◆ 3月と4月のあいだ
用事があり区役所に行った。今住んでいるところに引っ越してきて以来の、久しぶりのことだった。キレイな建物なのだけど、銀行などとはやや違った役所独特の雰囲気の中、少しウロウロしていた。ひと息ついて、受け取りを待つだけとなり椅子に座って本を読んでいた。会計の場所の近くだったこともあり、そこでのやり取りが聞こえてきた。転入届、転出届がこうしたやり取りのほとんどだった。ウロウロしていたのは、僕だけではなかった。中には、初めてこうした届出を出しに来た人もいたのかもしれない。季節が3月の後半であることを、強く実感した。
そうなのか……。3月の後半の20日前後というのは僕にとって特別な日だった。小学生から中学生のときまで、まさに震えるような数日間を過ごしていた。父の仕事の関係で、この時期に転校するかもしれないし、しないかもしれないという、なんとも中途半端な気持ちの中にいた。決まってしまったならば、1週間で引越しをしなければならなかった。自分で役所に届出に行くようなことは当然なかったけれど、どっちに転んでも、僕はこの頃ウロウロしていた。ちょうど、春になっていく微妙な数日だった。
なんか変なことを書いてしまった(笑)。少し暖かくなってきたことで気も緩んだのかもしれない。でも、この暖かさは新しいスタートのような感じがしてそれはそれで好きなのである。コートを脱いだところだ。夜は少し寒いときもあるけれど、その寒さも心地よい。
■ 斎藤美奈子『趣味は読書。』(平凡社)
彼女の文章は歯切れがよく、どんどん読めてしまう。新幹線の移動で読んだのだけど、ほんとに楽しく読んだ。何度かケタケタと笑いそうになっていたので、隣の席に人に変な奴だと思われたかもしれないが。
この本ではベストセラーとなった本がズバズバと解説させている。正直なところ褒め言葉は、あまりというかほとんど無いと言った方がいいのかな。『冷静と情熱のあいだ』についてなどは、最高に面白かった。ひとつ残念だったのは、取りあげられている本の中に斎藤美奈子の本が無かったことかな。
けっこう厳しいことばかりが書かれているけれど、なんとも憎めなかったりするのである。前書きの方で「どこの世界に消費者を見くだして成功した商売がある?」(P11)とあるのだが、どきりとする重要な指摘のように思う。
おもしろいおもしろい、と言いつつちょっと困ってしまったのが、僕はベルンハルト・シュリンク『朗読者』を凄く面白いと言ってしまっていたのであった(笑)。
◆ がんばりますだ
読書夜話はとても遅れている状況である。月に4回のアップはどうしてもやりたいと考えている。3月は残り僅かだ。自分で書きたいと思っているので、まあなんとかする気ではいるが。本当のことを言ってしまうと、ウェブの全体的なデザインもリニューアルしたいと考えているのだ。けれど、けっこういっぱいいっぱいだったりしているのかもしれない。他にも、コーナーを作ったりなどいくつかの構想はあるのだ。考えてみるとこうした構想も3年くらい温めていたりして。
◆ お昼休み
時間は昼の12時10分くらいだった。僕はサンシャイン60のレストラン街を歩いていた。木曜日のことだった。食事は11時くらいに朝ごはんを食べたところで、お腹は減っていない。買い物の帰りにたまたまこの場所にいた。
全ての店(といっても過言ではないだろう)の前に、入れない人が並んでいた。仲良さそう(見た目には)な会話があちこちで成されている。ガラス越しから見える店内は当然満席で、ごちゃごちゃとしている雰囲気。ありきたりと言えば、ありきたりのお昼の光景なのだろう。
僕もこんな風に職場の同僚と外の店でランチを食べていたこともあった。懐かしいといえば懐かしい。楽しくもあった。
けれど、僕はそうした生活からは離れてしまった。もう戻れないなぁと思う。もちろん、仕事をしていく中で将来このようにランチを食べる状況になるかもしれない。でも、一度人込みから離れてしまったならば、どうにも疑問を感じてしまうのだ。
なんで、お昼休みという貴重な時間に並んだり人込みで疲れるようなことをしているのだろうか、と。
並ぶことを苦にしない人も多くいる。間違って運ばれてくる料理に肝要な人もいる。
でもなぁ。僕は「休み」という時間には、やっぱりゆっくりと休みたいな。
■ 映画『キープ・クール』チャン・イーモウ監督(http://www.walkerplus.com/keep-cool/)
舞台は現代の北京ということで注目の映画だった。カメラワークが独特で、この監督の新たな世界に触れることが出来たという感じだった。良かった。ちょっとわからないところもあったけど(笑)。またこういう映画を観たいと思った。そう、チャン・イーモウ監督が東京の歌舞伎町を舞台とした映画を撮ったなら……。
それにしても、僕はこの映画を新宿武蔵野館というところで観たのだけど(ちなみに現在『キープ・クール』はこの映画館でしか上映されていない)、観客は僕を含め13人だった。平日の午後のことで少なくても仕方がないのだけど、いくらなんでもチャン・イーモウの映画を13人しか観ていないとは、と少しばかり寂しくなった。
◆ 本を読むということ
とある19歳の学生と話をしていた。正確にいうと彼はこの1年間浪人していてこの4月から大学生(ちなみにとても優秀だと言われているところ)になる。僕は彼に、これからは本をいっぱい読むことができるね、と言った。この頃に本を読むということは、大きな財産になると思うのだ。それが、どんな風にだとかということはわからないけど。僕としては、本を読もうよ、ということはおめでとうと同じ意味だった。
本は好きではないから、と彼は言った。特定のものは読みたいとは思うけどそれ以外に興味はない、と。本を読むということは、暗いという印象を持っているようだった。友達とサッカーをしたり、カラオケに行ったりすることは明るいことで、本を読むことはその反対側に位置することではないかと。そういうイメージがあることが問題なのではないか、なんてことも言われてしまった。
僕に返す言葉はなかった。「みんなで一斉に本を読んでいたら、すごく異様だよ」と思ったけど、言わなかった。
■ 山本ふみこ『暮らしのポケット』(大和書房)
やぱりこの人のエッセイはいい。家庭の温かさというものが感じられる。作者は子供が3人いて、ご主人との5人暮らし。フリーとしてエッセイを書いているわけだが、その生活が本当に楽しく描かれている。よくインテリア雑誌に綺麗な部屋の写真があるのだけど、それとはちょっと違う。少し散らかっているけど、生活しているな、という感じ。台所からは湯気が出ていて、ちょっと怒っていたり、なんて声も聞こえてくる。
特にこの本でいいなぁと思った話は「たてまえ主義」(P22)と「挨拶」(P94)と「公園で昼寝」(P176)あたりかな。ほんとにお薦めです。
◆ 違和感
コンビニで久しぶりにお弁当を買った。竜田揚げの入ったもので税込みで514円だった。お釣りをもらって、僕は「レシートを下さい」と言う。店員さんは投げるようにレシートを出してきた。こんなことはまだ良いほうだ、お金をもらうときに、片手でポイっとあっちの方を向いて渡されたことなど何度もある。
何がおかしいの? と疑問を持つ人もいるのかもしれない。でもなぁ、僕はこういうことはどうにも我慢が出来なかったりしている。お金のやり取りというのはちゃんと相手の顔を見てなされるべきだと思うのだ。僕がいつも行くスーパーマーケットでは、会計のときにちゃんと身体の向きを変えて真っ直ぐの姿勢になったところでお釣りとレシートを渡してくれて深くお辞儀をしてくれる。こういうお店もあるわけで、僕の考えがそんなに変わっていることだとも思わないのだけど。
多くの人はコンビニに行って、その対応に腹を立てないのだろうか。もちろん、良い対応をしてくれるお店もあるし、人によっても違っていることだ。しかし、コンビニというのは、どこに行ってもあるし何だかんだ言っても大きな存在であることは間違いはない。良くない印象を持っているのは僕だけなのだろうか。テレビで流されるコンビニのコマーシャルは、とっても雰囲気が良さそうなのだけど。コンビニでお金を払う度に、うまく言葉に出来ない違和感が大きくなってしまっている。
■ 村上春樹『村上春樹全作品1990〜2000 3』(講談社)
高い値段で全集を買って読むのは「解題」という作品についての話だけだったりしている(笑)。でも、これが面白いのである。この本には「レキシントンの幽霊」と「神の子どもたちはみな踊る」が入っている。僕の凄く好きな作品で、実は長編よりも好きだったりしている。特に「神の子どもたちはみな踊る」は、神戸の大震災と地下鉄サリン事件がベースとなっている。その辺の話が書かれていて、それはとても興味深いものだった。この本に書かれている作品は読み返すほどに、味が出てくるものではないだろうか。例えば、どこかに旅するときに鞄の中に入れておきたいと思った。ただちょっと重過ぎるかな(笑)。
◆ 新掲示板構想パート2
少し前にも書いたけれど、新掲示板についてのアイデアをいくらか書いてみたい。いろいろと温めているのだ。まずは、あまり語られることのない作家についての掲示板を作りたいという考えがある。例えば、金城一起。調べてみても彼の作品を語るサイトというのはないようだ。フレッシュであり、これからどういう作品が出てくるかわからない楽しさがある。語るにしても、多くの切り口がありそうで、気が付くと夜明けになっていた、なんて雰囲気がある。そう言えば(やや話は脱線する)、誰かと語り合って、気が付くとカーテンの隙間から朝日が漏れていたなんてことはまったくご無沙汰している。まだ学生だったころには、よくそういうことがあった。最初は酒が入ってアツイ表情だったりしている。床にはカキピーの残骸が散乱している。夜中の2時くらいに腹の減ったことに気づきインスタントラーメンをつくったりする。その後、いちおう横になって子供の頃の話なんかをしてしまう。ついポロッと、好きだった女の子の話なんかをしてしまう。静かな声で、ボソボソと相手にしか聞こえないような。時おりクルマの走る音が聞こえてくる。結局、眠ることなく朝を迎え、近所の河原に散歩に行って大きく背伸びなんかをしてしまう。
思い出したくない恥ずかしいことというのは、誰でもあると思うのだけど(僕だけか)。でも、こうした夜と朝のあいだについポロッと語ってしまうような掲示板というのが僕の理想なのてある。面倒な議論ということではない。それは筋の通っていない書き込みになるかもしれない。でも僕はこういう雰囲気の場所があれば楽しいと思う。
作家ということでは、他に帚木蓬生なんかも興味深い。もうひとつ人気のないところ(ゴメンナサイ)が、応援したいという気持ちにさせてくれる。天童荒太も好きである。彼の作品を語るということは、とても難しいことではあるけれど。
実は密かに候補として考えているのは、少し前の時代の作家である。吉行淳之介を語りたいという気持ちは強い。もう少し前の時代、例えば夏目漱石のような人についても興味がある。読書というものは時代を超えたものだと僕は思っている。現代のベストセラー作家だけでなく、あまり読むことのなかった、少し難しめ(と僕には思えてしまう)の作家を取りあげてこそドルフィンホテルがより良いホテルになることだと思うのだ。そういう意味では日本の作家だけでなく、海外の作家についても考えていきたい。けれど、問題はまだまだこうした本を僕は読んでいないことだ。ディープな読者に何か意見を言われたならば、すぐにめげてしまいそうで。
子供だった頃、密かに思っていたことがあった。大人になると難しい本もスイスイと読めるようになるのだろうと。けれど、大人になっても難しい本は難しいのだと、ようやく気づいたような気がする。でも読み込んでいくならば、その面白さを感じるものだとも思う。正直なところ、僕はヘミングウェイの短編など読んでも全く面白くはなかった。けれど、何度も読み返してみると作者の表情のようなものが(ほんの少しであるが)感じられるようになってきた。本を読むということは、深く、その深さを味わうところにまた面白さがあるのかもしれない。
この文章はフレッシュネスハンバーガーでノートパソコンを使って書いている。BGMはビートルズが流れている。「LET IT BE」と、何度も繰り返される。音楽というものをテーマとした掲示板があっても、また楽しいかもしれない。意外な発見があるような。そうそう、それから「支配人の部屋」というのも考えているのだ。この掲示板では必ず支配人が返事をする。他は返事をしないの?と聞かれると困ってしまうけど……。そんなわけで、このまま行くとパート3ということもあるのかな。ただ、実際に新掲示板ができかというと、難しそうだよね(笑)。
◆ 無邪気な関係
テレビドラマというものが好きでよく見ていた。今も見ている。けれど、正直なところその内容というものは大きく変わっているように感じられる。今は録画していたものを、何かをしながら眺めている、といった雰囲気。茶碗を洗いながらでも楽しめる。
ひと昔前のドラマ、特にTBSの金ドラと呼ばれるものなどは、特別なものだった。特に記憶に残っているのは『無邪気な関係』(1984.1.6〜1984.3.30)というドラマ。主題歌がアルフィーの「星空のディスタンス」で、今でも頭の中にこのサビのフレーズが流れてきたりする。小山内美江子脚本のこのドラマはその内容の深さだけでなく、出演者も個性的だった。石原真理子、戸川純、原田美枝子、三上博史、内藤剛志、室井滋、そして最も魅力的だったのは古尾谷雅人だった。
受験や、愛人バンクなどがテーマとなっているこのドラマでは、社会というものを真正面から見ていた。ストーリーはかなり忘れてしまったのだが、このドラマでの古尾谷雅人の眼差しが今だに忘れられないでいる。彼の出演したテレビ、映画などいくつか印象に残っているが、このドラマが僕にとっては一番の存在感を持っている。3月26日の朝に知ったこの人の死のニュースは僕にとって、とても残念なことだった。
『無邪気な関係』から、もう19年も経ってしまったようだ。愛人バンクなんて名前は聞かなくなった。当時の警告のようなものが、違和感のないものとなってしまっているような気もする。
◆ 言いだしかねて
雑誌『アルネ』(http://www.iog.co.jp/arne.html)の第3号を購入した。青山ブックセンター新宿店ではこの雑誌はもの凄く派手に置かれていた。村上春樹が新刊が出ると平積みにされるように。ちなみに紀伊國屋書店新宿南店ではとっても目立たない状態。池袋ジュンク堂では置かれていない(笑)。
この雑誌の今回の目玉は村上春樹のエッセイなのであった。「言いだしかねて」というタイトル。これは歌のタイトルでもあるのだけど、凄くいい話だった。
実は書店でこの雑誌が派手に置かれていて、少し寂しかった。村上春樹のエッセイの載ったことはとても嬉しい。けれど、無くてもこの雑誌は十分に素敵なもので多くの人に見てもらいたいと思っていたから。このあたり、けっこうフクザツな心境だった(笑)。
◆ 袴姿
3月という季節、袴姿の女性を見かけることが何度かあった。実を言うと、僕は成人式の豪華な晴れ着姿よりも、この卒業の袴姿の方が好きだったりしている。スチワーデスやレースクィーンよりも(ということはないかな……、まあ難しい問題である)。成人式というのは、黙っていても通る点みたいなものだと思う。別にその日になったから大人になるというものではない。それに対して、卒業の袴姿というのは、「がんばって勉強してきました(実際どうだったのかは別として)。これから社会に旅立ちます!」という、人生に対しての恍惚と不安の2つが凝縮されているのではないだろうか。その姿は、背筋がピンと延びて希望に満ちているように僕には見える。晴れ着姿の足元の頼りない雰囲気とは違っていると思うのだ。
もちろん、女性の中でも卒業で袴姿になるというのは限られた人なのかもしれない。この時期、袴姿の女性の皆さんは、卒業式が終わってもすぐには帰らないで、都内の電車をあちこち乗ってその姿をお披露目して欲しいと思う。
■ 映画『kissingジェシカ』チャールズ・ハーマン=ワームフェルド監督 (http://www.foxjapan.com/movies/kissingjessica/)
『アリー・myラブ』(最近ちょっと疲れているけどね)『アメリ』『ブリジット・ジョーンズの日記』『マーサの幸せレシピ』、この中のひとつでもビビビと来た人はこの映画を観て欲しい。
あまり期待もせずに観たこの映画は凄く良かった。僕は新宿島屋のテアトルタイムズスクエアという映画館のファンなのだけど、ここで上映される映画に外れはないのでは、と思っている。本当に良かったのだ。主人公の女性ジェシカを演じるジェニファー・ウェストフェルトが凄くいい。僕は彼女に惚れました(笑)。ちなみに彼女は共同脚本と共同製作も手がけている。
物語はあれやこれやと展開して、とにかく楽しい。シングルの女性の皆さんにお薦めですよ、と言いたいけれど、なんだか言ったら怒られそうな雰囲気もなくはない(笑)。
それにしてもこの映画、あまり評判になることもなく(実際のところどうだったかはよくわからないが)上映は4月4日で終わってしまう。すぐにビデオになるのかもしれないけど、とても悲しい気持ちである。
◆ 贈る言葉
卒業のときの、大学の先生からの言葉を今もよく覚えている。この先生(教授)はその業界ではけっこう有名な人だった。なぜか、僕の入った大学(正直なところ『ふぞろいの林檎たち』に出てくるようなところだった)にこの人はいて、一応僕はこの人の研究室に所属していた。ただ、名前だけという感じで全く話をすることはなかったが。どういう状況の時だったのかはあまり覚えていないのだが、研究室にいたこれから社会へと旅立つ卒業生にこの先生は話をしてくれた。そう、「贈る言葉」を。
有名な先生だったから、チカラのこもった人生訓でもあるのだろうと思った。
その話は全くもって予想を越えたもので、キョトンとして聞いていた。しかし、僕の人生においてのいくつかの「言葉」の中でもかなり重要なものだと、今は感じている。
「この4年間いかに勉強していなかったかはすぐにバレるから心配することはない(笑)。君たちがこれから直面する一番の問題というのは人との関係だからね。これから働く職場の中には、大学を出ている人とそうでない人がいる。大学を出たからといって何かを持っているわけではない。けれど、現実問題として多くの壁にぶち当たる……」
確かこういうような話だったと思う。
聞いたときにはわからなかったけれど、実際に会社という中に入って、まさに打ちのめされることとなった。どういうものだったかを説明するのは難しい。何しろ何らかの悪気があってのことではないのだ。
結果として僕の発言と、思考の仕方はいくらか違ったものとなった。「うちの大学は」という言い方をすることはなくなった。そして「正しいか間違っているか」とはあまり考えなくなった。それよりも「100人いれば何人かはこのように感じる人もいるのだな」と考えるようになった。
インターネットという世界では、あちこちで誤解や感情の行き違いというものがあったりしている。インターネットでなくてもこんなことはいくらでもあるけれど、ディスプレイの文字は胸の奥に響いて簡単には消えてくれない。100%の理論だったとしても一度持ってしまった感情というものは、そんなに簡単に元には戻らない。少しばかりアルコールを飲んだりして、「まあ、こんな風に感じる人もいるのだ」と考える。ときには無理やり思い込むこともあるけれど(笑)。
桜花爛漫 2003/3 #2
◆ 桜の日
桜の季節になった。暖かくなってこの桜の木の下を歩くというのは特別なものがある。これは僕だけではないのだろう。多くの人がその景色を楽しんでいる。花見があり、ウェブサイトでは桜の写真が氾濫する。ああ、なんと日本人は単純なのだろうか、と思う。日本らしさの象徴と言ってもいいのだろうね。しかし、そのきれいな時というのは悲しいくらいに短い。休日が雨になってしまったならば、このきれいな桜を感じることもなく1年を過ごす人も多くいるだろう。
「桜の日」という国民の休日があったらいいのではないかと思う。特定に決まった日ではなく、一番桜がきれいで晴れた日を、その地方によって定める。例えば「東京都はあさってを桜の日ということにしましょう」とニュースでお知らせして祭日とするのである。よく考えてみるならば、休みの日というものが特定の日でなければならない理由なんて無い。災害やインフルエンザなどのマイナスの要因によって臨時に休むということはある。桜がきれいだというのはプラスの要因なのだ。良くないニュースばかりの今日この頃、大きく背伸びをして陽の光を浴びて、前向きな気持ちになる。1年で最も大切な日となるのではないだろうか。
■ 都築響一『TOKYO STYLE』(ちくま文庫)
書店でこの文庫本を見つけ、ひょいと買ってしまった。1993年、最初にこの写真集が出たときに買いたかったのだけど、買わずに時が流れてしまっていた。確かその頃の僕は、写真集だけでなく、1冊の本を買うのも悩める時だった。
この本(写真集)が何かというと、部屋の写真集である。インテリア雑誌に載っているようなキレイに整理された部屋ではない。生活している、そのままの部屋の状態。ほとんどの部屋は散らかっている。人間の姿が全く写っていないということもあり、ちょっと違和感があったりもする。でも、ときどきパラパラとめくって眺めているのが楽しい。
東京の街を歩いていても、アパートの中が覗けるわけではない。当然のことだけど。この本を眺めることで、街の景色が少し違って感じられるかもしれない。
■ 映画『快楽通り』パトリス・ルコント監督(http://www.cinemaparisien.com/ruedesplaisirs/)
新聞に出ていた広告が印象的で、わざわざ渋谷まで見に行った。時代は第2次世界大戦の前後、巴里を舞台とした娼婦の出てくる話である。クラッシックな映像が良い雰囲気だった。この独特な雰囲気の好きな人はまいってしまうと思う。ちなみに、エッチな映像があるというわけではなかった(笑)。
考えてみると、日本の時代小説にも吉原などを舞台とした話があったりする。共通したものがあるのだなぁと感じて観ていた。
◆ キムチ
このところ毎日のようにキムチを食べている。健康に良い、痩せる、という雑誌の記事に影響されている。考えてみると、韓国の人というのは太っているという印象がない。
キムチを食べるのは嬉しい。酒の肴にぴったりなのだ。寒い時期には、何度かキムチ鍋というのを作っていた。白菜、葱、豆腐、その他なんでも(目をつぶって)入れて、そこにキムチを入れる。身体が温まり、酒が進み、ついつい飲みすぎて身体がおかしくなってしまっていたが。
しかし、新たなる問題というものが出てきた。いつもはスーパーの安いキムチだけだったのだが、高いキムチに手を出してしまった。これが美味しいのである。単に色がついているだけでなく、多くの材料で作られたという感じで、ほんとうに深い味なのだ。しかし、量が少なくすぐに食べてしまう。美味いものというのは、値段が高い。まあ当たり前と言えば当たり前なのだろうけど。韓国の家庭では食卓に多くの種類のキムチが毎日並ぶという。もう少し気軽にキムチが食べられるようになれば嬉しいと思っている今日この頃であった。
■ ビデオ『四月物語』岩井俊二監督
岩井俊二監督の映画を初めて観た。なんというか、この名前から二枚目的な雰囲気(歯がキラリと光ったりする)が漂っていて、近寄りたくなかった(笑)。WOWOWで放送されて、松たかこが主演ということでついつい観てしまった。松たかこの女子大生姿(女子高生姿もあった)は初初しく、けっこうデレデレしてしまった。特に大きな出来事があるわけでもなく、静かに流れて行く映画だけど、実は胸に響く。
北海道から東京に出てきてひとり暮らしをしたことのある人なんて、泣いてしまうのではないだろうか。僕は泣いたりはしなかったけど、18歳で千葉(東京ではなかった)に出てきたときのことを思い出して、何ら成長していない自分を振り返り、けっこう落ち込んでしまってました(笑)。
◆ ちょっと変わった人
世の中には変わった人がいるなぁと感じることがある。できるだけひっそりと暮らしていきたいとは思っているのだけど、人との出会いというのも、これはこれで楽しいものだ。むかしむかし、コンピュータ関係の仕事をしていたときに、同僚でとある問題を抱えている人がいた。まあ、10年くらい前のこの業界というのは変わった人ばっかりで、こんな話を書いても「ふんふん、何それっ」と言われるような話だけど。
会社というところには、当然男性だけでなく女性もいる。コンニチハ、と挨拶するならば当然のように名刺交換することもある。スズキ氏は女性からの名刺をもらって、とても困っていた。「何で?」と聞いてみると、奥さんがもの凄い焼きもちやきで、女性の名前の入ったものが見つかるともの凄く深刻な事態に陥るのだという……。彼はそんなにモテルような雰囲気の人ではなかった。子供が生まれたばかりで転職して、まあ奥さんも精神的に辛い状況だったのかもしれない。しかし、仕事をしていけば女性の名刺だってもらうよね。どう考えたって。
彼はその後、会社から逃げた。会社の人が家に行ってみると、その住所は嘘のものだった。こういうことは、その当時そんなに驚くようなことでもなかった(笑)。
■ 映画『あの子を探して』チャン・イーモウ監督(http://www.spe.co.jp/movie/anoko/)
正直に言って中国人の印象に頑固というのがある。決して謝ったり自分を曲げたりしない、みたいな。この映画を観ていてもやはり頑固だと思った。しかしその頑固であるという印象が、マイナスからプラスのものに変わったような気がする。主役の臨時教師でる13歳のウェイ・ミンジ。彼女の頑固な表情が印象的で、それはずっと長く僕の中に残っているように思える。
不覚にも(笑)、僕はこの映画を観て涙を流してしまった。でも、この映画は時間が経つほどにその印象が強くなっているような気がする。ほんとうに良い映画なのだと思う。その映像のひとつひとつは完璧と言っていいものではないだろうか。
話は変わるがこの映画、朝9時からのモーニングショーで観に行った。パラリパラリであることには変わりはないが、思っていた以上に客が入っていた。でも、アベックで観に来ているというのはほとんど無かったね(笑)。
■ 映画『「あの子を探して」ができるまで』吉田啓監督/チャン・イーモウ監修
実は『あの子を探して』という映画、出演者はすべて素人なのだと言う。この映画はそのメイキングなのだが、特にその素人を演じさせたということで興味深いものだった。チャン・イーモウは出演者の演技に怒ることはない。何度も何度も取り直しをする。けれど、フィルム代がいくら掛かるかなど出演者には言わないように、スタッフに注意を促す。舞台となる村での金銭感覚からは、フィルム代は想像できないような額となるからだ。単なる舞台裏だけでなく、ウェイ・ミンジ、チャン・ホエクーの表情もいい。上映時間60分の短い映画だったけど、十分に楽しむことができた。
ちなみにこの映画、夜9時10分からのレイトショーで観た。観客は僕を含めて4人だった。
◆ はやしの親子丼
昔行ったことのあるお店でお昼ご飯を食べた。久しぶりだった。赤坂にある「はやし」(http://r.gnavi.co.jp/g182900/)という店で、お昼のメニュー(そもそもメニューという名のものすらない)は親子丼しかない。そんなによく行ったというわけではなかったけど、独特の雰囲気と独特の味がり、その店で親子丼を食べるのはとても楽しいことだった。
表には「日本一の親子丼」と書かれている。小さなビルの、小さなエレベーターで上の階へと上る。入口に看板があるわけれもない。昔よくあった茅葺の家の小さな入口のような戸を開けて中へと入る。12時を過ぎるとここまで人が並んでいることがあったが、この日の時間は12時の15分ほど前。本当に寂しい入口で、この店に初めて来た人は休みだと思って帰ってしまうかもしれない。
店内は狭かった。昔(考えてみると10年くらい前だろうか)の印象はもう少し広かったような気もしたが。奥は座敷で手前の方は囲炉裏を囲む席となっている。懐かしい雰囲気。既に何人かの客が美味しそうに食べていた。席に座り、「ご注文は?」と聞かれる。メニューがないわけで、何と答えたらいいのか一瞬戸惑う。「普通でお願いします」と、僕は言った。どうやら身体が答えを覚えていたようだ。一度大盛も食べたことはあった。普通か、大盛か、基本的にこの2つだった。
漬物とスープが運ばれ、食べながら親子丼の登場を待つ。このあたりで昼食を食べていたときには、いつも田口という同じ職場の人と一緒だった。彼は関西出身で食べ物にはこだわりがあった。この店の漬物が好きだと彼は言っていた。彼は今どうしているのだろうか。仕事で毎日顔を合わせ、昼食を食べ、飲みにも行ったのだが。
一度この店に彼と夜に来たことがあった。夜はけっこう高級な料理屋さんという雰囲気だった。鮎の塩焼きを食べたが、それはそれは美味しいものだった。お値段も立派なものだったが。
お昼のこの店が好きなのは、店員さんの雰囲気が良いということもある。何人ものパートのおばさん達が働いている。「ここの親子丼は美味しいのよ、一度食べてみたらわかるから」なんて感じの笑顔が嬉しい。
待ちに待った親子丼が運ばれてきた。ふんわりとした卵、真ん中には生卵の黄身が載っている。久しぶりの味は、よくわからなかった(笑)。でも、900円の値段をちっとも損したとは思わなかった。とにかくこの親子丼を食べて、嬉しい気持ちだった。
客がどんどん入ってきて、少しずつ混雑してくる。首からカードをぶら下げている人が多い。近くにテレビ客があるので、その関係者だろう。女性客には、ひざ掛けが渡されていた。こういう気の遣ったところもこの店の良さなのだろう。
そろそろ店は満席になりそうな雰囲気、僕は親子丼を急いで食べてしまい、会計を済ませた。
◆ 映画というもの
4月になった。今年になっての3ヶ月に僕は映画館に行って16本の映画を観た。昨年からボチボチと映画を観るようになったが、こんなにも本数を観たというのは生まれて初めてのこと。好きな人はもっと観ているのだろうが、僕にとって本当に画期的なことだった。
なんでこんなに観るようになったのか。読書夜話を書くためのネタ探しとしては映画が一番良かったということもあったのだが、それとは別に映画の面白さを知ったような気がする。「趣味は映画。」と言ってもいいかな、と思う。
これまでも映画は観てきた。年に数本くらいだったけど。振り返ると面白い映画を観ていなかったと思うのだ。最近観るようになった映画はやはり面白いのだ。実はこの面白いと感じた映画というのは、ロードショーで大きく宣伝されているものではない。短館系の映画館で上映されている映画である。全国でも一箇所でしか上映されていなかったり。なんでこんなに面白い映画がロードショーで上映されないのだろう、そういう疑問を持っている。正直に言って最近観た映画で一番面白くなかったのは『ギャング・オブ・ニューヨーク』だった。でもこの映画は多くの映画館で上映され多くの人が観ている。
映画には多くの問題があるのだろう。映画初心者と言える僕がこんなことを書いても仕方が無い。
なんでこんなことを書いたかというと、本と同じだと思ったからだ。あまり本は好きではない、という人は多い。最近何か読んだ本はあるの? と聞いてみると大抵面白くない本だったりする。面白い本に出会ったならば、本好きになるかもしれない。もちろん、面白いということがどういうことかはその人の感性もあり、簡単に説明できるものではない。派手な宣伝をしたロードショーで、凄く面白いものだってある。
しかし、しかし、なのだ。数ヶ月いくらかの映画を観て、少し考えてしまっている。
◆ それはそうだけど
友人が財布を掏られた。マンガ喫茶で、トイレに行ったときに財布が無くなってしまったのだと言う。たいした金額は入ってなかったから、と彼女は笑っていた。けれど財布にはお金だけでなく定期やカードも入っていたようで、その手続きなどけっこう大変だったようだ。この話を聞いた僕が何を言ったかというと、「もっと注意しないとダメだよ」というようなことだった。どうしても女性も場合、鞄も中の財布が見えていたり、お店でも置いたままで席を離れたりという印象が強い。「それはそうだけど」と彼女は少しシュンとなった。父親にもこの財布を掏らせた話をして、とても強く怒られたのだと言う。
悪いことをした側(もちろん誰からわからないが)が怒られることなく、被害にあって落ち込んでいるのに、なおかつ怒られる。確かに、腑に落ちない話である。
腑に落ちない世界というのが現実だとしたら、それはそれで悲しいことのように思えてきた。
■ ビデオ『ロード・オブ・ザ・リング』ピーター・ジャクソン監督
WOWOWで放送されたものを観た。面白いとか面白くないとか、そういう角度でない違ったことを考えながら僕はこの映画を観てしまった。単純に楽しめばいいのだろうけど。
こんなにも、悪という存在を単純化してしまっていいのだろうか、と。
悪は常に独裁者と描かれている。善と悪との戦いという図式はわかりやすい。多くの映画、物語というものがこういう図式で成り立っている。映画の世界だけだったら構わない。けれど、今テレビニュースで伝わってくる出来事というのは、こうした映画と同じストーリーが作られているように思えてしまう。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』に別に悪気はない。ちょっとゴメンナサイ。
■ 映画『戦場のピアニスト』ロマン・ポランスキー監督(http://www.pianist-movie.jp/pianist/index.html)
映画を観てよかったこともあり、本でも読んでみることにした。第2次世界大戦の出来事を、助かった後に書かれた実話である。映画以上に本に書かれている内容はリアルだった。
映画でもそうなのだが、実に数多くの残酷な、人間の殺される場面というものがある。映画ではその場面の度に息を呑んだ。しかし、この本では普通の出来事だった。毎日普通に人が殺されていく。恐怖というものも、普通の感情と変わりないようだった。感情を込めた特別な形容詞はない。強く訴える主張しているようなこともない。それだけに、この本は深く語りかけてくれる。リアルであるということは、こういうことなのかもしれないと思った。
僕は音楽についてはよくわからない。ウワディスワフ・シュピルマンはこの体験を、思いをピアノで伝えているのだろうか。シュピルマンのピアノのCDを聴いてみたいと思う。
■ 森絵都『永遠の出口』(集英社)
森絵都の新作を読んだ。この本の感想は「森絵都のファイル」に書いたので、直接関係のないことに触れたい。この『永遠の出口』は雑誌に連載されていたものである。熱心な森絵都ファンというのは、この雑誌を買って読んでいたのだろうか、という疑問があるのだ。別にひとりひとりの問題(問題というほどのことでもないけど)であり、だから何だという話ではあるけど。
好きな作家の全ての本を買う、というファンはいると思うのだ。雑誌にインタビューが出たら、そういうものも全て買って大切にコレクションすると。僕もひと昔前は、こういう気持ちはけっこうあった。
今は無くなったけど。
でも、それだけひとりの作家にのめり込むというのも、それはそれで良いことだろうとも思ったりする。特に10代の頃なんかは、ひとりの作家を何度も読み返したり、誰にも負けないくらい好きだ、という感情があってもいいのではないだろうか。それにしてもこの本、あっさり読めるのに後からジワジワと来る。
それから主人公の名前が「岸本」というのもなんだか嬉しかった(笑)。
◆ 玄米
自分の食生活について語るのはちょいと恥ずかしい。書こうかどうしようか悩んだ。けれど書いてしまうことにした。まぁ、この読書夜話のネタに困っていたわけだ(笑)。
実はこのひと月ほど、玄米を食べている。健康雑誌を読んだりしていると、どうしてもお米は玄米がいい、みたいな雰囲気がある。知り合いでも玄米を食べているよ、という人がいたこともあった。スーパーのお米売り場で2キロの玄米を見つけたときに、ちょっと試してみようか、と新しい世界に飛び込んだのであった。
最初の頃はパサパサして美味しいとも思わなかった。けれど、何日か続けて食べていると、この歯ごたえもなかなか良いではないかと思えるようになってきた。ひと月ほど食べてみて、何か身体に変化があったかはわからない。しかし、直接身体ということでなく食生活で、おかずの好みが変わってきた。
玄米に合うのは「和」の食べ物なのだ。このご飯と一緒に豆類などを食べるとすごく美味しい。黒豆は欠かせないし、納豆は白米と食べるよりも美味しいのではないだろうか。煮物も合う。ところが油を使った料理だと何だか合わないように思う。ハンバーグと玄米なんてのを想像しても全く合わない。マヨネーズ、チーズなんてのも合わない。
結果として思うに、玄米が身体に良いか悪いかは別にして、玄米に合う料理は身体に良いとされるものばかり。そういうおかずを食べていることで健康になっていくような気がしている。
青雲之志 2003/3 #3
◆ マグカップ
新しいマグカップを買った。4月になったことだし、気分転換をするのもいいかと思ったのだ。何せ、前に使っていたマグカップというのはノートパソコンを購入したときに貰った牛さん印のものである。正直なところ、牛さんマグカップを手に取って、諸行無常の響きを感じた夜もあった。「女房と畳は新しい方がよい」とよく言わている。女房はいないし、畳を変えるのは大家さんに相談する必要がある。マグカップは女性でも畳でもないけれど、いつも自分の傍にあってけっこう親密な密着をしたりもする。なんといっても、1000円くらいですぐにお店で買うこともできる。最低でも1年に1回くらいはマグカップを新しいのに買い換えて、新しい気持ちになるのも良いことなのかもしれない。いくらあって邪魔にはならない。単純な形だけれど、ちょっとしたデザインに個性もあるし、なかなか面白いものだと、このところ注目している。
◆ 夜桜お花見会
今年は花見というものをしなかった。人付き合いの良い方ではないので、こういうことはあまり好きではないのだが、何度か会社などの夜のお花見というのはやったことがあった。しかし、自らやりたいなぁとは思わない。夜桜はキレイだと思うし、その下で酒を飲むのも楽しいとは思うけど。
なんでかというと、寒いのでのある。東京の4月上旬、晴れた昼間は確かに暖かい。けれど、夜はどう考えても外で酒を飲むには寒すぎるのではないだろうか。何度かやった夜桜お花見会を思い出しても震えながら酒を飲んでいたような記憶がある。暖かな鍋でもあれば少しは寒さも凌げるのだろうが、なかなか鍋付きお花見というのは難しい。
もう少し暖かな時期に桜が咲いてくれたら、と思っているのは僕だけではないと思う。そう、東京で言うなら5月のGWゴールデンウィークくらいの時期に満開になって欲しい。そうすれば、楽しい夜桜の下で酒が飲めるだろう。最近は品種改良が進み、野菜など季節を問わずに食べることが出来るというご時世である。桜もぜひ品種改良をして、開花をあとひと月ほど遅らせるようにしてはどうだろうか。桜前線の意味合いも違ってきてしまうかもしれないけど、暖かな気候の中で酒を飲むことの方が重要だと僕は考えるのだけど。
■ 映画『アイリス』リチャード・エア監督(http://www.shochiku.co.jp/iris/)
正直なところ、参った。どういう内容なのか何も知らずに観たのだが、途中から本当に参ってしまった。恋愛映画と言えばそうなるのだろうけど、老いていくということが突き刺さるように強く伝わってくる。若かった頃と、老いた現在とがスクリーンに描き出されるのだが、その肌の違いに愕然としてしまう。そうした中での恋愛とは何かを問い掛けているかのようだ。奇麗事ではない、恋愛して結婚して長く生きていくということが、この映画の中にはあるのだろう。
この映画は昨年公開されたものである。いくつかの賞は取ったが、商業的に大きな話題になったような雰囲気はなかったと思う。でも、観たら間違いなく衝撃を受ける。しばらく、余韻が残りそうだ。
■ 映画『至福のとき』チャン・イーモウ監督(http://www.foxjapan.com/movies/happytimes/)
チャン・イーモウは凄い。この監督の映画を観るたびにそう思う。この映画はどちらかというと、静かな何もないような話である。途中などは、一歩間違えるとつまらないテレビドラマのような雰囲気さえある。でも、そうした何気ない場面の中に、大切なものがあると気づかせてくれる。最後の方の場面で、映画全体を振り返ると、その密度の濃さに驚かされる。
監督という仕事の重要なものにキャスティングというものがあると思う。公開オーディションで選ばれたドン・ジエの表情は本当に凄い。他の役者ではこの映画は成り立たなかったのでは、とさえ思う。
この映画、今月にはビデオになる。ぜひ観て欲しい。
◆ 新文芸座は凄い
実を言うと、『アイリス』と『至福のとき』は2本立てで連続で観た。池袋の新文芸座で、僕の場合前回この映画館の会員になった関係で無料招待券があり、この日はお金を使うことなくこの2本を観たのだった。もし仮に、料金を後払いで、自分で満足した分だけ払ってください、と言われたなら。僕は1万円は払ったのではないだろうか。映画というものは凄いものだと改めて感じたのだった。
それにしても、こういう2本を連続上映する映画館も凄いものである。平日の昼間だというのに観客はけっこう入っていた。他の映画館と違うのは、観客の年齢層の高さである。若い客というのはとても少ない。多くは僕よりもずっと上の年齢。たぶん、退職して好きな映画を楽しんでいる人達なのではないだろうか。会員になれば、1回1000円なわけで、それなりに安く楽しめる。上映期間は長くても1週間くらいなので、ほぼ毎週違った映画が上映される。しかも、上映される映画が味のあるものばかりだ。
年齢を重ねても、こんな風に映画を楽しめるというのはとても良いな、と思う。ロードショーをやっている大きな映画館は、映画を楽しむというよりもただのデートコースのようになっているな気がする。はたして将来、老いてから一緒に映画を観る夫婦なんてのはどのくらいいるのだろうか、なんて余計なことを考えてもしまった。
■ 岸本葉子・渡辺葉『葉と葉子のふたりごと』(清流出版)
この本を読んで第一に思ったのは、部屋を改造したいな、ということであった。お互いの家の見取り図もあって、どんな工夫をしているか、なんても書かれている。渡辺葉さんのニューヨークのマンションは賃貸なのだけど、ペンキを塗ったり、なんだかんだと部屋を改造したりしている。棚を自分で造ったり大工仕事をすることで、失恋を乗り越えた、なんてことも書かれてた(笑)。岸本葉子さんのマンションは購入したもので、いくらでも自分で手を加えたりできる。
部屋というのは自分の一番落ち着ける場所でありたいわけで、やはり賃貸は面白くないなぁ、なんてことを思っていたのであった。
それにしても、この「ふたりごと」。けっこう面白く読めた。質問して答えていくという中で、お互いの良さが引き出されていたように感じだられた。
■ ビデオ『ウディ・アレンの影と霧』ウディ・アレン監督
素朴な疑問なのだけど、なんで現代が「Shadows and Fog」で邦題が「ウディ・アレンの影と霧」なんでしょうかね(笑)。この監督の世界というのがどういうものか、正直なところまだまだわからないのだけど、次の作品を見てみようかな、と思いました。
■ 横山秀夫『半落ち』(講談社)
昨年話題となっていた本をようやく読んだ。面白いことは面白かったのだけど……、というのが僕の感想かな(笑)。この作品について何かを書こうとすると、どうしてもネタバレになってしまいそうで難しいね。事件に関わる多くの人の人物というものが描かれている。そうしたところがこの作品の魅力ではある。この点では十分に読み応えがある。けれど、ひとりの人物だけが不十分だったように思えたのでした。
■ ビデオ『シックス・センス』M・ナイト・シャマラン監督
テレビで放送されたものを、やっと観た。けっこう面白かったのだけどね。ええと、この映画観た方、メールをください(笑)。わからないところがあったもので、ぜひ聞いてみたい。僕が鈍感だからわからなかったのだろうか。まあ、世の中に鈍感な人はいっぱいいるからね。
◆ 歳を取ること
「この間ね、測ってみたら5センチも」「そうなのよ、私の方は7センチも」……。先日法事があったのだが、その時の親戚の会話の一部である。親戚の話題というと、子供がどのくらい大きくなったか、なんてことを普通は想像する。しかし、実はこの会話は身長が縮まった、というものであった。確かに、おばさんの身長はパッと見てもわかるくらいに縮まっていた。どこがどう縮まったのかはわからないが、歳を取るということは、そういうことなのかと少しばかり考え込んでしまった。
人は歳を取り、最後には死んでしまうのである。当たり前のことだけど。前にお寺のお坊さんからの話を聞いたことがあった。若い時には、お金とか地位とか名誉とか、あとはモテたり、なんてことが大切だと多くの人は思うけれど、歳を取ればそういうことは全て関係なくなる。その人自身がどのような魅力を持っているのか。親切かとか、思いやりを持っているかとか、そういうことが大切なんなんだと。
僕にはまだまだ歳を取ったことなんて先のことでうまくイメージできない。でも、ちゃんと自分の足で歩いていたいな、と思っている。
■ 佐野眞一『だから僕は書く。』(平凡社)
この人の本は好きで何冊か読んできたが、多分しばらくは読まないだろうなぁ(笑)というのがこの本を読んでの感想なのでした。ノンフィクションについてのことが、いろいろと書かれている。けっこう面白くも読めた。取材するにあたっての考え、その方法など。仮に、僕に取材に来たとした場合(まあ、こんなことはないだろうけどね。ハハハ)、僕は断るだろうなぁと思ってしまったもので(笑)。でも、この本が面白かったというのは真実な僕の気持ちです。
◆ アリー・myラブ
終わってしまった。これまで多くのテレビドラマの最終回を見てきたけれど、こんなにも楽になれたことはなかったようにも思う。
僕はこのドラマを最初の第1回目の放送から見ていた。別にこのドラマのことを知っていたわけではないのだけど、たまたま僕の部屋の14インチの画面に流れていた。ぼんやりと見ていたときに、電話が鳴って。話をしている途中にドラマが面白くなって(笑)。ぼんやりとBGM(BGテレビ?)のように、このアリー初登場を見ていたのであった。
正直なところ、この第5シリーズは「渡る世間は鬼ばかり」のようで(笑)、そんなに面白かったわけではなかった。どんどん人がいなくなって、なんだか見ていて辛くなっていた。
でもこの数年、このドラマが大きな存在だったのは確かである。本当にお疲れさまでした。
■ 椎名誠『かえっていく場所』(集英社)
渡辺葉の本(岸本葉子との共著である『葉と葉子のふたりごと』ですね)を読んでいたら、彼女のお父さんである椎名誠の本を読んでみたくなった。このドルフィンホテル(僕が本とその他について言いたいことをだらだらと語るスペース)が出来て10年を過ぎてしまったわけだが、実は最初の頃に僕が良く読んでいて、話題の中心だったのが椎名誠だった。彼の私小説と呼ばれるものはとても魅力的だった。友人達とアパートでの共同生活とか、自分で企画を出して雑誌の編集をしたり、「本の雑誌」をつくったり。
そうした彼の私小説の「決定版」という本が書店に並んでいた。
買って、その日に最後のページまで読んでしまった。シミジミと。
長く住んだ家から、新しい家へと引越しをしたことが中心となっている。旅からの景色というよりも、その家の屋上からの景色が印象的である。それにしても、シーナは歳をとった。そうした思いが書かれている。文章の雰囲気も前に読んだものよりも、疲れが感じられた。前とは違った良さがあった。けれど、同時に少しの寂しさもあった。
家族4人の仲がいい。世界のあちこちに散らばっているけれど。思いやりがあり、互いに気遣っている。でも、なんだか僕には、そうしたところに老いていく寂しさが感じられた。
■ ビデオ『インフィニティ∞ 波の上の甲虫』高橋巌監督
WOWOWで放送されたのを観たのだけど、正直なところよくわからなかった。でも、奥菜恵は綺麗で可愛かったので、とても良かった。この映画の物語というのは、南の島に小説家が来てノートパソコンと向き合うというもの。部屋に閉じこもっているばかりではなく、当然外の景色を楽しむ。その自然の海が良いのである。こういうところで、読書夜話が書けたらどんなに幸せだろう、などと思ってしまった。
■ 映画『青の炎』蜷川幸雄監督
ほんとうは、今日この読書夜話をアップさせる予定はなかった。けれど、僕はこの映画を見終わった後、すぐさま自分の部屋へ帰りたくなった。早くパソコンを開いて、何らかの言葉を書きたかった。
原作はまだ読んでいなかった。それなりに良いという評判は聞いていたが、邦画はそんなに積極的に見ようとは思っていない。蜷川幸雄が監督するということ、時間があったということで軽い気持ちで映画館へと入った。
その映像のキレイなところに驚き、しだいに17歳の主人公に惹かれていった。今はもう、だいぶ時間が経ってしまい腹も出てしまっているけど、僕には17歳の時があった。今よりは当然のように痩せていて、ロードレーサーではなかったが自転車に乗ってときどき海岸に行っていた。
僕は考えていた。それが何かというのは、次第に記憶から消えてしまっているが。
それにしても、よくもまあ殺人を犯した17歳を、映画というメジャーな世界で描こうとしたものだと関心してしまった。
演じた二宮和也も松浦亜弥も鈴木杏も、すごく良かった。テーマがテーマだけに、大きな話題になる映画ではないのだろうと思う。けれど、いい映像がいくつもある。
凄い映画だった。
不得要領 2003/3 #4
◆ ベンチ
このところ暖かくなってきている。僕は暑さが苦手なのだけど、やはり太陽の下にいるとポカポカして、嬉しいという気持ちになる。洗濯物もすぐに乾いてくれるし。
今くらいの季節に、公園でのんびりとするのが何よりも好きである。ベンチに座り、本を読む。買ってきたパンを齧りながら。自由でいいなぁと思う。最近、自由という言葉をよく耳にする。それがどういう意味かはよくわからないが、時計を気にすることもなく、のんびりすることに僕は自由というものを感じていた。
しかし、僕はのんびりし過ぎたのだろうか。少し眠くなってきたときに、不自由さというものを感じてしまった。ベンチに横になりたい気持ちだったのだが、このベンチでは横にはなれない。ひとつのベンチに何人も座れるように、境となる木が打ちつけられている。ベンチでは横になってはいけないよ、ということなのだろうけど。
僕は公園を離れ、部屋へと帰る。そしてテレビをつけ、流れて行く時間を過ごす。
■ 貴志祐介『青の炎』角川文庫
映画を観て良かったということで、原作本も読んでみることにした。最近の僕の読書は、こうしたケースが多い。
けっこう面白く読めたことは確かだ。本と映画というものは別のものであり、比較するのはあまり良いことではない。どちらが良い悪いではなく、どちらの秀一と紀子が好きかと問われたなら、僕は映画の方になる。本と映画との違いというのは、その映像になるわけだが、この2人の描き方がいくらか違っている。映画の方がやや距離がある。でも、この距離がお互いをより深い部分で繋げているように感じられた。
とは言え、本にも映画とはまた違った良い雰囲気がある。殺人をテーマにしているのに、そんなにハードな印象はなかった。文字を追うことで懐かしい気持ちになってきた。その懐かしさというのは、いくらか前に読んだことのある文章の雰囲気だった。僕は読書というのを始めたのは10代の終わりの方だったのだが、日本のSFと呼ばれるジャンルの小説をよく読んでいた。やや淡淡とした文章の雰囲気が、なんだか似ているように思えたのだ。誰も同意してもらえないかもしれないけど、筒井康隆の小説のような。
そう言えば、筒井康隆の小説『時をかける少女』と、大林宣彦監督の原田知世主演で尾道を舞台とした映画との関係が、この『青の炎』の本と映画の関係と似ているかもしれない。映画は、独特の風景があり、部屋の雰囲気も良い。アイドルと呼ばれる人が演じ、話題が先行している、みたいな。
この小説の良さに振りかえると、そのディテールが凄く良い。勉強している場面に、秀一の心理が見え隠れする。国語の授業が出てくるのだが、中島敦の『山月記』や夏目漱石の『こころ』などが効果的に使われている。本の好き人なら、こうした場面に読み入ってしまうだろう。
◆ 苦手な雰囲気
とある日の夜に映画を観に行ったときだった。急に仕事の関係で時間が空いて、ちょうど映画の開演時間が迫っていて。僕は迷うことなく映画館へと向かい、チケットを買おうとしたときだった(この映画館は入口でチケットを購入)。何だか雰囲気が違っていた。昔「女だらけ」というマンガがあったが、この状況はまさに女だらけだった。そう、この日は水曜日で女性の場合1000円になってしまうというレディースーだった。ざわついている雰囲気が気に入らなかったが、僕にもそんなに映画を観る時間というものがあるわけでもなく、どう考えてもこの日に観ておいた方がよかったのだ。
僕は1800円を払い中へと入った。そういえば昔よく試写会に行っていたときも、こういう雰囲気だった。女性同士の客というのは、飲み物を買い、食べ物を買い、とにかく上映ギリギリまで話をして、まあハッキリ言ってうるさい。ああ、こんなことを書くと反感を買うだろうな(笑)。僕は一番後ろの列の席に座った。たぶん、この映画館にいた男性客は僕の他には2人くらいしかいなかったと思う。1%か2%か、その位の割合だった。僕の人生を振り返ると、学校、職場と圧倒的に男が多かったので、こういう雰囲気は慣れていない。どちらかというと、常に逆の状態にいたような気がする。やれやれ。
予告編ではざわついていたけれど、さすがに映画が始まると静かになった。これが昼間のおばさん達だったら、始まってもざわついていたと思う。ああ、これも反感を買うだろうな。
しかし、よーく考えてみると、このレディースデイのときというのは、ナンパのチャンスなのではないだろうか。やんないけどね。
でもなんで女性だけが安くなるのだろうか。メンズデーというのはないのだろうか。まあ、あっても行かないだろうけど。
■ ビデオ『山の郵便配達』フォ・ジェンチイ監督(http://www.eiga-portal.com/movie/postman/01.shtml)
中国映画が気になってしまって、久しぶりにレンタルビデオで借りて観た。とても良い雰囲気の映画だった。3日で120キロを親子で歩き、郵便を配達するのである。この歩いて行く中に、時代の移り変わりとか、親と子の関係とか、多くのものが描かれている。やや、甘いかなぁ(笑)という印象もあったが、何よりも映像が素晴らしかった。
できれば、映画館のスクリーンで観たかった。個人的にもこうした歩く映画というジャンル(なんて無いと思うけど)は好きなのであった。
◆ 味付け
コンビニでウヰスキーを買った。久しぶりに飲みたくなったのだ。何かツマミでも買おうかと、ひじきの煮物とキンピラゴボウも買った。あまり合わない組み合わせだとも思うが。しかし、この惣菜が美味しくなかった。味が濃くて食べられたものではなかった。ただ、この惣菜が特別なわけではなく、どこで買っても同じように味が濃すぎると思うのだ。
例えばひと昔前の缶コーヒーというものはどれも砂糖がたっぷり入り、甘かった。最近は無糖のものもあるし、他の飲み物でも薄味が多くなっている。居酒屋で注文するレモン杯もアルコールは薄い(これは関連がないかもしれないけど)。
最近は健康ブームなのである。そろそろ、薄味の料理が主流になってくれないだろうか。薄ければ後から味を加えることが可能のはず。濃い食べ物はどうにもならない。
だんだんと、外でお惣菜を買おうとも、外食をしようとも、思わなくなって来ている。外食産業はお客さんを失わないのだろうか。とは言っても、誰も僕の好みなんて聞いてくれないんだよね(笑)。
■ 山本ふみこ『ふだんの暮らしがおもてなし』(晶文社)
この人のエッセイは頑張らないというところがとても心地よい。食事にしても、けっこう手を抜いていることが書かれている。のんびりしていいのだなぁと、張り詰めた気持ち(をいつも持っているわけではないけど)を楽にすることが出きる。「休まなきゃ」(P115)というエッセイが凄くいい。なんと子供に、休みたくなったら休んでいいよの、というのである。学校に行くことを、である。
確かに、休みたかったら休んだほうがいいのである。下手な罪悪感など持たずに、ちょっとひと休みする。そこでまた頑張ればいいのだろう。
僕の家庭というのは、けっこう厳しかった。風邪を引いてかなり熱を出したとき。朝、医者に行って、家に帰って、それから学校に行かされた。教室の席に着いて、すぐ保健室に行かされてずっと寝ていた、なんてことがあった。頑張らなくてはいけない、と気持ちばかりが焦り、中途半端に生きてきたようにも思う。
もちろん、厳しかったことで良かったことも多くあるのだろう。どんな風に育ててもらえば良かったか、なんて難しい問題だろうけど。
◆ 新聞の真実
このところ新聞というものが嫌いである。世の中の真実というものを、押し付けているような感じがしてならない。もちろん、新聞だけが特別というわけでもないけど。松井やイチローの打席に関してかなり詳しく書かれている。スポーツ面だけではない。こんなにも大きく載せる必要があるのだろうかと疑問に感じる。僕に興味がないというわけではない。松井のホームランは嬉しかった。けれど、そんなに大騒ぎするようなことではないはずだ。
4月6日、ロードレースの最高峰モトGP第1戦である日本グランプリ、鈴鹿サーキットにて大きな事故があった。世界チャンピオンを目指す加藤大治郎が重症を負い現在も意識不明の状態にある。オートバイのレースにおいて、下のクラスにおいて世界チャンピオンになった日本人ライダーはいても、一番上のクラスで頂点に立った者はまだいない。加藤大治郎は最もそのチャンピオンに近い男だった。今年日本が、他の誰よりも世界で誇れる人物である。
自動車のF1もそうなのだが、オートバイのモトGPも、日本での扱いは寂しい限りである。松井やイチローの全打席が新聞の一面に載っていても、加藤大治郎のニュースは事故当日の後、1行すら出ていない。
もちろん人気のあるスポーツとそうでないものはある。けれど、あまりにも偏りすぎていないのか。これはスポーツの記事だけではないだろう。新聞に出ている記事というのは、それなりに真実なのだろう。けれど、どの新聞も同じようにセレクトされているような気がしてならない。何でなんだろうね。
■ 映画『WATARIDORI』ジャック・ペラン総監督(http://www.wataridori.jp/)
進化とは何なのだろう?
それがこの映画を観ていて僕が考えていたことだった。人間はこの地球上で最も進化した動物だと思い込んでいる。しかし、自由に空を飛ぶことすらできない。この映画の中には地球上の多くの景色が描き出されている。大都会の景色という人間の創ったものも。でも、その都市の建築物を見ても進化して創られたもの、という感じは全くなかった。実は鳥たちは空から僕達を見下ろして、「ごくろうさん」なんて言っているんじゃないかと思ってしまった。
それにしても、よくもまあこんな映像を撮ったものだと関心してしまう。鳥の飛んでいるアップの映像なのである。ほんとうに多くの種類の鳥が登場する。鳥のワールドカップのような雰囲気。見慣れている白鳥が出てきたときには、拍手をしたくなってしまった。
ペンギンの映像も素晴らしかった。どう考えても中に人間が入っているみたい(笑)。
けれどこの映画、微笑ましい映像ばかりではない。ある場面で、猟銃で鳥たちが撃ち落されるところがある。その少し後のカットには、今の世界を象徴する建物が映し出される。これはこの映画の強いメッセージなのだろうか。
◆ 讃岐うどん
最近知ったことなのだが、「讃岐うどんダイエット」というものがあるのだそうだ。通常ダイエットというと食事制限があり、大変だという印象がある。しかし、週に何回か讃岐うどんを食べるだけで、ダイエットができるのだという。他のうどんと比べて、食物繊維が多かったり、腹持ちが良かったり、なるほどということも多いようだ。
愛媛県の人は痩せているのかなぁ、と素朴な疑問はあるが(笑)。知り合いに愛知県出身の人はいないのでよくわからない。
このところ東京でも、讃岐うどんのお店も増えている。ちょっと小腹の空いたときなど、ちょうどいいかなぁと思ったりしている。ただ、よくあるファーストフードのようにいたるところにあるわけではない。大手のハンバーガー屋さんなんかで、讃岐うどんをメニューに加えれば良いのにと思うのだけど(笑)。日本人の健康というものが、大きく改善されるかもしれない。
■ ビデオ『ジェラッシック・パーク3』ジョー・ジョンストン監督
WOWOWに入っているのでレンタルだったら借りないだろうなぁなんて映画も観てしまう(笑)。それにしてもリアルで凄い凄いと思って関心していた。話としてはあんまり面白くはなかったけど(笑)。
でもなんでこの映画に出てくる恐竜というのはこんなに凶暴なのだろうか。人間なんて襲っても美味しそうじゃないのにね。
■ 日野いつみ『不倫のリーガル・レッスン』(新潮新書)
タイトルを見て、ついつい買って読んでしまった(笑)。まあたまにはこういう読書もある。ほんとに素晴らしいタイトルだと思う。内容はだいたい予想がつくように、不倫というものを法律の面から語ったものだ。いくつかの事例を出し、こんなにもリスクがあるものですよ、みたいな。
しかしこの本。途中で作者のプロフィールを見たら、なんだか読む気が失せてしまった。
でもまあ、知識として不倫をしたらどうなるのか、というのはしっかりと把握していた方がいいのだろうね。
■ 映画『裸足の1500マイル』フィリップ・ノイス監督(http://www.gaga.ne.jp/hadashi/)
あれれれれ、裸足だったの?というちょっとした疑問は残ったが(笑)、良い映画だった。
それにしてもこの話が真実だったというのが驚きである。1500マイル、2400キロを歩いたということよりも、隔離同化政策というものについて。オーストラリアの先住民アボリジニの混血児たりを家族から隔離する政策なのだが、推し進める側は正しいことだと心から信じているようなのである。この話は1931年のことで登場人物は今も生きている。遠い昔のことではなかった。シドニー・オリンピックのときに、オボリジニに関して聞いたことがあったのを思い出した。
彼女達がこれだけ長い距離を歩いたということは、特別なことではないような気がした。まだ小さな子供だったとはいえ、自然の中で生活する術を身につけていたからだ。文化的な人間になって行くということはどういうことなのだろう。数キロ歩いただけで疲れたと弱音を吐くことなのだろうか。
◆ 武蔵野うどん
池袋の東口に前から気になっているうどん屋さんがあった。大きな店ではないけど、きれいで良い雰囲気。けれど、客は少なそうだった。ちなみに、隣には讃岐うどんの大型店である「小町うどん」があり、その隣には「二天」という有名なラーメン屋さんがある。
ついに入ってみたこの店は「うちたて家」という。武蔵野うどん、といううどんだった。特別に、鍋焼きうどんというのがあったが、基本的につけ汁につけて食べるというスタイル。かけうどんなどというメニューはない。
僕は「ピリ辛つくねうどん・普通」というのを頼んだ。うどんの量が、「普通」「大盛り」「特盛り」「二枚」「一キロ」と5種類に分かれている。一緒に行った友人は「とり汁うどん・普通」を頼んだ。
とてもキレイに盛られうどんと、つけ汁と葱の小皿が、お盆に乗って運ばれてきた。見た目はとても美味しそう。食べても、とても美味しかった。これは新発見だと、嬉しくて食べていた。こうした麺類を食べるときに形容詞として、「つるつると」という表現がよく使われると思う。美味しいのだけど、食べるのにけっこう苦労した(笑)。太くコシがあり、ものすごい噛み応えなのである。讃岐うどんが見た目も噛み応えも女性的だとすれば、この武蔵野うどんは見た目も噛み応えも無骨な男性的であった。格闘技のように僕はこのうどんを食べていた。
また行こう。そう思わせてくれる食べ物屋さんは少ないが、このうどんはまた食べに行きたいと思った。お客さんが少なそうなので、潰れてしまわないだろうかとやや不安。でも並んで気軽に入れないなんてことにはなって欲しくはない。
それにしても。駅へと歩く途中、ラーメン屋さんの行列の脇を通る。こういう人たちには一生並んでいて欲しいものである。
■ 蜷川幸雄・宮脇卓也『「青の炎」シナリオブック』(角川書店)
映画のラストの場面が頭の中に残っていて、シナリオにまで手を出してしまった。それだけ凄く良かったもんで。でもこうやってシナリオを読んでみると、原作の良い面がいろいろとわかってくる(笑)。実は映画を観ていて、いくらかわからないところがあった。事件のために準備、アリバイ工作などといったディテールの部分は、今振り返ってもわかりにくかったのではないかと思う。原作の良さはそのディテールの中に秀一の感情、紀子とのやりとりが描かれている。
できればこの映画、もう少し時間を長くして、もうちょっとディテールを描き出しても、なんてことも思った。ただ、もう一度映画を観れば、こうしたディテールを味わえるように出来ているみたいだけど。
このシナリオブックには蜷川幸雄監督と主演の二宮和也との対談、監督インタビューというものも載っている。この映画は「アイドル映画」と言われているようなのだが、この辺についての話がとても興味深いもので、僕はアイドルという言葉でマイナスのイメージで見るのは止めようと思ったのだった。
◆ ところてん
久しぶりに飲み屋に行った。このところ本当に大人しくなったというか、外で飲むことは少なくなった。酒がどうのこうのというよりも、人込みが苦手になってきているのかもしれない。まあ、一緒に飲みに行くような人もいないのだけど。
初めて入った店だったのだけど、なかなか良い雰囲気だった。創作料理の「旬」というお店で、ちゃんと美味しい料理が出てきたし、値段もリーズナブルだった。いくつもの料理を食べ、最後を何にするかで悩んだ。人生にはいくつかの選択というものがあるわけだが、ラストの〆を何にするかは翌日の仕事にも響く重要な決め事である。僕は讃岐うどん(温)を頼んだ。讃岐うどんがこのところ気になっているので、この選択には悩まなかった。温かいのにするか冷たいのにするかで悩んだのだった。これはこれで美味しかった。
しかし、次回この店に来たときには別のものを注文したい。一緒に行った人の注文した「ところてん」がとても美味しそうだったのだ。ゴマが軽く振りかけれ、きれいに盛られている。麺類のようにつるつると口の中に入る。さっぱりしている。量的にもちょうどいい感じ。食べて飲んだときこれだけお腹に優しい〆の料理があったのかと、驚いた。考えてみると、他の居酒屋にはこのメニューは無いような気がする。これからは暑い夏の季節。これだけ魅力的な〆に相応しい食べ物が何で無いのだろうか。食べる直前に、筒で「ウニョ〜」っとやって食べることができたら、絶対に行きたいよね。
なんだか「ところてん」のことを考えただけで涼しい気持ちになってきた。