ドルフィンホテル
   
   
   
   
   
   
   
   
   


     

DOLPHIN HOTEL 読書夜話2005年9月

首振り三年、ころ八年 2005/9 #1


2005/9/30

◆ 東京駅大丸デパート地下のお弁当を食べる楽しみ

 新幹線の中で僕はこの文章を書き始めている。もちろん、この文章が読書夜話としてアップされるまでには、何らかの手が加えられる。しかし、このままでどこかに流れる可能性がないではない。先頭車両なので、もし仮に追突事故でもあったなら、なんてことを考えたりする。好きで先頭車両に乗っているわけではないのだ。都心の電車に乗るときには、先頭車両はできるだけ避けていた。

 どうして先頭車両なのか? 答えは簡単である。自由席の禁煙車両だから。僕は煙草の煙は苦手だ。ちなみに、上りのときには、最後尾の車両となっている。
 それにしても、この端っこの車両というのはどうにも間抜けな感じがする。車掌さんが来たときに、端っこでターンをするわけだが、なんかちょっと変なんだ。ちょっとタッチするとか、ぐるりとカッコよく2回転くらいしてターンするとか、もう少しパフォーマンスがあっていいと思うのだが。

 僕はアサヒ本生を飲んでいる。僕が東京に来て、帰るときには東京駅での夕食というのが楽しみだった。一杯やりながら新幹線の発車時間を待つのである。待つといってもいい加減なものだ。もう一杯飲もうかな、と思ったなら、1本出発を遅らせればいい。まあ、それでも、8時半くらいには出発しなければならないのだが。

 しかし、夏の暑さでその楽しみは終わりとなった。お店に入ったときの冷房が寒くて寒くてかなわないのだ。冷たいビールが全然美味しくない。ちなみに、僕は普段はビールは飲まないが、東京に来たときだけ解禁にしている。冷たい部屋の中で冷たいビールを飲んでも辛いだけなのだ。

 というわけで、新幹線の中でビールを飲むことになった。大丸デパートの地下で発泡酒のロング缶を2本買う。せこいようだが、これだと420円ですむ。どこかのお店で生ビールを頼んだら、ほんの少しの量で550円とかが取られたりするので、安いもんである。そして、大丸デパート地下でお弁当を買う。お弁当といっても、お惣菜といってもいい。最近は、ビールのつまにになるような惣菜がちょっとずつ、多くの種類の入ったデラックス版の売られているのだ。この日僕が買ったのは「中華惣菜5点パック」というもので1029円。ちなみに、サービスでご飯もついていた。
 ただ、名前は5点パックだが、中味は9点。お弁当箱が小さく3×3になっていて、9種類の惣菜が入っている。

 つまり、1500円でアルコールを1リットル飲んで、ご飯付きの9種類の惣菜をちょびちょびと食べることが出きるという豪華版なのだ。
 今回のは中華なのだが、他にも洋食のやつかと、和食のやつとかもあったりする。値段はどれもこんな感じ。なかなか楽しめる。

 飲み始めて、食べ初めて、外の景色をみると、キンキラキンのラブホテルのネオンがあったりする。みんな頑張っているのだ。

 それにしても、この車両はガラガラだ。選挙の日というのは関係あるのだろうか。たぶん、僕が乗った夕方以降の新幹線では最低の客の数だ。これでは、安全な赤字だろう。まあいい。みんな赤字なのだ。赤字の国が選挙をやっている。実に偉そうに。

 この中華の惣菜はまあ悪くは無い。気分的に贅沢になれるし。美味しくないわけでもない。しかし、肉ばっかりという感じ。僕の食生活の2週間分くらいの肉を、ここで食べている感じだった。鳥の唐揚、豚の角煮、酢豚、などなど。まあ、嫌いではないけど、もっと野菜が欲しい。

 例えば、こうした3×3で9種類くらいのおかずの入るお弁当箱に、おひたしなんてのがあったら嬉しい。日本各地のおひたしが、一同に揃うのだ。おおお、ヨダレが出るではないか。ビールではなく、日本酒を買わなければなるまい。その季節、地方によって、おひたしというのは様々なはず。その地方のちょっとした味付けもあるかもしれない。胡麻和えみたいなのがあっても楽しい。そうした9種類の和のおかずがあったなら、1000円でも僕は買ってしまうだろうな。
 ああ、僕という人間はいつの間にか、肉とかよりも、こういう食べ物の方に心が動くようになってしまった。

 さて、大宮駅で僕の席に女性が座った。それはそれでいいのだ。酒の匂いをプンプンさせたオヤジに座られるよりはずっといい。しかし、この女性が曲者だった。
 ときどき、左手を頭の上にあげるのである。そして、髪の毛を掴む。ずずずーっと引っ張る。これって、枝毛の処理? そんなことを何回も何回もやっていた。僕の目の前で。もちろん、彼女は僕が発泡酒を飲みながら、ちょびちょびと中華の惣菜を楽しんでいることなんて、考えてもいないのだろう。僕がエビチリを口に入れて、「ああ、美味しいな」と思い、顔を上げて外の景色でも見て、キレイだったあの子のことを思い出そうとすると、目の前には、左手と髪の毛がずずずーっと、動いているのである。

 やれやれ。何度注意しようと思ったことだろう。こんな風に注意された人はどういう反応をするのだろうか。怒るだろうか。とにかく僕はぐっと堪えた。

 彼女は幸いにも次の宇都宮駅で降りていった。僕の宇都宮の女性に対するイメージは、大きくダウンした。これまではまあまあ良い印象だったのだけど。どなたか、ぜひ宇都宮イメージアップをお願いします。


 それにしても、出張なり、移動を常とする仕事をしている人は凄いと思う。よくもまあ、飽きないものだと。スポーツ選手なんて、移動につぐ移動だもんね。外の景色は全く変わり映えのしないものだし。

 食べて飲んだ僕は、大抵の場合、寝てしまう。そして、福島駅くらいで目を覚ます。そして、家に帰るまでの、気持の用意みたいなことをする。新幹線に乗るという行為は、ある意味でタイムマシンに乗るみたいなのだ。距離だけれなく、全く違った世界への移動。

 それにしても、ガラガラの車内だ。多くの人は目を閉じている。パソコンを開いている人もいるけれど、やはり狭さを感じる。この新幹線は峠を越えているところだ。もし、止まってしまったらなんてことは、誰も考えない。


■ 村上春樹著『東京奇譚集』(新潮社)

 5つの短編がこの「東京奇譚集」というタイトルの元で一冊の本になるのは、僕としてはやや違和感があった。でも、こういう話は僕は好きである。
 ちなみに僕の好きな村上春樹の作品というのは、『回転木馬のデッドヒート』だ。つまり、こうした雰囲気のちょっとした話。しかも、以前よりも深く人の心の裏側を捉えたようなものになっている。

 しかし、この5つの作品の中でどれが一番かと言われるとちょっと悩む。どれも微妙にいいのだけど、どれも、自分に合わないような。面白い面白くないというよりも、その読み手の今の状況が反映されるような気がする。その点で、この本は、男性というよりも、女性が読書となるような本だと思ったのだが、いかがだろうか。
 特に最後の「品川猿」なんて、読み終えた数日、ボーっとしている女性がいそうな気がする。

 さて、村上春樹と言えば、最近は「村上モトクラシ」(http://www.shinchosha.co.jp/murakami/main.html)というサイトがある。たまに本人のメッセージがあるので見たりする。
 しかし、最近見つけた凄いサイトがアメリカのランダムハウスの「Haruki Murakami: The Official Website」(http://www.randomhouse.com/features/murakami/)。もちろん英語のサイトなのだけど、BGMとかそのアートの雰囲気が凄くて圧倒されます。村上春樹はアメリカで、こんな風にイメージされているのかと。日本での村上春樹本人というと、ビール飲んで、美味しいもの食べて、走って、という感じだからね。
 まあ、とにかく、村上春樹という作家が日本だけの存在でなく、イチローとか、そうしたレベルにいるような印象を受けました。


◆ 若い党首

 民主党の党首が新しくなった。驚いたのは僕だけではないと思うが、その年齢である。僕の知り合いの、Cさんとか、Mさんとか、Kさんとか、Nさんとかと同じなのである。うわぁ、若い。
 単純な若い見た目ということで言うと、ぜひ民主党には政権を取って、前原氏に総理大臣になって欲しい。サミットなどで、けっこう目立つと思うのだ。

 若いということは舐められる可能性がある。しかし、年齢が高くても日本は舐められていたような印象がある。だったら、若い方が断然いい。

 民主党が政権を取ることがいいかは別として、そろそろ選挙というものは、大きく変わるんだろうなと思う。選挙の規制が緩やかになって、インターネットを活用することが出来たなら。結果はもっともっと違ってくるように思うのは僕だけではないだろう。だいたいにして、政見放送なんて、テレビで見る必要はない。ああいったものだけでも、ネットで見れるようにしたらいいのだ。映像とともに、データは関連リンクなどが示されれば、ちょっとの時間でも深く政治を考えることができる。

 そうやって、どういう政策がいいかを考えて投票するようになれば、今の選挙のあり方なんて、あっという間に変わってしまうような気がするが。

 ちなみに、僕の家の隣は公民館になっていて、選挙活動中に、地元の候補の演説会があった。僕のそのときお風呂に入っていたのだけど、湯船にその演説の声が聞こえてきた。
 いやぁ、すごい矛盾だ。「改革は必要だ!」と大きな声で言う。それはそれでわかる。しかし同時に地元にいかに密着してきたかなどの経歴を声を大にして訴えている。

 僕にとっての「改革」というイメージは、昔からのしがらみを破るもので、それこそが「改革」なのだが。


◆ 学力低下の問題について真面目に考える

 こんなことを書いたら絶対にヒンシュクを買うだろうなぁと思う。でも、素朴な疑問として思っていることなので、書いてしまおう。
 最近のテレビドラマで、『がんばっていきまっしょい』『ドラゴン桜』という高校を舞台としたものがあった。どちらも深く考えさせられ、興味深いものがあった。ちょっとだけ、自分の高校生の頃を振り返ったりもした。ああ、20数年も前になってしまうのか。

 さて、僕の頃の高校と、これらのドラマで出てきた高校と、何が違うか。

 女高生のスカートの長さ、と言ったらやっぱりおっさんだと思われるだろうか。

 だって、昔の女子高生のスカートと言えば、気合の入った人ほど、それはそれは長かったものだ。なのに、何と今の女の子のスカートの短いこと。しかも、がんがん走り回ったり、どう考えても、見えそうなのだが……。

 まあ僕は、テレビでこうやってワナワナワワナと見ているだけだ。こうした同じ場所にいる、男子高校生というのは、普通にやっているのだろうか。気になって勉強の集中力は落ちてしまっているのではなかろうか。学力低下の原因というのは、こんなところにあるのではないかと思えてしまう。

 こんなことを考えてしまったのは僕だけだろうか。


◆ 名前というもの

 インターネットの世界では、匿名と本名という名前が入り交じっている。僕は本名でいいのだけど、でも自分の名前があちこちにあるのは嫌だな、と思うほうだろう。昔から、そんなに自分の名前に拘ったりはしない。別に、他にいい名前があったなら、それを使ってもいい。

 僕にとってこの名前の問題でピンと来なかったのは、夫婦別姓というもの。僕の場合は(実際に選択を迫られたなら考え込んでしまうけど)、苗字が変わることにそんなに執着はない。ハンドルネームなどが普通の世の中なのに、なんで自分の名前にそんなに拘るの? という素朴な疑問もあった。

 しかし、こんな僕にもちょっとだけ気持ちの変化がでている。できれば自分の名前を公にしたくはない。けれど、自分という存在が、他の人間に利用されるのは嫌だ。具体的に言うと、自分の書いた文章が、他の人の名前で使われるということがあった。よくあることだと言われるかもしれない。しかし、やっぱり深いダメージを受ける。少なくとも、自分はこういう状況には堪えられない。自分という存在が、自分から離れてしまうような感覚に陥る。大げさだろうか。

 名前というのは、こうした意味で、自分が自分であるということを、繋ぎ止めておくものなのではないか。こんなことを考えるようになってきている。


◆ アスファルトの世界

 自転車で少し山の方を走る。道によっては40キロ以上の速度が出たりすることもあり、かなり注意深く走る。アスファルトの上に、何かが落ちていたならば、大変なことになる。仮に何かに接触しバランスを崩して転倒してしまう。そこに対向車線からきた車が通ったら……。真面目な話、自転車を走らせるということは、そうした危険性がある。

 最近は、このアスファルトの上にヘビの残骸を見たりする。車に引かれ、干乾びた状態となっている。轢いても問題はないのだが、やはり気持ちのいいものではない。

 ドロップハンドルということもあり、このアスファルトというのが、よく見える。焦ってしまうのは、何も干乾びたヘビだけではない。生きているものを轢きそうになることがよくある。

 最近で一番多いのは、カマキリだ。あと大きなバッタにも出くわす。トンボがいることもある。ほんの数センチ、横に逸れればいい。前輪はちゃんと外すことはやっている。しかし、後輪がどうかというと、やや不安がある。

 アスファルトの上に、こうした昆虫の死骸を見るのは切ないものがある。道路の脇は、田んぼだったり緑のあるところ。彼らは、自然の中でのびのびと生きたのだろう。そんな中、道を間違ったのか、慣れないアスファルトの道路に出てしまい、ちょっと混乱していたのかもしれない。まるで、異次元の世界に出てしまったかのように。

 そして、車や自転車などのスピードが、彼らの横を通り過ぎる。

 もちろん、僕は、気持ちよく風を切り、自転車を走らせる。道路に虫がいたならば、邪魔だよなぁ、くらいにしか思わない。

 季節はあっという間に変わっていく。このアスファルトもあと数ヶ月で雪に覆われる。このところ、寒さを感じるようになっている。


◆ アマゾンの深い深い深い森

 前にアマゾンで本を売っていることについて書いたが、その辺りの近況報告をしようと思う。どうしてかというと、先日本を売ったらマイナスになった、なんてことがあって。

 とある本を164円という出品価格で出していたところ、売れてしまった。この場合、アマゾンの手数料が125円になり、260円の配送料が僕に入る。トータルとして僕の銀行口座には299円が入る。しかしこの本、重量が730グラムほどあった……。
 この重さの本を送る場合、郵便局の冊子小包では340円かかり、クロネコヤマトのメール便では310円かかる。当然のことながら、メール便を使ったのだけど、11円の赤字だったわけだ。はじめての赤字だった。
 それにしても。何で郵便局はお高いのでしょうかね。

 せめて、購入してくれた人には、良い評価を付けてもらえたなら宣伝費と割り切ることもできるのだが。ちなみに、先日73円の利益だったときに、大絶賛というようなコメントを書いてもらった。アマゾンで本を買ったことのある人にとっては、この評価というのは重要なものだろう。

 現在の僕の評価は91件がついて、当然のように100%の良い評価。平均では4.9です。どうやったら、こういう評価をもらえるのかなど、だいぶわかってきたところ。

 実は僕のアマゾン本販売は、長く中断していた。昨年やったはいいが、数ヶ月やり、アマゾンのシステム(安定感がないというか、よくわからないところが多い)にイライラして、やっていない時期もあった。今年の6月からやりだして、7月からは3ヶ月連続で1万円以上の利益を上げている。まあ、そのほとんどは自分の本を売っているわけで、その何倍もの書籍代というものが過去にあって成り立っているのだが。

 なかなか儲からないという人もいるだろう。おおよそであるが、10分の1なのだろうと思う。300冊の本を出品し、一番安い価格に設定する。そうすると、ひと月に30冊は売れる。インターネットには、10分の1の法則みたいなものがある。アマゾンでは、これは当てはまるようだ。

 さて、本は好きだけれど手元に置こうとは思わないという人、実は多いのではないだろうか。読めればいいということで、古本屋で安い本を買う人もいる。読みたい本もちょっと我慢すれば、アマゾンで安く買うこともできる。

 ちょっとした、計算をしよう。

 村上春樹の新刊『東京奇譚集』(新潮社)1470円

 僕はこの本を新刊で購入し、アマゾンで売ってしまった。
 アマゾンの出品価格は、1079円。アマゾンの手数料(157円)、送料(260円)というものがある。厳密に言えば、封筒やビニールパッキンの費用とかはあるのだが、掛かった費用は送料だけとする。結果として僕の利益は、867円。

 1079円−867円=212円

 僕は『東京奇譚集』という新刊本を212円で読んだことになる。もちろん著者の印税がどうのこうのという話は、ここでは触れない。現状のアマゾンというシステムを利用してということだ。

 現在のアマゾンのユーズド価格は800円から1000円という状況。時間が経てば経つほど、この価格は落ちてしまう。ちなみに、ユーズドブックを購入する場合、購入者はアマゾンに送料として360円を支払う。よって、1470円−360円=1110円よりも安い価格を設定して出品すれば、売れる可能性はある。ちょっとだけ付け加えると、この360円という送料をわからずに購入する人もいると思うので、もっと高くても売れるかもしれない。

 つまり、新刊が出たならば出来るだけ速く購入し、できるだけ速く読み、出来るだけ速く売れば、この読む価格というのを低くすることができる。もしも、その本をどうしても手元に置いておきたいというのであれば、数年経って文庫化されたころにユーズドブックを購入すれば、安くあがるのである。

 部屋が狭く本を置いておく場所がない。お金がなくて新刊が買えない。このような悩みのある人には、こんな風に本を買って読む方法があるというわけだ。

 しかし……。ここで問題です。上のケースの場合、この本の売買でアマゾンはいくらの利益を上げているのでしょうか?


■ 敷村良子著『がんばっていきまっしょい』(幻冬舎文庫)

 テレビドラマを見終わったあとで、原作を読みたくなった。テレビドラマと小説とは違うものだ。よって、両者の比較というのは、あまりやりたくない気持ちがある。
 しかし、少しだけ語りたい。

 この小説は、「がんばっていきまっしょい」と「イージー・オール」と、2つに分かれている。前半の「がんばっていきまっしょい」が坊ちゃん文学賞大賞を受賞して、「イージー・オール」はその続編となっている。テレビドラマの設定はこの2つを合わせたもの。

 正直なところ、作者に失礼かもしれないが前半の「がんばっていきまっしょい」はあまり面白くはなかった。書かれているテーマ、作者の想いは伝わってくる。しかし、まだまだ、プロじゃないんだなという感じというのだろうか。文庫本あとがきでは、「読み返すと、この作品は作文以下と評されても仕方ないしろもので、校正しながらかなり凹んだ。」と実際書かれている。

 しかし、後半となる「イージー・オール」は、とても惹き込まれるものがあった。恥ずかしながら、最後は目頭が熱くなった。この小説は、テレビドラマのエピソードのような大きな感情のぶつかり合いみたいなものはない。もっと淡々としている。そして現実がある。そうしたものが、活字を通して、僕の高校生活を思い出させてくれる。

 小説の主人公は、最初の共通一次試験の学年だ。ちなみに僕はその翌年。もう少し僕との似た点を上げるなら、同じ「東校」と呼ばれる高校だった。
 たぶん、僕くらいの年齢の人間がこの小説を読んだならば、誰もがついつい熱くなってしまうだろう。

 テレビドラマとの違いは何かといえば、こうした時代の感覚がある。そして、映像と個々のキャラクターの描き方というのは、テレビドラマの方がその魅力に溢れていた。

 しかし、小説の主人公、篠村悦子に魅力がないということではない。テレビドラマは他者を描くことで、悦子が光っていたが、小説はあくまでも悦子を描き、そこにもどかしさを感じる。そこが、読み手の高校生活を振り返させているように感じるのだ。

 敷村良子のHP「よいこの仕事場」(http://homepage3.nifty.com/yoshikoshikimura/)では、このドラマについての作者の思いが語られていて、とても興味深い。
 何よりも面白いのは、両者のラストシーン。テレビドラマと小説とでは、そのラストが違う。しかし、この幻冬舎文庫の小説のラストは、最初に出版され現在絶版となっているマガジンハウス版とは違ったものなのだそうだ。元々はテレビドラマのラストに近い。それが削られて、現在の小説のものとなっている。しかし、作者はやや後悔している感じ。テレビドラマと小説との違いということ、20年も前と今の時代というのを考えてみても、この部分は興味深いもののように思える。


◆ 新幹線での朝食

 朝の新幹線に乗ったりする。とてもとても不思議に思うことがある。こんなことを感じているのは僕だけだろうか。

 うちに地元の名産は、牛肉である。確かに美味しい。しかも安い。温泉などもあるので、東京あたりから、のんびり旅行をする人もいるのだろう。宿では当然のように、この牛肉が登場する。ぜひ、旅行に来てください。

 さてさて、不思議というのは朝の新幹線だ。アテンダントのお姉さんが、お弁当を売りに来る。この弁当のほとんどが、牛肉の弁当なのだ。地元の名産だし、美味しいことは美味しいのだろう。しかし、朝の7時半くらいの時間に、牛肉弁当を食べたい人はどのくらいいるのだろうか? もちろん納豆弁当を出したら、なんてヤボなことを言うつもりはない。しかし……。

 他に朝食として食べるものといったら、サンドイッチがある。あれも止めて欲しい。ツナマヨネーズみたなゴテゴテのサンドイッチを朝から食べるなんて辛いものがあると思うのだが。

 仮にパンだったら、シンプルなクロワッサンとか、シンプルなレタスのサンドイッチとか、そういうものを出して欲しい。ご飯ものだったら、シンプルにおにぎりでいい。「田舎のおばあさんの握ったおにぎりと手づくりの漬物セット」なんてのがあったなら、観光客も涙を流してこの朝食を食べるのではないだろうか。

 ああ、それにしても、誰が朝から牛肉弁当を食べるのだ。


◆ ああ上野、ああ上野

 なんでも09年度から常磐線が東京駅に乗り入れるのだそうだ。ますます東京駅が交通の拠点となる。それはそれでいいのだけど、上野という街はこれからどうなるのだろうという思いがある。

 だいたいにして、元々上野駅始発だった東北新幹線も上野には止まらなかったりもしている。あの深い深いホームまで歩いていくのも、面倒だ。

 たまに上野の街を歩くこともある。アメ横あたりのガード下は、ちょっとした飲み屋もあり、それなりに面白さもある。しかし、ぼやけた街という雰囲気がするのだ。

 ひと昔前は、東日本の玄関口だった。どうして上野は頑張らないのだろうか? 素朴な疑問がある。例えば、品川だって、頑張って新幹線を止めるようにしたはずだ。上野は大きな公園もあり、長靴だって似合う。上野らしい街づくりをして、魅力のある場所にすればいいと思うのに、何もかもが手を引いているように感じる。

 上野だけでなく、これから東京の中心はどうなるのだろうか。渋谷、新宿、池袋なんてところも寂れて、全く別の巨大地下街とか空中都市なんてのが脚光を浴びることになるかもしれない。それとも、東京という街自体が、消えていくのかも。インターネットの時代だ。どうなるのかなんて、誰にもわからない。


◆ 文学館という場所

 いくつかの展覧会のような場所に行ったことはある。例えばどこかの城下町であれば、歴史上の人物を取り上げた記念館のようなところなど。

 しかし、文学館という名前のところはあまり無かったかもしれない。ひとりがテーマとなっているのであれば、行ったことはあるが。

「藤沢周平の世界展」というのを見るために、「世田谷文学館」(http://www.setabun.or.jp/)に行った。とても面白い催しだったのだが、この文学館という場所自体にも興味が湧いた。

 過去の開催というものには、「池波正太郎の世界展」「没後20年 寺山修司の青春時代展」「没後10年 安部公房展」「追悼 山田風太郎展」なんてのがあったりする。もちろん、他にも興味深いものが。他のイベントして、「若い読者のための文学講座」というのもあり、角田光代が講師をやっていたり。

 ちなみに藤沢周平の後には、「世田谷ハリウッドー映画の街・世田谷の映画人たち」というのがある。文学と映画の世界を様々な角度から取り上げているのだ。

 東京に住んでいたならば、気軽に行けたのに……。文学館ということで調べてみると、全国のあちこちに文学館という名前の場所はあるみたい。

 ときどきは、こうした場所に行き、より深くその作家の内面に触れてみるのも、読書の楽しみなのだろうと思った。

 ところで、いつか遠い将来。村上春樹文学館とかできるのだろうか。やれやれ。


■ ビデオ『道』フェデリコ・フェリーニ監督

 1954年の名作と呼ばれている映画。大道芸人とある女性の物語だ。いや、話をしては特別なものではないようにも思えた。淡々とした日々が、描かれる。あまりにも酷いことだという見方もあるかもしれない。しかし、こういう生活のようなものも確かにあり、自分の中にも、何かこの映画と通じるようなものがあるのではと思えてしまう。

 どうしてこの映画が名作なのか、正直なところ僕にはわからない。しかし、確かに記憶に残る映画ではあった。

 映画とは何なのか。フェデリコ・フェリーニは「私は映画だ」と言ったのだという。


◆ 森の中のパン屋さん

 テレビ朝日の「人生の楽園」(http://www.tv-asahi.co.jp/rakuen/)という情報番組が好きで見ている。都会から離れて、自然な中で自由に暮らす人たちが描かれる。表情が活き活きとしていて、楽しそうなのだ。まあ、実際のところ、草むしりが大変でどうしようもなかったり、ご近所とのニンゲンカンケイが面倒だったりとか、いろいろあるだろうと密かに見ているが。
 とにかく僕も都会から離れた一人であり。興味深く見ている。

 少し前に「野風パン」(http://www.yafu-pan.com/)というパン屋さんが登場した。青森県の山の方にある、石窯で焼くパン屋さんだ。これまではホームページで注文を受けたりしていたのだが、テレビに出たことで注文はパンクしてしまった様子。

 テレビに出なくても、口コミみたいな感じでこのパン屋さんの美味しさは広がっていったようだった。休みの日には、遠くから時間をかけて、このパンを買いに来るのだそうだ。凄いことだと思う。

 少し前の時代の発想だったなら、飲食店は場所が最も重要なことだっただろう。それが、関係ないのだ。凄いことだと思う。

 しかし、美味しいけれど、全然流行らない山の中のパン屋さんというのも、やっぱりあると思うのだ。蕎麦屋さんも、カフェだってあるかもしれない。がんばって欲しいなぁと思うのだ。

 インターネットというのは、何だか忙しそうなイメージがある。楽天やライブドアみたいな。けれど、インターネットによって、ほんとうに「いいもの」が埋もれることなく、広まることも可能なのだと思う。

 ああ、僕も野風パンを食べてみたい。


■ 金城一紀著『SPEED』(角川書店)

 僕の好きな「ゾンビーズ・シリーズ」の第3弾である。面白かった! 前作の『フライ,ダディ,フライ』よりは、『レボリューションbR』のキャラクターを引きずっている雰囲気。

 読んでいて惹かれてしまうのは、その強い個性。作り話だし、はちゃめちゃなのだけど、なんというか、インテリジェンスというものが感じられる。

 この『SPEED』の主役は16歳の女子高生。真面目で平凡だったのだが、ゾンビーズと関わりあって、どんどん変わっていく。そして、男の世界というのを、垣間見るような部分が。

 けっこう女性が読んでも好きになる小説ではないだろうか。

 金城一紀には期待している。さらりと元気にさせてくれる。ただそれだけだったら他にも多いだろう。でも、何かが違う。世界が変わるんじゃないかと感じさせてくれるのだ。


◆ クスリ

 こっそり言うと、最近ちょっと体調が悪い。気温が落ちているからだろうか。血圧が少し高め。医者で計ってもらったときも、やはり高かった。先生は、薬を増やそうかと言う……。

 なんとか頑張って3種類だった薬を2種類にしたのに。あっさりと言われたことに僕はショックを受けてしまった。まあ、確かに悪かったなら何らかの処置などが必要だろうし、それは薬を飲むことだともわかるのだけど。でも、僕は僕なりに、薬を飲まない状態になりたいと、いろいろなことをやってきた。東京を離れたのも、そうしたひとつだ。

 僕は当然のように薬は増やさないで欲しいと言った。

 2年前の阪神タイガースが優勝した秋に、僕は降圧剤というものを飲み始めた。医者は、一度飲んだらずっと飲み続けなければならない、あなたの年齢ではまだ早すぎる、と言った。ふらふらの足取りで医者に行き、そのまま帰ってきて寝ていた日のことは忘れもしない。

 まわりの声は決まっている。具合が悪かったなら医者に行けと。ほとんど倒れるんじゃないかという状態でも会社に行かなければならなかった僕は、自分から薬を出してくださいと言って、薬を処方してもらった。

 考えてみると、薬を飲み始めてそろそろ2年になろうとしている。

 薬を飲まない生活をしようと思っていたんだよな(笑)。あまり考えすぎないほうがいいのだろう。それはそれで、わかっているのだが。



 DOLPHIN HOTEL