◆
菊
秋だなぁと感じるのは、その気候だけでなく、やはり食べものなんだと思う。今、食卓で最も主張しているというか、食べなくちゃいけないほどあるのが、菊である。確かこれは東京のスーパーでも売られていると思う。
うちの田舎では、この菊はけっこう食べる。おひたしにして、そのままでもいいけど、枝豆なんかを混ぜたりする。
正直なところ、僕はこの味は苦手だった。けれど、食べなくちゃいけないということで、この3、4日連続して食べていて、少しは慣れてきているようだ。苦いというか、その独特の匂いが、ちょっとは美味しいのだ、と感じるようになった。
でもさ、食べたことのない人にとっては変な感じがするかもしれないよね。だって、花を食べるわけだから(笑)。
特に子供の頃というのは、野菜とかの苦味というものが苦手だったような気がする。独特の香りというものが、マイナスにしか受け取れない。人というのは良いことをすれば悪いことをするように、あらゆるものに長所と短所があるように、野菜などの食べ物というものも、その香りは長所にもなり短所にもなるのだと感じている。
好き嫌いというものは、実はちょっとしたものの見方で変化していくものかもしれないなぁ、なんて思ったりもする。
小説などの文章というものも、苦手だと思ってたものが、その個性を次第に受け入れられることもあるように。
◆ 本のシミ
古い本というのがけっこうある。僕の持っている本は古くてだいたい20年くらい前のものだろうか。再び読まれることはなく、ある意味で壁の一部と化しているような存在だが。壁というものは次第に汚れ、いつかは壊れてしまうこともあるだろう。
考えてみれば本というものは、どんどん痛んでいくものだ。古い本はヤケやスミなどが出来ていて、ちょっと可哀想な状態。古民家であれば、いい趣があるかもしれないが、本はどうなのだろう。ただただ寂しく自然に帰る存在なのかもしれない。
本当に、シミがいっぱいあって、シミジミしている(あーあ、バカにされているのだろーな)。
実は僕の家には相当に古い本というのも残っている。幼稚園のときに無くなった祖父はけっこう本を読む人だった。
戦前に発行された本。横文字は右から始まり、検印があったりしている。もっと古い本では紐閉じのものもある。シミや汚れでボロボロとも言える状態。
そういうものを見て、まあシミジミしているわけである。
■ ビデオ『メン・ドント・リーブ』ポール・ブリックマン監督 [日本テレビ]
劇場公開されなかった映画らしいのだが、とてもいい映画だった。地味といえば地味なのだけど、しみじみとした深さがある。
家族の物語。夫は事故で死んでしまう。その後は2人の息子と共に生きていくべスという女性が主人公だ。ジェシカ・ラングが演じるのだけど、凄い演技。
僕の勝手な解釈だけど、この映画の背景にあるテーマというのは、人は良いこともすれば悪いこともする、ということではないだろうか。都会に引越しての生活は、あまりにも寂しく親子はギクシャクとした関係になる。悪い持つし、悪いこともしていく。ひどい言葉を投げかけたりもする。けれど、お互いの傷みを、感じていたりもする。
子供が2人くらいいる家族の人が観たならば、かなり胸にぐっとくるんじゃないかな。その胸の奥の方で、家族というものを感じられるような気がする。
◆ サプライズ
あまり昔の思い出話みたいなことは語りたくないけれど、中学校のときの先生のことを突然思い出した。何でかというと小泉内閣のサプライズ人事という言葉を聞いてだった。
ほとんど忘れていく人というのが多い中、記憶に残る先生というのは、いい先生か悪い先生かということよりも、ある意味で凄いことなのかもしれない。
名前もあだ名も忘れてしまった。英語の先生なのだが、どう考えてもその先生の英語は通じそうもなかった。じゃぱにーずいんぐりっしゅな先生だったわけだ。小太りの体型を少し前に倒し、その前で両手をパン!と叩いた。そして彼は言った。「びっくり贈り物と言うんだよ」と。何かというと英単語「surprise」の説明だった……。
なんだか僕は、贈り物という本来プラスであるイメージが、このときから崩れてしまっているような気がしてならない。
◆ 倶楽部
昔の郵便物なんかの整理をしていた。よくある話であるが、懐かしいものが出てきたりしてついつい読み入ってしまったりしていた。そんな中、楽しかったのは「赤坂美味通信」という月1回のお便りだった。
昔々、10年前くらいだろうか。友人と「赤坂美味倶楽部」というものを作り積極的に活動していた。何のことはない、ただの飲み会でもあったのだが。月に一回くらいは一緒に飲もうというか飯でも食べようということで、始まったもの。たまたま僕が当時、赤坂で仕事をしていた関係で、場所は赤坂にしようという明確なテーマのもとに、実行されたのだった。
僕がお店のリサーチ(ランチを食べてどこがいいかを考える)をして予約をする。友人がレポートを書き案内を出す、という役割分担も出来ていた。
2年くらいは続いたのだろうか。時には僕と友人と2人だけということもあったが、だいたいは4、5人くらいはいたように記憶している。
「赤坂美味通信」には、そのお店の何が美味しかったかまで詳細に書かれていた。ほとんど終盤に差し掛かっていたがバブルの時代だった。それなりにお金をかけ、毎月毎月、志向を変えていろいろな店に行ったものだった。中国料理、韓国料理、ベトナム料理、トルコ料理、イタリア料理、フランス料理、アメリカ料理……。世界各国の料理を食べた。日本料理にしても、豆腐料理の店とかいろいろなところに行った。赤坂にはどんな店もあった。広東料理の「璃宮」は当時人気の周富徳が総料理長をやっていたのだが、個室で食べている僕たちの部屋に来て、ちゃんと挨拶もしてくれたりもした。
とにかく、凄いなぁといま感じているのは、こうしたコツコツと積み重ねた遊びが、ちゃんと通信というカタチで残っているということだ。捨てようと思ったけど、なかなか捨てられないんだよね。
◆
フローリング
床の雑巾がけというものをやった。膝をついて、這い蹲るようにして。この部屋に引越をしてからはじめてのこと(笑)。掃除機をかけるのはしていたが、どうにも床の汚れが気になっていたのだった。一応、フローリングである。小屋の2階なので、はっきり言えば板張り。磨けばもっとキレイにはなるのだろうけど。
昔はキレイなフローリングの床というものに憧れていた。でも、横になると痛いし、畳の方がいいや、と思うようになってきている。ただメリットとしては、本棚を置くのにはこちらの方が断然いいことだろう。
それにしても、雑巾がけなんてことをして、小学校の頃を思い出してしまった。木造の古い建物のときは、掃除といえば、雑巾がけだった。教室の端から端まで、ずずずずずーっと。今の子供たちはそんなことはやらないのだよな。
建物は鉄筋コンクリートになり、床掃除にはなんだか訳のわからない薬が使われるようになった。シンプルだった雑巾がけ、実はけっこういいものだったのかもしれない。
■ ビデオ『恋に落ちたら… MAD DOG AND GLORY』ジョン・マクノートン監督 [TBS]
どう考えてもこの邦題は酷い(笑)。まあでもコメディのような、なんだか変な映画だった。けれど、面白く観たことは確か。何がいいかというと主演のロバート・デニーロがいいし、相手役のユマ・サーマンがいい。
ロバート・デニーロは中年のちょっと疲れた刑事だ。ふとしたことがあり、彼の家にユマ・サーマン演じる女性が来る。そのあたりは複雑なのだが、簡単に言うと彼女は命ぜられて来たことになる。
ギクシャクした関係ではあるのだが次第に親しくなっていく。その中年刑事の言葉とか抱き方とかが何だか凄いのだよ。ある意味でリアルというか、あちこちの映画で観たロバート・デニーロとは確実に違っている。そのあたりがこの映画の魅力ではないかと思うのだった。
◆ F1中国GP
新しく作られた上海インターナショナルサーキットでのレースを見て、昔の富士で行なわれたF1や、鈴鹿で初めて行なわれたF1GPのことを思い出した。中国の人たちはF1を楽しみにこのサーキットにやってきたのだろうと。F1やモトGPなどのモータースポーツは、ヨーロッパではワールドカップやオリンピックと同じかそれ以上のイベントだと考えられている。世界のどこでも開催されるわけではない。ある意味でオリンピック以上の、経済力と政治力というものが必要となる。
詳しいことはわからないが、F1の世界は揺れていると言われている。これから先、タバコの広告が厳しくなっていく。F1のスポンサーの多くは、タバコなのだ。そうした中で、中国にF1は来た。BARはこのレースのために、チームウェアはいつもとは別のものにした。
中東や東南アジアで行なわれるGPではない。このレースを見て、やはり中国は特別なんだなと感じてしまった。日本も、ヨーロッパから見ると特別だったのだろうか。
サッカーのアジア大会では、いろいろと問題があった。けれど、琢磨はブーイングなんて全くありえない状態でいい走りをしていた。
中国でオリンピックが開催されるよりも、この中国GPという存在は中国を変化させるのではないだろうか。オリンピックなんてものは、ほんの一瞬だけ通り過ぎるものだ。年に一度行なわれるF1というのはそうではない。
ソ連が崩壊して東欧が変化した以上に、中国という存在がこれから大きくなってくるような気がしてならない。
◆ 食べたい!
この読書夜話を書いていても、どうにも乗らないのである。この感覚は引越をしてからずっと続いている。原因はわかっているのだ。それは、美味しいパンがない、ということ。
以前の夜話というのは、休日にまとめて書いていた。そのときの昼食は決まっていた。パンを食べるということだ。駅の近くのパン屋さんにスリッパで歩いていき、そこで何を買おうかとひたすら悩む。ついつい多めの量を買ってしまう。僕には絞りきれない弱さがあり、そんな自分を責めながらも、美味しいパンを抱えての帰り道はルンルンだった。
そして、パソコンに書きかけの文章を見ながら、パンを食べるのだった。
ところが僕の住む街では、なかなかこれぞというパン屋さんがない。スーパーに併設されているパン屋さんとあと一軒それなりのがあるくらいかな。でも、僕の好きな固めのフランスパンは少ないし、フォカッチャなんて全くないし。あんまり詳しくなかったので、名前とかはよくわからないけど、パンって、けっこう種類が多いんだよね。ところが、こちらのパン屋さんにあるのは、ありきたりのものばかり。しかも、歯応えその他、やっぱり物足りない。
そんなわけで、キーボードを叩くリズムもうまく取れないでいる。
宅配でパンを取り寄せようかなぁ、なんてことも最近では思うようになってきた。自分で作るという手もあるかもしれないけど(笑)、これはほとんど無理だしね。いろいろなパンをちょっとづつ食べたいし。
こんなことを書いていたら、ますます美味しいパンが食べたくなってきた。
食べ物に関して、東京の美味しいお店とかは全く興味が無くなったけど、パンだけは例外。離れていると、想いは深くなっていくのだろうか。なんか遠距離恋愛をしているような気持になってきたぞ。
◆ ゆうパックの問題
ゆうパック(郵便小包)が安くなったということで話題となっている。しかし、素朴な疑問というか大きな不満が僕にはる。なんで、「ゴルフ・スキーゆうパック」というのがあって、「自転車ゆうパック」というのがないのだろうか? クロネコヤマトも、ゴルフ宅急便、スキー宅急便はあるけでど、自転車宅急便というのはない。これは絶対におかしい。
少し前に友人が遊びに来たときに、自転車をうちに送ってもらい、帰るときにまたそれを送り返すということをした。送り返すときには僕がヤマトの人と対応したのだけど、こうした自転車というのは稀なケースだった様子だった。
自転車を送ろうとする人は変わり者なのだろうか。ここで頷かれると困ってしまうのだけど(笑)。ゴルフもスキーもスポーツであり、レクリエーションである。自転車と何が違うというのだ。自転車は運動量が多い。そしてゴルフやスキーのように決まった場所を必要とするものではない。それに自転車の場合、観光ができるという大きなメリットがある。遠くの観光地に行っても、なかなかバスが来なかったり、高いタクシーに乗ったり、移動ということでは困ることが多い。自転車であれば、全く問題はない。ゴルフやスキーのように、気軽に自転車を送り、そこで観光をする。そんな休日の過ごし方というのが、これからは流行っていくのではないだろうか。いやそれ以上に、レクリエーションというものを見直す革命と言えることになるかもしれない。
ゆうパックはバカだと思うのだよ。本気でヤマトと対抗しようと思ったならば、同じシステムで安くするだけでなく、独自の視点で、新しいニーズを開拓すればいい。そういうのが本当の競争というものだ。
郵便局が民営化しようがどうしようが、どうでもいいことではあるが、もっと安くいいサービスを提供して欲しい。昔のチッキ(わからない人はお父さんお母さんに聞いてみましょう)よりは便利になったのだろうけど、まだまだ便利になる要素はいくらでもある。そして、安くして欲しい。それには国が関与してもいいはずだ。
今はインターネットの時代である。日本全国が急激に近くなった。そうした中、何が遅れているかと言えば郵便物の値段だろう。インターネットで全国で売買が出来るようになって、夢のような世界になりつつあるというのに、送料というものは変わっていない。これが劇的に安くなるならば、日本の地方経済は活気を持ってくるはずなのだ。高速道路や鉄道みたいに、時間の掛かることではない。郵送料というものを整備するだけで、大きな変化があるのではないか。
◆
図書館のレシート
図書カードというものが無くなった今、図書館や本というものの物語というものが変わったような気がしている。今の若い人は知らないかもしれないけど(涙)、かつての図書館は図書カードというものがあり、その本を借りた人の名前が書かれていたりしていた。スタジオジブリの映画『耳をすませば』や、岩井俊二監督の『Love
Letter』でも図書カードが関係した人と人との物語があった。
現代は、まったく効率的というか機械的というか、便利だけれど昔をしる僕としては寂しいと思うこともある。
けれど、ちょっとした図書館での人との出会いというのがあった。僕はその人に会ったことはない。名前も知らない。けれど、確かに人の気持の中にちょっと触れたような気がしたのだ。
僕の利用している市立図書館では、借りたときにレシートを渡される。スーパーのレシートのようなものだ。そこには自分の借りた本のタイトル、返却日などが書かれている。何冊も借りているときなど、その本ごとの返却日がわかるので、とても便利なものとなっている。角田光代の本を借りたときだった。中にこのレシートが入っている。最初は自分のものかと思った。ところがよく見ると、僕の借りてない本のタイトルが……。つまり、前に借りた人が、レシートをこの本に挟めたままにしていたようなのだった。5冊の書名が書かれていた。僕が角田光代と一緒に借りた本と、このレシートに書かれている角田光代と一緒に借りたであろう本とは全く別のものだった。
図書館で5冊の本を借りるとしたなら、ほんとに様々な組み合わせで、多くありすぎて面白くない。しかし、角田光代の本と他の4冊であれば、とても興味深いものとなる。その人は、どちらかというと児童書系の本を借りているようだった。
この人はどんな人なのだろうか。きっとキレイな人なんだろうなぁ(笑)。いろいろと想いを深くするのであった。
◆ 本の価値
考えてみると、このところの僕は新刊の本というものに興味が無くなっている。書店に行くこともあまりないので(まあ、行っても田舎なもので本の数が極めて少ない)、自然にそうなっていくのだろうか。東京にいたときには、1日に一回は書店でウロウロしていたのに。
でも、本に触れてないわけではなく、アマゾン(http://www.amazon.co.jp/)には毎日行っているというか、それなりの時間を費やしている。
そうした中、本の価値というものについて深く考え込んでしまったりしている。アマゾンでは、新刊とほぼ同様に中古の本が売られている。絶版になった本で、中古のみがあったりなんてこともあるわけだ。その中古本の値段というものが、凄いというか面白い。元値よりも高くなっているものも、たまにはあるが、ひどいのだと1円なんてものもあるのだ。ほんとうに、一冊の本の値段がこんなにも違うのかと、言葉も出ないほど。
毎日見ていると、この中古本につけられている値段の傾向というものがいくらかわかってくる。新刊同様の新しい本なんかはそれなりに高い値段なのだが、大量に出回る本だとそれがだんだん下がってくる。そして、文庫になったりすると単行本の値段はまた下がる。人気作家の単行本の値段なんて悲しいくらいに安くなってしまうのだ。
著作権の問題を全く切り離して考えて、という前提になるが、中古本がこのように積極的に売買されるというのはとてもいいことだと僕は思っている。せっかく世に出た本なのだから、そのまま埋もれてしまうよりは、ひとりでも多くの人に読まれた方が、本だってシアワセなはずだ。けれど、あまりにも本の価値というものが安くなりすぎていないだろうか。100円よりも下の値段になるなんて、あまりにも悲しい。
少しばかり極端な話になるかもしれないけど、文庫化なんて止めた方がいいのではないか、と思ってしまう。単行本のまま、ある程度高い価値を持ったままに、中古本市場で売買されるように。そうした売買に関して、著作権や出版社がそれなりの利益を得るようなシステムがあってもいいんじゃないかと、考えたりしてしまったのだが。
とにかく、アマゾンの中古本で100円未満の値段を見ると、どうにも寂しくてならない。本というのは、もう少し価値のあるものではないかと。
■ ビデオ『天使にさよなら Gabriel & Me』ウダヤン・プラサッド監督 [ムービープラス]
なんとなく、ではあるが、僕はイギリス映画というのが好きである。舞台となるイギリスの家の狭さとか、あまり太陽のあたらない外の風景とかって、暗い感じはするのだけど、ある意味での人の心なんかを表現しているようにも思えるのだ。
この映画の主人公は天使になりたい少年である。父親との関係がうまくいってない。父親は子供にサッカーのユニフォームをあげるのだけど、少年はサッカーには興味がないので、嬉しくは無い。少年の視点から見ても、父親の視点から見ても、この映画を楽しめることができる。
たぶん僕くらいの年齢の男性だったなら、けっこう胸にくる部分はあるのではないだろうか。
◆ モノを減らそうと その2
前回の読書夜話の「モノを減らそうと」の話について、あるメールが来た。読んでいて僕は鳥肌が立ってしまう。
モノについての悩みというのは誰にでもあり、それは深く、大げさに言えば人生というものとも絡んでいるのかもしれない。
メールには本か雑誌かで読んだ文章が書かれていた。出典もわからなくなってしまったが、とても衝撃を受けたものだったと。
『人が死んだ後に残るものは、その人が集めたものではなく、人に与えたものだ』
僕は、何だかんだまわり道ばかりの人生で、やっとこうした言葉を少しばかり感じることができるようになったのかもしれない。焦っても仕方が無いか。ゆっくりとモノを減らしていこうと思う。
◆ 読書スランプ
実は何を隠そう、この数日間、本というものを読んでいない。どうにも面倒で、読めなくなってしまった。そんなに何度もチャレンジしているわけではないので、「読めなくなった」というのは正確ではないけど。
こういうときには、軽めのエッセイのようなものがあればいいのだけど、いい本が浮かばない。
僕の本棚には、読もうとカバーが掛けられてスタンバイの状態の本が10冊ほどはある。もう長くその状態を続けていて、そろそろ疲れているような気がしないでもない。彼らには悪いなぁという気持でいっぱいだ。
でもね。プロ野球なんて1年のうち半分くらいしか試合をしていない。シーズンオフというものが必ずある。休むことも身体にとっては必要のはず。読書というものも、休むことがあってもいいのだろう。しばらく、読書休みということにしよう。
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Dancer
in the Dark 2004/10 #2
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大きな栗の木の下で
秋の味覚は美味しい。先日僕は栗を拾ってしまった。すぐ近くに栗の木がある。道路沿いのために、道の上にいっぱい栗が落ちていたのだ。これを採るのは泥棒にはならないなぁ、なんてことを考えながら僕は栗を拾った。ほんの1個か2個のつもりだった。あまりにもキレイな状態で転がっているのだ。拾ってください、と言っているみたいに。
ところが、これがいっぱい落ちている。拾っている最中にも、上の方から栗が落ちてくるではないか。
気が付いたらポケットいっぱいになっていた。
どうやって食べようかと思ったのだが、母親に渡し、全てを栗ご飯にしてもらった。
ホクホクで、それはそれは美味しい栗ご飯だった。そういえば子供の頃の僕の大好物がこの栗ご飯だったような気がする。
いやぁ、ほんとに久しぶりに美味しい栗ご飯を食べたような気がした。
◆ 雑誌のコーナー
書店で久しぶりにウロウロしていた。東京に住んでいたときだったなら、ほとんど毎日のように書店に入っていたのに。
僕は雑誌を見ていた。旅行関係の雑誌を探していたのだが、なんだかんだといろいろな種類の雑誌を立ち読みしていた。最初は嬉しかった。僕の知らないものも多い。とにかくこの雑誌のコーナーは華やかに感じられたのだ。まるで、キレイな女性達が、化粧をして髪や洋服も目いっぱいきめているように。
でも、しばらくこの場にいた僕は、疲れてため息をついてしまっていた。
あまりの情報の量の多さに、押しつぶされてしまうような感じがした。たぶん、こうした雑誌をつくっている人たちは多くの残業をして、睡眠時間を削り、ギリギリの状態になり作っているのだろう。
そんなに頑張って情報を発信する必要なんて、どこにあるのだろう?
僕はそんな風に思ってしまっただった。
旅行の雑誌を買うのは止めることにした。何も知らないで、その街に行き、ぶらぶらとその時の気分であちこち行った方がいいように思えてきた。
■ ビデオ『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ラース・フォン・トリアー監督 [フジテレビ]
もう10年以上も前になるが、下北沢などの小劇場に行って芝居を観ていたことがある。そこは狭いだけでなく、観客もぎゅうぎゅうづめの状態になる。もう身動きとれないじゃないか、という状態なのに係の人が前に立ち、「すみませんあとお客さんが10人入ります。せーの、の掛け声で左側に移動してください。気持だけでもいいんです」と笑顔で言うのである(笑)。
でも、そのくらいになって観る芝居というは確かに面白かった。はじめは存在感の薄い女優なんかが、次第に活き活きとしていく。身体全体で表現する姿というものは、特別なものだった。
この『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観て、そうした芝居のことを思い出してしまった。主人公の女性はミュージカルが好きで、その練習の場面が出てきたりする。何よりもこの映画自体がミュージカルでもある。
このなミュージカルがあるの、と驚きのあまり唖然としてしまう。カメラワークその他、何から何までが独特なものばかり。ビョーク演ずる主人公の女性セルマの存在感は、信じられないくらいに大きなものとなっていく。これほどまでに、と。
セルマの「私は少しも強くなかった」という言葉とその表情を今も思い出す。ほんとうに、映画を観た、という感覚の中にいた。
◆ 楽天は儲かっているのか?
なんで日本のプロ野球が儲からないのか、まったく不思議でならない。サッカーなんて週に1回しか試合ができないのにちゃんと黒字になっている。プロ野球なんて、毎日のように試合ができるわけだからね。しかも何万人も入って。これだけの集客力のあるイベントというのは、そうそうあるものではない。どう考えたって、儲かるように経営していないとしか思えないが。
この問題と同じくらいに僕にはわからないことがある。なんで、楽天という会社が儲かっているかだ。なんでもあの社長さんは百億という単位ですぐにお金を出せるとか。正直なところその話を聞いて、僕は楽天には絶対にお金は落とすまいと思ってしまった。物を売るという商売はお客さんあってのもの。そうした商売で儲かっているのであれば、お客にもっと還元すべきではないかと思ってしまう。
楽天は儲かっているのか? 楽天事態に赤字があるかどうかということはどうでもいい。それよりも僕の素朴な疑問は、楽天に出店している人、店は、はたしてそれで儲かっているのだろうか、ということだ。
インターネットで商品を出品し、利益を上げている人というのは確かに存在している。便利な世の中になり、多くの人が喜んでいることは確かだ。けれど、高いお金を出して楽天なんかに店は出したけど全然利益にならないというケースだって多くあるはずなのだ。もちろん、インターネットでなくてもそんなことはよくある当たり前の話だ。けれど、楽天が儲かっているという何百億というお金はどういうものなのだろうか、と考えてしまうのだ。
◆ 顔の見えること
いろいろとニュース番組を見たりするが、最終的にはテレビ朝日「報道ステーション」かTBS「ニュース23」というところになってしまう。
何が他と違うか。やっぱり、キャスターの顔の見えるというところなんだろうと思う。もちろんニュースキャスターひとりが番組を作っているわけではない。けれど、古館伊知郎や筑紫哲也のように番組の顔があることで、そのニュースというものの土台がしっかりしてくるような感じがする。ニュースというものに「正しい」ということはないと僕は思っている。あくまでも、あるひとつの視点から物事を見たというものだ。その視点がどこにあるのか、それを分かりやすくするのは「顔」を明確にすることだと思う。
話はインターネットのことに変わる。どうしても、インターネットがもうひとつ面白いと感じられないだが、それはこの顔の無さなのではないだろうか。個人のサイトであれば、もちろんそれなりには顔はある。けれど、大きなサイトになると誰が何を言っているのかさえ、わからない。まったく顔が見えない。
久米宏でも誰でもいいから、顔の見える、顔を感じさせてくれるニュースを扱ったサイトを作ってくれないだろうか。インターネットには、まだまだ多くの可能性があるはず。魅力的なニュースサイトが出来たならば、ニュースという本質が変わっていくのではないか。単なる横並び報道のテレビには限界がある。政治というものが、もっと身近なものになる可能性だってある。
まずは、顔の見えること、だと思うが。
■ ビデオ『恋するための3つのルール MICKEY BLUE EYES』ケリー・メイキン監督 [ムービープラス]
主演はヒュー・グラント。この人を観るための映画と言ってもいいかも(笑)。そんなに面白くはないけれど、ほどほどには楽しめるといったところだろうか。それにしても、この邦題って酷いよね(笑)。「3つのルール」とは何なのか、今だに僕の頭を悩ませている。
ところで、『ブリジット・ジョーンズの日記/きれそうなわたしの12ヶ月』というのが、すでに出来上がっていたんだね。日本公開は来年の春みたい。ヒュー・グラントにレニー・ゼルウィガーもちゃんと出ている。これはとっても楽しみ。
◆
岩魚そば
このところの僕はあまり外食というものをしない。以前の僕だったら、池袋の韓国料理や神楽坂の居酒屋なんかについて語っていた。外食に対する関心が薄れてしまっていることは確かだが、全くないというわけではない。美味しいものを食べるのは大好きだ。久しぶりに美味しいお店の紹介をしたい。
いやぁ、今思い出してもヨダレがでてくるような感じがする。ほんとうに美味かった。僕の人生の中で食べた麺類の中でも文句無くトップクラスだった。
店は「民宿の越後屋」(http://www8.ocn.ne.jp/~etiigoya/)という。民宿という名前はあるけれど、お昼は普通の蕎麦・うどんを出す店となっている。登山をする人なんかが泊まるような雰囲気の店は、なかなかいい雰囲気。店の中には熊の剥製もある。
僕が食べたのは「岩魚そば」というもの。値段は高いが、軽くこの値段を上回る美味さ。手打ちのそばは、とにかく美味い。ちなみにうどんも手打ちで、ハート型のうどんも中に隠させているというユニークな一面もある。山菜となめこが入っていて、山の味はたまらない。言葉にできないのはこの岩魚だ。頭からがぶりついて食べるのだが、その歯応え、香ばしさ、こんな美味いものはない。この岩魚が、蕎麦と究極と言えるハーモニーを奏でる。
実はこの日の夜、天然の鮎の塩焼きも食べた。でも、この岩魚そばには、色褪せてしまうものだった。
こんなに美味いのに、この店には全く行列は無い。まわりには、家も少ないが(笑)。
◆
心の洗濯
「民宿の越後屋」の看板には「心の洗濯しませんか」という文字があった。
なんともいない表現だ。心というものは洗濯が必要なものだった。確かにそうだ。ながい間、洗濯することが無かったなら、その汚れはこびりついてなかなか取れなかったりする。
洗濯物を干すときには、やはりよく晴れた日に外で干したい。自然の光と風に当てて。
乾燥機というものは、よくよく考えてみると寂しいものではないだろうか。洗濯物を干す場所、時間もないというのは、やっぱり何かが間違っていることのように思えてしまう。
洗濯というのは、家事というものの中でもっとも、変化のない面白みのないものだとばかり思っていた。けれど、そうではないのだね。ちゃんと洗濯をして、きれいでいることは、心にとっても大切なことなのだ。
◆ F1日本GP
世界中にはいろいろなスポーツというものがある。それぞれの魅力があるわけで、どのスポーツを一番だとか決められるものではない。そんなことは判っている。けれど、あえて言おう。F1こそがキング・オブ・スポーツだと。
例えば、スキーという競技がある。秒単位で時間を争う。他にもこうした競技はいくつもある。そして、体操のように演技を競うものもある。そして、ボクシングのように互いが闘うもの。野球やサッカーのようにチームとして戦うもの。F1日本GPを見ていて思ったのは、F1というのは、全てのスポーツの要素を含んでいるのではないかと。
ちょっと怒られてしまうかもしれないことを言おう。アテネオリンピックの男子マラソンのハプニングについてだ。乱入者がいたことで、ランナーの精神的ダメージが大きいという解説があった。けれど、F1において、そんな解説はありえない。そこで精神的なことが原因で後退したのならば、チャンピオンにはなれない。そもそもF1までたどり着くドライバーというのは、テクニックだけでなくその精神力はまともではない。
F1で、スタートの時に鳥肌が立ってしまうなんて、何年ぶりのことだろうか。僕はかなり緊張してこのレースを観た。もちろん、佐藤琢磨という日本人レーサーという存在がいたことも大きい。15万を越えたと言われる観客の景色を走るF1は、観るだけで震えてしまう。
琢磨の4位は悔しい結果だった。琢磨自身も、多くの観客も悔しがった。けれど、日本人のF1レーサーが4位になって悔しいというのは、これはF1を長く観てきた僕にとっては、めちゃくちゃ凄いことなのだ。
◆ ダイエット自慢話(笑)
たぶん、野郎の僕がこうしたダイエットについて語ることを面白く思わない人って、けっこういるのではないだろうか。オレオチョコレートバーストロベリーなんかを食べながら、この夜話を読んで「何よ!」なんてね。
誤解しないでいただきたいのだが、何も僕はスタイルのことを語っているのではない。ダイエットというのは、あくまでも健康のために、大切なことだと思っているのだ。別に何かを無理して、ということではない。ゆっくり寝て、美味しいものを食べて、楽しく自転車を走らせようという話だ。
先日ユニクロでジーンズを買った。問題はウエストのサイズだった。腹のへっこんだ僕はなんだか嬉しくて(笑)、ベルトをしないでも履ける細めのサイズにした。
ちなみに半年前に僕の履いていたジーンズのサイズは34インチ、その頃には全く入らなくて最近になって履き出したけど余ってしまっているジーンズのサイズが31インチ。そして今回ユニクロで買ったものは、なんと28インチなのだった……。
この3本のメーカーは全て違っている。そのまま比較にならないのはわかっている。けれど、このサイズの変化って、けっこう凄いのではないだろうか。
ダイエット・アドバイザーを名乗っても怒られないような気もするけど(笑)。
■ ビデオ『フリーマネー』イヴ・シモノー監督 [テレビ朝日]
正直なところ、ちょっとヘンテコな映画だった。クライム・アクションということなが、コメディ的な部分も多かったりしていてなんだか中途半端。マーロン・ブランド、チャーリー・シーンなんて凄いメンバーが出ているのにね。
でも、この映画だって、そんなに悪いわけではない。いわゆるB級の感覚に満ちている。たまにはこういう映画を観て、映画というものを楽しむということも大切なのだろう。毎日ステーキだったら大変だからね。
◆ 森のめぐみ
ちょっとした店がある。国道沿いで、小さな道の駅のようなところだ。名前は「森のめぐみ」(http://www.morinomegumi.com/)という。
店内に入った僕は、驚き、どきどきした気持になった。その季節によっても並べられる商品は違うのだろうが、ほとんどがきのこ類で埋まっていた。
正直、こんなにもきのこを見て心踊るとは思っていなかった。きれいな女の子が選り取りみどりで並んでいたとしても、こんな気持にはならないかもしれない(でも、やっぱりこっちの方がいいかも……)。
きのこなんて名前も知らない。でも、いろいろな種類のものが並んでいて、どれも凄く美味しそうなのだ。松茸はもちろん高額で、スタイルのよい大人の雰囲気があり魅力的だ。でも、安価な「なめこ」だってその可愛らしさはたまらない。
きのこと言えば、スーパーで売られている栽培されたものしか頭になかった。そうではなく、森のめぐみだったんだ。
◆ 拉致被害者の言葉
近くにある民芸品を売っている店に入ったときだった。そこは民芸品の実演をしていることもあり、多くの有名人が訪れたときの写真などがあった。そうした中に、蓮池夫妻、地村夫妻、曽我さんらの葉書もあった。どうやら、この店から励ますために民芸品を送ったようで、それに対してのお礼の葉書のようだった。
どれも、心のこもっていることが感じられる、とても丁寧な言葉が書かれていた。
正直なところ、多くの人に注目されてしまっていることで、落ち着くことのない生活をしているのではないかと僕は思っていた。ある意味で、マスコミの前に出るということはプライベートも無くなってしまうことでもある。北朝鮮にいる時とは、別の大変さもあるのではないかと。
もちろん、どういう気持で毎日を過ごしているのかはわからない。けれど、こうしたお礼の葉書を書いているというのは、ほんとうに凄いことではないかと思ったのだ。たぶん、その数だって半端なものではないだろう。
葉書の文字を見つめ、その深い深い人生というのを、ほんの少しにすぎないが、感じることができたような気がする。
◆ 菊 その2
菊のおひたしが美味しくて美味しくてたまらない。
なんだかこのところ食べ物の話ばっかりのような気もする。けれど味覚の秋なわけだから、読書のことはいいよね(←ちょっとは変だと思っています)。
この数日間毎日のように食べているのだが、日増しに好きになっていく。ほんとうに、昨年までは全く好きでもなく、食べなくてもいいものだったのに。
考えてみると、菊という食べ物は独特だ。この歯応えは他のものに例えようが無い。
最初はその香りが苦手だった。けれど、酢を入れたお湯に入れ、水洗いするとその強烈な香りはかなり収まる。けれど、かすかな香りは残る。その微妙な香り、味がたまらなく美味しい。ほんのりとした、強くはないけど、控えめなところがいい。しっかりとした主張を持っている香りだ。
たぶん、自分で料理をすることで、美味しいと思えるようになったのかもしれない。料理が上手ということではなく、花をむしったりという過程を経ることで、菊というものとより親しくなったような感じがするのだ。
数日に一度、畑にある菊を採るのも楽しい。スーパーの小さなパックに入っているのでは満足できないだろうな。
今食べているのは、ピンクの色のもの。もう少し経つと、黄色の色の菊が食べられるようになる。今から楽しみで楽しみでどうしようもない。
◆ 思う、という言葉
いくらか前のことになるが、僕は文章を書くときに「思う」という言葉を出来るだけ入れないようにしようと考えていた。「思う」というのは何だか小学生の作文みたいな感じがしていて、本来はもっと別の言葉で「思う」を表現しなければいけないとしていた。それがいい文章だと。
けれど、2人の「思う」から、大切に使われた「思う」はとてもいいもんだな、と感じるようになった。
ひとりは岸本葉子さん。講演で話を聞いたとき(正面の席で)、最初は何度も出てくる「思う」にちょっとした違和感があった。でも、しだいにそれは変わった印象になる。すごく考えて考えて出される言葉のあとに、ゆっくりと「思います」とあると、それは胸の奥に響く言葉となった。
もうひとりは、よしもとばなな。彼女の『デッドエンドの思い出』(文藝春秋)は、けっこうこの「思う」が連発されているように感じた。もちろん、僕の勝手な印象だったのかもしれない。けれど、強く断定するものではないけれど、深く考えた末に確信というところに達したような何かがあったように、僕には感じられた。
言葉は面白い。ありきたりな、小学生の作文によく出てくる「思う」なのだけど、人によって全く違った表現となる。こうしたシンプルな言葉をいかに上手く使えるようになるかが、文章上達の道なのではないだろうか。それには、テクニックや才能ではない、その人の内面というものが大きく関わってくるのだろう。
◆
カブの味噌汁
僕が今、もっとも美味しいと感じてるもの、それはカブの味噌汁である。ホントに美味い。心から言える。オーストラリアのエアーズロックに行って叫びたいほどの美味さである。
畑で採れた小さめのカブを、切って丸ごと大胆に鍋に入れる。葉っぱの部分、茎の部分、実の部分、それぞれに違った歯応えがあり、香りがあり、なんとも言えないハーモニーを奏でてくれる。表現のしようのない甘い感じが何とも言えない。
カブという食べ物は、これまでの僕の人生にはなかった。どこかで漬物で食べたくらいだと思う。
こんなに美味いものを、青山や六本木あたりで食事をしている人は食べられないと思うと、かわいそうでならない(笑)。それほどまでに美味いのだよ。
◆ 戦国の武将たち
それにしても面白い。今のプロ野球に関わるインターネット事業の動きがだ。実に面白い。
ソフトバンクが福岡ダイエーホークスの買収に名乗りをあげたという。
次のような構図として考えたら、凄いことになる(笑)。
・織田信長:ライブドア・堀江貴文
・豊臣秀吉:楽天・三木谷浩史
・徳川家康:ソフトバンク・孫正義
なんだか表情とか性格なんか、何といっても戦の仕方も似ているのではないだろうか。実力があり世論の支持を集めるけっこう目立ちたがりの堀江貴文、キラキラの雰囲気があるけど何かコンプレックスを抱えていそうな政治力の三木谷浩史、じっくりと時を待つ孫正義。
戦国時代の戦いが、いまプロ野球を舞台として繰り広げられているのだ。こんな面白いことはない!
やっぱりライブドア参入は無理なのかもしれないね(笑)。
◆ パリーグのプレイオフ
プロ野球パリーグのプレイオフについて少しばかり語りたい。盛り上がって良かったという声は多かったようだ。しかし、長いリーグで勝利したホークスが優勝できなかったというのは変ではないかという意見もある。
ますは、このことについてF1の話を。
数年間、F1のルール改正があった。それによって実はF1というものが大きく変わってしまった(と僕は思っている)。世界中にはいろいろなスポーツがあるが、なぜかアメリカとヨーロッパなどでは、スポーツの捉え方みたいなものが違ったりしている。盛んなスポーツというのもけっこう違ったりしている。アメリカでは野球が凄い人気だけどサッカーはイマイチで、ヨーロッパでは全くその逆である。面白いのが、モータースポーツに関しては両方とも、めちゃくちゃ人気があるということだ。F1はヨーロッパ最大のイベントと言ってもいいし、その象徴がモナコGPとも言える。そして、アメリカのインディ500というレースなんて桁違いの観客が入るスーパーイベントとなっている。日本ではあまり知られていないがNASCARというレースは、NFL、MLB、NBA、NHLと並ぶくらいの扱いとなっていたりする。
しかし、ヨーロッパとアメリカのレースというのは根本的に違っていた。コースもアメリカはオーバルコース(ただぐるぐる回るだけ)だったりするのだが、最大の違いは「フルコースコーション」の存在だと僕は思っていた。
例えば、レース中に何らかの事故などがあった場合、トップを走っているマシンの前にペースカーが入り、追い越し禁止の状態となる。かなり減速した状態となるため、かなりのリードを取っていたとしても、それはチャラになってしまう。
実はF1でこのルールが採用されたのは、わりと最近のことなのである。厳密にいつからとは、ちょっとよくわからなかったけど、アイルトン・セナがCART(アメリカのF1のようなレースですね)を走るという噂があったときに、確かフルコースコーションのルールは嫌だと言っていたような気がする。
現在のF1の場合、ほんとうにコース上に問題のあるときにはじめてフルコースコーションになるが、アメリカのインディの場合は、何度も何度もこの状態になる。いくらリードを広げても、すぐにチャラになって、常に大接戦の状態となってしまうのだ。
純粋に競技として考えるならば、リードはちゃんとリードとして尊重されるべきもの。例えば、30秒もリードしていたならば、その30秒はちゃんと結果に反映されなければならない。かつてのF1はこうした考えを持っていた。ところが、それをやめてフルコースコーションのルールを採用してしまったわけだ。
より観客に喜んでもらうために。
つまり、競技として厳密に考えるのか、それともエンターテイメントとして観客が喜ぶのを第一として考えるのか、その違いのはずなのだ。それが、国民性とも関わることなのだろうけど。
今の日本のプロ野球は全くもって、先というものを考えていないと思う。100年先まで続くスポーツイベントして考えた場合、どっちを優先させるべきなのか。アメリカという国は、完全にエンターテイメント重視の国なのだと思う。だから、ワイルドカードのチームがチャンピオンになっても誰も文句は言わない。
F1はちょっと変わってきたけれど、ヨーロッパ自体には頑固な良さがある。ヨーロッパ各国にあるサッカーリーグがその象徴だと思う。
Jリーグのチャンピオンシップにしても、今のパリーグのプレイオフ問題にしても、全くどっちつかずな中途半端な議論に終ってしまっているように思える。
では、どうしたらいいか。僕の個人的な考えだ。プロ野球で、入れ替え戦をやればいい。経営にやる気のない球団は、すぐに下位リーグに落ちてしまうだろう。上位リーグと下位リーグとでは年俸も違うわけだから、終盤の買い争いは優勝争い以上に面白いはず。
アメリカ的なプレイオフもなく、入れ替え戦もない、それで人気を保とうとしている日本のプロ野球自体に根本的な問題があると思うのだが。
■ ビデオ『旅路』デルバート・マン監督 [NHK-BS2]
古いモノクロのアメリカ映画なのだけど、凄い映画だった。
映画というよりも芝居を見ているような雰囲気があった。舞台は小さなホテルだ。映像のほとんどはそのホテルの中。登場人物は全部で10人ほどだろうか。何か大きな出来事があるというよりも、それぞれに抱えているものがあり、このホテルという場所でそのことが描かれる。喧嘩のようなこともあり、ちょっとした挨拶もある。繊細な触れ合いというものがあり、それらが丁寧に表現され、映画というものになっている。
観てよかった。ほんとうにそう思える映画だった。
◆ 昼間に野球を見るとこ
プロ野球の日本シリーズというと、僕はなぜか学校の職員室を思い出す。中学の頃だったろうか。その頃の日本シリーズはなぜか、すべてデイゲームとして行なわれていた。中学生は見たくても、その時間は学校の中にいたわけだ。僕のいたクラスというのは、職員室の掃除の係となっていた。授業が終っての掃除の時間、なんとその職員室ではテレビが付けられ、先生達はみんな見ているのであった。
職員室の掃除当番というのは役得で、学校にいながら日本シリーズを見ることができたわけである。
時代は変わり、日本シリーズはナイターとなった。けれど、我々はまたしても昼間に野球でドキドキしているのである(笑)。仕事中にこっそりと、メジャーリーグのプレイオフ、松井の活躍に一喜一憂している人というのは、かなりいるのではないだろうか。現在自宅にいる僕としては、ちゃんと仕事をしろよ、と言いたい気持でいっぱいなのだ。スポーツサイトでは、ほぼリアルタイムで速報の情報を流している。お昼の12時から1時までなんて、繋がらないほどの状態になってしまうではないか。とっても迷惑しているのだよ(笑)。
◆
豊かな社会とは
森永卓郎の講演会というのがあり、話を聴いてきた。
いやぁ、めちゃくちゃ面白かった。下手なお笑いのタレントよりもはるかに笑わせてくれるものだった。テレビのゲスト出演などが多いが、そうではなくこの人ひとりでぜひ1時間のトーク番組を作って欲しい。ほんとに面白いよ。
面白さというのは、話の懐の深さだ。いろいろな人物を取り上げて話をする。具体的であり、すごくわかりやすい。
なぜ「テレビタックル」の収録時間というのは、2本を丸一日という信じられないような時間をかけて撮るらしいのだが、なんでそうなるかというとハマコーの発言があまりにもひどく、放送できるところがちょっとしか無くなってしまうのだという。人物についてだけでなく、最後の方には袋からいろいろなものを取り出して、価値というものについて説明していた。全てが笑える話になっているけれど、実は経済の深いところをついた話ばかり。今という日本がどんな風に動いているのか、この講演を聴いたことによりニュースの見方が変わってしまった。
例えば、今の日本のデフレといのは、政府が意図的に起こしているのだという。実際にそうかどうかはわからないが、そうした視点から日本経済を見てみると、全く違って見えてくる。
話は経済の話ではあった。けれど、生き方の問題なのだと思った。ギリシャやイタリアを例にして話をしていたのだが、どう考えても日本より、そうした国の方が豊かに感じられる。明るく、美味しいものを食べ、のんびりし、女性に声を掛ける。そうしたことが、ちゃんとできる社会が先進国と呼べるのだろう。
帰りに図書館に寄り、『続年収300万円時代を生き抜く経済学』という本を借りてきてしまった。
それにしてもこの人は凄いや。ぜひとも、森永卓郎に日本の経済を動かしてもらいたいと思ってしまった。
◆ アマゾンの深い森
Amazon.co.jpというところが最近になってようやく少しばかりわかってきた。たぶん、ヤフーや楽天なんかも同じようなものなんだろうと思う。
アマゾンにはマーケットプレイスというものがある。誰もが自由に本その他の売買を行なうことができる。読み終えた本があって手放してもいい、という人はここで本を売ればブックオフなんかよりもずっと高い値段で売ることができる。買うほうだって、書店よりはずっと安く価格でその本を手に入れることができる。しかも、自宅のパソコンの前に座ってずっと探していた本を簡単に。
ある意味で理想のシステムと言ってもいい。実際によく利用しているし、敬意も持っている。
しかし、これはビジネスだったんだなぁと改めて感じているところだ。当然といえば当然のことなのだが。あっぱれというか、凄いビジネスだ。
マーケットプレイスの商品をよく見ると1円なんて価格で出ていたりする。でも、それでも出品者は儲かる仕組みになっている。アマゾンも儲かる。これは全てアマゾンの説明を見るとわかることだが、本の場合のやり取りについて簡単に解説したい。
出品者側がこのマーケットプレイスを使った場合、どのようなお金のやり取りがあるのか。
「出品価格」+「配送料(国内の場合は260円)」−「手数料(100円の成約料と販売価格の15%)」というのが出品者に支払われる。
この100円の成約料というのはプロマーチャントというものに登録すると免除されるのだ、それにはひと月の登録料4900円を支払う必要がある。つまりひと月に49冊売って、やっと元が取れる。よって普通に考えれば100円の成約料というのはどうしてもかかってしまうということだ。
整理すると、1000円の価格のついたマーケットプレイスの本があった場合、出品者には1000+260-250の計算で1010円が支払われる。アマゾンはここで250円の利益を得る。
ちなみ固定となっている260円の配送料というのが、けっこうポイントなる。通常の単行本を郵便局の冊子小包で送ると290円かかる。多くの場合、290円-260円で30円の赤字になってしまっている。けれど、本にはいろいろな大きさ重さがある。また冊子小包よりもクロネコヤマトのメール便の方がずっと安いので、文庫本などであれば160円の配送料で済んでしまったりもする。つまり、260円と固定されている配送料との差額で100円の利益をあげることも可能なのである。
次に購入者の側から考える。実はこっちに方が巧妙(笑)というか、凄いことをやっている。
「出品価格」+「配送料」というのが、かかる費用だ。
しかししかし、この配送料というのが曲者でよく見ると「代金には配送にかかる標準料金および手数料が一律加算されています」という文章がある。
配送するのは出品者なので手数料は出品者がもらうべきだと思うが(笑)、なぜかそうではない。この購入者の支払う配送料というのは国内の場合、340円となる。
1000円の価格のついた本を買った場合、購入者がアマゾンに支払う金額は1000円+340円の計算で1340円となる。つまり、配送料という大まかな名前で動いている金額の340円-260円の差額である80円というのはアマゾンが受け取っているものなのである。
アマゾンは、出品者の方から250円、購入者の方から80円の計330円を利益として得る。実は、1冊の本のやり取りがあるだけでけっこうな金額がアマゾンに流れていく。
500円の本であれば、100円+75円(500円の15%)+80円で255円。本の価格の約半分である(笑)。100円の本であれば100円+15円(100円の15%)+80円で195円。なんと本の価格の約2倍もの金額(大笑)。
新刊の単行本を買い読み終えたその本をアマゾンで1000円くらい売るというのは、よくある話だろう。売った方も買った方も、得した気分になりニコニコ顔でいる。でもその影で何も表情を変えることなく、330円を懐に入れているところがあるのだ。
まあ、それでも自分で店舗を構え大きな集客力を得るための宣伝の費用なんかを考えたなら、こうしたアマゾンの得る利益は安いのかもしれない。
こんなことを書いてしまうと、アマゾンでマーケットプレイスの商品を買う人はいなくなっちゃうのかな(笑)。
とにかく、こういう計算をやっていて、アマゾンは凄い仕組みを考えたものだなぁと関心するばかりなのであった。
※計算など間違っているところがあったなら、ご指摘ください。
◆ ブログ
このところ、ブログというのは増え続けている。ドルフィンホテルの読書夜話みたいなスタイルで、日々のあれこれを公開するみたいなのは、もう確実に古いのかなぁなんて思えてしまうほど。
けれど、僕はどうもブログというものに馴染めない。よく見ているところもあるけれど、それはほとんどシンプルな作りをしているところだ。
何がブログで気に入らないかというと、ごちゃごちゃしすぎていて、何が何だかわからないことだ。無料ということで、リンクの部分が広告になっているというケースがよくある。どうにもそういうのが気に入らないのである。
インターネットでないにしても、街を歩いていても広告なんて無いほうがいい、というのが僕の考えだ。仮にあったとしても、街によく馴染んだ広告というのだろうか、そういうものであって欲しい。例えば、古い町並みの観光地では、飲み物の自動販売機など、ちょっとその街に合ったデザインになったりしている。
ブログでないにしても、どうにもインターネットの馴染めないのは、いたるところに広告があるということだ。ヤフーなんて、広告の塊だからね。何かのキーワードを入れればバナーが出てくるのだが、キーワード毎にちゃんと商売をしている。なんともへそ曲がりの僕は、バナー広告なんて意地でもクリックしないぞ!なんて歯を食いしばってヤフーの中をうろついていたりしている。ふぅ。
◆ 健康データ
お医者さんに行って先月行なった血液検査の結果を聞いてきたので、ここに公表したい(笑)。1年間でこんなに変化があったのだ。うひゃうひゃ状態。でも、この先生からは「いやぁ、東京の生活はホントひどかったんですね」と言われてしまいましたが。
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2003年10月
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2004年5月
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2004年9月
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(今回の検査)
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| ・総コレストロール |
254
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213
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188
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| ・中性脂肪 |
98
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99
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72
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| ・γ−GTP |
83
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32
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27
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| ・尿酸 |
8.1
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8.2
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7.7
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ちなみに、これより古い僕の検査データを見ていたら、2002年5月の総コレストロールは276なんて数値があった。
それぞれの数値の意味とかはよくわからないのだが(笑)、まあとにかく身体の状態がいいな、と自分で感じることができる。軽いしね。ちなみに、この約1年で僕の体重は約10キロ落ちている。
先生に「尿酸値をもう少し下げたいのですが」と言ったら、「思い切って酒を止めてみたら」と言われてしまった(笑)。それにしてもこの先生、なかなかいろいろなことを言ってくれる。畑を耕して農家になったら、なんて。自分で作ったものを、食べるのが一番いいんだよ、と。
◆ これから先の日本のスポーツ
今、日本のスポーツというと、野球やサッカーが人気となっている。しかし、こうしたスポーツがこれから先もずっと、スポーツ新聞の一面を飾るかというと、ちょっと違うのではないかと思っている。
ではこれから先、10年後、20年後に、どんなスポーツが人気となるのか。
それはゲートボールではないかと思っているのだ(笑)。冗談ではない、日本という国は極端な老人社会へと変化していくのだ。サッカーなんて動きの速いスポーツに日本の老人達がついていけるわけはない。今はテレビの視聴率は、若年層に左右されているみたいだが、これから先は余暇を持て余した老人達が主流となるかもしれない。
ゲートボールというのは、老人でもできるし、自分がやっているスポーツを見るのはやっぱり楽しいはずなのだ。
ゲートボールのプロリーグができるかもしれない。78歳のゲートボーラー伊原トメさんが、日刊スポーツの一面をいつも独占することになるかもしれないのだ。
東京ドームからは、読売ジャイアンツは締め出され、ゲートボールのプロチームが使用することになり、毎回5万人の観衆を集めてもの凄い盛り上がりとなる。エキサイティングなゲームに興奮した老人の観客が発作を起こして死んでしまうケースが多かったりして、社会問題になったりもする。
ゲートボールは日本で開発されたスポーツだ。もっとも日本らしいスポーツであるとも言える。高齢社会のこれからの日本。楽天やライブドアはプロ野球なんかより、もっと先を見てゲートボールのスポンサードを考えた方がカネになるのではないだろーか。
◆
ある日の僕の夕食
実家に住んでいるのに、自分で作っているかのような話が出てきている。ひょっとしたら疑問を感じている人もいるかもしれませんね。
説明します。今年の4月に僕は東京を離れ、両親の住む実家に帰りました。ただ、実家に帰っても別の生活をするということを僕が言いました。正直に言って、親とうまくやれる自信がなかったのですね。幸いに、実家には台所のある小屋があり、僕はそこで生活をするということで話が決まりました。ただ、その小屋にはトイレとかはないので、トイレ、風呂、寝るときは母屋になるのですが。
問題は食事ですよね。別に暮らすと言っても、一応親子なわけで、まったく食事を別にするというのも変です。最初の数週間は一緒に母親の作った食事を食べていたわけですが、ひと月くらい経ったところで、別の食事も別にするという話をしました。基本は別ですが、週2回の晩御飯は母屋で母親の作った料理を食べるというもの。
けっこうこれは円満に続いていて、良かったとは思っています。
さて、ある日の僕の夕食です。ご飯は、五穀米のごはん。量はそんなに食べないので、2合くらい炊いて、だいたい5等分くらいに分けて冷凍してチンして食べます。ちなみに朝は玄米を1合炊いて、3等分して食べます。
この日の味噌汁は、カブですね(笑)。キクのおひたし。これはえんどう豆とあえてドレッシングをかけます。普通は醤油をかけるのだけど、酢醤油の気に入ったドレッシングがあって、それをかけることが多いです。
菜っ葉の煮物が加わります。大根の葉と、実と、鶏肉と、腑との煮物ですね。とにかく大根はいっぱいあるので、それを食べるのが忙しい(笑)。僕はけっこう薄味でつくります。酒と醤油とみりんを入れるのだけど、物足りないくらいの味かもしれない。でも、腑って、美味しいのです。
プチトマトはかなり良く食べます。よく料理雑誌のメニューとかに2、3個プチトマトが入っている写真があるけれど、だいたい数を数えれば10個とか20個とかけっこうな量があるような気がします。食べないと腐ってしまうので、がんばって食べているだけなんだけどね(笑)。
最近はリンゴを食べることが多かったりしています。お店で売っているリンゴというのは、キレイな形をしているけれど、実際は虫に食われたりとか、可哀想なのが多いのです。そうしたのを食べたりする。たぶん、1日に1個はリンゴを食べているのかもしれない。
あとは、カボチャの煮たもの。これはうちでは作っていないけど、お隣さんで作っているのを安く購入したものでした。
あとはスーパーの魚とかを焼いたりはするけど、たぶん、7割以上はうちの畑で採れたものの、自炊生活になっているような気がします。正直なところ僕の料理は下手ですね(笑)。でも、美味しく食べています。
◆ USAの姿
最近のテレビニュースでは、アメリカの大統領選挙のことがよく取り上げられている。大変に盛り上がっていると。
大統領選挙でないにしても、アメリカの情報というのは、これでもかこれでもかと入ってくる。テレビから発信される情報である。間違いはないのだろうと思う。
しかし、はたしてそうなのか。
ある面白いサイトを見つけた。「ABOUT U.S.A」(http://www.kokugai.com/zakki.html)という。ここにはアメリカの、生活の場から書かれた雑記が数多くがあった。実に面白い。例えば、ハンバーガーの大きさとか、エッチ本についての話なんかもあったりする。もちろん、選挙についても書かれている。それは日本のニュースで報道されている姿とは全く違ったものだ。マスコミについても書かれている。久々にインターネットで読み応えのある文章に出会ったような気がした。
■ ビデオ『或る夜の出来事』フランク・キャプラ監督 [NHK-BS2]
アカデミー賞主要5部門独占の名作と言われている作品。確かに面白かった。ある意味で、ありきたりな物語のようにも思える。大富豪の娘と新聞記者。バスの中で出会い、同じ部屋に泊まったりする。真ん中をシーツで仕切ったりして(笑)。でも、ひとつひとつの場面、脚本がとてもよく出来ていて、恋愛となっていく感情が胸に響いてくるのだ。
古い名作と呼ばれる映画は、やっぱり面白いんだね。当たり前のことかもしれないけど。
◆ 新潟からの新たなる挑戦
それにしても、このアルビレックス新潟(http://www.albirex.co.jp/)というチーム、集団、ビジョンといったらいいのだろうか。プロ野球なんかのスポーツの問題から考えても、凄いことをしている。
アルビレックス新潟が何かというと、J1のサッカーチームである。新潟市の人口というのは50万人ほど。東京とは比べ物にもならない小さな地方都市でもある。それでも、スタジアムは4万人の観客を集めている。オレンジのサポーターの全国移動というのは、Jリーグでも驚異的な存在となっているのではないだろうか。
このチーム、Jリーグの他にシンガポールのリーグにも所属している。アルビレックス新潟S(http://www.albirex.com.sg/)というチームが、日本から離れた海外のチームでゲームを行なっているのである。当然のように女子チームもある。他に凄いのはサッカーの学校を持っているのだ。JAPANサッカーカレッジ(http://www.nsg.gr.jp/cups/)というのだが、ここはアルビレックス新潟のアマチュア組織に位置付けられるもの。単にサッカー選手を育てるだけでなく、トレーナー専攻科、サッカービジネス科、サッカー研究科なんてものまである。
アルビレックス新潟は何もサッカーだけをやっているのではない。新潟アルビレックス(http://www.albirex.com/)というバスケットチームもある。このチーム、さいたまブロンコスと一緒にバスケットボール日本リーグ機構(JBL)を脱退し、新リーグを作ろうとしている。
サッカーとバスケットだけではない、チームアルビレックス新潟というスキーチームも設立している。
そして、このアルビレックスが何と、プロ野球に参入するというのだ。プロ野球球団準備組織設立し「新潟アルビレックス」として2008年参戦を目指すのだという。
当然の話になるが、親会社のあるチームではない。たぶん、サッカー同様に指導者育成やビジネスを行なう側の育成も進めるだろう。
ライブドアや楽天がいくら新しいことをやってプロ野球を変えようとしても、大したことができるとは思えない。
アルビレックスの将来を見たヴィジョンというのは、上杉謙信のように思えてきた。
今年プロ野球にはいろいろなことがあった。けれど、一番のニュースは新潟のプロ野球球団準備組織が設立されたことではないか。
◆ 価値がないとされてしまったもの
それにしてもアマゾンで100円以下の価格になってしまった本を見ると可哀想でならない。ブックオフでも100円の本なんて山となっている。そのくらいの価値しかないだろうなという本もあるけれど、2000円分くらいの面白さを持った本だっていっぱいある。まあ、本の価格というのはその内容と比例するものではないのだ。当たり前だけど。
僕のこれからの本に対する視点として、新刊のものよりも、こうした100円以下の価値になってしまった本で面白いものを探していきたいと思う。そして、「君はまだまだ凄いんだぞ!」とその本を励ましてやりたい。
安いのは何も本だけではなかった。ミュージックのCDである。本ほど値崩れはしていないけれど、それも100円以下の価格となってしまっているものはある。僕は音楽のことはあまり詳しくは無い。けれど、どうなのだろうか。こうした中にも、いい音楽はいっぱいあるのではないだろうか。
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One
Fine Autumn Day 2004/10 #4
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◆
バランス
「ああ、また失敗してしまった……。なんて僕は意思が弱いんだろう。」
こんなことをこの半年ばかり繰り返している。何かというと食事の食べすぎである。腹八分目というのを目標にしようとしているのだが、特に晩御飯なんかは何だか量が多くなってしまう。
しかし、それでも僕の体重は減っているのであった。
先日「食事が美味しくて美味しくて、どうしても太ってしまう」という話を聞いた。でも、僕は違うんだということをわかってしまった。もちろん僕はそうした専門家ではない。けれど、食事は量ではなく、バランスなんだろうと思う。僕はできるだけ、ご飯は少なめにしている。食べてもいいのだけど、食べなくちゃいけない他のものがいっぱいあるので、おかずをいろいろと食べるようにしている。サラダなんてプチトマトを山盛りにしてしまった。先日スーパーでプチトマトの値段を見たらけっこうするんだよね。なんど贅沢なサラダだと思ってしまった(笑)。あと最近は人にあげられないような小さくキズついたリンゴがいっぱいあるので、それをできるだけ食べている。他には大根の葉っぱの煮物はかかさない(いっぱいあるので)。よくよく考えると、世間でいうところの食物繊維というものがいっぱい取れているのかもしれない。とにかく、こうしたものをガバガバと食べていてもそんなに太ることはないのだと思う。
別に何かを我慢しているというわけではない。毎日、どっさり砂糖入りのブルーベリージャムを山と入れたケフィアヨーグルトを食べているので、以前よりは甘いものを多く食べているはず。
何事もそうだけど、バランスなのだと思う。すべてのことに言えるのではないだろうか。
■ 森永卓郎『続年収300万円時代を生き抜く経済学 実践編!』(光文社)
テレビによく出るちょっと変わったオジサンではあるが、この人は本当に面白い。
それにしてもこの本、一般の評判はどのようなものなのだろうか。見た目は経済の本である。タイトルだってそうだ。最初の3分の1はそうしたことが書かれている。しかし、中盤の3分の2は、簡単にいうと節約術といっていい内容。それがまた面白いのだけど(笑)。税金とか保険料を安くする方法なども書かれているが、同じような感覚で、あるスーパーの株主になると買物が5%割引になるとか、金券ショップのことか(笑)、まあそうしたことが書かれているのだ。
そして最後の3分の1が凄い。分かりやすくいうと、田舎暮らしは楽しいよ、といった感じのことがいっぱい書かれている。何人かの事例を上げ、収入は少なくとも生きているという実感のある暮らしがいかに素晴らしいものかについて。
小泉内閣の経済政策によって、貧富の激しいアメリカ方の社会になるのだという。富のグループに属するにはこれまで以上に努力が必要となる。実力社会というのは、ある意味で素晴らしいことだ。けれど、実際のところ、そうした社会で這い上がっていくのには、「1.いかに人の手柄を横取りするか。2.いかに自分のライバルを蹴落とすか。3.いかに自分の上司に取り入るか。この3つに長けていなければ絶対に這い上がることはできないのである。」(P235)だそーである(笑)。
そんな勝ち組になるよりも、年収300円でも十分に楽しく生きられる。こっちの方が断然楽しいよ、とこの本では謳っている。
僕はこの1年ほど、会社を辞めたりいろいろと考えることが多かったが、そうした気持を十分に納得させてくれる、楽しい本だった。
■ 森永卓郎著『<非婚>のすすめ』(講談社現代新書)
面白い本だった! 経済の本であり、生き方の本である。特にこの本は、女性に焦点が当てられている。
シングルライフを送っている女性の皆さん、結婚しているけど旦那の他に好きな人がいてどうしようか悩んでいる主婦の皆さん、この亭主とこれから先一生やっていけるだろうかと憂鬱になっている女性の皆さん! ホントにこの本を読んでみましょう。これからの人生をじっくりと考えることができるのではないかと……。
結婚に対しての価値観というものがある。ひとりの人を好きになり家庭を持ち、生きていく。ある意味で現代では当然だというような感じがある。しかし、はたしてそうなのか。日本の歴史や世界各国の事情というものが書かれている。そして、そうした価値感というのは政策によってマインドコントロールされてきたものだ、という大胆な説も書かれている。それがけっこう納得させられるものなのだ。
そして、そうしたことはちゃんとコストとして計算されている。結婚して過ごす人生と陣ぐるで過ごす人生と、税金や社会保険の面から、どちらがお徳かと。そうした中で、この本では非婚を進めているのだ。
この本が出版されたのは1997年1月。時代は7年半も経過し、確実にこの本に書かれた流れとなっている。森永卓郎さんという人は凄いよ(笑)。
◆ 災害時に思うこと
大きな災害があるたびにニュースとなるのが、その時総理大臣が何をやっていて、どう対応したかということだ。今回は東京映画祭に出席していて、なんでも山田洋次監督の映画を見るのを取りやめにしたらしい。
しかし、そんなことはどーでもいいと思うのだ。確かに、災害が発生したらまずはそのことを第一に考えて欲しい。けれど、一刻を争うような緊急の事態に、総理大臣に何ができるのだ。いちいち総理大臣の指示がなければ動けないわけでもあるまい。総理大臣の行動を問題にするということは、逆に言えば災害時のシュミレーションというものが全く成されてないような印象さえある。
今年の台風でも感じられたことだが、日本は災害大国と言ってもいい。どこでいつ地震があるのかもわからない。
「よく考えて対策を立てる」なんて言葉は聞き飽きた。災害というものに対応するには、「よく考える」というのはありえない。それは次へ生かそうという言葉だ。考えることは確かにあるだろうが、基本的には考えなくても処理できるくらいの対策方針というものが出来ていなければならないのではないか。
もちろん僕が知らないだけで、そうしたことを行なっている機関、人がいるのかもしれない。
けれど僕は思う。日本という国には、災害対策担当大臣という人がいてもいいのではないか。まずは災害対策、そして実際に起こったときのシュミレーションをしっかりと行なう。こうした全てを把握し、災害時には多くの官庁をまたがる権限を持たせる。何よりも、誰が日本の災害に責任を持っているのかという顔が見えることが大切なはずだ。
総理大臣ひとりに何から何まで期待しても無理な話だ。災害が起こったら、すぐに現場に行き、陣頭指揮を取る。国民の誰からもその顔が見える状態であれば、災害の対応というのも変わるのではないか。
■ ビデオ『エナミー・オブ・アメリカ -Enemy Of The State-』トニー・スコット監督
少し前に地上波のテレビで放送されたものだ。なかなか楽しんで観ることができた。こうしたスリル&アクションというのも面白い。何よりこの映画の凄さは、その現実にあるとも言われている国家による盗聴・盗撮・監視などの世界。
アメリカにはNSA(国家安全保障局)という機関がある。大きな予算と権力を持ち大統領に直接つながっていて、何をやっているのかその実態はよくわからない。いわゆるスパイ活動のようなものだが、この映画のように個人を闇に葬ってしまうようなことを行なっているのかもしれない。
こんなことを書いている僕もブラックリストに載り、メールその他が全てチェックされてしまうということも考えられないことではない……。
◆
茅葺きの里へ
今月号の『一個人』(http://www.kk-bestsellers.com/magazine/ikkojin/)は素晴らしい特集で、僕は思わず購入してしまった。とっても貧乏なのに(トホホ)。
特集というのは、古民家。茅葺屋根の古い家、旅館などがいっぱい載っている。
この中の旅館のところに、白布温泉の「西屋」という旅館が載っている(P51-55)。ここは僕が9月に泊まったところだ。ほんとうに落ち着けるところだった。今でも、美味しかった食事が思い出される。ぜひこの雑誌を見て下さい(笑)。
僕の住む近くには、茅葺屋根の家がけっこう残っている。でも、この雑誌を見ると日本のあちこちで茅葺屋根の家が大切にされていることがわかる。ほんとうに素晴らしいことだ。
こうしたところに行きたいなぁと思う。この雑誌に出ているような宿に泊まり(それにしてもどこも驚くほど安い)、地元の美味しいものを食べて静かな時間を過ごしたい。一流と呼ばれるホテルで豪華なディナーを食べ街の灯りを見下ろす景色での宿泊よりも、ずっと豊かなことだと思えるのだ。
ちなみにこの『一個人』という雑誌、来月号は四国遍路の特集らしい。また僕のお金を使わせようとしているのか、困ったものだ。
■ ビデオ『春の日は過ぎゆく』ホ・ジノ監督(http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=1817)[TBS]
この映画の感想のようなものを読んでいると、意見は2つに分かれるだろうということで落ち着く。とても深くわかる、と全然わからない、というものだ。観た人の恋愛感が出てくるのではないかと……。
特に何かがある話ではない。男女が結びつき、そして別れる。ほんとうにそれだけといっていい。
僕の感想はどうか。恥ずかしながら、もの凄く良かった(笑)。やや女性の気持はわからんぞというのがあったが、ひしひしと伝わるものがある恋愛映画だったのではないかと思う。あああ、何だか悲しいけど(ため息)。
それにしても、ホ・ジノ監督は素晴らしい。彼の第一作『八月のクリスマス』も良かったが、ほんとうに凄い。韓国の映画・テレビというと、そのピュアな部分がクローズアップされるが、こういう点ではこの監督の映画がナンバーワンではないだろうか。
映像、台詞、音、いろいろなものが他の映画とは微妙に違っている。ほんとうにこの人にしか撮れない映像世界になっている。イ・ヨンエがたまらないほど魅力的に撮られている。僕はすっかり彼女のファンになってしまった。
僕の中では、ホ・ジノの世界はチャン・イーモウを凌ぐようなものになっていくかもしれない。
■ 市川伸一著『心理学から学習をみなおす 岩波高校生セミナー2』(岩波書店)
かなり面白くこの本を読んだ。
勉強して覚えるということを、心理学を通して書かれている。例えば記憶というのは短期記憶と長期記憶があって、どのように長期記憶に変わっていくのかなど。高校生に向けての実際のセミナーを本という形にしたようなもので、何よりもわかりやすい。
心理学というと、遠い世界にあるような感じがしていた。でも、文章を読んだり、学んだり、そうしたことが心理学であり、こうしたことをもっと知ることによって、より日常生活を充実させることもできるのだ。
いろいろと頭の中にあった漠然としていたものが、この本に出会ったことでとても整理されたようだ。
今、書店には多くの勉強法に関する本が並んでいる。僕はこれまでいろいろと読んできたが、この本はもっと評価されていいように思える。これからも、この著者の本に注目していきたい。
◆ 秋のテレビドラマ
それにしても、それにしても、今回のフジテレビ月9は酷い。この「ラストクリスマス」を楽しく見ている人もいるのだろうし、こんなことを言うのは申しわけないけど、本当に酷い脚本だと思う。お隣に越してきたのが、同じ会社の人間だったというのは、それはそれでいい。部屋の間にドアがあることも許そう。男出入りの激しい女性なんだけど、純粋な側面を持っているのもよくある設定だ。病気を抱えていてもいい。『ラブ・アクチュアリー』の真似をしたっていい……。
3回見たところで僕はギブアップします。「たけしのTVタックル」にしようっと。
テレビドラマの脚本というものにあんまり文句をつけるのもどうかと思うけれど、全体的にかなりレベルが落ちてしまっているのではないだろうか。原作がちゃんとしているのだったら、脚本がひどくてもそれなりにはちゃんと見ることができる。けど、何でもかんでもぶちこめば、それでいいんだと思っているような感じがしてしまう。
今回のクールではテレビ朝日の「黒革の手帖」が人気のようだが、これなんかは完全に原作の良さなのだろうと思う。「白い巨塔」も最近よかったドラマなのだが、こうしたひと昔前の原作を持ってこないと、いいドラマは出来ないのではないだろうか。
それに出演者のレベルも落ちているような。もちろんテレビドラマでは、けっこう下手な演技の人はいる。でも、上手い人がちゃんと要所要所を締めていて、いいドラマとして成り立っていたように思う。
ドラマとしての面白さはもう一歩なのだが、日本テレビの「一番大切な人は誰ですか?」はそれなりに楽しく見ている。何がいいかというと、岸谷五朗と宮沢りえはやっぱり上手い。この2人が話をしてその喜怒哀楽を見せているだけで、見る側を満足させているように感じる。
あーあ、「ER」のようなドラマは日本では無理なのだろうか。
■ ビデオ『フランチェスコ』リリアーナ・カヴァーニ監督 [NHK-BS2]
実話を元にした映画で、けっこう大きな賞も受賞しているらしい。でも、正直なところ僕にはピンと来なかった。
言ってはいけないのかもしれないけど、なんで英語で語られるのだろう……。言葉にはその人たちの暮らし、感情というものが出てくると思う。言葉がわからなくても、大らかさ、繊細さなんかは感じられる。英語という言葉に押し込めてしまうことによって、その映画は大きなものを失ってしまっていると思うのだけどね。
◆
歩くこと
先日1時間半ほど歩いていた。近くのセブンイレブンに用事があったのだが、雨が降っていたため歩くことにしたのだった。
むかしの僕の感覚だったなら、自分の住んでいる家の5分以内にコンビニが数軒あるのが便利で良い生活だと思っていた。でも今はコンビニが遠くても別に悪い生活だとは思わなくなった。かえって、こんなにコンビニは遠いんだぞ、と自慢する気持さえある(笑)。もちろん僕なんかより、ずっと凄いよという人もいると思うけど。
ちなみにセブンイレブンは往復で1時間半だが、もう少し近いところに徒歩往復50分くらいのファミリーマートがある。
久しぶりに歩くことは気持のよいことだった。自転車もいいけど、歩きもいい。特に寒い季節になってしまったため、自転車だと寒いのだ。歩きは例え気温が低くても、歩くことで身体がポカポカしてくる。
景色もちょっとばかり違ってくるようだ。自転車だと通り過ぎていた景色が、歩きの場合はずっと僕の方に迫ってきてくれる。特にこの季節、山には黄色や赤と色がつきはじめている。何も考えず、こうした景色を見て歩くのは、やっぱり楽しいものだ。
■ ビデオ『はじまりはオペラ』ヒルデ・ハイエル監督(http://www.tvz.com/opera/movie1/main.html)[NHK-BS2]
あまり観ることのないノルウェー映画である。凄く良かった。
主人公の女性シヴの職業はオペラのプロンプター。これは舞台の前方に、客からは見えない状態で歌手に台詞を教えたりする人。小さな窓から顔を出しているこのジヴの姿が、とてもユニークで印象的。
婚約中、もしくは結婚していろいろと悩みを抱えている女性は、この映画を興味深く観るのではないかと思う。号泣してしまう人もいるかもしれない。そういう映画である。
オペラというのは、そんなに深く絡んでいるわけではないが、静かにこの物語の背景にある。その距離みたいなものが凄くいい。ほんとに、いい映画でした。
■ トーキョージャーナル編集部・編『トーキョー・ヴォイス』(洋販出版)
実に面白い本に出会ってしまった。いい本というのは埋もれているものなんだね。ブックオフで105円で手にした本なのだけど。
よく知らないのだけど、『トーキョージャーナル』という英語で書かれている雑誌がある。そこに載っていたインタビューをまとめ、日本語と英文と両方を載せているという変わった雰囲気の本がこの『トーキョー・ヴォイス』だ。
何が凄いかというと、載っている人物。17人が出ていて全部書き出すと、福島瑞穂、宮沢りえ、笠智衆、筑紫哲也、Tamayo、ジーコ、陸培春、鈴木邦男、タモリ、カズコ・ホ−キ、小林よしのり、野村克哉、村上春樹!、崔洋一、淡谷のり子、山崎努、坂井三郎というメンバー。ちなみにこの本の出版は1995年で、だいたい1992年から1994年のインタビューが元となっている。
日本のあちこちの雑誌に載っているインタビュー記事とは、けっこう違っているのだ。ほんとうに、ストレートな声というものがこの本にはある。
なんと言っても興味深いのは村上春樹! 政治的なこと、旧世代の作家との違いなどが、しっかりとしたヴォイスとなって書かれている。村上春樹ファンだったら、ぜひ読みたいものではないだろうか。
残念ながらこの本は絶版で簡単に手には入らないだろう。こういう本もあるんだね。
■ ビデオ『追憶 THE WAY WE WERE』シドニー・ポラック監督 [NHK-BS2]
この映画ははじめて観た。有名なテーマソングの映画だったのだね。なるほど。
ロバート・レッドフォードが思いっきりロバート・レッドフォードしている映画というのが、僕の感想でした(笑)。例えば日本でいうと、加山雄三とか石原裕次郎とかと同じような存在に思えた。特のこの映画では最初の方で、学生時代の場面があるのだけど、そのロバート・レッドフォードの姿がおかしくて。
恋愛映画として、けっこう興味深くこの映画を観ることができた。ちょっと堅物のバーブラ・ストライサンド演じる女性とは最初から上手くいかないんじゃないのかな、という感じはある。でも、それでも惹かれあうのが恋愛なんだよね(シミジミ)。
そして、僕が勝手に重ねて観ていたのは、ヘミングウェイやフィッツジェラルドという作家達だ。ロバート・レッドフォード演じるこの映画の主役は作家である。主人公の作品が映画化される過程での物語が、とても面白いものだった。
◆ 人生を休もう
僕はずっと東京を離れることはできないな、と実は思っていた。それは、耳の病気を抱えていたことによる。この何年か、浸出性中耳炎というもので、1月に1回は耳鼻科に行って様子を診てもらっていた。風邪を引いたりしたならばすぐに耳も悪くなり、かなりの頻度で耳鼻科に通っていた。ほんとうに耳に関しても、僕は多くの薬を飲んでいた。
何年かいろいろな耳鼻科に行ったが、なかなか信頼できるところはなく、正直なところ僕はかなり参っていたこともあった。片方の耳の聴力はかなり落ちて、もう聞こえなくなってしまうのか、と悲観にくれていた。そのことが原因で、酷いことを言われたこともある。
そうした中で練馬にある信頼できる耳鼻科の先生に出会った。そこで治療をしてもらって、かなり良くなった。標準値以下に落ちていた聴力も普通のレベルに回復することができた。その先生からは、僕の耳はかなり特殊な方だから、このまま一生治療を続ける必要があると言われていた。
僕は完全に回復することはないと思っていた。最悪なところから免れただけで、本当に良かったと。そして、その耳鼻科にずっと通い続ける気持でいたのだった。
しかし、僕は東京を離れた。そして半年が過ぎ、耳の状態はどうなったか。
驚いたことに、かなり良くなった。ほとんど問題なく、この半年を過ごした。1、2ヶ月に一度、こちらの病院の耳鼻科の先生に診てもらっているのだが、その先生はかなり驚いているようだった。一度聴力の下がってしまった耳というのは、簡単に元に戻るものではないらしい。けれど、良い状態へと向かっているようなのだ。
どうして良くなっているのだろうか。高血圧などの身体の状態を良くしようと思ってこの半年を過ごしたが、耳がよくなるとは全く思っていなかった。先生はこう言う、「耳というのは五感のひとつなのだから、気持とかいろいろなものが影響してくるのだ」と。
実は耳だけではない。最近気が付いてハッとしたことがあった。東京に住んでいたとき、ずっと悩んでいたものに肩こりというのがあった。驚かれるくらいに肩が凝っていて、肩こりの薬を処方してもらっていたこともある。マッサージにもよく行っていた。だいたい肩こりの話になると「パソコンを使っていますね」と言われていたので、それが原因かと思っていた。
今、毎日パソコンを使っている。以前よりも使う時間は長くなっていると思う。完全に肩こりが無いというわけではないが、全くといっていいほど、気にならなくなった。楽になった。本当に僕は、肩こりで悩んでいたことを忘れてしまっていたのだった。
何が良かったのか、明確なところはわからない。でも、長い人生、ときには立ち止まって休んだっていいんじゃないかと思う。思い切って環境を変えたりするのも大切ではないだろうか。例えば東京に住んでいる人は、半年か1年くらい、田舎の方に家を借りて何もせずに暮らす、なんてことがあってもいいと思う。身体が求めることをやってあげるのが、もっとも気持にとっていいことなのではないだろうか。身体の調子が悪いというのは、サインを出してくれているのではないかと。