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疲れた帰り道
僕は何だか疲れていた。そんな夜にはちょっとの自分へのご褒美をあげたい。帰り道にあるお寿司屋さんが僕を呼び止めた。お寿司のお店なのだが、ここではパックの持ち帰り寿司の販売もしている。僕の帰る頃には、値段がいくらか安くなっている。「50%」という赤い文字が、そこにはあった。僕は本当に疲れていて、目は半分は閉じかかっていた。けれど、僕は少し元気になったような気がした。辛いことがあったときには、素晴らしい出会いもあるのだ。
僕は赤いマジックで値段の修正されたネギトロ中巻を買うことにした。元の値段は380円だった。いくらになるかはよくわからなかったが、とくかく優しい値段になる。これを食べれば、もっと元気になれると思った。
受付のオバサンは僕の可愛いネギトロ中巻を袋に入れながら「ええと、よんひゃく○○です」と言った。なんで?と思った僕は「あのぉ、ごじゅう……」と言った。するとオバサンは訂正してくれた。ああ、僕に間違いはなかった。僕は500円玉を出して、お釣りを受け取った。何か変だ、けれどその時の僕には2度目の抗議をする元気はなかった。
レシートを見た。値引きという文字の隣に「-50」とあった。ネギトロ中巻の赤い文字を良く見た。50%引きではなく、50円引きだった。
■ 宮部みゆき著『誰か』(実業之日本社)
宮部みゆきだからこその視点、優しさに満ちている作品なのだろう。けれど、なんだか物足りなかったというのも正直なところある。この作品には申し訳ないのだけど、僕は読んでいる途中にちょうと映画『ミスティック・リバー』を観た。もちろんこの2つは小説と映画で、全く別な話ではあるのだけど、その迫力、幼い日の記憶という点で『誰か』がどうしようもなく弱く感じられてしまった。こういう比較は全くゴメンナサイなのだけど、宮部みゆきという作家にはもっと大きな期待をしてしまう。それがどういうものなのか、僕にもわからないけど。
■ ビデオ『けものがれ、俺らの猿と』須永秀明監督 [テレビ東京]
町田康の作品が原作になっているということで観てしまった。それにしても、あの虫は怖そう……。思い出しても、ぶるぶるしてしまう。小説と映画とは違うのだろうけど、なんだか難しいと感じた映画だった。
■ ビデオ『非常線の女』小津安二郎監督 [NHK-BS2]
なんと1933年のサイレント映画である。驚いたことに拳銃も出てくる。田中絹代がとてもいい雰囲気。NHK-BS2で観たこの映画は、サイレントなのだけど声の部分があった。中井貴一と竹下景子のその声がまたいい感じだった。
■ ビデオ『小津と語る』田中公義監督 [NHK-BS2]
小津監督に心酔するスタンリー・クワン、侯孝賢、ヴィム・ヴェンダース、リンゼイ・アンダーソン、アキ・カウリスマキ、ポール・シュレイダー、クレール・ドニら世界の七人の映画監督に、小津作品について語ってもらっている。正直なところ、僕は小津安二郎という人がこんなにも凄い人だとは思っていなかった。小津映画の世界というものが、いかに世界各国に人達に共通した人類不変のものであるかを、感じることができた。
これから先、どんどん僕は映画を観ていこうと思っている。そうしていく中での予感みたいなものがある。派手な作品ではなく、地味でシンプルだけど、深い映画を求めるように思うのだ。実はそうした映画が小津作品なのかもしてない。
■ ビデオ『東京画』ヴィム・ヴェンダース監督 [NHK-BS2]
この監督って、『ベルリン・天使の詩』の人だったんだ。知らなかった(笑)。小津安二郎への思いを込めて、東京を旅するドキュメンタリー。『東京物語』のイメージを持ってあちこちの東京を歩き回るのだけど、作者は違和感を持っている。
けれど、世界的な監督に文句を言って申し訳ないけど、もう一歩日本人の中に入っていない雰囲気。外側からの、ちょっと自分達とは違った日本(パチンコとか)を映し出しただけという印象だった。
よかったのは、俳優の笠智衆とカメラマンの厚田雄春のインタビュー。この2人からの小津安二郎の人物像というのはとても素晴らしいものだった。シンプルであること。無になること。小津作品を観たくなってきた。
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誘惑
鰯のつみれ汁を食べている。美味しい。うちの冷蔵庫にはまだ石巻産「鰯のつみれ」が眠っている。まだ数回食べることができる。作り方は簡単で、まずは鰯のつみれを4当分にして鍋に入れる。けっこう大きいのでもっと小さく切ってもいいのかもしれない。ぐつぐつして、鰯の油がでてくる。葱、調味料として醤油を少し入れる。最後に溶き卵を入れる。
西友で買い物をしていたときに、ちょっと言葉に訛りのあるおにーさんに捕まってしまったのだった。僕はスーパーの試食には弱いのだ(笑)。このおにーさん、畳み掛けるように僕に試食攻撃をかけてきた。鰯のつみれ汁を食べる。おおお、美味い。鰯ハンバーグも食べる。これも美味い。ハンバーグは他にもゴボウの入ったものとか3種類くらいあって、差し出されるままに全種類食べてしまう。鰯のつみれ汁は、作り方の説明をしながら新しいのをまた差し出された。やっぱり美味い。トータルで、ハンバーグ3、つみれ汁3くらいを食べてしまった。
さて、人間というものは、ここで何も買わずに去ることが出来るのだろうか……。
キャバクラのお姉さんに道で声を掛けられても振り切ってきた僕の人生だったのに……。
まあ、そういうわけで僕の冷蔵庫には1000円で買った鰯のつみれ「石巻骨びきいわし」(賞味期限16.03.20)がある。今度は味噌味で楽しもうっと。
■ 映画『マグダレンの祈り』ピーター・ミュラン監督(http://www.magdalene.jp/)
[飯田橋ギンレイホール]
この話は事実なのか。そう思うとかなりの衝撃だったりする。静かな映画で、そんなに大きな盛り上がりは無い。けれど、その抑えられている感じがいいのかもしれない。
昨年公開されたときに、観たいのに時間が取れなくて観れなかった作品。映画館で観ることができて良かった。
■ 映画『クジラの島の少女』ニキ・カーロ監督(http://www.herald-arthouse.com/kujira/)
[飯田橋ギンレイホール]
珍しいニュージーランド映画である。それにしても、クジラの出てくる撮影はどうやったのだろうか、という疑問があった。だってね、あのクジラは死ななかったのかなぁ。いろいろな団体から抗議はなかったのかなぁ(笑)なんて。
どうも、南の方が生活観みたいなものが感じられないんだよね。そういう意味では、『マグダレンの祈り』を観たすぐ後にこの映画を観るというのは、あまり良くなかったのかもしれない。逆だったらまた違ったのだろうけど。
それよりも、『マグダレンの祈り』と『クジラの島の少女』の二本立てというのはちょっと無理があったのでは。
◆ 哀愁のギンレイホール
そうなのであった。『マグダレンの祈り』と『クジラの島の少女』は、飯田橋ギンレイホール(http://www.cam.hi-ho.ne.jp/ginrei/)という名画座で1500円を支払って観た。本当にレトロというか、趣のある映画館で驚いてしまった。平日の昼間に観たのだけど、けっこうな客が入っている。年配の人が多い。映画が好きで、この劇場に何十年も通っている、という雰囲気。
受付のところを見ていると、僕のように1500円で観ているという人は少ないようだった。「ギンレイ・シネパスポート」というものを受付で出している。このカード、シングルカードの場合10000円で1年間いくらでも観ることができるというもの。「ペアカード」の場合は18000円で2人まで入場できる。
学生の頃にこうした映画館が近くにあったなら、なんてことを思う。人生が違っていたものになっていたかもしれない。
■ 藤井孝一著『週末起業』(ちくま新書)
つい書店でこのタイトルが眼に入り、読んでしまった。なるほどなるほど、リスクをとらずに起業する。自分の好きなことを仕事にする。インターネットを利用することで、こうしたビジネスも可能なわけである。
とにかくこの本を読んでいくと、「そんなの無理だよ」という気持ちは自然に消えていく(笑)。まずはやってみようという気持ちになる。失敗しても、大きな損害があるわけではない。
著者の代表者となっている「週末起業フォーラム」(http://www.shumatsu.net/)を見ると、実際に週末起業をしている人がいるということが実感できる。
しかし、この「週末起業」ってやつ。週末でない本業の時間のある人でないと、出来ないんだよね(笑)。
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さえない休日
このところの僕はあまり外食というものをしない。たまたま行ったデパートの催事場で「冬の大北海道展」というものが開かれていて、ついついそこでラーメンを食べることにしてしまった。たまには、美味しいと言われるラーメンを食べ、身も心も温かくなりたいと思ったのだ。しかし……。過去にもよくあったことなのだが店員さんに無視されてしまう。ああ、そんなにも存在感がないのだろうか。僕から後に席に座った人に一杯の塩ラーメンが渡されていた。隣に座ったのは、アベックで2杯の塩ラーメンを注文していたのである。2人で同じものを注文して1人だけが食べるというのもヘンテコな感じだっただろう。こうしたときに、事を荒立てるのもカッコ悪いし(笑)、店員の態度は悪いし。たまーの外食はどうにも印象の悪いもので終ってしまった。一杯のラーメンが、活きる希望を与えてくれたという話を聞いたことがある。けれど……。なかなか希望がないのが人生ということか。
その後映画を観に行っても、腹の立つことは続いた。映画が始まってもずっと話し込んでいる人がいる。しかも、何か食べているのだろう、ビニール袋のガサガサした音が響いている。たぶん、うるさいのは近くにいる僕くらいなのだろうな。注意しようかと考えていると、だんだん映画が遠い世界に行ってしまうような。何をやっても、悪い方に転んでしまう休日って、たまーにあるんだよね。ちょっとした独り言でした。
◆ リラックス
あんまり疲れていたので、マッサージを受けることにした。友人のやっている「ホリスティックマッサージ」(http://blissful.smile.tc/)を受けに行く。前にも受けたことがあって今回は2度目。
うまく説明するのは難しいのだけど、前に受けたときに、かなり良かったのである。
今、世間にはマッサージと呼ばれるものが数多くある。リラックスできる、と謳っている広告が目に付く。けれど、中途半端な気持ちで帰ることも多い。ホリスティックマッサージが何かというと、このリラックスという目的を集約したもののように僕には思えた。
リラッククするということの必要性を語ることも難しい。別にこうした言葉の状態など無くても、それなりには毎日を過ごすことができる。特別なことをしなくても、酒でも飲んで騒いでいたならば、自然とリラックスした状態になっているかもしれない。
けれど、年齢を重ねるにつれて、深いリラックスが必要のように僕には思えてきた。例えば、静かなところに旅をしたり。誰もいない山を歩いたり、海岸で波の音を聞いたり。時間の過ぎていくのを忘れて、心の中を無にする。当然仕事のことなどは全く考えない。人間関係のあれやこれやなんてものは全くない。たぶん、子供の頃は意識することもなく、こうした時間がいくらでもあったのだ。
ホリスティックマッサージを受けた感覚というのは、こうしたものに近い。眠りに陥る前の状態で、何も考えない。もちろん、ついつい考えてしまうこともある。けれど、そうしたものが揉み解されてしまうのだ。海の底の方に、静かに沈んでいく。マッサージが終っても、すぐに現実の感覚に戻るのは難しい。少しボーっとしている。
ときにはこうした時間を持つことが必要なのだ。何もマッサージでなくてもいいのかもしれない。しかし、リラックスというものを自分の身体に、覆いかぶせてあげることを、もう少しやってあげてもいいのだろうと思う。
■ 映画『シービスケット』ゲイリー・ロス監督(http://www.seabiscuit.jp/)
[新宿文化シネマ]
とても面白く観たのだけど、本を読んだらもっと面白いかなぁと思ったのが素直な感想だった。
というのは、もっともっとそれぞれの登場人物に物語が感じられたのだ。うまく作られていて、とても面白いのだけど、それだけに、それぞれの物語を深く見つめてみたいという気持ちになったのだ。例えば、ジョッキーのレッドほ、本というものが支えとなっている場面がある。読書好きとしては、もっと見せてくれよ!と思うのだ。
僕は普段、競馬を見ることはない。そんなに面白いとも思っていない。けれど、この映画からは競馬の魅力が強く伝わってくる。レースというものがただ走るだけのものではない。その馬の特徴に合わせて勝負どころを決めたりしている。そして、迫力満点のレースシーン。ぜひテレビの競馬中継でもこの映画のような馬載(車載)カメラを導入してみたらどうかと思ってしまった。
■ 川本三郎著『美しい映画になら微笑むがよい』(中央公論社)
書店でこの本の表紙のデザイン、タイトルが気に入ってすぐに買ってしまった。その内容もたまらないものだ。映画の批評集なのだが、アジア映画が中心である。
「ハリウッド映画を見て育った人間が、年齢を重ねるにつれてアジア映画に惹かれてゆく。」(P332)とあとがきに書かれているのだが、本当に好みの映画を見て、それについての批評をしているといった感じである。チャン・イーモウその他のアジア映画の監督9人のインタビューも嬉しい。
何本も僕が観ている映画について書かれていることがたまらないのだけど、観ていない映画も観たくなってくる。特に韓国映画が気になってきた。
アジア映画以外の映画も、もちろん語られている。アメリカ映画、日本映画も。
美しい映画を観ること、なんて幸せなことだろう。
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the
first spring storm 2004/2 #2
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◆
デジカメと風景
特に休みの日などであるが、デジカメを持ち歩いていることが多い。カバンの中に、折り畳みの傘を入れるような感覚でデジカメを入れる。良い風景があったなら。部屋を出る前に、良い風景をいくらか思い描く。それは具体的なものではない。ほんとうにぼんやりとしたものだ。目立ったものではない。けれど、記憶の片隅に残るような風景だ。
けれど、準備されたデジカメは使われることのない状態で僕の部屋へと帰る。こうしたことを、幾度となく繰り返している。
結局のところ僕は写真というものが嫌いなのだろうか。いろいろと思い悩む。けれど、何度か旅というものをしていたときには、このデジカメは大活躍していた。撮りたいな、と思う風景がいくつもあった。それは何も有名な観光地というわけではない。空とか、海とか、山とか、道端に咲いている草とか、特に意味はない。けれど、撮っているときに、どのような写真になるのかな、と楽しんでいる。それは四角の枠に収まった風景で、体感しているものとは違うのだけど、大切なものを、大切な箱の中にキレイに保存しておこう、みたいな感覚がある。
改まって考えてみると、僕が普段歩いている日常の景色には、保存して置きたいようなものは何もないのかもしれない。いいものがあって、ただ単に僕にそれを見抜く力がないだけだと思っていたのだけど。
あまり自分のせいにしなくてもいいんじゃないかな。少し考え方が変わってきている。それでも、デジカメはカバンの中に入れてしまうだろうけど。
■ ビデオ『フラッシュダンス』エイドリアン・ライン監督 [NHK-BS2]
けっこう有名で誰もが観ている映画なのだろうけど、僕はやっと観たのであった。良かった。とてもとても。ジェニファー・ビールスは素晴らしい! ストーリーがどうのこうのというのは、どうでもいいくらい(笑)。とにかく彼女のダンスを見ているだけど、満足してしまう。それにしても、こういう映画がもっとあっていいと思ってしまった。
◆ 女だらけ
先日40人くらいの人がいる中、僕だけが男という状況になった。僕以外は熊だったとか猿だったということではない。女性だった。ああ、こうしたことは小学生の頃、銭湯の女風呂に入ったとき以来だろうか。ちなみに、僕の小学生の頃住んでいた土地は温泉地で自宅にお風呂のない家というのがわりと普通にあり、まあ、嫌でもそうならざるを得なかったという辛い辛い状況があったのさ。
けれど、僕も大人になり、周りが女だらけだったとしてもビクともしないようになった。ちょっとは怖いけど(笑)。
何でだろう、男女のバランスというのはうまく均等になるわけではない。僕の人生などは、ずっと男が多かった。理系の方向に進んだことで、特にそうした状況だったのだが。バイトをしても、工場なんかだと男ばっかりだったし。ガードマンのバイトをしたときなんて、ほんとうに汗臭かった(笑)。まあ、男だけだからこそ、美味い焼き鳥で一杯できたのだろうとは思うが。
それにしても、40人の中に1人というのは凄いなぁと笑ってしまった。
■ 映画『ションヤンの酒家 LIFE SHOW』フォ・ジェンチイ監督(http://www.syonyan.com/)[日比谷シャンテ・シネ]
この映画の監督は前に『山の郵便配達』を撮っている人。とてもいい映画だったので、かなり期待して観に行った。前作というのは、中国の山村の風景ばかりだった。その自然の広大な景色がスクリーンに映し出されるのは、ほんとうに素晴らしいものだった。それが、今度は市街地が舞台。屋台の立ち並ぶところである。ある意味で、正反対の場所が映し出される。それだけに、楽しみだった。
期待以上に良い作品だった。街の映像という点では、やや狭く限定された感じはあったが、何しろ主役の○○がめちゃくちゃ良かったのである。あまりにも魅力的で言うことなし。こういう女性のやっている店だったなら、僕だって毎日通い続けるだろう。
ただ単に映像だけということではなく、この物語、ションヤンの生き方に多くの女性が指示するのではないだろうか。最近は女性が生き生きとした映画が多い。西洋のよくある話とはまた違った素晴らしさがこの映画には満ちている。とにかく、独身女性には必見の映画だと思いました。
ところで、相手の男性って、モト冬樹にとても似ていると思ってしまったのは僕だけだろうか(笑)。
■ 映画『幸せになるためのイタリア語講座』ロネ・シェルフィグ監督(http://www.zaziefilms.com/italian/)[シネスイッチ銀座]
大人の恋愛映画である。登場人物達は必ずしも幸せな生活とは言えない。例えば、親の面倒を見るのに大変だったり、仕事がうまくいかなかったり。でも、考えてみると、よくある当たり前の世界なのだろう。普段の生活の中で、ふとした出会いがあり(そこがとても自然でいい)、肩を寄せ合ったりする。派手な恋愛という雰囲気はあまりないけれど、そろそろ僕もこうした恋愛映画がいいなぁと感じるようになっているのである(笑)。
イタリア語はそんなに上達しないと思うけど、幸せになれる映画でした。
◆
牛丼
2月10日、僕としたことが吉野家で牛丼を食べてしまった(笑)。数日前には松屋でも食べたけど、やっぱり吉野家の牛丼は美味しいなぁと思ってしまった。もう長く食べている味だから、馴染んでしまっている、という感じだろうか。少し前の焼肉の騒動だって、今は静かになっている。そのうち、また普通に牛丼が食べられるようになるとは思うけどね。でもさ、どうしてどの店も牛丼を辞めてしまうのだろうか。少し高い値段になってもいいから、別の味の牛丼を出せばいいと思うのだけど。例えば、長ネギに焼き豆腐(あと糸コンも欲しい)を入れた、元からある牛丼を復活させればと思ったりする。立ち食いの蕎麦やうどんだって、味付けは多様化している時代なのだ。牛丼だっていろいろあっていいはず。牛丼が食べられない、というのは間違いなのである。
■ ビデオ『小さな恋のメロディ』ワリス・フセイン監督 [WOWOW]
メロディという少女がとても良かった。自然な表情がいいのだよな。もちろん、この物語もとても素晴らしいものだった。こういう映画については何だかんだと語りたくない。ときには、子供の頃のことを振り返るのもいい。しかし、年齢を重ねるにつれて、この映画に対する自分の感覚が変わってくるのかもしれないな、なんて不安もあったりする。でも、この映画で表現されていることって、子供達がメインのようだけど、子供も大人も違いはないということなのかもしれないよね。
◆ なんというか
何も僕は英文字だけがカッコいいと思っているわけではない。まあ、DOLPHIN HOTELというのも英文字ではあるけれど。でもね。こういうことを書いて袋叩きになってしまうのかもしれないけど……。楽天って、サッカーのユニフォームに書かれていても、あんまりカッコいいとは思えないのだけど。神戸、イルハンというと、聞いただけでカッコいい。でもなぁ、むにゃむにゃ。
■ 吉田篤弘著『針がとぶ』(新潮社)
前からこの著者を注目していた。でも、読んでみてもあまりピンと来なかった(笑)。僕の感性が足りないのだろうか、なんて少し悩んだけど、まあタイミングの問題だったのかもしれない。ところどころ、おおお!いいじゃなかん、と感じることはあるのだけど。
■ ビデオ『俺たちは天使じゃない』ニール・ジョーダン監督 [テレビ埼玉]
確か最初にこの映画が公開されたときには、それなりに話題となったのではなかっただろうか。でも僕にはあんまりピンと来なかったなぁ。
それにしても、このところテレビで放送された映画を観て、あまり良かったという感想は少ないような気がする。初めから観なければいいんじゃないの、と言われてしまったら答えようがないような。もう少し選択して観るべきなのか。
◆ 左目の恐怖
コンタクトを外そうとしたのだが、左目の方がうまくいかない。何度かやったのだが、眼の方も疲れてきたようだ。落ち着け、と自分に言い聞かせる。これだけ取れないのは初めてのことだった。そう言えば、藤田香織さんも外れない状態で無理をしたら悲惨な状態になったと「だらしな日記」に書いてあったっけ。
コンタクトを付け始めたのは、3、4年前からだろうか。最初は2週間の使い捨てタイプだった。コンタクトにするところで、自分を変えようと思ったのだ(笑)。見える世界が変わることで、少しは何らかの変化があると思った。まあ、良く見えるようにはなったが、どうにも眼は疲れる。仕事をしている時間が長いために、1日の付けている時間がどうしても長くなってしまうことに原因があるのか。コンタクトを付けない、眼を休める日というのは、次第に増えていって最近では付けない日の方が圧倒的に多くなっていた。そういうこともあり、少し前に1日使い捨てタイプに変えたばかりだった。このコンタクト、付け始めたときから外しにくかった。それにしても、こうも取れないとは。この日は映画を2本観たりしていたので、目薬をしない状態で、眼を酷使していたのだろう。気を落ち着けて、目薬をして、何度かチャレンジして、ようやく左目のコンタクトを外すことができた。ほっ。
それからというもの、どうにもコンタクトを付けるのが怖くなってしまっている。外れなかったらどうしよう……。しばらくは、休んでいるしかないのだろうか。
■ ビデオ『ハード・デイズ・ナイト』リチャード・レスター監督 [NHK-BS2]
ビートルズのアイドル映画なのであった(笑)。ビートルズが好きで好きで涙を流してしまうという人だったら、とても面白いのだろうけど、僕にはあまりピンと来なかった。
僕なんかの感覚だと、ビートルズはアイドルじゃないのだけど、この映画では思いっきりアイドルしている感じ。そのあたりがこの映画の面白さと言ってもいいのかな。でも、音だけでない、実際に歌って演奏しているビートルズはなかなかいいものですね。
<岸本葉子さん小特集>
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岸本さんの印象・こっそり版
憧れの岸本葉子さんに会った。講演を聴いただけなら、「会った」という表現は大げさすぎるのかもしれないけど、実際にちょっとだけお話もしたので、会ったという表現を使ってもいいだろう。
こんなことを書くと怒られてしまうかな。僕の受けた彼女の印象は、「素敵なお婆さんになるだろうな」というものだった。若いとかキレイだとか可愛いというのではなく(もちろんこのようにも感じたのだけど)、これから先も笑顔でいるのだろうと。
かなり話は飛躍してしまうが、少し前のに『阿弥陀堂だより』という映画を観ている。それには、お婆さんが出ていてとても素敵な人として描かれている。こんな風に歳をとれたらいいね、という印象を誰もが感じる。この映画を観てから、どうにもこのお婆さんの存在というのが、僕の中に残ってしまっていた。
そこで、岸本さんが重なって見えてしまったのである。
年齢を重ねるということは、普通はマイナスのイメージになってしまうのかもしれない。けれど、岸本葉子さんという人と実際に接して、そうしたことがとてもプラスに感じられたのだ。長い時間を掛けて育った木と同じように。
彼女の「朝起きたら窓の結露を拭く」という話が印象に残っている。これまでの本に書かれた岸本さんから、リアルな、結露を拭いている岸本さんへと少し変わっていった。
◆ 悩める気持ち
岸本葉子さんは「今度ホームページを見てみますね」と言ってくれた。でも、見て欲しいという気持ちもあるけれど、見ないで欲しいという気持ちがあるというのも本音だったりしている。
たぶん、がっかりしてしまうこともあると思うのだ。仮に、良かったという感想が99%あったとしても、1%がそうでなかったならば、気持ちは崩れてしまう。そういうことを考えたならば、最初から離れていた方がいいのだ。
がっかりさせてしまうような1%というものを無くすることはできないだろうし、僕自身がその1%なのかもしれないし。不安になる。ああ。
でも、こういうのって、恋愛の感情の表現と似ているのかもしれないよね(笑)。そうかそうか、僕と岸本さんとは感じ方が似ていて、気が合うのだろうなぁ、なんて思っている(笑)。
◆ 木のいえ
岸本葉子さんの講演会があるということで、見に行ったのだった。その会が何の会だったのかというと、「東京の森(やま)の木でいえをつくろう」というもの。
最初に主催者の挨拶があったのだが、東京にいかに山があり森林があるのかという話があった。そこで採れた木で、木の家を作ろうというのが、この日の会のテーマなのだった。
挨拶の後の岸本さんの講演というのは、暮らしの中から感じる「木の家」について。もちろん岸本さんが木の家に住んでいるわけではないので、自分の暮らしというものが中心となる。例えば、食品を買うときには添加物や生産地などを気にしたりする。けれど、住居を決めるときには、そうした視点はなかったのかも、というような。
実はこの会、岸本さんの講演も良かったけど、後半のシンポジウムも素晴らしいものだった。パネラーは岸本さんの他、木をつくっている人、製材業の人、棟梁の人、実際に東京の木で家を建てて住んでいる人などが揃い、木の家がいかに価値のあるものかが語られる。
木の家というのは、とても香りがいいのだそうだ。岸本さんはその話を聞いて、アロマセラピーのよう、と言っていた。よくよく考えてみると、最近流行りの人の心を癒すような香りや、環境というものは、木の家という昔のものに戻ることでもあるのかもしれない。湿気についての話も興味深いものだった。木の家というのは通気がよく、窓に結露が出るなんてことはないとのこと。カビが出たりもしない。ただし、季節などによって、隙間が出てきたりはするのだという。でも、こうした隙間というもの、実は木が生きているものだということでもある。木の家は生きていて、その中で暮らすことは、素晴らしいのではないかと。規格に定まったマンションとは全く別のものである。
価格が高いのでは、という話もあった。単純に比較をするなら、高い。けれど、何十年かのトータルで考えてみて欲しい、という話があった。実際に住んでいる人の話では、健康的で、気持ちの休まる毎日を過ごしているみたいなのだ。美味しく、安全な食べ物を楽しく食べて暮らすのと同じように、木の家での暮らしというものは、とても魅力的に感じられた。単純な価格の違いならば、明確な数値となる。しかし、こうした暮らしの価値観というものはなかなか数値にはなり難い。前半の岸本さんの講演というのが、とても重要なものであったことにこのとき気づいた。
シンポジウムの司会進行をやっていた人は建築家の松井郁夫という人だった。ウェブサイト(http://www.matsui-ikuo.jp/)を見てみると、「木組の家」というものがいかに素晴らしいから書かれてあった。本も出しているみたいなので、これも読んでみたい。
恥ずかしながら僕はこれまで、自分の家を建てる、ということを考えたことはなかった。でも、木の家で暮らすということが、身体の面でも、心の面でも、とても大切なことのように思えてきた。
それにしてもこの会、武蔵野公会堂パープルホールというけっこう広いところで行なわれたのだけど、かなりの空席だった。岸本さんがいたということだけでなく、有意義な話が多かっただけにもっと多くの人に聞いてもらいたいと思った。
◆
映画の街は
渋谷の街を歩く。実を言うと、どうにもこの街は苦手だったりしている。どこにいても、落ち着かない。まあ渋谷だってあちこちと広いのだけど。先日は映画を観るために、文化村の近くにいた。帰るときには道玄坂の方を通ってきたのだけど、やっぱり落ち着かなくてさっさと駅へと向かった。
考えてみると、よく来ていた。学生だった頃には毎週のように道玄坂の喫茶店に来ていた、なんてこともあった。仕事をしていたある時期も、この近くによく来ていた。当然、何度か酒を飲んだりしたこともある。しかし、楽しく飲んだという記憶はない。どうしようもないような青春の思い出なんてのがあるわけではないけど、相性のようなものかもしれない。
これだけ大きな街で、これだけ馴染むことができないというのも、何か寂しいと思ったのだ。現在の僕が考える渋谷という街は映画の街である。ミニシアター系の映画館がなぜかここには集まっている。新宿や池袋ではこうはいかない。銀座・日比谷にもよく行くが、渋谷で上映されるミニシアター系の映画には、なんというかややデープな独特な感じがある。
例えばこれが映画でなく演劇だったなら、下北沢という街が演劇とマッチしていて、とてもしっくりとくる。飲み屋も演劇と共通した雰囲気が漂う。けれど、渋谷は映画と街というものが、どうにもマッチしていないように僕には思えるのだ。銀座・日比谷は、とてもよくマッチしていると思うけど。
ビックターミナルの場所ではなく、下北沢のような大きさのところで(神楽坂なんかもいい)、映画の街と言えるようなところがあったら楽しいのにと思ったりする。大きなシネコンがあり、ミニシアター系の劇場が3つくらいあって、それに名画座があれば言うことはない。駅前には、いくつものあまりキレイだとは言いがたい焼き鳥屋さんがある。やはり無理な話なのだろうか。
◆ 本懐石を食す
一万七千円というお値段の懐石料理を食べた。もちろん自分の金である(笑)。まあ、いろいろと経緯があって、一度高い料理を食べてみるということになった。中途半端なことでは人生を歩んでいくことはできない。ということで、一番高いコースとしたのだ。まあ、もちろん世の中にはもっともっと高価なお値段のコースというのはあるのだろうけど。
池袋の東武デパートにある「京懐石 美濃吉」(http://r.gnavi.co.jp/g067042/)の「本懐石
北山」というコースを予約して店へと行った。少し前にこの店には入ったことがあったのだが、予約をするとなんだかとっても雰囲気が違っているような(笑)。座席の方へと案内されるままに歩いていく。入ったのは一番奥にある個室だった。脱いだ洋服はハンガーに掛けてくれるし、とってもお客様気分。それにしてもこの部屋は凄かった。障子を開けると、上から下までのガラス窓、池袋の夜景が眼に入るのである。まあ、正直なところビルの看板ばかりが目立って、仕事を忘れたりするような感覚はなかったが(笑)。
かなりの数の料理が運ばれてきた。あまり詳しいことは覚えていない。メニューを見ると、キャビアやスッポンなどもあったようだ。なんといっても美味しかったのは、最後の方に出てきたフグの雑炊だった。鍋の最後に食べる雑炊とは違ったものだ。プリプリした身がいっぱい入っている。フグというものがこんなに美味しいものだったのかと、僕は強く感じていた。
料理の味というものがわかるかと聞かれても自信を持った返事はできない。けれど、たまにはこうしたお値段の料理を楽しむことがあったもいいのだろうなぁ、なんて思ったのだった。こういうお店で懐石料理を食べながら、静かに本について語るオフ会なんてのも楽しいかもしれない。
■ 映画『オアシス』イ・チャンドン監督(http://www.cqn.co.jp/oasis/)[Bunkamuraル・シネマ]
僕が本格的に映画館で「韓国映画」というものを観るのはこれが最初だろう。
打ちのめされた。この映画の演技とかは別として、普通の映像ではあるのだ。けれど、そのなんでもないような景色が、聴こえてくる音の響きが、大きな意味を持って観る側に強い余韻を残す。本当にチカラを持った映画だ。
この映画に中途半端な感想はないように思える。仮に泣くとしたならば、号泣してしまうのかもしれない。泣かなかったならば、その一歩手前で強く止まっている状態なのではないか。
この映画の監督であるイ・チャンドンという人にはけっこう注目していた。少し前に読んだ川本三郎の『美しい映画になら微笑むがよい』にインタビューが出ていて、惹きつけるものがあったのだ。『グリーンフィッシュ』『ペパーミントキャンディ』という映画もぜひ観てみたいと思っている。
ところで、この映画のウェブサイトも僕はとても好きである。このところやたらフクザツな映画のサイトが多い。もちろんこの映画のサイトも多くの工夫はしているみたいだが、何かシンプルなものを感じさせてくれる。何度もこの音楽を聴いていたい気持ちになってくる。
◆ 魅惑のチャイナドレス
明らかにチャイナドレスを着ているであろう女性とデパートの地下のお菓子売り場ですれ違った。もちろん僕はチャイナドレス評論家でも愛好家でもフェチでもない。正確にそれがチャイナドレスだったと判断できるわけではないが、そのスリットから、そう判断するのが妥当だということだ。
彼女は、コートを着ていた。当然だろう。外は寒い。そのコートがまあ普通のコートだった。特別なコートがどういうものかと問われると答えようがないのだけど。なんで、これが僕の記憶から離れないのか。
想像して欲しい。
普通のコートの下に、長くスリットの入った赤のチャイナドレス。このドレスがいわゆるネグリジェに見えて仕方が無かったんだよね(笑)。よく見なかったならば、コートの下にネグリジェの状態に見えるのだ。コートの下が裸の方がまだ何となくわかるような気がする(わからないか)のに。
◆
神楽坂と街について
神楽坂でお酒を飲んだ。特に高い料亭に行ったわけではない。けれど、神楽坂で飲むというのは特別な雰囲気がある。新宿や銀座とはまた違ったものだ。入ったお店は「ろばたとぬる燗の店
肴町五合」(http://www.d-finger.com/top.html)というところ。まだオープンして間もないところ。メインとなる神楽坂の通りから脇道へと入って僕はこの店を探した。けれど見つからない。周りには、いくつかの飲食店がある。けれど、どこも小さい。飲食店でなかったならば、普通の住宅である。実は探していた店の概観というのは、全くの普通の家だった。入り口を見ると確かにお店の名前が書かれてあった。中に入ると、少しばかり古風な造り。土間という雰囲気だろうか。カウンターがあって、奥の方にはテーブル席があるのだが、その椅子は小学校で使っていたものと同じようなものだった。店員さんは、4、5人くらいはいたのかもしれない。けれど、小規模な店だ。それにしても、凝ったインテリアだ。大げさではないし、そんなにお金も掛かっていないのかもしれない。店の概観にしても特別なものではないし、まさに気持ちの入ったインテリアだ。
料理もちゃんとしたものを出してくれる。ひとつひとつ、こだわりのある料理のようだ。
餅に大根おろしの入った料理は絶品だったし、〆に飲んだ漁師汁(北海道バター入り)もたまらなく美味しかった。
どうしてなのだろう。なぜか、神楽坂にはこうした雰囲気の店が多い。池袋や渋谷では想像できなかったりする。この街にはどこにでもあるようなチェーン店の居酒屋というものをあまり見かけない。仮にあったとしても、やまり流行らないのかもしれない。それだけ、個性的な、気持ちの入った飲み屋が多く集まっているように思える。
東京のどこかでは、再開発という名前で大きなビルが建ち、レストランで多くの人が並んでいる。けれど、何か無理があるように思えてならない。例えば、サッカーを例に取るならフォワードの選手を11人集めてチームを作っているような。いい飲み屋というのは、まずは、しっかりとした戦術、テーマがある。そして、役割はそれぞれで、目立たない人もいあるだろうけど、しっかりとした仕事をしているのだろう。そして、地元、その街という場所に密着したものなのではないだろうか。
■ ビデオ『アンフォゲタブル』ジョン・ダール監督 [NHK-BS2]
主人公である検死官クレインは自分の妻を殺されている。簡単に言うと、彼はその犯人を自分で探していくわけだ。けれど、いろいろとフクザツな話があったりするわけだ。
途中から、「あれあれあれ……」と驚く展開になってしまった(笑)。この話はSFだったのだろうか。ワクワクドキドキでけっこう楽しめた。
わりと派手な仕掛けがこの映画のメインになっているのかもしれない。けれど、夫婦の関係というものが少しずつ明らかになってくるところが、とても興味深かった。離婚率の高いアメリカという国だからこその感覚というものがあったのかもしれない。
◆ 小さな通りの片隅で
ある街の小さな通りの景色が変わってしまった。もちろん、大都会と言われている東京という街は常に変化していて、消えていく建物はいたるところにあり、高層ビルは休むことなく建てられているけど。その小さな通りは数件のラーメン屋ができたことにより、賑やかになった。
その前までには、人通りが少なく潰れていく店もいくつかあった。バブルの頃には、高級料亭もあったらしいのだが、この数年はほんとうにバブルの後の時代を象徴しているような通りだった。このラーメン横丁と言われるところはテレビや雑誌などでも多く取り上げられているようで、日に日に店に並ぶ人が増えている。
その人の多さに僕はとても驚いた。その通りの並ぶ人のあたりを僕はずっと見ていた。
人間を見ていたのではない。昔からこの通りには猫がいたのだ。小さな小さな猫が何匹も身体を寄せ合って建物の隅にいた。この通りに店を構える人には、この猫たちに食べ物を与えたり、大切にしている様子だった。ときどき、猫を抱きかかえている人の姿を見たこともあった。正直なところ猫に興味のない僕には、その猫たちは特別な存在ではなかった。けれど、その通りを歩くときには、いつも猫たちは居たのだった。
このラーメン屋に並ぶ人の行列はいつまで続くのだろうか。猫たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
◆ 「UWF」スタイル
「PRO WRESTLING U-STYLE」というリングで田村潔司VS高阪剛の試合が行なわれた。2人の選手とも、PRIDEのリングではそれなりに名前も知られている存在である。高度なテクニックを持った日本人2人の対戦というのは、それなりに話題となってもおかしくはない。けれど、後楽園ホールで行なわれたこの試合に関してのスポーツ新聞などの取り扱いはとても小さなものだった。
僕はテレビでこの試合を観たのだが、何でもありのPRIDEルールとは違うU-STYLEというルールの持つ、レスリングの面白さに魅了された。PRIDEルールの試合というのは、どうしても覆いかぶさった状態から殴りつけるという、なんとも見るに忍びない状態というのが多い。けれど、U-STYLEルールというのはグランド状態での打撃は禁止であること、ロストポイント制というものがあるため、ロープに逃げることもでき、よりテクニックを競い合うゲーム的要素が強い。PRIDEがメジャーになる前には、UWF、リングスでこうしたルールでの試合が行なわれており、どちらかというとかつては主流だったものだ。
それにしても、どうしてPRIDEがあんなにもメジャーになり、この田村潔司VS高阪剛の試合は話題にならないのだろうか。大晦日に3番組もあるようなルールよりも、断然面白いルールで行なわれている魅力的な試合なのに。もちろん、売り出し方の問題というのは大きいのだろう。けれど、UWFからずっと見て来た者として、とても寂しいものがある。いつかU-STYLE的なルールはメジャーとなるだろう。そう信じている人は多くいるはずだ。でも、考えてしまう。メジャーになるものというのは、何処に理由があるのか。本質的でない部分に理由があったならば、少しばかり悲しいではないか。
◆ 丼もの
松屋(http://www.matsuyafoods.co.jp/)で豚めしを食べてしまった。別に後悔しているわけではないが(笑)、ついつい食べたわけである。牛丼があちこちの店で販売休止となったことで、どうにも他の丼ものが気になってしまうのである。キレイな女性がいたならばどうしても気になるように、なんとも気になる。まだ食べていないが吉野家(http://www.yoshinoya-dc.com/)のカレー丼、マーボー丼なんかも食べてみたいと思っている。
たぶん、牛肉だけでなく、鶏肉も当分は何だかんだと今後も問題はあるような気がする。いっそのこと、これまでになかった全く新しい丼メニューを作ったら楽しいのではないかと思うのだ。今のワカモノ向けには、マヨネーズ丼なんて受けるのではなかろうか。ラーメンが上に乗ったラーメン丼なんてのもバカにはできないかもしれない。
◆ アジア映画の輝き
もう始まってしまっているのだが、池袋の新文芸座(http://www.shin-bungeiza.com/)で、2/28(土)〜3/12(金)まで「アジア映画の輝き」という特集がある。ほんとうに、ワクワクするようなラインナップである。そう言えば僕はこの映画館で『北京の天使』という中国映画を昨年の1月に観て、それから中国映画の素晴らしさのとりこになったのだった。中国映画だけでなく、韓国映画やイラン映画も気になってきている。ぜひ、何回かは観に行きたいと思っている。
ところでこの「新文芸座オフィシャルサイト」を見ていて、面白いコーナーがあるのを発見してしまった。巻頭コラム集というところで、上映スケジュールリーフレット「しねういーくりい」に掲載されたコラムを読むことができる。これがけっこう面白いのである。映画を愛する気持ち、そして映画館というものを運営していく側の胸の思いが伝わってくる。こういう映画館があるのは、嬉しいものだ。
◆
悩みを語る
最近観た少し古めのアメリカ映画で、教会で懺悔するシーンというのがあった。小さな箱のような個室に入り、自分の犯した間違いについて語り、許しを請うのである。古い映画でなくても、アリー・マクビールも懺悔していたっけ。
そうなのだ。ふと思ったのだけど、こうして自分の過ちを語るというのは、ある意味でカウンセリングなのではないだろうか。アメリカ映画の中での、教会での懺悔する場面とカウンセリングを受けている場面に、あまり大きな違いを感じなかったのだ。ある意味で、特別なことではない、普通の日常の行動のひとつとして、その場面が登場する。自分の悩みを語りだす。ほんとうに、心から。
内情を知らない僕が言ったら怒られるのかもしれないけど、同じものが、別の形になっているだけに思えてしまって。
日本ではどうなのだろうか。居酒屋で悩みを語ったり、給湯室でのトークが、ひとつの表現の仕方なのだろうか。
◆ サザエさんと小津映画
フジテレビのアニメ『サザエさん』を見ていてふと思ってしまったことがある。実は、このアニメの中で描かれている世界と、小津安二郎の映画の世界とはかなりの共通点があるのではないかと。定番と言えるような、茶の間の風景。磯野波平と笠智衆の笑顔。東京物語に出てくる子役だって、カツオとそっくりだ。そして何よりも、どちらも家族の普遍的な愛情というものを描いている。それは時代や国境を越えたもののはずだ。
日本のアニメというのは、世界的に大きな評価を得ているという話をよく聞く。けれど、この「サザエさん」が素晴らしいという海外からの評価はあまり聞かないような気がする。あまりにも高い小津安二郎の海外からの評価。そして、日本のアニメ。だったら、「サザエさん」というのは、富士山よりもスシよりも、ゲイシャよりも、キタノよりもミヤザキよりも、ずっと有名になっていいのではないだろうか。原作者の長谷川町子は国民栄誉賞まで受賞しているのである。僕はぜひ「サザエさん」劇場映画を作って欲しいと思う。世界へ羽ばたいて欲しいと思うのである。
◆ 僕と彼女と彼女の生きる道
「北島さん」と主人公は相手の女性のことを呼ぶ。娘の家庭教師という関係なわけで、こうした呼び方は当然ではあるのだけど、この響きがとてもいい。馴れ馴れしくなく、相手のことを尊重して、それでいて静かな愛情がこもっているような。
フジテレビで放送さてている『僕と彼女と彼女の生きる道』(http://www.ktv.co.jp/bokukano/)は次第に僕にとって特別なドラマとなってきた。最初はただの、寝る前にぼんやりと見るちょっといい時間だけだったのに。このドラマの進行と同時期に僕も会社を辞めるということになった。理由はそんなに格好のいいものではないし、彼のような仕事のできるエリートではない。しかし、彼が父親を見て生き方について考えるところなどは、見ていてどうしようもない気持ちになってしまった。
それにしてもこのドラマって凄いよね。たぶん前にあった『僕の生きる道』の後番組ということで作られたものだと思う。それが、見事にテレビというメディアを効果的に使って「生きる道」を表現しているのだから。
■ ビデオ『ジャイアンツ』ジョージ・スティーヴンス監督 [ムービープラス]
さすがに評価の高いだけのある、アメリカの大河ドラマだった。3時間半ほどの長い物語なのだが、ほんとうに満足して観ることができた。
この映画で感じたことは、どこの国も同じなんだな、ということだ。時代は流れていく。若者は、前の世代を時代遅れだと詰ったりする。愛し合って一緒になった夫婦だって、考え方は違い、諍いがある。
そして、少しばかり、アメリカという国をわかったような気もした。広い広い牧場がこの物語の舞台である。牧場と言えば、緑の草木をイメージするところだ。けれど、このテキサスの雄大な自然というところは枯れた土地がとにかくどこまでも続いている。その中に家がぽつりと建っている。ほんとうに寂しい景色なのだ。悲しいくらいに。
そうした世界の中、ジェームズ・ディーン演じるジェット・リンクが石油を掘り出したことから、この物語が急展開していく。
現代の中東と関係するアメリカの問題。実はこの映画にその本質が隠されているのではないだろうか。そんなことを考えると、このタイトルがまた意味のあるものに思えてきた。
◆ 定期券
いつもいつも通勤のために定期券を買うときに感じていたことがあった。少しでも安くあげようと6箇月の定期券を買っていたのだが、そのときに「あと6箇月はなんとかこの毎日を続けるのか」と、ある意味で自分自身への確認のような、励ましのような、自分でもよくわからないような感情があったのだった。もちろん定期券というものは途中で解約をしてある払い戻してもらうことは可能ではあるけど、自分の中ではこの日数をまっとうしなければいけない、という気持ちを持っていた。
ひと月ほど前に僕は1箇月の、新しい定期券を買った。そして先日その最後の日をも終えてしまった。
そのときに僕が考えたのは、「また定期券を使う生活をするのだろうか」という漠然とした思いだった。クルマや徒歩でんぼ通勤でなければ、普通は定期券というものを常にどこかに持っている。一週間のうちの5日か6日というほとんどを、同じルートを通っての毎日を過ごす。特別なことではない、きわめて普通のことだ。
何はともあれ、定期券一枚分、僕の身体は軽くなった。もう少し体重を減らそうと前から思ってはいるのだけど。もう少し時間が経つならば、この軽さが意味を持つものかのかどうなのか、もう少しは深く感じるのかもしれないが。
◆
職場でのインターネット
ドルフィンホテルだけに限ったことではないかもしれないけど、平日と土日とではアクセス数が大きく異なる。断然、平日が多い。詳しいところまで分析しているわけではないが、会社から見ているという人が多いようなのだ。仕事中に、私用でインターネットを利用する。かつて製造業にいた僕には考えれないことだった。もちろん、今は良いことだと思っているが(笑)。
真面目な話、僕が昔在籍していた製造業のとある会社では、使用電話は取り次いでもらえなかった。大学に残っていた友人が、会社に電話をしてくれたときに、代表電話のところで取り次ぎできないと断られてしまったのだという。まあ、笑い話ではあるが、会社の方は正しいことをやっていると信じているみたいだった。少しやわらかな話では、東京にある親会社で数年間仕事をしていた人間が会社に復帰したときのこと。親会社の友達とファックスでスキーの打ち合わせのやり取りをしていたら、えらく怒られてしまった、なんてことがあった。多少の注意はあるのだろうけど、そんなに怒らなくてもね。まあ、有給休暇を取るのに理由が必要で、その理由も病気と冠婚葬祭と農作業以外はダメだったというところなので、今になって考えてもすごいところだったのだけど。
東京に来てからは全く逆の雰囲気に僕は驚かされる。とてもキレイなキャリアウーマンという雰囲気の女性が長電話をしていた。トータルで30分は話していたと思う。別に聞こうと思わなくても隣の席だったので耳に入ってきたのだが、海外旅行のチケットの手配その他の電話をしていたのだった。もちろん仕事とは全く関係のないプライベートである。仕事でとある一流企業に行っていたときなんて、勤務時間中にまったく関係のない雑誌を見ている人なんて山のようにいた。勤務時間の終ったならば冷蔵庫からビールを持ってくるし(笑)。
でも、こうした場面を見て、「ああ、いい加減に仕事をしているんだな」なんて思ったことは一度もなかった。やるときにやればいい、という雰囲気がけっこうあったからだ。チケットの手配をしていた女性だって、仕事を始めればその集中力たるは凄いものだった。
細かなことに捉われないで仕事をしていくというのはなんて素晴らしいことなんだと思い、僕も実践して仕事中にせっせとサボるようになった。こっそりとフリーセルなんてやったことでパソコンも詳しくなったような気がするしね。
でも、こうした雇われている側とは違う意見も耳に入ってきたりする(笑)。知り合いで事務所を経営している人がいるのだけど、従業員の仕事時間中のインターネットさぼりをとてもとても嘆いていた。従業員の帰ったあと、履歴を見ればすぐにわかってしまうわけだからね。時給で給料を払うことを考えた場合、仕事のためのパソコンでドルフィンホテルを見ていたりするならば、やっぱり考えるかもしれない。
ということで皆さん。履歴は毎回クリアすることにしましょう。「仕事中にドルフィンホテルなんて見ているじゃない!」と怒る上司がいたとしても、「インターネットの履歴を消すんじゃない!」なんて怒る上司はいないと思うからね。
■ 映画『ラブ・アクチュアリー』リチャード・カーティス監督(http://www.loveactually.jp/)
[池袋シネマサンシャイン]
いやいや、最高に面白かった。楽しい楽しい。今年のクリスマスには、映画館はもう一度この映画を上映するべきだと思う。絶対に人が入るよね。『ノッティングヒルの恋人』『ブリジッド・ジョーンズの日記』の制作スタッフである「ワーキング・タイトル」というのは、なんだかスタジオジブリみたいに思えてきたよ(笑)。
多くの登場人物が出てきるということで観る前は少し不安だった。そのフクザツな相関関係をちゃんと理解することができるだろうかと。しかし、そんな心配は不必要だった。ああ、こういう人が身近にいるようなぁと、登場人物の全ての人に親しみを感じることができるのだ。この映画の中には、ほんとうに素敵な恋愛の場面がいくつも詰まっている。しかし、メインとなるものは観る人にとって、それぞれだと思うのだ。
実は僕は、マークとジュリエットとの場面に打ちのめされてしまった(笑)。まあ、恋愛というのはすべての人がうまくいくものではない。この映画でも、いろいろあるのだ。そうした中、みんな頑張っているのだと思わせてくれるではないか(笑)。ジュリエットって、いいよね。ああ、マークはきっとB型なんだろうな。アメリカに行こうかな(意味不明)。
そして、サラという女性もいい。どこの職場にでも、こうした人がひとりいるような気がするよね。
それにしてもイギリス映画が凄いのか、監督・脚本のリチャード・カーティスという人が凄いのか。感激の映画だった。
◆ 女神たちのカフェ
NHK衛星第2で放送されている『女神たちのカフェ』(http://www.nhk.or.jp/megami/)という番組がすごくいい。2月8日に「純愛、しますか?」という特集で放送されたのだけど、これまでにないトーク番組だった。カフェの中にいろいろなゲストがいる。あるテーブルの語らいがある。他のテーブルへと移る。なんと、話をしている後ろからの映像もあったりする。背中が語っているのである。本当に、本音で純愛というものについて、カフェでくつろいでいるように話をしていた。この番組の次回の放送は4月17日ということになっている。定期的に放送されるのだろうか。よくわからない。まだまだ手探りの状態なのかもしれない。とても魅力的なコンセプトなので、ぜひ総合でも放送されるようになって欲しいくらいだ。今の女性のニーズを的確に捉えていると思う。そうしたセンスに溢れている。たぶん、岸本葉子さんもゲストのメンバーに加わるのではないかな、なんて想像したりもする。
◆ 包丁を研ぐ
包丁を研いだ。そんなにちゃんとやったわけではないが、ほんの数分、少し右足を引いてそれなりに真剣に研いだ。あまりにも包丁が切れなくなったもので、必要に迫られたといたのだ。ヘタクソな包丁研ぎでもそれなりに切れ味は良くなった。キャベツはすいすいと切れてしまった。嬉しい。晴れ晴れとした気持ちになってくるではないか。包丁だけでなく、たまには僕の頭の中も研いでやれば切れ味は良くなるのでは、なんて思ってしまう。
しかし、人生とは切れ味の良いことが幸せなことだとは限らない。
調子に乗った僕は指を切ってしまう。ちょっとしたかすり傷のようなものだが、血が流れてきた。切れない包丁のときにはこんなことはなかったのに。
とまあ、包丁と人生について考えていたところ、友人が左の親指に包帯を巻いていた。なんと、ブランドものの包丁を買って使ったところさっそく切ってしまったのだという。なんと6針も縫うほどに……(ぶるぶる)。僕だったらもう包丁を持たないのでは、なんて思ってしまった。主婦のみなさんはなんと偉大なのだろうか。
■ ビデオ『マジェスティック』フランク・ダラボン監督 [WOWOW]
この監督の『ショーシャンクの空に』も『グリーンマイル』も楽しんで観ていたので、この映画も疑うことく観ることができた。ある意味で、お決まりのパターンのような気もしないでもないけど、それでもいいのである。映画を観て、幸せな気持ちになる。大切なことがいっぱい詰まっているのだろう。
特にこの物語、手紙が重要な存在となっている。小説なんか手紙が効果的に使われると嬉しくなるのだけど、この映画の場面は、ぐっとくる。手紙って凄いな、と思わずにはいられない気持ちにさせてくれる。
◆
言葉
日本代表の長嶋茂雄監督が脳梗塞ということで入院した。テレビのニュースではかなり大きく取り上げられていた。多くの人のコメントが出ていた。
「早く元気になって」とい願いの声が多い。
もちろん、気持ちはわかる。僕も体調を悪くして、「早く元気になって」と言われることは多い。こうした言葉について、ちょっと違うのでは、と正直なところ思ったりしている。気持ちをこめて言ってくる人に対して、ある意味でとても失礼なことになってしまうことは十分にわかっているつもりだけど。気持ちはとても感謝している。それとは別の、微妙な気持ちのところを書いてみたい。
王監督のコメントで「今は休めということなのでしょう」というものがあった。僕はこんな風に言ってもらうのが嬉しいのではないかと思った。僕は医者でもないし、こうした問題についての専門家でもない。しかし、僕だったらということだ。
脳梗塞の原因になるもの、そのひとつの中にストレスというものがある。脳梗塞という病気以外でも、ストレスが関係している病気というのはけっこう多いのだと思うが。つまり、薬を飲んだり、いろいろな治療というものがあったとしても、このストレスをいうものを少しでも減らすなりしていかなければならないはずなのだ。頑張れば早く治るというものではないはずだ。
「早く元気になって」という言葉は、やっぱりストレスになると思うのである。自分のことを心配してもらったのならば、ちゃんと相手に返したい。心配しないでもらえる状態に、元気になりたいのだ。できるだけ早く。けれど、この「早く」というのは難しい言葉だ。ストレスになってしまうのではないか。「オリンピックまでに元気になろう」というような期限を定めた状態で元気になろうとしたって、ストレスのない状態、休まる状態にはならないはずだ。
「早く元気になって」ではなく、「ゆっくりと元気になって」という言葉はないのだろうか。
誤解して欲しくないのだけど「早く元気になって」ということが悪いと言っているわけではない。普通に友人とかに言われたならば、何もどうのこうのと言うことではない。
けれど、長島茂雄監督への多くのコメントをテレビのニュースや活字となったもので見ると、ちょっと考えてしまうのだった。
■ ビデオ『男はつらいよ・寅次郎の青春』山田洋次監督 [テレビ東京]
満男クンはガキぽっく描かれているのだけど、人生についてわかってきているのだよな。ふむふむ。だんだんと寅さんのことがわかってきているみたいなんだよね。この後、数作でシリーズは終ってしまう。
寅さんはこのままずっと旅をした暮らしで終ってしまうのだろうか。旅をしない寅次郎は寅さんではないのだろうし。答えのない答えを永遠に探しているような気さえしてしまう。もちろん、そうやって旅をしていくことこそが、人生というものなのかもしれないけど。
テレビ東京での「男はつらいよ全48作」という企画はこの3月末で最後の作品となる。終わりというのは、ひとつの始まりだと言われる。新しい出会いというものがあるのだろう。
◆ スターバックスの謎
スターバックスに入った。池袋ジュンク堂の隣にある比較的空いている店なのだが、注文したとき店員さんは「お待ちになりますが」と言った。僕はショートのホットココア(いつも注文します)を持って2階へと上って行った。確かに満席だった。ひつとだけ椅子のないテーブル席があるので、僕はそこでジュンク堂で買ってきたばかりの本を読みながら席の空くのを待った。
数分したところで奥のソファー席を立つ人がいたので、僕はその席に座ることができた。ちなみに、スターバックスのソファー席に座ったのは生まれて初めてのことだった(笑)。
たぶん、ほとんどのスターバックスのソファー席が同じだと思うのだが、当然のように自然に合い席となる。僕の座った後には、向かい側の席にとてもキレイな女性が座ることになった(ちょっとドキドキ)。小さなテーブルは共有することになる。「こちらよろしいですか?」なんて聞くことはない。たぶん、何度かこの店に来ているが、暗黙のルールのように思える。例えばこれがルノアールだったなら、こうしたことはないだろう。
しかし、テーブル席だったなら、2人が向かい合うテーブル席でも、1人が座ったならばもう片方には座ってはいけないような雰囲気があったりする。まあ、混んでいるときには、声を掛け合って座ることもあるみたいだが。
なんというか、この微妙な感覚が面白いのだ(笑)。同じような店は他にもあるけれど、スターバックスだけが何か感覚が違うように思える。トイレだって男女共同なのだ。普通は女性の方が嫌がるのではないか。なのに、男女共同トイレの方がオシャレに感じてくる。
◆ 木組の家
木組の家というものを、このところ良く考える。先日シンポジウムを見たということがあり、興味が出てきたのである。実際に自分が木組の家を建てるかというと、遠い夢のようではあるが。一般の家ということではなく、木組の建物というものがもっとあったらいいのに、と考えているのだ。
例えば、老人ホームなど、ぜひ木組の家であって欲しい。木ということで当然高層の建物ではない。大きな建物にもならないのかもしれない。東京という場所には似合わないのかもしれないけど、仮に僕が将来老人の施設に入らなければならないとしたら、コンクリートのビルの施設ではなく、木組の家に住みたいと思う。ただ単に住みたいという気持ちだけでなく、そうした木組の家に住んだならば元気な老後を過ごせるのではないかと思う。
木組の建物の病院があったならば。現実的であるかどうかは別として、そうした建物に入院したのであれば治りは早くなるような気がする。
木組の建物の学校だったならば、最近の校内暴力の問題なども無くなるのでは。まあ、よく考えると僕の通っていた小学校は木組だった(笑)。鉄筋コンクリートの校舎に移るときには喜んでいたのは事実だし、その違うが何なのかというのは難しい。けれど、最近の多くの社会問題といのは、意外とこうした建物というものに原因があるように思ったりするのである。
■ デニス・ルヘイン著『ミスティック・リバー』(ハヤカワ文庫)
映画がとても面白かったということで、本も読んでみようと思った。映画の短い時間の中では描かれていない登場人物の横顔を見てみたかったのだ。
それにしても、映画はとてもうまく作られたな、という感想を強く持ってしまった。本と映画というものは当然のように違うものだ。本で書かれた世界を映画という別のものに表現するということはとても難しい。ところが、映画『ミスティック・リバー』(http://www.warnerbros.co.jp/mysticriver/)はかなり凄い。小説以上に、登場人物を深く描いていたようなところも多かったように思えた。特に終盤のところなどは、本よりも映画の方が僕は好きだった。
本を読んで感じたことに、野球という存在がいかに大きいかというものがあった。映画でもメジャーリーグの試合がテレビで放送されていたりする。本では、デイブ・ボイルが学生のときに野球の花形選手だったと書かれている。ある意味で、メジャーリーグのプレーヤーは自分の夢を体現している存在である。女性がプロスポーツというものをどのように見ているかはわからないが、多くの男性にとって野球などのプロスポーツというのは、単なる娯楽ではない。自分の生き方にも関するもののはずだ。テレビ画面を通して、成功した人達のプレーを見ることが自分の夢であり、行きがいでもあったりする。少年の頃に、大人になったらと思う気持ち。大人というものになり、社会の現実と直面しての気持ち。こうしたものが3人の登場人物の立場と絡まり深い物語となっていく。どういう仕事をしているかだけではなく、夫婦の関係というものも3人3様の世界が描かれていた。
映画ではわからなかったが、刑事であるショーンの妻であるローレンは出会った頃「演劇と、本と、映画に打ち込んでいた」という人だった。どちらかというとショーンは本を読むようなタイプの人物には感じられない。こうしたところでも、映画とは違った2人の感情というものを感じることができた。
総合的に言うと、映画は(時間の関係上仕方がないのだけど)描ききれなかったところに不満が残り、本の方は心理状態の説明が多すぎるのではないかなというところが不満だった。でもまあ、不満とは言っても映画も本も、これだけ面白ければ十分に満足。最新作の『シャッター・アイランド』をどうしようか悩んでいるところ。この噂の本って、袋とじなんだよね。ああ、袋とじというとなんだかドキドキしてしまう(笑)。
★小特集 ふぐを食す ★
ふぐのコースを食べた。このところ幸運にもふぐが僕に近づいてきてくれている。全国的に比較的安くふぐ料理が食べられるようになっているようだが。とにかく、あまり食べない料理を食べるというのは楽しいものだ。コース料理を食べるの2回目ということで落ち着いてその味を感じることができた。何事も初めてというのは、新鮮さはあるけれど、何がどうだかはよくわからなかったりするものだ。
両国にあるとあるふぐ料理の店に入り、で4980円のコース料理を注文する。
お通しのような感じで最初に出てきたのは「皮刺し」というもの。コラーゲンたっぷりという噛みごたえのあるもの。たぶん、食べるたびにこうした料理は好きになっていくような気がする。そういえば、デープな焼き鳥屋とか台湾料理などでも内臓系の食べ物があったりする。少しコリコリした感じものだ。味はもちろん違うけれど、食というものを追求していくと、こういうところに行くのかもしれない。
僕の食べ物の好みというものも年齢と共に変わってきている。この脂っこいものよりも、以前は苦手だった少し酢の物系の料理を美味しいと感じるようになってきているみたい。
「皮刺し」というのは大人の味なのだと感じながら、ウーロン杯を飲むのであった。
次に出てきた料理は泣く子も黙る(笑)「泳ぎてっさ」。お皿に丸くキレイにならべられたお刺身である。2、3切れを一気にとり、豪快に食べる。ひとりに一皿あるのが安心できてとてもよい(笑)。テレビの料理番組などで大きなお皿にもられたふぐなどを見ると、何人かが最後に遠慮しあったりする場面を想像してしまうのだ。あまり時間が経ってしまうと、やはり美味しくなくなってしまうし。
僕の魚の好みでは、どちらかというと青魚だったりしている。でも、こうした刺身も美味しいものだと、ちゃんと感じることができた。その感触は当然のことながら他の魚にはないもの。ちなみに僕はイカの刺身にはうるさいが(昔日本海側に住んでいたことがある)、そのことから考えるならば、ふぐに魅了される人の気持ちというのもわからなくもない。たぶん、何度もふぐを食べていくならば、美味しさの違いというもの深く感じてくるのかもしれない。でも、どんどん好きになってしまうと、ふぐの地元の天然ものを食べたくなってしまうのだろうな。
そんなこんなで次は「とらふぐ唐揚」である。これは店に入る前から楽しみだった。ひと昔前、居酒屋に入ったならば必ず鳥の唐揚を食べたものだった。やわらかくジューシーな唐揚というのは何を隠そう好物なのだ。この「とらふぐ唐揚」というのは、繊細な味なのである。鳥が男性であったならば、ふぐは女性という感じだろうか。口に入れたときの感触には、やさしさがあるのだ。値段は高いけれど、それだけのものはあるのだと、しみじみと噛み締めて食べた。
そして、メインと言える「泳ぎてっちり」へと移る。紙の鍋が用意される。最初にこの紙を見たときには、頼りない雰囲気だったのだが、こうした1枚だけのシンプルさがふぐの美味しさを引き立たせるのだと思うようになった。


ふぐと野菜が運ばれてくる。ぶつ切りにされたふぐはピクピクと動いている……。それを見て、美味しそう、と感じるまでには至っていないが(笑)、まあそれだけ新鮮なのだろう。この骨付きのふぐの身を入れ、野菜を入れる。薄く切られているふぐの身は、しゃぶしゃぶのような感じで軽く鍋に入れて、すぐに食べる。その身の美味しさを感じることができた。ちょっと辛めのポン酢のタレも美味しい。実は僕は鍋料理は白菜と豆腐が大好き。これもなかなかいい味だった。そして骨付きの身をしゃぶるように食べる。料理の仕方によって、その感触はいろいろと変わるものなのだと関心しながら食べた。
けっこうお腹がいっぱいになってきた。しかし、この後の雑炊というものが、実はメインでもある。コンサートのアンコールようなものなのだろう。店員さんが手際よく作ってくれるのだが、その慣れた仕事をぼんやりと見ているのも楽しかったりする。他の強い主張を持った魚の出汁とは違うのだろうが、やっぱりふぐなのだとその美味しさを感じることができたと思う。それにしてもお腹がかなり膨らんだが(笑)。
最後にアイスクリームが出てきたのだが、ちょうど食べたいものが出てきたという感じだった。ほんとに、コース料理を食べた、という満足感でいっぱいだった。
実は改めて数えてみると、料理の品数というのはそんなに多くはない。けれど、時間は2時間半近く掛かってしまっているのである。どうしてかはわからないが、他の料理を食べるときとは、時間の感覚が違っているように思える。
しかし、ふぐというのはとても幸せな魚なのではないかな、と後になって考えている。たまに、マグロ料理の店というのもあるみたいだが、ひとつの食材だけで店が成り立つというのは他にはそんなに無いように思える。イカ料理の専門店があってもいいし、カツオ料理の専門店があってもいいと思う。それがふぐ料理だけが、全国のあちこちに店があるのだ。もちろん、ふぐにも辛い時代というものがあって今に至っているのかもしれない。東京では最近になって店が増えてきたばかりのよう。安く、美味しいふぐが食べられるように、元気に泳いで欲しいものだと思ったのだった。