ドルフィンホテル
   
   
   
   
   
   
   
   
   


     

DOLPHIN HOTEL 読書夜話2005年10月

月に叢雲、花に風 2005/10 #1


2005/10/13

◆ ブロッコリー

 今年から、新しい野菜がうちの畑に植えられた。ブロッコリーである。
 まったく恥ずかしながら、僕はブロッコリーというものが、どのように生えているのか全く知らないでいた。地面の低いところに生えているのだとばかり思っていた。
 ところが、はじめて見たこのブロッコリーというもの、大きな葉っぱの中に、デンとあるものだった。

 大根よりも大きな大きな葉っぱなのである。基本的にはその中央にひとつのブロッコリーの花というか固まりができる。中央以外にも、できるのだけど、やや小ぶりになる感じ。

 そんなブロッコリーというものを見ていると、すごく贅沢な野菜のように思えてきた。昔は、ヘンテコな形で食べても美味しいと思っていなかった。けれど、独特の香りがたまらなく美味しいではないか。採りたてのブロッコリーを茹でて食べる。ああ、なんと贅沢なのだろうか。


■ ビデオ『ミーン・ストリート』マーティン・スコセッシ監督

 1973年のロバート・デ・ニーロ主演の映画。話があまりよくわからなかったのだが、この作品の3年後に、有名な『タクシードライバー』が出来ることになる。なるほど、雰囲気としては、どこか重なるものがあるような。

 よくよく見てみると、『グッドフェローズ』もデニーロとマーティン・スコセッシが一緒にやっているんだ。なるほどなるほど。


◆ 東京駅大丸デパート地下のお弁当を食べる楽しみ その2

 この大丸デパートのお弁当を楽しみにしているのは僕だけではなく、けっこう多くの人がいるようだ。そして、ちゃんとお弁当メニューもサイトで見ることができるのだった。
「大丸東京店地下食品街 ごちそうパラダイス 」(https://www2.daimaru.co.jp/daimaru/lunch/

 予約できるとは書かれているが、別に予約なし、ほとんどが売られているみたい。最初にこのサイトを見たときには嬉しかった。次は何を食べようかと思っていたからだ。中華がいいかなとか、やっぱり和食だろうなとか、たまには洋食だろうとか、今から悩んでいる。酒のつまみにするので、ご飯は別にいい。できるだけ多くの種類のお惣菜の入ったのがいいのだ。

 東京駅の中で売られている、とてもとても高価な駅弁よりは、どう考えても安く美味しそう。ああ、今から楽しみ。

 しかし、こういうサイトでお弁当のメニューを見ていると、楽しみがするりするりと抜けていった……。

 楽しみという気持ちの中には、まだ見ぬものに対しての「どんなだろう」というワクワク感のようなものがあったのだと思う。あのお弁当は食べたけど、もっと美味しいのがあるのだろうな、という期待感。お弁当の写真を見ていたら、そういうものが無くなっていったのだ。

 お弁当というものの楽しみを振り返ると、蓋を開けたときの楽しみというのがあるだろう。何が入っているかわからないドキドキ感。

 そとで、大丸デパートにはリクエストがある。蓋を開けるまで中味がわからないお弁当というのが欲しい。表にはちょっとヒントがあるだけでいい。蓋を開けたときに、ああ嬉しいなぁと思わせてくれるようなお弁当だったなら、楽しいよなぁ。


◆ ヤフー・ビジネスエクスプレスは何処へ

 ヤフーの検索システムが、ディレクトリ型からロボット型へと変わってしまった。それにしても、こんなことがあるのだね。以前からどこかに書かれていたような気はしたが、本当にこうなるとは思いもしなかった。

 ヤフーの検索と、グーグルに代表される検索とでは、出てくるものが全くもって違っていた。なぜ違うか、どう違うか。わかりやすく言うと、ヤフーというのは有料でこの検索システムを作っていた。
 特に今年の春から、商用(営利)目的のサイトの推薦方法は、ビジネスエクスプレスのみとなっていた。
http://event.yahoo.co.jp/docs/event/bizexp/

 このビジネスエクスプレスというサービス、お値段は52,500円である。申請すればすぐに対応され、高いけれど、他の広告に比べればまあ仕方が無いかという感覚だったと思う。とにかく、ヤフーに登録されている多くの商用サイトは、このお金を支払っていた……。
 このビジネスエクスプレスを通して、どのくらいの申請があったのだろうか。ついつい売上げがどのくらいあったのか推測してしまいたくなる。

 今回のヤフーの検索システムの変更により、ビジネスエクスプレスのメリットは、たった1日にしてゼロになってしまった(ビジネスエクスプレスの説明ではゼロでは無いと言っているが、どー考えてもほぼゼロに近いもの)。

 それにしても。こういうことを平気でやるソフトバンクさんって、凄いよね。


◆ オシム監督、おもしろいぞ

 Jリーグの試合の翌日など、ついついジェフユナイテッド千葉(http://www.so-net.ne.jp/JEFUNITED/)のウェブサイトをチェックしたりする。
 ここでは、試合後の監督や選手へのインタビューがきっちりと載っている。オシム監督のコメントはやはり面白いのだ。

 ヤマザキナビスコカップ準決勝、レッズとの試合の後のコメントが最高だった。偶然的な点についての話だった。

「人生は、多かれ少なかれ、運がつき物ではないだろうか。偶然の部分もあると思う。あとからあれは狙ったというのは簡単だ。子どもが生まれたときに、生む予定で生んだんだよといっても、思いがけずできることもあるでしょ?」(オシム監督)

 サッカーでゴールと入れることと、恋愛というのは実は似ているんじゃないかと思えてきた。子供が生まれるかどうかは別として、そこへたどり着く前のアタックというのが重要なのだろう。となると、ラテン系にはどうしても日本人は負けてしまう。日本代表の得点力不足の原因というのは、実はこの辺りにあるのかもしれないのか……。


◆ リンゴ

 ようやく秋になりリンゴの季節となってきた。近所の農家では、家の前に店を開き、リンゴを売ったりしている。うちにあるささやかなリンゴは、食べるのにはまだ早いが、先日ちょっとだけお手伝いをした。まあ、あくまでもお手伝いだ。

 何をやったかというと、リンゴの実の近くの葉を取り除くというもの。何でそんなことをやるのかなどよくわからない。取ることで、陽が当たったり、栄養が実に行ったりなんてことのよう。

 他の果物でも同じなのだが、ただ木に成った実を、採るという単純なものではないようだ。かなりしっかりとした手入れが必要になる。デパートで売られているリンゴも、ひとつひとつ丁寧に、葉っぱを取り除いたり、丹念に丹念に育てられているのだ……。

 昨年は秋から冬の間、毎日毎日リンゴを食べていた。以前はこのリンゴ、あまり好きではなかった。けれど、リンゴを食べないと、なんだか寂しいのだ。


◆ さようなら、ホンダF1

「ホンダ、BARの全株取得決定を発表=来季から単独チームで参戦−F1 」

 こんなニュースがあった。名前はどうなるかわからないが、ホンダが完全に所有するチームでF1を戦うことになる。HONDAのF1と言えるのか。

 もちろん、それなりにユーザーの反応なども考えてこのような形になったのだろう。計算のない状態で、こんなことをするはずはない(だろう)。
 しかし、F1に参戦するというのは、株を取得するのとは違うもののはずだ。トヨタのようなやりかたはある。しかし、ホンダは違うというレースファンの想いはあった。第1期のホンダの栄光を古い画像でしか見ることのなかった僕は、第2期のカムバックを心から喜び、ワクワクしてレースを見た。ホンダはエンジン搭載だけだったけれど、その技術とスピリットで、F1を大きく変化させた。

 しかし、来年のホンダのF1に、気持ちの高ぶりなんて皆無だ。ライブドアがどこかのチームを買い取って、ライブドアという名前のF1チームができるのと同じ感覚でしかない。

 F1で夢の話をするなんて馬鹿げている。ドロドロした政治と金の世界だ。しかし、日曜深夜に、翌日の仕事のことなど全く考えずに多くの人は見ていたと思うのだが。


◆ F1日本グランプリの生中継

 今年の日本グランプリ、フジテレビでは生放送される。しかし、これは良いことなのだろうか? ひと昔前であったなら、素直に嬉しいと思うが。

 なぜ、これまでF1は生中継されなかったか。関係者ではないわけで、断言できる話ではない。あくまでも予想だが、その理由のひとつとしてリスクというものがあったはず。F1というのは何が起こるかわからない。例えば天候によってスタートが遅れるなんてことは普通にある。いや、あった。またスタート時のアクシデントで、再スタートなんてこともよくあった。レースが終る時間が大きくずれ込むなんて、当たり前のことだった。大きなアクシデントがある可能性もある。

 F1というのはそういうもの、だった。そう、過去の話だ。今のF1は、ほぼ時間通りに進行される。仮にスタート時に大きなアクシデントがあったとしても、再スタートなんてことはない。セイフティーカーの導入で、スケジュール通りにレースは進行される。今年のアメリカグランプリなんかは、参加チームの多くが、安全性を理由にスタートしなかった。それでもレースは残りの6台で、スケジュール通りに行なわれた。

 わかりやすく言えば、生中継でも、何ら問題のないようになってしまったのだ。

 鈴鹿で行なわれた2回目の日本グランプリのときだ。僕はこのレースがのことが気になって、ニフィティサーブ(@ニフティの前身、パソコン通信のサービス)のチャットで、リアルタイムでその情報を得た。テキストの文字で、そのバトルを想像し、興奮した。

 生中継であること。もちろん、望むことだ。けれど、ビデオテープで見てもあまり変わらないのが、今のF1なのではないか。


◆ F1日本グランプリを見て想うこと

 正確な数字はわからないが、約15万人の観客が鈴鹿に集まったのだと言う。何で今のF1がこんなに人気があるのか、僕には全く理解できない。トヨタとホンダの社員が、12万人くらい来ているのではないかと推測してしまうのだが……。

 これだけの観客が集まるというのは、昔からのモータースポーツファンの僕としては、涙が出るくらい嬉しいことだ。

 そう言えば、富士スピードウェイが閉鎖されるかも、ということがあった。そのときは署名運動なんかもあった。ところが、多くの人はモータースポーツというものには関心がなく、まったく冷たい反応。それが今は、この富士でもF1開催が噂されたり、良いことではある。

 しかし……。

 僕の嘆きが何なのかというと、簡単である。サッカーであれば、ワールドカップが盛り上がるということと、Jリーグが盛り上がるということとを、セットで考えたりということは普通にあるだろう。

 だが、F1を頂点とするモータースポーツにはその感覚がまるでない。例えば、日本グランプリに集まった15万人の観客のうち、何パーセントの人が、フォーミュラ・ニッポン(日本のトップフォーミュラ・シリーズ)現在シリーズトップのレーサーの名前を言えるのか? 実は僕もわからなかったのだが。

 つまり、F1の人気は(なぜか)あるけれど、モータースポーツの人気があるわけではないのだ。フォーミュラ・ニッポンのレースなんて、正直言って、ガラガラ。F1と比べてつまらないレースかというと、そんなことはなく、いいバトルもあり、誰が勝つかもわからないエキサイティングなレースが行なわれている。近藤マッチ監督も頑張っているし。

 ということで僕はF1よりも、フォーミュラ・ニッポンに頑張って欲しいと思っている。だいたいにしてF1の人気というのは、世界的に見てやや下降気味なのではないか。あまりにも政治的過ぎて、見て面白いものではなくなっている。その証拠に、ヨーロッパでは、
ワールドシリーズ・バイ・ルノーやA1グランプリなどの新しいカテゴリーが人気を集めている。

 人気のないフォーミュラ・ニッポンだが、来年からレギュレーションが大きく変わる。トヨタとホンダがエンジンを供給する。今では伝説となっている、ニッサンR382とかトヨタ7とかが活躍したF1でない「日本グランプリ」というものを、見てみたいと思うのだ。

 もっともっと、このフォーミュラ・ニッポンが注目されるものとなって欲しい。例えば、佐藤琢磨クンよ、1年くらいフォーミュラ・ニッポンを走っておくれ。ラルフ・シューマッハをはじめ、フォーミュラ・ニッポンをレギュラードライバーとして走ったフォライバーはけっこう多いのである。だいたいにして、佐藤琢磨は日本でほとんどレースをやっていないのだ。佐藤琢磨の人気で、フォーミュラ・ニッポンをどのレースも超満員になるようになったなら、彼をF1に送り出すスポンサーなんて、山のように出てくるではないか。佐藤琢磨だけでなくても、実力はあるけれど、マシンの関係で低迷しているドライバーは多い。実力が発揮できるシリーズ、フォーミュラ・ニッポンをそんな力のある魅力的なものになって欲しいのだが。


◆ ナカタヒデトシの大変さ

 中田英寿の公式ホームページ(http://nakata.net/jp/)は、今だに読んでいる。10月10日には「日本語の文化」というタイトルで、ラトビア戦の後のインタビューのことが書かれていた。

 インタヴュアーの質問が全く酷かったので、中田は「それで?」みたいなことを言ったのだが、反感のメールなどがあったらしいのだ。

 こんなことが問題となって、それについてホームページに書くナカタヒデオシという人も苦労が多いというか、大変だよな、と僕は思ってしまった。

 あのインタヴューを見たときの僕の感想は、「あーあ、やっちゃった」というもの。質問する方が悪いのだけど、別の答え方だって、確かにあるはず。

 僕のこうしたスポーツ関係のインタヴューに対しての基準というのは、けっこう厳しい。それは、F1を見てきたからだ。F1レーサーというのは、何しろ限られた存在であり、その発言には注目される。巨額なスポンサーマネーというものもあり、下手なことは言えない。だいたいどのドライバーの発言も、同じようなものであったりというマイナス点もあるのだが。

 それでも、F1ドライバーの受け答えというには、さすがにプロだよな、と感じる。レース後の共同記者会見であれば、かなりちゃんとしたインタビューがなされるので、今回の中田のようなことは起こらない。しかし、F1の場合、サッカーには全く考えられないことだが、レース前のグリッド上での直前インタヴューなんかがあったりする。しかも、F1のことを何も知らないようなアイドルなんかがインタヴューするケースもある。

 それでも、F1ドライバーはニコニコと対応する。以前はもっと、ピリピリとしたものがあり、今のF1のこうしたテレビ中継が良いものかというと、それはまた別の話だが。

 もちろん、F1ドライバーでも、メディアに対して怒ることはあり、トラブルがないわけではない。けれど、「話をする」ということは、プロである仕事のひとつなのだと感じるのだ。


◆ もってのほか

 食欲の秋である。秋と言えば、食用菊。このところ、毎日毎日この食用菊を食べている。ほんとうに美味しいのだ。こういう香りのするものは新鮮だからこその美味しさというのがあるのだろう。採りたてが一番だ。新鮮なのが美味しいのは、お魚とかばかりではない。野菜の新鮮なものは、やはり美味しいよ。

 あまり知らなかっただが、この菊のことを地元では、「もってのほか」と言うのだそうだ。
「あまりおいしすぎて、嫁に食べさせるなんてもってのほかだ。」という名前の言われもあるという。しかし、「もってのほか」をどーしても食べたくてこんな田舎まで嫁に来るような人もいないと思うのだが。

 それにしてもこの「もってのほか」、先日温泉宿に泊まったときも夕食に出てきた。美味しいのだけど、その量の少ないこと。まあ、普通の量ではあるのだが。野菜に関しては、山盛りにして食べるのが普通になってしまっている。

 食べ物が美味しいのはいいのだが、このところ全くの運動不足。ちょっとばかり太ってきている。困った。


■ 映画『蝉しぐれ』(黒土三男監督)

 久しぶりのスクリーンでの映画。場所は、ワーナー・マイカル・シネマズという複合型の映画館だ。人込みの苦手な僕は、平日の一番早い時間にこの場所に来た。ところが、何でこんなにもガキがうろうろしているのだろうか。学校はどうしたのだ。どう考えても中学生や高校生の年齢に見えるのだが。

 こんなガキどもと一緒に『蝉しぐれ』を観るのかと思うと切なかったが、どうやらチケットの購入を見ていると、『チャーリーとチョコレート工場』の様子。少しホッとする。しかししかし、実際に『蝉しぐれ』の劇場に入ってみると、またまた驚き。周りの客層は、9割がシルバー割引での入場のよう。そのまあこの椅子で永遠に眠り込んでしまいそうなお爺さんもいる。

 原作者の藤沢周平は、一応地元の県なわけで、ちょっとは関わりはある。例えばうちの親戚のお爺さんなどは、藤沢周平と同窓生だったという話。考えてみると、同じ大学に在籍したという人はいっぱいいそうなのだ。

 さて、『蝉しぐれ』の映画の話をしよう。原作が藤沢周平だということは全く別として、ひとりの映画ファンとして、この映画について面白かったか、面白くなかったか、についてこっそりと書く。かなりマイナスの話なので、藤沢周平ファン及び熱狂的な『蝉しぐれ』ファンからは、袋叩きにあうかもしれない……。


 10分くらい観て、ああこの映画はダメだな、と思ってしまった。それは、日本におけるメジャー映画の限界なのか。監督の力量なのか。映画を観ている間、別の風景が頭を過ぎった。

 僕は映画といえば、チャン・イーモウの映画をとにかく崇拝している奴である。『あの子を探して』『初恋のきた道』『至福のとき』などの映画の自然描写の風景を思い出したのだ。特に、『初恋のきた道』のチャン・ツーイーの餃子を持ってトコトコトコトコ歩くところなんかは、最高の映像であった。

 チャン・イーモウの映画とついつい比較してしまったのは、2点。ひとつが自然の風景。この『蝉しぐれ』は、それなりにいい映像がいくつもある。時間を掛けて、大切に撮ったことは十分に感じられる。しかし、その映像の中に人がいない。生きている自然という感じがしなかった。素晴らしい映像を繋ぎ合せているだけで、ひとつのテーマになっていない。どうしても空回りしている感じ

 例えば、海岸の景色が何度か出てくる。しかし、山と田んぼの景色と、砂浜というのは、ちょっとイメージとしては違うもの。それが繋がるように全体が描かれていればいいのだが、断片ばかりが出ているような。
 映画という大きなスクリーンでありながら、テレビの小さな画面のような、狭い映像を観ている感じがした。

 そしてもう1点。これは子役の演技について。子役というのは確かに難しい。チャン・イーモウについて、僕はメイキングの映画を観ているのだが、それで感じたのは、子役を選び、演技させるというのは、まさに監督の一番重要な仕事ということ。演技というのとはまた違うのかもしれない。子役の場合は下手でもいいのだ。その表情が光っていれば、映画全体がいいものになる。佐津川愛美は良かったが、あとはお世辞にも良いとは言えなかった。それは、子役の演技がどうかではなく、監督の力量なのだと思った。脚本にある台詞を無理やり言わせているという感じだろうか。観ていてなんとも歯がゆかった。

 子役の演技と言えば、是枝裕和監督の『誰もしらない』は素晴らしかったと思い出される。カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞しているのだが、こういう賞を受賞するというのは、監督と作品にとって最高の評価なのではないかと思えてくる。

 他にも、映画としていろいと文句をつけたいところは多い。メインとなる決闘の場面。いくら何でも相手のその他大勢が緊張感なさすぎ。ぼんやりと立っているだけ。それに、あの血の噴出し方もおかしい。こうした時代劇の血の出させ方というのは、どこまでリアルにするのはか確かに難しいところだが、なんとも中途半端だったのではないだろうか。

 山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』は良くも悪くも(僕は良かったのだが)、しっかりとした監督のテーマが感じられた。比べられて大変だとは思うが、この『蝉しぐれ』の決闘場面は、セットや自然の風景へのこだわりのようなものは無かったように感じた。

 そして最後に。最後の場面、どう考えてもお二人とも若すぎないか……。年月の重みというものが感じられないよ。木村佳乃さんはキレイで良かったのだが、あのキレイな表情で人生でについての後悔を語られても。
 人間というのは、歳を取るものなのだと思う。当然ながら、表情は変わる。しかし、その中に、小さかったときのヘビのエピソードが蘇るところに、コントラストというものがある。そこで、いくつもの台詞がより重いものとなる。
 子供の頃のふくの表情よりも、木村佳乃のふくの表情の方が若そうというのも何だか……。


◆ 映画から考える『蝉しぐれ』

 この映画を観ていて、あれれれれ、と思ったことがある。どうやら、文四郎と父親との関係というのが語られていないのである。この『蝉しぐれ』という物語で、当然のようにあった背景となるものが抜け落ちている……。
 どうのような理由で、語らなかったのかはわからない。けれど、どうにも違うのではないかという気持ちがあって、この映画を観ていた。

 文四郎というのは、父親である牧助左衛門の実子ではない。文四郎と母親とは叔母の関係にあり血は繋がっているのだが、父親とは他人なのである。この当時の武家社会を考えれば、跡継ぎということでこのような養子というのは、十分に考えられ、今の時代とはまた違った感覚だったように思われる。

 しかし、小説の中に描かれている父と子の関係には、この養子であることが、僅かだが確かにある。文四郎は父親を敬愛していたのだが、どこかに実の子ではないというのがあったように思う。血の繋がりがどうのこうのということではない。親子に血の繋がりは関係ないというようなことだ。
 この文四郎の父親に対する気持ちは、少しずつ宿ったものだ。そのエピソードのひとつが嵐の日の父親の姿だったのではないか。

 そして、問題の「おやじを尊敬していると言えばよかったんだ」という大きな意味を持つ台詞がある。それは、自分は養子ではあったけど確かにあなたの子供なんだという強い意味があったように、僕は小説では感じていたのだが。

 映画では、このあとに、別の台詞が加えられていた。「ここまで育てれくれて、ありがとうと言うべきだったのだ。」みたいなもの。

 しかし、原作では台詞とはなってない。口には出してはいない。心の中の想いだ。もちろん、小説と映画という世界は違う。しかし、小説で、たぶんこだわったのであろうこの台詞でないというものを、あっさりと台詞としてしまうのは、映画の表現としてちょっと残念。別の方法を模索して欲しかったと思う。どうやって、台詞にしないで、この文四郎の想いを観客に伝えるかを。

 実の子でない養子であった。このことは、最後の場面にも大きく関係してくるはずである。

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
 この最後の場面の台詞をどのように読み取ったらいいのか……。簡単に言えることではない。しかし、この台詞の重みが全く違うように感じるのだ。


 今回の『蝉しぐれ』という映画を観て、感じたこと。それは『蝉しぐれ』という小説の、ひとつの要約なんだということだ。どのように要約するか、それによって、どのように小説を読み取ったかがわかる。もちろん、黒土三男監督のそれが、正しい間違いだとかということではない。ひとりひとり違っていて、どのように読み取ったかを話合うのは意義のあることということだ。

 こうした意味では、『蝉しぐれ』はもっと他の監督にも映画化して欲しい。何をバカな、と思われるかもしれないけど、5人くらいの監督がこの映画を取ったら、それぞれ違った『蝉しぐれ』になるのだろう。映画好きの僕としては、他の監督がどう『蝉しぐれ』を映画にするのか興味がある。

 黒土三男監督についてどうのこうのということではなく、このように広がりを持って、作品を考えることができるのは、良いことだと思うのだが。


◆ サーチエンジンの比較

 ヤフーの検索システムがロボット型に変わったことで、他の検索サイトを使おうという人が増えてくるのではないかと思っている。

 さて、我が「ドルフィンホテル」は、この検索サイトではどのような順位となっているのか。
・ヤフー:第1位
・グーグル:第1位
・MSNサーチ:第1位

 見事に、文句なく、3冠達成である! SEO対策なんてのも全く無しで、である。しかし、「ドルフィンホテル」で検索する人なんて、ほとんどいないわけで、ブックマークをする代わりに「ドルフィンホテル」と入力している人がほとんどのよう。

 この3つを比較して思うのだけど、ほんとに驚くほどに、それぞれ違う。その中で、MSNサーチはもう少し高い評価を受けてもいいのでは、と最近強く感じている。ヤフーやグーグルで出てこなかったのが、けっこう上位にあったりするのだ。ヤフーとグーグルが両方とも、与党なのに対して、MSNサーチが静かに野党として頑張っているといった雰囲気。

 それにしても、違うのは構わないけど、もう少し自分のところの特徴を明確にして欲しいものだと思う。今の政党が、違うのか同じなのかよくわからないのと同じように、検索サイトの違いも何だかよくわからない。


◆ 知名度というもの

 このところ、頭の中でこの知名度という言葉が重くなっている。
「ちめいど、ちめいど、ちめいど、ちめいど……」
 知名度がない=信用できないかも、みたいな捉え方があるみたいなのだ。「みたいだ」というよりは確かにそうであり、極めて当たり前のことだとも言える。

 しかし、僕の知っているこの知名度のあるものというのは、大抵信用できない。派手なCMをやっているところほど、高く内容が悪かったりする。例えば、温泉旅館なんてのがそうだ。高い広告費をかけてあろうところは、当然のように規模も大きく、料金もお高い。しかし、どこかにひずみがある。単純に考えて、すべての従業員がしっかりとしたサービスをしてくれるなんてありえないのだ。従業員を教育したり、高いサービスを維持するには相当な努力が必要となる。仮にこうしたところで、客が苦情を言ったとしても、組織の中のひとつとして、処理されてしまう。知名度はそんな小さなことをいちいち相手にしない。

 では、知名度のないところはどうか。広告費は小さく、当然のように規模は小さい。仮にサービスが悪くてクレームがついたとしよう。知名度が無いために、そのクレームは響かないか、そのクレームで客が少なくなるか、どちらかだ。
 単純に言って、知名度のないところの方が、がんばると思うのだ。規模が小さい分だけ、責任の所在も明確となっている。わかりやすく言えば、その責任者の力量に掛かっている。

 知名度のあるところと知名度のないところ。もちろん選択するには、自由だ。しかし、歳を取るにつれて、知名度のないところの方に魅力を感じてくる。人生とはそういうものではないだろうか?

 温泉旅館に行くのは、長い人生では数回かもしれない。しかし、居酒屋など飲食店に行くことを考えれば、面白さがより身近に感じられる。

 やや怪しげなビルの中にある居酒屋に入るときのドキドキ感。その美味しかったときの喜び。派手な広告のチェーン店で飲む酒とは、同じ酒でもその味は全く違ったものだ。

 ということで、知名度のないことというのは、面白いことだと思うのだけど……。



塞翁が馬 2005/10 #2


2005/11/1 

◆ 汽車に乗る

 大学への入学が決まり、東京へ行くときのことを思い出す。汽車に乗って行ったのだが、どのようなルールでだったのか、実は記憶にない。それだけ、遠くへ行ってしまったのかもしれないが。

 高校生活というものを僕は親元を離れ(実際は親の方が住んでいた街を離れていった)、下宿生活というものをしていた。布団や机など、自分の荷物はその下宿から、新しいところへ直接送った。とても記憶が曖昧なのだが、それ以外にはない。布団袋の中には、下宿のおやじさんからもらった地元の一升瓶の酒を入れていた。直前にもらったのだが、鞄に入れるには重過ぎる。布団の中だったらクッションになり割れることもないと思ったのだ。

 引越しの手続きから、大学生活での新しいアパートなど、当然のように何から何までひとりでやった。親は忙しく、それどころではなかった。まあ、親に何だかんだと付き添われるのは嫌だったので、それでよかったのだが。

 とにかく、僕は東京への列車の中にいた。たぶん、新幹線はまだない。どういう列車だったのか記憶にない。僕には希望みたいなものがあった。列車というものは、タイムトンネルみたいなものだ。時間は変わらないけれど、場所は大きく変わる。住む場所を変えることで、自分を変えたかった。

 東京と田舎での往復で何度か夜行列車を利用したことがあった。たぶん、東京へ出るときには、この夜行列車を使ったような気がする。急行だったために、安かった。けっこう大変だった。しかし、夜を越すというのは、タイムトンネルを通り抜ける意味でも必要だったんじゃないかと思う。

 気持ちを入れ替えるとでも言うのだろうか。少しばかり別の自分になる。それには、ちょっとした環境の変化という奴もあった方がいい。その変化のために、汽車を使う。でも、新幹線はちょっとばかり速すぎるような気がする。速ければそれでいいのか、速いことで、見えなくなってしまうこともあるのではないだろうか。


◆ シカゴ

 シカゴ・ホワイトソックスがメジャーリーグを征した。井口が活躍したということで、日本にとっても特別なこととなった。たぶん、ほとんどの日本人は井口という内野手について、名前くらいしか知らなかったと思うが。

 僕は、ホワイトソックスの優勝でボブ・グリーンを思い出した。彼はシカゴを愛し、スポーツ関係のコラムもよく書いていた。この優勝を、どんな風に感じたのだろうか。井口という日本人プレイヤーについても、何かを感じているのだろう、そんなことを思った。

 ボブ・グリーンのコラムが人気だったのは、今から20年も前になるのだろうか。もちろん、10年くらい前までもそれなりに知っている人は知っていただろう。

 例えば10年前、日本とアメリカの距離は相当なものだった。日本人選手はメジャーで通用するか? 仮定の話がなされるだけの世界だった。それが今は、普通に活躍している。いや、それよりも活躍できなかったという状況があるという方が、距離の狭まりを感じることができる。誰もが通用するわけではない。日本人だから、アメリカ人だからといったナショナリズムを越えて、実力のある選手が活躍するというのが自然な雰囲気になっている。まだまだ、日本人は特別で、我々は日本人の活躍を通してメジャーリーグなどのアメリカのスポーツを見ているのだけど。それでも、衛星放送で生で放送されるわけだから、凄いものだ。

 ボブ・グリーンだったなら、どのような言葉をここで言うのだろうか。良かった、言うのだろうか。何らかの問題を提示するのだろうか。


■ 映画『ランド・オブ・プレンティ』ヴィム・ヴェンダース監督http://landofplenty.jp/

 観終わってから知ったのだけど、この監督って『ベルリン・天使の歌』の有名な人だったんですね。
 凄くいい映画でした。最初から中盤に関しては、意味がよくわからなかったけど(笑)。でも、何というのだろうか、完成度はめちゃくちゃ高い。特に音楽。音楽の好きな人はこの映画をどう観るのだろうか。ちょっと聞いてみたい気がする。

 テーマは9.11の後のアメリカの再生、みたいなもの。アメリカ・アメリカしているんじゃなくて、全ての人種、民族、国の人へのメッセージみたいなものになっている。実は僕はこの映画を観ていて、一瞬『スターウォーズ』を観ているような感覚になった。この世界には、いろいろな人がいるという意味で。

 主人公のラナを演じる、ミシェル・ウィリアムズはめちゃくちゃ良かった。どのくらいいいかというと、ついついMacを買いたくなるくらいいい。けっこうMacを使っている場面が出てきて。とにかく、彼女の表情が、世界を救うんじゃないか、そんな風に思わせるものです。

 とにかく、「映画」というものを感じさせる存在感の持つ映画だった。


◆ 何故、阪神タイガースは千葉ロッテマリーンズに敗れたのか?

 あまり野球に詳しくない僕がこうした発言をするのは、どうかとも思う。しかし……、あまりにもプロと呼ばれる解説者とかの話は浅はか過ぎないか、ということで書くことにした。

 なんでこんなにも日程のことが問題になるのか不思議でならない。プレイオフの無かったセ・リーグのタイガースは試合感覚が空き、不利だったということだ。まあ、確かにそうだと言えないこともない。日程的な問題は、できればよりベストな方法を探るべきだろう。それには異存はない。しかし、負けた原因にはならない。

 試合間隔が空いたのであれば、それに対応した練習なり、対策をしなければならないはず。真面目な話、仮にこれがサッカーの試合だったとした場合。日程に合わせて、テストマッチなりのゲームをチームは設定するだろう。負けたとしたら、そうしたマネジメントを含めての戦略が問題となるはず。

 もちろん、シーズンが終ったあとで戦ってくれる相手がいるかというと、難しい。しかし、日本シリーズに向うわけで、どんなことをしてもやらなければいけないはず。仮に自分のチームのファームのチームとでもいいではないか。シリーズを想定して、本番と同じ時間に、同じような状況で試合をする。そうしたことをやるかやらないかでも、シリーズの結果は違ってきたはずだ。

 日程の問題は確かにある。しかし、この日程に対し、最大限の努力をしたかというならば、ほとんどしていないように見える。だったら、日程が問題なのではなく、対策を怠ったという単純なお話であるはず。

 サッカーであれば、ワールドカップの出場を決めて、気持ちが終ったというような感じ。ワールドカップに参加することと、優勝を目指すこととは違うだろう。かなり厳しい発言で怒られてしまうかもしれないけど、日本シリーズで勝つ気持ちがあったのだろうか……。

 もう一点、僕は「あれれれれ」と思ったのに、ほとんど問題とされていないことがある。予告先発についてだ。パ・リーグのシーズンでは予告先発を行なっているのに対し、セ・リーグでは予告先発は行なわれていない。なぜ、阪神タイガーズの岡田監督は、この日本シリーズで予告先発にOKを出したのか?

 千葉ロッテマリーンズの打線は、日替わりで変わるもの。それはつまり相手の先発ピッチャーに対応したものでもある。一年間そうしたやり方に徹したチームと、それないチームとが戦った場合、確実にひとつの試合で、1点か2点は違うだろう。

 阪神タイガースは最低でもホームゲームでは、予告先発なしで押し切るべきだったのだ。そして、先発予想ピッチャーが怪我でもしたふりをして担架で運ばせるくらいの演出をするべきだった。そのくらい勝つことに徹するべきだった。何もずるいことでも恥ずかしいことでもない。

 金子達仁は、パ・リーグとセ・リーグとでは、応援の仕方も含めて、「パ・リーグは米国的で、セ・リーグは欧州的である。」と言っていた。

 予告先発というのは、観客にやさしいエンターテイメントでもある。しかし、勝負に徹するという欧州的な考え方から言えば、ちょっと違う。サッカー日本代表のジーコ監督は、選手を固定する予告先発だ。これまで何とか勝っている。しかし、すこぶる評判はよろしくない。

 プロ野球の日本シリーズというのは、米国的か欧州的かの戦いでもあるのだ。どちらか良いかではないだろう。どれだけ自分のやり方に徹したかが重要なのだ。その点で、阪神タイガーズは、自らのやり方を、自らが手放した。これでは、勝てるはずはない。


◆ 自転車

 住んでいる家の近くには中学校がある。かわいそうなことに、この地域の中学生、自転車通学の生徒はヘルメットを被らなくちゃいけないみたいだ。

 しかし……。この自転車に乗る中学生に、僕はいつも腹を立てている。一度なんぞ、バカヤロー!と怒鳴ってやったことがあった。狭い道で交通量が多かったりする。大きなダンプも走る。そんなところで、平気で右側を走っていたりするのだ。

 こういう交通量の多い道路を走る僕は、かなり気合が入っている。冗談抜きで一歩間違えたなら、大きな事故になる。そんなときに、ふらふらと右側を走る中学生は、止まろうともしない。当然ぶつかりそうになる……。

 怒鳴っても、何で怒鳴られているかわからないみたいなんだよね。当然のように、ヘルメットもちゃんと被っていない。こちらから見れば、何でヘルメットを被っているのかがわからない。全く意味がない。決まりだから、仕方なく被っているのだろうが。


◆ 秋の味覚

 今年の秋は何かが違っていた。いや、よくよく考えてみると、数年前から秋は秋とは言いがたいものとなっていた……。

 僕が田舎で生活するようになっての2度目の秋だ。ずっと田舎で秋を過ごすことは無かったけれど、「秋=松茸ご飯」というイメージが僕の中にはずっとあった。姉の嫁ぎ先の父親が、よく山に行き、山菜などを採る人だった。特別な人ではない。田舎では、ごくごく普通の年寄りだった。そのルートにより、毎年秋にはごそっと松茸が届けられた。
 当然のように秋にはこの松茸ご飯を食べていた。

 先日、母親は松茸ご飯を食卓に出した。しかし、それはインスタントのもので、当然のように本来の松茸ご飯と言えるものではなかった。僕は食べ物に関し、特別グルメを気取るつもりはない。普通に食べた、普通に美味しいものを、普通に食べたいだけだ。

 山で採られた松茸ご飯を食べることができない秋。それは餅を食べない正月と同じようなものでもある。チョコレートをもらうことのないバレンタインデー……、みたいなものでもあるのか。


◆ 著名人の盗難

 サッカーFC東京のDF茂庭照幸(24歳)のクルマが盗難にあったのだという。トヨタのランドクルーザーV8、約750万円。これにオプションなどが付いて総額で1000万円弱というお話。
http://www.sanspo.com/soccer/top/st200511/st2005110101.html

 しかし、とてもとても申し訳ないけれど、あまり同情する気にはなれない。

 忌野清志郎(54歳)(http://www.kiyoshiro.co.jp/)の160万円の自転車(オレンジ号)が盗まれたときには、とてもとても同情したのだけど。

 こんな気持ちを持ってしまう僕という人間は、ちいさな男なのだろーか……。


■ 映画『アワーミュージック』ジャン=リュック・ゴダール監督http://www.godard.jp/

 最初の10分間が実は凄い。戦争の凄惨な映像がこれでもかこれでもかと流れる。短いショットが次々と流れることで、眼を覆いたくなるのだが、その映画の素晴らしさに惹かれてしまったりもする。

 この冒頭とは対照的に、本編と言うべき中味はいたって静か。淡々と会話がなされる。民族とか、戦争とか、生きることとか、やや抽象的な話でもあったりする。

 重いテーマではあるのだろうが、個人的にはちょっとばかりよくわからなく、入っていけないところがあった。このあたりは、人によって大きく受け取り方は違うだろう。

 サラエヴォの街の映像には、特別なものがあった。


◆ センセイ大変

 番組名は忘れてしまったが、深夜に放送されるノンフィクションで、教師のノイローゼなど問題が特集されているのを見た。
 ただのノイローゼだけでなく、自殺に走ったりという問題が深刻なのだと言う。
 生徒という対象だけでなく、その親との対応、学校で他の教師達との関係、大変なことは多いようだ。

 僕が中学生や高校生だった頃、学校の先生という存在は、言うなれば敵だった。自分の価値感が押さえつけられてしまうような存在だった。

 今の学校、教師というのは、僕が学生だった頃と変わったのだろうか。教師と生徒という関係においては、何も変わっていないのだろうか。

 よくわからない。しかし、テレビのノンフィクションに映っている教師の姿に僕は、見入っていた。


◆ 日本シリーズというイビツさ

 プロ野球で千葉ロッテマリーンズが日本一になったことについて、文句を言う人がいる。レギュラーシーズンで2位のチームが日本一とはおかしくないのか、というお話だ。

 確かに矛盾しているようにも思える。しかし……。はたしてそうなのか。そもそも日本シリーズというポストシーズンで日本一を決めるということ自体が、ある意味でイビツであり、矛盾を持っているものだ。

 1年のシーズンを戦うには、当然良い時期もあれば、悪い時期もある。セ・リーグは143試合を戦い、136試合をリーグ戦で戦った。前半が強くて後半が弱くても、優勝するケースはある。そのチームがポストシーズンで戦ったなら。
 それにポストシーズンには短期決戦というレギュラーシーズンとは違った戦い方が要求されるはず。何をもって「日本一」と決めるのかは、その決め方にもよるのである。

 もしも、本当に矛盾なく日本一を決めたいのであれば、リーグをひとつにすればいい。12球団で総当りをやって日本一を決めればいい。サッカーと同じやり方だ。そうしたことをやらないで、ポストシーズンを盛り上げようと考えが、アメリカ式のエンターテイメントである。アメリカは、野球だけでなく、バスケットもアメリカンフットボールも、サッカーでもそうした方式をうまく取り入れている。

 イビツなのは、どちらでもない中途半端な、日本シリーズというものを行なっている日本のプロ野球なのではないか。

 こんな文句を言っても仕方が無い。米国的なパ・リーグ、欧州的なセ・リーグと、違っていることに面白さがあったはず。その違うがぶつかる「日本シリーズ」には、日頃メディアに登場しないパ・リーグが目立つということもあり、特別な面白さがあった。
 極端に言えばこれは、サッカー文化とメジャーリーグベースボール文化とが戦うようなものでもあった。

 しかし、セ・リーグもプレイオフをやるという話がある。問題の本質を考えることなく、表面だけで形作ろうとしているだけとしか、感じられないのだが。

 それにしてもNPBという団体。将来へのビジョンって、全く無さそうだよね。普通だったら、このビジョンがあって、そのためにシステムをどうしようかという話になるはず。
 そろそろ、ビジョンを語れる人がコミッショナーなりの役職に立って、リーグを引っ張る時期が来ているのではないだろうか。


◆ 夢の居酒屋

 このところ、夢がある。眠っているときに見る夢ではなく、実現できたらいいなぁという夢だ。そんなに積極的にこの夢のために何かをやることはないだろうけど、宝くじで大金が入ったりしたならば、実現させてみたい。そうした夢だ。

 それは、居酒屋のオーナーになること。居酒屋というか、カフェでもいい。でも、そんなにシャレてなくてもいい。外観よりも中味だ。
 特に自分でこの店で仕事をしようという気持ちはない。よって、オーナーというポジションがいいと思っている。ときより、ふらりと店に出て、お客さんとなり、酒を飲む。

 そういう居酒屋かというと、実にシンプルなもの。僕の地元の料理を出す店だ。場所は東京のどこか、田舎から毎日食材を送り、普通の田舎の食べ物を出す。例えば、秋であれば、食用菊とかが山盛りに出てくる。彩りを添えるようなものではなく、どばーっと。季節のおひたしなどがメニューにいっぱい載っている。天ぷらも美味しい。普通の料理だけど、牛肉は米沢牛なわけで、安くて美味い。鯉料理も当然のようにある。

 もうひとつ大きな特徴は居酒屋だけど、くだものがいっぱい出てくる。春なんて、サクランボは山となって出てくる! 秋にはいろいろな種類のリンゴが出てくる。当然だが、酒は地元のもの。日本酒だけでなく、ワインもある。

 そして、ぜひぜひお薦めは〆の食事。蕎麦は、もり蕎麦もあるが、温かいなめこ蕎麦とか、天ぷら蕎麦なんてのも美味しい。ラーメンも飲んだあとにはいい。縮れ麺のしょうゆ味が美味しいのだ。麺類だけでなく、ご飯も強力。栗ご飯、まいたけご飯、松茸ご飯など
、いろいろな変わりご飯を用意している。

 ヨダレが出てくるぞ。単純に自分が食べたいものがメニューにふんだんにある居酒屋だ。なんだかんだいって、地元の食べ物が一番美味しいと感じるようになったオッサンなのであった。でも、グルメな女性の皆さん、こんな居酒屋があったら嬉しいと思いませんか?


◆ ちょっといい話

 この話が「ちょっといい話」として受け入れられるのかは僕にはわからない。しかし、今になって振り返ると、大切な「ちょっといい話」である。読んでくれた人は、どのように感じてもらえるだろうか。

 20代の後半に僕は田舎の会社を辞め、東京に出てきた。たいした貯金があるわけでもなく、というよりも引越しの準備などでその貯金は尽きた。今思い出してもその会社はめちゃくちゃ給料が安かった。交通費というものは支給されるのだが、どう計算しても会社への往復のガソリン代はその交通費では足りなかった。ちなみに、有給休暇を取るとにには届出用紙に理由を書かなければならなかった……。

 そんな過去を捨てようと決意して、6畳風呂無しの阿佐ヶ谷のアパートに移り住んだ。かなりボロだった。トイレは和式でクサリを引くと水が流れるというレトロなものだった。ゴキブリは出てくる。クーラーなんてものはない。夏の夜は当然ように戸を開けて寝るわけだが、ときどき近所の猫が入ってきた。当時の僕は猫が苦手だった。

 そして何よりも酷かったのは、新聞の勧誘だった。引越しをした数日後に、ご挨拶ですと町内会を名乗る人が訪ねてきた。何のことは無い新聞の勧誘だった。その後、いろいろな勧誘員がドアを叩き、脅されたこともあった。部屋の明かりの洩れないアパートに住みたい。ドアフォンのあるアパートに住みたい、それがその頃の僕の夢だった。

 そんなある日、ドアを叩く音があった。ドア越しに耳をすませる。新聞の勧誘か。ドキドキと胸が高まる。隣りに越してきたものです、という声がした。まさか、隣りの人が新聞の勧誘をすることはないだろうと、僕はドアを開けた。

 若い新婚の夫婦だった。特に奥さんは清潔感があり、キレイだった。まあ、旦那の方もしっかりとしたヤツだったが。タオルを持って、挨拶してくれたのだ。都会のアパート、しかもオンボロのアパート。どう考えても、キレイな身なりの新婚夫婦が住むようなアパートではない。お風呂だってないのだ。システムキッチンだってない。

 数日後の休日に、隣りの部屋の前に2台の自転車が置かれた。キレイな自転車だった。たぶん、この新婚の夫婦は、休日をこの自転車で一緒に走るのだろう。

 話をしたのは、挨拶に来てくれた一回だけだった。どうしてこんなアパートを選んだのだろうか。よくわからない。節約できるところは節約して、マンションを買ったりするなどのプランを持っていたのかもしれない。この二人はどうしているのだろうか、そんなことを思う。

「ちょっといい話」というのは、ここで終わりだ。
 東京のオンボロ安アパートなのに、挨拶をしてくれたこと。そして、仲良く並んで置かれていた自転車。

 ずっと忘れていたことだった。しかし、僕の中にある「ちょっといい話」ランキングでは、けっこう上位に来るのかもしれない。


◆ これから観たい映画!

 東京の映画館で久しぶりに映画を観た。やっぱり僕は映画が好きなんだな、と思った。そして、ポップコーンの匂いのしない映画館のなんと素敵なことか。

 映画館では楽しくて、チラシをもらってきたりしてしまった。見ると、なんとも面白そうなものばかり。

 これから観たい映画をちょっとここでメモすることにしよう。

・『燈台守の恋』フィリップ・リオレ監督 2005年11月5日公開
 (http://www.elephant-picture.jp/todai/

「1冊の本に秘められた母の恋」という宣伝文句である。本好きで映画好きな者にとっては、トロとイクラのお寿司を一緒に出されたような嬉しさではないか。
 予告編も、静かないい雰囲気。フランス映画の、言葉の響きをじっくりと味わいたい。

・『Jの悲劇』ロジャー・ミッチェル監督 2005年11月公開
 (http://www.wisepolicy.com/enduring_love/

 イギリス映画って、けっこう好きなのである。その暗さと明るさというのがちょっとばかり独特で、ついつい引き込まれてしまう。
 監督のロジャー・ミッチェルは『ノッティングヒルの恋人』のイメージから言うと、明るく楽しい雰囲気。しかし、この映画は社会派なのだ。「これはまさにヒッコトックだ!」なんてコピーもある。
 原作は、イアン・マキューアンの『愛の続き』。僕は読んでいないが、この本は、新潮クレスト・ブックスから出ているというだけで、どきどきしてくる。

・『綴り字のシーズン』シーゲル/マクギー監督 2005年12月公開
 (http://www.foxjapan.com/movies/beeseason/

 スペリング・コンテスト、というのがアメリカにはあり、熱狂しているのだろうだ。このコンテストに出場する子供と、見守る家族の物語なのだと言う。なんだか、知り合いの漢検(日本漢字能力検定)を受けたという親子を思い出してしまうではないか。
「少女は、たった1文字で家族を救う。」
 ああ、なんと活字好き人間の心を燻るコピーなのだろうか。観たいよなぁ。

・『単騎、千里を走る』チャン・イーモウ監督 2006年1月28日公開
 (http://www.tanki-senri.com/

 この映画は今からほんとに楽しみ。チャン・イーモウには、『HERO』や『LOVERS』ではなく、こういう映画が似合っている。予告編を観たけれど、その自然描写は絶品。そして、なんといってもたまらないのは、高倉健が主演なのだ。この映画で、中国と日本の距離はずっと近くなるのではないか。

・『クラッシュ』ポール・ハギス監督 2006年正月公開
 (http://www.crash-movie.jp/

 ニューヨーカーのこの映画評が凄い。「『ミスティック・リバー』以来最強のアメリカ映画」と。
 これは僕にとっては、どうやっても観なければならない。今からゾクゾクとしてくるではないか。
 何だかんだ言ってもアメリカという国は力のある凄い国だ。しかし、それだけに大きな矛盾を抱えているように思える。『ミスティック・リバー』などの映画は、そうした矛盾を、一般の市民が抱え込んでもがいているように僕には感じられるのだ。
 期待を裏切ることなく、力のある映画のような予感がする。


◆ 鶴岡

 新幹線の座席に置かれているフリーペーパー「トランヴェール」をちらりちらりと見ていた。「藤沢周平『蝉しぐれ』を旅する」という特集が載っている号だった。
 そこには、鶴岡市の観光案内のようなものが書かれている。僕は、鶴岡のことを想い、ややセンチメンタルな気持ちになった。

 鶴岡という街は、僕にとってあこがれのところだ。そこには、もう一人の自分が存在しているかのように感じられる。幼稚園に入る前の3年間を僕はこの街で過ごした。我が家は、父親の仕事の関係で1年から3年くらいのペースで引越しを繰りかえしている。

 鶴岡の前に住んでいた土地の記憶というのは、ほとんどない。年齢的なことは計算しないとわからないが、たぶん、子供の頃の記憶というのはそういうものだろう。
 幼稚園に入る前の3年間というのは、とても楽しいものだった。どこかに行かなければならないとか、勉強しなければならないとかということはない。強いて言えば、遊ぶことが一日の中心だった。

 アパートに住んでいたことで、当然のように同じアパートに住む友達ができていた。たぶん、おままごとのお父さん役なんてのもやっていたと思う。遊び場所というのも、アパートの周辺だ。仲の良かった男の友達でM君という人がいた。多くの人のリーダーになりそうな、頭も良くスポーツもできるというタイプの人だった。ちなみに、妹も可愛かった。

 いつも何かをやって遊んでいたように思う。何か、というのは、バットマンごっこ、とか、光速エスパーごっことかそういうものだ(時代があっているかはやや不安)。一度、怪獣王子ごっこをやって、僕が恐竜の上(のように何かを積み上げた)から落ちて大亡きしたことがあった。

 アパートの前は田んぼで、広い景色があった。反対側には小学校があり、そのグランドの傍に、幼稚園があった。その幼稚園に入るということで準備をしていた。もちろん、準備といっても確かな記憶があるわけではない。春から、M君と一緒に新しい世界が始まるというワクワクした気持ち、みたいなものだ。

 引越しが決まってからは、たいてい慌しい。確か10日くらいで、全ての準備を終えて引越しをすることになる。
 その日の朝のことは、少しだけ記憶にある。同じアパートなわけで、家族同士も付き合いがあり、見送ってくれた。

 生活をリセットするというのだろうか。引越しというものを経験した、僕の最初だった。別の街に行き、幼稚園に入った。けれど、そこでは一人も友達と呼べる人を持てなかった。思い出したくもない一年を僕はその新しい街で過ごした。


 あのまま鶴岡という街で暮らしていたなら……。ありきたりだけれど、人生に「もし」はない。けれど、一回だけこの「もし」を使っていいのであれば、鶴岡でM君と一緒に幼稚園に行きたかった。

 藤沢周平の故郷、海坂のモデルとなっているという鶴岡。忘れてしまっていたようなものだった。『蝉しぐれ』の物語の長い年月を想い、白髪の増えた自分と少しだけ重ねてみる。


◆ ドルフィンホテル

 たまに、意味もなくネットサーフィンってものをやる。ちなみに、本当のサーフィンはやったことはない。当然のように、最近流行りのブログというものを見ることになる。コメントがあり、トラックバックがあり、世界は繋がっていて、仲が良さそうだ。

 うろうろとしているうちに山の方に入り、僕は道を迷ってしまう。そんなときに、古ぼけた建物に出会う。それがドルフィンホテルだったりする。しかし、このホテル、あまりにも静かで人がいるのかどうかもわからない。あちこちにあるブログとは全く違った雰囲気だ。正直なところ、寂しい気持ちにもなったりする。

 わかっている。ドルフィンホテルは、別にコメントを求めてはいない。以前言われたことがある。ドルフィンホテルの文章は、コメントを書くような感じではない、と。コメントがあれば、繋がっているということではないと思っている。文章を読んでもらう、ただそれだけで通じ合えるのが、ひとつの理想だ。

 チェックアウトのときに、余計な会話を交わすことはない。ちょっとした笑顔のやり取りがあり、自然に足がこのホテルに向う。そうあって欲しい。

 けれど、街の灯りは華やかに感じられる。夜空を見ようとしても寒いだけだったりする。

 さて、たまには本でも読もうか。



 DOLPHIN HOTEL