DOLPHINHOTEL
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DOLPHIN HOTEL 読書夜話2004年3月

All you need is love 2004/3 #1 

2004/3/15 
◆ ライバルの出現
 僕は毎朝、納豆を食べている。ドルフィンホテルは納得のパワーで出来上がっているといっても過言ではない。納豆を食べること、それは「納豆を混ぜる」という作業が伴う。どのように美味しく、効率的に納豆を混ぜるかというのは、重要な問題なのである。このことを軽視してしまったのならば、日本の未来は無い、そのくらいに僕は考えている。
 これまで、「なっとうの友 納豆スティック」(http://www.wahei.co.jp/mein-web/kitchen/nattou.html)というものを使って納豆をかき混ぜてきた。箸で行なうよりも簡単で、強い粘りとなるのだ。表面の凹凸が特徴的で、その素晴らしさに僕は毎朝、感動していた。
 つい先日のことだ、スーパーのキッチン用品売り場をウロウロしていると、ある製品が目についた。よく見ると、「納豆ネーバー」(ウェブサイトは探したけどまだ無かった)と書かれている。「なっとうの友 納豆スティック」の協力なライバルの出現だった。「楽々タップリ糸が立つ」「粘り、出します!」「この形状がポイント」などの言葉は、僕を惹きつけるものだった。
 当然のように僕はそれを購入し、部屋に帰ってすぐさま試してみることとなった。
 特徴はとにかく、その形状にある。凹凸という概念はない、箸と同じように二股の棒という概念もない。小さなヘラのようなものなのだが、外側に少しばかり出っ張りのようなものがある。実はこれが凄いものだった。かき混ぜるとすぐにわかるのだが、納豆を内側に包んでくれるような感覚がある。納豆ステックではどうしてもかき混ぜると納豆が外側に流れるような感覚があった。それをヨイショヨイショと内側に持ってこようという気持ちが必要だった。納豆をかき混ぜるということは、そういうものだと思っていた。ところが、この「納豆ネーバー」は自然に納豆は内側にまとまってくれる。ほんとうに、簡単にかき混ぜることができた。いい粘りだ。
 さて、僕の厳しい両者の比較評価になるが(笑)、「なっとうの友 納豆スティック」は納豆だけをかき混ぜるのに優れていて、新製品である「納豆ネーバー」は納豆以外と一緒にかき混ぜるのに優れているように感じた。

 生きていて思うことは、いいライバルの存在こそが、大きな成長を促してくれるということである。全日本プロレスと新日本プロレス、サッカーの日本と韓国、VHSとベータ(ちょいと古いけど)、などなど。
 納豆ネーバーの出現で、納豆グッズはより高度な戦いの世界へと進んでいくのではないだろうか。多くの人の健康、幸せに関係する、画期的なことだと僕は考えているのであった。

■ ビデオ『戯夢人生』ホウ・シャオシエン監督 [NHK-BS2]
 台湾映画である。日本植民地時代の台湾がこの映画では描かれている。そう言えば、かなり前のことだがこの監督の『悲情城市』を映画館で観ていることを思い出した。
 残念ながら、この監督の静かな雰囲気は僕にはあまりピンと来なかった。話がよくわからなかったのだ(笑)。もう少し時間をかけたところで、再チャレンジしたいと思った。特にこの映画の背景である日本植民地時代の台湾というのはとても興味深い。
 でも、映像は素晴らしい。暗い部屋の雰囲気の映像は独特のものがある。僕の好きな世界だ。暗い中に走る光というものを感じるのが。

◆ ドキドキの勝利へのプロセス
 このところテレビでワールドカップフランス大会アジア地区最終予選の試合の映像がよく流れる。ドイツ大会への予選が始まったので、前のときの予選がどうだったかを振り返ってのものだ。確かに厳しいものだった。1997年の秋。僕はそれぞれの試合をよく覚えていたりしている。新聞の「更迭」も文字を見たときは、はじめて「こうてつ」という読み方を知ったときだった(笑)。選手達はみんなボロボロになって戦っていたように思う。「絶対に負けられない戦い」をいくつも落とし、何度もダメかもしれないと肩を落とした。たぶん、50年くらい後になっても、あの予選の時は凄かったなぁと語ることができそうである。でも、あの時のドキドキで寿命がいくらか縮まってしまったとは思うが。
 ドイツに向けての予選はどうなるのだろうか。メインとなる大会の本選よりも、予選の方がずっと面白いんだよね。
 ところで、他人の恋愛話というのも、これと同じだろう。幸せな結婚生活の話なんて、聞いていても何も面白くない。幸せいっぱいの家族の写真とかもちょっと見て終ってしまう。けれど、トラブルの連続する恋愛話は聞いていて面白い。もちろんあんまり大きな声で面白いとは言えないが、聞きたくなってしまうのである。
 そういう意味で、今回のワールドカップの予選もけっこう面白そうな気がしている……(怒られそうだけど)。

■ 映画『しあわせな孤独』スザンネ・ビエール監督 (http://www.gaga.ne.jp/shiawase/)[Bunkamuraル・シネマ]
 デンマーク映画というものを初めて意識して観たような気がする。ハリウッドの映画とは全く違ったカメラワーク、シュールな映像というのは、はまってしまう人はどうしようもなく好きになっていくのではないだろうか。
 それにしても、けっこうハードな物語だった。恋愛といっていい感情なのだろう。理屈や道徳では言い表すことのできない、どうしようもなく惹かれあってしまう男と女の世界があるのかもしれない。観終わってからも、かなり余韻が残る愛についての物語。凄いです。

◆ 夜話新企画
 少し考えていることがある。新しい企画である。まあ、構想があっても実現しないことが多いのだけど(笑)。
 どういうものかというと、リクエストに答えてちょっとした夜話を僕が書くというものだ。リクエストしてくれた人は主人公になるわけだけど、当然のように美化されます(笑)。仮に別れ話だとしたら、100%相手の方に非があることになります(笑)。いいでしょう。僕は、僕の読書に関する夜話を書いているわけなのだけど、実は読んでくれる人にも、それぞれに多くの物語があるはず。そうしていくことで、もう少しこの夜話も成長していくことができるかな、と。
 まあ、もう少しわかりやすく言うと、ネタに詰まっているので何か面白い話を提供してもらえたら、ということなのでした。

◆ 映画雑誌を買わないということ
 この1、2年、ほんとうに映画が好きになってきた。書店でも、映画に関しての本が気になるようになってきた。しかし、そうした僕の感情で不思議に思うことがあった。映画の雑誌というものにはまるで関心がいかない。パラパラと見ることはたまにあっても、じっくりとその記事を読むことはない。ましてや買おうとは思わない。本に関する情報の書かれた雑誌、例えば「本の雑誌」や「ダ・ヴィンチ」なんかだったら買うこともあったのに。
 よく考えると、僕は事前の情報というものを仕入れたくないのだと思う。映画では予告編でそれなりの内容もわかってしまう部分もあるが、詳しい話は聞きたくない。できれば、予告編もなしで観てみたいとさえ思う。先がまったくわからない感覚というものがいいのではないかと思う。
 そして、観終わったあとで、その映画評に接したい。
 例えば、ひと月に僕の観終わった映画だけが取り上げられている映画雑誌があったならば、すぐにでも買ってしまうかもしれない。ところが、映画雑誌というのはそうではない。まあ、現実的には無理なのだが。
 しかし、映画雑誌というのが、中途半端な存在になっていると感じているのは僕だけなのだろうか。映画を観る前の事前情報としての存在なのか、観終わってからその映画をより深く感じるためのものなのか。雑誌の作り手だけが後者の感覚で作っていて、これから映画を観る人のドキドキする感覚を消してしまっているように思えるのだが。

■ ビデオ『ハイロー・カントリー』スティーヴン・フリアーズ監督 [ムービープラス]
 第2次世界大戦後のニューメキシコが舞台。古き良きアメリカから、資本主義のギズギズした雰囲気へと変わっていくような物語なのだろうか。こうした時代というものが背景にあり、仕事や恋愛のドラマがある。
 アメリカという国のイメージというと、子供の頃にみた『大草原の小さな家』だったりしている。暖かな家族を大切にする国だ。たぶんこれは僕だけではないと思う。けれど、今のアメリカという国を見ていると、どうもそんな風には感じられない。少し前に観た『ジャイアンツ』もそうなのだけど、この『ハイロー・カントリー』という映画も、そうした境界線にあるような感じを受けてしまう。
 例えば、中国映画などで表現されているテーマ、背景というものと似たようなものかもしれない。
 このくらいの時代を舞台としたアメリカ映画というのを、もっと観てみるものいいかもしれない。

■ 映画『息子のまなざし』ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督 (http://www.bitters.co.jp/musuko/)[ユーロスペース]
 ベルギー・フランス合作のかなり評価の高い映画である。かなり不思議な映画だった。ひょっとしたら退屈だと感じる人も多いかもしれない。ドキュメンタリーのような雰囲気で静かに物語は進んでいく。長い時間の話ではない。ほんの数日の出来事だ。観ていて途中で不思議なことに気がつく。たぶん、この映画は音楽がないのだ。僕が気づかないだけでどこかにあったのかもしれない。しかし、音というのは舞台となる木工訓練所などで聴こえてくる作業をしている音が静かに響くくらいだったりしている。
 観るものの期待、映画というものの概念のようなものが、壊されていくような気がする。こうした映画があるのかと、時間が経ったところで考えたりしていた。
 正直言って、どのようにこの映画について書いたらいいのか悩んでいる。決定的なこの物語の柱はここでは書きたくない。映画では出来事のほんの少しの断片のようなものになるのだろう。起承転結があるような話ではないのだ。言葉にはならない、人間の奥の方にある、本人もよくわからないような感情というものが、この映画で描かれているのかもしれない。

 ところでこの映画、渋谷のユーロスペース(http://www.eurospace.co.jp/)で観た。ここに入ったのは2度目なのだが、デープな映画館だと関心してしまった(笑)。上映の最終日ということでほぼ満席のような状態で観たのだが、映画について語りだしたら3日くらい徹夜で話し続けるような人ばかりという雰囲気……(笑)。まあ、こうした世界もあるのかと思いました。

◆ ちょっとした出来事
 うちに近くに新しいラーメン屋さんができた。ラーメンと言えばこの人!というくらいに有名な人がプロデュースしていて、顔写真がかなり目立っていた。情けないくらいにミーハーな僕は食べに行ってしまった。最近はあまり食べなくなったが、ラーメン大好き人間だったのだ。テレビのラーメン番組なんかもついつい見てしまうし。とにかくテレビで見るその人の姿はとてもとても頑固で、かなり満足できるラーメンに違いないと信じて疑わなかったのだ。
 外から店内を見たところあまり流行ってない雰囲気。まだオープンして間もないからなのかな。僕はこの時点でも美味しいことを期待していた。
 入り口を開けると、「いらっしゃいませ」という声は全くなかった。まあ静かな雰囲気の店なのだろう。すぐ目の前には自動販売機があった。ほんとうに入り口を開けてすぐ正面にあったのだ。まあ、どこにあるか迷う必要はないし、注文の仕方に悩むこともないのだろう。けっこうな金額を入れて食券を買った僕は空いている席へと座った。店内はほんとうに静かな雰囲気。ラーメン屋さんというよりも、フランス料理のお店みたいなテーブルのインテリアであった。ほかのテーブルではお客さんがせっせとラーメンを食べているのだが、そのどんぶりも白くちょっと他とは違っている。どんぶりの下にはお皿が敷かれている。お水も、ガラスのビンに入っている。まあ、この落ち着いた雰囲気はそれはそれでいいのだけど、店員さんもゆったりしているのか、いくら経っても僕の席に食券を取りに来なかった。厨房の人が気づいたようで、やっとこさキレイな店員さんが水を持ってきて食券をチェックしてくれた。簡単に言うと、僕は全く無視されていたのであった。まあ、そんなに存在感のない奴だけどね。
 ラーメンが運ばれてきて食べたけれど、まあ普通のラーメンだった。もの凄く美味しいと言う人もいるのかもしれないが、僕にはもうどうでも良かった。帰るときも、お店の人にはほとんど相手にされていないような感じだった。
 まあ、どこの飲食店に行っても不愉快な思いをすることはある。ラーメン屋さんの場合は期待を大きいだけに、ガッカリ度が高いのかもしれない。有名だと言われるラーメン屋さんに行くたびに、このガッカリの感情は増えていくような感じがする。考えてみると、ラーメンを食べなくなってきている自分がいる。
 それでも、ラーメンの宣伝というのは気になってしまっているのだけど(笑)。

■ ビデオ『HERO(英雄)外伝 「チャン・イーモウと技術者編」「役者編」』 [レンタル]
 アクション映画のメイキングビデオ。チャン・イーモウの素顔というのは、他にもこうした映画で見ていたのだけど、役者がこれだけ出てくるのは初めて。宿となっているホテルなどでくつろいでいる姿を見るのはとても新鮮だった。ほんと、みなさん楽しそうに仕事をしていて。スタッフの方ではややトラブルもあったようだけど、笑顔ばかりという雰囲気。それにしても、長い時間をかけて『HERO』という映画が作られたのだと、改めて感じさせるものだった。

◆ 街の景色
 先日、久しぶりに赤坂を歩いていた。数年前のことになるが、この街で仕事をしていたことがあったので、けっこう馴染みの街なのだった。あたたかで、熱意があって、食べ物も美味しかった。酒を飲んで語るのも楽しかった。
 しかし、あまりの街並みの変化に僕は驚きを隠せなかった。冗談抜きで飲食店の半分以上は入れ替わっているのではないだろうか。いや、もっとだ。建物もかなり新しいビルへと変わっている。
 キレイに変化していくということは決して悪いことではない。何も変わらない街というのも、ちょっと違うように感じたりもする。何しろ多くの人は、変化というものを求めて、より飛躍しようとこの東京というところに来ているのだろうから。
 けれど、必要以上に変わりすぎなのではないだろうか。長く続いていく価値観というものが、全く無視されてしまったかのようだ。もちろん、僕だって古びた汚れのあるビルで仕事をするよりも、ピカピカの高層ビルの方に憧れる。ちょっと疲れた肌のお姉さんと、ピチピチのキレイな女の子と、どっちの隣に座りたいかと言われたら後者だし(ああ、殴られそう……)。でもさ、よーく考えたならば、違うことに気が付く。何が大切かは僕だって少しは考えるようになってくる。学んでいくのではないかと思うのだ。それなりに。
 いったい何を書いているのだろうかと、自分でもよくわからない気持ちがある。けれど、この日の赤坂の景色は、僕にはあまり魅力的なものには映らなかった。

■ 森達也著『下山事件<シモヤマ・ケース>』(新潮社)
 恥ずかしながら「下山事件」というものが何なのか、全く知らなかった。なんとなく、名前は聞いたことはあった。戦後の謎と言われている事件。なぜ、森達也がこの事件をテーマとしたのか。不思議な感覚でこの本を読み始めた。
 1949年、当時の国鉄総裁であった下山定則という人が常磐線の線路上で轢死体で発見された。社会的な地位があるという人の死だけでなく、他殺か自殺か、大きな謎が未解決のままとなる。
 この下山事件というものがキッカケとなり、戦後の高度経済成長があったようなことが書かれている。この辺の時代感覚は僕にはあまりピンとこなかった。たった、ひとりの死がどうして、どれだけ時代の方向性に関係するのか。
 ひょっとしたら、この時期、日本はアメリカの影響下から逃れ、全く違った方向に行く可能性もあったらしい。良くも悪くも、日本という国はアメリカという国の下で大きく発展することになる。そして、現在もアメリカの言うことをそのまま右倣えしている。
 そうした今の日本の方向性を決定付ける出来事がこの「下山事件」だったのではないか、そうしたことがこの本には書かれている。
 ノンフィクションではあるが、きっちりと完成された、形の整ったものではない。森達也が「下山事件」というものに出合って、現在に至るまでの取材に関してのあれやこれやの話が書かれている。この事件の取材と平行して行なわれていた映画『A』や『A2』に関しての話もある。実は『A』の次の映画はこの「下山事件」を撮りたかった、撮るつもりでいたようなことも書かれている。
 当然と言えば、当然なのだが、森達也の取材で「下山事件」の謎が明らかになったわけではない。そういう意味では、何か中途半端な感覚は残る。けれど、この事件の闇を深く探っていくならば、とてつもないところに行きそうな気がする。
 とにかく、日本の戦後の時代というものを僕は知らなさ過ぎたようだ。これからいろいろな本を読んでいく意味でも、この時代にもう少し注目していきたい。

◆ 男のプライド
 何かのテレビ番組で、男性がトイレで用を足すときに「立ってするか」それとも「座ってするか」というテーマで議論が行なわれていた。ほんとに驚いてしまったのだが、「座って」という男性がとっても多かったのだ。オシッコをするときである。
(ご飯を食べながら読んでいる方、ゴメンナサイ。でも、そんなキタナイ話ではないです)
「座って」という男性のほとんどは既婚者だった。つまり、「立って」の場合は飛び散ったりしての汚れがあることで、奥さんに怒られ(笑)、「座って」の状態に修正させられたらしい。
 まあ、わからなくはない。けれど、けれど、けれど。男子たるもの、それでいいのだろうか、という疑問もある。男としてやっぱり違うんじゃないか、と。
 まあ、あちこちの家庭ではこうした議論があるのかもしれない。現代日本での比重はどうなっているのだろうか。ちゃんとデータを取って、離婚率、ストレス、子供の成長などを分析していったならば、かなり面白いのでは(笑)。

■ 映画『8月のクリスマス』ホ・ジノ監督 (http://www.pan-dora.co.jp/christmas01.html
 僕はまだ観たことがないのだけど、韓国のテレビドラマというものが流行っている。書店でも専門の本があったり、なんだかとっても凄い。観ていないのでわからないわけだが、正直なところ何がそんなに面白いのかと不思議に思っていた。
 この『8月のクリスマス』を観たことで、その韓国から日本に伝わってくる恋愛の感覚というものに少し触れたような気がした。
 ほんとうに、こんなに純愛でいいの、というくらいに純愛だった。多くの人はこうした恋愛を求めているのだろうかと、不思議に思う気持ちすらあった。多くの女性達はこの映画をどう観ているのだろうか。中学生や高校生は?
 恋愛映画なのだろうけれど、この映画には派手なラブシーンというものはない。何もないと言っていいくらいだ。主人公のジョンウォンは幸せなのか。タリムは……。でも、この映画を観終わっての感じというのは、とても暖かなものが残るのである。

■ 映画『ペパーミント・キャンディー』イ・チャンドン監督
 最近『オアシス』が公開されて注目されているイ・チャンドン監督の作品である。素晴らしい。ほんとうに見応えのある作品だった。
 最初はやや不思議な感覚がある。話がよくわからないのである。ただ、きれいな列車からの映像がとても印象的だ。途中からその映像がちょっと変わっていることに気づく。まわりの風景があとに戻っている。列車は後戻りしているのである。その風景と同じように、この映画は少しずつ、前の時間へと戻っていく。少しずつ、主人公の歩んできた過去というものが明らかになっていく。20年間という長い時間が描かれている。たぶん、僕くらいの年齢の者にとっては、ぐさぐさくる。
 実はこの映画、ハードな暴力や性描写などがあったりする。けれど、根本的に純な感じがベースとして存在している。だからこその苦悩のようなものがある。「好きだから、大切だから」という気持ちが、一般的な幸せに向かう方向へ行くとは限らない。そこにはどうしようもない時代の背景というものがあったりもしている。
 この物語については、あえて詳しく書きたくない。ぜひ、この映画を観て欲しい。

 それにしても、まだほんの数本だけど韓国映画は強烈である。その活力、ここまでもと疑問に思うほどの純愛の感覚がどの作品にも共通しているもののように思える。今の日本という時代が、求めているものなのだろうか。

in the room 2004/3 #2 

2004/3/21 

 ◆ 手づくりのあたたかさ
 友人から、ごはん用の土鍋というものをもらった。なんともビックリ贈り物だったのだが、これは嬉しいものだった。料理に関してのエッセイなどを読んでいても、よくその土鍋のごはんの美味しさが書かれている。実際に土鍋を目の前にすると、電気仕掛けとは違ったぬくもりのようなものがあるように感じる。
 さっそく僕はこの土鍋でごはんを炊いてみる。ボウルで丁寧にお米を洗う。いつもはテキトーなのだが(笑)、ちゃんと美味しいご飯を食べるための旅のようなものだろう。ちゃんと水につけておく時間を設ける(当たり前のことだろうけど)。水加減はよくわからない。いちおう計量カップで測って入れることにする。強火で炊き始める。沸騰のタイミングを待つが、なかなか沸騰してくれない。しかし、土鍋全体が熱を持っている雰囲気が見た目にもわかる。普通の鍋では底の方から熱を伝えるのだろうが、この土鍋では 底だけでないあらゆる角度からの強い熱が美味しさに繋がるのかもしれない。強い蒸気が出ていたわけではなかったが、フタを開けて見てみると沸騰していた。おおお、あせってとろ火にする。タイマーをセットして12分待つ。時間になり、火を止めた。けれど、なんだか焦げ臭い(笑)。ああ、失敗なのだろうか。フタを取ろうかと思ったが、我慢して10分ほど蒸す。とにかく、説明書に書かれている通りに、ひとつひとつの処理を行なった。
 どきどきしてきた。そんなに大した料理をしているわけでもないのだ。最初からうまく炊けるはずはない。長い旅への第一歩だと自分自身に言い聞かせる。
 おそるおそるフタを開けると白い湯気が目の前に広がった。ごはんはちゃんと白く、美味しそうな色だった。おたまで少し混ぜる。底の方は少し焦げていた。まあ、理想の焦げ具合とも言える。見た目はまあまあか。でもかき混ぜての感触はもうちょっとだろうか(笑)。
 炊きたてのごはんは美味しかった。でも、噛み応えという点ではまだまだか(笑)。何回も続けて使って、美味しい炊き方を掴んでいくものなのだろう。

「イン・ザ・ムード」(http://www.inthemood.co.jp/)ということろで作られたこの土鍋の箱の中には、詩のようなものが書かれている小さな紙が入っていた。あまりにも達筆すぎて(笑)、読むのにちょっと苦労したのだが、それはとても深い内容のものだった。
 その一部を少しだけ紹介引用したい。

「不揃いのやさしさ
             それは
       呼吸するものだけに
 与えられた宇宙からの贈り物だと
          思いませんか」
(イン・ザ・ムード)

■ ビデオ『人生は琴の弦のように』チェン・カイコー監督 [レンタル]
 チェン・カイコー監督の作品は全て観たいと思っている。最近の中国映画は、かなり西洋風の感覚が入っているけれど、この映画は昔の中国映画なんだなぁという雰囲気。僕にはちょっとよくわからないところもあったが、その自然の静かな感じは他にはないもの。考えてみると、白黒映画といってもいいような色彩感覚。最近のチェン・カイコー監督の作品は色彩的に記憶に残るような、やや鮮明の感じのものが多かったように思える。そうやって振り返ると、なんだか新鮮。こうした作品がベースとしてあって、その後の『さらば、わが愛 覇王別姫』や『キリング・ミー・ソフトリー』、『北京バイオリン』という作品に繋がっていくのかと思うと興味深いものがある。
 ひとりの監督の作品をいろいろと観ていくのは面白いものだ。

◆ 褒めてもらったこと
 とあるメールがあり、僕の書いた文章について褒めてもらった。けっこう具体的に他とどう違っていたかということを聞いたのだった。
 嬉しかった(笑)。単純に、おおおお、嬉しいぞーという感じだった。
 そして思ったのは、人間って褒めてもらうと嬉しいしより頑張ろうという気持ちも出てくるものなんだな、ということだった。
 もちろん、僕の書いた文章にはひどいところだっていっぱいある。でも、そうしたところを指摘されたからといって、もっと頑張って書くつもりになるかというと、ならない。たまにはそういう人もいるかもしれないし、プロの厳しさなんてものは、そういうところにあるのかもしれない。
 でも、褒めてもらうと嬉しくやる気が出てくる、というのは自然な感情なのだと思ったのだ。ということで、これから僕は、どんどんと褒めたり、前向きなコメントなりをして行きたい。でも、ぐだぐだと文句とかを言いながら居酒屋で焼き鳥を食べながら焼酎のお湯割りを飲むというのも、楽しいのだけどね(笑)。

■ 和田誠・村上春樹著『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)
 僕はあまり音楽を聴かない方だろうと思う。興味はあるけれど、CDなどを持っていないわけではないけれど、好きになりたいけれど、先に進めないでいる。音楽の素晴らしさを語っている文章というのは、わからないけれど、いいなぁと思っている。
 この本は、ジャズについて、ほんとうに普段着の感覚で、好きなものを気持ちを込めて語っている。高校の時に、お金をためて高価なレコードを買って大切に扱っていた話など、ジャズをあまり聴くことのない僕でも、しみじみと読むことができる。
 読んでいく途中で、田舎にあったジャズ喫茶を思い出した。喫茶店というよりも、ジャズバーだったのかな。高校を卒業したときだったか、数ヶ月が経ったときだったか、あまり詳しくは覚えていない。友人と3人くらいでその店に入った。暗い店内、大きなスピーカー、注文したのはサントリーのホワイト。店の名前だけはちゃんと覚えている。「ヒロ」といった。どういう曲が流れていたかなど、当然のように覚えていない。けれど、スピーカーからの低音の響きは、まだ十代の僕の胸にとても強く響いていた。

◆ 松屋でのちょっとした出来事
 少し前のことになるが、牛丼を食べたくなる夜があった。ちょうど、あちこちの店で牛丼の販売中止というニュースが流れていた頃だ。僕は何かに影響されやすい、弱い人間なのであった。
 夜は22時30分くらいだった。駅前の松屋に入り「牛めし」の食券を買い、奥の方の席へと座った。
 お茶を飲み、今か今かと待っていた。すぐに運ばれてくることはわかっているのだが、最後になるかもしれないと少し感傷的になっていたのだ。すると、隣に座った人が僕に声を掛けてきた。「スミマセン、席をひとつズレてもらえませんか?」と。黒いスープを来た、若い男性だった。よく見ると3人ほどの仲間のようで、僕の右側に席がひとつ空いていて、左側に席が2つ空いているという状況だった。別に拒む理由はないので、僕は右の席へと移った。そこに牛めしが運ばれてきて、七味をかけ、食べ始めた。
 でも、よーく考えるとこういうお店で席を移動するというのもあまりないことかもしれない。定食屋さんなどでは普通にあることだが、こうした牛丼などのチェーン店はカウンターだけで、しかも食べ終るまでにそんなに多くの時間がかかるわけではない。どちらかというと、ひとりかふたりで、短時間で食べることが目的という店だ。席を移動するということについて、不愉快に感じたということでは全くないけれど。
 隣に座った3人組は、まだ入社1年も経っていない同期という雰囲気だった。ひとりは、カレーライスを、あとの2人は牛めしを食べていた。セットにしているようで、3人とも野菜サラダも食べていた。ちょっとは健康というものに気を使っているのかもしれない。
 しかし、何かが違うのではないかと、僕は考えるようになってきた。
 なんで、この時間に会社の同期が3人も揃って、カウンターの店で牛丼やカレーを食べているんだ。なんで味噌汁を啜っているんだ。違うだろう。ビールを飲めよ、ビールを。僕は説教のひとつも言いたくなった。
 せっかく3人も揃って食事をするのであれば、語るべきではないかと思ったのだ。ビールでなく、カシスウーロンとかでも構わない。少し酒でも飲みながら、仕事について、夢について、会社の女の子についてでもいい。熱く語れよ! 上司の悪口を言い合ってもいいじゃないか。
 僕は牛めしを食べ終わり、店を出た。
 古ぼけた居酒屋では、おじさん達数人がひとつかふたつのツマミを食べながらチューハイを飲んだりしている。安い晩御飯だったりしている。でも、語り合う姿はとても楽しそうだったりしている。狭い店内では、あちこち席を譲り合って、ひとりでも多くの客と、その世界を共有しようとしている。でも、そうした居酒屋はどんどん無くなっている。こうしたことは全くニュースにはならないけれど。

◆ 自由であること
 ワイアレス・マウスを購入した。お値段もけっこうなもの。6000円弱のものだったが、溜まっているポイントカードを使ってのお買いものだった。僕の財布の中ではタダ同然なので、思い切ることができた。何しろ、コードばっかりがゴチャゴチャしている僕のパソコン周辺。少しでもスッキリさせたいという気持ちがあったのだ。特に使っているパソコンはノートなわけで、側面から何本ものコードが出ているのはあまりいい絵ではない。ノートパソコンというと、軽快さとか自由とかをイメージしたいところだが、コードがあると繋がれて不自由な感じでどうしようもない。
 このワイアレス・マウスは大きなもので、それなりに手とフィットしている。それはそれでいいのだ。けれど、何か頼りない。何だかわからないけど、安心感がないのだ。ちゃんと動くし、カッコイイし、かなり離れたところで操作もできるし、問題はない。けれど、何か頼りない。フェンスのない、ビルの屋上にいるような感覚と言えばわかってもらえるだろうか。僕という人間は何かに繋がっていないと、落ち着けないのだろうか(笑)。

■ ビデオ『恋ごころ』ジャック・リヴェット監督http://www.bowjapan.com/vasavoir/)[WOWOW]
 大人の恋愛映画というのかな。よくよく考えてみると、日本の映画でこうした雰囲気のものはあまりないような感じがするけど。
 ストーリー的なところは、よくわからなかったけど(笑)、その映像や雰囲気というものはとても良かったでした。屋根を歩いて逃げ出す場面なんて、最高にいい。日本でこうした場面は考えられないか(笑)。

◆ 味噌ラーメンを食べた。
 街を歩いていた。時間は午後に入ったところ。お昼ごはんを食べるのに、少し悩んでいた。
 この日の僕の気分は味噌ラーメンだった。ラーメンというと、最後には醤油味に行き着くと信じて疑わない僕だが、好みとしては味噌味が好きなのだ。好きな女の子のタイプも一概に言えないように、食べたいラーメンというのも一概には言えない。とにかく、味噌ラーメンを食べたくてウロウロしていた。そんなとき、テレビで取材されたという看板があり、僕はその店の中へと入った。改めて言うこともないが、僕は単純な人間だ(笑)。
 久しぶりに食べた美味しいラーメンだった。しかし、あと4、5年は味噌ラーメンを食べなくてもいいなぁと思ってしまった。味が濃いのである。たぶん、この状態はこの店の味がどうのこうのというよりも、僕の味覚が変わってしまったのだろう。ああ、味噌ラーメンよ、さようなら。

◆ 坦坦麺を食べた。
 街を歩いていた。お昼ごはんを何にしようか、悩んでいた。前によく食べていた中華料理の店の前を通った。そうだそうだ、この店の坦坦麺が好きだったことを思い出した。胡麻のとろりとした味がなんとも言えない美味しさなのだ。味噌ラーメンとは別れてしまったけれど、坦坦麺は違った相手だ。全く別の思想、味覚というものが坦坦麺にはある。僕は長い階段を上り、坦坦麺を注文した。
 久しぶりに食べた坦坦麺は、あまりにも濃い味だった。恋しい味が濃い味だった(つまんないことを書いてしまった……)。たぶん、僕の味覚が変わってしまったのだろうな。もう一度、どこかの店で坦坦麺を食べるということが、僕の人生のどこかにあるのだろうか。別れというのは辛いことではあるけれど、変わってしまったのだ。お互いに新しい人生を歩んでいこうじゃないか。

■ 映画『悪い男』キム・ギドク監督 http://www.kimki-duk.jp/badguy/)[新宿武蔵野館]
 このところ韓国映画が僕の中でブームになっていて、その延長で観に行った。すごく良くできている映画だと感じたけれど、良かったか良くなかったかというシンプルな部分で話をするとちょっと難しいものだった。韓国映画での、僕の感じている魅力というのは何が出てくるかわからない大胆さにある。こちらの意表を軽く裏切るようなものが、とても力強く伝わってくる。そのエネルギーは凄い。この映画も圧倒されるのだけど、意表をつくという部分が、僕には受け入れらないところがあった。もちろん、この映画の評価は同じ部分で多くの人に語られているようだ。プラスの評価としては、「極限状況の中でしか生まれない究極の恋愛」という言葉になる。
 例えば、日本映画で監禁モノという映画がある。監禁というのは犯罪であり、悪いことだという認識を前提として、割り切って映画を観るならば、その奥にある心理というものの何かを感じることができる。
 たぶん、この『悪い男』という映画も割り切って観たならばまた違った印象になるのかもしれない。そうかそうか、このタイトルは「悪い男」というものだった。でも、「究極の恋愛」という言葉で語ろうとすると、どうにも受け入れることのできないものとなってしまうと思うが。

◆ ブックショップ
 前から気になっていた本屋さんへ行ってみた。中目黒にある「COWBOOKS」(http://www.cowbooks.jp/)ということろ。本を出したりしている松浦弥太郎という人の店である。どんな本屋さんなのか、前から気になっていたのだ。
 本屋さんというと新刊が置かれているというイメージなのだが、そうでもない雰囲気だし、かといって古本屋さんという雰囲気でもないみたいだし。ウェブサイトのオシャレな店内をとにかく実際に見てみたかった。
 目黒川のそばにひっそりとこの店はあった。静かでとてもいい場所だった。入り口のところには木の本棚がある。中に入ると、とてもキレイなことに驚く。右と左の両側に本がキレイに並べられている。真ん中のスペースには大きなテーブルが。置いてある本は、国内の本もあれば、海外の本もある。でも普通の古本屋さんの品揃えとはちょっと違ったこだわりがあるような。とにかく特徴はシンプルに、カッコよく、本が並べられている。たぶん、このスペースで他の古本屋さんが本を置いたならば、この10倍くらいの量になっているかもしれない(笑)。
 このときのお客さんは僕のほかに女性が2人いた。後ろ姿しか見なかったけど、ちゃんと自分を持っている人という感じだった。そんなにお金は持っていないだろうけど、自分のファッションスタイルを持って、常に前を向いていて、本が好きだというような。
 あちこちと本を見た末、カウンターのところに置かれてあった『アルネ』の最新号と、お店のオリジナルの栞を買った。
 新刊でない本というのは、古ぼけて価値が下がっているというイメージがどうしてもあった。けれど、この店で本を見ていると、そうしたイメージが変わってくる。おもしろいものだ。
 お店で本を見ていた女性は、自転車に乗って去っていった。すごくオシャレな映像だった。

■ ビデオ『愛するゆえに』ジョン・スタージェス監督 [WOWOW]
 1961年のちょっと古めのアメリカ映画。出てくる部屋は広いし、クルマもなんであんなにでかいのだろうかと思ってしまう(笑)。
 実はこの物語、途中である人物が自殺をしてしまう。正直なところ、この出来事がよくわからなかった。ちょっと意外というか、なんでだろうと悩んでいるうちに、いつの間にかこの映画は終ってしまった。

◆ 閉店
 とある文房具屋さんがお店を閉じた。名前は「時習堂」という。池袋の東急ハンズのすぐ近くにある店だ。値段が安くなっていたこともあり、近くの会社の人たちが備品を買いに来るという感じのところだった。制服姿のお姉さんが、伝票や封筒などをまとめて購入する。多くの人に愛された店だったのだ。いつも笑顔で対応してくれていた。
 店の最終日には、常連の客たちが名残惜しそうに来ていた。この店が無くなって、何かが困るというわけではない。近くに大きな文具店があり、最近では通販のようなものも便利になっている。けれど、ほんとうにいい文房具の店だった。レジで会計を済ませ帰るとき、店長からセロハンテープと付箋紙を「使ってください」と手渡された。寂しそうな表情でもあったけれど、最後まで笑顔は崩していなかった。

■ 川本三郎著『映画の香り』(中公文庫)
 ミニシアター系の映画が、数多く語られている。とてもいい香りを感じることができる。
 僕がこの1、2年の間、映画を観て強く感じることは世界は広いということである。どうしても、アメリカ映画を観て日本と世界という見方をしてしまいがちだが、アメリカ以外の国というのは当然のようにもの凄く多いのである。この本を読んで特に感じたのは、無口な登場人物の映画が多かったりしているということだ。例えば、日本人というと無口でシャイだというイメージがあるだろう。けれど、日本以外の国で無口でシャイな人が出てくる映画だっていっぱいある。日本と海外という分類が無意味であるように思えてくる。
 それにしても、こうした映画に関する本を読んでいると、これから観てみたい映画の数の多さを思い、悲しい気持ちになってくる。いくら映画を観ても追いつかないもんなぁ。

◆ 別れの言葉
「Webマガジン幻冬舎」(http://webmagazine.gentosha.co.jp)で連載されていた「お茶っコ日和」が終了した。僕の好きな石田ゆり子さんの表情が見れなくなるのはとても寂しいことだ。もちろん彼女は自身でのウェブサイト(http://www.yuriko-ishida.com/)も持っているので、全く離れてしまうということではないが。
 けれど、定期的に、彼女の普段着の表情が感じられるというのは特別なものだったのだ。これだけデジカメの写真が効果的に、自然に、あたたかく使われているというのは、なかなか無いように感じていた。最後の彼女の言葉に、「みなさんの毎日が優しくありますように」というものがあった。この言葉を噛み締めている。

the springtime of life 2004/3 #3 

2004/4/16 

◆ 言い訳と季節の変化
 4月も半ばだというのに、この夜話は3月である。まあ、深いことは考えないように。季節なんてものは、相対的なものなのだ。桜前線という言葉はあるけれど、どの季節も、その土地その土地で趣きが違っている。それぞれが、自分の季節を感じていれば良いはずだ。
 実は僕は住むところを変えた。友達がいるわけでもなく、寂しいなぁと思うこともあるけれど、確実に良かったな、と感じていることがある。それは、季節というものが感じられるということだ。風にあたり、太陽のあたたかさを感じる。いちにち、いちにちと、三歩進んで二歩下がるではあるけれど、確かに暖かな季節に向かっているのだなぁと。
 歳時記を生きる、という言葉がとても胸に響いている。

■ ビデオ『ヨーロッパ』ラース・フォン・トリアー監督 [NHK-BS2]
 第二次世界大戦後のドイツの物語。ドイツにもアメリカなど占領下の時代があったということを、強く感じさせられた内容だった。たぶん、半分くらいは列車の中が舞台となっているのだろう、狭い車内、その揺れる中でのドラマが深いものを感じさせてくれた。
 考えてみると、今のイラクだって、この映画と同じような状況なのかもしれない。

◆ 今年のモータースポーツ
 今年のF1グランプリは、まあまあ面白そうである。この数年興味が薄れているので、どこまで興奮しながら見ることができるのかは自分でもよくわからない。でも、BARのマシンはそれなりに走り、佐藤琢磨が普段のチカラを発揮するならば、それなりの上位は期待できる。希望的な観測ということではなく、冷静に、普通に判断して、そう考えることができる。たぶん、F1の歴史の中、これだけ日本人ドライバーが上位を望めるというのは初めてのことだ。頑張って欲しいし、できるだけリアルタイムで応援したいとも思っている。なにせ、かつて中嶋が走っていたときには、毎回僕は正座をしてスタートを見守っていたのだ。あのときの気持ちを蘇らせてくれよ、タクマ!
 実はモータースポーツのシーンにおいて、今年注目すべき人物がいる。日本のF3シリーズ。つまりは将来F1へ行きたいという若きレーサーが走るカテゴリーだ。今年の1、2戦をポーツツーフィニッシュ7で連勝したレーサーがいる。しかも、彼はデビューレースだった。名前は中嶋一貴。日本のレースシーンを変えた、まさに日本でF1をメジャーにした中嶋悟の息子である。正直なところ、2世のスポーツ選手というのは生意気そうに見える(笑)。さぞかし、恵まれた環境にあるのだろうとも思う。でも、どれだけの難癖をつけても、デビュー2連勝というのは凄い。実力があり、強運というものがある。
 ただでさえ注目せぜるを得ない存在の上、このようなデビューを飾ったわけで、当然周囲の期待は高まる。そのプレッシャーはかなりのものだと思う。しかし、そこで潰れてしまってもそれはそれなのだ。F1にデビューするとなれば、当然参加するだけでなく、勝つということが自他共に要求される。F1で勝つということは、それだけのレベルでなければならない。アイルトン・セナのレベルでなければならない。中嶋悟は、アイルトン・セナ、ネルソン・ピケット、ジャン・アレジといったドライバーとチームメイトだった。中嶋一貴のレース人生の目標は決まっているはずだ。
 中嶋一貴の名前はまだ一般的には知られていない。しかし、しっかりと覚えていて欲しい名前だ。

◆ 松本清張
 日本テレビの『砂の器』をずっと見ていた。あまり面白くはなかったけれど(笑)、松本清張原作の有名な小説が元となっているわけで、まあ社会勉強のつもりで見ていたのだった。急に(あまりにも急だったと思ったのは僕だけだろうか)最後の回で、謎というものが明らかになった。たぶん、小説であればいくつかの伏線というものがあったりして、かなり深く感じるものがあったのだろうとも思う。あまり表面化されない大きな問題もあったかもしれないし。それだけに、テレビを見たことで小説をぜひ読んでみたいという興味が湧いてきている。
 正直なところ、松本清張という人にはいくらか抵抗があった。あの表情がねぇ(笑)。もちろん、人は容姿で判断してはいけない。今年は何冊か読んでみるつもりでいる。

■ ビデオ『ハリウッド★ホンコン』フルーツ・チャン監督http://www.mediasuits.co.jp/hollywood/)[レンタル]
 かなり不思議な映画だった。なにせ、オープニングが凄い。とっても体格のいい(ハッキリ言ってとても太っている)父と子供2人が出てくるのだが、彼らのアップと交差するように、豚のアップが映し出される。それが途中からどっちがどっちかわからなくなってしまう(笑)。けっこう笑える映画ではあるのだけど、実は深いテーマがこの作品にはあるようにも思える。
 舞台は香港の大貧民街である。親子はそこで豚を焼いて暮らしているわけだ。その街からは、巨大な高層マンションが見える。ジョウ・シュンはどうしようもなくキレイで、この物語の舞台の中に、いくつものコントラストがあるのだろう。あくまでも香港が舞台ではあるけれど、時間や場所を越えた価値観のようなものが、実はこの映画の根底にあるのかもしれない。
 中国映画ではない、あくまでも香港映画の魅力と言っていいのかな。だとしたら、僕の観た初めての香港映画ということになる。こういう映画ならば、もっと観てみたい。フルーツ・チャンという監督はけっこう注目でないかと思っている。

◆ そんなこと言われてもね
 とても素朴な疑問がある。多くの人に(ひっそりとだが)聞いてみたい気持ちがある。トイレでの話である。駅、デパートなどでもそうだが、座ってする方のトイレで「手をかざすと便器洗浄します」という方式のものが最近増えているように思う。タンクのところについているレバーを回すのではなく、手の形のところに自分の手をかざすことによって、水が流れるようになっている。確かに後ろを振り向く必要はないし、すぐ横とかにあるので、楽といえば楽である。直接手を触れなくても良いというのも、利点のひとつなのだろう。
 けれど、手を広げて、ちゃんと手をかざすものだろうか?
 手をかざすという行為にはどうにも抵抗がある。むかし、東急東横線の電車に乗っていたときに、お祈りをさせてくださいとか何とか言われて突然僕の額のところに手をかざす人がいた。手をかざすという行為には、何か宗教的というか、神秘的な印象を持っているのである。「トイレという場所は、孤独になって自分自身と向き合うことのできる神聖な場所なのです。手をかざすというのは意味のある行為です」と強く主張されたならば、返す言葉はない。
 でも、僕は写真を撮られるということ自体に「魂を吸い取られる」という感覚を持ってしまう人間である。手をかざすことによっても、何かを吸い取ってしまうような感覚があるのだ。
 僕が実際にどうしているかというと、コブシにしてパンチをするような感じでそのポイントに手を置く。そういう格好でもしないと、なんとも自分が情けなくなってしまうのだ。
 さて、あなたはトイレで手をかざしていますか?

◆ 携帯電話
 数年ぶりにある友達と会うことになった。知り合ったときには彼は学生だった。一人旅が好きで、少しばかり孤独で、でも、けっこう二枚目で。就職の相談なんてものも相談してきてくれたりということがあり、年齢は離れているけれど、会って語りたい友達だった。
 顔とかはもう忘れてしまっているかもしれないねぇ、なんてメールでのやり取りをしていた。6、7年ぶりくらいだろうか。待ち合わせの相談をするところになって、彼は携帯電話を持っていないということが判明した。
 会って話をしての、まず一番の話題はこの携帯電話についてだった。彼は「いやぁ、使い方もわからないし」と言っていた。けれど、彼の仕事はコンピューター関係で、少し前にはプログラミングを仕事としていた。なんと今は営業だという。会社の名前を聞くと、泣く子も黙る一流企業だった。会社からは携帯電話を渡されているのだという。でも、「あっ、それはいつも切ってるんです」とあっさりと言っていた。
 なんとも愛すべきキャラクターではないか。今の社会では、最新の携帯電話を持って、携帯電話と共に生活し、新しい機能を使いこなすことがいることが、仕事のできる人間、素晴らしいことであるかのよう思われているのではないだろうか。いかに、携帯電話を手放すかが、これからのトレンド(古い言葉……)ではないかと僕は密かに思っている。
 とはいえ、自分が携帯電話を手放せるかというと、どうにも難しいが。ほんとに、必要最小限の機能だけでいいのだけどね。本当に緊急などの連絡で使うことができればいいだけのシンプルなものが。
 そういえば、昔はパソコンを持っているというと変わった人だと思われるという時代があった。今は持っている人が普通である。携帯電話だって、今は持っている人が普通で持ってない人が変わり者だけど、こうした価値観というものはどこかの時代で逆転してしまうのかもしれない。

■ ビデオ『鬼が来た!』チアン・ウェン監督 [レンタル]
 モノクロで、第2次世界大戦中の中国が舞台となっている。日本統治下の時代なわけで、厳しい状況というのも窺える。食べるものもあまりないのだろうけど、生活観があり、生きているな、と感じさせてくれるところがとてもいい。前半は本当に、静かに物語が進んでいく。そんな中、ギョウザが出てくる場面があるのだけど、こうした食べものが人類を救うのではないかと思わせたりしてくれる。しかし、この物語の後半は別の展開を見せる。
 たぶん、目を逸らさないで、こうした時代をちゃんと見なければならないのだろう。この映画は決して、日本が悪いことをしたという一方的な主張ではない。もっと深いところを描いているように思える。しかし、それにしても愚かというか、悲しいものだ。

◆ 食べ放題
 インド料理のお昼食べ放題に行った。東京に来たころ、何を食べるのが楽しかったかというとインド料理、つまりはあのカレーであった。中華料理だったらどこにでもあるが、インド料理はどうしても大きな街でないと無いかもしれない。
 とにかく僕は食べに食べた。新宿にあるこの店では、5種類くらいのカレーがあり、それなりに味の変化を楽しめる。僕の好きな海老のカレーやほうれん草のカレーは無いけれど、それなりに美味しく楽しめる。まわりの客はなぜか外国人が多く、異国の雰囲気も味わえる。食べ放題という魔力に弱い僕は3杯ほど食べた。正直なところ、最後の方はかなりの苦行だった。でも、当分食べることはできないのだろうと自分に言いきかせ、がんばって食べた。あと4年くらいは食べなくても大丈夫なくらいに食べた。
 この日の午後は、ほとんど何もできなかった。
 話は飛躍するが、ライバル会社との戦いには、食べ放題作戦というのがあると思う。なんとか負けたくないライバル会社の近くに、もの凄く美味しいインド料理の店を作り、お昼には超格安の食べ放題サービスを行なう。ライバル会社の人たちは、当然のようにその美味しさに負け、腹いっぱいに食べる。美味しいナンはあとから腹が膨らんできて、もう午後からは仕事にならない。でも、あまりの美味しさに毎日食べ続けてしまうのだ。当然のように仕事はダウンしてしまうだろう。でも、美味しいものが食べられるなら、仕事で負けようが関係ないけどね。

◆ 疲れるメールチェック
 このところウイルスメールの類が本当に多くなった。たぶん、3通に1通がウイルスメール、1通が知らないところからの迷惑メール、あとの1通がまあ普通のメールという割合だろうか。と、こんなことを書きながらメールチェックをしているうちにも、その割合は悪いほうへとどんどん変化していく……。
 誰に聞いてもウイルスメールは増えているみたいだ。どのくらい関係あるかはわからないけれど、先日Yahoo!BBからお手紙が来た。話題の500円のお詫び料というやつだ。何もなく、ただただ謝られるよりは確かに誠意というものはあると思う。でも、大量のウイルスメールと500円とのどっちを取るかというならば、ほとんどの人の選択は決まっているのではないだろうか。そういえば、僕のウイルスセキュリティソフトはそろそろ更新しなければならないみたいだ。インターネットで便利になるのはいいことだけど、何か釈然としないものもあったりする。

■ ビデオ『龍城恋歌 Dragon Town Story』ヤン・フォンリャン監督http://www.clydefilms.co.jp/ryujyo/)[レンタル]
 チャン・イーモウが作製総指揮をしているということで観てしまった。でもね、監督の名前よりも作製総指揮のチャン・イーモウの名前が完全の前面に出ているというのは、監督さんかわいそうだよね。
 知らなかったのだが、このヤン・フォンリャン監督という人は、『菊豆』と『ハイジャック 台湾海峡緊急指令』とではチャン・イーモウと共同監督ということになっている。チャン・イーモウばかりが有名になってしまったけれど、かなりの力量のある監督なのかもしれない。
 しかし、僕のこの映画の感想はもう一歩。悪くはないのだけど、チャン・イーモウの名前があることによって、チャン・イーモウ的な世界をどうしても期待してしまう。受け取る方の感性が悪いと言われてしまえばそれまでなのだが、なんとも中途半端な位置にこの映画はあるように思えてしまった。

◆ 幸せな暮らし
 小泉政権のイラク外交に関しては否定的な意見が多いように思える。もっと日本独自の政策を、という感じのものが。なんでもかんでもアメリカに右倣えという感じがどうにもしてしまっている。正直なところ、恥ずかしい気持ちになったりもする。中東の国だって、日本には日本独自の対応というものを求めていると思うのだ。
 けれど、最近になって小泉政権の主張していることも少しはわかるようになってきた。そんなに特別なことではないのだろう、と。
 例えば、親が自分の子供を育てるときに、いい大学への入学を願う。いい会社に就職して安定したそれなりの収入であって欲しいと。結婚して子供を生んで、二世帯の家に建て替えて家族の幸せというものを。どう考えても、貧乏でもいいから自分の信念を持て、なんてことを何よりも優先するのは少数派である。そうした気持ちを持っていても、いい大学、いい会社へと考えるだろう。いい会社で出世をすることが、搾取して人を蹴落とすことかもしれないとは全く考えない(まぁ、ちょっと言いすぎだろうけど)。
 自分で事業をやるよりも、できるだけ大きな会社に入って社会的な地位というものを得た方が、幸せになれる可能性が高いと考えられる。そうした社会で生きていくことの苦悩というものは、深くは考えない。たぶん、小泉政権のアメリカ右倣えというのは、これと同じようなものなのではないだろうか。どう考えてもアメリカにくっついていた方が、経済的に裕福な暮らしができそうである。思う存分インターネットはしたいし、映画も観たいし、あちこちの店で美味しいものを食べたい。
 よく考えてみると、こんなことは今の日本では普通の考えだ。特別大声をあげて非難するようなことでもない。誰しもが親バカで、幸せというものを願う。その幸せというものが、何なのかはわからないけれど。

■ 池莉著『ションヤンの酒家』(小学館文庫)
 少し前に観た映画『ションヤンの酒家』があまりにも良かったので、その原作本を読んでみることにした。こうしたところから、少しずつ中国の小説というものを読んでみたいと思っているのだ。『ションヤンの酒家』というのは邦題であり、原題は『生活秀』という。他に『愛なんて』と『このひと夜、バラのごとく』の3つの作品が収められている。
 まずは、『ションヤンの酒家(生活秀)』だが、やはり映画とはかなり違っている。でも、どちらもそれぞれの特性を生かした作品となっているのかもしれない。この小説では、彼女の恋愛の場面というのはそんなに大きな比重ではない。いくつもの彼女の生活の中でのひとつという感じだ。でも、実は映画よりも、グサリとくる恋愛の本質というか、深いところが描かれてあってかなり凄い。読んでいておろおろしてしまった。
『愛なんて』は夫婦の離婚の危機の話。お互いの家柄や両親のこと、舞台は中国ではあるけれど、日本でもこうした話があってもおかしくはない。この話も映画になってもいいような魅力がある。
『このひと夜、バラのごとく』はちょっとした短編だ。主人公の女性というのは、とても魅力的だ。ほんのちょっとした話なのだけど、実にうまく書かれている。僕はこの作品が一番良かった。
 3つの作品とも女性が主人公となっている。現代の中国を生きている女性である。たぶん、日本の小説にはない、踏み込めないような感性というものが、この小説の中にはあるのではないだろうか。そして、その感性というのは、今の日本で、鋭く胸を打つもののように思えた。かなり魅力的で、この作者の著作がこれからも出版されて欲しいものである。

◆ ニュース番組
 ニュースステーションが終ってしまった。最後の久米宏がひとりビールを飲む場面というのは、なかなか良かったのではないだろうか。まあ、いろいろと文句その他言いたいことはあったのだろうけど、ぐっと堪えてのビールだったのではなかったのかと僕は解釈している。
 それにしても驚いたのは、最初にこの番組が始まったとき、久米宏は僕の今の年齢よりも下だったのだ。ニュースキャスターとしては、若い方の年齢と言える。筑紫哲也とは全く違う年齢であり、それはそれで凄いことだったのかもしれない。
 ニュースステーションは確かに新しいニュース番組の流れを作ったことは確かだろう。でも、こうしたニュースのスタイルがこのまま続くかというと、そうでもないはず。もうテレビは多チャンネル時代となる。テレビという存在そのものが変わっていくのだろうというのが僕の考えだ。実はニュースステーションが終るということは、久米宏がどうのこうのではなく、全く自然な流れだったのではないか。
 それにしても、新番組である報道ステーションはひどかった(笑)。まあ、普通のニュース番組であり、とりたて文句を言うようなことでもないけど、この番組のビジョンのようなものが全く無かったように思う。古舘は2年で辞めるだろうな(笑)。

◆ オフ会
 ドルフィンホテル関係でのオフ会が増えてきていて、とても楽しい。特に僕以外の人が何かを開いてくれたりしてもらうのは、違った雰囲気を味わえて新鮮なものがある。どういうお店で行なうかも、オフ会の魅力だと思うからだ。だいだい職場なので飲むときでも、行くような店は限られる。それはそれでいいのだけど、新鮮な感覚というものがなかなか得られない。インターネットなどでの出会いの良いところは、これまでに無かった感性にぶつかるということである。これからも、予想を裏切るような新鮮なオフ会が続いていけばと考えている。
 しかし、何を隠そう僕はオフ会のあと、大抵ひどく落ち込んでいたりしている。参加してくれている人は、何かと凄い人が多い。仕事もプライドを持ってやっているし、家庭でもすごくしっかりしていそうだ。本も読んでいて、確かなこだわりを持って、まっすぐに生きている。
 僕なんぞが、戯言のようなことを書いてもしょうがないよなぁ、などという気持ちになってくる。そんな風にイジイジとしても何の解決にもならないわけで(笑)、なんとか気持ちを持ちこたえて、ちょっとずつ進んでいく。そういうしてまた次のオフ会を行う元気が出てくる。

A Pale View of Hills 2004/3 #4 

2004/4/20 

◆ お花見宴会
 毎年毎年、人は飽きもせず桜の開花の話をしている。よくよく考えてみると、同じ話を何度も繰り返しているみたいな感じさえある。ちょっとくらい早かろうが遅かろうが、大した話ではないのにね。と、季節に鈍感になってしまうということは、人間としての堕落なのだろうか。数日前のテレビニュースでは、花見のどんちゃん騒ぎがあまりにもひどく、近くの住民の迷惑になっているということが取り上げられていた。その一方で、僕が話をした友人Aは、通りかかったりはするけど花見という宴会のようなものは一度もやったことがないと言っていた。でも、花見に参加した人でも実は会社の付き合いだったり、そんなに楽しくない状況だったりもする。心から楽しいお花見、バカ騒ぎではない理想的なお花見をやった人というのは、はたしてあるのだろうか、なんてことを考えたりする。
 先日、久しぶりに会った友人がいた。話題になったのはお花見のことだった。その友人と知り合うキッカケとなったグループのようなものがあり、一度だけお花見をしたことがあった。成増の駅でまずは数人が待ち合わせをした。駅前のスーパーで酒と食べ物を購入する。お花見の会費をちょろまかし、ちょっとコーヒーなんぞを飲んだりする。我ら買い物隊は苦労しているのだからこのくらいはいいんだ、と勝手なことを言う。実はお花見というのはこうした途中の行程が楽しかったりする。駅で、「いやぁ仕事が忙しくて」という後からのメンバーと合流して、光が丘公園へと向かった。確か総勢20人くらいはいたはずだった。ものすごく広い公園の芝生の上にビニールシートを引き、静かな宴会を始める。カラオケがあるわけでもないく、騒ぐことはなかった。でも楽しかった。ほんとうに心から笑える楽しいお花見だった。上野公園とは違い、夜がふけてしまうと手元が暗い。周りの毎年来ているであろう集団は、しっかりと灯が燈っている。暗いなかで、ネタのわからない寿司をつっついていた。
 終ったときには本当に楽しくて、「また来年もやろう」と言ったものだった。
 でもこうした宴会の幹事というのはけっこう大変で、誰かの言葉にカチンときて彼は翌年にやろうとはしなかった(僕のことか……)。まあ、そんなわけでこのお花見宴会は一度きりだった。
 楽しいお花見というのは、実はかなり難しいもののように僕には思える。しかも、その日が晴れるとは限らない。奇跡のようなものかもしれない。
 でも、多くの人が毎年楽しんでいるようにも思えるし……。生きていくことは辛く、謎に満ちている……。

■ 南木佳士著『阿弥陀堂だより』(文春文庫)
 このところアタリが多いな、と思っている。小説の映画化というものは、残念な感想というものが多かった。けれど、小説もいいし、映画もいい、と素直に感じることができたりする。たまたまそういう作品に多くあたっているのか、少しは僕の方に変化があるのか。よくはわからないけれど。
 映画での『阿弥陀堂だより』はとても良かった。その風景、静かな語りの登場人物たち。一歩違ってしまうと、お説教くさくなりがちなのだけど、全くそんなことはなかった。
 映画であるがための仕方の無いところに、時間というものがある。出演者の年齢というものは映像ではなかなか変化できない。主に、そうした時間の流れがこの小説には多くあったように思えた。主人公の男性とその妻との出会いのような物語が丁寧に書かれている。高校生の時の手紙のやり取りなどは、たまらなくグッとくるものがある。出会ってから多くの出来事があって、夫婦という関係があるのだと、素直に感じることができる。映画にない部分としては、本というものがあちこちで使われている。主人公の男性は売れない小説家である。そして、小百合という難病とたたかう女性が出てくるのだが、彼女も小説を読むことが好きで、具体的な本の名前が出てきたりする。本の好きな人には、たまらない要素がいくつもあるのだ。
 そして、40歳代前半の夫婦の人たちにも、大きな意味を持つ小説ではないかと思う。別にひとり者でもいいのだけど(笑)。
 僕はこのところあまり本を読むことが無かった。電車に乗ったときに、細切れで読むような感じで、部屋でじっとして読むなんてことはほんとに無かった。それが、この本は食事のあと、ほんとうに一気に読んでしまった。読みやすい設定、しかも映画を観ていたということも確かにある。でも、大切な本なんだという感じで、どんどん読むことができた。ぜひ、読んで欲しい一冊であった。

◆ 朝までカラオケ
 数年ぶりで朝までカラオケというものを体験した。とにかく疲れた。どうしようもないくらいに(笑)。夜中の3時、4時という時間帯では、ただ単に惰性でマイクを持っていたような気がする。ちなみに「学生街の喫茶店」とか「木綿のハンカチーフ」とか歌ってしまった(笑)。
 酒を飲んだときの夜というのは、「飲む」「終電が無くなる」「カラオケ」というコースがまあ一般的なのだと思う。けれど、こういうことは20代の過ごし方なのではなかろうか。カラオケが無くてもいいのだけど、畳で横になることのできるスペースがあったらと思う。毛布とかがあり眠りたい人は眠ることができる。注文すれば酒も出してくれる。普通の家にある畳の部屋のようなスペースで、終電が無くなってから朝まで過ごすことができたならば、と切実に思う。ホテルはやっぱり高くなるし、マンガ喫茶に何人かで行くのも変だし。とにかく、安く、ゆっくりと朝まで過ごせる場所があったら嬉しいのだが。
 それにしても、早朝の下り電車の混んでいることには驚いた。僕と同じように(もちろんカラオケなんかじゃやないところに行って運動していた人だっているだろう)、朝まで眠ることなく過ごしたであろう人がいっぱい乗っている。こういう人たちは、この日、仕事をどうするのだろうか。元気な人はいっぱいいるものだと関心した朝なのであった。

◆ スポーツシーンでの日本人
 先日ドルフィンホテルの友人が僕の部屋に泊まり、朝になってからけっこう話をした。通常は夜中に酒でも飲みながら話をするものなのだろうが、夜はお互いに酔って疲れて寝てしまったのだ。まあ、それなりの歳なのである。こんなことを書くと、僕より事実上ずっと若い友人は怒るかもしれないけど。
 話をした内容というものは、モトGP、オートバイの世界選手権についてのものだった。実は僕もそうなのだが、友人もこの数年次第に興味が無くなってきている。昔は面白かった、というのはただ単にオジサンだからかもしれないが、いかに上田や原田が国際的に凄かったか、日本GPでのノリックの走りの素晴らしさなどを、酒を飲むこともなく熱く語り合った。かつて、2輪の世界グランプリに参加する日本人はそんなにいなかった。高橋国光や片山敬済という凄いライダーもいたけれど、ほんとうに、ひとりひとりのチャレンジがあり、GPの中に日本人ライダーがいるということは普通のこととなった。日本では知られていないけれど、上田、原田、そして加藤大治郎にしてもイタリアので知名度は相当なものであるという。超一流のライダーとして。
 どうにも寂しいなぁと感じてしまうのは、日本での彼らの評価である。サッカーでは、ヨーロッパのチームに所属する日本人選手はゲームに出ていなくても、それなりのニュースとなる。でも、2輪のグランプリを比べて欲しいのだ。どんなに、この世界で日本人のライダーが誇れる存在であるか。そういうことを考えると、サッカーでの日本人選手というのは、まだまだ10年くらい遅いように思えてしまう。いろいろなスポーツシーンで、日本人に活躍してもらって、そのスポーツの素晴らしさを伝えて欲しい。衛星放送の時代なのだからね。

■ ビデオ『求むハズ THE MILLIONAIRESS』アンソニー・アスクィス監督 [NHK-BS2]
 ソフィア・ローレンが主演していて、なんと百万長者なのだ。しっかりと百万長者のピントの外れた苦悩というものが表現されているのかな(笑)。コメディ映画ということで、こういう楽しさもあるのだろう。それにしても、どうして原題が「THE MILLIONAIRESS」なのに、邦題が「求むハズ」なのかよくわからなかった。お金持ちの気持ちだけでなく、世の中にはわからないことが多い。

◆ プロ野球の季節
 春になり、プロ野球というものが始まった。けれど、僕はこの開幕をあまり歓迎しないほうである。そんなに野球を見ないというのが理由ではあるけど、テレビ番組の録画時間がズレてしまうというのが、とにかく困る。今はパソコンでもテレビの録画ができるようになっているので、ひょっとしたら最新の機能とかがあるかもしれないが、プロ野球の中継時間が延長になったときに、あとの番組もちゃんとズレた時間で予約できればと思うのだ。その点、サッカーというのはいい。時間が決まっていて、基本的に延長ということがないからだ。もっとも、スポーツの後にドラマがあるような状態が、おかしな問題なのかもしれない。延長の可能性のあるスポーツ中継は、そうした専門の局でやればいいと思うのだ。そうでなければ、最初から大きな時間枠で行なえばいい。
 でも、本当のスポーツの面白さは、延長になるかもしれないというところにあると僕は思っている。例えば、F1中継というものは、かつては何が起こるかわからずそれがまた魅力だった。スタートが何回も繰り返されたり、レースが終るまでのかなりの時間が掛かったこともあった。しかし今はセイフティカーの導入により、何が起こっても予定通りにレースは成立してしまう。F1がつまらなくなった最大の原因はここにあると僕は思っている。
 つまり、テレビでスポーツ中継を行なうということは、限界があり矛盾がある。そうしたことにとことん付き合うか、それともある程度で割り切るか、どちらかのはず。中途半端な妥協点では、違ったものになってしまうように思えるのだ。

◆ 居酒屋
 池袋にある『べったこ』という店で焼酎を飲んだ。鹿児島の芋焼酎を数多くそろえているみたいで、なんとも独特のいい雰囲気の店だった。何しろ、メニューにちゃんと全ての焼酎が書かれているわけではないのだ。壁にあるラベルを見たり、あとは自分の好みを店員さんに言って、出してもらう。テーブルには最初からお湯の入ったポットが置かれている。まずはコップにお湯を入れ、それから焼酎を入れるのが本場の飲み方のようだった。
 焼酎だけでなく、料理も美味しい。卵焼きや焼きうどんなどは、他の店では絶対に味わえないような、特別な美味しさだった。いい居酒屋の条件のひとつには、周りのお客さんがどうかということもあると思う。後から来た会社の同僚だろう10人くらいのグループが隣でわいわいやっていた。でも、ちゃんとこちらの席のことも気を使ってくれている。写真を撮ってもらいたいと頼むと、本当に親切に撮ってくれた。
 このお店は初めて入ったのだったが、実は入るにはかなりの思い切りが必要である。飲んでいたとき、友人の女性が遅れてこの店に入ったのだが、よく入ってきたなぁと関心してしまうものがあるほど。このお店の場所は池袋の新文芸座近くにある。新文芸座から線路の方に歩き、酒のやまやの正面くらい。映画を観たあとに、ぜひ一杯やりたくなるようなところである。この辺りの雰囲気についてわかる人はわかるだろう(笑)。なんとも面白いくらいに、この『べったこ』という店の左右も上の方も、とある産業の大きな看板で目立っているのである。まるで、そうした世界を掻い潜って店に入るような感じさえある。ちゃんと潰れることなく続いているのは、すごいなぁと関心する。いいお店というのは、場所じゃないのかもしれないよな、厳しい中でできた酒こそが美味しいのかもしれない、などと思うのであった。

◆ 雑誌
『DAYS JAPAN』(http://www.daysjapan.net/)という雑誌が創刊された。大きな出版社ではないので、あちこちの書店に並んでいるわけではないかもしれない。広河隆一が編集長兼発行人をしている。特集は「大儀なき戦争」。衝撃的な写真が多い。これまでに無かったと言っていい、写真と文章との、迫力満点の雑誌である。賛同している人の名前も興味深い人たちばかり。
 実はかなり前に講談社より同名の雑誌が出ていた。僕はその雑誌が好きで創刊号からずっと読んでいたものだった。その雑誌がキッカケで、広河隆一の本をよく読んでいたものだった。今の時代になって、こんなふうに「DAYS JAPAN」という名前が復活するとは。
 どちらかというと政治的なメッセージが強いようだが。後半の方にある「サルガドの世界」「営みの大地」と言った静かだけれど過酷と言えるコーナーが、この雑誌の中心にあるような感じがした。

◆ 週刊ブックレビュー
 2004年3月28日放送のNHK『週刊ブックレビュー』は「増刊号・2004春」という特別放送だった。司会者が、ゲストの側にまわり、とてもリラックスした雰囲気で話をしていた。特にびっくりだたのは星野知子さんの洋服姿。実はこの番組での司会では毎回着物姿だった。その和の雰囲気を一変させた黒いドレスのような衣装。見ていてドキドキしてしまった(笑)。
 それにしてもこの番組は素晴らしい。何度か書いたけど、どうして地上波で放送しないのか疑問である。衛星放送でやるのだったら、1時間だけでなくて、一晩中本の話をこうやってして欲しいけど。
 番組の最後に悲しいお知らせがあった。星野知子はこの放送が最後になるという。そして、僕が密かに想いを寄せていた柴田祐規子アナウンサーもお別れとなる……。
 僕は今、この番組を見ることができる状態にない。この番組だけのために、お金を払うかというとやはり考えてしまう。価値があるのはわかる。新しい司会の中江有里さんも凄く好きである。でも、しばらくは誰とも付き合わないことにしようと思う。

■ 柴田元幸編・訳『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(アルク)
 英語圏の作家8人と村上春樹のインタビュー集。めちゃくちゃ面白かった。インタビューCDも収録されているので、英語の好きな人には最高の一冊ではないだろうか。
 それにしても、この柴田元幸のインタービューは凄い。ひとりひとりの作家の、まさに「小説の作法」が表現されている。どうして小説というものを書くのか、それはどういうものなのか。普通のインタービューでは絶対に(といっていいかも)出てこないような話が語られている。この本を読むことによって、読者の小説感というものが変わっていくのではないだろうか。
 特に、興味深かったのは、カズオ・イシグロと村上春樹のインタビューだった。
 イシグロのインタビューでは、本物の作家になるということ、についてとてもシビアに語られている(P219)。このページはコピーをとって何度も読み返したいくらいである。小説というものが、いかに深いものを感じることができる。小説を読むということも。でも、小説だけが特別なものでもないのだろうということも、確か感じられてくる。
 そして、村上春樹のインタービューも、彼のこれまで出てきていなかった声を聞いたような気がする。「うなぎ説」という話が語られている(P278)。うなぎの嫌いな人はコロッケでもいいわけだけど、書き手と読者と、うなぎなる存在というものがあって、三者協議で小説が成立しているという話である。これはわかりやすく、本当に面白かった。おまけに、うなぎも食べたくなったり、コロッケも牡蠣フライも食べたくなってしまったほどだ。
 考えてみると、小説家のこうしたインタビュー集というのはあまり無かったような気がする。小説家だけでなく、小説というものが改めて魅力的なものと思えてきた。

◆ JR東中野駅からの風景
 JR東中野の駅で何度か乗り換えということをした。例えば、吉祥寺なんかに行くときには、まず地下鉄大江戸線に乗り、東中野でJR中央線に乗り換えたわけだ。この駅のホームで黄色い電車を待つときに、ちょっとした決め事があった。何で、と聞かれても困ってしまうのだけど、僕はホームを移動してちょうど映画館の正面に立つことにしていた。
 以前は別の名前の映画館だった。今は「ポレポレ東中野」(http://www.mmjp.or.jp/pole2/)という。名前の変わる前に一度だけ、ここで映画を観たことがあった。森達也監督の『A2』だった。地下への階段を降りていくところにあるその映画館は、とてもデープな雰囲気だった。ずっと、ちょっと変わった映画館なのだな、という感じを持っていた。ここで観たことは一度だけだったのだが、何か気になるものがあって、東中野での乗り換えのときには、その存在を確認していたのだった。
 寺島しのぶが日本アカデミー主演女優賞を受賞したころで『赤目四十八瀧心中未遂』という映画が話題となった。全国ロードショーで公開されている映画ではない。主な映画館はこの「ポレポレ東中野」だった。日本のあちこちには、豪華な設備のシネコンがいくつもある。映画というものが上映され、ポップコーンの匂いで溢れている。
 映画というもの、その周りの状況も含めて面白いものだなと思い、東中野のホームで電車を待つのであった。

◆ とあるOLの女性
 もう何年も前のことだが、あるOLと出会った。いきなり話は逸れるがOLという言葉は変だよなぁと思う。男性だったならば、何と言うのだろうか。でも、OLという言葉によって何だかミステリアスなものがある。
 実は出会ったあと数日後には彼女はOLではなくなっていた。そんなに親しい間柄でもなかったので、いつまでがOKでいつからがOLで無くなったのか、詳しくはわからない。
 どこからどう見ても、キレイな女性だった。最初に彼女に会ったときのスーツ姿は、清潔感が漂っていた。途中から彼女の服装はジーンズ姿となり、会うことは無くなった。
 たぶん、2年くらいの時が過ぎた頃だった。芝居のチケットが送られてきた。顔を会わせることの無くなっていた間、彼女はミュージカルの学校に入っていた。その卒業公演のチケットだった。大きくはない会場だけど、それなりに客は埋まっていた。彼女と同じ卒業する人たちの友人などが多く集まったのだろう。
 ミュージカルという名前の通り、歌があり踊りがある。大人しいスーツ姿のOLの彼女はそこにはいなかった。身体全体で表現する笑顔と汗がそこにはあった。
 終ったところで、ひと言ふた言の挨拶を交わした。彼女は興奮していて、眼には光るものがあった。
 彼女と会ったのはそれっきりで、この先も会うことはないだろう。今、どこでどうしているのかもわからない。でも、舞台での彼女の表情はこれから先、忘れることはないだろう。

■ ビデオ『男はつらいよ 寅次郎の縁談』山田洋次監督 [テレビ東京]
 満男が就職について悩んでいる。大した就職活動なんてしなかった僕が見ても、辛いだろうなぁなんて思えてしまう(笑)。履歴書なんて書くのは大変だもんな。自分のアピールなんてものも、面倒だし。でも、この満男クン、役者には向いているだろうけど普通のサラリーマンは窮屈そうだもんな。あと2、30年くら経ったら『男はつらいよ2』というのが出来るのではないか。主人公は満男なのだ。面白いのではないかと思うのだけど。

■ ビデオ『男はつらいよ 拝啓寅次郎様』山田洋次監督 [テレビ東京]
 寅次郎が満男に説教する場面がある。
「燃えるような恋をしろ。大声だして、のたうちまわるような。恥ずかしくて死んぢゃいたいような恋をするんだよ」
 凄いメッセージだ。この燃えるような恋というものを、多くの人は経験しているのだろうか。これからもまだまだするのだろうか、なんて思ってしまった……。
 それにしても、何で満男クンはこんなにモテルのだろう(笑)。

■ ビデオ『男はつらいよ 寅次郎紅の花』山田洋次監督 [テレビ東京]
 いよいよ最後の第48作目。実は前に観たことがあった。でも、やっぱりいい。満男の場面ではせつなかった。寂しい最後となった映画だけれど、寅次郎の旅はずっと続いている。彼のような人物はどこかにいるのだろうと思う。
 ありがとうと言いたい気持ちである。



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