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DOLPHIN HOTEL 読書夜話2006年1月
今回の夜話は、ちょっとおかしな状態となってしまった。実は、昨年の段階でいくつかの文章を書いていて、2005年版として載せる予定でいた。けれど、こうした文章たちは僕のハードディクスから外に出ることはなく、一ヶ月を過ぎた。読み返してみると、なんだか賞味期限の過ぎた納豆のようだ。ちなみに、賞味期限が過ぎた納豆というのは、ネバリ気が少ない。美味しくないのだ。 しかし、載せないのも何だかもったいない。世界では「MOTTAINAI」という言葉が流行っているし、僕だって無駄というのは嫌いだ。新しい話を書き出すようなパワーも今の僕にはない。 それにしても、夜話の文章というのは納豆や野菜のように、美味しい期限というのがあるのかもしれない。上手い文章であったなら、ワインのように熟成されてより美味しいものとなっていくような気もするけれど。 とにかく、今は冬のど真ん中で、新鮮な野菜があるわけではない。僕は毎日、あまり美味しくないリンゴを食べ、インスタントのコーヒーを飲んでいる。
古奈屋(http://www.konaya.ne.jp/)という超有名な店で、カレーうどんを食べた。お値段は1050円……。まあ、いいだろう。ラーメン屋さんに入って、ラーメンに餃子を頼んだら、1000円を越えてしまう時代だ。このくらいの値段でもおかしくはない。蕎麦なんて、ちょっと良さそうな店だったら、軽く1000円は越えたりもする。 しかし……。 この古奈屋というお店、巣鴨のとげぬき地蔵の近くにあり、人気が出て今は都内を中心にいくつもの店舗を持っている。 僕はここで決して文句を言っているのではない。確かに他では食べることのできない美味しさではある。でも、うどんと言えば、香川で食べたうどんが忘れられないのである。あのときの値段はいくらだっただろうか。古奈屋の香川店というのは、将来できたりするのだろうか。 ちなみにこのお店の値段で、もうひとつ凄いな、と思ったことがある。 ちなみに僕は駅で食べる天玉うどんって、好物のひとつだったんだよね。
東京の青山にちょっとばかり変わった書店がある。小さいのだけど、穴倉なんかがあったりして、かなり個性的なつくり。冗談抜きで面白い。知らない人にはぜひ行ってみてほしいと思う。 全てが新刊なのだけど、見慣れない本ばかりが並んでいる。そうなのだ、主に自費出版で出された本が置かれている。新聞などでもよく広告が出ている新風舎という出版社のもの。 本好きには、単に楽しい空間というだけでなく、読みたくなる本がいっぱいある。自費出版といっても、普通の本と変わりはない。それどころか、普通だったら本にならないような面白いテーマの本があったりもする。お金があったなら、この書店で多くの本を買い込んでいたかもしれない。そんな本屋さんだった。 しかし、それとは別に、「すごいなぁ」という溜息を僕はしていた。自費出版というものが、どのくらいお金が掛るのかを知ってしまったからだ。 現在、世の中には数多くの本が出版されている。それは、それだけのお金が動いている、ということでもある。当たり前のことだけど。
今年からトヨタカップは、世界クラブ選手権と変わってしまった。しかし、やっぱり元のヨーロッパVS南米の方がいいよな、と思っているのは僕だけではないだろう。今年は運良く(?)リバープレートVSサンパウロの決勝だった。たぶん、これから4、5年の決勝は同じようにヨーロッパVS南米になりそうな感じはしている。しかし、確率としては7割か8割くらい。サッカーというスポーツを考えると、中東のチームが決勝に出てくる可能性だって間違いなくある。 その場合、見る気はするのだろうか……。 クラブチーム世界一を決める、という理想は良くわかるし、物事には過度期という時期もある。しかし、まだ時期尚早という感じがしているのだが。 たぶん、ヨーロッパの感覚というのは、トヨタカップは罰ゲームなのではないだろうか。UEFAチャンピオンズリーグでの優勝チームがトヨタカップに出場するよりも、負けたチームがトヨタカップに出場しなければならない、というルールの方がすんなりと様になる感じがするのだが……。
以前友人と、重松清について語り合ったことがあった。池袋の韓国料理の店「ソウル亭」で、マッコリを食べながら。 今の重松清の書く物語は……。昔は、フォークとナイフで食べていたものが、割箸で蕎麦を食べるというものに、なっているように思う。たぶん、意図してこうしたものを書いているのだろう。昔は髪を長くしてロックを歌っていたのが、演歌を歌っている。時代を読み、読者のニーズを捉えている。読書離れという世界にいる未知の読者に、読書の面白さを伝えようとしているのかもしれない。 よくわからない。正直言って、この小説は僕にはあまり響かなかった。しかし、そうした感覚が、この小説だけに対してのものかというと、そうでないこともわかっているつもりだ。 いわゆるベストセラーと呼ばれる小説は読まなくなった。たまに、チャレンジはするのだが、響かない。 『流星ワゴン』の主人公は、僕と同じような年齢である。奥さんも子供もいるという設定で、その中の問題を描いている。これから、どんな風に生きていけばいいのかを、説いている。
それにしても凄い雪となっている。80とか90くらいの年齢の人が、「こんなのは、はじめてた」というくらいに凄いのである。その頃って、2階から出入りしたとかなんだよね。 この12月の積雪、そんなに驚くほどでもないとも言えるのだが、確かに凄い。ひと晩に降る雪の量というのはだいたい決まっている。膝より少し上くらいまでには積もる。たぶん、50センチくらいだろうと思う。しかし、このくらい降るというのは、そんなに何回もあるわけではない。ところが、この冬はもう何度もあるような感じがしている。 屋根の雪下ろしは2回目をやったところ。家の周りの雪の雰囲気は、2月くらいの、冬のピーク時くらいの状態。12月で既に、その状態となっているのだ。1月、2月と雪が降り積もったならば、どうなってしまうのだろう、という不安があったりする。 屋根の雪下ろしに関しては毎日のように事故が起こっているようだ。雪と一緒に落ちてしまったり、屋根の雪に埋ってしまったり。気を引き締めなければならない。ちなみに、最近では、年配の人が長く住んだ家を売ってマンションを買うということもあるようだ。マンションでは雪に悩まされることはない。 雪降ろし以外の大変なことを先日経験した。僕の家には、リンゴの木がある。梨とかを入れても、ほんの数本なのだが、それでも1本からけっこう採れて、人に送ったりもできるので貴重なのだ。その木に雪が積もっている。木が折れてしまう可能性もあるということで、その雪を取り除くという作業を行なった。 リンゴの木までの雪の中を歩いていったのだが、雪は腰まである……。何度か動けなくなってしまった。ああ、自分はこのまま雪の中に埋もれてしまうのだろうか、なんてことも思ってしまう。 吹雪の中、僕はこんな作業をしていた。リンゴ農家の人たちは、普通にやっていることなのだが。秋になって食べることのできるリンゴというのは、こんな冬の作業によって、作られるのだった。
このところソーシャルネットワーキングのmixiをうろうろとしている。ここでは当然のようにプロフィールを公開している。中には、専門分野の人が相談にものりますよ、みたいに書いているところもある。実際のところ、mixiのメッセージでメールを出してみると、とてもよい返事があり、これはこれで満足した。 まあ、メールのシステム自体の使い勝手ということで言えば、やや問題はある。しかし、メッセージを出しやすいことは確か。なんというか、mixi全体が、声を出しやすい雰囲気になっているように感じる。 通常のネットの世界との大きな違いというのは、アダルト系のメールその他にめったに出会わないということだろう。まあ、完全に無いわけではないのだろうけど、普通であること、がこのmixiには普通にあって、実はこんな単純なことがmixiの凄さではないかと考えたりしている。 少しばかりライブドアのフレパをやってみたが、こちらはやはり信頼感ではぐっと劣ってしまう雰囲気がある。 さて、このmixiというもの、良くも悪くも「ワカモノたちのツール」なんだな、と思えてしまう。僕なんかが二十歳前後にこうしたものがあったなら、という雰囲気に満ちている。例えば大学生だったなら、サークルの活動で、他の大学の人と知り合いになったなら、このmixiでは、すぐに繋がってしまう。まったく楽しそうだと思う。 ドルフィンホテルでは、かつて、けっこう盛り上がっていた時期があった。何かの本の話題を振れば、すぐに「読みました」なんて返事があったり。でも、そうした勢い的なものは、長くは続かないのだと感じている。良い悪いとかの話ではなく、ひとつの青春みたいなものなのだろう。 深く何かを考え、それを文章にして表現する、みたいなものはmixiには向いていないと思う。しかし、電話と近いような形で、深夜に人と語り合うみたいな感覚が、このmixiなのだろう。 おじさんになれば、深夜には眠りたい。別に、そんなに人と語りたくは無い。どちらかと言えば、黙って酒を飲み、頷きあうような会話を交わしたい。 実際のところ、mixiには大学生が圧倒的に多い。こうした大学生自身が、社会人になる前に、今のうちにmixiをやる、という感覚もあるような雰囲気がする。 しかし、こんなことを言うと、やれやれと思われてしまうかもしれないけれど、mixiで友達がいっぱいいる人というのは楽しそうだ。シアワセそうに見える。 mixiというのは、グループ交際的なところがあると思う。クラスや、サークル、職場の友達とかが複数でmixiを紹介しあったり、なんてよくあることだろう。 そう、別れるというときには、このmixiはけっこう辛いものになるような気がする。普通だったら、一人との関係を絶てば終われるはず。しかし、mixiのようなネットワークでは、人と人は複雑に絡み合ったりしている。 新しい人と交流が出来ていくのは楽しい。mixiの良さはそこにある。しかし、人と酒を飲み、語り合うことには、辛い側面もある。 書いていることが、オジサンだな、と思いつつ。
神田にある、いわゆる大衆居酒屋で飲んだ。名前は「酔ってけ」という。そんなに有名な店ではない。評判はどうなのだろう。普通かもしれない。店のキレイさ、について語るような店ではない。けれど、なんとなく僕はこの店が気に入った。 ひとりで入って、邪魔にならないというのもけっこう大事なことだ。威勢のいい店内だけど、ひとりでも様になる。そして、そんなに高くは無いこと。こうした、ちょっとした条件を兼ね備えた店がどれだけあるかというと、実は少なかったりする。 カウンターで僕はチュウハイを飲む。つまみは、もつ焼きだ。そしてポテトサラダを頼む。なぜポテトサラダかというと、カウンターの向こうにあったからだ。他にも美味しそうな煮物があったが、それは次回の楽しみということにしよう。 カウンターは面白い。オープンキッチンでもあり、料理の作られているところを見ることができる。感激したのは厚焼き玉子だ。この店では、注文が入ってから、四角い鉄鍋で作る。当たり前のようだけど、レンジでチンして出される厚焼き玉子が実は多いのではないだろうか。この厚焼き玉子、けっこう難しいのだ。 僕は2杯目をホッピーにした。僕が昔、こうした居酒屋で酒を飲むときには、生ビールを何杯も飲んでいたりした。しかし、今になってわかる。生ビールというのは、飲んでも一杯だけのものだ。なぜなら、贅沢品だから。激安居酒屋では、いかに安く美味しく飲むかが重要である。そんなところで、チュウハイがあり、ホッピーがある。注文するツマミにしても、2品かせいぜい3品が妥当だ。がつがつ注文してはいけない。 僕の右隣は、どうやら大学生の雰囲気。どんどん酒と料理が運ばれてくる。小さなカウンターの席はいっぱいだ。やや場違いだろう、という雰囲気だった。話の内容は嫌でも耳に入ってくる。夢のある将来のお話だった。 ある意味で、こうした大衆居酒屋は、負け組みの飲み場なのかもしれないと思う。高級レストランではない。しかし、なんだか、美味いのだよ。酒が。人生は勝てば幸せがあるという単純なものではないだろう。 僕はホッピーの中と、ニンニクの芽の炒め物を注文した。この料理は絶品だった。また食べたい。 しかし、ちょっとばかり僕はこの店で失敗をした。会計が2000円を越えてしまった。ひとり酒というのは、理想としては1500円、多くても2000円を越えてはいけないような気がする。 さて、これから僕はどこをさまようのだろうか。こんな感じの店で飲んでいるのか。それとも、新鮮なネタを出してくれるこぎれいな寿司屋で10倍くらいの金額を出して飲んでいるのか……。
今年になって初めてM-1グランプリというものを見た。漫才のナンバーワンを決める大会だ。F-1という言葉から、K-1が生まれ(たのだろう)、M-1というのも、それなりに馴染んでいくのかもしれない。もう少し別のネーミングにこだわって欲しいという気がしないでもないが。 僕は別に漫才というものが好きなわけではない。しかし、嫌いだということでもないし、面白かったら見る、という感覚。例えば、やすしきよしや、ツービートとか、まあ普通に面白かった記憶がある。だいたいにして、共通一次試験のときの正月が大漫才ブームだったんだよね。それから、とんねるずのデビュー当時も、めちゃくちゃ面白かった。 そんな僕からこのM-1グランプリというものがどう見えたか。優勝したブラックマヨネーズは確かに面白かった。これに関しては、絶賛以外の何ものでもない。しかし、他はもうちょっとかなぁ、というのが正直な感想でした。漫才好きな人から、文句とかないよね……。 でも、時代感覚とかそういうのもあると思うけど、昔の漫才ブームのときの漫才の方がずっと面白かったような気がするのだが。 さて、このM-1グランプリを見て感じたことがあった。それは、優勝した先に何があるのだろうか、というもの。だって、何年も長くコンビを組んで漫才をやっている人というのは見当たらない。そのほとんどはコンビを解消し、テレビのバラエティの司会者になっている。売れること、成功するということは、バラエティの司会者になり、たまにドラマに出て、M-1グランプリの審査員になることのように思えてくる。 漫才というのは、若手の時期だけで終ってしまうものなのだろうか。僕の素朴な疑問である。 漫才について、もう少し語りたいと思う。実は、かなり、かなり凄いものではないかと思えてきたからだ。最高の漫才とは何か、それは、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞、監督賞、その他すべての賞を受賞するようなものではないかと思えてきた。全てのことを、自分達で作り上げていくのだ。何かが欠けていたならば、物足りないもので終ってしまう。 北野武は、世界的な監督となった。けれど、漫才から映画監督というのは、そんなに違った道でもないように思えてくる。どうだろうか。
実はこの話、この夜話ではなく、できれば「徒然なる本の話」の続編として書こうと思っていた。しかし、時は過ぎていく。時間が経ったならば僕の記憶も色褪せる。 大学生だった4年間を僕は、市川で過ごした。総武線の市川駅である。江戸川の向こうは東京である。その境界線のところに住むあたりが、僕という人間を表しているような気もするが。 僕の住んでいたのは北口から歩いて10分くらいのところ。たぶん、もう少し先には井上ひさしが住んでいて、東に数十分歩いたところには、さだまさしが住んでいた。とにかく、けっこう昔のことである。 僕の住んでいたアパートはワタナベ荘といった。その名前からだろうか。僕はのちに、村上春樹の『ノルウェイの森』が大切な小説に思えてくる。 しかし、今回の話はこの北口ではない。南口についてだ。 いつのころからだろうか、僕は南口にある、あるアパートを訪ねるようになった。なんというか、そこに人が集まっていたのだった。その多くは、社会人だったので、学生の僕は最年少のようなものだった。ちなみに、そのアパートの名前はヒカリ荘といった。しかし、名前のわりにはヒカリは全くといっていいほど入らない。 そのアパートに行く途中には、駅前アーケードの商店街があった。かなりごちゃとちゃとしていた。そこに、「ラーメン男爵」というちょっと変わったラーメン屋があり、僕はたまにそこで食べるようになった。 特に、大きな記憶に残る街ではなかった。しかし、僕が二十歳前後を過ごした街であるのは確かで、他にはない愛着のようなものもあった。いくつかの飲食店。北口にあった、お好み焼きの店や、焼き鳥屋。ラーメン屋はだいたい行った。変なスナックみたいなところに入ったこともあった。喫茶店はだいたいどこも入った。こんな僕でも、人と話をすることはあったのだ。 2005年の秋だった。なんだか憂鬱な気持ちになっているときだった。半日の時間がぽっかりとできたことがあり、僕は市川に行ってみようと思った。 ある意味での東京生活(実際は千葉県だったが)のスタートの場所だ。市川を歩くことが、自分の人生のリスタートみたいなものになるのでは、と思ったのだ。 市川駅北口は、それなりに変わっていた。まあ、当たり前だ。どんな街だって20年も経てば変わる。自分の住んでいたワタナベ荘に行く。当然のように無かった。アパートの前にあった駐車場もなく、まったく僕の住んでいた空間が消えてしまっていた。しかし、おんぼろのアパートだったのだ。そんなことは予期していた。 そして、僕は南口へと向う。ラーメン男爵にでも行って、懐かしい味に触れようと思った。 僕が今まで生きてきた中の景色で特別なものがある。それは、焼け野原、という場所だった。中学のときに、山形県酒田市に住んでいたことで、いわゆる酒田大火というものを経験していた。僕の家はまったく方向が違ったので問題は無かったのだが、あの赤い夜空と、翌日に見た、広い広い焼け野原の異様な景色は忘れることができないものだ。 市川駅南口で、僕はそんな景色を思い出した。 そう、再開発というものなのだろう。市川駅の南口は、ごそった無かった。都心の大きなビルなんかの再開発というのであれば、なんとなくわかる。しかし、普通に商店街のあった、ちょっとばかり薄汚れた感じのある街が、ごっそりと無くなっていたのだった。 何のためにこんなことをやっているのだろうか……。正直なところ、それが僕の感想だった。大火があったわけでもない、地震があったわけでもない。ちょっとしたビルの建つスペースだけというものでもない。駅の片方の街をごっそりと潰して、何が生まれるというのだ。 いくつかの店は、仮の建物で営業をしていた。ラーメン男爵という店を僕はすぐに見つけることができた。けっこう評判の良い店であるかのような広告があった。僕が行ったときには、夫婦で力を合わせていいお店をやろう、という雰囲気に満ちていた。 僕はこの店でラーメンを食べた。しかし、別なものなのだろうな、と思った。美味しいかどうかとかの話ではなく、僕が学生の頃に食べたラーメンでは無かった。 当たり前のことだろう。20年も時が経てば、当然のように変わっていく。そんなことに、感傷的になってしまうような自分でもない。 しかし、市川駅南口のあの空間は大きい。ぽっかりと大きな穴が空いてしまったような感じがしてしまっている。
「本について話をしよう」というのがドルフィンホテルである。しかし……、この一年というもの、本についての話はさっぱりしていないような気がしている。 ちょっとまずいかなぁという気持ちと、まあいいではないか、と気持ちとがある。人の心の中には、良いことをする自分と悪いことをする自分との2つがあり、その2つの中でなんとかやっている。本を読むことに対しての気持ちも、2つあって、悩むところがいいのではと思ったりする。 もうかなり前になるが、けっこう年配の師匠のような人とよく酒を飲む機会があった。文芸誌の編集をしていた人で、かなりの著名人と仕事をしていた人だ。恥ずかしながら、文学について、本を読むということについて、酔っ払いながらもよく話をした。 その人はよく言ったものだった。「本なんて、良いと思う本を一冊読めばいいんだ」と。 彼の本を読むことに関しての武勇伝は凄いものだった。編集者なので当然のように夜は遅い。接待とか何かで大変は飲んで帰る。それでも寝る前にペーパーバックの本なんかを3冊くらいは読むのだそうだ。そして、朝は速く起き早朝野球をやる。朝は遅いという話も聞いていたのに、好きな野球ではちゃんと起きるようだ。 仕事の関係もあり大量に本を読んでいたこの人は、本をとある大学に寄付している。ちゃんと名前付きの文庫となっている。 やや話は逸れたが、本というのは、数ではないのだろう、ということだ。何度も何度も噛み締めることのできる一冊があったなら、それで十分なのかもしれない。多くの本を読むというのは、その一冊に出会うための旅みたいなものかもしれない。 もう少し関連した話をしたい。この人には、僕は文章について教えてもらっていた。プロの人に教えてもらいながら、未だにまともな文章が書けないでいるのは情けないことだが。 文章の教えを受け、深く考えれば考えるほど、文章を書くことが恐くなることがある。「書けなくて」ということを言うと、「それはいいことなんだよ」という答えが返ってくる。 文章を書くこと、本を読むこと、ときには立ち止まる。ひょっとしたらずっと立ち止まったままだったりするかもしれない。でも、立ち止まるというのは、けっこう大切なことだという感じはする。どんな風に大切かはまだわからないけれど。
僕が最初に就職したときのことだ。ある会社の先輩に言われたことがあった。「いいか、見ている人はちゃんと見ているのだからな」 この先輩は、口だけでなく、ちゃんとした凄くいい人で、誰からも慕われていた。良い家庭を持ち、地道に仕事をしていた。彼の元で仕事をしていた人の多くは、その会社を辞めていった。たぶん、辛かったのだろう。 僕はこの先輩について、特別な印象を持っている。家族を連れて僕のところまで遊びに来てくれたこともあった。会社を離れても付き合えるというのは、涙もののことだ。 しかし(こんなことを言ったなら、怒られるかもしれないけれど)、僕が四十年と数年を生きてきて思うこと、それは、「誰も何も見ていない」ということだ……。 凄く良い人というのがいたりする。多くの人に慕われていたり。誰もが、この人は、なんてことを言う。しかし、そんな人に限って、平気な顔で人から多くのものを平気で盗んだりしている。 これまで、いくつかの会社というところで、いろいろな人を見てきたけれど、大抵は、ろくでもない人物ばかりだった。なんでこんな奴が、と思う人物に限って、それなりの地位にいる。地道に、ちゃんといい仕事をしたきた人は、それなりの、ギリギリの地位にしかいない。 2004年というのは、僕にとって最悪の一年だった。いや、変化の年ということで言うならば、まあ悪くはない年だったかもしれない。しかし、やっぱり悪かったような気がする。その悪い流れがそのまま2005年に突き進んだという感じだった。 2005年は、読書夜話の数もずっと減ってしまった。ドルフィンホテルに関わることが良いことなのか、関わらないことが良いことなのか、それは難しいところだ。インターネットなんかに関わらずに、家族サービスをしている奴の方がずっと幸せな人生を送っているようにも思う。 2006年、何だかんだ言っても、新しい年が来て、速くも一ヶ月が過ぎた。いい一年にしていきたい。僕だって、そう思っているのだ。
ヒューザーの小嶋進社長が叩かれている。わからなくはない。しかし、ちょっと酷すぎるんじゃないかな、という気持ちもある。もちろん、被害者となった人の感情というのはある。しかし……。 現実的な問題として、小嶋進は何をやればいいのだろうか。ヒューザーが今度マンションの仕事をしていくというのは、まず不可能である。持っている資産で保障するしかない。マンションの立替というものは、かなりの金額である。当然ながら、ヒューザーという一企業が、後処理をできる状態ではない。小嶋進が、寝ずに何らかの仕事をして収入を得たとしても、解決できるような問題ではないのだ。 しかし、小嶋進が政府の関係者に会おうとしても、話を聞いてくれる人は誰もいなさそうだ。自分は関わりたくないと思っているのだろう。自分は関係ない、と言う政治家はいても、ヒューザーの後処理に手を貸そうという政治家はいないのだ。 もちろん、こうした政治家を選んでいるのは、我々である。情けない世の中を、自らが選択しているのだ。 小嶋進の残された道は、かなり限られている。もちろん、彼は大きな過失があり、それは責められるべきだ。しかし、小嶋進がもし、残された最後の選択をしてしまったならば、それは社会の問題なのではないだろうか。
これまで名前は出てきたけれど、よくわかってない存在。それがこの東京地検特捜部というものだ。ライブドア事件において、一段と有名になった。 誰しも、子供の頃に親から言われたことがあるのではないだろうか。 そう、このライブドア事件では、警察に捕まったのではないのである。これからの親は子供に何と言うのだろうか。 ライブドア事件について、語るのはやや難しい。ライブドアの犯罪をケシカランと言うのは、何だかマスコミの情報に流されてしまうみたいで嫌なのだ。 ひとつ、感じたことを書こう。 「ライブドアは、スパム行為と判断された」 これが僕のこの事件での感想である。ライブドアの本体というのは、インターネットの会社である。ポータルサイトでのサービスがその中心であると言ってもいいだろう。インターネットと言えば、僕には検索エンジンという印象が強い。 価値のあるウェブサイトとは何か。それはアクセス数の多いサイトである。中身がどうあれ、これはひとつの真実だろう。ライブドアよりも、ヤフーの方がずっとアクセス数は多い。インターネットの企業でなくても、どのくらいのアクセス数があるかというのは、今はどの企業にとっても大きなことだ。そのアクセス数はどうやって決まるか。コンテンツの内容という問題は当然あるが、それ以外をまず考えてみたい。 ひとつは、インターネットの広告である。毎年この広告費はどんどん増えている。もうひとつは、SEOだ。「検索エンジン最適化」と直訳される。ウェブサイトのHTMLの記述などを工夫することによって、検索サイトの上位に表示させるテクニックのようなものだ。 何らかの言葉で検索した場合、いくつものサイトが表示される。見ていくのは、上の方からだ。よっぽど熱心に探さない限り、50番くらいのをわざわざ探したりはしない。 しかし、このSEOというもの。検索サイトを騙す行為は「スパム」と判断され、場合によっては、検索サイトから外れてしまうこともある。こうなってしまったならば、インターネットの中では、誰も見ないような状態になってしまうのである。 書店のコンピュータのコーナーには、このSEOに関する本が数多く売られている。企業にとっては、冗談抜きで大きなことなのだ。検索サイトの順位がちょっと上がるだけで、売上げにも影響するだろう。 しかし、この検索エンジンにおける、順位決定のルールというものは、公表されていない。つまり、SEO対策というものと、スパム行為というのは、その境界線がわからない。明らかなスパム行為というのはもちろんある。しかし、境界線の部分においては、それがスパム行為と判断されたならば、それを受け入れるしかないのである。 検索サイトの問題というのは、その広告においても、いろいろと問題になっているようである。特にヤフーなどは、単なる一企業の広告というよりも、公共といっていいような存在になっているのが現実である。 ライブドアについての問題。それは検索サイトの問題と同じように感じられる。誰が決めているのかはわからないけれど、「スパム行為だ」と判断されてしまった。 とにかく、我々のいる社会は、こういうところだというのを認識しなければいけないのだろう。
この数週間で強く感じていることがある。それは、「今は平成という時代なんだ」ということだ。今年は「平成18年」という年、何を今さらと言われるかもしれない。しかし、昭和64年と平成元年の違いなんて、そんなに変わっているものではない。ちなみに、僕はこの年号を境にして、会社を辞め新しい暮らしを始めたのだが。 NHKの『プロフェショナル 仕事の流儀』(http://www.nhk.or.jp/professional/)というテレビ番組が面白く、毎週欠かさず見ている。今年から始まった、ひとりのプロの仕事人を取り上げたドキュメンタリー番組だ。 わかりやすく言うと、この番組は『プロジェクトX』の後番組だ。 そう、『プロジェクトX』というドキュメンタリーは、昭和という時代を象徴したものだった。中島みゆきのテーマソング自体も、昭和の曲なのだと思う。『プロジェクトX』を見るということは、昭和を振り返ることでもあった。 『プロフェショナル 仕事の流儀』のテーマソングは、コクアというオリジナルのユニットだ。ヴォーカルはスガシカオ。昭和の時代には、全く考えられなかった詩とメロディ。 何かが良いとか、悪いとかという話ではない。ラジオの深夜放送が、インターネットのブログに変わったように、昭和と平成という時代の違いが、この番組の表れているように感じるのだ。 DOLPHIN HOTEL |