|
DOLPHIN HOTEL 読書夜話2005年5月
例えば、そろそろ30歳に近いような年齢になっている女性がいたとする。結婚をしている。この先どうなるかはわからないけれど、もう男を好きになることはないだとうと思っている。なんと言っても、そのプロセスその他が面倒だったりすると感じるようになった……。 しかし、隙間は突然やってくる。そうなのだ、ラブ・ストーリーは突然やってくる。ちなみに、僕がこの夜話を書いているのは、ラブ・ストーリーとは全く無縁である。 さて、今は新幹線の車両の中だ。日曜日の最終の1本前、けっこう混んでいる。通路には立っている人もいるのだ。 最悪なのは、通路を挟んでの僕の左隣りの野郎だ。なんと、マックのノートパソコンのキーボードを叩き(かなり器用)、耳にはイヤフォンをしている。ファッション的にもブラックでけっこうキマッテイル。凄いなぁと思うのは、その左隣の窓側に座っている野郎は、IBMのTHINK PADを叩いている。キーボードの真ん中に位置する赤いマウスのボタン(正式な名前はしらん)が目立っている。すごい戦いだ。そんな隣で僕はひっそりと、パナソニックのレッツノートを叩いている……。 僕は、前回の新幹線で僕はノートパソコンを開かなかった。何故なら、答えはわりと単純である。通路を挟んだ、左隣りのやつが、レッツノートを開いていたからだ……。 もう少しこの時の新幹線の車内の状況を語ることにしよう。 こんなことを書いていると、筒井康隆の『家族八景』と『七瀬ふたたび』を思い出してしまう。いまだに、多岐川裕美は違っていると思うのだけど。ちなみに僕は『エディプスの恋人』はよくわからなかった。 なんと僕の右隣には女性が座っている。寝てしまっているようだけど、ジーンズのミニスカートで、携帯を握り締めている。左後方のおじさんは幕の内弁当を開いている。 この新幹線に乗ってから僕は缶チューハイを一杯飲んだ。けっこう酔っている。原宿ペニーレインでバーボンは飲まなかったけど、酔っているのだ。実はコーヒーを飲みたい。温かいやつをだ。あたたかなものが僕には必要だった。 けれど、アテンダントのお姉さんは来ない。ひとりきりで、新幹線の車内に僕は座っている。幸いなことに、僕の席の近くでは会話はない。サイレント・スーパーエクスプレス……。 さて、夜話だ。別に、この夜話には主張とか結論とかはない。ただ、暗闇の中を走る、新幹線の状況があるだけだ。日曜日の夜ということで、この中の人の大半は翌日は仕事をするのかもしれない。 良いとか悪いとかではない。あくまでも、ちょっとした話を僕は書くだけだ。冗談抜きで背中をかくみたいに。こんなことを言うと、孫の手に申し訳ないけれど、ちょっとした話は難しく、しだいに僕は眠くなる……。 ◆ スターバックスのスペース 東京に来たときには大きな荷物を持つことが多いのだが、スターバックスでは邪魔になる雰囲気は無い。 それにしても不思議に思うことがある。似たような店はあるけれど、どこもスターバックスを越えようとしていないように感じるのだ。 思い切って、もっと広いスペースを作ればいい。僕の個人的なリクエストとしては、メニューにおにぎりを出して欲しい。 朝はやっぱりパンではなく、お米を食べたいのだよ。作りおきではなく、炊飯ジャーから直接おにぎりをむすんでくれるカフェがあったなら、なんて真面目に思う。 他店の真似はするけれども、越えることはやっていない。これはカフェだけでなく、いろいろな分野で感じることだ。真似したっていいんだ。真似の発想から始まって、それを越えてしまえばいい。 東京に来たときに、僕が欲するのは広いスペースだ。お金も無いので、広い部屋のホテルに泊まることはできない。ちょっとした安らぎはカフェでコーヒーを飲むようなこと。ドトールでは落ち着かないのだ。 ■ 島本理生著『ナラタージュ』(角川書店) 理屈ぬきの青春小説という存在があると思う。例えば、宮本輝の『青が散る』や村上春樹の『ノルウェイの森』のような小説。そうした一冊と同じようなものを、この『ナラタージュ』は持っている。芥川賞なんかを取ることよりも、こう本が書かれたということの方が数段、凄いことだ。 実は僕はこの「ナラタージュ」という意味は何だかわからなかった。たぶん、本文には書かれていないと思うのだが。 僕はしばらく、このカバーの写真を広げて、眺めていた。 ◆ ヘビを踏む 僕はこの土地、まだ実際にヘビを見たことはない。しかし、道路などでは、車に轢かれて、干からびてしまったような状態のものは何度か目にしている。確かにいるのだ。うちの近くにも。 この話を聞いてからの僕は、どうにも自転車を走らせるのが恐くなっている。だって、原チャリと自転車とでは、やはり違うのだ。実際に、轢いてしまいそうな状況を想定すると、転倒してしまう可能性がある。30キロや40キロのスピードで走っていたならば、かなり危ないことにもなる。例えば、ヘビが斜めにいて、そこを轢いてしまうときにはどうなるだろう。バランスを崩してしまいそうだ。横たわっている状況というのを、より深く考えてみる。そのまま90度に突入して轢いてしまえば、それはそれで問題はないかもしれない。しかし、ヘビが車輪に絡まったりしたら、どうなるのだろうか……。 ああ、ああ、こわい。 ■ ビデオ『グッドフェローズ』マーティン・スコセッシ監督 [NHK-BS2]
とにかく、この1時間はほとんど止まることなく、走り続ける。風を切るという状態で。山の方を走るので、けっこうな下り坂もある。漕がなくても40キロくらいのスピードがでる。ジェットコースターなんかに乗るよりも、数倍は爽快なのではないかと思っている。 先日は、デジカメを片手に持ち、写真を撮りながら走っていた。なんとか、この走る楽しさを写真に出来ないかと思ったのだ。しかし、片手運転というのは、自転車を走らせるリズムのようなものを奪ってしまう。なかなか難しい。 自転車での景色を、写真に撮りたいのだけど、止まるのは嫌だし……。けっこう悩みはあるのだ。 ■ リチャード・ブローティガン著・福間健二訳『東京日記 リチャード・ブローティガン詩集』(思潮社) まずはこの本の原題から語りたい。リチャード・ブローティガンは約1カ月半ほど、日本に滞在したのだが、この本はその日記というか、詩集である。6月30日というのは、日本を離れた日。そう、太平洋上の日付変更線をまたいだ関係で、6月30日を2度経験したというわけだ。 単なる日付という意味だけでもないだろう。日本というものに対して、アメリカの敵であった戦争というものに対しての、強い想いがこのタイトルには現れているように感じる。 この本には、その名の通り、東京その他の日本で書かれた詩がメインである。しかし、「はじめに」と書かれた16ページほどの文章が、凄い衝撃をあたえてくれる。 彼の叔父さんの亡くなったことから話ははじまる。その死は、ミッドウェエイ海戦が元となっている。少年ブローティガンは、日本を憎むこととなる。 詩というものを読んでも、正直なところ僕にはよくわからない部分も多い。けれど、「はじめに」の文章で、リチャード・ブローティガンという人に触れることで、描かれている東京の景色が、うっすらと感じ取れるようになった気がする。 ◆ 泣いている文章たち 良い出来であれば、それはいいと思うのだ。いいものを作るというのには、どうしても裏方という存在が必要となる。仮に、ひとりで全てを書いたとしても、それを支える人なりはきっといる。 しかし、悪い出来となってしまった文章というものも、数多く存在しているのだろう。たぶん、下書きの文章の方が数段上手くて、面白い、なんてことはいっぱいあると思う。実際、本人が書いた本は売れずに、ゴーストライターの書いた方の本は良く売れた、なんて話もある。 文章というのは、下手でもいいんだと思ったりする。その文章のひとつひとつに気持が入っていれば。ちゃんと伝わるのではないかと。 ■ ビデオ『掠奪された七人の花嫁』スタンリー・ドーネン監督 [NHK-BS2] ◆ 富士スピードウェイ 新しくキレイなサーキット。トヨタが力を入れている。将来、F1がここで行なわれるかもしれない。 ドラマ『エンジン』では、レースは危険だ、死と隣り合わせだ、みたいな台詞があったりするのだが、このサーキットはあまり危険だという感じはしなかった。 僕にとってサーキットというと、この富士である。何といっても、F1イン・ジャパンが行なわれた場所だ。1976年10月24日、ジャームズ・ハントとニキ・ラウダがチャンピオンを争ったシーズンの最終戦。あまりにも、思い出深いレースだ。 一度だけ僕は富士スピードウェイに行き、レースを見たことがある。いや、2回あったかも。よく覚えていないや。 そうなんだ。ドラマで見る富士スピードウェイは、やっぱり以前とは別のサーキットなのだ。僕が力を込めて国内のレースを見ていたときだ。見ていたといっても、テレビ中継があったわけでない。雑誌などでレース結果を見ての応援だった。中嶋悟は速かったが、F1に行きそうな雰囲気はなかった。そんなとき、高橋徹という若いレーサーが彗星のように現れた。めちゃくちゃ速かった。 このサーキットの第一コーナーの向こうには、バンクがあった。実はそこでも何人かのレーサーが事故で命を落としている。 サーキットには悲しい話が、どうしてもあるものだ。富士スピードウェイは、安全なサーキットとして生まれ変わった。それは、喜ばしいことだ。でも、以前の富士スピードウェイで命を落としたレーサー、そして観客のことも、忘れないでいたい。
僕の大好きだったアスパラは終ってしまった。今は、春菊、つるむらさき、ほうれん草、レタスといったものを毎日食べている。そろそろキュウリも採れてきている。それにしてもこのキュウリは凄いのだ。ぐにゃぐにゃぐにゃと凄い格好をしている(笑)。もう少し経つと、ナスが食べられるようになりそう。 それにしても、おひたしって、人生のはかなさを感じさせるよね。例えば、鍋いっぱいにほうれん草を茹でたとしても、絞るとほんとに小さくなって……。 レタスを食べるときには、食べる分だけ葉っぱを千切ってくる。どろがついているので、ちゃんと洗わなくちゃいけないのだけど。 こういう食生活は2年目となる。ときどき東京に行くのだけど、ほんの2、3日でも胃の具合がおかしくなる。まあ、飲みすぎだという声もあるが。 最近の昼食後のデザートはサクランボである。正直言って、1本だけあるうちの木で採れたものは、そんなに美味しいわけではない。よって、食べなければならない。けっこう忙しいのだ。 ■ 森絵都著『いつかパラソルの下で』(角川書店) 大人の物語である。しかし、登場人物たちからは、どことなく子供の頃の表情が感じられる。回想シーンというのもあるのだが、それをとっても、他の作家の描く小説とは違った表情はあるように思える。 この本を読んで、僕はまた森絵都が好きなった。 しかし、何か物足りない気持も同時にある。『カラフル』や『つきのふね』の、そこまで書いていいのという感じが、大人の世界では普通のことになり、何か物足りない感覚になってしまうのだ。もちろん、ただ単にインパクトがあればいいというものでもない。 たぶん、森絵都だったなら、もっともっと凄い小説を書いてくれるだろうという期待感のようなものかもしれない。何だかよくわからない。 そうそう、この本の帯のコピーが僕は好きではなかった。 ◆ タイガーマスク さてさて、この設定って、よーくよーく考えてみると『タイガーマスク』と似ていると思ったのは僕だけではないだろうか。孤児の伊達直人は、「ちびっこハウス」の子供たちに、プロレスで夢を与える。 タイガーマスク、僕が子供の頃に楽しみにしていたアニメだ。マガジンにも連載されていた。アニメと漫画とではやや話は違っている。 僕は1時間くらい、このサイトを見入っていた。そして、意外なことを知る。インターネットという世界には、こういうこともあるのだろう。タイガーマスクのアニメ版と漫画版とでは、そのラストが大きく違っている。これまでちゃんとこの漫画を見たことはなかった。そのうち、ちゃんと読んでみようと思う。 ■ ビデオ『サンシャイン・ボーイズ』ハーバート・ロス監督 [NHK-BS2] 長い間の人間関係という中にはこういうことだってあるだろう。でも、2人には確かに2人にしか感じられない世界がある。でも、キライだ(笑)。そうした人間の深みを、コメディということで、笑わせてくれるし、人によっては涙ものの世界かもしれない。 ちなみに僕は、アカデミー賞というものよりも、ゴールデン・グローブ賞の方が好きだったりしている。 ◆ ひさしぶりの夜話後記 ひと月に1回か2回くらいの更新になるかもしれません。いまは少しの変化のときということで、お願いします。 それにしても、月日が過ぎるのは早い。4月にはまだ雪があった。外の景色というものは白いものだった。それが今は青々としたもの。草刈り機の音がしている。これからひと月、ふた月あたりで、夏の暑さのピークがくる。それが過ぎれば秋になり、雪が降る。 やれやれ。 先日のオフ会について、ちらりと語ろうと思う。飲みながら、ノートパソコンを開き、ドルフィンホテルの過去ログを眺めていた。パソコン通信時代のもの、1992年から1997年という古いもの。中味を読んだわけではなく、タイトルを見るだけで楽しいものだった。 ドルフィンホテルの建物は変わってしまった。でも、ちゃんと続いていきます。 DOLPHIN HOTEL |