暇の人がいることによって、結果的にワークシュアリングというものも確立されてきた。
 寂れていた温泉宿も、サボリ休暇制度が出来てから訪れる人が多くなってきた。
 多くの失業者がいる問題、不安でどうしようもない社会なども、少しは改善されるのではないだろうか。
 どうして急がなければならないのだろうか。人に迷惑をかけてはいけないのだろうか。いつもということではない。たまにはいいじゃないか。

■ ノーム・チョムスキー『チョムスキー、世界を語る』(トランスビュー)
 インタービューの発言を元にして作られた本。1999年の暮れに行われたインタビューで、9.11よりも前なのだけど、書かれていることは一貫していることだ。しかし、少しばかり彼の他の本とは違った雰囲気があるように思えた。メディアというものについて、多く書かれている雰囲気がしたのだ。
 先日、書店をうろうろしていると、チョムスキーの本が2冊も出ていることを発見。買おうかどうしようか、悩んでいるところ。

◆ 本間江梨という人
 このところ「情熱大陸」(http://mbs.jp/jyonetsu/)というテレビ番組が好きで良く見ている。2月2日放送での特集は本間江梨という人。こんな人がいるとは知らなかった。カッコイイ!!
 海外で活躍するスポーツ選手というと、サッカーのナカタなどが代表だろう。しかし、本間江梨というバレーボーラーのイタリアでの活躍はナカタ以上と言ってもいいほど。それが、まだまだ知られていないというのだ。
 多分、僕くらいの年齢の人間はテレビの前でバレーボールの応援を必死になってしたことがあるのではないだろうか。この数年、悲しいくらいにバレーボールの人気は落ちたような気がする。日本サッカーが、Jリーグで変わったように。日本のバレーボールはこの本間江梨という人によって、大きく変わるのではないだろうか。
・日経キャリアマガジンインタビュー (http://www.nikkeihr.co.jp/careerm/read/0302_01.html
・Eri official web site (http://www9.ocn.ne.jp/~eri/
 この手作り風のウェブサイトは気持ちが入っていて、もの凄く良いです。

■ ビデオ『麦秋』小津安二郎監督
 今年は小津安二郎監督の映画をどんどん借りて観てみようと思っていた。けれど、「どんどん」というのは少し訂正しようかと思っている。この『麦秋』も相変わらず面白かった。家族とか結婚とか、そういうものを時代を超えて感じることができる。しかしこのところ、この監督の映画はちょっとわからなくなってしまっていることもある。別に批判とかでは全くありません(笑)。登場人物が各作品で共通しているのが多く、しかもその関係が親子だったのが兄弟になったり。部屋の様子、外の景色なども似たような雰囲気が多いもので、微妙にそれが重なってこんがらがってしまっていて(笑)。ひとつの作品を見て、しばらく余韻に浸って。それから次の作品を見ていこうかと思っているところ。

◆ 読み書きそろばん
 僕の子供時代、小学校の5年生まで「書道」と「そろばん」を習っていた。書道は一度だけ、習っていた塾の協会の機関紙に僕の書いたものが載ったことがあった。これはささやかな自慢である(笑)。続けていれば、なんとかなったのかもしれないが、今はヘタクソな状態である。そろばんは確か2年間ほどしかやらなかったが、4級か3級まで行ったのかな。面白くなってきたところで、転校することになり、その後そろばんをやることはなかった。
 現代社会は子供の教育が盛んのようである。しっかしとした勉強の方法を身に付けることにより、力をつけている子供は多いのだと思う。けれど、よくよくこうした教育というものを考えてみると、「読み書きそろばん」と昔言われていたことがいかに重要であったかを感じることができる。これは子供だけでない。大人に必要なことで、良い内容の実用書を読むと、やっぱり「読み書きそろばん」なのだろうと思ったりする。
 読むということは、最近特に言われていることだろう。声を出してゆっくり読むことで、その内容をかみ締めることができる。作者のリズムを感じ取ることができる。書き手の気持ちに近づけるだろう。書くということ、特に書道をすることによって得られる集中力というものは、かなり大きなものだ。集中して自分自身と向き合うことは何をやるにも基礎である。そろばんというのは、頭の中にイメージして素早く処理していくことでもあるはず。これは、本を速く読んだりすることにも必要な力である。
 振り返って思い出しても、書道やそろばんの出来た人は、勉強も出来ていたのではなかったか。
 今は書道の塾やそろばんの塾なんかはあるのだろうか。

■ 島本理生『リトル・バイ・リトル』(講談社)
 この作者については名前もよく知らなかった。けれど、高校生で芥川賞の候補にあがったという話は聞いていた。読んで驚いた。高校生というのをまだまだ子供だと思ってしまう自分がこの驚きの原因を作っているのだろうけど。
 読んでいて、その強さに惹かれてしまう。ちゃんと前を向いている姿勢がほんとうに心地よい。最初にあとがきを読んだのだけど、これがまた凄くいいのである。僕はこの小説を読んで、明るい気持ちになった。作者の1983年生まれというのを確認すると、少し落ち込んだけど(笑)。
 そうだ。この小説には習字の場面があった。その描写が自分自身と向き合っているみたいで、すごく良かった。
 これからも注目していきたい人だ。それにしても、最近の若い人は本を読んでない、なんて言われているけど、そんなことはないのだね。読んでいる人は読んでいる、読んでない人は読んでない。ひとくくりにして考えてしまうのは、よくないことだと思ってしまった。
※スポーツ報知のインタビュー(http://www.yomiuri.co.jp/hochi/news/feb/o20030208_20.htm

◆ 中島らも
 中島らもが新聞に載るような事件を起こしてしまった。彼はこれからどうするのだろうか。音楽をやっている人がこうした事件を起こして、いくらかの時間を置いてカムバックするというのはよくあるが、小説家というのはあまり聞かないような気がする(彼は音楽もやっていたわけだけど)。彼の出世作となった『今夜すべてのバーで』は、彼の入院生活からの体験が小説になったのだという。ということは、カムバックしたときに彼の書く小説は……。
 こういうことを書くのは不謹慎なのだろうな。でも、何ていったらいいのか、難しいですね。

■ ケン・ブランチャード&マーグレット・マクブライド著 松本剛史訳『一分間謝罪法』(扶桑社)
 このタイトルを見て、僕はこの本を買わずにいられなかったのであった。一分間で謝ることによって、人生が変わるような気がしたのだ。それにしても凄いタイトルだよね(笑)。中身がどうあれ、素直にタイトルに脱帽して本代を払ってしまってもよいなぁと思ってしまう。
 自己啓発のビジネス書なのだけど、小説のようになっている。読み終えて、1分の時間があればわかることなんじゃないの、というのが僕の感想だった。回りくどいぞ、早く謝れ、こんなことは当たり前のことじゃないか、と(笑)。たぶん、僕以外でもこう思った人は多いのではないだろうか。でも、とてもいい子ちゃん的に考えると、こんな気持ちが驕りだったりして真実というものを見失ってしまっているのかもしれない。
 もしも、チェーンの居酒屋さんの宣伝で「従業員は『一分間謝罪法』を読んで接客を学んでいます」というのがあったら、僕はその店に入ろうと思うし、けっこう繁盛する店になるのではないかな。

◆ センセイの鞄
 今月WOWOWで放送される予定の『センセイの鞄』(http://www.wowow.co.jp/drama_anime/)が気になっている。以前の僕であれば、小説のドラマ化には「へぇーんだ」と冷たい態度を取ってきた。しかし藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』映画化によって、僕もかなり柔軟になってきた(笑)。原作が好きで、良い作品を作ろうと気持ちを持ったスタッフが作るのであれば、価値のあるものになるのではないかと。その映画、ドラマによって、原作を読む人がひとりでもいれば嬉しいことでもある。
『センセイの鞄』ドラマ化で嬉しかったのは、久世光彦が演出をするということだ。これは凄い楽しみ。
 ところが僕はWOWOWには加入していない(笑)。ケーブルテレビには入っているので簡単な手続きで加入できるのだが。このドラマと高原のゴールのあわせ技で加入しようかと悩んでいる今日この頃なのであった。

■ 村上春樹『村上春樹全作品1990〜2000 2』(講談社)
 この本の中には「国境の南、太陽の西」と「スプートニクの恋人」という2つの作品が収められている。この作品を読み返したというわけではないのだけど(笑)、この本について語りたい。この全集には「解題」という、あとがきというか、作品を書いたときのエッセイのようなものが入っている。特に、これが面白かった。箱に入っている本なので、書店で立ち読みをするというのはちょいと難しい。村上ファンであれば、ぜひ3000円(税別)を払って手にして読んだ方がいいだろう。
 何が凄いかというと「国境の南、太陽の西」についての誕生秘話である。えっ、と本当にびっくりしてしまう。僕はこの作品が好きなだけに、しばらく呆然としてしまっていた。同時に、小説家の仕事というのは、気の遠くなるような大変なことなのだと思った。それから、こういう夫婦の関係というのも良いものだと。
 こうした誕生秘話というものを読んでしまうと、もう一度作品を読み返したくなってしまう。村上春樹の全集を、最初から最後まで読み返す、というのを老後の楽しみにしようかな(笑)。僕の老後は読む本がいっぱいあるのだ。

◆ 逆さ箒
 先日、小津安二郎のビデオを観ていると、逆さに立てられた箒を直すという場面はあった。僕はまだ小学校の低学年だった頃を思い出してしまった。箒を逆さに立てるということをやっていたのである。
 知らない人が多いと思うが、箒を逆さにして立てていると、客が早く帰るという迷信のようなものがあった。昔は飲み屋というのはそんなにはなく、うちの父親などは自宅に仕事関係の人を連れて来てよく飲んでいた。正直なところ、そんなに広い家ではない。僕は茶の間で寝ることになっていたので、普段通りに眠ることもできない。客が来ると、奥の姉のいる部屋に潜んでいた。どんちゃん騒ぎをしているために、うるさいし、見ようと楽しみにしていたテレビを見ることもできない。そんな時に、姉から「箒を逆さに立ててくるように」と指示される。最初は何でこんなことをするのかもわからなかった。姉が勝手に考えたことだとばかり思っていた。実は大人になるまで、他の家でも行われてきたとこだとは知らなかった。
 この箒の場面を見て、懐かしさと同時に少しばかり寂しい気持ちにもなった。僕の部屋には箒がないのである。一人暮らしだし、帰って欲しいような客が来るでもない。でも、普通の家庭はどうなのだろうか。現代での掃除というのは通常は掃除機で行われる。たまには箒のある家もあるのだろうが、ない家は帰って欲しいお客さんが来たときにはどうするのだろう。まさか、掃除機を逆さにしているのだろうか。

■ 映画『アレックス』ギャスパー・ノエ監督http://www.alexmovie.jp/
 正直に言って、最初の方はこの映画館に入ったことを後悔した。たぶん、白石美帆ちゃんなんとかデートでこの映画を見たならば、途中で出たのではないだろうか。そうでないにしても、映画を見た後で食事を楽しめるようなものではない。
 次第に、時間が経つにつれて、観ている気持ちは冷静になっていく。やっとこの映画の意図のようなものがわかってくる。カメラワーク、ストーリー展開、何から何まで独特なものがあった。好きか嫌いかではなく、確かに観る人の中に残る作品なのだろう。
 あとになって観てよかったと思っている。それにしてもこの「アレックス」という邦題は酷いのではないだろうか。原題は「Irreversible」、「取り返しがつかない」ということらしいのだが。どう考えても「アレックス」ではない。

◆ 新発泡酒のデビュー
 ついに、キリンビールより「淡麗アルファ」(http://www.kirin.co.jp/brands/alpha/top_fla.html)が発売された。「プリン体90%カット」と言われてもキョトンとしている人は多いと思うけど、僕にとっては大きな出来事だった。でも僕はまだこの発泡酒を飲んでいない。ビール・発泡酒は飲まない、と自分で勝手に決めているので、例えばこういう飲み物が出たとしてもどこで線を引いたらいいのかちょっと迷っているのだ。自分ではわざわざ買わないと思うけど、居酒屋に置かれていたら、つい飲んでしまうかもね。これから数ヶ月、飲食店でこの飲み物をどう扱うかに僕は注目している。
 しかし、発泡酒だけでなく、ビールのプリン体カットは出ないのだろうか。それだけでなく、プリン体をカットした、レバー、牛ヒレステーキ、鰹、エビなんかが発売されたら、もの凄く僕は嬉しいのだけど。

■ 金城一紀『対話篇』(講談社)
 久しぶりに出た金城一紀の新作はとても良かった。3つの短編が入っているのだけど、正直言って村上春樹に似てきたのではないかな(笑)。言葉の雰囲気(あまり使わないかっこいい比喩とか)、孤独な主人公とか。もちろん、金城一紀にしか書けない笑みを誘うようなところが、僕は好きなのだけど。
 3つの作品で一番良かったのは最後の「花」という作品。ちょっと恥ずかしくなってしまうような、泣かせる話なのだけど、素直に「泣いてしまったぜ」と言わせてしまうものがある。おおお、カネシロカズキ、やられたぜ!という感じなのである。金城一紀は『GO』で脚光を浴びてしまった。最初から直木賞なんて取ってしまっていいの?と思わなくもなかったけど、ちゃんと前へと進んでいるのだなとより好きになってしまった。
 最初の「恋愛小説」もいいです。特に14歳のデートの話なんて、言葉がありません(涙)。
 この本の装丁もいいです。ついつい触る前に石鹸で手を洗ってしまうけど。

◆ ケイタイデビュー
 携帯電話を買った。Jフォンのカメラ付である。カメラなんて関係ないと思ったが、Jフォンの場合ほとんどの機種にカメラが付いているので僕もユーザーになってしまったのであった。ちなみにお値段は1円でした。ポイントカードを出すときは何だか恥ずかしかった。
 簡単に写真が撮れてしまって、なんとまぁビックリ(笑)。言葉でなく、写真でコミュニーションを取る時代なのかと、実際にこの携帯電話を見て少し考え方が変わってきたところである。
 携帯電話はまだまだ使い方がわからない(笑)。電話というよりもメールの道具という感じがしているのだけど。それにしても、便利というか凄いおもちゃだと関心して眺めている。
 ドルフィンホテルでもそのうち、携帯を使ってのコンテンツを作ってしまうかもしれません(笑)。まあのんびりとご期待ください。



雪月風化 2003/2 #2

2003/2/17

◆ 平凡な景色
 外に出かけるときにはデジカメを持っている。毎日というわけでもないが、持っているときの方が多いことは確かだ。良い景色があったら、撮ってみたい。そういう気持ちがある。。けれど、このデジカメを使うときというのは、ほとんどない。撮りたくなるような景色のない東京という街に問題があるのか。自宅と職場の往復の景色なんて特に何もないけど。でも、平凡な景色の中にも何かあるんじゃないか。それを見落としている僕の中にこそ、問題があるのではないか、なんて考える。本当はただ面倒なだけなのだけど(笑)。
 それにしても、東京は暖かくなった。雪も降ったけど、そろそろ春になるのだなぁと感じてきている。あとひと月ちょっとで桜が咲くわけだからね。草木の変化というのを注意して見ていきたい。そうやって、使いもしないデジカメを鞄に入れてしまうんだな。

■ ビデオ『ショート・カッツ』ロバート・アルトマン監督
 レイモンド・カーヴァーが原作ということで、前から気になっていた映画だった。レンタルビデオ屋さんでぶらぶらとビデオを眺めているとこの『ショート・カッツ』を発見。すぐさま借りて観ることにした。
 短編小説がベースとなって、いくつかの話が平行して展開していく。同じLAという土地で、同じ空気を吸っているというのが共通点と言えるのだろうか。こういう作り方というのもあるのだと関心して観ていた。
 そう言えば、昨年藤沢周平の作品が原作となった芝居を観た。それも短編が同時進行するというものだった。

◆ 餃子の皿について
 先日帰宅途中で中華料理屋さんに立ち寄り、晩御飯とした。けっこう美味しいお店なのである。家族でやっているみたいで、カウンターがありそんなに込んではいない。僕は、紹興酒(小さな瓶やつ)と焼餃子と韮焼きそばを注文した。ちなみにここの麺類は太目のものを使用しているために、それなりの時間が掛かる。そのその時間を待ちながら本を読み、紹興酒を飲むというのが楽しいのであった。餃子もアツアツで美味しかった。さて、問題は(大した問題でもないけど)この餃子のお皿であった。この店では小皿はなく、餃子の皿の端の方にタレを入れるところのあったものだった。その部分というのが、餃子の形、三日月形なのだけど。なんでなんだろうね、というのが僕の素朴な疑問だった。その形に合わせて餃子をタレにつけて食べた。けれど、餃子の形であることの必然性というものが僕にはわからなかった。この世の中にはわからないことが実に多い。

■ 山本ふみこ『台所で元気になる』(大和書房)
 ひとつの宝石のような本だったと思う。いや、宝石はこの本には似合わないか。ひとつの美味しい味噌汁のような本、とこの本を表現したい。
 僕はこの本を読んだことで確かに元気になったと思う。このエッセイは生活についての、ほんの「少し」が書かれている。例えば岸本葉子さんも生活についてのエッセイになるわけだが、ちょっと違うジャンルと考えた方がいいだろう。
 この本には美味しいご飯を食べたときと同じような、暖かさがあるのだと思う。子供がいる生活、ひとつ屋根の下で支えあっている生活の暖かさというものがひしひしと伝わってくる。料理のレシピ、生活のアイデアなどが、いっぱいに詰まっている。ちなみにいくつかのエッセイの中で特に僕のお気に入りは「とっておきのごはん」(P140)「虚無」(P159)「百日紅」(P175)など。
 山本ふみこさんの作品はこの本を含めて全部で6冊ほどが出ている様子。探して全部読もうと思っている。楽しみだ。

◆ 料理と本
 このところ、角田光代のエッセイを良く目にする。朝日新聞の書評なんかはかなりチカラを入れている雰囲気。でも、僕が一番好きな彼女のエッセイは「月刊ベターホーム」(http://www.betterhome.jp/book/kaihou/kaihou.html)という雑誌に書いている「元気印でいこう!」という料理に関してのものである。さんまの焼き方について書かれていたりというのが実に楽しいのである。マイナーな雑誌であるだけに、あまり大きな声では言わないこっそりとした話がリラックスした状態で書かれているような気がする。森絵都と一緒に激辛麻婆豆腐を食べた話なんてのもある。
 そして、このエッセイの中で「2002年の大収穫」として紹介されていたのが、山本ふみこの本『食卓の力』(晶文社)、『台所で元気になる』(大和書房)というものだった。
 料理の美味しさと、本の面白さというのは、どこかしら共通点があるのではないかと、このところ考えている。

◆ ちゃぶだい
 池袋にある「月まる」(http://r.gnavi.co.jp/g657401/)という居酒屋で飲んでいた。普通といえば、普通の居酒屋なのだが、なんとこの店の座敷のテーブルは「ちゃぶ台」だった。思わずひっくり返したくなったりはしなかったが、懐かしい気持ちがしてきて、美味しい酒を飲むことができた。なんでこんなに良いのだろうか。四角でなく、ただ丸いテーブルというだけなのに。自分のスペースがここからここまでと決まってないところが良いのだろうか。最近の電車では座席が凹んでいたりして明確にここに座りなさいとなっている。ちゃぶ台というものは、人の「こうしなくちゃいけない」という窮屈な気持ちを解放してくれるのではないのかな。しかも、ちゃぶ台はひっくり返しても、やり返しができる。一生懸命考えた僕の「ちゃぶ台論」でした。

■ 映画『レッド・ドラゴン』ブレッド・ラトナー監督http://www.uipjapan.com/reddragon/
 正直なところ観る前はあまり期待していなかった。トマス・ハリスの原作を数年前に読んでいて、地味な内容だな、という印象を持っていたからだ。地味というか何というか、女性の登場人物が少ないからね(笑)。
 でもこの映画、とても面白かった。『羊達の沈黙』と比べるとちょっと難しいが、『ハンニバル』よりはずっと面白かった(笑)。最初から最後までハラハラドキドキ。まさに、手に汗握る時間だった。ほんとに満足して映画館を後にした。
 けれど、後になって振り返ると、ちょっとという点もいくつかある。最後の場面は僕個人としては好きではない(笑)。それから、ダラハイドについてはもっと深く描かれてないと、この犯罪というものがよくわからないような気もした。
 何だかんだあるけれど、凄くお薦めの映画でした。
 余談になるけど、携帯電話の出てこない映画を観ると、なんだかホッとした気持ちになったりする(笑)。

◆ ワープロソフト
 職場のパソコンが新しいものになった。ウインドウズXPである。OSは見た目だけの問題でもあるのだが、問題はワープロソフトだった。どうにも使いにくい。僕が思うに、ワープロというのは新しくなるほどに、使い難くなっているのではないだろうか。最初の頃に使っていたオアシスが懐かしくてならない。
 新しいソフトは何でもやってくれる。けれど、僕は自分の背中は自分で掻きたいのだけど。そう言えば、ワープロソフトの進化は、F1での技術の進化とも似ているのかもしれない。ウイングカー、ターボ、アクティブサスペンション。タイムの短縮には繋がったが、ドライバーが操作するという点での魅力は少なくなってきているように。ワンメイクのレースでドライバーが育つように、シンプルなワープロソフトが無ければ、書き手は育っていかないのではないだろうか。

◆ さばのみそ煮
「おはち」(http://www.freshnessburger.co.jp/ohachi/)というチェーンの定食屋でお昼を食べた。雰囲気としては大戸屋とよく似たものである。僕は「味噌煮定食(さばみそ煮)」(620円)をご飯大盛(60円増)で、それに揚げなす(180円)も食べた。ちょっと食べ過ぎた(笑)。
 お米の美味しいのが嬉しかった。店員さんの応対はしっかりしているし、また来てもいいかなと思った。考えてみると、和食を食べさせてくれるお店というのは実に少ないような気がする。
 ラーメンの食べ歩きをしている人は多い。ラーメンも悪くはないけど、さばみそ煮とかの和食の食べ歩きが流行るようになったら、もう少し優しい社会になるのではないだろうか。

◆ なぜデパートの1階は化粧品売り場なのか
 実は以前からデパートについて不満がある。そんなに買い物をするというわけではないが、中を通ることは多い。デパ地下などは歩いているだけで楽しい。けれど、なんで食料品が地下で売られていて、1階が化粧品売り場なのだろう。僕にはそれがわからない。1階を通ることはよくある。別に買わないにしても、外に出るときに1階の売り場を歩いてしまう。僕は「匂い」というものが苦手なのである。きれいなお姉さんを見るのは楽しいが、どうにもこのお化粧のキツイ匂いは苦手で、できればこの1階というのは歩きたくない。歩きたくなければ歩かなければいい。そう言われてしまえば、当然返す言葉はない。でも、疑問なのだ。この1階の化粧品などの売り場というのは、女性の、ある特定の年齢の人が対象となっているはず。男で利用する人はあまりいないはず。しかも、僕の友人の女性などに、このデパートの化粧品売り場の話を聞くと、「ああいうところでやってもらうお化粧は濃い目になってしまって、あまりよくない」とか「肌の関係で化粧品は通販だから」とか、あまり積極的に利用している様子もない。もちろん、デパートの1階で家電が売られていたらごちゃごちゃして、高級なイメージが無くなってしまう。
 そんなに積極的な文句でもないのだが、どうにもデパート1階が化粧品売り場というのが理解できないのあった。

■ よしもとばなな『ハゴロモ』(新潮社)
 久しぶりに、よしもとばななの小説を読んだ。失恋した女性が主人公。なかなか良い雰囲気。インスタントラーメンが食べたくなってきた(笑)。
 運命的な出会いというのはあるのだろうか。それがこの小説を読んでの僕がふと思ったことだった。もちろん、これはこの小説の感想ではない。内容とも関係ない。でも、そういうことを強く考えさせる本ではあった。
 良い人と出会ったときには、運命かなと感じたりもする。けれど、静かな毎日を過ごしていると、単なる偶然なんじゃないの、なんて思う。世の中にはあまりにも多くの別れがあり、何だかよくわからなくなってしまうのだ。そんな気持ちのときに、この『ハゴロモ』を読むとちょっと気持ちが休まるのかもしれない。

◆ ロスタイムの攻防
 日曜日の夜、とある駅の地下商店街を歩いていた。今が何時なのかよくわからない。僕は少し酔っていた。久しぶりに魚屋さんのところをウロウロとした。以前はよくこの中島水産(http://www.nakajimasuisan.co.jp/)で魚を買ったものだった。けれど、自宅の近くに夜11時までやっているスーパーが出来てからは、ほとんどこの場所に来ることはなくなっていた。
 本格的な魚屋さんは種類が多い。見ているだけで楽しかった。しかも、この店は値段も安い。
 ふと気がつくと、いつの間にか人だかりができている。背の高いマネージャーらしき人ともうひとりの店員さんとでラベルを貼り、マジックで値段を書き換えていた。驚くような値段になっていく。多くの人が書き換えられた値段の魚に手を伸ばす。僕もその中に加わってしまったのであった。閉店のお知らせの音楽が流れてきた。時間は8時だった。レジには両手にお魚を抱えた多くの人が並んでいた。
 結果としてこの時、5品、合計で1000円(+消費税50円)を支払った。
 内訳は以下のもの。最初は左の値段で、マジックで何度か書き換えられ、右側の値段が僕の購入した最終的なもの。
・サバ 3切 480円→200円→100円
・鰈(かれい)のこぶ包み 2枚 580円→400円→200円→100円
・あこうだい 2切 2361円→1800円→1000円→500円
・黒むつ 2切 780円→400円→150円
・赤したびらめ 3切 680円→400円→350円→150円
 最初の値段は、4881円(+消費税244円)である。なんと5分の1近くまで安くなったことになる。閉店間際に安くなることは知っていたが、まさかここまでになるとは。
 家に帰った僕はこれだけの魚をすぐに食べられるわけもなく、小分けして冷凍庫に閉まった。普段食べないような魚ばかりだったので、ちゃんと名前も書いた。とても得をしたような、嬉しい夜だった。
 けれど、僕はこれまで焼き魚くらいしかやったことがない。いくら冷凍したとはいえ早く食べなければならないだろう。これだけの魚をどうやって料理するのだろうか(笑)。

◆ おさなかぶっく
 中島水産のウェブサイトを見ていると、その中に「おさなかぶっくONLINE」(http://www.nakajimasuisan.co.jp/osakanabook/)というウェブマガジンがあった。いやぁ、これは面白い。エッセイを書いている人には、島田雅彦、安西水丸、町田康など、著名な名前が並んでいる。短い文章だけれど、心の底からの気持ちで書いているみたい(笑)。読んでいると、魚を食べたくなってくる。ただ、ちょっとだけ落ち込む。いかに自分が、魚の名前の漢字に無知であったかに気付いてしまったのであった(笑)。

■ ビデオ『初恋のきた道』チャン・イーモウ監督http://www.spe.co.jp/movie/roadhome/
 今年はチャン・イーモウ監督の作品をどんどん見ようと思っている。でも僕のいつも行くレンタルビデオ屋さんにはあまり置いてないんだよな。まだ新しい作品ということだろうか、チャン・ツィイーが僕に「借りてください」と微笑んでいた(笑)。
 とてもよかった。考えてみると、とても台詞が少ない。その代わりというのだろうか、自然の映像が静かに語りかけてくれる。僕が良いと思った場面に瀬戸物を修理するというところがある。何かの記録映画のような雰囲気。こういう場面が作品の中で大切なものとなっているのかも。
 そうだ。この映画、何かを感じさせてくれると思ったら、藤沢周平作品ではないだろうか。自然の景色というものは、日本と中国とは違う。けれど視点というのは同じようなものがあるのかもしれない。「初恋」の相手は学校の先生である。校舎の風景、朗読する声。子供達の歩く姿。見終わっても、その景色が残っている。

◆ ジュンク堂を語りたい
 池袋のジュンク堂書店(http://www.junkudo.co.jp/)をウロウロしていたら、福沢諭吉さんが1人いなくなってしまった。代わりに本の荷物を持つことになったのだが(笑)。そうそう3階の文庫本売り場が少しきれいになった。平積みになっていた新刊のところが、少し角度のある見やすい本棚となった。ちょっと他で見たことのないもので、僕はまたジュンク堂が好きになってしまった。
 この書店で気になって仕方がないのが、トークセッション。これまで多くのゲストが来ている。残念ながら僕は時間が合わなくて一度も見たことがない。なんと、3月1日には金城一紀が登場です。「小説家を志す十代の人たちとのトークセッション」というのがそのタイトル。見たい、話を聞きたい。でも、僕には応募資格はなかったのか(笑)。



三寒四温 2003/2 #3

2003/2/25

◆ 写生
 小学、中学、高校と美術で写生の時間というものがあった。外に出て絵を書いていたわけだ。僕はとても好きな時間だった。ただ、絵が好きだということではなく、サボれてのんびりとできる時間だったからなのだが(笑)。何よりも、青空の下で時間を過ごすということが良かったのではないかと、今になって思っている。学校の脇には河原があったりして、良い景色だった。
 なんで昔の写生のことなどを思い出したのか。それは文章を書くということを考えていたことにある。僕は毎週読書夜話というものを書いているのだけど、なかなか書けるものではない。書くというのは実に難しいものだと思う。作文が苦手だった、なんてこともよく聞かれる。机の上でずっと唸っていても文章なんて書けるものではないのかもしれない。絵を描くのと同じように、外で文章を書く作文の時間があったらな、なんて思ったのだ。「写生」という言葉を調べてみても、絵を書くと限定されている意味ではなかった。
 晴れた日に、外に出て文章を書く。そんなことが普通に行われて行けば、文章力も上がり、読書の楽しみも増してくるのではないだろうか。

■ 映画『一票のラブレター』ババク・パヤミ監督http://www.crest-inter.co.jp/secret_ballot/index.html
 静かな映画だった。特にストーリーがあるということでもない。中東の景色の中の一日の出来事。同じ地球上にある場所で、選挙の投票が行われている。そんなに良かったというわけではないけれど、この風景は静かに残っている。本当はそういう映画であるということが、大切であり、凄いことなのかもしれない。

◆ スーパーナップフックお試しレポート
 こんなものがあったら、便利だろうとは思っていた。フックはいくつか持っている。でもほとんどはマグネットのもの。シールになっているのは取れると跡が汚れてしまうし、吸盤タイプのものはよく外れてしまう。そんなわけで、テレビショッピングでちょっとは気になっていた。超強力などこにでも取り付けることができるというフックである。
 これがなんと、スーパーで売っていたのだ。買ってしまった。780円。安い。「全米で大ヒット」と箱にはそのまま書かれている。日本向けに作った商品なのだろうな、と箱をよーく見ていると「Made in CHINA」と書かれてあった。中には大4個(5kg)小4個(2.5kg)が入っている。マグネットのフックの値段を考えてみると、この値段で8個というのは悪くは無い。壁紙には付かなかった。でも、お風呂では全く問題がない。さっそくこのフックにタオルを掛けている。

■ 金城一紀『FRY,DADDY,FLY』(講談社)
 この物語の主人公は47歳のサラリーマンである。金城一紀のこれまでの作品から、こうした年齢の主人公というのはイメージできなかった。けれど、この主人公が『レボリューションNo.3』の世界と微妙に絡んでいるところがとても面白いのである。金城一紀の世界は読んでいて元気になる。空を飛べるような気にもなる。憎たらしいな、と思いつつ(笑)。

◆ 立ち読み
 僕はその日、ジュンク堂3階の文芸本売り場にいた。正確に言うと、文芸というよりタレント本のコーナーだった。本上まなみの本をちらりと立ち読みして買おうかどうか真剣に悩んでいた。そんなとき、僕の耳に笑い声が聞こえてきた。大きな声ではない、ニタニタニタという感じ。横を見ると、20代前半の男性。誰かのアイドル本を見てウキウキした気持ちになっていたようだった。うひゃうひゃ。
 ふと我に振り返る。このときはちゃんと口を閉じて、けっこうシャッキっとしていたはずだった。けれど、立ち読みしていて、おもしろいなぁと読み入ってしまったことも過去にはあったはず。書店に入ったときには、少し気を引き締めなければいけないな。そう思った午後だった。

■ ビデオ『活きる』チョウ・イーモウ監督
 とても面白い映画だった。この監督はなんて凄いのだろうと感じた。この監督の評価されている理由がよくわかった。夫婦の物語と言えると思うのだが、実に淡淡としている。辛い場面もある。夫婦に大きな亀裂もあったりする。何かを乗り越えるという雰囲気はなかった。簡単に別れたりの出来る時代でもなかったのだろう。けれど、こういうことが活きて行くことなのかもしれない。そんなことを深く考えた。

◆ 携帯電話使用レポート
 携帯電話を購入してから半月が過ぎた。最初のうちは使い方が全くわからなかったのだけど、なんとか電話もメールも使えるようになってきた。ちゃんと片手で開けるようにもなってきた(そんなにぎこちなくはないハズ)。自分を少し褒めてあげたくなっているところだ(笑)。電車の中でも携帯電話を開くようになった。時間を見るくらいだけど。とにかく、携帯電話に関しての考え方が変わってきている。こんなに便利なものがあるのならば、四六時中離すことなく使うだろうなぁ、と。電話というよりも、携帯メールマシンと呼んだ方が正しいようにも思えるけど(笑)。ちなみに僕の携帯電話で一番活躍しているのは、朝の目覚まし時計の役割である。

■ ビデオ『用心棒』黒澤明監督
 三船敏郎がとても元気に思えた。よくわからない話だったけど(笑)、時代劇らしい雰囲気はとてもよかった。
 黒澤映画は半分くらいは観たことになるのだろうか。僕のよく行くレンタルビデオ屋さんには、ちょっとした黒澤明のコーナのようなものがあって、まとまって作品が置かれているのだ。隣には小津安二郎の作品がある。1週間に1度か2度、僕はこうしたビデオの前で佇むのである。

◆ 真剣な会話
 スターバックスで、僕はノートパソコンを開いていた。店はほぼ満席だった。本を読んでいたり、勉強している人がほとんどだった。だから、というのもあるのだが、隣の人の話す声が僕の耳に入ってきた。決して自ら聞こうとしたわけではない。でも、時にはこういうこともあるのが人生というものだ。顔を上げてその女性2人組の顔を見ることはなかったが、黒の派手な模様のストッキングは目に入っていた。
「1点の差というのは大きいのよね」と大きく頷いた声を出していた。返事をするタイミングがちょっとズレてしまっていたと、残念がっている。本番に弱いから、私たちも頑張らないと、何度も繰り返し練習したのに……。2人の女性の会話はとても真剣だった。その緊張感は周囲2メートルくらいにオーラを放っていたと思う。
 何の話なのか、最初はよくわからなかった。そのうち具体的に、学校の名前が出てきた。やっとわかった。子供の小学校受験についてのお話だったよう(笑)。まあ、笑うようなことではないのかもしれないけど。

■ 島本理生『シルエット』(講談社)
『リトル・バイ・リトル』がとても良かったということで、ついつい買って読んでしまった。彼女の独特の感性が感じられて面白く読めた。でも、やっぱり順序は逆だったほうがいいかな、とも思ったけど(笑)。ただ、どうなんだろう。作者としてはどちらの作品の方が自分の書きたい世界だったのだろうか。はっきり言って、間違いなく世間のオジサンの評価というのは『リトル・バイ・リトル』の方が上になると思ったもんで。
 若くデビューした作家の人には、長く作品を書いて欲しいと思う。アイドル歌手ではないのだから。途中で売れなくなる時期があるかもしれない。晩年になったところで、凄い作品を書くようであって欲しい。

◆ オモチャの進化を知る
 僕は散歩をしていた。どこというあても無く休みの日のだらだらとした散歩だった。20分くらい歩いたところで、「トイザらス」という看板が目に入った。おもちゃ屋さんである。考えてみると、おもちゃ屋さんなんてかなり長い間入ってない。10年以上、いやもっともっと、かなりの長い間だ。たまには、おもちゃを見て少しの時間を過ごすのもいいかなと思ったのだった。
 この「トイザラス」はかなり広いお店だった。スーパーマーケットのような雰囲気。おもちゃだけでなく、ベビーベッドなど、子供関係の品物が並んでいる。平日の昼間ということで、客はあまりいなかったのだが、当然のことながら子供は多くいた。かなり場違いな感じもした(笑)。
 ついつい足が止まったのはまずプラレールのところだった。値段も安いではないか。隣にはNゲージの鉄道模型が置かれている。セットでもかなり安い。ちなみに僕は、このNゲージの機関車と1メートルにも満たない線路を持っていた。前進して、バックして、子供の頃の僕にとってはそこまで買うので精一杯だったのだ。この売り場の前でけっこう本気で買いたいな、と考えてしまった(笑)。
 その後、ミニカーの売り場へと移動。子供の頃はミニカーでよく遊んだものだったのだ(笑)。自慢は赤のTOYOTA2000GTだった。たった6台しかないミニカーのコレクションだったが、当時の僕にとっては宝物だった。
 それにしても驚いたのは、このミニカーがラジコンになってしまっていたことであった。僕の子供の頃にラジコンと言えば、かなり効果なもの。それが、安い値段で、こんなに小さなサイズで、動いてしまうのである。素晴らしい。
 この数年、パソコンや携帯電話の進歩というのは凄いものがある。しかしそんなものよりも、ラジコンのミニカーの進化の方が数段凄いのでないかというのが僕の本音であった。
 結局このとき、何も買わなかった。けれど最後にマットビハイクルをどうしようかかなり悩んでいたのだった。

■ ビデオ『センセイの鞄』久世光彦演出
 話題のWOWOWで放送されたテレビドラマである。はっきり言って僕はこれを見るためにWOWOWに入ったのである(笑)。原作が良かっただけに、酒を飲むという場面にはこだわりがあるだけに、イメージが壊れるのではないかと少しの不安を持って見た。でもな、これはこれで良かった。やっぱり酒というものは、日本酒だなぁとつくづく思った。冷たいビールも飲みたいけどさ(涙)。たまには居酒屋で1人で酒を飲むのもいいものかもしれない。カウンターの隣の隣の席に月子さんのような人がいて、ぼそぼそと少しの会話を交わすのだ。気を使ったりなんてことはない。話をしたいときに、独り言のように。そして鮎を食べたりする。
 そうそう、このドラマはWOWOWでというのが正解だったと感じた。地上はの民放局では内容が地味すぎてうまく伝わらないだろうし、NHKではNHK的な雰囲気が邪魔をしてしまうような。映画にもなりにくいだろうし。居酒屋で飲むような感じが、ちょうどWOWOWと合っていたのかもしれない。

■ 山本昌邦『山本昌邦備忘録』(講談社)
 帯には「トルシエジャパン一三六九日」と書かれている。この本は日本代表コーチの書いた、はっきり言って裏側の話である。ただ、トルシエが監督のときに、選手やスタッフの発言を規制していたということから考えると、こういう発言に裏も表もないわけで、あとがきで作者が書いているように、ひとつの視点として記録に残した方が良いことなのだろう。
 とても面白く読めたことは確かである。トルシエが代表監督になってから、ほとんどすべて事細かに書かれているので、あのときはこういうやり取りがあったのか、などとリアルに振り返ることができる。
 また、この本を読んでサッカーというのは本当に面白いスポーツなんだと改めて感じることができた。こんな風にサッカーを感じさせてくれた本はこれまでなかったのではないだろうか。それは、監督の理想と、選手の個性(ピッチ上での判断)というものと、2つが一緒になったり離れたりの微妙な関係にあるということだった。パッと考えたならば、2つは全く別のものである。けれど、この本を読むと両立するのだろう、と納得したりもする。
 別にサッカーでなく、普通の仕事でも同じなのかもしれない。上から仕事を押し付けても、うまく行かないし。部下が勝手なことばかりやっても、うまくは行かない。でも、サッカーでも仕事でも、「あの人のためなら」という気持ちが重要なのだろうけど。

◆ 新掲示板について
 このところのドルフィンホテルの掲示板はあまり活気がない。もう少し何とかしようと思いつつ、時は流れる。このままだと4年くらいはあっという間に過ぎてしまいそうなので、ちょっとだけ考えていることを披露する。
 新掲示板というのを考えているのであたった。現在候補の先頭を走っているのは「映画の部屋」というもの。このところ掲示板でも映画の話題が多いので、そこそこに盛り上がるような感じがしている。「コミックの部屋」というのも昔から構想があった。本が好きな人の視点でコミックを語るのは面白いはず。けれど、こうしたものはありきたりすぎてつまらないな、という気持ちもある。そこで考えているのが、「白石美帆の部屋」「矢田亜希子の部屋」というものである。かなり意表を点いているのではないだろうか。別の角度で意表を点いたものという点では「面白くなかった本の部屋」というのをやりたい。期間限定2週間くらいで言いたいことを言うなんてやれば、絶対盛り上がるのではないだろうか。喧嘩も絶えないかもしれないけど。それから最近になってぜひやりたいのが「健康の部屋」というものである。特に食事について、あれやこれやと健康について語るのである。本を読むのには、良い食事、健康な身体を維持するというのは大切だと思うのである。
 この先どうなるかは、まったくの気分次第。

■ 映画『小さな中国のお針子』ダイ・シージエ監督http://www.albatros-film.com/movie/ohariko/
 このところ中国映画に対しての興味がどんどん大きくなってきている。チャン・イーモウ監督というのが大きいのだろうけど、それだけでない自然や生命力の凄さみたいなものが感じられるような気がしている。
 そんなわけで、この映画をほとんど何も知らない状態で見に行った。厳密に言うと、この映画は「中国映画」ではなかった。フランス映画である。しかし、監督(脚本と原作も同じ人)はフランス在住の中国人で、スタッフも中国人が多く、事実上はフランスと中国の合作映画となっている。ただこの映画、中国では上映されないとのこと(笑)。
 特に前半は恋愛映画だとは全く感じなかった。だいたいにして僕はこうことに疎いのだけど(笑)。映画を見終わって、いい恋愛映画だなぁと言う気持ちになってチラシを見ると、しっかりと恋愛映画と書かれてあった。
 物語も凄くいいのだけど、この映像も素晴らしい。僕は「Bunkamuraル・シネマ」で見たのだけど、もっと大きなスクリーンの映画館でやって欲しい映像だった。
 帰りには原作本である『バルザックと小さな中国のお針子』(早川書房)を買ってしまった。
 恋愛だけでなく、本を読むこと、近代化、女性、自然といった多くのものについて、静かに、深く語りかけてくれる。僕のお薦めの映画でした。



雲水行脚 2003/2 #4

2003/3/21

◆ 何らかの文章を書くということ
 少しばかりこの読書夜話を休んでいた。すぐに前のペースに戻れるかはわからない。めんどくさいからなのだが(笑)。休んでいる間、この「読書夜話を書く」ということは全く頭の中には無かった。実は普段はちょっとでも思いついたことがあったならメモをしたりしていた。
 久しぶり何かの話を書こうとする。
 けれど、何を書いたらよいものやら。面白そうなネタも思いつかなかった。
 そんなときにふと思ったのである。書くことがないということはとても健康的なことではないか、と。
 この春休みの間、「食って寝る」という極めてシンプルな毎日を過ごしていた。そうすると別に書くことなんてないのだ。大して不満に思うようなこともない。誰かに大きな声で話をしたいこともない。休みであるからには、平穏が一番なわけで何ら問題はない。当然ストレスになるようなこともなく、酒を飲もうとも思わず、何かの文章を書くような気持ちにもならない。
 そんなわけで、文章を書くということは何らかストレスを発散させるような行為であることのように思えてしまった。もちろん、他にもいろいろな意味があるのだろうし、僕にはわからないことも多いのだろう。
 むかし、「文章を書くということは、酒を飲むことと同じようなものだ」という話を聞いたことがある。であれば、どちらもやらない方が健康的なのかもしれないな、なんてことを考えている。

■ アラン・ピース&バーバラ・ピース『嘘つき男と泣き虫女』(主婦の友社)
 面白く読めた。でも、内容は『話を聞かない男、地図が読めない女』とそんなに違ってはいないような気がしたが(笑)。しっかりと笑わせてくれるのだが、前作を読んだときほどの衝撃度はなくなっている。これは読み手の問題なのだろうけど。それでも一番最後の章である「男が狩りをやめるとき・引退後の人生」のところは、特別な面白さがあった。男は仕事を引退した後、急激に老け込んでしまう。仕事では部下になんだかんだと指示をしていたのが、そういう相手がいなくなる。それで大抵は奥さんに指示して威張るようになってしまう。そこで、老後の夫婦中が悪くなってしまう。これは世界共通なのかと、うちだけではなかったのかと、しみじみとしてしまった。
 とにかく、ちょっと危ないなと思っているご夫婦の皆さんはこの本を読みましょう。自分達のことが書かれている!と衝撃を受けます。
 それからこの本には「セックスアピール度テスト」というのがある。僕は61点。「好感度はそこそこ」ということらしい。ほとんど平均中の平均というところ。ちなみに、女編でもやってみると、73点。「もう少し努力が必要」ということだった。

◆ 朝の新幹線
 朝の6時28分発なんて新幹線に乗ってしまった。簡単に座れると思っていた自由席はとても混んでいて、全く不自由な状態だった。なんとかドアの前に席がひとつ空いていて座ることができたが。通路に座り込んでいる人もいる。デッキのところも人はいっぱいいっぱい。僕の席の前の自動ドアは、開いたり閉まったり。まったく忙しい。まだ朝早いというのに。
 ちょうど僕の席からよく見えるところに、トイレがあった。その前の床には人が座り、トイレのドアを背凭れにしていた。当然のように、トイレに入る人もいる。これが午後の時間であれば、トイレを我慢するということもあるかもしれない。けれど、朝の時間なのである。7時、8時と過ぎていく。人間としてもっとも大切な朝のお仕事の時間帯である。身体にとっても心にとっても。それが、ドアの向こうで人が座っているというのはなんとも凄いプレッシャーだろうと思ってしまった朝であった。

■ 映画『チュイトウ』
 どうして中国映画というものに惹かれてしまうのだろうか。日本映画や、欧米の映画とどこが違うのだろうか。よくわからない。
 レイトショーでの中国映画特集、このチョウ・イーモウ監督の話題作を観た。アメリカ映画のようにバカみたいなにお金を掛かっているという雰囲気はない。けれど、その映像は鮮やかで、人間の鼓動のようなものが感じられるのである。
 これからも映画を観て行きたい。最近よく思うことだ。しかし、ハリウッドの超大作を観てワクワクシテイタ気持ちとはやや違う感情である。自分でもよくわからないのだけど。

◆ 本を読む女性
 電車の中では本を読んでいる人というがいる。最近は少なくなっているのかもしれないけど、そうしうた姿を遠くから眺めるだけでも、ほんのちょっぴり嬉しいというか、安心したような気持ちになったりする。仕事の資料でもなく、新聞でも週刊誌でもなく、やっぱり本がいいなぁと思う。特に理由があるわけでもないけれど、その人の頭の中では本の世界のイマジネーションが展開されているのだと思うのだ。
 その日は僕が『バルザックと小さな中国のお針子』を読んでいいるときだった。ホームで電車を待ちながら読んでいて、そのまま本を片手に持ったまま、車内に乗り込んだ。お昼近くの電車は座席がちょうと満席くらいの状態だった。僕は車両の真ん中あたり、つり革につかまって続きを読もうとした。すると、僕のすぐ前に座っている女性の本を読む姿が目に入った。大きめの本、ついつい何の本か見入ってしまう……。
 実はその本は和英辞典だった。僕よりも少しばかり年齢が上であろうその女性は、3駅ほどの間ずっと「た」で始まるページだけを見ていた。何かを調べようとしていたのではないようだった。その後、なぜかページは「ふ」のところに移動した。
 そんなにじろじろと見ていたわけではない。けれど、『バルザックと小さな中国のお針子』は1ページも進まなかった。

◆ キレイ好き
 春休みということで数日間、部屋を空けていた。帰ってから何が変わったかというと、少しだけキレイ好きになったような気がする。キレイな女性が好きだという意味ではなく(あ、つまんない……)、キレイな部屋がいいという意味で。旅行に行っていたわけだが、毎日違った宿に泊まっていた。当然そういう宿の部屋はキレイだ。たまにはそうでないところもあるけど。9日もそうした部屋で寝ていると、キレイなシンプルな部屋にいることに慣れて、落ち着いた気持ちになってくる。僕は出不精で自分の部屋から離れることのない暮らししか出来ないと思っていたのに。ゴチャゴチャと本なんかが山になっていると、なんだかイライラしてくる(笑)。
 キレイなところで、シンプルに暮らしたい。いつまでこの気持ちが続くのかはわからないが、そういう心境の今日この頃である。

■ ダイ・シージエ『バルザックと小さな中国のお針子』(早川書房)
 映画『小さな中国のお針子』を見た後ですぐに買ってしまったのがこの本だった。小説と映画とは別の世界であるけれど、この小説を読みたい気持ちに駆られしまった。このダイ・シージエという人が、小説を書き、映画の監督をしているのである。
 少し意外だったのだけど、両者は微妙に違っているように思えた。映画化ということで、設定などを変える必要もあったようなのだが。語り手の存在感なのだろうか。確かに、小説と映画とでは、こんな風に語り手の役割が変わってくるのかもしれない。そんなことを考えながらこの小説を楽しんだ。
 もうひとつの違いというのは、バルザックという存在なのだろう。映画ではただの本ということであまり深くは語られてないような気がした。小説では、本の内容、それぞれの人物の思い入れのようなことまでも深く書かれていたではないだろうか。そう言えば、映画館ではバルザックの本も何冊か販売されていた。バルザックを読むことで、この小説と映画をもっと楽しむことができるのだろう。

◆ 新幹線で過ごす時間
 3日連続で新幹線に乗った。ふだん遠出をすることの少ない僕としてはもの凄く疲れることだった。こういう移動というものは、繰り返すことで慣れるものなのだろうか。スポーツ選手などは、こういう移動を繰り返す。その上で最高のプレイをする。凄いなぁと他人事のように思ってしまった。
 問題は新幹線に乗っているときに、じっとしていなければならないことではないか。確か「銀河鉄道999」では鉄郎は車内を走っている場面があったのではないだろうか。そう、ジョギングコースが新幹線の車両の中にあればいいのだ。ウォーキングでもいい。揺れている新幹線の中では何かをするのは難しい。身体を動かすことが一番いいのだ。運動不足が問題となっている世の中なのである。こういう場所で運動することは大切なことのはず。
 できれば、シャワー室もあればいい。その後で横になれるベッドがあれば言う事はないのだが。

◆ マヨネーズ
 ちょっと前に読んだ山本ふみこの『台所で元気になる』に書かれてあったことを思い出した。マヨネーズについて。微妙な言い回しなのだけど、「困る」という言葉を使った書かれてあった。マヨネーズを使ったサラダなどは大好きだというのだけど、あまりにもこの強い味に侵略されてしまうと、薄味の煮物や、おしんこなどの出る幕がなくなってしまうという。
 僕もマヨネーズを使った料理は好きである。好きなものを美味しく食べて何が悪い、という話にもなるかもしれない。でも、やっぱりできるだけ食べない方がいいのだろうと思う。美味しいものを、美味しく食べるために。強い刺激の味を食べ続けることで、繊細な味というものがわからなくなってしまっているのかもしれない。
 このところの僕は、インターネットで映画についての検索をすることが多い。時には、一般の人の映画評を見たりもする。良い感想だけでなく、かなりボロクソに書かれているものもある。まあ、人それぞれだから、と済ましたいとも思う。けれど、「変化がない」「ありきたりのストーリー」などといった評を見かけたりすると、ちょっと違うんじゃないかと思ったりする。マヨネーズ味と同じように、強い味付けに慣れてしまっているということもあるのではないだろうか。素材が良いものでなくても、強いスパイスをいくつも振りかけたならば、それなりにも面白い映画になってしまうのだろう。でも、そんな映画ばかり観ていれば、素材の善し悪しというのはわからなくなってくるのかもしれない。
 こういうことは映画だけでなく、本についても言えるのだろう。
 面白い映画を観たい、本を読みたい。面白さというものは、人によってさまざまであり、文句をつけるようなことではない。けれど、マヨネーズは少し控えようと思っている。
 といいつつ、明太子マヨネーズのフランスパンを食べながら(すごく好きなのです)、この文章を書いていたりしているのであった。

■ ビデオ『生きる』黒澤明監督
 名作と謳われる映画をようやく観ることができた。しかし、余命を生きるというテーマではテレビでやっている『僕の生きる道』の方が面白いと思ってしまった……。それだけ時代が変わったということなのだろうか。僕の感性が貧富だと言われてしまえば、それまでなのだろうけどね。
 でも、こうしたモノクロの映画を観るというのは、なんとも言えない心地よさというものがあったりしている。

◆ 食べ放題ランチ
 久しぶりにお昼の食べ放題に行った。ホテル第一イン池袋・レストラン「ピノ」(http://r.gnavi.co.jp/g247900/)というところ。1000円(税別)で食べ放題の料理は、種類も多く、ほんとうに美味しい。お腹がいっぱいになっても、蕎麦なんてがあると入ってしまうし、デザートの果物も豊富。それに食べ放題というと、ややゴチャゴチャした印象があるが、ここの良さは清潔な感じがするということだろう。これまであちこちの食べ放題ランチに行ったが、ここはかなり上位にランクされるのではないだろうか。
 とまあ、いろいろと褒めたがこのお店の面白さはその客層である。マスコミで多く取り上げられたということが原因なのかもしれないが、ほとんど特定の年齢のオバサマ達ばかりなのである。11時45分のオープンのときには、入口のフロアーがいっぱいいっぱい。オープンと同時に席はほぼ全部埋まってしまう。料理を取りに行くオバサマ達の迫力といったら、それはそれは凄い(笑)。料理を食べる前にこの光景を見て、僕はお腹がいっぱいになってしまったのであった。

◆ ケータイ使用レポート
 購入からひと月が過ぎ、僕の中では「携帯電話」から「ケータイ」へと変化しているようだ。メールも少しは使えるようになってきた。先日知り合いの女性に「こんなにメールを打つのが遅い人は見たことがない!」とバカにされてしまったけど。
 使うの前には、パソコンのメールの方がキーボードはあるし便利なのでどうして携帯のメールがこんなに盛んなのだろう、という疑問があった。けれど実際に使ってみて、確かに携帯電話でのメールの方はいいという結論に僕もなった。文字を打つのは面倒だけど、常にメールを受信できる。パソコンのように、電源を入れてからメールソフトを開くまでの待つ時間というものがない。画面が固まってしまう、なんてこともない。ポケットに入る。とっても便利だ。この使いやすさと比べるならば、パソコンのシステムはひどいよね。
 この携帯電話のシステムを使った、キーボードのついた軽いパソコン(まさにノートのような)があればいいと思ったのは僕だけだろうか。もう少し理想を語るならば、ハンカチくらいの大きさと軽さで、ひろげるとB5サイズになったら最高なのだけど。

■ 岸本葉子『幸せまでもう一歩』(中央公論社)
 岸本葉子さんらしいエッセイというのだろうか。そういうのを読んだような気がした。あちこちに掲載されたエッセイをまとめたものだが、よくまあこんな風にいっぱい書けるものだと改めて関心していまった。プロのエッセイストの人に「関心して」なんて言うのは失礼なのだろうけど、ほんとにササヤカな出来事について書かれているのである。
 この本を読んでほんのちょっぴり幸せになり、食生活をちゃんとしようと改めて思ったのであった。

◆ 家康とメソポタミア
 こういうことを書くのはかなり反感を招くのかもしれない。でも、正直に今感じていることでもある。
 サダム・フセインに対して、独裁者といった悪い報道が多い。何人もの影武者がいるなんてのもあった。どうして悪いのだろうか、なんてことを僕は思ってしまっている。こんなことを考えている原因というのは、現在読んでいる本と関係があるようだ。司馬遼太郎の『城塞』(新潮文庫)という本を読んでいるのだが、これは徳川家康が、大坂城の豊臣家を滅亡させるという話。この頃の時代というのは、豊臣秀吉にしても、徳川家康にしても、当然のように独裁者である。影武者もいただろうし、ものすごい数の妻がいて妾がいて。今の時代で考えるならば、めちゃくちゃな話のようにも感じられるのだがほんの数百年前の日本のことで、こうした戦国の覇者を「尊敬します」なんて人も多くいる。
 この話で興味深いのは、家康は世論の上ではあまり人気がなかったということだ。豊臣家滅亡のために、自ら攻撃したのでは世論が納得しない。そのためにいわゆるスパイ工作のようなことをして、豊臣家が謀反を起こしているように仕向ける。まだ読んでいる途中(まだ全体の6分の1くらい)なので、詳しいところまではわからないが。
 僕の感覚がちょっとおかしくなってしまっているのだろうか。戦国時代の日本と、現代の世界というのは何ら変わってないように思えるのだ。イラクというのは、実はメソポタミアという世界最古の都市文明が誕生したところだ。恥ずかしながらこうしたことは忘れていた。世界の文明というものは、同じようなことを何度も何度も繰り返しているのだろうか。

■ 池澤夏樹/本橋成一・写真『イラクの小さな橋を渡って』(光文社)
 イラク攻撃の始まる前日、3月19日にこの本を書店で見つけて買ってしまった。すぐに読んだ。写真が多くあり、文章は長くはなく、けっこうすぐに読み終えることができた。イラクの人の普通の暮らしがこの本には書かれている。
 作者は国を見る尺度として、食べ物を重要なものとして考えている。普通に食べているものがどうなのか。この本に書かれている食べ物についての話はとても興味深く美味しそうだった。
 とにかくこの時期に読んでよかった本だった。この本を象徴するような、印象に残った文章を少し引用したい。
『二〇〇一年の秋から、「ニューヨーク・タイムズ」は世界貿易センタービルの被害者一人一人の人生を詳しく辿る連載記事を載せた。テロでも戦争でも、実際に死ぬのは家族も友人もある個人だ。だからテロというものを徹底して被害者の立場から、殺された一人ずつの視点から見るという姿勢は大事だ。しかし同じ新聞がアフガニスタンの戦争のことは抽象的な数字でしか伝えない。』(P76)



2003年読書夜話 NEXT>>

 DOLPHIN HOTEL