藤沢周平を語りたい
.○ 小説『蝉しぐれ』のラストについて NEW!
2005.10.1
『蝉しぐれ』というラストがこの数日気になっている。この小説は好きで何度も読み返した。しかしそんなに深くこのラストを考えていたわけではなかった。
まず断らなくてならないが、ここでの『蝉しぐれ』というのは、テレビドラマや映画ではなく、小説の『蝉しぐれ』だ。
文藝春秋からのムック『「蝉しぐれ」と藤沢周平の世界』の冒頭に、「藤沢さんの日の光」という井上ひさしのエッセイが載っている。
そのエッセイの最後に書かれていることが深く考えされるものだった。井上ひさしは藤沢周平との会話の中で、このラストについて「二人は思いをとげたんですね……」というような内容のことを訊いてしまう。それに対し、『藤沢さんは、めずらしく迷惑顔になって、「さあ、わかりませんね」』と言ったのだという。
井上ひさしは、このことをとても後悔していると書いて、このエッセイは終っている。
たぶん、このラストの場面にある登場人物たちの感情というのは、誰からも理解されないような、それだけの複雑なものかもしれない。小説というのは、ミクロの針の穴を通すような、繊細なもに思えてきた。
映画では、「ひとりの人を想いつづけたことはありますか」なことが、ひとつのテーマのようなものになっている。しかし、浅いところでの解釈に思えてきた。『蝉しぐれ』という小説は、とてつもなく深いところにあるのではないかと。
ラストの場面は、当然のことながら、文四郎とふくとの二人だ。しかし、その二人にはそれぞれの過去があり現在がある。二人とも、子供の親となっているのだ。文四郎の上の息子は二十歳である。最後の「蝉しぐれ」という章では、「文四郎」とは語られていない。名を改めた20年の歳月の過ぎた「助左衛門」である。
改めてこの章を読むと、助左衛門の20年を感じることができる。妻があり、家族があり、生活があった。それは不幸なものだったのか。
助左衛門という人は、できうる限りの愛情を家族に注いだのではないだろうか。形だけのものではなく、心から大切にしたのではないだろうか。
読者が小説を読むときに、作品から離れ、作者自身の人生について考えるのは間違っていることだろうとは思う。しかし、『蝉しぐれ』という小説に、藤沢周平という人の恋愛感、人を愛し深く想う気持ちが、大きく反映されているのではないだろうか。だからこそ、映画化というものを拒んでいたのではないかもしれない……。もちろん全ては、僕の愚かな推測でしかない。
小説『蝉しぐれ』のラストの情景描写は、書き換えられている。最初に新聞に掲載されたものと、小説になったものとは違うのである。
文四郎やふくの想い。それを感じられる人は、ほとんどいないのかもしれない。それだけ深い世界が描かれているように思う。藤沢周平は、そっと二人をあたたかく見守っているような気がするのだ。
(2005.10.1)
○ 藤沢周平を語りたい
「一番好きな作家は?」と質問されたならば、藤沢周平と答えることにしている。
この藤沢周平という名前はどのくらい知られているのだろうか。インターネットで「藤沢周平」と検索してみてもそんなに多くが出てくるわけではない。本が好きだ、という人と話をしても「時代小説はどうも……」という答えが返ってきたりする。読んでもらえば間違いなくこの作家の良さをわかってもらえるのに。
僕が藤沢周平が好きだ、と言うようになったのは実はこの数年のことである。
亡くなる数年前に何冊かのエッセイが出版された。彼の小説とは別の「声」を聞くことで、より身近に藤沢周平という存在を感じることが出来るようになってきた。偶然のことなのだろうが、藤沢周平の小説に登場する仮想の藩である「海坂」のモデルとされる地に私は子供の頃、約10年住んでいた。幼稚園に入る前の3年間を鶴岡市で、小学校の6年と中学3年間、高校の3年間の計7年を酒田市で過ごした。市街地を少し離れると、広い広い平野に田んぼがある。少し離れて海側へ行くと松林、海の香りを感じることができる。北の空には鳥海山がそびえたつ。夏は暑く、蝉の鳴き声が耳に響く。秋の風の強さは体が吹き飛ばされるかのようで、冬の寒さはほんとうに厳しい。
エッセイなどから、藤沢周平がどれだけ彼の生まれ故郷に想いを寄せているか、少しずつ少しずつ感じるようになってきた。
小説の風景がより身近に感じるようになってきた。そして、『蝉しぐれ』をもう一度読み返した。
平成9年1月26日、藤沢周平は亡くなった。遺作となった作品は『漆の実のみのる国』。上杉鷹山について書かれたこの物語の舞台は米沢である。私の生まれた町であり小学校の4年と5年を過ごした。その頃は町のどこにいても機織りの音が聞こえたものだった。
藤沢周平が好きだというのをうまく語ることは難しい。もちろん、その作品は好きである。涙を流したこともある。故郷を離れ、東京という町で暮した藤沢周平という人も好きである。同郷の人間として誇りに感じることもできる。
誰かに藤沢周平の話をするときに、いつももどかしさを感じる。自分の中でまだまだ整理されていない。たぶん、ほんの表面的な部分しか読めていないのかもしれない。もっともっと深い藤沢周平という世界があるはずなのだ。
ひととおりの藤沢周平の本は読んだ。また読み返したいと思っている。より深く。そうしていくことで、少しでもこの作家に近づきたいと思っている。
もし、共感できる友がいたならば、語りたいと思う。
(1999.1.4)
○ 庄内の風景
藤沢周平の小説に登場する仮想の藩である「海坂藩」について、そのモデルである庄内藩について、思いつくままに書いてみようと思います。
僕は全部でかつて10年ほど、この庄内の土地に住んでいました。
まずは、幼稚園に入る前の3年間、鶴岡市というところ。そして、小学校の6年から中学の3年間、高校の3年間を酒田市というところ。
山形県の海側に酒田市、鶴岡市を中心とした地域は現在、庄内地方と呼ばれています。ちなみに、山形市を中心とする県内の7割くらいの地域は内陸地方と呼ばれていて、例えば天気予報とかニュースなどでも、分けて扱ったりされています。気候の違いというのが大きいのですが、食べ物の味付けとかいろいろと違うことは多く、同じ県とはいえ、二つの県が合わさったような感じがします。
この庄内地方がかつては庄内藩といわれていたところ、海坂のモデルとなっているところです。
でもまあ「鶴岡=海坂」というイメージの方が強いかもしれません。ほとんどの読者はこのように考えているのでしょう。
しかし、酒田市という街も庄内という名の土地であることは確かです。酒田市は港町(ちなみに「おしん」の舞台にもなり駅前には銅像もあります)、と鶴岡市は城下町と違った雰囲気を持っているのですが、人口的にはどちらも同じほぼ10万弱。庄内と言った場合、ひとつのイメージではなかなか言いにくいものがあります。この辺はあくまでも、住んでいた僕の感覚からのことですが。
酒田も鶴岡も、どちらも共通するのは、田んぼが多いということです。庄内の気候の特徴のひとつは、夏の暑さです。ジリジリと大変な暑さです。しかし、それはあくまでも庄内という土地のある一辺からの見方です。もし、庄内を旅するならば、冬の庄内を訪れてほしいです。秋から冬の風の強さは凄いものがあります。内陸地方の方の冬は雪が降って寒いという感覚がありますが、庄内は寒くて雪も降らないという感じです。郊外のバイパス道路には風よけがあります。ほんとうに、外を歩いていると、飛ばされてしまうようです。僕が酒田に住んでいた中学の頃には、もの凄い大火がありました。これは風の強さによるものです。
藤沢周平の文学というのは、この風に打たれたものなんだな、と思っています。これは勝手な解釈ではあるのですが。
酒田にいるとき、中学校は松林の隣にありました。この松林を走り抜けて、砂浜に行きダッシュをする、というのが運動部のパターンでした。高校は、山居倉庫の近くで元の城跡に建っていた学校でした。どちろも屋上からは海が見えます。
ときどき自転車をこいて(だいたい10分くらい)、海岸に行って夕日を見ていました。いいでしょう(笑)。景色をいうことを考えたとき、今になって思うとほんとうに、かけがえのないいい場所に住んでいたように思えます。
僕は、鶴岡、酒田、山形、米沢(井上ひさしの故郷でもあります)といった山形県内を子供の頃、転々としていました。父親の仕事の関係です。正直に言って、自分のこうした故郷というところは好きではありませんでした。とても保守的といったらいいのかな。帰って暮らしていこうという気には、なかなかなれないです。数年前までは、「山形出身」であるということをあまり人には話をしませんでした。
数年間に藤沢周平を読み、彼の故郷に対しての想いを読み、山形という土地についての考えが変わってきました。嫌いであることには、変わりはないです。
けれど、誇れる気持ちになったのは確かです。
藤沢周平にしても、故郷というものをただ単に「すばらしい」と一言で語るようなものではないのだと思います。故郷を追われたこともあったわけです。複雑な気持ちもその中にあるのだろうと思います。
いろいろな感情とかを超えて、庄内の風とか、土の香りとか、山々の景色とか、そうした全てのものが作品(藤沢周平の故郷・海坂に対しての想い)になっているのではないかと。
うまく書くことはできないけれど(ゴメンナサイ)、僕にとって藤沢周平という人は特別なのです。
現代は多くの作家がいます。けれど、100年、200年経っても決して色あせることなく、時代を超えてその文章が語られるという作家はほんの一握りになるでしょう。
僕は時々『蝉しぐれ』という小説を読み返します。ぱらぱらとめくって、好きなところを読みます。40代になった自分、50代になった自分。たぶん、感じ方は違うんだろうなと思います。でも、どの自分に対しても、丁寧に、気持ちをこめて語ってくれている作品だなと感じています。
(1999.3.26)
○ 夜の橋
まわりの世界は暗闇ばかりなのだろうか。ときどき、ふと思うことがある。
『夜の橋』(中公文庫)を読んでいる。博打にのめり込んでしまった男と、別れた女房の話である。別れてしまって、それでも想いは残っていたりする。登場人物ひとりひとりの言葉は、宝石にように思える。互いに多くを語るわけではない。言葉にならない気持ちを胸のずっと奥の方に持っている。
いい言葉がさりげなく出てくるような二人ではない。
夜の暗闇の中、星の明かりで、ようやく触れることのできるような言葉が、そこにはある。
おきくはいい女だな、と感じる。けれど、こんな感想は間違っているのかもしれない。誰もがおきくのようなやさしさとかを持っている。民次が気づかなかったように、見えてなかったことがまわりにはいっぱいあるのかもしれない。
これからもずっと、いくつもの橋を渡っていくのだろう。
(1999.3.26)
○ 生きている痕跡をだんだんに消しながら
藤沢周平は、かつて病気をし仕事を辞め、奥さんとは死別し、かなり辛い人生を歩いたみたいです。主に初期の作品というのは、人生の非常さのみがテーマになっていると思います。
けれど、『用心棒日月抄』あたりを境にして、非情さの中にある希望みたいなものがテーマと変わっていきます。ですからこの辺の小説は読んでいてけっこう楽しいものがあります。 辛いことはあるけれど、その先にある何か、を追求しているといった感じです。
藤沢周平は昨年のはじめに亡くなった人なのですが、ずっと前にエッセイで下記のようなことを書いています。
「物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する」(周平独言/中公文庫)
こんなふうに感じられるようになって人生を終わるというのは何かすごいように思えるのです。
○ 時代小説について
時代小説を読むのに「知識」は必要ないと思っています。もちろん、すべての時代小説ということではないのですが、藤沢周平とかに関しては。藤沢周平の小説というのは、「知識」でなく「景色」だと思っています。見上げると山があり、遠くに田畑が広がり、目を瞑ると小川のせせらぎや蝉の声が聞こえます。
藤沢周平は「自分では時代小説だという気持ちはない」みたいなことを言っています。自分の書きたいテーマがあり、それを一番素直に表現できる場所がたまたま江戸時代といった場所だった、と。確かに私たちのいる現代の世界は日々事件、情報が溢れ、本質を捕らえることが難しくなっているのかもしれません。
江戸時代という舞台が、どれだけ現代と離れているかというと、実はあまり変わらないとも言えます。派閥闘争はあり、犯罪があり、不倫もあり、純愛といったものもあります。確かに服装や建物は違いますが、そんなに多くの違いがあるわけではないのです。人の気持ちというのはいつの時代でも同じであるとも言えると思います。
○ 藤沢周平 入門の一冊
ちらりちらりと雑誌を眺めていたら、藤沢周平のことが書かれてあった。そして、急激に、たまらなく急激に藤沢周平の本が読みたくなってしまった。
手にしてしまった本は『橋ものがたり』(藤沢周平/新潮文庫)。
久しぶりに読み返そうと思った。橋をテーマにした短編集である。とても読みやすい。藤沢周平のやさしさがいっぱいつまっている。第一作の「約束」を読んで、どうしようもない気持ちになってきた。こぼれ出る涙をとめることができなかった。
(こうした発言は恥ずかしいと言えば、恥ずかしいことなんだろうけど)
タイトルから想像できる通り、“橋”には人と人との出会いとか、別れとか、言いようのない世界がある。
時代小説を読んだことのない人は、どうしても入っていきにくいかもしれない。それは確かに、わかる。僕もそうだった。もし宮部みゆきの時代小説をスラスラと読めたのならば、その延長線上で読めることと思う。なんと言っても、短編なので読みやすいし、すぐ読める。
ときどき、思い出したように、こうやってむかし読んだことのある本を読み返すのだけれど、その時にわからなかったようなことが、少し見えてくるようで、少し自分も成長したのかな、なんて感じます。
○ 蝉しぐれ
久しぶりに、そう3年ぶりくらいに藤沢周平の「蝉しぐれ」を読んだ。以前読んだときもよかったけれど、今回はまた深く読めた感じがした。
この話は少年から大人へと変っていくある武士の話である。隣にすむ少女との関わり、友情、それらが、社会の理不尽なあり方な関わってくる。特に主人公・牧文四郎とふくとの関わりには、特別なものがある。この長い物語の中でこの二人が直接に関わりあうのはほんの数箇所でしかない。しかし、二人は互いに想いをつのらせる。しかしそのは本人たちも気のつかないものであったり、どうしようもないものであったりする。
誰しもが、子どものころ異性に感じたほのかな(とでもいうのだろうか)想いがこの物語全編に溢れていて、読んでいてたまらない気持ちになってくる。
藤沢周平をまだ読んだことがない、という人もこの「蝉しぐれ」を読んで欲しいと思う。
もちろん他にもおもしろい作品は多くあるけれど。この物語は一番大切な何かを教えてくれるように思う。
藤沢周平という作家の死というのは、とても大きな出来事だったと思う。単に悲しいとかということだけでなく、この混乱した時代の中で、絶対に失ってはいけない何かを感じさせてくれた作家だったと思うからだ……。
○ お勧めの藤沢作品
・『用心棒日月抄シリーズ』(新潮文庫)
まずは、はじめにこの本を読んだ。友人に薦められて。そんなに面白いと感じたわけではなかった。しかし、いつの間にかはまってしまったのであった。佐知……。
・『獄医立花登手控えシリーズ』(講談社文庫)
このシリーズ読んで、藤沢周平にもう完全にまいってしまったのであった。とても読みやすい連作なので、まだ読んだことのない方にもおすすめです。
・『蝉しぐれ』(文春文庫)
「ベスト1の本は何ですか?」
こんな質問を受けたら僕は今この本の名前をあげることにしている。
彼の生まれ故郷であり、この本も舞台である海坂藩に、住んでいたことがあるということも理由の一つにはある。けれども、それはほんの少しの部分にすぎない。主人公・文四郎とふくとの気持ちのやり取りに胸が熱くなってしまうのだ。
何かを強く主張するようなものではないけれど、そのほんのわずかな二人の触れ合う場面は何度読んでも心が打たれてしまうのである。
この先、この物語を何度も読み返すことになると思う。
けれど何度読んでも、全く色あせることはないだろう。
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