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ドルフィンホテル

『少年カフカ』を読む


※ 参考:村上春樹著『村上春樹編集長 少年カフカ』(新潮社)


.● どうして『少年カフカ』なのか
 何を隠そう「ドルフィンホテル」という名前は、村上春樹の小説から付けている。当然のように、このウェブサイトを村上春樹のことが書かれていると信じて来る人もいる(と思う)。けれど、そうした期待を見事に裏切ってきた(笑)。そこがこのドルフィンホテルの良さだと自分では思っている(笑)。
 この「『少年カフカ』を読む」とは、こうしたこれまでの方針からはちょっと外れていまうことになる。でも、メインの本ではなく、こうしたちょっと変わった本を取り上げるところが、またいいのではないかと……。

『少年カフカ』(新潮社)という本を少し説明する。村上春樹が『海辺のカフカ』(新潮社)という本を出したときに、この本をテーマとしたウェブサイトを作った。「海辺のカフカHP]といい、今はない。村上春樹からのちょっとした文章が載ったりしていたのだが、メインは読者の質問に対して村上春樹が答えるというものだった。HPは期間限定のもので、8ヶ月半で閉じられてしまった。それが、そっくりそのまま本になったのがこの『少年カフカ』なのであった。この本が出たときには笑ってしまった。なにせ、「少年」という名前の通り、「少年ジャンプ」や「少年マガジン」のようなマンガ雑誌と同じようなデザインだったのだ。しかし、中身はマンガではない。5段組になり、活字がぎっしりと詰まったものだった。

 僕はこの『少年カフカ』という本を、2003年8月21日から11月10日まで(読まない日も当然あって、実際にはこの内43日間だった)、読んでいた。1日あたり30分読むと決めていた。トータル時間は、1290分、21時間30分である。どうしてこんな読書(毎日少しずつ)を始めたかというと、この夏が暑かったからであった。風呂に入り、汗を流す、そのあとに布団にバッタリと寝そべる。クーラーをかけ、涼みながら本を読むことにした。その時の僕の精神状態に、これ以上にないというくらいにフィットしたのがこの本だったわけである。
(ただ、後になって考えてみると風呂の後にクーラーで涼むというのは身体を蝕む行為だったみたいだが)
 読んでいくと、なるほどと考えさせられることが多い。小説について、小説家について、普段は大きな声で言わないだろう、ここだけの話みたいなものが垣間見れる。村上春樹のプライベートなところも楽しい。そして何よりも、この本がウェブサイトで行なわれたものだということに驚き、その世界に浸るのが心地よかった。
 気になったところはページの端を折り、あとでその感想を書いてみたいと思っていた。その折ったページがたぶん、軽く50を超えてしまっているだろう。
 そんなわけで、まとめたひとつの文章にしてみようと思ったのであった。

 そうそう、ドルフィンホテルという村上春樹に関しての名前を付けていながらこれまで何も触れずにいたことには少しの理由があった。村上春樹の読者の人って、なんだか恐そうな印象があったんだよね(笑)。何というかすごくこだわりを持っていて。僕が何かを書いたとして、「それは違うよ」なんてあっさり言われてしまいそうで(笑)。
 今回のは、僕のほんのささやかな感じたことなので、あまり文句をつけられても困りますので(笑)。


.◆ 1220通のメール
 海辺のカフカHPというものが出来たときにはとても嬉しかった。映画が上映されるときには、そのHPが出来るというのは最近では当たり前のことだ。中には製作中からHPでその経過が報告されたり、BBSで感想が語られたり、なんてこともある。
 しかし、本についてはこのようなHPというものは少なかったように思う。
 僕は当時、海辺のカフカHPというものを楽しみにしていた。けれど、読者のメールに関してはあまり読むことがなかった。あまりにも量が多すぎたのだ。ドルフィンホテルのようなたまにある書き込みであればじっくり読むことができる。しかし、量が多いとそれだけでめげてしまったりする。そんなわけで、せっかくの読者とのやり取りのある海辺のカフカHPを全部読むことはなかった。
 本になって驚いたのは、読者のメールの1220通という数字と、実際に活字となったボリュームだった。ただ単に、1220通というメールがあるだけではない。全てのメールについて、村上春樹が丁寧に返事を書いているのだ。
 メールの返事を書くということは、かなり大変なことのはずだ。冷静になって1220通という数字を考えてみれば、それがどれだけ凄いことかわかるだろう。

.◆ 四国
『少年カフカ』という本は、僕にとっては特別なものだった。何が特別かというと、四国という場所が舞台になっていたことだ。高知の海岸や、その森の景色など、僕がこの数年に体験したものだった。四国に住んでいる人だって、山の中の森(と言えるかどうかはよくわからないけど)の中を歩いた人はそんなにはいないのではないだろうか。なんと僕は、誰もいない森の中を、自分ひとりで歩いた『少年カフカ』の読者なのだった(笑)。そんな僕であるが、また舞台のメインとなる高松には行っていない。本当は今年行く予定だったのに、足止めをくらっている。僕にとって高松という場所は四国の最後(僕の四国のイメージとしては徳島県、高知県、愛媛県、香川県という順になる)なのだけど、『少年カフカ』では始まりだったりしている。

.◆ 読者
 村上春樹の読者には本当にいろいろな人がいるのだなぁと感じる。外国人からのメールだってある。英文のものは、そのまま英文で答えている。年齢にしても、様々。驚いたのは15歳の読者なんかがいたりする。もちろん、15歳だってちゃんと本を読むわけで驚くようなことではないのだけど。父親の本棚から村上春樹の本を取り出して読んだ、なんてメールもあった。親子二代でそうやって本を読むって、なんだか凄いよね。

.◆ 具体的な作用(Mail no.099)
 村上さんの奥さんは、村上春樹の原稿を読むたびに何か食べたり飲んだりするのだという。読者でもそうした声は多いみたいなのである。
 なんだかこうした話は嬉しい。僕も自分の書いた文章について何かを言われるとしたならば、「何かが食べたくなった」みたいなのが嬉しい。そんな感想を持たれるような文章こそがいい文章でないかと思ったりしている。
 村上春樹の文章でなくても、何かを食べたくなるような文章というのは楽しい。食べるということは、生きていくことの基本だけれど、文章としてもやはり基本なのではないだろうか。

.◆ 読書というものの意味(Mail no.105)
 実は僕は読書というものに抵抗があった人間である。本を読むとしたら、小説よりも答えをすぐに出してくれる(と思っていた)実用書のようなものしか読まなかったこともあった。
 この『少年カフカ』という本では、村上春樹はいたるところで、本を読むことの意味について書いていたりする。読者からの質問がどうしても、書かれている内容の意味についてだったりしていている。でも、作者だからといって、そこに明確な意味や理由があるわけでもないのかもしれない。読者がよく考えて自分なりに解釈したものだったならば、それはひとつの答えとも言える。
「でも、僕は思うんだけど、ほんとうの意味というのは、その物語を潜り抜けるという行為自体の中にあるのではないでしょうか。」というのは、とてもわかりやすくて好きな文章だ。読書というものが、大きな意味を持つものだと思うことができる。

.◆ むずかしいこと(Mail no.135)
 河合隼雄先生のことが書かれている。この人はよく「はあ、そらむずかしいですな。そんなもん、わからんですわ」なんてことを言ったりするのだという。
 なんだかいい話だよね(笑)。世間のあちこちでは、あまりにも知ったかぶりする人というのが多いような気がする。

.◆ 避妊(Mail no.337)
 読者のメールでなるほどと思ってしまったのに、避妊についてのものがあった。たぶん、村上春樹の小説の中での性描写では避妊している様子はない。村上春樹の答えは「ゆっくり考えてみてください」というもの。本人はちゃんと考えて書いているとのことだが。
 村上春樹以外の小説でも、避妊している場面というのはあまり無いように思える。映画のラブシーンとかでもそうだよね。「ちょっと待ってね」なんてセリフはなかなかない。性行為というものは、何らかの象徴のようなものとして書かれていることも多いわけなので、なかなか難しい問題ではあると思うのだけど。
 でも、うーん。どうなんだろうね(笑)。

.◆ 何かを失うこと(Mail no.359)
「人は何かを失ったぶん、べつの何かを得るための資格を得るものだ」と書かれている。村上春樹の長年の信念なのだという。
 この言葉を、忘れないでいたいと思った。

.◆ 僕の好きな作家が!(Mail no.1206)
 プライベートでどういう本を読んでいるかなどが、ぽつりぽつりと出てくる。ついついそうした本を読んでみたいという気持ちになるのが、ムラカミファンというものである。それが自分が好きでずっと読んでいる本について書かれていたのだ。ムフフ。これはどうにも嬉しかった。
「藤沢周平さんの本はけっこう読みましたが」と書かれている。これだけで深い感想はないのだけど、「けっこう」という言葉から推測するならば、それなりに何か深いものを感じたのではないかと思う。つまらなかったなら、読まないわけだからね。分厚い本のなか、この1行は特別なものだった。

.◆ おもしろい格言(Mail no.506)
「紳士は税金と、寝た女性の話はしない」という格言があるのだろうだ。初めて聞いたけど、なかなかいい格言だよね(笑)。でも、税金と寝た女性というのは、共通点というか相関関係があるのかな、なんて思えてしまった。いっぱい税金を払っているような人は、何かと女性関係が激しいのかなぁなんて思ったり(笑)。どちらもフクザツなのだろうけど。

.◆ 三人の相談(Mail no.553)
「結論や解決というのは、読者と著者と本が集まって、三人で相談して決めることだろうと、僕はばくぜんと思っているからです。」と書かれている。
 少しずつ、このことを噛み締めている。そうだよな、と思ったり。わからなくなったり。実際に、著者と話のできる機会なんてないわけだしね(笑)。
 自分にとって大切な本を振り返ったとき、確かにこの「三人で相談」というのをやっているのかも、と確かに思うこともある。結論がでるわけではないけど、「この間の君の言うことは、少しはわかった気がするよ」なんて。そして、少しばかり親しくなったような感じを味わう。美味しい酒を飲んだりしてね。

.◆ 時間のかかること34(Mail no.734)
 小説のいいところ、ということについて「時間がかかる」ということだと思うと書かれている。小説というのは読むのに時間がかかる。簡単に答えは出てこない。
 小説を読んだときに、その答えの片隅に触れるのは50年後くらいになるのかもしれない。まったく意味のないことのようにも思えてしまうことがある。けれど、そうした過程を経て得られた答えならば、大きな価値を持つのだろう。ほんのちょっとした違いというのが、そういうところにあるのかもしれない。
 焦ることは無い、そんなメッセージがこの本の中には溢れている。けれど、やっぱり焦る。そして僕は本を読み、気持を落ち着かせる。

.◆ 経験と時間(Mail no.736)
 シナリオの勉強をしている人へのアドバイスのようなことが書かれている。その人は「芸術的素質がないみたい」と少し落ち込んでいる様子。
「作れないのが普通なんです。あなたに必要なのは、おそらく経験と時間です。」と、村上春樹は言う。こういう言葉って、すごくいいなぁと思ってしまった。創作というのは、どうしても才能なんて言葉が使われることが多い。でも僕は才能って言葉は嫌いなのだ。もちろん、関係しているのかもしれない。でも、それよりも大切なことはもっとあるのではないかと。

.◆ 世界はそれなりにちょっとずつ(Mail no.834)
「世間の人って小説なんかほとんど読まないんですね。」と書かれていた(笑)。「たかが作り話だし」とか「とくに役にたたないものなあ」とか。こんなところが本音っぽくていいなぁなんて思ったりする。確かに、本を読む人は少ないけれど、ちゃんと読んで考えることで確かに少しは前に進むのだろうと感じさせてくれる。村上春樹の文章は、いいなぁと思うのだ。食べ物の話とか、ほんとに楽しんで読めるのだけど、それが世界の深いところと繋がっているみたいな。

.◆ どうして?(Mail no.836)
「魚は何のために降ってきたのでしょうか?」という質問があった。まあ、普通は魚が降ってくることはない。『海辺のカフカ』では他にも変わったことがいっぱい起こったりしている。
 村上春樹は「僕にもよくわかりません」と答えている。「そんな風にものを考えはじめると、読書は疲れてしまいます」と。そして、「でも魚が降ったことによって、いろんなものごとが前に進んでいきます。」と書いている。
 そうかそうか、こんな風に考えて言ったら、確かに楽しく前向きに読書ができる。生きていくことも、考え方によって全く違ったものとなっていくような気がする。

.◆ 翻訳(Mail no.843)
 今はどうかわからないけれど、韓国では『ノルウェイの森』が2つの出版社からそれぞれ別の翻訳で出ているのだという。一つは『ノルウェイの森』だけどもう一つは『喪失の時代』というタイトルなのだそうだ。喪失の時代……。映画なんかの邦題でも全く違った雰囲気の名前になることはあるけど、『喪失の時代』はないようね(笑)。
 どうやら版権の問題とか、ややこしい話があるみたい。でも、世界で売れる作家というのも大変なんだろうと思う。多くの言語で翻訳され、タイトルだって全く違ったものになっているかもしれない。ぜんぶはチェックできないだろうけど、ただ関係ないでも済まないだろうし。ただ(という言い方も変だけど)小説を書いていればいいという問題ではないのだろうね。

.◆ 人の生き方(Mail no.927)
「何かをほんとうに失った人は、この世界における空白の存在意味を知っている人です。」という言葉があった。
 印象に残ったので、この言葉について何かを書きたいと思ったけれど、何を書いていいのかわからない。でも、村上春樹の多くの小説を振り返って考えてみると、確かにこの空白のことについて書かれているような気がする。
「そしてその空白を見る前と見た後とでは、人の生き方そのものが変わってきます。」
 ずしりと考え込んでしまう。もっともっと、タフになりたいと思う。

.◆ 読書について(Mail no.1013)
 村上春樹のいくつかの発言を見ていると、ほんとうに本というのは楽しく読めばいいのだと思ったりする。「途中で投げ出した本は僕にもいっぱいあります。」なんて言葉は僕を嬉しくさせてくれる。いくつもの本を途中で投げ出したけれど、僕の読解力の無さだけでなく、向き不向きの問題なんだと素直に割り切ることができる。でも、何度も投げ出した『カラマーゾフの兄弟』はいつか読破したいと思っているのだけど。

.◆ メイキング(Mail no.1140)
 僕が思うに、最近の小説家と呼ばれている人はあまりにも作品の数を書きすぎているのではないかと思う。もちろん、小説を書いて食べるには書かなくちゃいけないわけだし、理想通りに行くわけはないのだけど。
『海辺のカフカ』では、「原稿を渡してから本の発売までに半年をかけています。」ということ。本の装丁や値段についても本人がいろいろと考えたと言う。いろいろな考え方はあるのだろうけど、このくらい時間を掛けて、本にしてもらったりすると、ついつい本を抱きしめたくなってしまう(笑)。
 確かに村上春樹の本は売れている。売れているからこそ、これだけ時間を掛けるなんてこともできるのかもしれない。でも、他にこのくらい時間と細かなところまで考えて本を出す人って、どれだけいるのだろうかと思ってしまった。

.◆ 産地直送野菜(Mail no.1156)
 この本には村上春樹の食生活についても書かれていたりする。なんと、産地直送の野菜を注文して毎週ダンボール箱いっぱいに届けてもらっているのだという。僕は野菜を食べているところではなく、宅配便を受け取ってハンコを押している姿を想像してしまった(笑)。だって、毎週受け取るのってけっこう大変だと思うけど。他にも送られてくるものはいっぱいありそうだから、あまり関係ないのかな。

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● うまく言えないけれど
 実は、いろいろな感想が書きたくて、僕はこの本についての文章を書き始めた。けれど、なんだか引用ばかりで終ってしまうような気になってしまった。好きな言葉のメモであれば、自分にノートに書きとめておけばいい。
 なんだか中途半端な気もしないでもないが、この本はとても興味深い本だったので、もし良かったら読んでみて欲しい、ということだと受け取って欲しい。
 書きたかったことのひとつに、翻訳の話がある。「翻訳って究極の精読・熟読なんですね」(Mail no.1013)という言葉があった。翻訳というのが、基本的に訳者ひとりで行なうことだとすれば、この『少年カフカ』という本は、『海辺のカフカ』という小説を読んだ読者が集まって感想を語りあっている会をやっているようなものだと感じた。
 以前僕はこれと近いようなことをやっていたことがあった。とあるアメリカの小説を、いくつもの日本語訳と照らし合わせながら、一行の文章を、まさに何時間もかけて話合いながら読んでいった。これは本当に面白かったのである。読書というものが、こんなにも広がりを持つものなのかと、感激のしっぱなしだった。
 やや分量が多くて大変なのだけど、この『少年カフカ』という本は、同じように語り合って深く読んでいく、楽しみを広げていくみたいな感覚があった。村上春樹はプロの作家なわけで、多くの意見などをうまくリードしてくれる。意見の言い合いみたいなことをやると、どうしても嫌な思いをしてしまいがちだけど、この本では全くそうしたことはなかった。ほんとうに、丁寧に丁寧に、批判的なメールにもしっかりと対応していた。
 読書というものだけでなく、インターネットを使ったコミュニケーションということでも、この本はとても有意義なものだったと僕は思ったのだ。

(2004.5.8)



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