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9月
8月が終ったばかりだというのに、僕の住むところではリンゴが売られている。農家が家の前に店を設け、そこで売っているのだ。リンゴなんてもっともっと深い秋の食べ物だとばかり思っていたのに。
子供だった頃、秋にはリンゴ畑の中にいた。小学校に上がる前のことになるが、母親がリンゴの収穫の手伝いをして、小さかった僕はそれに連れられていたのだった。ぼんやりとした記憶でしかないが、僕はうろうろとその畑の中を走り回り、栗を拾ったりして遊んでいた。今はそうしたリンゴ畑は切られてしまって、ほとんど残っていない。広い畑だった記憶も、大人となった眼で冷静に見ると、狭い場所だ。微かな記憶の中にいる僕には、どこまでも続く森の中のような場所だったのだ。
ほとんど無くなったとはいえ、まだ2、3本のリンゴの木はあり、もう少し経てば食べられるようになる。この数ヶ月、自然なものを何でも美味しいと食べられるようになった。この数日は梨を毎日食べている。でも、考えてみるとリンゴは苦手なのであった。モゴモゴとした感触というのだろうか、少し食べるのだったら美味しく食べられるのだが、毎日というと……。ちょっと不安で、ちょっと楽しみでもある。
■ よしもとばなな著著『デッドエンドの思い出』(文藝春秋) [図書館]
彼女の本を読むのは久しぶりだった。この本は前から読みたいと思っていて、やっと図書館で借りることができた。5つの短編小説が入っている。あとがきで作者は「デッドエンドの思い出」について「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。」と書いている。
期待して読んだ通りの、とてもいい作品だった。ひとつひとつの話が、丁寧で心地よく胸に響く。それぞれの話は別の話ではあるけれど、不思議と同じような感覚があり、少しずつラストの物語へと繋がっていく。「ともちゃんの幸せ」なんて、愛しくて愛しくてどうしようもないのだ。この作品があって、ようやく「デッドエンドの思い出」という決勝戦にたどり着くような。
僕は最後の作品を読みながら、サンドイッチのことを思い出した。前に赤坂でネクタイを締めて仕事をしていたときに、働いているビルの前に小さなサンドイッチ屋さんがあったのだ。午前中にトラブルがあったりすると、お昼ご飯は外に食べに行くことはできなくなる。そんなときはそのサンドイッチを食べるというのが仕事の光景のひとつだった。なんか、そうしたサンドイッチというものが、この物語の登場人物の手によってつくられていたような気がしたのだ。
サンドイッチなんてこのところ全くといっていいほど食べていない。簡単そうな食べ物に見えるけれど、この小説のように温かな食べ物なのだろう。
◆ F1ベルギーGP
久しぶりにF1を見て、「やっぱりF1は絵になるなぁ、カッコイイ」と思えた。どうしてかと言えば、サーキットがいい。スパフランコルシャンはベルギーの山の中にある半分公道を使ったサーキットなのだが、ほんとうに見ていて楽しい。自然の景色の中を走る。別にこれは周りの光景だけではなく、その勾配やコーナーが自然のものだと感じられるのだ。最近のあちこちの人工的なサーキットとは全く違うもの。ほんのちょっとした違いなのかもしれないが、見ていると飽きることなく楽しめる。
レースではミハイル・シューマッハがチャンピオンを決めてしまった。あまりにも他のチーム、ドライバーと違いすぎる。それでも、彼はチャンピオンになるために、最大限の情熱を持って走っているのだから、本当に凄い。凄すぎる。
そんなときにふと、アイルトン・セナのことを思い出したりする。もう一度、2人の闘うレースを見たい、なんて思ったりするのだ。
■ ビデオ『レ・ミゼラブル』レイモン・ベルナール監督 [NHK-BS2]
舞台では有名なこの物語。一度観に行きたいと思っているのだが、なぜか映画を観てしまった。舞台はフランスのはずなのに、なぜか皆さん英語を話している……。
でも、なかなか見応えのあるドラマではあった。でも、舞台の方がずっと面白いんだろうな。
■ ビデオ『離愁』ピエール・グラニエ・ドフェール監督 [NHK-BS2]
この映画はなかなかのお薦め。ナチスドイツの時代のフランスが舞台なのだけど、時折モノクロの実写映像が出てきたりして、すごい緊張感がある。けれど、戦争映画かというと、そうでもない。そうした極限の状況での恋愛映画とも言える。
ハッキリ言ってしまえば、不倫でもあり、普通に考えたならばかなりきわどい状況。なんと言っても貨車の中、折り重なるように人が寝ている状況でのラブシーンなんかがあったりするわけだから。
でも、そうした場面さえもすっと納得してしまえるようなものがこの映画の中には感じられる。
◆
自転車の美しさについて
自転車という乗り物は、乗れば乗るほど、その魅力に取り付かれるような感じがする。なにせ、そのシンプルさがいい。無駄というものをできるだけ無くし、乗りやすくしたもの。それは軽く、美しいのだ。なんだか女性を表現しているみたいだけど(笑)、ほんとうに自転車を抱きしめたい気持にもなってくる。
ああ、自転車と一体となって風を切って走ることの気持のいいこと……。
でも、街を走っていると、これがけっこう大変で頭にくることが非常に多い。なにせクルマは自転車のことは全く見ていなかったりして、何度危ない目にあったかわからないほど。けれど、クルマよりも見ていて頭にくるのは、実は自転車だったりするのだ。
特に、最近の高校生! これは僕の住む地域だけなのだろうか。自転車のハンドルをやたらと高いヘンテコな形のものに付け替えている。そして、片手をポケットに入れたり、何かを食べながらだったり、携帯電話で話をしながらとか、とにかく自転車に乗る姿がだらしないのだ。どう見てもかっこ悪い。自転車という乗り物に対して愛が無い!
ふざけるな!と心の奥底から怒鳴りたい気持になったりする。真面目な話、日本の未来は危ういよ。
■ 鷺沢萠著『私の話』(河出書房新社) [図書館]
正直なところ、これまで「鷺沢萠がいい!」という気持がちょっとマイナスになってしまった。小説とエッセイでは、テーマ、主人公に対しての距離のとり方が違うはずなのだが、このエッセイはうまく距離をとって読めなかった。例えば、部屋が狭いということに対していろいろと書かれているのだが、僕の自分の部屋の状況を考えてしまうとこの人の悩みはナンなんだとしか思えなかったり。
なんというか、最初に引いてしまって読んだために、あまり面白く読むことができなかったということでした。はい。
3つの私の話が書かれている。特に最初の話は、離婚後のあたりであり、確かに厳しい状況のことも書かれている。こうしたエッセイを読むと、作家もひとりの人間なんだと思えてしまう。
◆ ファックスの手紙
部屋の整理をしていた。このところ、よくこうしたことをやる。少しでも物を減らしたい。けれど、なかなか減ってはくれない。体重を減らすのが簡単ではないように、けっこう難しいことだ。
あるファイルの中に、ファックスの紙が何枚かあった。今のようにEメールが主流になる前に、ファックスで連絡を取り合うという時代がほんの少しだがあったのだ。友人から貰い受けたファックスが実際に動いていたのはどのくらいだっただろうか。ある女性の友人と、ある会報のようなものを作るやり取りで、何度かこのファックスが活躍していた。
その時の、ファックスの手紙が残っていた。面白い。女性ということで、文字の傍らにイラストがいっぱい書かれている。まさに、手書きの温かさだ。この女性とはその後、Eメールで何度かやり取りをした。けれど、彼女のEメールの文章は、引用が多く、事務的で、何ら面白みのないものだった。ちょっとばかり手段が変わるだけで、こんなにもその存在の見え方、感じ方が違ってしまうのかと、驚くほどだ。
そんなことを考えていたら、ファックスの手紙は捨てられなくなってしまった。どうにも物は減らせない。難しいものだ。
■ ビデオ『ルーブルの怪人』ジャン=ポール・サロメ監督 [WOWOW]
ルーブル美術館が舞台になっていること、ソフィー・マルソーが主演ということで、上映のときにそれなりに話題になっていたと思う。けれど、ひどい映画だった(笑)。まあ、サスペンスなのか、怪奇なのか、中途半端というのかな。ドキドキもしないし、恐くもないし、ある意味でこっけいでさえある。ルーブル美術館が可哀想にすら思えてくる。でも、ソフィー・マルソーがあまりにも普通でステキなので僕は、楽しく見ていたのであった。
■ 角田光代著『トリップ』(光文社) [図書館]
このところ読んでいなかったが角田光代はそれなりに読んできていた。これまでは、若い登場人物というイメージがあったが、この作品はもうひとつ上の年齢というものを意識させてくれる。もちろん、登場人物の中には小学生もいて、より深い人物像というものを感じられるようになった。
うん。角田光代はいい。このところ作家と思えないような人が多くなっているような気がしているが、この人はちゃんとしたものを書いてくれている。現代社会を深く抉るような感じがあって、僕はこの作品を読んでいて、ふと重松清の『ナイフ』を思い出したりもした。
10篇の短編集ではあるのだけど、どこかが繋がっていて、ひとつの世界をつくっている。
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第一回ドルフィンホテル・サイクリングクラブ・ミーティング
これをオフ会と言ってしまっていいものかどうか(笑)。オフ会レポートとして独立して書くのはやっぱり変だよなぁということで、ここに書きます。
先日、ドルフィンホテルのメンバー(むらてさん)と自転車で走るということがありました。風を切って走るのはメチャクチャ気持のいいもので、というのは半分ウソで、登りはけっこう辛いのですが、そういうことがあったわけです。走って、露天風呂に入って、走って、ビールを飲んでというお話なのだけど、ちょっとしたレポートになります。
◇ その1 露天風呂
小野川温泉というところがある。蛍が見られるということで知られている(地元だけなんだろうけど)。サイクリングの途中でそこの露天風呂に入った。無料である。近場に住んでいながら僕は初めて入ることとなった。なんとびっくり、身体を洗う場所なんてない。岩場があって、ちょっと身体を流してあとは入るだけ。温泉の水も自然な雰囲気(笑)。まあ、でもこれが露天風呂の良さなのだろうね。水道の水を沸かしたのでは、こういう感じはでない。この日は土曜日ということもあり、それなりに人が多かった。ちょっとばかりお湯につかっているのに疲れてきたが、外に出ると寒く、がんばって入っていた。これも露天風呂の宿命というものだろうか。
◇ その2 酒蔵
地元に住んでいても、観光名所の全てに行っているというわけではない。ひとりで行こうという気にはならないしね。市内にそんなに観光する場所があるわけでもないので、せっかくなので行ってみようということになったのだ。それが、「東光の酒蔵」(http://www.tokonosakagura.com/)というところ。
入場料を払って中に入ると、さっそく試飲できる一升瓶が置かれてあった。日本酒好きにはたまらないだろう。そして、昔の酒蔵がずらりと並んでいる。すっ、すごい。こういうところで酒を造っていたのかと感慨深くなる。でも、ふと考えると今はどうやって造っているのだろうか、なんてことが頭を過ぎるのだけどね(笑)。
ちゃんと見たわけでもなかったが、米の精米についてとかが書かれていて、純米酒とかのいわゆる種類のこともわかり易く展示されていた。そして、昔の台所とかそういったものまでもがある。
そして最後に行き着いたところ、まあお土産コーナーなのだがそこで試飲できるようになっている。係のオバサンがいて、お猪口に注いでくれるわけだ。それが飲んだら次に、次にと注いでくれて、確か6、7種類の酒を次々に飲んでしまった。嬉しいというか、酔っ払ったぞというか(笑)。
そう言えばこのところ日本酒はほとんど飲んでないような気がする。地元の酒を少しは飲んでいこうかなと思ったのであった。
◇ その3 上杉伯爵邸
広い庭のある喫茶店みたいなところがあったらいいなぁと思っていた。なんとそうした場所があったのだ。
この場所に入るつもりはなかったけど、ふと前を通り入り口のお茶の写真を見て、ちょっと休んでいこうということになった。上杉伯爵邸(http://www.omn.ne.jp/~uesugiyo/)というこの場所は、ちょっと高級な料理屋さんという感じなのだろうか。前に法事のときに一度入ったことはあった。落ち着いた雰囲気で、庭を眺めながら食事をする。
名前の通り、上杉家ゆかりの場所、すぐ隣は米沢城跡のある公園である。古い建物と広い庭がある。あくまでも、夕食だけの高級な店で気軽に入れるとは思っていなかった。それが、喫茶店のようにお昼時もお茶を飲むことができたのであった。
古い建物だけあって、床を歩くと軋む音が聞こえる。けれど、古さを生かした調和のとれたインテリアとなっていて、この建物にいるだけでとても心地よい。食事のメニューをよくみると、そんなに高いわけではない。東京と比べたならば、まったくリーズナブルな値段だ。
お客さんはポツリポツリとしかいない。そんなに知られていないのかも。旅行客だろうか、ひとりで来ている人もいた。なによりも、静かなことがいい。旅をして、ちょっとこういうところに寄ったなら楽しいだろう。
◇ その4 スタンド
ガソリンスタンドのことではない。自転車のスタンドだ。今回の参加者のひとりの自転車にはこのスタンドというものがついていない。まあ、ロードレーサーならば付いていないのが普通なのだ。ちなみに僕の自転車だって、スタンドは付いていなかった。買ったときにオプションで取り付けたのである。
スタンドがなくてどうやって自転車を止めるのだろう。ずっと僕は疑問に思っていたわけだ。今回のミーティングでは街中を走り、何度か自転車を止めるということがあった。僕なんか、ああどこに止めるのだろう、なんて心配してしまうのだけど、うまく見つけて止めてしまう。例えば、せいぶというラーメン屋さんの前では前の電柱に横付けにしチェーンで括りつけた。凄い。そんな姿を見ていると、カッコイイなぁと思えてきて僕もスタンドを外そうかな、なんて思ってしまうのだった。
◇ その5 ラーメン
実はこの町は、ラーメンでも有名である。しかし悲しいかな、そう思っているのは地元の人間だけだったりしているのだな、これが(笑)。最近ではラーメン屋さん以外のお店もけっこう多くはなったが、以前は外食と言えばラーメン屋さんに行くしかなかった。いや、ラーメンというよりはやはり中華そばと言わなければならないか。
スープは醤油味、そして麺は細く縮れている。そこにシンプルな美味しさがあるのだ。
しかし、近年悲しいことに山の向こうにある喜多方のラーメンというのが急激に有名になった。でも、僕の引越をしてくれた福島の運送業の人も「こっちの方がずっと美味いな」と言っていた。たぶん、美味しいものというのは、その美味しさよりもPRの方が有名になるには大切なのだろう。でも、ラーメンを食べにどこかの土地に旅行するなんてのも変な話に思えるし、とにかくラーメンというのはその生活に密着したものなのだと思う。今でもだいたい親戚の家なんかにお昼時に行くと、ラーメンを出前してもらったりするのだ。
ところで、このミーティングの〆はこの中華そばを食べるということだった。店に入り、出てきた中華そばにびっくり。なんと卵がついていた。その卵を自分で割って中に入れるのだ。こういう食べ方は初めて。なんとこの卵は温泉卵だった。これはこれでけっこう美味しかったな。でも、並んで食べようなんては全く思わない。並ばないのだラーメンなのだ。
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The
Strange Country 2004/9 #2
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UFO
友人が「UFOを見た」という話をした。東京で、しかも複数回見ていると。少しばかり興味をそそがれる。子供の頃からこうした話には興味があった。それなりに本も読んだことがある。地球以外に人間のような生き物がいてもおかしくはないはずなのだ。「謎の円盤UFO]を見て「ウルトラセブン」を見て「銀河鉄道999」を見て、そうした想いを強くしていた。
でも、この数年(何十年か)そんなことはすっかり忘れていた。久々に「UFO」という言葉を聞いたのだった。
ちなみにこの友人が言うには、UFOという存在は宇宙人というよりも幽霊というものに似ているのではないか、ということだった。その辺のニュアンスは難しいのだが、なんとなくわからなくもない。僕のUFO観も少しばかり変わってきたのかもしれない。
UFOというものを見るには、まずは空を見上げなければならないはずだ。道を歩いていても、空という存在は少しは目に入る。なにも真上を見なければならないということではない。でも、意識して空を見るということはそんなにあることではない。UFOがホントかどうかなんてことよりも、僕たちは空という存在をどれだけ見ているのだろうか、ということの方が実は大きな問題のように思えてくる。
そんなことを考えていると、生き方とか、意識の問題のような気がしてくるし、UFOというものが単にひとつの現象でしかないように思えてきたりする。
そして僕は空を見上げる。きれいな空を見るのは楽しい。でも、すぐに飽きてきてパソコンでゲームをしたりするんだよね。
■ 帚木蓬生著『国銅(上)』(新潮社) [図書館]
久しぶりに帚木蓬生の本を読んでいるのだが、実に面白い。読み応えがあってたまらない。話は特別なものでも何でもない。主人公が奈良の大仏を造るという話。ただし造るといっても、この主人公はただの人足でしかない。貧しく厳しい暮らしの中、長門から都へと移動し、その作業を行うという話だ。途中にはいくつかの出来事がある。けれど、そんなに特別なものではない。大仏というものを通して、この時代が静かに感じられる。これまでに無かった小説だ。
◆ このところのドルフィンホテル
このところ各掲示板への書き込みが少ない。まあ、僕がちゃんと返事を書かないということがひとつの原因ではあるのだろうが。とにかく、ドルフィンホテルは静かな状態が続いている。夏あたりからすっかりアクセス数も少なくなったのである。平日と比べると土日はぐっと減ってしまっていたのだが、夏場も減るみたいなのであった。秋になり少しばかり盛り返しているかな、と思う今日この頃。それでも、最盛期からはだいぶ減ったが。
そんな静かなドルフィンホテルにも、ぽつりと新規のお客さんが着てくれたりする。まあ、「はじめまして」というメールをもらったりするわけだ。こういうメールは本当に励みになり、「よーし、これからも書きまくるぞ!」なんて意欲を持たせてくれる。恥ずかしながら3日くらい経つと、その効力も薄れてしまうのだけど(笑)。
でも、嬉しいのだ。そうしたメールというのは掲示板の書き込みと違った面白さがある。どうやってドルフィンホテルを見つけたか、なんてのが書かれていたりするのだが、先日は「神楽坂の飲み屋さんを検索して」なんてのがあった。確かに神楽坂で飲んだことを何度か書いたが別にコーナーを設けているわけでも何でもないのだ。その次には「イギリスのHPを検索していたら」というメールがあった。イギリスなんて行ったこともないのに(笑)、イギリスの言葉にどこかでヒットしたようだ。神楽坂の通りを抜けると、イギリスの石畳の道があるような気がしてくる。そして、その坂を登ったところにドルフィンホテルがあったりするのだ。
世界はどこかで繋がっている。さて、次はどこの土地と繋がっているという知らせが届くのか、実は密かに楽しみにしているのである。
■ ビデオ『さすらい』ミケランジェロ・アントニオーニ監督 [日本テレビ]
名作らしいのだけど、そんなに面白いとは思わなかったというか、よくわからなかった(笑)。純文学と呼ばれる小説がよくわからなかったりするのと同じように、映画もよくわからないのがある。
でも、この映画とても印象深いものがあった。主人公は、このタイトルの通り、さすらうわけだ。すごいなぁと思うのは、さすらいながらもちゃんと女性と出会い、物語がある。それにしても、最後には衝撃を受けたが。さすらうときにはボストンバックがある。彼の人生において、これが全ての荷物となっている。
そうなのだ。僕はこの荷物にけっこう心を打たれた。例えば僕がさすらうときは何を持っていくのだろう。どうせ、人はいつか死んでしまうのだ。そのギリギリまで持っていたいものというのは何なのだろうか。
そんなことを考えていたら、僕のまわりにあるモノというモノが邪魔に思えてきた。もっと、シンプルに暮らしていこう。必要なものをボストンバックひとつに入れるくらいに。
■ 映画『LOVERS』チャン・イーモウ監督(http://221.254.243.163/~warnerbros.jp/lovers/)
すっかり映画というものから離れた生活をしているのだが、映画の日ということで、しかもチャン・イーモウの新作が観られるということで、映画館へと足を運んだ。
田舎の映画館なのに、けっこう混んでいるではないか。さすがに1000円というは大きい。
映画の内容はというと、まあ面白かったのだけど……。映像はキレイで金城武もカッコイイ。けれど、そろそろ前に作っていたような映画をまた撮ってよ、とついつい思ってしまうのだ。この映画で初めてチャン・イーモウの作品を観たという人は、もっと別の作品を観たいと思うだろうか。ハリウッドの別の映画を観ようとは思うかもしれないけど。
なぜ僕がチャン・イーモウを好きかというと、常にチャレンジする映画作りである。だから、『HERO』もこの『LOVERS』も好きだ。前に戻ってとは言わないけれど、そろそろ次のチャレンジで魅了して欲しいのである。
◆
梨
このところ梨を採っている。1本だけ梨の木があって、そこからひゅいと採って冷蔵庫に入れ、1日に1個か2個食べている。実に美味い。特に少し暑い日に冷やした梨を食べるのは、何とも言えないものがある。前にも送ってもらった梨を食べてはいたが、こんなに美味い食べ物だとは思っていなかった。
しかし、梨を美味しいと思っているのは何も僕だけではないみたいなのだ。中田英寿でもなく、それはカラスなのだった。うちではちゃんと梨を育てているわけではないので、こうした梨の木などがちゃんとガードされているわけではない。キレイに梨はカラスに食べられてしまうのである。上の方から中の身の部分を。真下からその梨を見上げても、食べられた風には見えなかったりする。そこから腐り、変色し、その梨の悲しい結末を知るのである。
もちろん、梨にとって、僕に食べられた方が幸せなのか、カラスに食べられた方が幸せなのかはわからない。ナイフなど使わずに、自然なままに食べてくれるカラスの方がいいのかもしれない。
■ ビデオ『ハメット』ヴィム・ヴェンダース監督 [NHK-BS2]
なぜかダシール・ハメットが主人公。ハードボイルド小説が好きな人は、この映画を興味深く観るのだろうか。僕にはいまひとつピンと来なかった。
それにしても、映画というのは魅力的な俳優がいるかどうかで全然違ったものになるのだろう。この物語の鍵となる中国女がいるのだが、言っちゃあ悪いけど全く魅力的ではなかった。もっと別の俳優だったなら、もっと面白くなったのでは、なんて思える。それだけ深い人生を生きているみたいで、その痛みを感じられるかどうかで、この物語の受け取り方が違ってくるようだったので。
■ ビデオ『RFK ケネディの名のもとに』ロバート・ドーンヘルム監督 [WOWOW]
これはとても面白かった。ケネディという人をほとんど知らなかったからこその面白さもあったのかもしれないが。どうしても、ケネディというと、ジョン・F・ケネディのことを思い浮かべる。しかしこの映画の主人公は弟であるロバート・F・ケネディだ。兄が偉大だった故に、常に比較され苦悩する。それでも前に進む姿が胸を熱くする。
実録ドラマではあるが、人間の内側をリアルに描いたドラマといってもいいだろう。
それにしても。アメリカという国もいろいろある国なんだね。
◆ マッサージ
整形外科というところに少しの間通っていた。よくなったのかどうなのかわからないのだが、リハビリということでマッサージを何度か受けた。
そのマッサージが大感激だったのである。ウォーターベッドでのマッサージ。ほんとにこれは凄いものだった。まずはこのベッドに横になる。その名の通り中には水が入っているので、ぐにゃぐにゃした感じ。そして、スイッチが入ると、この水が強いチカラを持ってマッサージしてくれるのである。これまでの椅子なんかに座った電動マッサージとは全く違った感覚。やさしく、チカラがある。
ただこの機械、どうみても気軽に家で買えるようなものではなさそう。整形外科でなくても、こうしたマッサージがあったらいいのにと思ってしまったのであった。
■ 村上春樹著『アフターダーク』(講談社)
この小説の息づかいが僕はとても好きである。例えばひとつひとつの文章を声を出して読み上げてもいい。そうやって丁寧に読むことでよりこの小説世界が広がりを見せてくれるような感じがする。
人気作家ゆえに、少しばかり雰囲気の変わった小説であれば、なんだかんだと風当たりも強いのかもしれない。けれど、僕はこの小説が好きで、デビューから25年経ってこうした文章になったということに、大きな喜びすらある。とにかく大切にしたい本と言っていい。
東京、深夜のファミリーレストラン。ある意味で、東京の、いや日本を象徴しているような場所かもしれない。例えばこれが時代小説であれば、どこかの寺で雨宿りをしている場面かもしれない。そうした場所でのふとした出会い。ちょっとした会話。まあ、つきつめて考えると、ここに書かれている時間にこんなにも深い内容のある会話をするのだろうか、なんて思ってもしまうが。でもいい。密度の濃い時間というのは確かに存在する。
小説を読むということは、ちょっとした娯楽である。けれど、小説を読むことによって、時間や距離を越えて作者のテーマを感じ、同じ小説を体験したもの同士でも、何らかのつながりを持てるのかもしれない。この小説の登場人物とも、ちょっとすれ違った感覚を持てたような気がしないでもない。そして、さっきすれ違った人にも、何らかの物語があるのだろうと感じたりもする。
小説を読むこと、と僕は書いた。けれど、この小説では音楽についても深く語られている。これまでの小説にも多くの曲名が出てきたけれど、これだけ深く音楽というものを語っているのは他には無かったような気がする。そして、登場人物には具体的な夢というものがある。夢というのは正しくないかもしれないが、目指す職業なり、社会とコミットする方向性だ。
この本は深い闇の中へと入っているけれど、その一方でとてもリアルな感覚がある。こういう小説は、これまでありそうで無かったような気がする。とにかく僕はこの本をとても面白く読み、これからもこうした小説を読みたいと思っている。
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ダイエット生活
この夜話で何度か書いたことになるが、この数ヶ月で驚くほど体重が減ってしまった。約5カ月で8キロくらいは痩せただろうか。このくらいの体重減は過去に2回ほど経験している。神経の細い(?)僕は仕事の激務で3ヶ月でこのくらい痩せてしまったことがあったが、その時には歯の裏がやばい状況となったり全くもって健康的とは言えないものだった。
それが今回の体重減は、身体が軽く調子がいいばかり、しかも何かを無理して行なったということではない。正直なところ、気が付いたら減っていたのだ。ダイエットの悩む人たち、そろそろ健康を考える人もいると思うわけで、何が原因なのか、ちょっとばかりこの数ヶ月の生活を振り返ってみたいと思う。
(1)食べ物の変化
以前から食べ物には注意していた。揚げ物は控えようとか、肉よりは魚を食べようとか。そうしたことでの基本姿勢は何ら変わっていない。変わったとしたならば、お金がないために気楽に買い物ができないということにある。スーパーに行って買うのは納豆、らっきょう、ニンニク、牛乳、調味料くらいなもので、あとは家にあるものを食べている。畑があるので、野菜などはいっぱいあるわけだ。つまり食べるものに関しては単純な話で、あるものを食べる、ということにすぎない。ちなみに先ほど食べた夕飯は、インゲンと鶏肉の煮物、キャベツ・茄子・ピーマン・タマネギの野菜炒め、プチトマト、カマボコ。ちなみに野菜以外は、親から「これを食べろ」と差し出されたものを食べている。野菜関係はうちで採れたものだけでなく、お隣さんとかからもらったものだったりもする。プチトマトはうちの庭のものだがプチトマトとして育てたのではないらしく、単に大きくならなかっただけのことらしい。
でも、数ヶ月でこういう食生活にすっかり慣れてしまった。もう焼肉とかそういうものを食べたいとは思わなくなってしまった。
(2)生活時間
実はこのところ起きる時間が遅くなって困っている。7時半くらいだったりしている。これが少し前だったら6時半には自然に眼を覚ましていたのに。でも、東京で生活をしていたときには、8時とか9時とか10時とかが当たり前だったわけで、まったくもって生活時間は変わった。起きた後にすぐ朝食を食べ、12時には昼食を食べ、夕方の6時には晩御飯を食べる。寝る前にちょっと飲んだりすることはあるが、基本的に晩御飯のあと何かを食べるということはない。寝る前に食べると太るよ、とよく言われていたことで、それをやっていないだけのことでもあるが。あとは、間食というものもほとんどしない。最近は桃を食べたりトウモロコシを食べたりはするが、こうした自然のものは食べてもいいかなぁと思っている。
(3)自転車生活
僕の住むところで、僕くらいの年齢の人間がクルマを所有していないということは、かなり珍しい。恥ずかしいことと言ってもいい。けれど、ギア付きの自転車の乗っている人というのも、かなり少ない。お金がないからクルマの代わりに自転車に乗っているというのもあるけれど、引越しを考えたときから自転車生活をしようと決めていたのだった。これが驚くほどいいと思っている。別に通勤などをしているわけではないので、ちょっとその辺を走ったり、たまに遠出をするくらい。それでも、かなりの運動になる。ドロップハンドルのため、前かがみになる。それが最初のうちはかなりキツく、まあ今も辛かったりもすうが、どうやら腹筋が鍛えられているような気がするのだ。大変だった登り道も、ちゃんと脚が鍛えられるという感覚がある。どんどん汗を掻くけれど、それもまた気持がいい(大変だけどね)。別に苦痛を感じることなく、楽しんで運動しているという感じなのだ。
たぶん、この3つなのだろうと思う。これだけで痩せるのではないだろうか。あとは、この3つを行なうことが、リラックスというか精神的な面で何らかのプラスの作用をもたらしているのかもしれない。
世の中には多くのダイエット法がある。単なる容姿ということだけでなく、やっぱり健康ということに気をつけることから言えば、それなりにダイエットを考えることもあると思うのだ。そうしたときに、特別な何かをやるのではなく、この3つのことを、楽しくやるだけでけっこう変化があろうのではないだろうか。
それにしても、ここまで書いて考え込んでしまうことがあった。上記の3つの項目はある意味で「お金がない」ということに関連している。まあ、お金がないというか失業中なわけでできるだけ「お金のかからない生活」というのをしたいと思っているということもでもある。
では逆に仕事の成功者のイメージとはどういうものか、どこかのフランス料理の店とかで立派な服を着て、隣には美しいドレスを来た愛人なんかがいて、優雅にしている姿だったりする。
けれど、こうしたイメージというのは、どう考えても健康にそぐわない。食べ物としては肉食は避け、もっと野菜を食べたい。どこかの店に入るよりも、畑から野菜を採って茹でて食べた方がずっと美味しいと思う。生活時間にしても、仕事が終わってからどこかに出かけてしまっては遅い時間になる。家に帰ってご飯を食べた方がずっと健康的だ。しかも、ネクタイを締めていては汗を掻いたり運動はできない。なんだか優雅にフランス料理を食べることに、何もメリットが見出せなくなってしまったのだ。
はたして人は何のために仕事に励み、あくせくと時間のない生活をするのだろうか。結果として健康というものを失ってしまうのであれば、何の意味があるのか……。
ギリシャなんか、のんびりしていてとても優雅な暮らしをしているように思える。でも、けっこう太っている人も多そうな雰囲気があったりして……。
(補足)自転車ダイエット
それにしても、といいうの自転車のダイエット効果というのはもっと認められてもいいんじゃないかと思う。単に痩せるということだけではないようだ。僕が体重以上に実感しているのは、腹が凹んだということである。早い話、ビール腹というか、歳相応に腹は出ていた。それがかなり無くなってしまったのだ。ほんの数ヶ月のことなのに。特にお腹が凹むような運動をしたわけではないので、自転車に乗ったということしか考えられない。
たぶんこれはママチャリではダメなんだと思う。仮にママチャリの場合だとしたら、できるだけサドルを高い位置にして、つまり上体を起こして乗るのではなく、前傾姿勢の上体で乗った方が腹筋にはいいのではないか。
なにしろ僕は、もう履けないだろうというジーンズが履けるようになり、これまでのズボンはがばがばになってしまったのだ。この数ヶ月履いていないスーツのスラックスなんて履いたらどうなってしまうのだろうか。とにかく、最近は着るものについて悩むようにもなってきた。
自転車に乗っている、好きだという人のことを考えてみる。僕のまわりにはそんなにいないけれど、それでも太った人というのはいないように思える。仮にいたとしても、自転車に乗って痩せたという人だったりする。どう考えたって、自転車の乗るということにそんなに努力が必用とされるものではない。通勤に、ということでいうと辛い状況もあるかもしれないが、できる範囲で自転車に乗るだけで、ちょっとは変わってくるのではないだろうか。
食べるのを我慢してダイエットするとかではなく、自転車に乗って、美味しいものを美味しく食べてのダイエットは十分に可能なのではないか。もっともっと、自転車は見直されるべきだ。そして、自転車にやさしい街となっていって欲しいのだが。
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an earthly
paradise 2004/9 #3
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林檎の気持
「アップル商標争いでビートルズ側と和解へ」という記事がインターネットに出ていた。「アップル」というのが商標になっていて、いろいろと争いがあったよう。
それにしても思う。商標とは何だのだろう。もちろん、「アップル」という名前のキャバクラがあったなら、アップルという名前のイメージも変わってくる。多くの問題がありながらも、こうした商標というものがあるのはわからないでもない。
けれど。アップルというのは林檎のことだ。本来は食べ物の名前だ。林檎はどう思っているのだろうか。自分の名前がレコード会社として使われたり、パソコンの会社として使われたりしていることを。そのうち、林檎を「アップル」と呼ぶのは商標上問題がある、なーんて事態になったりするんじゃないかと思ったりする。
ビートルズもアップルコンピュータも、林檎たちにお礼とかしているのだろうか。
林檎は怒っているのかな、それとも人間たちの、たわいもない争いごとを笑ってみているのだろうか。林檎の木を見上げても、なかなか林檎の気持はわからない。
■ ビデオ『ふたりの男とひとりの女』ボビー・ファレリー&ピーター・ファレリー監督(http://www.foxjapan.com/movies/memyself/)[ムービープラス]
この映画はコメディである。どうにもわからないのはアメリカの笑いのセンスだ。かなり笑わせようとしているのだろうとは思うのだけど、僕には全然笑えるものではなかった。ハッキリ言ってそんなに面白くない(笑)。
でも、僕はこの映画をかなり喜んでみていた。主演女優のレニー・ゼルウィガーがめちゃくちゃキレイでカワイイからなのだった。どこかで見たことがあったような、と思っていると、彼女は『ブリジット・ジョーンズの日記』の主演女優でもあった。そして『シカゴ』にも出ているんだよね。
すっかりファンになってしまった僕は、レニー・ゼルウィガーの名前を忘れることはないだろう。これからも彼女を観て行きたいと思う。
◆ 買収
企業の買収というのがやたらと多いなぁという雰囲気がある。正直言ってこういうのは、あまり面白くないというのが僕の印象。例えば、蕎麦屋さんだったらチェーン店のでかい規模の店がいいかというとそうではない。手を広げずに、その店主なりの見える範囲での営業という方がいい。そうした小規模の良さが見直されてきているのでは、と思っていたのだが。
仕事というのは、こつこつ積み上げて、そうした中での信頼関係とかが大切だというのは、いささか古い考えなのだろうか。
インターネットのサービスというのがいくつもある。そんな中で僕は「AAA! CAFE」(http://www.aaacafe.ne.jp/)というところがけっこういいと思っていた。何しろ安い。200MBのホームページを1年間2100円で使えるのである。実はドルフィンホテルでもこのサービスを使っている。ところが、だ。なんとこの会社、先日買収されてしまった。別に買収先の実況ドア(今話題の会社ですね)さんを悪く言うつもりはないけれど、僕の気分は悪い。
それにしても、買収されたお金ってどうなるのだろう。された方の経営者がポケットに入れて終わりとなるのだろうか。信じられないような額の買収というのも多いけどね。例えば、ドルフィンホテルに買収を持ちかけられたらどうしようか、なんてことを考える。1億円出します、と言われたならば正直言って僕は悩むよ。
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■ 帚木蓬生著『国銅(下)』(新潮社) [図書館]
ほんとに素晴らしい物語だった。僕は今、奈良の東大寺に行って大仏を見たくてしょうがない。いや、大仏そのものを見たいというのとはちょっと違う。その周りの風景、そこに行くまでの道のり、そうしたものを体験したい。
この長い物語に書かれていることは、何も大仏が凄いとかそういうことではない。それを造った人なども大仏だというメッセージがある。大仏というのはひとつの象徴ではあるけれど、あくまでも大切なのはそのプロセスにあるみたいな。
この物語に書かれている、都から長門という道のりは四国遍路を思い出させてくれる。辛いけれど、その風景がとてもいいのだ。
◆ 郵政民営化の絵
このところニュースでは郵政民営化の話題が多い。小さな町の小さな郵便局が映しだされ、「この郵便局がなぐなったらおらだの生活は不便になっぺなぁ」なんて腰を曲げたおばあさんが話していたりする。
しかし、こういう映像というのは、多くの人が感じているものなのだろうか。郵便局はサービスが良く、民間は利益にばかり走り個別のサービスが悪い、と。
以前、仕事でダイレクトメールを出したことがある。大量の郵便物を箱に入れ、郵便局に持っていった。郵便局のどこに持っていけばいいのかわからずウロウロしていた。聞いてみても、顎で指図するだけでこの郵便局の人はひとりとして、まともに接してくれなかった。親切な対応とかそうしたレベルではない、まとも、でなかった。
奥の部屋の片隅で、何か悪いことでもしているかのように、その大量の郵便物にひとつひとつハンコを押したことを今でも覚えている。礼のひと言も、当然のように無かった。
ところが、こうしたダイレクトメールの問題はその後、解決される。民間の会社が、ずっと安い値段で、取りに来てくれて、簡単な手続きで、しかもなんと! 「ありがとうございます」と頭まで下げてくれたのである。郵便局と民間の会社と、どちらを選択するのかなんて、考えるまでもないことだった。
その後もこの民間の会社(ええとクロネコさんですね)は、メール便で毎日集配に来るようになったが、いつも、誰が来ても、笑顔で親しみのある対応だった。まあ、親しすぎて、会社のグチ話をぼそぼそと言う人は何人かいたが(笑)、なぜかみんないい人ばかりだった。
残念ながら、郵便局の配達がきても、イライラしながら急いで去っていくばかりだったという印象しかない。そういえば僕は練馬の郵便局のあまりの対応の酷さに、順番の紙を係の人に投げ出して、怒鳴って帰ってきたことがあった。
僕のような体験まではいかないにしても、郵便局と民間の違いというものについて、人それぞれの印象というものがあるのではないかと思う。
テレビで映し出される絵は、はたして本当にそうなのか。職場でいつも、郵便局や宅配便が来たときにハンコを押して応対している担当の人の意見というものも、聞いてみたいと思うのだが。
◆
ひろすけ
浜田広介記念館というところに行った。恥ずかしながら、ほとんどこの人のことを知らなかった。童話作家で、児童文芸の世界では本当に偉大な人だった。作品で「龍の目の涙」「泣いた赤おに」という童話は知らない人はいないだろう。
特にこの記念館で良かったのは「広介生家」。移築・復元されたもののようなのだが、昔の木造の家がそのまま建っていて、なんと中に入れるのである。普通だったら係の人がいるなりして、畳の部屋には入れないもの。ところがこの広介生家には係の人はひとりもいない。靴を脱ぎ、家の中に入り、その囲炉裏のところに座ってくつろぐこともできる。その部屋の中から外の林檎畑の景色なんかを見ると、ほんとうに時間を忘れるような気持になれる。記念館というのはあちこちに数多くあるけれど、こうした場所はそう無いのではないだろうか。
帰るときに、入り口にある小石に気が付いた。絵やメッセージなどが、多くの小石に描かれていた。これは「ひろすけ小石」というものだという。童話の世界って、いいものだなと心から感じることができたのだった。
■ ビデオ『ザ・サバーバンズ』ドナルド・ワード監督 [ムービープラス]
一発屋で終っていたバンドが中年になって復活しようというお話。まあ、面白かったかどうかと聞かれると難しい。難しいことは僕には聞かないように(笑)。
それにしてもよかったのは、ジェニファー・ラブ・ヒューイット! とってもキュートで彼女を観ているのが楽しかった。なんだか最近の僕は、映画で女優さんばっかり観ているような気がしないでもないけど。でも、この人っていいよね。
◆ クウネル1号
僕は「ku:nel」(http://kunel.magazine.co.jp/)という雑誌が好きで毎号買って、ある意味でそれを絵本のように眺めたりしている。書かれている記事も凄くセンスのいいものばかりで、とにかく大ファンなのだ。しかし、手に入らないバックナンバーが1冊だけあった。2002年4月1日発売の最初のam・am増刊号だったときのもの。
半分くらいその入手を諦めていた。ところが、なんとこの度、am・am増刊号の「ku:nel」が再販売されたのだった。雑誌の再発売なんて、これまであったのだろうか。特にこの僕が購入した号は2年以上も経っているのだ。
「ここから始まる私の生活。」と書かれたこの号は、ほんとうに素晴らしいものだった。そのコンセプト、デザインというのは今と全く同じ。良いものはそんなに簡単には変わらない。ページをめくり、嬉しくてたまらなかった。
何よりも喜んでしまったのが「自転車生活」という特集があったことだ。京都で自転車に乗っている写真が載っているのだが、ほんとうにオシャレで、自然で、その生活をエンジョイしているといった感じ。そして載っている女性が、めちゃくちゃキレイでカッコイイのよ(笑)。
最近の「ku:nel」には、ほとんど自転車が載っていない。ぜひぜひまた特集して欲しいものだ。とにかく、クウネルは凄い。自転車生活とクウネルが繋がっていたというのが、大大大感激なのであった。
■ ビデオ『月のひつじ THE DISH』ロブ・シッチ監督(http://www.herald.co.jp/movies/dish/)[ムービープラス]
アポロ11号が人類初の月面歩行を行なったわけだが、その衛星放送の電波というのがオーストラリアで受けたものだった。「DISH」というのはそのアンテナの愛称。どう考えても「月のひつじ」という邦題は合ってないと思うのだが(笑)。
アポロ計画というのが、NASAだけでなく、こうしたオーストラリアでも協力して行なわれていたということが、とても興味深いものだった。まあ国が違えば人となりも違い、それなりのゴタゴタもある。他にもトラブルがあり、かなりギリギリでこの電波を受け、世界中に月面歩行の映像が流れたようなのだった。
それにしても、人類はもう月へは行かないのだろうか。この物語は1969年7月のことだ。30年以上の時を経ている。その頃にコンピュータと言えば巨大なものだったのに、今はノートパソコンでさえかなりの性能がある。大きく時代は変わったのに、月からは遠く離れてしまったような感じがある。もちろんお金も掛かるだろう。どのようなメリットがあるかと問われたならば、うまくは答えられない。けれど、電子機器の進化を考えると、どうして? と思ってしまうのだ。
◆ あふれるモノ
メジャーリーグでは優勝の際、選手は指輪をもらうのだという。すごくカッコイイし、そうした感覚の世界に憧れたりする。
実はうちにはトロフィーというものがいっぱいある。ほとんどは、貰ったものというよりも1年間の預かりものみたいなものなのだが。ウチの親がゲートボールをやっている関係で、優勝なり上位の成績を取ると、そうしたトロフィーを受け取り翌年の大会の返還までに預かっておかなくちゃいけないみたいなのだ。地域の大会はいっぱいあって、そうした大会毎に立派なトロフィー類があるようなのだ。ひとつくらいだったら、そうしたトロフィーも飾りとしてはいいかもしれないが、大量にあるとけっこう邪魔なのである(笑)。
どう考えても無駄なスペースだと思えてしまっているのだけどね。指輪とまではいかなくても、もっとコンパクトなものにすべきではなかろうか。そういえば、子供のいる親戚の家なんかも凄い。子供のスポーツ大会なんかの表彰状その他が全て貼られている。溢れんばかりに(笑)。まあ、子供が可愛いのだろうけど、まったくインテリアのセンスというものが感じられなくなってきている。表彰状なんかも、あんなにデカい必要はないだろうし、名刺サイズとまでは言わないけどポストカードくらいでいいのでは、なんて僕は思ったりするのだけど、ダメなのかな。
◆
自転車で旅したい
いちおう僕の住む町は観光地でもある。まあ、どこの町だって観光客はいるわけで、観光地と言えるわけだが。大して観るところもないけれど、この町は自転車で走ってこそ、少しは良さというものを感じられるのではないかと思っている。そこでレンタサイクルの話になる。けれど、自転車は一種類のママチャリしか置かれてないのだ。
なんで、いろいろな種類の自転車を置いてないのだろうかという疑問がある。隣町のレンタサイクルも同様だった。
こうしたことは全国で共通なのかと思ったら、そうではなかった。
「京都サイクリングツアープロジェクト」(http://www.kctp.net/jp/)というウェブサイトを見つけた。なんと、京都のレンタサイクルにはMTBもあった。ちょっと高めだけど、他の交通機関に乗ることに比べたならばずっと安い。ほんとうに使いやすいサービスになっているみたいなのだ。
こうしたプロジェクトのある京都は、なんと魅力的なのだろうと思えてきた。京都に行きたい! 時間をかけて、京都の町を自転車で走りたいと考え始めている。
■ ビデオ『シャンプー台のむこうに』パディ・ブレスナック監督(http://www.gaga.ne.jp/shampoo/)[ムービープラス]
ヘアドレッサー選手権と家族のお話と言ったらいいのかな。ちょっとばかり笑えて、ほのぼのして、なかなかいい映画でした。美容師の対決というのも見ていると楽しいものだ。この映画の場合はちょっとコミカルな感じになっているのだが、勝つために、悩み、努力をするという過程は、観ていて何か心を打つものがある。そうしたところが、重くも無く、いい感じで表現されていたのではないだろうか。
◆ いつまでも
敬老の日ということでうちの親は地域のイベントに参加してきたようだった。そこでもらったらしいものの中にカードがあった。そこには、「いつまでもお元気でいてください」と書かれていた。
僕は敬老の日でも親には何もしなかった。こんな僕が言ってはいけないのだろうけど、「いつまでも」というのはどう考えてもおかしいのではないだろうか。
だってだって、不老不死(老ではあるけど)というか、「永遠に生き続けなさい」ということではないか。
もちろん、あと20年くらいは元気であとは、静かに人生を終ってください、なんてことを言ったら怒られるのだろうけどね。いい人生というのは、いい終わり方をするものでもあると思う。誤解して欲しくはないけれど、お年寄りの人に早く死んで欲しいということではない。いい人生を送って欲しいと思うのだ。それには、その終わりというものも含まれるのではないだろうか。「いつまでもお元気でいてください」という気持には何も悪気はないのだろうけど、もう少し別の言葉を持つことが、本当の敬うということではないかと思ったりする。まあ、難しい話ではあるけれど。
■ ビデオ『ソフィーの世界』エリック・グスタヴソン監督 [テレビ朝日]
本の方はかなり話題になったもの。本は読んでいないが、やっとこさこの物語に触れることができた。
哲学の話というイメージがずっとあったが、あまりそうした印象はなかった。ちょっとした歴史のファンタジーといったところか。歴史上の人物が何人も出てきたりするので、ちょっとばかりそうしたのが楽しい。
それにしても。「あなたはだれ?」なんて差出人の名前の無い手紙が来ても、ストーカーだと思われて終わりじゃないかと思ってしまうのだが(笑)。
◆ 素足の宿
久しぶりに温泉宿に泊まった。宿の雰囲気、料理とめちゃくちゃ良かった。それに値段もそんなに高いわけではない。地元としてはけっこう高級なところだが、全国レベルで考えるならかなりリーズナブルなお値段だろう。
米沢の白布温泉にある「湯滝の宿 西屋」(http://www.shirabu.jp/nishiya/index.html)というところ。創業は700年も前という建物は茅葺屋根でかなり趣きがある。館内もまさに古いまま。けれど、ライトアップなどは新しい感覚でとてもよいセンスとなっている。何より気にいったのは、スリッパを履かないことだ。廊下などの床には「藤ござ」というものが敷き詰められていて、この感触が身も心もリラックスさせてくれる。
お風呂は滝湯というのが有名で、かなり熱くて大変(笑)なのだが、これがまた趣きがあっていい。
部屋にはとても丁寧な案内書きがあった。いろいろとこの宿について書かれている。そこには次のような文章があった。
「なにがなんでもすべての人に来てもらいたいとは言いません。」
「こんな旅館でもいい」という方に訪れていただき、喜んでいただけたらと思っています。
この宿は古いもので、現代的な感覚でいう快適さとはけっこう離れている。部屋にはトイレがあるわけではなく共同である。窓はサッシではない古いままなので、当然隙間風だって入るだろう。実は部屋にカエルが入ったりしていた(笑)。お風呂だって洗い場があるわけではない。そういう意味で「こんな旅館でもいい」という表現になっている。
僕はこの文章を読んだときに、ドルフィンホテルと似ているではないか、と思ってしまったのだった(笑)。
2度目のお風呂に入ったとき(ぜんぶで3度入った)、東京から来たというおじさんと少し話をした。別に深い話ではない。「ほんとうにいいところですね」みたいな感じでそのおじさんは僕に声を掛けてくれた。そういう会話が、何気なく交わすことができることが、とても嬉しかった。
料理は、地元のものではあるけれど、オシャレなセンスに満ちていた。鯉の洗いはサラダとなっている。米沢牛の陶板焼きのやわらかさは表現のしようが無く、熱々のイワナの塩焼きはホクホクで、マツタケの入った土瓶蒸の香りに感激し、芋煮の味に心があたたまった。
とにかく、たまには日常を離れ(僕の場合、ずーっと離れているが)、温泉宿でゆっくりするのもいいものだと感じたのだった。でも、体重はアップしてしまった(笑)。
◆
東北
プロ野球はストが終ってもしっかりと話題を提供してくれている。ライブドアVS楽天なんて、アホだなぁとは思うけれど、面白いといえば面白い。この楽天の三木谷浩史社長という人、英語ができてMBAを取得していて凄い人物なのだろうけど、大切なのは英語よりも仙台弁なのではないだろうか、ね。
チーム名に東北というのを入れたいみたいだが、東北にはいろいろな方言があり、文化というものが全く違う。仙台というのは東北の中では東京に近いような感性があると思うけど、やっぱりある意味で東北なのだ。東北人とひとくくりで考えるならば、そのフクザツかつメンドクサイ感情というものが存在している。ビジネスライクにマーケティングなんて言葉を出せれても、人の気持を惹きつけることはできないのでは。
楽天が参入する可能性が高いようだけど、ファンを獲得するという点では確実に弱いよね。
地域に根ざした、という言葉が最近よく使われるけど、どういうことなのだろうと考える。楽天の視点というのは(もちろんダライブドアだって同じかもしれないけど)、地域の特性というものを全く考えていないのでは。仙台を、東京化する、もしくは神戸化するということが彼らの考える地域を活性化するということではないのか。
どう考えても、ドーム球場を作ることが発展ではない。その地域の長所というものが表面にでて、多くの人に知られ、お互いが交流できることが発展であるはず。
それにしても、どうしてプロ野球は赤字なのだろうか。あれだけ認知度があって、観客がいて。サッカーなんて週に1回しかゲームが出きないのに黒字になっていたりする。もっと、小規模な身の丈経営のプロ野球というものが存在してもいいはずだ。例えば東北リーグという独立リーグがあったり面白いだろうなぁと思ったりする。外野席では、ビニールシートを敷いて持参したお弁当を食べながらゲームを見るのだ。あくまでものんびりと。
と、こんなことを書いてスポーツのサイトを見ていたら、なんと四国に独立リーグができるという話が出ていた。さすが四国だ。
■ ビデオ『24時間4万回の奇跡』ブノワ・マリアージュ監督 [NHK-BS2](http://www.kuzui.co.jp/kiseki/)
芸術的な香りの感じられる作品。でも、ちょっと滑稽だったりしている。とても悲しい話でもあるのだが。
なにせ、ドア開閉世界最高記録に挑戦するのである。正確には「する」ではなく、親が息子に「させる」というもの。
家族の物語。喧嘩している場面、いや父親が勝手に怒っている場面ばなりが目に付くかもしれない。
よくわからない映画ではあったが、モノクロの映像がとてもいい雰囲気だった。
◆ アジアリーグ
プロ野球がいろいろと話題となっている中、アジアリーグ(http://www.alhockey.jp/)というのが開幕した。アイスホッケーである。正直なところ、アイスホッケーというスポーツにそんなに興味があるわけではない。けれど、このアジアリーグというものに関しては、ちょっと気になる。
なんとも凄いのが、日本のチームだけでなく、韓国、中国、ロシアと4カ国のチームが長いリーグ戦を戦うのだ。あらゆるスポーツを含めて、過去にこのように複数の国のチームが戦うリーグというのがあったのだろうか。
アイスホッケーというと、どうしても西武グループというか堤義明というイメージがあった。このアジアリーグがどのような経緯で、こうした形になったのかよくはわからない。けれど、面白いもうひとつの一面は日光アイスバックス(http://www.icebucks.net/)のようなチームがあることだ。市民クラブとして活動を続けているということなのだが、凄いことに毎月の損益計算書なんかが詳しく公表されている。プロ野球やJリーグでも収支の透明化なんてことが言われているが、この日光アイスバックスなんて、透明も透明、裸でやっているみたいなもんである。
どっかのIT企業さんとかも、こういうところのスポンサーをやってネット中継やればいいのにね。
◆ 大いなる変化
ユニクロでアクティブイージーパンツというのを買った。よくよく考えてみると40歳を越えた人間がユニクロ製品を買うというのは、ちょっと恥ずかしいことでもあるのかもしれない。でも、僕は身体も気持も若いんだと勝手に納得している(笑)。
さて、問題はサイズだ。どうも洋服の買い物というのは昔から苦手で、問題はそのサイズ選びにある。メーカーにもよるのだが、Lサイズだとちょっと小さいかなというのが僕のサイズだった。例えばワイシャツなんかでLサイズを買うと、首が入らなかったりする。Tシャツを買うときなんかはXLにしていた。何かと難しいのだ。
今回の買い物であるアクティブイージーポンツなるものは、自転車に乗るときに気軽に履ける軽めのズボンが欲しかったのだ。値段も安いし購入することにした。サイズは、S、M、L、XL、XXLとある。数ヶ月前の僕であれば、Lサイズなのだが、表示のサイズを見ればMサイズが妥当。Sサイズはありえないだろうと、試着もすることなくMサイズのものを買った。
ところが家に帰ってこれを履いてみると、ウエストがけっこう余るのだった。ウエストはアジャスターベルトになっているのに、これではずり落ちる。裾も引きずってしまう。こうした履物は、たぶん少し大きめのものを履くのがいいのだろう。どうしようか少し迷ったが、お店に行って変えてもらった。きれいなお姉さんが対応してくれたのだが(とっても親切だった)、「どちらのサイズに?」と質問されて、僕は小さく「Sの方に」と言ったのだった。
このサイズは僕の足にピッタリだった。よくよく考えると、ピッタリということは足の長さが短いということでもあるのだろうが。
それにしても、僕の人生にSサイズというものは考えられなかったのだ。人生とは変わるものだ。感慨深くアクティブイージーパンツを履いているのだった。
◆ めちゃくちゃな生活
親戚の人なんかが僕を見て驚く。痩せたということが目に見えてわかるのだ。そして、「どうしてそんなに?」という話になる。僕は答える。「いや普通に生活しているだけなんですよ」と僕は答える。特別に無理をしたりとかではないので、あくまでも普通という感覚なのだ。そんな話をしていると、「東京ではめちゃくちゃな生活をしていたのだねぇ」みたいなことを言われてしまった。返事に困る(笑)。
僕はそんなにめちゃくちゃな生活をしていたのだろうか。9時5時の仕事ではなかったので確かに帰りの時間は遅かった。けれど、乗る電車は満員でないにしてもそれに近いくらいの人がいつも乗っていた。夜の11時とか12時とかの時間だ。酒も飲んではいたけれど、今だって飲んでいる。運動だってちゃんとしていたし、食事にも気をつかっていた。
僕の生活を垣間見た人に、感想を聞いてみたいものだったりする。たぶん僕の東京での生活がめちゃくちゃだったなら、少なくとも東京で暮らしている半分の人はめちゃくちゃな生活になってしまっているのではないか。
田舎の暮らしが健康的だとも思わないし、東京という都会に対しての偏見みたいなものもある。
でも、何が違うのだろうか、なんて考えてしまったりする。
◆
不便であること
「クルマが無かったら生きていかれないだろう」なんてことを言われてしまった。誇張された表現ではあるけれど、この町ではほとんどの人がこの言葉を抵抗なく受け取る。老人などは別として、成人している人のほとんどは、ひとり一台のクルマを持っている。ひょっとしたらクルマを運転しない40代の男なんて、この町では僕だけかもしれない。
生きていけるよなぁ、というのが僕の意見ではあるのだが、変わり者なんだよな(ぶつぶつ)と僕はいくらか不機嫌なのであった。生きてはいけるけれど、確かにクルマがなければ不便ではある。
けれど、不便だっていいじゃないかと思うのだ。不便であることの何が問題なのだろうか。
昔聞いた話でよく覚えていることがある。人間工学の偉い先生の言葉だった。エレベーターもいいけれど、階段などで適度な不便さというものを感じることも大切なんだ、と。
何でもかんでも便利なことがいいという社会になっているような気がしてならない。プロ野球ではドーム球場がいいとされている。こうしたことが今の社会を象徴しているいのではないか。
雨が降っても野球が行なわれる社会と、雨が降って中止になる社会と、どちらが住み良い社会なのだろうか。そんなにカリカリと、計画通りに毎日の生活が進まなくてもいいと思う。雨が降ってちょっと立ち止まって、その場所にだって出会いや面白いことがあるはず。
不便であることはけっこう大切なことなのではないか。考えてみると、読書というのは最も不便である楽しみなのかもしれないか。
◆ 料理番組
この数年、料理番組というのが好きでけっこう見ている。それを作って食べるということではないが、料理を作る過程を見ているだけで、楽しく、お腹も喜ぶ。しかし、このところ、何かが違うんじゃないか、と思い始めてきている。
作るメニュー、調味料に問題はないだろうか。どう考えても、揚げ物など油を使ったメニューが多い。ハンバーグにエビフライなどは料理の定番とも言える。新婚の奥さんなんかが愛する旦那さんのために頑張って作っている姿が映し出されたりするのだが、こうしたメニューはある種の計画殺人ではないかと思えるのだ。
動脈硬化その他の成人病の対策として、一番にあがるのがこうした油を使った洋風のメニューである。
しかも料理番組での調味料の多さには驚くばかり、塩はとになく何にでも入るのがお約束となっている。ほんの1食のメニューだけで1日分の塩分をオーバーしてしまっているのではないか。健康のためと言いつつ作るサラダには、ドレッシングということでサラダ油がどばどばと入る。バターなんて凄い量。
成人病予防の料理というものの悪い例の見本が、テレビの料理番組で出てくるもののように思えてしまってならない。
だいたいにして、料理を作っている人にスリムな人は見かけない。料理が好きなのはいいが、不健康になるために、料理を作り、食べているような感じがしてしまう。
成人病に代表される食生活が社会的な問題なのであれば、こうしたよく見るテレビの料理番組というものが、もう少し変わらなくてはならないと思うのだ。
■ ビデオ『ステキな彼女』ホー・シャオシェン監督 [NHK-BS2]
最新作の『珈琲時光』を観たくているのだけど、この作品はちょっとちょっとだった(笑)。まあ、恋愛映画なんだけど、なんでこんな結末なの、と笑ってしまう。ホー・シャオシェンってもうちょっとシリアスな人の心を描き出す監督だと思っていたのだけど、恋愛となるとこうなってしまうのだろうか(笑)。日本のテレビドラマだって、たわいもないお話があったりするけど、ある意味で、そうした気軽に楽しめる恋愛例がとも言えるかもしれない。
■ ビデオ『風が踊る』ホー・シャオシェン監督[NHK-BS2]
『ステキな彼女』と同じく、フォン・フェイフェイ、ケニー・ビー、アンソニー・チェンが出演している。まあ、同じような映画だ。ただあんまり悪く言っては失礼かもしれない。なにせけっこう古い映画だ。『ステキな彼女』は1980年、『風が踊る』は1981年の制作。最近は韓国映画の純愛も流行りである。台湾の恋愛映画もブームになるときが来るかもしれないのかな。
◆ 人それぞれの感じ方
しばらく前のことになるが、TBSの「ニュース23」に映画監督のチャン・イーモウが出ていた。新作の「LAVERS」について、筑紫哲也のインタビューを受けていたのだった。
今回の映画で厳しい批評もあるのでは、という感じの質問があった。チャン・イーモウの答えは、もうそうしたことは気にしないんだ、というようなものだった。最初の方に作っていた映画というのは、中国の貧しい農村が舞台となっており、そのことで散々悪く言われてしまったことが大きかったようだった。
正直なところ、僕なんかは中国の農村の出てくる初期の作品が好きなのだ。
例えば、村上春樹なんかについても同じようなことが言える。たぶん初期の羊三部作が好きな人は、どうしても後の作品に対し何らかの違和感があるかもしれない。たとえ、それがとても好きであっても。
チャン・イーモウも村上春樹も、メジャーになり、小さな土俵で勝負する人たちではなくなってしまった。何をどうやったって、100%の満足ではない、何か物足りない感覚というのが出てきてしまうのかもしれない。
ドルフィンホテルも変わって見えるのかなぁ、なんてちょっと思ったりする……。
今年の4月を境にして、読書夜話の内容も随分と変わってしまった。写真に関しては全くと言っていいほどその景色が違う。実はドルフィンホテルのアクセス数は4月からしだいにダウンしているのである。
多くの人は、もっと居酒屋の話を書いて欲しい、と思っているのではないだろうか。居酒屋だけでなく、もっとネオンの向こうの話を期待していたという人もいるのかもしれない。
全ての人の期待にこたえるのは難しいものだ。
◆ ワイナリー
うちから少しばかり離れたところにワイナリー(http://www.takahata-wine.co.jp/)というのがある。ワインを造っている工場であるのだが、より分かりやすくいうとワイン販売所というかワイン関係のお土産やさんである。なにしろ、多くの観光客が訪れている。たぶん、この周辺では一番の観光地になっているのではないだろうか。
ブドウの畑があり、ワインの瓶詰めなども見学できる。でも、それはほんの数分で終ってしまい、あとはワイン売り場での試飲とお買い物となる。
ついついお金を落としてしまうので注意しなければならない。それがワイナリーというところの魅力なのだろう。ワインだけでなく、地域の食べ物などが売られていてけっこう楽しい。
ワインというと、どうしてもちょっと気取ったというか、高級な印象というものがあった。けれど、近くにこうしたワイナリーがあるとこで、かなり身近なものになっているような感じがある。自分の住んでいるところと、同じような風景を見て、空気を吸って育ったワイン。そういう意味では日本酒よりも、親しみを持てたりするかもしれない。
◆ スタジアムの風景
サッカーのアジアユース選手権というのがマレーシアで開催されている。今回はなぜかテレビでもチカラを入れて放送されているような感じがしている。ついつい見てしまっているわけだ。
まだまだ若い選手達、現時点では最高の選手達なのだが、この先プロとしてどうなるのかはわからない。ちょっと厳しいことを言う。正直なところ、見ていて可哀想になったのだ。何が可哀想かというと、スタジアムの看板広告である。マレーシアで行なわれているのに、そのほとんどは日本の企業のもの。日本という国の経済のチカラなわけだが、同じように選手達にそのチカラを持てというのは、ちょっと酷なようにも思える。プロとしてやっている代表選手のゲームだったなら、そうした経済という仕組みの中で戦うのも仕方が無い。それを武器にすることもプロだ。
けれど、ユースの選手はまだ二十歳以下なのだ。看板広告のないまっさらなスタジアムで、ゲームが行なわれて欲しい、なんてことを思ってしまう。
■ ビデオ『背信の行方 SIMPATICO』マシュー・ワーカス監督(http://www.gaga.ne.jp/simpatico/)
[ムービープラス]
なんだかよくわからない映画だった。こうした書いていて、「わからない」ということを書いていいのだろうかとさえ思えてしまう。まあ、わからなかったというか面白くなかったならば、別に書かなければいいのだ。
そういうことを考えてしまうと、悩みに悩んでしまう。ああ、どうしよう。でも、僕はいいかげんで、ある種の記録として、本と映画に関しては語っていこうと思っているので、これでもいいことにしてしまうのだった。
でも、映画評論をお仕事にしている人って、ほんとうに凄いと思う。絶対にツマラナイ映画だってあるはずなのだ。それでも、面白いと言わないまでもその良さを語らなくちゃいけないことはあるはず。
僕はこの映画を観ながら、そういう人たちのことを考えた。
◆ セプテンバー・レイン
そろそろ9月という季節が終ろうとしている。一年前の9月には僕は神社にお払いのご祈祷に行った。別にそのこと自体はどうでもいい。そんなに信心深い方ではない。ただ僕はそのときの、陽の光に照らされた湯島の街の景色を今だに昨日のことのように覚えている。
あまり変化のない毎日をこの何年か過ごしてきた。仕事を変わったり、住むところが変わったりはしても、根本的に変化というものは無かった。けれど、湯島の神社に行ったのを境に、ちょっとした変化があった。
簡単に言うと、僕は体調を崩し、それなりに辛い日々を過ごした。
どういう状態だったのかを人に言うのは難しい。かなり厳しいことも言われた。いくつもの嫌な思いをした。
とにかく、9月という季節に僕の生活に転機があり、それは戻ることのない方向へと進んだ。
何が良かったのか悪かったとか、そうしたことはよくわからない。けれど今の僕は、自転車を走らせている。前よりも、写真を撮ることが好きになり、自然のものを食べるのが好きになった。
◆ モノを減らそうと
死んでしまうということを考えた。何も深刻に哲学じみた感じで考えたわけではない。僕が死んでしまった後に、僕の所有しているモノはどうなるのだろうか、と。
僕自身のことの前に、うちの両親のことを考える。それぞれに趣味があり、多くのものが家の中にはある。あまりにも保存しているものが多すぎて、捨てる捨てないで、両親同士がよく喧嘩をしていたりしている。どこの夫婦でもあることかもしれないが。
仮に、両親が死んでしまったとしよう。残された多くのモノを僕はどうするだろうか。特に大量の植木なんてものは、どうにもならない。それなりに手入れをする必要があるからな。ならば、それなりに趣味としている人に引き取ってもらわなければならない。比較的価値があるとされる古銭などのコレクションにしても、僕にはわからない。ずっと保存していても、場所を取っているだけだ。思い出としていくらかを取っていたとしても、数はほんの少しでいい。たぶん僕は二束三文で多くの趣味その他のモノを処分してしまうと思うのだ。たぶん、誰からも非難はされないだろう。そうしたモノの価値はその本人にしかわからないものなのだから。
さて、ここで僕が死んだら、という話に戻る。例えば多くの本がある。キレイに並べて、それはそれで楽しんできた。けれど、他の人が同様に楽しむというものではない。場所があればそのままにしているかもしれないが、いつかは処分されてしまうだろう。本が好きだという親戚の人なんかに数冊は渡るかもしれない。けれど、そのほとんどはブックオフなどに二束三文で売られてしまうのだ。もちろん、死んでしまった僕は文句なんて言えない。
けれど、僕の大切だった本が、1冊50円くらいで売っているのかと思うとどうにも寂しい気持になる。しかも、売っている人は「本なんて別に好きじゃないよ」なんて人かもしれない。
だったら、生きている間に、僕の身近なモノを減らし、大切なものを自分の手で、他の人に渡してあげたい、なんてことを考えるようになった。
けれど実は問題もある。最近僕が出会った文章の中に、「いいものを売れば、もっといいものに出合える」(ku:nel 2002.4.1)というのがあった。僕のまわりのモノはちゃんと減って、また増えていったりしていくのだろうか……。